真っ赤
一
おもちゃのラッパはカラフルで,写真の中の僕はそれを吹いてはいない。
たくさんの雪が降った後の日だったから,町の通りは真っ白で,暖かい格好をした人がいっぱいいて,みんながみんな,滑らないように,転けないように慎重に歩いていた。慣れないことが楽しそうで,お互いに声を掛け合って,すれ違っていた。下を向いて,誰かが通った足跡の上を別の誰かが通る度,通りの上にある通れる道になって,誰かのお家や,並ぶお店のドアに分かれていた。お家の中からも,お店の中からも,怪我や寒さに気を遣った声が聞こえてきた。金具がキィっと鳴って閉まった。日差しが光って,町役場の人たちが頑張って修理しているはずの停電にも負けずに生活できたし,商売ができた。夜に備えて,ロウソクや懐中電灯が,電池と一緒に探す人が多くて,よく売れた。僕のお父さんにお母さんも,それらを買ってから,お昼ご飯の材料を買って,僕を連れて行ってくれた。交差点は町にひとつだけあって,修理屋さんはその角にあった。ガラス張りの向こうにある棚のスペースに,修理が終わった物を飾っている修理屋さんは,修理が終わると電話をしてくれる。若いのにちょび髭を生やしたお兄さんが,年上のはずなのにいつも年下に見られるおじさんと一緒に経営していた。何でも修理できる,という売り込みで,時々お店の外に出てきて屋根でも何でも直した。お客さんたちからは,だから何でも屋さん,と呼ばれいた。だから僕も修理屋さんを訪ねた。おもちゃのラッパを直して欲しかった。どんなに吹いても音が鳴らなくなった。僕はとっても悲しくなった。
いらっしゃいませ,と迎えてくれたちょび髭の修理屋さんは,お店の中に一緒に入ってくれたお父さんを見て,お母さんを見て,僕を見た。僕の手にはラッパがあった。修理屋さんはそのラッパを見てから,「それをお直しで?」と僕たちに尋ねた。僕は心底驚いた。けれど,お父さんやお母さんは驚かなかった。
だって,あのとき私達が持っていた物は買い物袋ばかりで,直せる物はあなたが持っていたラッパぐらいだったでしょ?そして,修理屋さんは何でも屋さん。おもちゃのラッパだって,直そうとするわよ。
お母さんが僕にそう言ったとおりに,修理屋さんはラッパの修理を引き受けてくれた。お父さんはしきりに,無理はしなくていいですよ,それはもう寿命なんです,と修理屋さんに言った。その前の夜に,僕もお父さんから同じことを言われて,怒って泣いた。あまりにも大声で泣いたから,お母さんの提案で,お父さんも僕を修理屋さんに連れて行くことを決めた。それでこうして,おもちゃのラッパの修理をお願いすることができた。嬉しくなった僕は,修理屋さんに何度もお礼を言った。修理屋さんはそれを嬉しそうに受け入れてくれた。一時間の時間を下さい,と修理屋さんは僕たちに言った。はい,と僕たちは返事した。ラッパを預けて,僕たちはお店を出た。残りの買い物をしに行くため,交差点を渡った。あんなに早く渡れたことはなかった,と自信を持って言えるぐらい,僕は喜んで,地面に足を着けるたびに跳ねていた。積もった雪の上に,転んだりしなかったのが奇跡だった。
今になって思うと,お父さんの言う通り,あのラッパが鳴らなくなった原因は寿命だった。もっと小さかった頃にプレゼントしてもらったラッパは,僕がそれを吹けるようになるまで,色んな場所にぶつけられて,細かい傷もたくさん付いていた。だからもっと,「ラッパのお腹の中の調子が悪くなった」としても不思議はなかった。あのラッパは鳴らなくなるべくして,鳴らなくなった。難しそうな言い方で,教えられるように言われたとしても,それは納得できる。運命みたいなものだった。
でも,僕のラッパは直って戻って来た。吸い込んだ息で大きく鳴った。鳴り過ぎて,お店中に響いたから,お母さんに怒られてしまって,お店の奥にいた若く見られる修理屋さんが顔を出してきて,嬉しそうな顔を僕に向けてくれた。嬉しさを僕も隠さなかった。お父さんは驚いていた。「すごいですね」とちょび髭の修理屋さんに言った。それから,どうやったんですか?とその修理屋さんに訊いていた。修理屋さんは身振り手振りを交えて,お父さんに説明した。その傍に居た僕は,それをきちんと聞いていなかった。カラフルなラッパが鳴るのが楽しくて,僕にしか聞こえないつもりで,何度も鳴らしては持ちかえて,もう一人の修理屋さんを楽しませることに熱中していた。お母さんは多分,また怒ることを諦めていた。止んでいた雪がまた降って,また止んだ。そういう天気の変化があった,短い間の話だった。
種明かしをすると,修理屋さんは全く同じタイプの新しいやつを買って来てくれたんだよ。ほら,あのラッパを買ったおもちゃ屋さんは,交差点を対角線上に渡った所にあっただろ?修理代だって,あのラッパの値段どおりだったからね。だから,修理屋さんは直したんじゃない。買って来たんだよ。
何年も後になって,お父さんは僕にそう言ってから,粋な修理屋さんだ,とウインクでもしそうだった。これまでそれを黙っていた自分自身の助力を褒めて欲しそうだった。僕はそれに驚いてみせた。持っていたカップを落としそうになる,とまではいかなくても,顔にあった,あらゆるパーツは,上に動いたり開いたりして,あの時に施された大人たちの演出に対して感謝の意を,暗に表現した。それぐらい,僕も大人になった。
ただ,僕は言わなかった。あの時のラッパには,その口の裏側に引っ掻き傷が付いていて,僕がそれを誤魔化すために引いた,黒いマーカーの線があったこと。あの時に,修理屋さんから受け取ったラッパには,その線が確かにあったこと。だから僕は,それが今まで僕が持っていたラッパだと信じられたということ。それに,お父さんの言う通り,修理屋さんがあのラッパと同じ物を新しく買って来たのだとしても,修理屋さんはその全てを再現してくれたのだということ。
ある晴れた日に通りかかった修理屋さんのガラスの向こうには,カラフルなラッパが棚に置かれて,張り紙がされていたこと。張り紙にはこう書かれていたこと。『きちんと鳴ります』。
僕が今それを持っているのは,修理屋さんとの間の約束に従って,お父さんには黙っておくことを守れると,心に誓っているからだということを。
カップに入っている温かいコーヒーを口にした。砂糖が入っていないのは,僕たちに通じる好みだった。
あとで一緒に出かけた。ステッキ代わりの傘で遊んだ。
真っ赤