猩々屋維新が桜刃に入るまで。

今年の春頃、友人にメールで送った短編。内容はタイトル通り、猩々屋維新の過去。彼が桜刃に入るまでの軌跡、的な。

父のことは苦手だった。
父も僕のことを苦手に思っている。
そんな風に思っていた。父が生きていた頃は。
父は極力僕に触れようとはしなかった。肩車や抱っこされた記憶もない。
交わし合うのは言葉だけだった。それも父は寡黙であったので、いつも短いふれあいだった。
それに父はいつもぼんやりとしていた。
工場で朝から晩まで働いていていつも疲れていた。母も同じように一日中働いていたのに、僕には疲れた顔を見せなかった。だから、僕は余計父に嫌われているのだと思っていた。ずっと寂しさを覚えていた。寂しさを覚えることができていた。
小学生の頃、修学旅行から帰ってくると、家に父と母と一人の男が血塗れでぐしゃぐしゃになって倒れていた。
母を揺すっても起きなかったので、救急車を呼んだ。
それからはあまり覚えていない。
三人は死んでいた、ということになった。家に警察が来た。僕は母の親戚のところで暮らすことになった。父と母は一緒に倒れていた男が殺して、男がその後その場で自殺した、ということになった。
それでおしまいだ。
訳がわからなかった。でも、理解しようとは思わなかった。わからないままに頭の底に押し込めた。
ーー元々、共働きで父母とはあまり会えなかった。特に父からは嫌われていたんだ。二人がいなくなっても特に変わらない。
そう思い込んだ。
親戚に憐れまれたが、そんな考えだったので、その憐れみがうざったるく感じた。
それもあって、親戚の家は居心地が悪く感じた。だから、義務教育を終えた後、仕事に就いて縁を切った。
ーー一人で生きたい。
そう思っていたくせに、仕事は長続きしなくて、暫くして別の仕事に就いた。
それも長続きしなくて、また仕事を変えた。
それも長続きしなくて……と転職を繰り返した。
給料は安かったが趣味もなく、ただ生きれればいいと思っていたので不満はなかった。
ただ一日一日を一人で消費した。
ある日、仕事から帰ると家の前に男がいた。
赤い変な髪型で女物の大きなピアスをつけていた。コートもあまり目にしないデザインだった。
非日常の塊だった。
男は、安藤巳幸はぼーっとしていた。顔付きが日本人らしくないし、妙に整っているので威圧感があった。しかし、僕に気付くと胡散臭いまでの人懐こい笑みをにぱりと咲かせた。
「維新くん!」
確かめるようにそう呼ばれた。あまりに親しげなので、初対面とは思えなかった。だから、頷いて、それから必死に記憶を辿って彼の姿を探した。
「お腹すいてるでしょ? ご飯食べに行こ! おごってあげる! 維新くんの好きなとこ連れてって?」
マシンガンのように言葉をぶつけられた。
ーー覚えてないなんて言えない。
そう思った僕は話を合わすふりをして、頷いた。
近くのラーメン屋に連れていくことにした。
その道中で初対面だと知った。更に、自分は情報屋だと彼は物騒なことを言い出した。
「別件で近くに来たから維新くんと仲良くなろうと思って」
ーーふざけんなよ。
そう言って帰ろうと思ったが、彼があまりにも嬉しそうに笑っているので言い出せなかった。
ーー適当にあしらって、食事代だけ払わせよう。
そう思うことにした。
ラーメン屋では話は特にしなかった。
金を払わせて、さあ別れようとしたとき、彼が初めて笑みを崩した。そして、僕をじいと見つめて、声のトーンを抑えた。
「ねえ、お父さんのこと、知りたくない?」
反射的に知りたいと思った。彼の目も僕がイエスと答えるに違いないという確信があるようだった。
知りたくない、としがみつくように考えた。
でも、好奇心に負けて頷いた。そして、僕の部屋に彼を入れた。


狭い部屋だとは思っていたが、背が高めの彼が入るとますます部屋はせまく思われた。彼が卓袱台の前に座ると、その卓袱台の小ささが目立った。
冷蔵庫に突っ込んだ二リットルペットボトルのお茶をマグカップに注いで、彼に出した。
食事に使うコップはそれしかなかったので、僕はペットボトルを抱えて彼の向かいに腰を下ろした。
彼はにこ、と控えめに微笑んだ。何故か女性的だと感じた。
「長くなるよ」
そして、彼は父のことを話し始めた。
いや、正確には、まず、父は桜刃組というヤクザの一員だったということを言って、それから、桜刃の成り立ちを話し始めた。
薬師神子純郎という男が自らの私財を擲ち、身寄りのないものの世話を見た。
それが始まりで、それに助けられたのが僕の祖父だった。
当時子供だった祖父は大きくなり、桜刃組に、純郎に尽くした。そして、父も尽くした。
しかし、純郎の子供の淳が組長になって桜刃は変わった。
自治組織としての活動が主であったが、淳の時代から金儲けに重きを置くようになった。そして、同時に淳の趣味により、拷問や暗殺などグロテスクなことを行うようになった。
淳は己の父を嫌っていた。そして、純郎に仕えた者も嫌っていた。純郎から仕えていた者は自主的に出ていくようにした。しかし、それでも桜刃に残った者には悪い処遇を与えた。
僕の父は桜刃に残った。そして、嗜虐的に人を苦しめたり殺したりする役割を与えられた。
父は沢山の人を苦しめた。そして、殺した。
父の心のうちは父にしか分からないが、当時の様子からして父はそれを楽しんでいなかった。
元々穏やかだった父の口数は極端に減り、表情は堅くなっていた。
そんな中、父は母に出会った。そして、恋に落ちて、結ばれて、決意して桜刃から抜けた。
二人は桜刃に離れた場所に身を置き、せっせと働いていて二人の生活を確保した。
そして、その生活の中、僕を産み、育てた。
それから、殺された。
父母を殺したのはやはり高い可能性であの日父母とともに倒れていた男だった。
男は父に恨みがあった。
男の家は貧しく、淳の時代の桜刃に金を借りた。そして、莫大な金利に苦しめられた。何のしようもなくなった男の父は淳の言う通りに学生であった娘を差し出した。娘は酷い仕打ちを受け、挙げ句、妊娠させられた。そして、淳の言う通りに家族の前で彼女は惨殺された。その殺害を行ったのが僕の父だった。
男は僕の父を恨み続けた。
様々なものを利用して、入念に父を探し出した。
そして、父を見つけ出した。
そこまでの痕跡を辿れるのだ。彼が僕の両親を殺したというのは事実といえるだろう。
以上が安藤巳幸の話だった。
実際にはもっと綿密に、客観的に彼は話してくれた。
だからか、父を主役とした映画を観ているような気になった。そして、父が死ぬところに入ったとき、妙な感覚に陥った。
それはやけに鮮やかで、冷たかった。それに、恐ろしかった。
意図せず涙がぼろぼろと溢れ出た。
目の前の安藤巳幸がきょとんとして、慌て出した。
嗚咽が飛び出て、骨ががくがくと震えた。
自分が自分で制御できなくなる。
脳が勝手に父の記憶を引き出す。
疲れた顔で飯をつついている横顔。
仕事に向かうこじんまりとした背中。
ぼんやりとタバコを持つ手。
くたくたに潰れた靴。
蛍光灯に光る白髪。
そう言ったものしか思い出せなかった。
ーー悔しい。
「……お父さん」
ーー苦しかった?
「お父さん」
ーー触れたかった。
安藤巳幸にそっと抱き締められた。一瞬バニラに似た香りが鼻先を掠めた。
じんわりと体温が伝わる。
それがまた涙を促した。

結局落ち着くまでずっと彼の腕の中にいた。
涙が枯れて、煩い心臓の音に苛まれながら、頭がゆっくりと平静を取り戻していく。
そんな時、蛍光灯に彼のピアスがきらりと光るのを見た。
それに手を伸ばすと、彼に頭を撫でられた。
慣れない動作に自分が一人なのだと改めて自覚する。
お父さん、そして、お母さん。二人はもういないのだと、漸く受け入れられた。
「……どうして教えてくれたの。どうして僕に関わろうとしたの」
そう問うと、安藤巳幸はまた僕の頭を撫でた。
「もしかしたら、……例えば淳さんが淳さんでなかったら、君と僕は関わっていたかもしれなかったでしょう? それに、僕も昔同じような状態だったからお節介焼きたくなったの」
彼がやけに明るい笑みを見せた。
「ねえ、僕、必ず君の力になるよ。君が呼んでくれるなら」
一瞬彼の視線がそれて、彼が眉を八の字に曲げた。
「もう帰らなきゃ」
彼がすっと立ち上がり、壁にかけていたコートをとった。そして、そのポケットから財布を取り出して何かを卓袱台の上に置いた。
「いつでも連絡ちょうだいね。サービスするからね」
彼がコートに腕を通す。
それを着終えて、もう一度僕の目の前にしゃがみこんだ。
「ごめんね。また会えると嬉しいな」
彼はそう言い残し、家を去った。
突然の終わりに夢か現実かわからず、その日はそのまま寝た。
次の日、卓袱台に置かれた彼の名刺がまだあり、昨夜のことは夢でなかったことを知った。
それからすぐには特に何も変わらなかった。相変わらず、転職を繰り返してふらついた。
しいていうなら、初めてピアスを開けた。両耳に一つずつ、スタンダードの位置に穴を開けて、金属をはめた。
ちらちらと脳裏に安藤巳幸のピアスがときたまちらつくので、思いきって開けた。
体の中に異物がある、という感触は不思議だった。
どれだけ自分が感情に溺れても、ピアスに触れている部分は冷静な気がした。
それが何だか面白くてお金に余裕ができれば他のピアスを買った。また、左耳に棒状のピアスを通すために二つの穴を開けた。舌に一つ穴を開けた。
いつしか服装で遊ぶことを覚え、その延長で髪を染めた。
姿がすっかり変わっても、趣味らしきものができても生活は変わらなかった。
ーーずっとこのまま生きていくんだろうな。
そんなことを思いながら、また仕事を止めた時、ある人から手紙と小包が届いた。
小包の中にはオレンジがつまっていた。
手紙は分厚かった。
開いてみるとお世辞にも綺麗とは言えない文字が懸命に並んでいた。
二つの差出人は橘宗一。
名前に見覚えはなかった。手紙によると父の友人だった。
彼は手紙にまず父との思い出を書いてきた。
そこには僕の知らない父がいた。
真面目だけれど、天然で。穏やかだけども、怒ると怖い。仏頂面に見えても、表情が隠せなくて。笑いすぎて一度顎が外れた。映画や読書を楽しんだが、一番好きだったのは近くの肉屋のコロッケ。喧嘩をしてもコロッケを出せば仲直りできた。
新鮮な父に驚いていると、手紙は僕を労った。
ーー父も亡くし、母も亡くし、心細かったことだろう。若くからの一人での生活はどれほど大変だったろう。今までよく頑張った。俺でさえ誇らしく思うのだ。君の父も草葉の陰でさぞ誇らしくしていることだろう。
それから、手紙の調子はがらりと変わった。
ーーでも、もう一人じゃない。君にはもう一つの家族がいる。
ーーどうかお願いだ。いつでも構わない。
ーー桜刃という家族に戻ってきてくれ。
そして、桜刃の組員と周辺人物の紹介がはじまった。それも、妙に味のある似顔絵つきだった。安藤巳幸のことも書かれていた。
驚くことに宗一は桜刃にいなかった。
代わりに橘清美という彼の息子がいた。
ーー桜刃はかつて君の父を虐げた。しかし、それは過去のこと。どうか、今の桜刃を支えてほしい。
なんて自分勝手。いや、他人勝手。
そうは思ったものの、何だか嬉しさがあった。
「もう一つの家族……」
そんなキーワードに浮かれたわけではないが、桜刃もいいな、とふと思った。
手紙を読んで、送られてきたオレンジを食べた。
瑞々しく、味が濃い。
美味しいと思ううちに、オレンジが消費されていく。
一気に五つ食べた頃には意思が一つ固まっていた。
ーー桜刃で働こう。
次の仕事も決めてなかったし、と呟く。
ヤクザも楽しいかもしれない、ともうひとつ呟く。
何だか心が暖かくなった。
数日後、準備し終えて駅で携帯電話に仕舞い込んでいた名刺の番号を打ち込んだ。
「もしもし、安藤巳幸。……うん、そう、あたり。僕、桜刃に入るから。……何でそう驚くの。今から行くから桜刃に連絡しておいて。じゃあね」
電話の先で彼は驚いていた。
まあ、僕もあの日彼に驚かされたのだ。これでおあいこだ。
携帯電話をしまい、やってきた電車に乗り込んだ。

猩々屋維新が桜刃に入るまで。

猩々屋維新が桜刃に入るまで。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2
  3. 3