もう一度キスしたかった

好きな歌詞を小説化させました

愛と夢を秤にかける男女の運命。それはどちらを取っても残酷なもの…

朝焼け。照り付ける太陽が眩しい、ある夏の日。私はあなたの手を握っていました。人気の少ない街の中で、私たちは抑えていた恋をぶつけ合った。どちらが先に引き金を引いたのか分かりません。もしかしたら同時だったのかもしれない。今までお互いに分かっていたが、あえて遠ざけていたことだった。「好き」ということをお互いに意識してしまえば、一層別れが辛くなるから。しかし、今までそっと触れないようにしていた、その話題はごく自然に浮上しました。まるで、すでに付き合っているかのように……。
「ねぇ、私のどこがいいの?」
 あまりにも、自然な問いかけでした。今まで一度も確かめたことがないとは思えないほど。
「夢に対してまっすぐなところかな」
私もごく自然に反応しました。
「何度も諦めかけたけどね」
「でも、最後には必ず、戻ってくるじゃん」
「戻る、てか引きずり戻される。のほうが正しいかも」
「あなたには頑張ってほしいから」
「今までありがとう。本当に助かってる」
「あと少しの辛抱だね」
「うん。最後まで頑張ってみるよ」
 どこかぎこちない様子だった。何かを打ち明けようとしているかのような。しかし、それは自分にも言えることだった。だからこそ、彼女のぎこちなさの正体が直感的に分かりました。私は、言った。戸惑うあなたに答えを示すかのように。
「好きだよ」
 幼気な瞳が、突然こちらへ向いた。これが初めての告白でした。その瞬間を噛みしめるかのように、もう一度言った。
「夢を持ってる、あなたが、好き」
丁寧に、優しく発せられた、二度目の告白に呼応するかのように、温かく、深みのある笑みを浮かべながら、あなたは答えました。
「知ってる」
そして、次はあなたが答えを示す番でした。強くしなやかな指先を、私の背中に回し、そのまま自分の体を私に寄せてきた。私の胸にしばらく額を寄せていたあなたは、安堵に満たされた表情で私を見上げた。そして、足りない分の身長を補うために背伸びをし、互いの唇を合わせました。ほんの数秒の出来事に、時の経過が凝縮されたかのようでした。余韻に浸るかのように、互いの顔を見つめ合っていた。我に返り、本来の時間間隔を取り戻したところで、あなたは言った。
「じゃあ、もう行かないと」
そして、あなたは私の肩から手を放し、私から離れていった。一歩、また一歩とアスファルトを踏みしめると同時に、あなたの姿が小さくなります。帰るべき場所に向かっていくあなたを見つめていると、あなたはおもむろに立ち止まった。きっと、別れを惜しんでいるのでしょう。本当はあなたに向かって、駆け出したかった……。

振り返る、あなたを抱き寄せて。
もう一度キスしたかった。

しかし、金縛りにあったかのように体が動きませんでした。おそらく、自分の中のどこかで、その行為を避けていたのでしょう。これ以上、二人の距離が近づけば、さらに大きな代償を伴わせてしまう。
それが、怖かった……。

再会はすぐに訪れた。一度告白を果たした私たちの間に、干渉するものは何もありませんでした。夏が終わる気配を漂わせ始めるまで、私たちは毎日、心を寄せ合っていた。
本当は、あなたの夢はここにはありません。私の夢もここにはありません。二人違う場所でしか、叶えられない夢がある。非情なことに、たとえどんなに執着しても、夢のほうからこちらに近づいて来ることは、ありえません。夢の始まりは、二人の終わりを告げる鐘の音のようなものです。だからこそ残された時間は、悔いのないように。
一生分の愛を捧げられるように。
一生分の幸せを味わえるように。
それが、私たちの選択でした。しかし、そんな選択を遮るかのように、突然あなたは行ってしまった。私の手の届かないところへ。もしかしたらもう二度と、逢えないかもしれない。そんな、不安は解消されることもなく。
「絶対、また逢えるから」
 そんな、無責任な偽りの安らぎすら与えられずに、あなたは行ってしまった。
 このまま、シャボン玉のように、はかなく弾けて消えてしまう恋ならば。
 あの時に戻り、あなたの元へ一心に駆け出したい。そして……。

 振り返る、あなたを抱き寄せて。
 もう一度キスしたかった。

 しかし、それこそが叶わぬ夢だった。何も知らされぬまま、私の知らないところへ行ってしまったあなたを、どう追いかければいいのでしょうか……。
 暗闇の中を、当てもなく彷徨う自分の姿が想像されます。そんな自分のすがたに、不意に切なさが込み上げて来た。

 紅葉の季節も過ぎ去り、身に染み渡る肌寒さが、冬を感じさせ始めたころ。弾けかけた恋の泡沫は、再び浮かび上がった。この泡沫はいつまで持つのだろうか。弾けぬ泡など存在しません。
 あなたが私の家を訪れたのは、決断を吹きかけるためでした。私は、冷蔵庫にしまっていたワイングラスをテーブルの上に置いた。
昔のようにリビングのソファに、隣同士に座っていることが懐かしかった。こうして、手を握りながらテレビを見ていたこと。背の部分を畳むことで、ベッドの役割を果たす、このソファで一緒に寝たこと。あなたと過ごした日々の思い出が、次々に蘇ります。
あなたも同じ思い出を想起しているのでしょうか?
 初めから存在した、私たちが進む先の分かれ道。二度と交わることのないその道中で、私たちは一時たりとも共有されることのない、記憶を刻むことになります。
 それを知ってなお、穏やかな笑顔を作りながら、あなたは言いました。
「あなたと出会えて、悔いはない」
 奥行のあるその言葉に、様々な思いを詰め込みながら。
 握られた手を放し、グラスを開けたとき、あなたは確かに頷きました。
「これが最後」と覚悟して。
 グラスの中で、虚しく波打つ、深紅色のワイン。それは、まるで、いまだに揺れ動く、私の心の内部を映し出しているかのようでした。

 このまま時が止まればいいのに……。
 そんな、たった一人の哀れな願望など、世界が考慮してくれるはずがありません。絶え間なく流れ続ける時間は、残酷なほどあっさりと、二人の距離を切り裂くきっかけを作りました。

 約束の時間になると、あなたは私の部屋を後にしました。見送りに行くと、私の家の前に車が止まっているのが見えた。迎えの車なのでしょう。その車を見て、あなたは言いました。
「さよなら」
 その言葉は、白い吐息を混じらせながら、囁くように放たれた。吐息が、夜空の中に溶けて消えていく。まるで、二人の運命を暗示するかのように。
 覚悟を決めたあなたは、振り返りもせずに車に乗り込みます。
 もう、あの時のように、振り返ってはくれないのですか?
 最後に、一生に一度の願い事が出来ることなら……。
 
 振り返る、あなたを、抱き寄せて。
 もう一度キスしたかった。

 扉が開かれた刹那、私の耳に流れ込んできた、哀しい旋律。その曲は、ヴィッキー・レアンドロスの『L’amour est bleu』でした。日本語訳すると、『恋は水色』。
哀しきメロディは、意に反して脳内で再生されます。何度も、何度も、頭の中でリピートされるその曲は、無限の寂寞を呼び覚ますかのようでした。

 初めから……無理だということは分かっていた。絶対に好きになってはいけない人だって、分かっていた。何振りかまわず夢を追いかけるあなたの姿が、こんなにも残酷な記憶として、胸に刻まれるなんて……。
 結末は決まっていたんだ。出会った瞬間から。あなたと、夢を語り合った、その瞬間から。私は、そのとき、私とあなたはいつかは決別する日が来ることを、悟っていた。
 私の身勝手なわがままで、あなたを引き止めるなんて……。そんなことができるはずがなかった。あなたが、どんな思いで、苦しみに耐え続けて来たのか知っている。あなたの努力を、誰よりも傍で支えてきたのだから。その過去を無碍にすることなど、出来るはずがありませんでした。
 
 あなたが夢から逃げ出し、楽な道へ進もうとしたとき、私は本気であなたに失望しました。失望した私を見たあなたは、再び夢を追いかけた。
 あなたが挫折を味わい、夢をあきらめかけたとき、私は本気であなたを怒鳴りつけた。その時、あなたは泣きながら、理想と現実の落差を口にした。
 決して簡単な夢ではなかった。誰もが叶えられるとは限らない、無謀ともいえる夢だった。
 夢が叶わなければ、ずっと一緒に入れる。一緒にいたいなら……。あなたが夢を諦めるといったときに、激怒する必要なんかなかった。いっそ、そのままあらゆる苦難から解放させられる言葉を吐いていれば……。
 しかし、そのことを私は潜在的な領域で拒否した。
 別に、怒りたかったわけではありません。
「私、疲れた。もう、諦めようかな……」
 その言葉を聞いた瞬間、ただ一つ「失望」という言葉だけを残して、他の全ての感情は一斉に排除された。失望に満ちた心の浴槽の底から、まず初めに湧き出てきたものは「怒り」でした。
 「怒り」は「失望」を押しのけ、瞬く間に浴槽から溢れ出た。その勢いに任せるかのように、気付けば私はあなたを怒鳴りつけていました。
 私が好きだったのは、一途に夢を追いかけるあなたの姿でした。
 淡い希望を秘めた明るく澄んだ瞳。
 確かな決意を秘めた強い言動。
 そんなあなたに一生見とれていたかった。そんな、私が愛してやまなかったあなたが、夢を諦めるのと同時に、儚く消えてしまうことが、怖くて、寂しくて、悲しくて……。
 どうしても、感情を抑えることができませんでした。

 本当はもう、その時点で覚悟はできてたんだと思います。あなたの夢のサポートをすることは、同時に分かれる可能性を高めることでもある。たとえ意識しないようにしていたとしても、無意識的な領域で理解していた。その理解が、感情に伝わり、行動に表れた。
 あなたの夢が叶ったとき、一瞬でも達成感を感じたことが、その証拠です。私のほうまで達成感で満たされるほど、私はあなたのことを支え続けていました。だからこそ、今、私の目から止めどなくなく流れる涙は、絶対にあなたには見せたくはない
 あなたが、夢を追うスピードを緩ませたくないから……。

 例え、生きる場所は違っても。
 例え、同じ時間を共有できなくても。
 私は今でも、あなたが好きです。
 最後まで、夢を追い続けたあなたのことが……。

 恋人との決別すら恐れない。そんなあなたの夢を、一生、一緒に見守り続けたかった。でも……。
 それは、私自身の夢を捨てることにもなります。そんな私を、あなたは愛してくれますか?無理に違いありません。
 私も夢を捨てたあなたなんて愛せない!!
 だからこそ、別れは必然だったのです。自分の決断に後悔はしていません。
 でも、一つだけ、欲を言えるなら……。
 最後の最後に……。

 もう一度、キスしたかった。

もう一度キスしたかった

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もう一度キスしたかった

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-16

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