麻理子
麻理子
「天野くん、おはよう!」
満面の笑みで挨拶してきたのは、同じクラスの麻理子だった。
クラス中の人気者で愛想もよく、何が良いってなんといっても顔が可愛いかった。
男友達、女友達関わらず、たくさんの友達がいて
まるでドラマに出てくるような天真爛漫な人だった。
「おん、おはよう・・・。」
あまり、仲の良い友達以外は、心を開かない所があり、女の子とも関わらないようにしていたため、
愛想よく挨拶を返すのは私には無理だった。
「へへっ」
と麻理子は笑い、友達と去っていった。
私には、学年一の人気者がなぜ自分を気にかけるのか、理解できなかった。
なぜかって、私は人と上手にコミュニケーションをとれるようなタイプではなく、どちらかといえば
本を読んだり、一人で静かにしている方が
落ち着く麻理子とは正反対のタイプの人だったからだ。
手元にある、聖書を机の下になおし、英語の教科書を机の上に出した。
席順は、後ろが麻理子で、前が由紀、女の子二人に挟まれた形で、
ずいぶんと居心地の悪い席順だった。
「今日は、ここまでな」
と先生が言うと、チャイムが鳴り、みんな一斉に食堂に向かって走り出した。
ご飯を食べる場所はいつも決まっており、校舎を出た下駄箱の前にある長いベンチ椅子で、
緑茂った屋根は一応あるものの、夏は暑く冬は寒い、
ご飯を食べるにはあまり適していない場所で数人、集まって弁当を食べるのが習慣だった。
「類は友を呼ぶ」というように、おそらく昼食時の騒々しい教室が苦手な数人なのだろう。
「マジ、あの英語の先生ダルいわ」
と、今日こっぴどくみんなの前で怒られた私を気遣うようにタカノが言った。
発表をしなければスタンプがもらえない仕組みについて私は疑問を持っていた。
答えがわかっていても、発表をしようという気持ちには到底なれなかったのである。
静かな人やあまり喋らない人は、できない人扱いされ、同じ失敗をしてもより怒られる。
自己弁護に長けている積極的な人たちは自分の非をアドリブで収拾できてしまうからだ。
もちろん、失敗を犯した自分が悪いのはわかっていたが、
ある種の理不尽さを感じモヤモヤとしていた。
高校生になり、自分は静かになった。中学の時はみんなの前で漫才をしているくらい
人前に出るのが好きだった。
だけど年々、口数が減り気が付けば外に向かって話すより、
心のなかで話している時の方が多くなっていた。
「確かに、あんな、みんなの前で怒られるとは思わんかったわ」
と言い私は笑った。
「お前、ムカつかんの?あんなみんなの前で笑われて」
とデカい図体をしている割には、優しそうな目をしたタカノが言った。
「まぁ、ムカつくけどみんな笑ってたし、まぁええかな見たいな、ハハ」
と頭を掻きながら言った。
私には自分が、面白くて笑われているのか、バカにされて笑われているのか正直わからなかった。
先生にも
「みんなに笑われて恥ずかしくないのか」
と言われたこともある。
だけど、その当時は少なくとも、自分がバカにされてるとは薄々感じていても、
怒りが込みあげてくることはなかった。
高校二年生になり、物思いにふけることが多くなった。中学の時と今の自分にギャップを感じた。
中学の時は怒りに任せて教室で暴れるということも何度かあった。
人にバカにされ自分では抑えきれない怒りがこみ上げてきて、
気が付けば人を蹴っていた。何度も何度も蹴って怒りが収まるまで、人を蹴った。
中学当時の先生には、
「次暴れたら、容赦しないからな」
と、クギを刺されたこともあった。それくらい自分の感情の赴くままに行動していた問題児が、
今は自分の気持ちにブレーキをかけている。
怒りという感情を排除しようとしている。理想の自分を掲げ努力している。
果たしてこれでいいのかという、気持ちが自分の中にはあった。
優しく穏やかに振る舞っている自分がなんだか、
人に好かれるために自身を偽っているような気さえもした。
自分は変わったのではなく自分を偽っているだけなんだと、
みんな、偽りの自分が好きなんだ、誰にも言えないそういう悩みがあった。
麻理子もそんな偽りの部分が好きなだけなのだと自分に言い聞かせてあまり、
心を開かないようにしていた。
「天野くん、ベルト取れてるよ!」
と、後ろから不意に声が聞こえてきた。麻理子だった。
「あ、おん」
と後ろを見てみると一か所だけベルトの通っていない所があった。
「天野くんって、不器用なんだね!」
と、言って麻理子は指を指しながら笑った。
はっと思って急いでトイレに行ってベルトをなおした。
「ブキヨウ」という言葉、今まで生きてきて「ブキヨウ」という言葉を言われたのは初めてだった。
だけどなぜかしっくり、じわじわと心に染みる言葉だった。
なんだか初めて本当の自分が理解されたそんな気分だった。
普段気軽に女の子とおしゃべりできない自分には、
ああいう、かわいい女の子に声をかけられるだけでも、正直ドキドキするものだった。
麻理子には彼氏がいて、その彼氏とも自分は知り合いだった。
彼氏は身長も高く程よい体つきをしていて、文化祭になれば行事のトリを飾る恒例のダンスで
周りを魅了する男気のある人だった。
よくありがちな、可愛い子が不良と付き合ってるような感じではなく、
互いが互いを高めあうようなそういう理想的なカップルだったのであった。
心を開かないようにはしていたものの、正直、麻理子の良さには気づいていた。
どんな人も受け入れることが出来てしまう、そういう感じのいい人だったからだ。
人のいい部分を見てその人を好きになる。
シンプルだけど大勢の人が出来ない事を簡単にやってのける。
これは間違いなく「才能」だと思った。
可愛くてみんなに好かれている自分を自覚し、そんな自分に興味を持たない、増してや、
ふてぶてしい態度を取って自分を寄せ付けない
私をどういった人なのだろうと興味を持っただけなのだと思うようにして、
なるべく心を開かないように努めた。
しかし、麻理子が自分に取る態度はほかの人とは明らかに違う何かがあるとも思っていた。
それがただ単なる好奇なのか、好意なのかはわからなかったが、素直な好意を信じられず、
受け止められないでいた。
「天野、帰ろうぜ」
とタカノに言われ、急いで帰宅の用意をした。
聖書が机の中からちょっとはみ出していた。
「あぶねぇ、忘れて帰る所だった・・・。」
と心の中でつぶやいた。
分厚いこの聖書は正直内容はおもしろくないし、
言っていることも難しい。だけど自分が生きる道しるべとして大いに役立っていた。
「隣人を愛せ」というフレーズを心にきざみ、何度も何度も思い出すようにすれば、
まるで穏やかなイエスに、性格の良い自分になったような気がしていたからだ。
タカノと雑談をしていたら、いつの間にか家周辺の利根駅についていた。
いつもの
「ヴァイヴァイ!」と言って笑った後、タカノが座っていた、端っこの席に
身を移し、一人で電車のなかでボーっとしていた。するとあることに気づいた。
今日は、塾の納金の日で今日までに、塾にお金を手渡しで届かなければならない日だったのだ。
「うわぁー戻らないといけないのか」
とため息をつきそうになったが、隣に人がいたので辞めた。
塾は学校の近くにあったが、人数が少ないため、お金を直接届けなければならなかった。
人数が少ない割には、結構スパルタで、宿題や納金の締め切りを守らないとこっぴどく怒られるため、
仕方なく学校の近くまで戻ることにした。
暗い細街路を歩いていると、前に二人乗りの高校生が見えた。
麻理子と彼氏だった。
自転車の後ろで片方に両足を出し、彼氏の背中に手を回していた。
顔はよく見えなかったがおそらく幸せそうな顔をしていただろう。
別に悪いことをしたわけではなかったが、見つかってはいけないと思いとっさに隠れた。
二人が通り過ぎた後、何か裏切られたような怒り、惨めになった自分が腹立たしくなった。
無性に怒りがこみ上げ、塾の納金なんかどうでもいいように思えた。
そのまま、怒りに身を任せ、家に帰り、
家族に八つ当たりじみた、
「ご飯はいらん!」
と、いう罵声を飛ばした後、そのままベッドに入った。
翌朝、起きてもまだ、怒りは収まっていなかった。
朝ごはんも食べずに学校に行き、不機嫌そうな顔で教室に入ろうとした。
すると正面から声が聞こえてきた。
「天野くん、おはよう!」
と、そこには麻理子が立っていた。
いつもなら
「おう」
と、言って手のひらを見せ返事をするのだが、今日は返事をする気になれなかった。
挨拶を無視し、そのまま教室に入った。麻理子のしょんぼりした顔は初めて見たような気がした。
一日中、誰とも話さず不機嫌な一日が続いた。
「あいつどうしたんだ?」と周りから思われていたかもしれない。
学校が終わり、タカノが休みだったため、とっとと一人で家に帰ろうとするとまたもや後ろから、
聞きなれた声がした。
「天野くん、どこいくの~?」
と、自分のパーソナルスペースにいきなり麻理子が飛び込んできた。
ひどい居心地の悪さを覚えて、小声で
「わからん」
と、言いそのまま足早に階段を下り家に帰った。
もう、正直これ以上自分に関わって欲しくなかった。今、聖書に書いてある
「隣人を愛せ」を守るほどの余裕が自分にはないからだ。
麻理子と顔を合わせるのが苦痛になってきた。顔を合わせることで、
惨めな自分を悟られるのが嫌だった。悟られたくないがために
眉間にシワを寄せ、威圧感を出し、なんだか中学の時に戻ったように感情の赴くままに行動した。
日がたつにつれて、ある程度、慢性的な怒りは収まったいったが、
相変わらず、麻理子は「天野君、おはよう!」と挨拶をしてくるのだった。
別にまだ怒っているわけでもないし、
無視をしたくてしてるわけでもないが、口が動かなかった。
何かを言わなくちゃとは思うのだが、口に重りをつけたように口が重く
結局は、無視したという形になってしまう。
相手に深い心の傷を負わせてしまった。
「謝らなくちゃ」とは思うのだが、謝る姿を想像するとなんだか自分がまた惨めで
謝ることが自分には出来ないように思う。
「隣人を愛せ」だのなんだかんだ言ってきたが、そんなの全部自己満足で、結局は自分が一番可愛いのだ。
何度も何度も、麻里子は自分に仲直りの手を差し伸べてきた。頭では仲直りをする場面を描いていても
いざ、現実になると、無視してしまう。
心の奥底で何が起きてるのかもう自分でもわからなくなっていた。
そんな中、麻理子はいつしかマスクをつけて登校するようになった。
マスクは自分を隠すためにつけているのだということを、私はすぐに悟った。
街ですれ違うマスクをしている人たちになんだか同族意識を抱くのと少し似ていたからだった。
あんないい子に何っていう「ひどいこと」をしてしまったのだろうか、こんな自分は本当に「最低だ」と
いつしか罪悪感を抱くようになった。
罪悪感を抱いてからは、どこですれ違うかわからない麻理子を意識してなんだか
犯罪者みたいにビクビクしながら、学校生活を送った。
謝ってしまえばいいが、謝ってしまえばなんだか今朝テレビで見た「DV男」と一緒みたいで、
謝るのが嫌だった。
ひどいことをして、その分優しくする「アメとムチ」を使い相手を支配する「DV男」と、
謝ってしまえば、一緒になると思えたからだった。
麻理子も、もう昔みたく優しくは接してくれなくなった。
自分が視界に入ると、眉間にシワを寄せ、自分を避けたり警戒するようになった。
悲しい反面、それで良いとなぜか納得する自分もそこにいた。
それから、十年経った今、埃まみれになった聖書を横目に、ふと
麻理子のことを思い出したのだった。
「麻理子は今頃どうしているのかな、麻理子は自分に受けた傷なんぞとっくに忘れて
幸せに暮らしているだろうな」
と、微笑を浮かべたまま煙草の煙を吐いた。
もし、誰かに「今からでも謝ったら?」という風なことを言われたなら、私は
「改めて、今更謝ったって、感じの良い自分を麻理子に押し付けるだけで何も変わりはしない。
人の本性は簡単に変わるものではないからね」
という風に答えると思う。
吐いた煙の先には、埃まみれの聖書だけがブキヨウに置かれていた。
麻理子