塩の湖

 パソコンのOSをウィンドウズ10に更新して以来、しばらく操作せずにいると「世界の絶景」的な画像がディスプレイに表示されるようになった。ネットとスマホのおかげで、居ながらにして地球上の秘境ともいうべき場所の映像を次々と手軽に楽しめるのは有り難いが、行ってもいないのに「もう知ってる」という、バーチャルな満腹感が頭のどこかに蓄積されつつある。
 特に有名な「絶景」の一つに、南米のウユニ塩湖というのがある。白一色の世界に雨が降った後の、水平線を境にした天と地の鏡像はまさに、この世のものとは思えない澄み切った美しさで、誰でも「一度行ってみたい」と夢想するのではないだろうか。とはいえ、日本から南米への距離はそんな考えを日常へ引き戻し、「なんてね」と言わせるだけの説得力がある。しかし実は、日本からそう遠くない場所に別の塩湖が存在する。まあ、遠くない、というのは南米に比べてという意味で、中国の青海省だからそれなりに距離はある。
 その青海省を訪れたのは随分と昔で、夏休みの自由旅行という奴だった。あまり人の行かない場所へ行ってみたいと鉄道を乗り継いでいるうちに、省都の西寧にたどり着いた。とりあえずホテルにチェックインすると、香港から来た学生らしい十名ほどのグループがいた。
 彼らはマイクロバスをチャーターして一泊のツアーに出るらしく、料金を安くすませるため、他の外国人旅行者にも声をかけていた。最果て感のあるこの街に何となく来てしまった私にとって、この申し出は渡りに船、二つ返事で参加を決めた。しかし一体どこへ行くのか?彼らは広東語訛りの強い普通語で「イェンウ、イェンウ」と繰り返し、紙切れに「茶卡塩湖」と書いてみせたが、どうも「茶卡」というのが地名で、そこにある塩湖を見に行くらしい。
 さて翌日、寄せ集めのツアーバスは西寧を出発した。総勢十五人ほどだったと記憶している。バスはまず青海湖を目指した。青海省という名の由来にもなっているこの湖もやはり塩湖だが、見た目はふつうの湖と変わりない。季節は夏の盛りだったが、八月の中旬ともなると、海抜三千メートルの高原はすでに秋の気配があった。
 青海湖の沿岸には草地が広がり、小さな花があちこちに咲いていたが、そこら中にヤクの糞が落ちているので、うっかり腰をおろすわけにはいかない。それに足元がふわふわと柔らかく、湿地のような感じで、よく見ると小指の先ほどの小さな褐色の蛙が無数に飛び跳ねていた。海に住む蛙の話は聞いたことがないが、塩水の湖なんかに住んで、蛙は平気なのだろうかと不思議に思った。波打ち際まではとても遠く、歩いて近づくことはできなかった。湖面は平地よりも色の濃い空を映して真っ青に光り、クレーンを積んだ巨大な台船が浮かんでいた。
 その夜は「招待所」という宿泊施設に泊まったが、中国ではどこへ行ってもほぼ間違いなく手に入るお湯が、ここでは何故か白濁していた。そしてトイレは屋外、しかも街灯らしきものは一切ないので、夜は持参のペンライトを片手に、昼間の記憶を頼りに暗闇を往復するという決死行で、満点の星空を楽しむ余裕はあまりなかった。
 翌朝、前夜と全く同じ献立の食事をとってから、バスは再び走り始めた。草地に覆われた高原はどこまでも広く、彼方に連なる山並みと空の距離はとても近い。切れ切れに流れる雲は、どうにかすれば乗れるのではないかと思うほど、低い場所を漂っていた。時おり、ヤクの群れや、遊牧をしているチベット族のテントが現れては遠ざかってゆく。
 そうこうするうち、あたりの景色は変わってゆき、社内が騒がしくなってきた。どうやら塩湖に着いたらしい。バスの外に出ると、あたりの空気は八月と思えないほどひんやりしていた。香港人の一行は最初からここへ来る準備をしているので、防寒体制も万全だが、私は西寧に着いてからセーターを一枚買って、その上に折りたたみのレインコートを着ただけ。はっきり言って、寒い。しかしその寒さを忘れさせるような光景が目の前に広がっていた。
 白い。
 見渡す限り、白一色の湖。
 この寒さは湖に張った氷のせいか?と錯覚するような景色だが、実はこの白いものは全て、塩の結晶だ。よく見ると部厚い塩の層の上に、浅い水の層がある。これが塩湖なのだった。
 日本のガイドブックには載っていなかったが、この場所はそれなりに観光スポットらしくて、バスから降りた一行のために長靴が用意されていた。これに履き替え、誘導されるままについて行くと、トロッコ乗り場があった。トロッコ、といっても日本の観光列車のように立派ではなく、昔の炭鉱で使われていたような感じ。台車に鉄柵をつけただけの代物が機関車の後ろに五輌ほどつながれている。これに三、四人ずつ立ったままで乗り込むと、機関車は黒煙を吐きながら出発。なんとトロッコはそのまま塩湖の中へと進んでいった。
 塩の上に築かれた線路。たぶんずっと湖底まで塩が堆積しているから大丈夫、と自分を納得させながら周りを眺めていると、塩の層に穴があき、暗い水底を晒している場所が目に入る。ということは、この線路の下にも空洞があるかもしれない。などと突き詰めて考えても、今更どうしようもない。トロッコはいつの間にか随分と沖、というか、塩湖の中心部へと進んでいた。
 見渡す限り白一色の世界で、遠くに巨大な円錐状のものがいくつも並んでいるのが見える。まるで氷山のようだが、これも塩。ここはただの観光地ではなく塩田でもあり、採掘したものを集積し、中国各地へと出荷しているらしい。理屈ではそう理解できても、この眺めは南極もかくやとしか思えない。
 やがてトロッコは停まり、我々は塩の上に降り立つことができた。長靴の底に感じる塩の層は固く、踝のあたりまである水をかき分けて進みながらも、氷の上を歩いているような気分は終始つきまとい、この世界も現実だと確かめるように、カメラのシャッターを何度も押した。
 当時はまだスマホはおろかデジカメも出回っていなかったので、撮った画像を見るにはフィルムを現像する必要があった。帰国後、あの風景はどんなに素晴らしい写真になっているかと心待ちにして受け取りに行ったのだが、なんとフィルムがうまくセットされておらず、塩湖での写真は全て幻と消えていた。
 こんな残念すぎる結果にも拘らず、私は今でもありありと塩湖の風景を思い出すことができる。絶景だったから、というのはもちろん大きな理由だろうが、本当は、写真として残せなかったからではないかという気がする。
 現像できた写真を受け取るまで、私はずっと、旅先で目にした数々の風景を思い浮かべ、波乱に満ちた旅程を追体験しようと楽しみにしていた。そして無事に写真として残せたものについては、ああそうだった、まさにこの通りだったと満足して記憶の中に落とし込み、徐々に忘れていった。しかし現像されなかったあの風景は、まだ私の記憶の別な場所で、確かな熱量を持ったまま存在しているし、これからも消えないだろう。
 無念さのあまり、といえばそうかもしれない。だが、形あるものに留めたという安心感は、時として人を油断させる。またいつでも見ることができる、そう思ううちに自身の記憶を次々に手放しているのも事実だ。
 絶景とは、簡単に巡り合うことができないからこそ、そう呼ばれるのだ。自分で目にする絶景はたぶん一生のうちそう何度もないだろうし、それは何日もかけて訪れるような、異国の秘境に限られるわけでもないだろう。とはいえ、たとえば偶然にも人様の飼い猫の機嫌がよくて、私の膝に乗って寛いでくれたりすると、その後頭部やなんかを見つめながら、これもまた絶景の一つに違いないと思ったりするのである。

塩の湖

塩の湖

絶景って、なんでしょうね。南米のウユニ塩湖というのが有名ですが、中国にも塩湖ってあるのです。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-12

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