ヒロシマ Mon amour

ヒロシマ Mon amour

   







   






    「わたしはムンクの絵が好きです。彼のことは何も知りません。でも彼が望むなら生涯愛し続けます。わたしはそういう女です」


   







   
     そして、真央さんはぼくの詩を好きだと言ってくれた。






     彼女はヒロシマで生まれ、30年ずっとこの街で生きてきた、油絵を描く被爆者三世だった。






     真央さんのことはよく知らなかった。


     でも生涯愛し続けてくれる人を探していた。ぼくはそういう男だった。



     だから僕は真央さんに会うために、ヒロシマを訪れた。


     原爆ドームにほど近い、彼女が名づけた「青いビル」で一週間を過ごした。


     彼女の部屋には蛍光灯がなかった。オレンジ色の白熱電球、そしてムンクの『思春期』のレプリカが飾られてあった。



   







   


     昼間は平和公園を歩いて、夜は多くのことを話した。


     真央さんはとりわけ、よく知られた『叫び』以外のムンクの作品について語ることを好んだ。


     二人の気持ちが高まったら、彼女の「青いビル」で、オレンジ色の明かりの下、ヒロシマの街を川が二つ横たえるように並んで眠った。



     ぼくたちは抱き合わなかった。からだも重ならなかった。


     それは、女たちと一夜を明かしてきたこれまでの経験の中で、ぼくにとって初めてのことだった。




     真央さんは人に触れることができなかった。彼女の人生には多くの理由があったから。




     二日めの晩に彼女は告白した。







               わたしはまだ五年しか生きていない   そういう人間だと思ってください







     真央さんはその時本当に哀しい眼をしていた。


     彼女の涙が僕の心臓に落ちてくるような思いがした。




     ぼくを本当に愛してくれているのに、真央さんにはどうすることもできなかった。


     そういう女の眼を、ぼくは今まで見たことがなかった。



   







   


                    ヒロシマを発つ日の朝、まだ眠っている真央さんの髪と頬は本当に綺麗だった。






                   唇で触れたい気持ちを抑えながら、彼女の右手に、指先で少しだけ、触れた。



   







   


     真央さんを本当に愛しはじめたことを知った。彼女の哀しい眼にうろたえてしまった自分がやるせなかった。



     そのときぼくは、原爆ドームのことを思った。ぼくは原爆ドームの力を借りようと思った。


     原爆ドームはその産声をあげたあの日から、ずっとヒロシマの人々と街を見守り続けてきたのだ。


   







   
               四月の桜が映える夕方のドームは、ほんとにきれいなドームなんですよ


   







   
     原爆ドームは決して多くの涙を結晶化させただけの廃墟ではない。


     あれは人々を生かすための、本当に必要な勇気を与えてくれて、ヒロシマを生まれ変わらせた廃墟なのだ。


     真央さんの人生をずっと見守り続けたのも、あのドームだ。


     ぼくは本当にそう信じようとした。原爆ドームに勇気を求めようとした。



   







   


     真央さんが目覚めてから、その話をすると、彼女は窓に眼をやって、ゆっくりと言った。




                 ドームはいまここになくてもええんですよ 被爆者さんが死んで 被爆者さんの子供や孫のうちらが死んでから

                 またそこにあればええんですよ





                それでもね、真央さん、東北の震災みたいなのが来て、ドームがなくなったらどうする? 

                あれはヒロシマの人々の家だとぼくは思うんだよ






     真央さんは、菓子の包み紙に、四角いかたちを描いた。





               ほいじゃあ、そん時は「原爆ドーム跡地」って石碑を建てたらええんですよ





               ヒロシマのおんなのひとはタフだな





     その朝、初めてぼくらは声をあげて無邪気に笑った。



   







   


      夕刻、真央さんはヒロシマを離れる僕をバスセンターまで見送りにきてくれた。


   










                 少し、さみしいね




                 少しじゃ      ないですよ









   


      真央さんは、昨夜と同じ僕の心臓に涙を落とすような眼をしていた。




      思わず息を飲んだ。そして、このヒロシマで彼女と一緒に暮らそうと決めようとしていた。


      その時、初めて、彼女がぼくの手の甲に、自分の手のひらを、たじろぐように重ねたから。



   







   


                 また会えるから・・・・・・。



   







   


      ぼくの言葉は少なかった。ぼくと真央さんの手は、いつしか小指を結んでいた。




   







   


      バスの窓から見える夕刻の原爆ドームは、葉桜であったけれど、確かに明るい顔をしていた。




   







   


                五年しか生きてなくてもええんよ  これから六歳、七歳、八歳と生きていけばええんじゃけえね

                なおさん、遅すぎるってことはないんじゃけえね










      未完成の方言で、夜の高速バスの窓から、真央さんに話そうとしていた。



   







   


      未完成であろうとも、廃墟であろうとも、ふたりのこれからが産声をあげた瞬間だった。



   







   


      ぼくはきっといつか、真央さんと、彼女の「青いビル」で、一緒に生きることになるだろう。


      そのとき原爆ドームは、このあどけない二人の未完成の廃墟を見守り始めてくれるだろう。




   







   





            「ぼくは真央さんのことが好きです。真央さんの今までをぼくは知りません。


                                でもあなたが望んでくれるなら真央さんのこれからを愛し続けます。ぼくはそういう男です」





   







   







   







   

ヒロシマ Mon amour

タイトルはフランスの映画監督アラン・レネの名作『二十四時間の情事』の原題をそのまま引用。
ある種の精神疾患を持った女性との交流を描いた。
自伝的要素のある作品だが、自伝ではない。

作者ツイッター https://twitter.com/2_vich

ヒロシマ Mon amour

反戦とか原爆とは関係ない作品です。あしからず。

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-16

Copyrighted
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