残像は夏風と共に 3

オリジナルの小説です。
ぜひ1話からどうぞ

残像は夏風と共に 3

残像は夏風と共に


まったく、頭が痛い。

この言葉は、一般にに二通りの使い方をされている。
まず、物理的に痛みを感じている時。そして、厄介な状況になって苦悶している時。
運の悪いことに、俺は今両方の意味で頭が痛いのだ。

登校中、チンピラだかヤンキーだか知らないが、半グレの新橋に絡まれた。
そこで楓の意外な一面を見ることができ、結果としてはそれなりに良かった。いや、絡まれている時点で良くはないんだが、もう今となっては感覚が半ば麻痺している。

それからがとにかく地獄だ。
これまでまさに空気の如く過ごしてきた俺に、スポットライトが浴びせられた。
夏のこんな時期に、カブトムシやクワガタを差し置いてカナブンが大人気になったとすれば、その心情は今の俺と大差ないだろうと思う。

原因は間違いなく“こいつ”だ。


楓「ほら、早く帰ろ?」

湊「……………うん」


今朝のちょっとした騒ぎで、劉ヶ峰が可愛い転校生と付き合っている!という改変された噂が広まった。
クラスの男どもは、これを機に一斉に騒ぎ立て始めた。これが人望の厚い男なら祝福の嵐といったところなのだろうが、あいにく俺はこれまで空気の如く………って、自分で言っててなんだか辛くなってきた。


小突かれるわ小突かれるわ。


これが俺の頭が痛い第一の理由だ。
いろんな男に頭をコツコツ叩かれ続けりゃ痛くもなるわな。

昨日、いや今朝まではとんでもない幸運に巡り会えたかのように舞い上がっていたが、ここにきてそれが揺らいでいた。
ひょっとしたら、俺は厄病神に関わってしまったのかもしれない。こんな生活をしていたら間違いなく体が持たない。

もちろん楓とはクラスが違うから、少なくとも下校時……つまり今この瞬間までは会わなかったというのにこのやられっぷりだ。
一緒に校内を歩いた時なんかにはもう命の覚悟を決めたほうがいい。

そもそも、なんで楓はこんなに俺に親しげに絡んでくるんだ?
たしかに、腹を割った話はしたし他の人間には見せていない一面も垣間見た。
だが、考えてみればそれは全て偶然の産物ではないか。

徐々にネガティヴシンキングは加速し、俺の中で疑懼が渦巻く。
それを後押しするものがある。
これが第二の“頭が痛い”だ。
すなわち頭を抱えるほどの厄介事。


俺には見えている。
不安などこの世に存在しないかのようにへらへらと笑う東海林楓と、彼女には見えていないその背後。

俺には見えている。
楓の背後から、こちらを暗く燃える瞳でじっと見据えている、新橋亜斗夢の姿が。


まったく、頭が痛い。



モヤのかかった思考というのは、いつまでも頭に残ってしまう。どんなに気を付けていても、ふとした瞬間に再びそこに行き着く。それはまるで飴細工のような粘度を持ち、いつまでも当人を苦しめる。

今の俺がまさにそうだ。
朝のご機嫌な気分はすっかり息を潜めている。
正直、凹んでいた。
極めて個人主義的な生活を送ってきた俺には、女の子と親しくする事すらも許されないのだろうか。一体誰に許しを乞えばいい?

そんな俺らしくもない悲観的な思考に頭を乗っ取られたまま、楓と歩く。
彼女は楽しげに何かを話している。
俺もそれに嬉しそうに相槌を打っている。
俺の心はそこにはない。

ああ、俺を悩ませている要因はもう1つあった。
少し後ろにぴったりと付いて歩く、新橋だ。

話しかけてくるでもなく、かといって偶然近くにいるという雰囲気でもない。
楓が気付いていないのがもどかしい。
情けないことだが、俺は朝の楓の態度に期待していた。楓なら俺に言えないことをズバズバ言ってくれるはずだ。
だが、その肝心の楓は、俺の隣で柔和な笑顔を浮かべている。

彼女の周りには、希望と歓喜を香水にして振りまいたかのような温かい雰囲気が漂っていた。
対照的に俺はまな板の魚のような気分。

はぁ。
どうしたもんかねぇ。
目下のところ、新橋の心境について二通りの推理ができる。

まずは、新橋は朝の続きをしようとしているということ。これはかなり可能性が高い。俺としては勘弁願いたいが。
もう一つは、俺たちに、或いは俺個人、楓個人に伝えたいことがあるということ。
残念ながらこの可能性は低いだろう。

となれば、俺は家に着くまでの間に何かしらの方法で新橋を満足させればいいわけだ。
でもどうやって?まずはそこからだ。

ふぅむ、そうだな……まず新橋は、俺と楓が親しくしていることに不満を持っている。
それはほぼ間違いないだろう。たった1日親しくしただけで目をつけられるなんて理不尽極まりないが、今それをごねても不毛だ。


親しいことが不快に繋がる。
なら逆に快に繋がるのは………


いや、ダメだダメだ。
そんなこと俺にはできない。
彼女を踏みにじってまで………

楓との関係がそれで切れるなんてことになったら、俺は今後男として生きていくことなんてできない。

自分のために自分の頭を下げることはできても、自分のために人の頭を踏み台にするような真似は、してはならないし思いついてもならない。

何を考えてんだよ、俺は。

……
…………
………………
……………………
…………………………


だけど、他に方法が見つからない。
俺という存在があってこその楓との関係だ。
彼女も、後からきちんと説明すればきっと分かってくれるだろう。

これは仕方のないことだ。
自分に言い聞かせるための詭弁であることは、何よりも自分自身が分かっている。
時には、それに縋りつかなければならないことだってあるんだ。

決意が葛藤へと移り変わり、そしてついに当初と逆方向の決意が固まった頃、俺の家が見えてきた。

楓の家は俺の家の更に奥に位置しているので、自然と2人で俺の家を通ることになる。
ここだ。ここで攻めるしかない。

背後に新橋が入るのをチラリと確認して、俺は重い口を開いた。


湊「なぁ、楓」

楓「うん、どうしたの?」


気が重くて仕方がない。
こんなことを言うのは本当に辛いが、これも一時のものだ。
覚悟を決めるしかない。


湊「俺はさ、今朝楓と歩いてるところを見られたあと、一日中冷やかされ続けたんだ」


俺の表情から何かを読み取ろうとするかのように、楓は黙ってこちらを見ている。


湊「こんなこと言ったら悪いけど、もう俺と親しくするのはやめてくれ」


一度口から出始めた言葉は、もう止まらなかった。
これまで散文的に生きてきたせいか、俺自身が困惑し憔悴しきっていたのもあるかもしれない。

新橋を騙すための嘘を言っているのか、それとも本心を打ち明けているのか自分でもわからなかった。

ひとしきり話し、ハッと気付く。
最低だ。こんな事言うはずじゃなかった。

その時俺の目は、初めて見る楓の表情を捉えた。


無表情。


氷のような、という表現すら適切ではないほどに完全な無がそこにはあった。

ひたすらに透明なその表情を見て、俺は取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないかと思った。


後悔。自己嫌悪。加害感。


謝るしかないと思った。
謝って、釈明するんだ。
これまでの話は全部でっち上げの虚言だと。全ては後ろに控える新橋亜斗夢を騙すための芝居なんだと。

口を開いた瞬間、ほぼ同時に、少しだけ早く楓が話し始めた。


楓「ごめんね。あたし、湊くんがそんなに辛かったこと全然分かってあげられなかった。」


湊「違うんだ…」


楓「安心してね。明日からはもう話しかけたりしないよ」


侮蔑の表情、笑顔、そのいずれも楓は見せなかった。

そして、そこまで言い切ると自分が生きていたのを思い出したかのように大きく息をつき、自分の家の方向へ走り去っていった。

俺は止めることさえできなかった。

本当に最低だ。
自己中心的な言動のせいで楓を傷付けた。
全ては自分が助かりたいがために。


半ば放心状態で俯いていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、視界に入ったのは新橋の姿だった。


パシッ!


視界が傾き、一瞬の間を置いて頬が焼けるように熱くなった。

そうか、俺は叩かれたのか。
楓の気持ちを踏みにじってまで得たかった安全さえ手に入れることができず、こうして頬を張られても何もせず佇んでいるのか。

ゆっくりと新橋の顔を見返す。


湊「!?……なんで……」


新橋亜斗夢は、筋金入りの不良は、今間違いなく俺の前で涙を堪えていた。

誰と喧嘩をしても、いくら教師に罵倒されても不敵に笑う新橋が、奥歯を食いしばって必死で昂ぶる感情を抑えようとしている。


湊「なんで……」


思わず口を開いたが、掠れた声しか出なかった。

それには答えず、新橋は手を伸ばした。


湊「ひっ」


声にならない悲鳴を上げようとした俺の肩に置かれたのは、まさにその伸ばした手だった。

震えているのが分かる。


新橋「頼むから…頼むからあいつを泣かさないでやってくれ……俺からの本気の頼みだ…たぶん、俺じゃダメなんだろうな。だから、お前が絶対に泣かすんじゃねぇ…頼むよ」


途中から涙を流しながら、新橋は途切れ途切れにそう言った。


湊「新橋…」


深呼吸をして、新橋が口を開く。


新橋「いいか、話は後だ。まずはお前はあの子を追いかけろ。やるべきことは分かってんだろ。全部終わったら……丘の公園に来い」


丘の公園なら分かる。
小さい頃によく遊んでいた。


湊「……分かった」


俺は立ち尽くす新橋に背を向け、息をひとつつくと全速力で走り始めた。

残像は夏風と共に 3

最近はしっかり制作に時間をとっています。
そろそろ終わりが見えてきましたが、どうぞお付き合いください。

残像は夏風と共に 3

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-18

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