あの日のセブンティーン

 むかしのはなしを、しました。
 わたしがまだ、ぼく、だった頃のはなしです。
 それは、つまり、キミが、わたし、だった頃のことです。
 おぼえていますか。
 シンジュクに雨が降り、シブヤに雪が積もり、シナガワの空からはくらげがぼたぼた落ちてきて、コンクリートのビルの屋上や、道路が、ぐしゃ、ぐしゃと、つぶれたくらげに埋め尽くされました。革靴の男の人や、ハイヒールの女の人が、ずるん、ずるんと滑っては、ころんだ。くらげはくらげのままでも、つぶれても、ぬめぬめしていて、ぶにぶにしていて、ぬちゃぬちゃしていて、くにゅくにゅしていた。
 わたしはローファーで、くらげがつぶれていないわずかなすきまを、ひょいっ、ひょいっ、と跳んで帰りました。あやまってくらげをふんづけてしまうときもあったけれど、気にせず家を目指して跳びました。
 当時のわたしは、高校二年生で、まだ、ぼく、だった頃で、ふつうに血も赤色だった頃で、それから、ごく当たり前のように、恋をしていました。
 好きな人のことを考えると、胸がしめつけられたり、ごはんをたべられなくなったり、勉強が手につかなかったり、部活動をやっていても上の空だったりと、マニュアル通りの恋をしていた。セブンティーン。
 キミもまだ、わたし、だった頃で、とうもろこしのひげのような金色の髪をしていた頃で、血は変わらず真っ赤で、むつかしい本ばかりを読んでいた時代ですね。セブンティーン。
 十七歳だった頃のことを、わたしは、となりの部屋に引っ越してきた「しろくま」さんに、はなしました。
「しろくま」さんは、三十三歳の独身男性です。
 カメラマンをしているそうです。
 なんの写真を撮るのですか、とたずねたところ、「しろくま」さんは恥ずかしそうに笑いながら、いいました。
「女の人のはだか」
 わたしは思いました。
 この「しろくま」さんにだったら、はだかをみせてもいい、と。
 わたしも三十歳ですから、そろそろだれかにはだかをみせてもいい、と思うのです。
 すべすべの腕を、つやつやの脚を、ぷくんとふくらんだ胸を、つるつるの股を。
「あやまってくらげをふんづけたとき、どう思ったの」
「しろくま」さんにそうきかれたので、わたしはこたえました。
 気持ち悪いと、かわいそうと、くらげって想像していたよりもゼリーっぽいなと、生きていたものをつぶすってこういう感じかと、くらげって意外とあたたかいなと、あたたかくてねむいな、です。
「しろくま」さんは、そうなんだ、とほほえみました。
 わたしは「しろくま」さんにお願いして、わたしのはだかを撮ってもらって、それからセックスをしました。
「しろくま」さんのベッドのシーツは真っ白で、ときどき、「しろくま」さんのからだを見失いそうになったので、「しろくま」さんには常に上にいてもらいました。
「しろくま」さんのからだは、おおきくて、あたたかくて、せっけんのにおいがした。

あの日のセブンティーン

あの日のセブンティーン

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-12

CC BY-NC-ND
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