『鼓動』
紅蛇 作
理佐ちゃん 編
※研究のために、複数の人が共同で使用しているアカウントです。作品に感想を入れてくださると嬉しいです。宜しくお願い致します。
紅蛇さんによる作品です。
私はうつ伏せになった時に聞こえる心臓の音が嫌いだ。
私は手のひらを胸に置いた時に感じる心臓の鼓動に恐怖を感じる。
私は母をハグした時に感じる心臓の鼓動に嫌気を指す。生きているいう実感を近くで感じるからだ。何故だか吐き気が出る、気持ち悪い。寝る度に心臓が聞こえない体制で寝る。でも無意識にドクンドクンと聞こえてくる気がしてならない。嗚呼、どうしてだろうか。
普通に生活をする。友人と話をする。その時は楽しいが時間が経つと、何が楽しかったのか分からなくなる。私は忘れっぽいのだ。何事にも興味が無いのだ。父母にも欲がないと怒られた事もある程である。だから日々の生活も生きている実感が湧かないのだ。別に私の今まで生きた中で「生」やら「死」などを実感した事無いせいでもあろう。
その所為であろうか、私はそれらを感じてしまうと嫌気が指してしまう。今まで生きるとか死ぬなど関係のない人生を送ってきたのだから、これからもそう送っていきたいのだ。
とこれまで色々と言葉を綴ってきたが、一度程(本当の事を言うと何度も)死んでみたいと思った事がある。
いつの事だか忘れたが一層の事、寝室にあるベランダへ向かってしまおうと思った。そうして都会の光によって作り出された人工的な海の深海へと潜っていきたいと思った。つまり、回りくどい言い方をしないと飛び降りたいと思った。飛び降り自殺と言うものだ。馬鹿な考えだ。
特に生きる正気を失った訳でも、両親を亡くした訳でも、大親友を亡くした訳でも、世界が終わるからでもなく。ただ純粋に死んでみたいと思った。死んでみたいという感情に純粋という言葉を使うのは少々可笑しい気がするが、本当に純粋な気持ちであった。人々が日常を過ごしている最中に、空から人間が降ってきたら色んな人が驚くだろう。きっと倒れてしまったり、ショックを起こして倒れてしまう人もいるだろう、その中には悲しんでくれる人もいるだろう、逆に喜ぶ人がいるかどうかだが(まぁ、人間には色々といるからなんとも言えないが)。死んでみる事によって人々がどの様な反応を起こすのかワクワクした。
その時、私は周りの、自分とは違う他人ばかりを考えていた。だから死んだ後の自分を考えた。きっと数十階のベランダから落ちたらペッチャンコになってしまうだろう。きっと名前も、教わった事も無い数々の骨が粉々に砕けてしまうだろう。きっとその痛みと言ったら……、マラソンをした事のない人が練習も無しに走って無理やり完走した次の日の筋肉痛よりも痛いだろう。きっと感じた事も無いような痛みと息苦しさ。嗚呼、そんな苦痛をしてまで死ぬのは嫌だな。でもきっとマンションの屋上から私の屍を見下げてみると、きっと飛び散っている血が真っ赤な花弁のようになるだろう!そして私自身の本体だった身体は、蜂を待つ姿の様であろう。あぁ、そう考えれば美しく感じる。でもそれは上にいる者にしか見えない。それはもしかすると神かも知れない。あぁ、だから神は人間が大量に死ぬ様に戦争を作り出したのだろうか?世界中に真っ赤な花を咲かせる為か?きっと、きっと彼岸花畑のように妖艶のような、何処か嫌ないやらしさを醸し出すだろう。神は悪趣味な性格なのであろう。
でも大体の人は神と同じ性欲の持ち主でも無く、空中から見ている訳でもない。私の事を道端で見るだろう。だから美しい花には見えないだろう。見えるのは腕、脚、首、所々の私だった部分が変な方向に行ってしまった身体と血生臭い香りだけであろう。嗚呼、そんなの全然美しくも感動的でも無い。そんな死に方は嫌だ。それに私の身体を嫌々でも片ずける人々がいるであろう。そんな人々にも迷惑だ。どうも純粋な自殺の考えは純粋では無くなっていくような気がした。考え出した時は完璧だと思ったが。やはり、私には生も死も無関係、考えるだけ無駄なのであろう。
そう考え出してしまっていつも自殺を諦めてしまう。といっても自殺の方法を考えるだけで実行してみようとした事はないが。サッカー選手になりたい夢があってもサッカーの練習をしないような、計画だけして旅に出ない旅人のような、計画だけをして自殺をしない自殺者なのである。つまり偽物の自殺者である。
まだ経験の少ない生涯を送っています。
これからもそう生きていくでしょう。
『鼓動』