クリスマス間一髪
クリスマスイブは誰かと集まって賑やかに過ごすものである。何となくそういうイメージを持っていたが、ある年、ヨーロッパで年末年始を過ごしてみて印象が変わった。
本州よりも北に位置するので、パリの十二月はかなり冷えるが、どこでも屋内の暖房は完備しているし、カフェやレストランはもちろん、美術館などの施設も夜遅くまで開いているので活気があり、毎日出歩いても飽きることがなかった。しかし、クリスマスイブだけは様子が違った。
静かなのである。
明るいうちはともかくとして、日が暮れたあたりから、街を行き交う人の数がめっきり少なくなる。ふだん誰かしらいる通りにも、歩いているのは自分一人だったりして、商店も軒並み明かりを消して休んでいる。街全体が厳粛な空気に包まれているのだ。
これは、日本の大晦日だ。
その時初めて、自分の思っていたクリスマスと、キリスト教徒にとってのクリスマスの違いを肌で感じた。逆に、一週間後の大晦日はお祭り騒ぎで、日付が変わった途端にあちこちで車のクラクションが鳴らされ、泊まっていた安ホテルの窓からは打ち上げ花火が見えた。
これが日本以外のアジア諸国だとどうか。
一時期香港に住んでいたことがあるが、ここは英国の植民地だったこともあり、クリスマスはかなり盛り上がる。といってもキリスト教徒の数はそう多くないので、日本と同じく、便乗して賑やかに過ごそうという人が大半である。
九龍半島の先、尖沙咀の高層ビルは趣向を凝らしたイルミネーションで飾られ、クリスマスセールも始まり、一月ほど後の旧正月に向けて、このあたりから徐々にテンションが高まってゆく。冬といっても日本の晩秋ぐらいの気温で晴れの日が多く、蒸し暑い夏や雨の多い春先に比べ、格段に夜遊び向きの季節だ。
というわけで、ある年のクリスマスイブ、私は女友達と食事に出かけた。せっかくのお祭りなんだから、どこかで楽しく過ごそうよ、という考えだ。旺角あたりのレストランで何人か集まり、火鍋を食べて、あそこの旅行会社の航空券は安いだとか、香港人の結婚式のご祝儀にはいくら包むとか、いつもするような会話でひとしきり騒ぎ、そう遅くならないうちに解散した。
私とK子さんは帰る方向が同じなので、連れだって地下鉄の駅へと向かった。レストランの前は四車線の道路で、しばらく歩いて反対側へ渡ると駅への階段がある。香港の広い道路には、中央分離帯に鉄製の柵が設けられているところが多くて、これはきっと不正横断を断固阻止するためのものだ。それでもこの柵をまたいで、無理やり渡っていく人はかなりいるけれど、私たちはきちんと信号が変わるのを待った。
旧正月はずっと香港にいるの?などと質問して、やっぱり外国人が日本で三が日過ごすのと一緒で、ちょっと退屈なんだよねえ、という答えに頷きながら、青信号で渡りはじめる。そしてあと少しで渡り切る、という時に突然、背後で雷のような轟音が響いた。
とっさに振り返ると、金色の火花が炸裂していた。
その一瞬後に、何が起こっているのかを悟る。中央分離帯の鉄柵に、車が側面を擦りながら走っている。激しい火花は車体と鉄柵がぶつかり合う衝撃で散っているのだった。
こっちに突っ込む?と思ったが、動けたものではない。ただじっと見ていたその時間は一秒にも満たないだろう。次の瞬間、火花は闇に溶け、反対方向にハンドルを切った車は街路樹にぶつかって停まった。
あっという間に野次馬が集まってきて、停まった車を取り囲む。我に返った私の傍では、K子さんがしゃがみ込んでいた。飛ばされてきた車の部品が足に当たったらしい。出血はしていないけれど、かなり痛そうだ。こういう時、香港の人というのはとても面倒見がよくて、どうしたどうしたと寄ってくると、すぐに救急車を呼んでくれた。
幸いなことに、たらい回しにもされず、K子さんと私を乗せた救急車は十分もしない内に病院に着いた。X線撮影の結果、骨折はなく、特に治療の必要もないという診断でひと安心。じゃあもう帰ろうか、と廊下を歩いていると、車椅子の男性が目に入った。顔を真っ赤に腫れ上がらせ、苦しそうな様子で、どうもさっきの車のドライバーのようだ。
気の毒ではあるけれど、一歩間違えばこちらがえらい目に遭っていたのだ。スピードを出し過ぎていたようだし、まあしっかり反省して下さい、と心の中で呼びかける。そしてK子さんをタクシーに乗せ、自分は地下鉄で家路についた。
気がつくともう日付が変わるような時間だった。それでも香港の地下鉄はかなりの人で、また不思議なことに、小さな子供が眠そうな様子も見せずに乗っていたりする。私はようやく疲労感を覚えながら、一年ばかり前に、とある中国の老人にみてもらった占いの事を思い出していた。
別にみてもらいたいと頼んだわけではない。ただ先方が占いを趣味にしている人らしくて、初対面の人には必ず生年月日と出生地を尋ね、運勢を告げているようだった。それによると私は近い将来、間一髪、という危険な目に遭うらしいのだ。ただし、と老人は言った。それを過ぎれば順風満帆、全てが上手く運んでゆくでしょう。
もし今夜あった事がその、間一髪だとしたら、私の運勢はこの後全てが順調、中国風に言うと万事如意となるのだろうか。ここで素直に信じておけばよさそうなものだが、私は占いに対しては懐疑的だ。そして残念なことに、私の方が当たっていた。
今になって考えると、本当の間一髪というものは、当の本人でも気づかないのではないかと思う。例えば、何の偶然かふと気が変わって、曲がるはずだった道をまっすぐ行き、そのおかげで難を逃れる、という事があるのかもしれない。しかしそれを知るすべを我々は持たないのだ。
ともあれ、当時の私はまだその「間一髪」に、ほんのわずかな望みをつないだまま帰宅した。そしてベッドに入ってから、そういえば今夜はクリスマスイブだったと思い出した。それから友達に借りていたミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を少しだけ読み、寝た。
クリスマス間一髪