イベント
一
大騒ぎだった。車道にまではみ出して,所狭しに集まっている人々は,見上げる先で起きているはずのことについて,誰かれ構わず語り合っては叫び出し,事態の変化を見守るように黙り込み,首を動かし,指を動かして,ネット上にアップした撮影済みの写真や動画を見直し,画面を見つめ,返事を待って,呼びかけに応じて,さらに増えていた。おかげで,前にも後ろにも進めない。この場を去ろうにも,去ることができない。否応なしに巻き込まれた格好で,みんなと同じように見上げている。地上からは決してその様子を窺うことの出来ない,あの高層ビルの屋上に閉じ込められた男の子たちのことを。
旋回している二機のヘリコプターが立てている,あの特徴的な音が騒ぎを上手に煽っていた。中継すべき重大性が,規則正しいプロペラによって表現されている。あっという間に現場になってしまった中心街には,正確な状況を伝える二人のキャスターがいるはずで,そして,映画か何かのワンシーンみたいな小ささで,換気口の前に,寄り添うように集まるようにして,固まって後ろ姿を見せる男の子たちが映っている。人数は五人。その背格好から,同じくらいの年齢の子達かもしれなかった。番組のコメント欄にも,同じような内容のものが書き込まれて,中にはそれが自分の知り合いや友達でないか?という,好奇心に踊る推測であることを隠せないものもあった。無事に地上に下りられた本人たちをこの目で見ない限り,男の子たちが誰かなんて分かるわけがない。知っている名前も上がっていた。タカシ君,タケシ君,タダシ君,サトシ君,マサトシ君。次いで,映像を見直した。癖っ毛の頭を探したり,鋭い両耳かどうかを確認したり,プラスチックみたいな黄色いピアスをしていないか,緑のTシャツを着ていないか,鼻が真っ赤になっていないか。携帯端末の画面にどんどんと近付いて,ドキドキした。状況について,繰り返されていたキャスターの説明が途切れた。ヘリの旋回に合わせて,屋上で固まる男の子たちが画面に取り残された。上空を見上げて,サイトを開いた。遅く感じた。集まった人達が,回線を奪い合っているんだろうし,と不満を感じることはなかった。冬空の下で待っていた。
繋がったサイト上では,騒ぎの中心的謎について,特に書き込みが行われていた。なぜ,男の子たちは施錠されていたという屋上に入ることができたのか。
模範的なものとして,屋上の鍵を管理する人物と知り合いで,友好的に頼んだか,敵対的に脅したか。盗んだ鍵を使って侵入したか(どうやって盗んだか,そもそも施錠は鍵か,電子的なシステムを用いていないのか。施錠手段が鍵だとしても,男の子たちは屋上まで,どういうルートでたどり着けたのか,など派生的な疑問が噴出)。思想的行動(それは動機であって,手段に対する疑問に答えていない,という手痛い批判が提出された)。男の子たちは騙されて,屋上に閉じ込められている(意外と人気がある推測で,犯人探しが,個人情報の流出とともに行われている)。何かのイベント,あるいはフラッシュモブみたいな即興的な状況を利用して撮影中(青春映画のようなメッセージ性を打ち出した脚本や,二転三転の仕掛けが施されたクライムムービーのような背景・設定など,脱線に次ぐ脱線が続いている)。
『ねえ,そもそもの始まりとして,あの男の子たちが,あのビルの屋上に居るってことが何で分かったの?通報があったの?私は騒ぎを知って,男の子たちのことを知ることが出来たんだけど。ねえ,誰か教えて?』
最新記事だったその疑問に対しては,けれど,答えの一つも示されないまま,流されて,画面の向こうに消えていった。こうして読んでいる一人として,知らなかったから答えなかったけど,みんな似たようなものかもしれなかった。それとも,今の話題に合っていないせいかもしれなかった。視聴を再開した中継でも,それについて触れられていなかった。僕はサイトに戻った。スクロールして,返信をした。あなたも知らない?『ミーも知らない』。
反応を待ってみたけど,何もなかった。またスクロールをしてみて,目新しい情報が尽きてきたのを認めてから,サイトを閉じた。ヘリコプターが一機去っていった。中継によると,残念ながら,燃料が尽きそうなのだそうだ。悔しそうなキャスターの顔が映り続けていた。
今日は朝から強風注意報が出されていた。といっても,吹けば踏ん張ることが出来ない,なんてことはなく,障害物がない高層ビルの屋上ではここよりも強く吹くだろうし,今日も一桁の気温は,男の子たちを凍えさせるだろう。映し出された男の子たちの格好は,防寒に優れたものとは言えない(このことから,男の子たちは閉じ込められた説が唱えられた)。低体温症が心配される。ここで,ビルの中からは開けられないという,確かな情報が入ってきた。(鍵か,システムが原因か)とにかく扉が壊れていて,外階段は修繕中で,階下の途中から上がれない。そして中継されてからこれまで,男の子たちは一切の動きを見せていない。心配は募る。救助が必要だと考えられる。成り行きを見守るために,人たちを誘う要因になる。
レスキュー隊はどうした?という声が,周りから聞こえてきた。あの屋上に降りることは不可能でも,レスキュー隊のヘリコプターがロープを垂らして一人ひとり,順番に救助すればいいじゃないか,という疑問だった。天候の問題が無いことは,中継機のヘリコプターが飛んでいることで証明済みだから,抱いて当然の疑問だった。騒ぎが起きてから軽く一時間は経っている。装備か,手続きか,出動に向けて,何かに手間取っているとしても,遅いと思う。それとも,出動できない何かがあるのか。実は犯行声明が出されていて,なんていうバカな妄想は,誰かの叫び声で空気を吹き込まれた風船のように浮き上がった。ビルの方を急いで見て,周りを見回して,携帯端末の画面を見て,サイトを開こうとして(この時は,繋がりが遅いことにイラついた),ビルを見て,周りを見た。何も起きていなかった。事態は何の展開も見せていなかった。もう一度,ビルの方を見上げた。紙のような白いものが数十枚,ハラハラと舞っていた。二,三階,上の階の窓が開いていて,誰かがそれを捨てていた。さらに数枚と紙が舞った。その人が,室内の誰かに慌てて引っ張り込まれたように消えて,何の動きも無くなった。集まっている人の上にその紙が到着する。白紙だったら,きっとその人たちは迷惑だと感じる。
開いたままのそこを,ヘリコプターの中継機がアップで撮ろうとして,ピシャリと閉められて,失敗した。そういうところまで,映っていた。中継機に乗ったキャスターは,けれど何も気にすることなく,カメラが振った屋上の男の子たちを捉える。何度目になるんだろう。男の子たちは動かない。
トイレに行きたい!という声が何処からか聞こえてきて,我慢しなさい!と怒る声が聞こえた。それに触発されて,すぐそこのビルの方を見ると,他の人たちがドアを押して中に入っては,用を済ませて出てきていた。立っている警備員さんは事情を考慮して,率先して案内までしてくれている。いまここを抜け出すと,このスポットには戻れなくなるのは分かっていたけれど,我慢の限界をすぐに迎えそうだったので,リュックを担いで,集まりを抜けた。ビルの方に向かい,警備員さんにその場所を教えてもらって,ドアを押して,ビルの中に入った。受付の女の人にも笑顔で案内されて,僕はそこに向かった。おじさんやお兄さんが出てきて,プレートがかけられていた『化粧室』は,暖房が十分に効いていた。快適だった。それから冷たい水で手を洗い,広げたハンカチを畳みながら,『化粧室』を出て,外に出た。寒さを感じた。傍にいた警備員さんにお礼を言った。視線を戻すと,ザワつきが街中を埋めていた。ここからでも,という位置を探して,僕は車道にはみ出していった。
ライトアップされたビルに囲まれた時間帯になって,事態の真相が明らかになった。その内容は単純だった。イベントに使った『男の子たち』はマネキンで,社内に置いておくと場所を取るからといって,頼み込んだ担当者の何名かで屋上に運び,業者が引き取りにきた頃に社内に再度運び込んで,引き渡そうとしたところ,屋上に出る扉が壊れて,運び込めなくなった。そこを,チラシに載せる,高高度の写真撮影を行っていたヘリコプターが通りかかり,『男の子たち』を発見。まずはメディアに一報を入れて,それから通報をして,騒ぎになった。それだけだった。
ガッカリしたような雰囲気に,集まりに費やした時間に労力を惜しんだ人達が,イベントを催した担当者及びそのイベント会社に怒りの抗議を向けた。そのお詫びなのか,それとも身代わりのためになのか,本日の注目を一身に集めた『男の子たち』が屋上から運び出されてきて,あの高層ビルの前に並べられて,お披露目になった。どの『男の子』も,同じように歯がない口の中を目一杯に見せながら,素敵な笑顔で立っていた。どの『男の子』も,映し出された画面を通して見ていた,あの服を着させられていて,肘関節を固定されて,片手を差し出していた。握手が出来た。写真が撮れた。
この時間になって,やっと合流できた彼女と一緒に手を繋いで歩きながら,それぞれの端末で撮影したものを送り合った。アングルや表情を褒め合って,お気に入りの一枚を言い合った。照明で飾られた通りが交差する角で立ち止まって,地図を見せ合って,確かめ合った。車が停車して,通らなくなるのを待つ間に,僕は彼女に訊いた。彼女は答えは明快だった。
「うーん,左から二番目。顔がタイプだった。」
服装も混みだよ,と彼女は続けて言った。僕が笑って,彼女も笑った。
走る車がスムーズだった。照らされては消えて,が繰り返された。
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