無題
帰宅してまず目に入ったのは、脱ぎ散らかされた真っ赤なスニーカーだった。いつもならきちんと揃えてあるはずのそれから視線を奥に向ければ、今朝あいつが着ていたはずのモッズコートや、誕生日に買ったお気に入りだというリュックが、寒々とした廊下に点々と落ちていた。
不思議に思いながらもひっくり返っていた彼のスニーカーを定位置に正して、自分もその隣に脱いだショートブーツを並べる。落ちていたものを拾いながらリビングに向かったが、そこには誰もおらず、ひんやりとした空気が晒した足首を撫でる。足を擦り合わせながら二倍になった荷物をソファに投げ、ストーブのスイッチを入れる。
『点火します』
「はい、お願いします」
すぐさま風邪をひくほどではないが、流石に暖房なしでは寒いだろうと思う気温だ。奥のキッチンや風呂場も見に行くが、人の気配はない。上からも何かが動いている音は聞こえない。トイレにも声をかけたが返事はなかった。
鍵は開いていたから外出はしていないはず、と数ヶ月ぶりに働きを再開させたポットでインスタントコーヒーを作りながら考える。本当にどこに行きやがった。鞄から帰りに知り合いから旅行のお土産だと貰ったチョコレートを取り出して、コーヒーと一緒に机に置く。せっかく一緒に食べようと思ったのに、僕が全部食べてもいいのか。丁寧に包みを剥がして箱を開けると、三種類ほどのトリュフが綺麗に並べられていた。
少し冷えた指には熱すぎるぐらいのマグカップで暖をとりながら、あいつがいそうな場所を考えては打ち消し、考えては打ち消しを繰り返す。そもそも我が家はそんなに広くない、いる場所なんて限られている。暖房も入れずに二階で寝こけてるのかも、とトリュフを一つ口に放り入れて腰をあげる。声をかけようと廊下に顔を出した時、丁度向かいにある和室の襖がほんの少し開いていることに気がついた。普段は滅多に使わないから、襖はきっちり閉めていたはずなのに。
もしやと思ってそっと襖を開ければ、部屋の中心にある机の陰から足が見えた。窓から陽が入る暖かい場所に、奴はでろんとうつ伏せで伸びていた。背中はゆっくりと上下していて、ただ寝ているだけらしい。
「なんでわざわざこっちで寝るかね」
リビングでホットカーペットでも入れてぬくぬくすればいいじゃないか、ストーブだってもう準備万端なのに。押し入れから適当な掛け布団を引っ張り出して、適当に掛けてやる。というか、ここまでしても起きないとは。そんなにそこは気持ちいいのか? とちょっと気になってしまって、彼の隣、適当に掛けた布団の余っている場所にそっと体を滑り込ませる。
……おぉ、これはなかなかにいいかも。カーテンのない和室だから、障子越しに降り注ぐ日光が程よく気持ちいい。そういえばこいつ、昨日までレポートが~とか、提出日が~とか唸ってた。家まで辿り着いたはいいけど、眠気に負けてとりあえずで部屋に入ったんだろうな。よくよく見たら彼が羽織っているパーカーは妙な崩れ方をしていて、入り口でくたばってそのまま暖かさ求めて這ってきたんだろうと想像がつく。
「……ばかだな」
だけど、一緒になってここに並んで寝転んでいる僕も相当バカっぽい。隣に人がいるせいなのか、予想以上に暖かくて眠くなる。
リビングのストーブはつけっぱなし。チョコレートが溶ける、コーヒーが冷める。居場所は把握したから戻らなければ、と抜け出そうとした途端に隣から腕が降ってくる。いつの間にやらがっちりホールド抱き枕状態で抜け出せる感じがしない。こいつが寝汚いのはたった今再確認したばかりだったのに、やってしまった。
まぁいいか、チョコレートはそんなに簡単には溶けないだろう。溶けたらこいつのせいってことで。
嬉しくない拘束の仕返しに、程よく冷えた手を暖かい背中に差し込んであげよう。
無題