サンタクロースの贈りもの

 デパートの地下の食品売り場が好きだ。
 エスカレーターでゆっくり下っていくと、様々な食材の匂いと人々のざわめき、デパ地下ならではの独特の世界が眼下に広がってゆく。
 エスカレーターを降りると、右手に銘菓コーナー、左手に惣菜コーナーがあり、少し奥のひっそりした空間にお茶の専門店や酒類を扱う店が並んでいる。中でも一番賑やかなのは惣菜コーナーだ。ガラス越しにもうもうと煙を上げながら調理している様子を窺うことができ、試食を勧める威勢のいい掛け声がそこかしこから聞こえてくる。
 惣菜コーナーに比べて静かな銘菓コーナーも今の時期は賑わっている。店によっては列ができている所もあり、『クリスマスケーキのご予約、承ります』と書かれたプレートを首から下げた店員が声を張り上げている。
 私は人の流れに沿ってゆっくり一周した後、お茶の専門店で母に頼まれていた紅茶を選び、自分用にもなにか欲しいなとクリスマス限定茶のコーナーをぶらぶらしながら香りを楽しんでいると、店員にお茶の試飲を勧められた。
 深い飴色をした甘いチョコレートのような香りがする新作のフレーバーティーを飲みながらほっと息をつき、勧められたお茶を手に取る。『サンタクロース』缶の表面には大きな袋を抱えたサンタクロースがにっこり笑っている絵が描かれている。
 「これにしようかな。」
 迷いながら他の缶にも手を伸ばそうと思った時、手元の缶の中でラベルのサンタクロースの服がちらちら動いた気がした。まるで「よっこらしょ。」と重い袋を抱え直したように……。
 思わずラベルに目を凝らす。サンタクロースは大きな袋を抱えてにっこり笑ったままだ。私は頭を振ると、目がしらに指を当てて疲れ目を解すツボを押した。
 迷った末、結局『サンタクロース』を購入して店を出る。周囲の雑踏を尻目にエスカレーターで一階に上がるとイベント会場でクリスマスソングを演奏している地元高校生のブラスバンドの演奏が聞こえてきた。それに合わせてジングルベルを軽くハミングしながら化粧品コーナーを巡る。顔馴染みの美容部員の前谷さんにクリスマスカラーのアイシャドウと口紅を勧められ、コスメカウンターに座る。前谷さんが化粧品のサンプルを取りに行っている間に、隣に赤い服を着たおじいさんが「どっこいしょ。」と腰かけた。
 おじいさんは疲れたそぶりで背中を丸め、きょろきょろと周囲を見渡しながら困った顔をしている。隣に座っている私のことなど気にも留めいていない様子だ。そのおかげで私はおじいさんをゆっくり観察することができた。
 赤い帽子にふわふわの真っ白な髭、上下の服も赤で長靴のようなブーツを履いていて、ふさふさの眉毛の奥には優しそうなつぶらな瞳が瞬いている。おじいさんは他に見間違える余地がないほど正統派のサンタクロースの格好をしている。高齢に見えるけれど、アルバイトでもしているのだろうか?お菓子コーナーや、おもちゃコーナーでチラシを配るなら恰好もつくけれど、化粧品コーナーにいるのがなんとも不思議だ。
 私がおじいさんを観察しているうちに、前谷さんがサンプルを手に戻ってきた。おじいさんに一瞥もくれず、にこやかに笑いかけながら手際よくアイシャドウをのせ、口紅を塗ってゆく。
 「いかがですか?」
 鏡の中にいる私は、いつもよりほんの少しミステリアスな表情をしていた。
 前谷さんにお礼を言って席を立つ。おじいさんは椅子に腰かけたままだ。一度その場を離れたが、振り返るとおじいさんの小さな背中が寂しそうに丸まっているのが見えて、私はコスメカウンターに引き返した。
 「先程の新色がお気に召したのですね。」
 前谷さんがにこやかに話しかけてくる。
 「いえ。忘れ物をして。」
 私はカウンターの周りを見回しながら、おじいさんに話しかけた。
 「あの、なにかお困りですか?」
 おじいさんは顔を上げると驚いたように私の顔を見つめ、目をキラキラさせながら立ちあがった。
 「君は……さきちゃん。さきちゃんじゃないか。」
 おじいさんは嬉しそうに私の手ぎゅっと握りしめ、微笑む。私はおじいさんの反応に戸惑いながら、おじいさんが知り合いだったか必死で思いだそうとした。
 「そうか、さきちゃんには私の姿が見えるんじゃな。」
 「姿が見えるって?」
 おじいさんは「静かに。」と言うように人差し指を唇に当ててウィンクすると、心配そうにこちらを見ている前谷さんの目の前に手をかざしてひらひら左右に振った。前谷さんは瞬き一つせず、こちらを見ている。
 私はぽかんと口を開けておじいさんの手を見つめた。どうやらおじいさんの姿は、私以外の人には見えないようだ。
 ……ということは、私は前谷さんの顔をぽかんと凝視していることになる。前谷さんがさっきよりも更に心配そうな顔をして何か言いかけたが、私は赤面して「忘れ物してたと思っていたもの、持ってました。」とお茶の紙袋を指さしてその場を取り繕った。
 「見つかって良かったですね。」
 前谷さんがおかしそうに微笑む。
 私はそそくさとその場を離れると、イベントホールの椅子におじいさんと並んで腰かけた。
 
 おじいさんは楽しそうにブラスバンドの演奏に耳を傾けながら体を揺らしている。私は混乱している頭を鎮めようと、質問した。
 「どうしてあなたは私にしか姿が見えないのですか?」
 「おお、自己紹介がまただったね。
 私はニコラウス。皆にはサンタクロースと呼ばれておる。」
 「はぁ、見れば分かります。あの、私が聞きたいのは……。」
 「なぜさきちゃんにしか私の姿がみえないか?だろう。それに答えるためにはまず、私の正体を明かさねばならないのだよ。
 さきちゃんは昔、私がプレゼントしたおもちゃを大切に使ってくれただろう?私を信じて、大切に使ってくれる純粋な心を持った人にしか、私の姿は見えないのじゃ。」
 サンタクロースは嬉しそうに私の手を取り、優しく「ありがとう。」と言った。
 「いえそんな……。」
 私は俯いて手を引っ込めた。
 確かに子供の頃、クリスマスプレゼントはサンタクロースが枕元に置いてくれるものだと信じていた。もらったおもちゃも大切にしたし、それらのおもちゃとの思い出は私の宝物だ。
 しかし、大人になった今、サンタクロースがおとぎ話に過ぎなかったことも理解している。貰ったおもちゃも引っ越しする時にまとめて処分したので手元には一つも残ってない。
 胸がチクリと痛む。私はもう、『純粋な心を持った子供』ではなくなっているのだ。
 「さきちゃん、どうしたんじゃ?」
 サンタクロースが心配そうに私の顔を覗き込む。
 「私、サンタクロースが本当に存在するなんて、信じていません。今あなたを目の前にしても信じられないくらい……あれ、どこいくんですか。」
 サンタクロースは私が話しだすと急にそわそわし始め、飛び上がるように席を立つと私の目の前を横切り、ぐるりと回って後ろに立った。
 「な、なんですか。」
 私は振り向いて問いかけた時、サンタクロースが掛けていた椅子に両手に荷物を持った大柄な中年女性がドシンと腰かけた。
 「やれやれ、ちょうど席が一つ空いていて良かったわ。」
 中年女性はそういいながら足を伸ばしてくつろいでいる。
 サンタクロースは少し寂しそうな顔で中年女性を見ながら「みっちゃんは私の事覚えていないんだな。」とため息をついた。
 やはり多くの人にサンタクロースの姿は見えていないようだ。サンタクロースはちゃんとプレゼントを渡した元子供たちの事を覚えているというのに。
 そう考えると、私が今サンタクロースに言った言葉はなんて心ないものだったのだろうと思えてきた。せっかく姿が見える人に出会えたと言うのに、私は「信じていない。」と否定したのだ。
 幸い、椅子をみっちゃんに譲る為に移動していたサンタクロースに私の声はうまく聞こえていなかったらしく、彼は得意げに「私は少し先の未来なら予測できるのだよ。」と胸を張った。
 「みっちゃんには見えなくても、私にはあなたが見えるのは事実なんですよね。」
 私はためいきをつくと「みっちゃん」という言葉に反応したのか、隣のご婦人がちらりと不審げに目線を送ってきた。
 客観的に見れば、私は誰もいないのに振り返ってぶつぶつ独り言を言っているように見えるのだろう。とにかく、サンタクロースとゆっくり話せる場所に行かなければならない。
 私は席を立ち、サンタクロースと並んでエスカレーターに乗った。
 
 エスカレーターという乗り物は不思議なもので、よほど混雑していない限り一人が乗っていたら隣に乗り込む人はいない。今は特に混雑もしていないので前後一段ずつ間隔も開いている。ここなら少しくらい話していても誰にも気づかれないはずだ。私はサンタクロースと並んでぐるぐるエスカレーターを登りながら小声で話を続けた。
 「ところで、デパートに用事でもあるんですか?」
 「おお、そのことじゃよ。私もこんなところでおしゃべりしている場合じゃないくらい一年で一番、この時期が忙しいのだがね。」
 そう言いながらサンタクロースはきょろきょろ辺りを見渡した。
 「おかしいな。ここはおもちゃ屋ではないようだ。」
 「ここにあったおもちゃ屋なら他の場所に移転してしまったんですよ。このデパートはその跡地に新しく建てられたんです。」
 「そうだったのか。子供たちからクリスマスプレゼントのリクエストが来ている今の時期、私のおもちゃ工場も大忙しなのだがね、最近のおもちゃは作りが複雑だから現物を見てみないと構造が分からないものが多いんじゃ。だからおもちゃの下見に来たのだが。」
 「そうだったんですね。」
 「ふむ。さきちゃん、その移転したおもちゃ屋はどこにあるのかね?」
 「私も詳しくは知らないのですけれど、地下鉄で行っても乗り換えながら数駅先だったと思いますよ。徒歩で移動するのは無理でしょうね。」
 「そうか、では出直さなければならんな……ん?」
 サンタクロースがエスカレーターの上で伸びあがった。
 「さきちゃん、おもちゃの音が聞こえんか?」
 エスカレーターはゆっくり上昇を続け、華やかなクリスマス一色に彩られたフロアが徐々に現れた。
 「ここは、デパートのおもちゃ売り場ですね。」
 「ほう。デパートにはおもちゃ売り場もあるのか。」
 「ええ、おもちゃ屋ほどの品ぞろえは期待できませんが、見てみますか?」
 「もちろんじゃ。」
 サンタクロースは言いながらステップを降りると軽やかな足取りでおもちゃ売り場に入って行った。
 「あ、サンタさんだ。」
 子供たちが嬉しそうに歓声を上げる。
 サンタクロースは優しい頬笑みを浮かべながら子供たちに手を振る。子供たちの目にサンタクロースはちゃんと映るらしい。子供に言われて首を傾げる親がいるものの、今の時期のおもちゃ売り場にサンタクロースの人形は溢れているので、特に気にすることもなく買い物を続けている。
 私はサンタクロースの姿が見えるのが自分一人ではないことに安堵した。偶然とはいえおもちゃ売り場に案内できたことだし、私の役目も終わりかもしれない。
 最後にさよならを言おうと思い、サンタクロースの後を追った。サンタクロースはおもちゃの陳列棚の前で何かを確認するように頷いている。
 「おもちゃ屋ほどではないが、なかなかの品ぞろえだな。ざっと見たところ、リクエストの半数近くを下見できそうじゃよ。」
 「それは良かったですね。」
 「さきちゃん、時間が空いているなら少し、手伝ってもらえんか?なんせリクエストはおもちゃの名前しか書いておらんから、そのおもちゃがどんな形をしているのか、一から探さねばならないのだよ。」
 「時間ならありますけれど、私でいいんですか?」
 「もちろん、さきちゃんに手伝ってもらえると助かるよ。それでは早速……。」
 サンタクロースはポケットからおもちゃの名前が書かれたメモを取り出して、おもちゃの名前を言った。テレビCMやチラシで見たことがあるポピュラーなおもちゃの名前が多かったので私でもいくつか探しだすことができた。サンタクロースは私が探したおもちゃをそっと手で包み込んで目を閉じ、おもちゃの構造を記憶した。
 「さきちゃんが手伝ってくれたから大分作業が捗ったよ。ありがとう、これが最後じゃ。」
 サンタクロースは古びた手紙を取り出すと、おもちゃの名前を読み上げた。
 「くまごろう。」
 「……え?」
 「くまごろうだよ。さきちゃんなら分かるはずじゃ。」
 サンタクロースは手に持っていた紙を私に見せた。それは、私が小学校の頃お気に入りで大切に使っていた苺柄の便箋だった。中央に幼いころの私が震える字で『サンタさん、どうかくまごろうを返してください。』と書いている。
 私は両手で口元を押さえ、顔を背けた。くまごろうの名前は私に悲しい記憶を彷彿させる。もう心の整理はできているはずなのに。
 「さきちゃん、怖がらずにちゃんと思いだすんじゃ。」
 サンタクロースは便箋を手渡し、優しく私の肩に触れる。私は嫌々と駄々をこねるように体を揺すった。
 「最初からゆっくり思いだしてごらん、くまごろうをさきちゃんに渡したのは私だったろう?」
 
 そうだった。私が小学校一年生の時に近所のクリスマス会でサンタクロースがプレゼントしてくれた茶色い柴犬のぬいぐるみ、それがくまごろうだ。私の住んでいた家の近所では毎年クリスマスに公民館でクリスマス会が開かれる。近所の小中学生が集って美味しいご飯を食べ、レクリエーションのゲームをし、蝋燭を持ってきよしこの夜を歌うと、サンタクロースが現れて皆にプレゼントを渡すのだ。仲よしのお友達と一緒に遊べるクリスマス会は私にとって一大イベントだった。
 迎えに来てくれた母に一番にプレゼントを見せて今年も楽しかった報告をする。近所の友達にさようならを言って別れる時、また来年までクリスマス会が無いことを少し寂しく感じて胸が痛んだものだ。
 この時もらった犬のぬいぐるみは最初からくまごろうという名前が付いていた訳ではない。くまごろうの名付け親は、父だ。
 父は当時重い病に倒れて入院していた。母は毎日父の付き添いに行き、私は小学校の帰り道にある病院に寄って、母と一緒に帰宅していた。クリスマス会の翌日、私は父にぬいぐるみを見せようと学校にこっそりぬいぐるみを持って行き、学校が終わると一番に飛び出して父の病室のドアを叩いた。
 父は重い病に伏せっていたが、私が訪れると必ず半身を起し、暖かくて大きな掌を私の頭に乗せてくれる。私はぬいぐるみを父に見せた。
 「サンタさんがくれたのかい?可愛いぬいぐるみだね。」
 父はぬいぐるみを手にとって撫でながら言った。
 「このぬいぐるみは昔父さんが飼っていた犬に似ているな。」
 「そうなの?」
 「うん。くまごろうと言って、賢い犬だったよ。」
 「くまごろう?犬なのに変な名前。」
 「そうだね、番犬だから強そうな名前を付けたんだよ。」
 「ふーん。」
 父はその時からぬいぐるみのことを「くまごろう」と呼んだ。今になって考えると父は優秀な番犬だったくまごろうの名前を付けて私と母を守りたかったのかもしれない。
 翌年の夏、父の病がいよいよ篤くなって母は泊まり込みの看病をしなければならなくなり、私は母の実家に預けられることになった。母の里は田舎で、新幹線と電車を乗り継いで二時間かかる場所にある。私は夏休みの間、祖母の家で過ごした。
 祖母は愛情深い人で、ひとりぼっちになった私の事を随分気にかけてくれたけれど、まだ幼い私は父や母が恋しくて夜中にくまごろうをぎゅっと抱きしめてしくしく泣くことも少なくなかった。くまごろうは私の涙を柔らかい毛皮に隠し、寂しさを紛らせてくれた。
 ある日お風呂から上がって寝室に向かうと、いつも祖母が枕元に用意してくれているくまごろうの姿が見あたらなかった。私は居間や台所に行ってくまごろうの姿を探したが、見つからない。昼間に縁側でおままごとをしていたことを思い出し、廊下に出た。大きなガラス戸から月の光が差し込み、廊下にくまごろうのシルエットが見える。私はほっとして駆け寄り、くまごろうを拾い上げた。
 いつものようにぎゅっとくまごろうを抱きしめた時「さき。」と父が私を呼ぶ声が聞こえた。私は驚いてガラス戸越しに外の様子を窺った。空は明るい満月で、祖母の家の庭木の影がくっきり映っているその中に父の姿は見当たらない。耳を澄ませても密やかな虫の音しか耳に入ってこなかった。
 私は息をついてくまごろうの顔を見た。くまごろうのプラスチックのボタンで出来た瞳が月明かりを反射してキラリと光る。
 「さき。」
 また父の声が聞こえた。しかし私はくまごろうを見降ろしたまま動けなくなった。なぜなら、父の声はくまごろうの中から聞こえてきたからだ。くまごろうは優しく慈しむような光を瞳に湛えて私を見上げ、柔らかい前足で私の頬をそっと撫でた。
 「くまごろう……お父さんなの?」
 くまごろうは愛しむように目を細め、微かに微笑んで前足を下ろすと、話しかけても瞳を覗き込んでも反応しないぬいぐるみに戻った。一瞬の出来事だったが、くまごろうから父を感じた感触は忘れられない記憶になった。
 翌朝早く、母から父が意識不明の危篤状態になったと連絡があった。祖母は手早く荷物を纏めると、目をこする私の手を引き、朝一番の電車に飛び乗った。二時間電車に揺られ、タクシーで病院に向かう。病室に入ると、父は静かに瞳を閉じて眠っていた。傍らで母が疲れた表情で背中を丸めていたが私達に気付き、立ちあがって父に「お父さん、さきが来たわ。」と話しかけた。
 「お父さん。朝だよ、起きて。」
 私は父の大きな手をぎゅっと握りしめて話しかけたが、父は瞳を閉じたままだった。その日の夜、父は眠るように息を引き取った。
 父が亡くなってから母と私は祖母の家に身を寄せることになった。当時住んでいた家が父の会社の社宅だったため、早々に出て行かなければならなかったのだろう。その話は父の生前から決まっていたらしく、母は葬儀を終えると引っ越しの準備に取り掛かった。
 私はくまごろうから父の声が聞こえたあの夜から、くまごろうは父なのだと思うようになっていた。“お父さんは死んじゃったけれど、くまごろうのお父さんがいるから大丈夫。”そう信じることによって心の平穏を保っていられたのだ。
 引っ越しの当日、母は家の鍵を寮長をしている父の同僚に渡し、丁寧に礼を言って家を後にした。私は母に手を引かれて新幹線に乗り込んだ。沢山の思い出がつまった家がからっぽになっているのが物悲しく、くまごろうをぎゅっと抱きしめてちょっぴり涙ぐんだのを覚えている。くまごろうはいつものように私の涙を柔らかい毛皮で隠してくれた。
 母はここ数日の慌ただしさの中で疲れていたのだろう。座席を少し倒してうたた寝をはじめた。私は窓から外の景色を眺めながら新しい学校でお友達ができるだろうかとぼんやり考えていた。
 停車駅のアナウンスが入り、何人か立ちあがって荷物を棚から降ろしたり、通路を通って出口に向かって行く。停車駅が祖母の家に向かう時にいつも降りていた駅名だと思い、私は眠っている母を揺り起こした。
 「いけない。寝過ごすところだったわ。」
 母は慌てて荷物を持ち上げると、私の手を引いて新幹線を降りた。プラットホームで私は妙に胸騒ぎがしてくまごろうが入っているリュックサックを開いた。しかし、そこにくまごろうの姿はなかった。窓から景色を見ている時に、くまごろうを窓際に置いていたことを思い出す。
 「お母さん、くまごろうを忘れた。」
 私は慌てて新幹線に戻ろうとしたが、扉が閉まるブザーが鳴り、母に後ろから引きとめられた。ゆっくり動きだした新幹線の窓越しにくまごろうの姿が見える。
 「さき、危ないわよ。くまごろうは駅員さんに落し物で届ければきっとすぐに帰ってくるわ。」
 母は駅の窓口へ向かい、忘れ物の届け出を済ませ、「くまごろう、くまごろう。」と泣きじゃくる私の手を引き、電車を乗り継いで祖母の家に向かった。
 すぐに届け出したものの、くまごろうは見つからず、私の元に帰ってくることはなかった。私はくまごろうを失ってはじめて、父が本当に私の前から姿を消したのだと思い知った。
 その年のクリスマスに私はくまごろうをくれたサンタクロースに手紙を書いた。
 『サンタさん、どうかくまごろうを返してください。』
 しかしその願いは叶えられなかった。クリスマス当日、私の枕元にはくまごろうと同じ種類のぬいぐるみが置かれていたけれど、それは明らかにくまごろうではない新しいぬいぐるみだった。
 私は落胆し、サンタクロースに宛てた手紙を捨てた。
 
 あの手紙が今、目の前にある。
 鼻の奥がつんと痛くなる。視界がぼやけて涙が一粒、頬を伝う。
 「思いだしたようじゃな。」
 サンタクロースは父がよくそうしてくれたように私の頭に大きな掌を乗せた。
 「さきちゃん、くまごろうはさきちゃんに贈ったプレゼントではない。あのぬいぐるみは私がさきちゃんのお父さんの一郎くんに贈ったものじゃ。」
 「どういうことですか?」
 「さきちゃんも気づいているだろう?くまごろうにはお父さんの魂の一部が入っておった。一郎くんは自分の命が終わる前に、家に一人ぼっちで置き去りにされている娘と一緒に過ごしたかったんじゃ。
 私は一郎くんの願いを聞いて、条件付きでさきちゃんに魂の依り代となるぬいぐるみをクリスマスプレゼントとして手渡したんじゃ。」
 「条件ですか。」
 「うむ、一年以内に私の元へ帰ってくることが条件だった。それがお父さんにとってもさきちゃんにとっても大事なことだったんじゃ。なぜなら、魂を依り代に留めておくとお父さんは天国へ行くことができないからな。
 さきちゃんにとってもくまごろうとの別れは辛いものだったろうが、別れもお父さん自身が選んだことだったんじゃよ。」
 「そうだったんですか。」
 「さきちゃんがこのことを理解できる歳になり、私の姿を見ることができるなら、このことを伝えようとずっと思っていたんじゃ。今日はさきちゃんに会えて良かった。」
 サンタクロースはにっこり微笑む。
 「さて、お手伝いをしてくれたご褒美じゃ……目を閉じて。」
 サンタクロースはそう言うと、私をぎゅっと抱きしめ、耳元で囁いた。
 「さき、大きくなったね。これからもずっと私はさきを見守っている。
 幸せになるんだよ。」
 「……お父さん?」
 耳元で聞こえた声はサンタクロースのものではなく、懐かしい父の声だった。胸に暖かな優しい気持ちが流れ込んでくる。父の姿を一目見ようと目を開けようとするけれど、軽く閉じた筈の瞼が重くて持ちあがらない。
 抱きしめてくれる腕の力がふっと抜け、ようやく目が開くとサンタクロースは姿を消していた。
 「サンタさん……お父さん、ありがとう。」
 夢のような出来事だったけれど、手元に手紙が残っているのがなによりの証拠だ。私は手紙をコートの内ポケットへ大事にしまい込むと、おもちゃ売り場を後にした。
 デパートから出て地下鉄の駅に向かう。今日は一層冷え込みが激しく、吐く息が白く染まる。頬にひんやりする感触を感じて空を見上げると、真っ白な雪がちらついていた。
 
 
 完

サンタクロースの贈りもの

サンタクロースの贈りもの

クリスマス前のある日、私はデパートで不思議なサンタクロースに出会った。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-14

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