冬花火


冬花火を見に行くための車中で,助手席に乗っていた連れがホットコーヒーを盛大に零してしまい,運良く火傷を負うことはなかったものの,その匂いが車中を包み,それまでに食べていたファーストフードや,カップスープや,肉まんのものと相まって,冷静な運転手としては,開けられるだけの窓を開けなきゃいけない羽目になった。今朝から冷え込む予報が出されていた日の快適な一般道からは,冷気が元気よく入り込んできた。助手席の向こう側の景色を占める海が近く見えた。連れのマフラーがたなびいていた。解くのをメンドくさがった連れの勝ちのようになっていた。運転手として踏み込みを弱めて,その差を埋めようと試みはしたが,何の足しにもならなかった。ウインカーをチカチカ鳴らした。遅い一台をスムーズに追い越し,元の車線に戻って,ハンドルを戻した。今しがたの失敗がシートに染みる前に拭き取ろうと,連れはティッシュを探していたが,あいにく車内はドライの方のティッシュが切れていることを思い出して,髪を抑えて,困っていた。横目でそれを認めた運転手として,声をかけるために,声を出した。しかし,その気持ちに見合うことなく,発した言葉の大きさが流れる風に阻まれたために,その内容は連れに届かなかった。そのためにもう一度,気持ちの面も含めてさっきより力を込めて,助手席の方に呼びかけた。そのおかげで,連れは気付いたようだった。ただし,その内容の方ではなく,自分に対して何かのメッセージが発信されている,という事実の方について,だった。運転手としては前方注視を維持しなければならなかったが,伝えるために,助手席側に顔半分を向けた格好で,斜め前を見る心持ちで,出し過ぎたと思うぐらいの声をもって,連れに向けて発信した。その努力は実ることになった。連れは同じぐらいの声量をもって,気づかいに対するお礼を言ったあと,小さい頃に飼っていた犬を散歩中に逃した話をし出した。こういう時に,連れが必ずする話だった。走行中だからか,その内容はいつもより短かった。犬の名前はミッキーという。ミツキおばちゃんから貰った子犬の一匹だった。ミッキーは一週間帰って来なかった。一週間後には帰って来た。特に痩せたりした様子もなく,ミッキーはいつも通りに連れに懐いた。連れは泣いた。安堵で,と思ってしまうが,理由はそれだけじゃない。連れの両親は,連日泣き続けた幼い連れのために,新しい犬を連れて来てくれていた。三日目のことだ。同じくミツキおばちゃん家の別の子犬で,付けられた名前はミッキーといった。代わりだったのだから仕方ない。こうしてミッキーは二匹になった。連れは責任をとって二匹の面倒をみた。そこまで言って,連れは話をまとめた。私にはそういう所がある。ポイントがずれる,と。運転をしていてもいなくても,この話を聞いたときの返事は決まっていた。結果的には良かったじゃないか?可愛い犬は二匹になったんだから,と。付き合い始めた頃なんかは,この返事に対して,連れは優しさを見出してくれた。しかし,付き合って何年も経った今では,いつもそれ!と怒り出す。怒り出すのだが,この返事が否定されたことは一度もない。だから連れは納得してくれる。最後の最後まで,事の顛末を見届けようと。良いことも悪いことも,コロコロ変わる運命なのだ。
大きな公園を途中で見つけた。広い駐車場のスペースのひとつに停めて,連れとともに車を降りて,後ろを開けた。先日に洗車をしてからそのままの道具一式が乗っていて,連れはバケツを持って水を汲みに行き,残ったブラシと洗剤を取り敢えず持ち出して,助手席のシートを引っ張り出して,隣のスペースに広げて,連れを待った。快晴だった。今さらながら思った。花火の打ち上げまではまだまだ時間があった。場所取りについては,諦め始めていた。
取り敢えず洗って,ある程度乾くまで,公園内を連れと散歩していると,散歩とランニングを兼ねた夫婦と一匹の組み合わせに何度か遭遇して,そのうちに,夫婦の旦那さんから話しかけられて,世間話をした。見かけない顔だから,冬花火?と確認されて,そうですと答えると,地元の絶好スポットを教えてもらった。道中の目立つ建物や交差点名を覚えて,あとはナビゲーションに頼ることにして,連れとともにお礼を言った。お互いに別れてから車に戻り運転席でタッチパネルを操作してから,その場所を確認した。海に近かった。連れはシートベルトを締めた。カチッと鳴って,足下のシートに靴を乗っけた。じゃあ行こうか,と座り直してセルを回した。エンジンがかかって,車を走らせた。
道はなかなか狭く,穴場らしさを漂わせて続き,横長の空き地に辿り着いて終わった。道に出やすいようにバックで停めて,同じように停まっている他の数台を認めてから,閉めたままの窓の向こうに,地元民と思われる人たちが談笑しながら歩いている姿を見つけた。連れも見つけていた。間違いなく,地元の絶好スポットだね,と連れが言って,運転席で頷いた。貴重品と,美味しい食べ物と飲み物が入った買い物袋を持って,外に出て,鍵を閉めた。車内からは分からなかったが,踏み込まれた草むらの先に下る階段があって,歩道に出る。地形に沿って続いている。海はより近くなっているから,本格的なものとは言い難いけれど,堤防があった。歩道にも,堤防にも,人が座っていた。家族連れからカップルから,おひとり様から,様々だった。同じように座れる場所を,と連れと一緒に歩道を歩いて行って,連れからペットボトルの飲み物を貰った。温くなったレモンティーだった。早く処分して,とのことだった。キャップを捻ってから歩きながら飲んだ。マフラーにダッフルを着ていた。夕方といえる時間になって,寒さは頬を引っ張って,鼻をすすらせた。連れもマフラーを巻いたままだった。たなびくことなく,ショートコートに引っ付くように垂れていた。赤かった。長かった。
打ち上げの時刻を迎え,デジタルカメラにスマホの連射を駆使して,見るよりも撮るを優先しがちだった冒頭を過ぎた頃には,案内されただけの絶好スポットの見映えと迫力に圧倒されて,おー,おおー!という感嘆だけで,連れと会話をした。二人して手袋を忘れてしまったため,それぞれのアウターのポケットに両手を突っ込んだまま,腕を組んで寒さをしのいだ。何と言っても冬の花火なのだ。おまけに海沿いである。連れも承知している。
我慢をしなきゃ,何も始まらないのだ。

冬花火

冬花火

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-18

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