狐ノ嫁入リ

≪「彼女」は、確かに死んでしまいました。しかし、「彼女」の願いが叶うその時まで、「彼女」は確かに在り続けるのです。≫

 おやおや、こんなところで遊んでいては危ないよ?こんな夕暮れに、村外れのお稲荷様の前、それに君みたいな若い男の子は特にね。
…もう16だって?へえ、それは失礼、もう立派な大人だね。だけど、危ないことには変わりない。さあ、今から歩けば村まではすぐだろう。僕が送って行ってあげよう。なに、お礼なんていらないさ。さあ、早く帰ろう。…なぜあの場所が危険か教えろ?そうだね、帰るまで無言っていうのも面白くないし、特別に教えてあげよう。手短く話せって?全く、君はせっかちだなぁ。まあ、安心したまえ。僕はこれでも語り部と呼ばれていてね、どんなに長い物語でも面白おかしく、誰もが釘付けになるように話すことが出来るんだ。さあ、それでは始めようか。



狐ノ嫁入リ



 今更だけど、君はここから東にある村の出身で間違いないね?ああ、ならよかった。それなら、こんな伝説は聞いたことがあるかい?「昔より、作物が育たなくなり、村が飢餓に陥ると、村の若い娘を山のふもとにおられるお稲荷様へお嫁に出し、豊作をもたらす儀式が行われていた。」って伝説さ。…ああ、そうか、今はもう行われてはいないんだね。今から話すお話は、まだその儀式が行われていた時代の事だ。
 ある時、東の村は日照りが続いてしまって、作物が育たなくなってしまった。村人たちは何とか飢餓から抜け出すために、お稲荷様に花嫁を差し出そうとしたのさ。それがこの村での伝統的な対処法であったし、誰も異論を唱える者などいなかったんだ。その年に花嫁として選ばれた娘は、真っ黒でふわふわとしたくせ毛がある短髪の少女だった。まだ13になったばかりの、親を2人とも亡くしてしまった、「厄介者」扱いを受けていた少女だ。病気で両親を亡くしてしまってからは、誰も少女を世話することもなかった。日々残飯をむさぼり、ボロボロの服を着て生活をしていた。そんな少女は、花嫁…いや、生贄として差し出す役割にはぴったりだと思われたんだろうね。生贄が決まってしまえば、その後は順調に準備が進んでいった。少女に合わせた白無垢が仕立てられ、お稲荷様の元へ向かう時に付ける狐の面もあっという間に揃った。生贄を差し出す当日は昼間から少女を綺麗におめかしさせて、夕暮れ…そう丁度今みたいな黄昏時に松明を灯して村の祭祀様や長老、数人の男たちと共に少女は籠に揺られていくだけ。少女は生贄だってことを知っていたのかって?そりゃ知っていたさ。なんせ、村中の誰もが知っていることなんだよ。…生贄を捧げて神様のご機嫌をとることしか、昔は天候不順を直す術がなかったのさ。今ではそんなことしたって無駄だと誰もが知っているけど、そんな呪術的な儀式が効果的だと信じられていた時代だったのさ。
 さて、お稲荷様の祠の前で少女は降ろされ、急ぎで作られた祈祷するための祭壇…。ああ、ちゃんと説明するよ。人が一人座れるだけの正方形の床に、四つ角から地面にまっすぐ伸びた柱。祭壇に座るものを取り囲むかのように、これまた四つ角には細い棒が立ち、縄が張られていた。縄には計8つの紙垂(しで)が等間隔に張られていた。そこに座ったことが確認されると、そのまま少女は一人取り残されてしまう。だって、少女は籠を下ろされたその瞬間からお稲荷様の妻になったんだ。それ以上村人が干渉するわけにはいかないだろう?村人からすれば、あとは少女が死に絶えるまで祈り続けてくれたらいいんだし。ただ、少女だけはこの現実を受け入れることが出来なかった。夜の真っ暗な中、ただ一人残されてどんなに心細かっただろう。散々無視され続けた村人を生かすため、自分が死ななければならないなんて、誰も受け入れられないに決まっている。それに加えて、少女にはどうしても果たしたい夢があったんだ。両親が他界して間もないころ、寒さで震えていた少女にそっと濃い緑色の着物を掛けてやった少年がいた。「これは僕の古着で、大きさが合わなくなったけど布地は上等だから、ちょうど都に売りに行こうと思っていたんだ。多少は寒さも防げるだろう。困ったら、これを売ってお金にすればいいさ。」そう言い残して少年は少女の前から姿を消してしまった。少女は、その少年にもう一度会ってお礼を言いたかったんだ。それまで、死ぬわけにはいかない。そんな強い気持ちが彼女の中には渦巻いていた。
 生贄に出されてからもう一カ月近く経った。もともと体力のなかった少女の意識は朦朧としていて、少しでも気を抜けばそのまま死んでしまうほどにまでなっていた。それも当り前さ。その間、一切食料も飲み物も与えられずに祈祷をし続けたんだ。むしろよく生き抜いたほうだと僕は思うよ。そして、少女はとうとうその場に倒れ込んでしまった。どんどん遠のく意識。同じ速さで近づく死の感覚。手足は次第に熱を失い、全身を巡る血液はもはや熱など感じることが出来なくなってしまった。少女の目からはっきりとした景色は既に消え失せ、申し訳程度にぼんやりとした色のみが残された。そんな状況になっても、少女はただあの願いを思い続けた。

「まだ…私、は…。死にた、くな、い…。あ、のお方…に、まだ…。」

 ジワリと少女の目には涙が浮かび、息も絶え絶えに呟く。だが、もう体を起こすような力は残されておらず、祭壇の上で少女はぐったりと倒れたまま、最期の時をただ迎えるしかなかった。瞼も重くなり、彼女の前には暗闇のみが広がる。心臓の音が、次第にゆっくりとなる。少女の頬には一筋、涙が流れていった。



 その数日後、村の男たちが少女の様子を見に来た。実は少女を生贄に出してからも日照りは続いていてね、相変わらず村は飢餓に襲われていたんだ。それで、「あの娘は何をしているんだ。」って怒った男たちが様子を見に来たわけだ。だが、祭壇の上に少女の遺体がない。彼らは「あの女、逃げやがったな!!」なんて口々に叫んでさ。そりゃあ、怒るとも。自分たちが助かるために、少女にたーくさんお金を費やしていたからね。白無垢に、お面、それに食べ物だって村を発つ間際に用意していたんだ。もう自分達が食べるものもないのに、そこまでした挙句逃げられてしまったなんて、腹が立つだろう?それで、彼らは必死になって少女を探し始めた。このままでは自分たちの命が危ない、そう考えてね。ところが、彼らは不思議な「音」を聞いて、ぴたりと動きを止めてしまったんだ。

≪チリン―――チリン―――≫

それは確かに鈴の音だった。だが、彼らは誰一人として鈴なんて持っていない。辺りに人がいるかを確認したけど、やはり自分たちだけしかいない。じゃあ、この鈴の音は何なんだ?男たちの頬に、ツウッと冷や汗が流れる。ザワザワと周辺の木々が風もないのに揺れ始め、鈴の音は次第に男たちに迫っていく。

≪ねえ、何を、しているの?≫

男たちの耳元で、女の声がした。全身が凍り付くような、冷たい声が。ふと辺りを見渡すと、そこは祠のあった山ではなかった。黄昏時の空、怪しく灯る石灯篭、そして目の前に連なる数多の鳥居…。その奥から、また鈴の音が聞こえる。まるで、こっちに来て、とでも言うように。男たちは、自然と鳥居へと足が進んでいた。ただ、本能的に、進まなければならないと感じたんだろうね。ゆっくりと鳥居の中を進むと、急に開けた場所が現れる。そこには、神社の神楽殿を思い出させるような舞台が用意されていた。そして、その中央に、何かが静かに座っていた。

≪あらあら、こんばんは。皆さん、ようこそ≫

ザクロの目に青銀の髪、同じ色の狐の耳に五本の尻尾…。狐が女に化けているのか?と男たちは考えた。が、一人の男があることに気がつく。

「おい、あの女…。お稲荷様の嫁に出した女じゃないか?」

わなわなと声を震わせ、目には涙を溜め込んだ男は、仲間にそう伝える。周りの男たちは、ジッとその女を見て、確かに自分達が探していた少女だと気づいた。でも、男たちは同時に混乱もしてしまった。だって、自分たちが生贄に出した少女は、確かに人間だったんだ。なぜ、あんな姿で、こんな訳の分からない場所にいるんだ?ってね。ああ、君もそう思ったのかい?ふふ、この答えはもう少し後になってから教えるよ。ははは、意地悪だなんて、ひどいなあ。まあ、話を聞いていれば君も分かるとは思うけどね?
 さて、話の続きだ。男たちはその場でガタガタと身体を震わしていたんだけど、女はにっこりと笑ったまま「そうだ」と一言呟いた。そして女がチョイチョイと手招きをすると、勝手に男たちの身体が女の近くまで歩き出したんだ。男たちは、意思に関係なく動く自分の身体にすら恐怖を覚えてしまってね。もう涙を流してしまったやつもいたよ。そんなことはお構いなしに、女は語りだす。

≪あなた方を、この場所に迎え入れたいの。だって、ここは私一人で、寂しいんですもの。少し、頼みごとを聞いてくださるだけで構わないわ。ここなら、飢えも身分も関係ないの。こんなに素敵な場所、他にあると思います?≫

「な、なんで、俺たちなんだ…!!?他にも、いくらでも、人はいただろう!!」

≪あら、寂しいこと言わないでくださいな。…そうですねえ、強いて言えば、私は人の世界では自由に動けないのです。人の世界でしかできない、私が果たしたい目的をお手伝いをしていただくため…。別に、誰でも構わないのです。ただ、あなた方が望んでくださるのであれば、ここで共に暮らしたい、それだけなんです。≫

 にっこりと、女は笑う。スウッと目が薄く開かれ、ザクロの様な、深い深い紅が男たちを射抜いた。その瞬間、ブツリと男たちの中で、何かがきれた音がした。それは、彼らの「意識」が切れた音だ。男たちは、もう自分の意思など抜け落ちてしまったように、ただ首を縦に振った。この女の、妖術にでもかかってしまったのだろうね。女は嬉しそうに目を細めて、早速頼みごとをした。

≪まあ、嬉しいわ。ありがとう。…それでは、早速お願いがあります。≫

「ああ、何なりと…。」

 もう男たちの目には、女しか映っていなかった。男たちは、彼女のための「人形」になってしまったように、頼みごとを待っている。

≪この着物に合う、帯などを探してほしいの。真っ白なのも飽きてしまって…。ああ、それから、以前お稲荷様のお嫁に出した娘の家から、ある物を取ってきてほしいの。…濃い緑色の、男物の着物をここに持ってきてくださいな?あれは、私の宝物なの…。≫

 寂し気に伏せられた目は、一瞬ザクロの色から深い黒に変化した。だが、男たちはそんなことに気が付かない。そそくさと鳥居をくぐり、各々の目的を果たしに出てしまった。そして、一日もたたないうちに男たちは薄い黄色の帯に紫の伊達締め、ザクロ色の帯紐を揃え、彼女はさっそくそれを身に着けた。そして、女が宝物だと言っていた濃い緑の着物は、肘の所まで袖を通して、そっと自身の身体ごと抱きしめた。まるで、愛しい人を包み込むようなしぐさであった。

≪ああ、皆さん、本当にありがとう。奥の御屋敷で休んでくださいな。私も、暫くしたら、向かいますから。≫

 うっとりとした顔で、女がそう伝えると、男たちは無表情のまま奥に広がる、貴族が住んでいそうな大きな屋敷に入っていった。そして、それを見届けた女はまた「ああ、そうだ」と何かを思いつく。

≪彼らだけでは、やはり不便だわ。きっと寂しいでしょうし、もう少し人をお呼びしなくては。…あの方の行方を知らないか、尋ねる時にお誘いいたしましょう。≫

 

 男たちは、少女の様子を見に行ったきり村には戻らなかった。そして、その日をきっかけに、お稲荷様の祠へ向かった者はほとんど帰ってこなかったんだ。帰ってきたのは女だけ。そして、ある時に運よく村に戻ってきた青年が、村の者に語ったんだ。

「あの祠には、女の姿をしたお狐様がいる。男は皆、お狐様の領域に神隠しされて、この世の者ではなくなってしまっている。そして、必ずお狐様は問いただすんだ、≪この緑の着物を、小さな少女にかけてやった少年を知ってはいませんか?≫って。そのあと、お狐様の領域に引きずり込まれるんだよ。それは決まって黄昏時だ。俺は、帰ろうとしたときにそれに出くわしたんだ。答える前に走って逃げたが、女の向こう側には、いなくなった奴らが経っているのが見えた。いいか、男どもは絶対に黄昏時にあの祠に行っちゃならねえ。神隠しされちまうからな。」

 それ以降、飢餓に襲われた村で行われていた「狐の嫁入りの儀式」は無くなった。だって、それを行うのは、黄昏時だろう?儀式をしてしまえば、携わる男たちがお狐様に奪われてしまうからね。だから、君があの祠の前で遊んでいた時に「危ない」って言ったんだ。君も、神隠しされてしまうかもしれなかったからね。ふふ、分かったならよろしい。ただまあ、その話を知らない旅人が、今でも神隠しにあっているって噂だ。君もこれから気を付けてくれ。
…ところで、君は覚えているかな?お嫁に出された生贄の少女が、何かを強く思いながら死んでいったことを。彼女にとって、何が生きる希望だたのかを思い出せば、このお狐様が誰なのか、すぐに分かるよね?…ああ、もうすぐ君の村だ。夜になる前に着いてよかった。…正解を教えろって?それは、もう君の中でこたえがでているだろう?だって、君、とても恐ろしいものを見たような目をしているよ?さあ、もうお帰り。この話は、これにてお終い。話を聞いてくれてありがとう、それでは、さようなら。



カラン、コロン……カラン、コロン……

ああ、君に会うことは、僕にはもうできないんだ。君の願いを叶えてしまえば、神は、君の身体なんて、あっさり捨ててしまうんだから。

狐ノ嫁入リ

狐ノ嫁入リ

お稲荷様の祠の側で遊ぶ一人の少年。彼は、目元を黒い布で隠した、語り部を名乗る男に出会う。 少年を家に送る道すがら、彼はお稲荷様の祠にまつわるお話を始めた。それは、1人の少女の犠牲から始まった、奇妙な物語である。 ※ホラーと言っても、少し気味が悪い程度しか要素は含まれていません。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-19

Copyrighted
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