二十七時、あしたになったら、みずうみにいく
みたのは、あかい宝石。皮膚の下。
ぼく、という人のほかに、ぼく、という人がいるとする。
いたとしても、問題はない。
ぼくは、ぼくで、ぼくも、ぼくなのだけれど、そう、たとえばぼくが、からだのなかで、宝石を生成できる人だったとして、ぼくと、ぼくを見分けるてっとり早い方法は、皮膚を裂くことである。あかい宝石があれば、宝石を生成できる、ぼく。なければ、できない、ぼく。
きのう、木星と土星がぶつかりあって、ぱぁん、とはじけた。風船のように割れた、という表現がしっくりくるらしいことを、ニュースキャスターの人が言っていた。
地球と金星も、ぶつかりあって、ぱぁん、と風船のようにはじける日が、いつか、くるかもしれないね。
ぼくは思ったので、キミにそういった。
キミはまるで興味なさそうに、ふうん、とこたえた。
しゃきしゃきと裁ちばさみを鳴らし、レモン柄の布を切ろうとするキミの、その長いまつげに雪が降り積もったら、キミのほどよく日に焼けた小麦色の肌に、白いメイクはよく映える、と考える。
あかい宝石が、みたい。
レモン柄の布にはさみを入れながら、キミがいう。
ならば、ぼくのからだにはさみを入れるといい。その布のように。
キミは首を横に振る。そんな残酷なこと、しない。レモン柄の布を、じゃきじゃきと切り進めてゆきながら、キミは、かなしそうにくちびるの両角を上げた。
二十七時、ぼくの部屋。
室温十八度。
あしたになったら、みずうみにいこう。
ぼくはいった。
もう、あしただよ。
きみがこたえた。
そのあいだにも、ぼくのからだのなか、皮膚の下ではあかい宝石が、生まれているかもしれないし、生まれていないかもしれない。
二十七時、あしたになったら、みずうみにいく