クリスマスが今年もやってくる

西木眼鏡

メリークリスマス。

 クリスマスは誰にもやってくるというが、当たり前のことだと思う。時間の進み方は誰にでも平等であり、十二月の二四日、二五日を飛ばして二六日を迎えることはできない。
そうは言っても恋人同士の仲がより一層親密になる日だ。来るものは嫌でも拒めない。恋人がいなければ人類にあらずという雰囲気が街のあちこちから漂う季節。去年は友人の一人が、クリスマス直前にリア充に転じたことで、飲み会で用意していたお酒の一人当たりの飲むべき量が増し、参加した独り者三人が潰れるという事件が起きた。あれは酷かった。どれだけ酷かったかというと聞いてもいないことをひとりでに喋り始める、所謂自白大会にまで発展したほどだ。
今年でクリスマスを迎えること二十何度目か
実をいうとクリスマスにはいい思い出がない。一昨年のことだが、クリスマス当日を迎える少し前に恋人と別れてしまうという結末を迎えた。
 しかし、事実は小説よりも奇なりという言葉にもあるように、十二月を迎えた今、僕には恋人がいる。


 クリスマスと言えばプレゼントだ。
 もらって嬉しいプレゼントを渡したいと思う。
 過去を振り返ると、たった一度だけ参考にできそうなことがあった。あれはまだ純情で穢れを知らない中学生の時だった。遠い人記憶を探ってみても遠すぎるあまり何をプレゼントしていたのか思い出せない。やはり昔の記憶というものはあてにはならない。
 先日読んだ森見登美彦氏の『太陽の塔』もクリスマスが舞台であった。プレゼントとして恋人の手に渡ったのはソーラー発電で無限に手招きをする招き猫、「ソーラー招き猫」だった。その後彼らが、どういう終わりを迎えたのか、たとえ太陽の塔が何かわからなかったとしても物語の七割は理解できるはずである。読み終わると同時に、僕はプレゼントで「ソーラー招き猫」だけは渡すまいと決めることができた。しかし、それは無限にあるプレゼントの選択肢のひとつを取り除くことができただけで、あまり意味のないことだと我に返った。そもそも、招き猫をプレゼントするという発想さえなかった。結果、選択肢は一つもなくなっていない。もっとこう選択肢を減らすことはできないだろうか、そう例えば、自分で選ぶか選んでもらうか。その二択である。
 やはり何が最上であるかは自身で考えるべきなのかもしれない。
 
 
 クリスマス当日、街の電飾が最もピークになる二四日の夜。駅前の公園を並んで歩いている。

 この物語の結末がどうなったかの詳細を書くことは控えたい。何しろ現在進行形の物語を書き続ける
ことは大変難しい。なにより「成就した恋ほど語るに値しない物はない」
 僕はただこの先もこんな幸せが続けば良いなと思う。

メリークリスマス

クリスマスが今年もやってくる

クリスマスが今年もやってくる

  • 小説
  • 掌編
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