しらんは CASE.b1~三歩音春之の殺人理由~
この町に正義は居ない。悪を行ったら悪がそれを滅ぼす。そういう町だ。正義の味方や、善であろうとするものはいるけれど、それはなんら悪と変わりない。一般的な悪の定義は「他人を不幸にしてでも自分の益を得ようとする行為」なのだから。例え正義であろうとしても、他人を蹴落とした結果の正義は、悪と変わりはないのだから。
自分が、悪だってことを、ちゃんと認識するために、善であろうとする人間を殺す。
三歩音春之が正義の居ない町にやって来て、一週間と二日が経過した時点で、シランが知る限り、彼女は十二人の男女を既に殺していた。
三歩音春之に「計測器」としての役割を持たされたシランは、彼女が殺人を行う場面を「計測器」として観察する必要があったので、この十二人という数値は概ね間違いは無いと言っていい。
本日十一月二十日も、三歩音春之は夜の町を徘徊して彼女の目に「引っかかった」男性が一人殺された。その殺された人間は現在、シランと三歩音春之から少しばかり離れた場所に横たわっている。喉と口から血を流し両目は潰れ、左足は奇妙な方向へ曲がって関節部分から骨が突き出していて、何よりもその死体の特徴として目を引くのは、頭部が一部吹き飛ばされていた。シランは三歩音春之が男性を殺す場面をいつものように観察していたので、その時の状況を事細かに回想することが出来る。
三歩音春之は自分の目に引っかかった男性(三十代半ばくらいの年齢に見えた)を半ば強引な理由と半強制的な言動で裏路地の人気のない所まで連れていき、殺人を行った。まず三歩音春之は困惑している男性の喉を手に持っていた木の串で刺すことで潰した。これで男性はまともな助けを呼ぶ声を出すことが出来なくなる。瞬時に彼女は喉から抜いた串で男性の両目を正確に、しかし凄まじい速度で貫く。視界の排除。一瞬のうちに喉と両目を潰された男性は痛みよりも混乱を優先し、両手を喉や目にあて、今自分がどういう状態なのかを確認する一種の生存作業に移った。そのスキを三歩音春之は見逃さず、肩に掛けたギターケースからバットを取り出し、細腕に似合わぬ怪力任せの瞬間的に威力と速度と殺意を爆発させた片手スイングで男性の左足をへし折った、骨が砕け、そして砕けた骨が皮膚を突き破る水中で割り箸を折った時に発生する音を数倍聞き苦しくしたものが響く。男性はもはや言葉にならない猛禽類のあくびのような音を口から発するが、穴の空いた喉から逆流して流れ出てくる血液が邪魔してとても汁っぽく泡だった声になっている。左足をへし折られた為にバランスを失った男性がよろめくと、それを待っていた三歩音春之はバッティングフォームで両手に掴んだバットを男性の傾いた頭を斜め下から打ち上げるように渾身の力で勢い良くフルスイングした。男性の側頭部は弾け飛び、中に詰まっていた脳髄が散らばって地面に落ちる。男性は言葉もなく倒れ、首、口、目、足、頭(側頭部は既に失くなった)から血を流すだけの肉の塊になった。
シランは思う。
何度聞いても、タングステン製の折れるどころか凹むことも知らない極めて頑丈な特注バットが人間の頭部を吹き飛ばす時に発生する音は不快極まりない、と。バットが頭蓋骨を肉の上から割る音、そして割れた頭蓋骨を突破したバットが脳髄を吹き飛ばしたときの破裂音。見た目のインパクトにはもう慣れがあり、そのインパクトのみを重視して一言で表現するならば「パコーンッ!」といったコミカルな擬音を使うことも出来るが、実際にはそんな爽快感とは無縁の生々しく悍ましい不快音だ。ついでながら三歩音春之が男性の喉と目を潰すのに使用した木の串は、先程シランがいつものように彼女に買ってやった唐揚げ棒の串だ。唐揚げ棒の串もまさか、人間の肉を貫くのに使用されるとは夢にも思わないだろう、とシランは血溜まりに沈んだ串を見る。しかし、彼女が唐揚げ棒の串を殺人に使用したのは、今回を含め五回にも及んでいて、そんな思考をするのにもやや飽きている感は否めないのであった。
「いやー」と三歩音春之がギターケースのポケットから取り出したタオルでバットに付着した血や肉片を拭き取りながら言った。「私も少しは殺す手際が良くなってきたんじゃないっすか?」
「一般人相手ならね」とシランが辺りに広がった人間だったものの一部を避けながら彼女に近付き言う。「彼らは殺される覚悟も殺す覚悟も知らない人たちだ」
「でも経験値は上昇中っすよ」
「ある意味ではね」シランが言った。
三歩音春之は近づいてくるシランを見る。
「どういう意味っすか?」
「春之、君の目的はなんだっけ」
「決まってるじゃないっすか、再確認っすか? ここから先に進むと遠分戻ることは出来ませんみたいな。そんな感じっすか?」よく言うとシニカルな、悪くいうと死んだ表情で三歩音春之は言葉を紡ぐ。「私の目的はこの町の殺し屋を殺すことっすよ」
「そうだろ。君の目的は殺し屋、それも序列持ちの殺し屋を殺すことだ。殺し屋ともなれば、それも序列持ちともなれば、殺す術は勿論、殺されない術も身につけている。君がいくら殺されない術を持っていない一般人や委員会の人間を殺そうと、それは殺人鬼としての、とても局所的な経験値しか得られないんだよ」
三歩音春之はシランの言葉を聞いているのか、汚れを拭き取ったバットをギターケースにしまい、ジッパーでケースを閉じた。
「殺人鬼、良いじゃないっすか。私が殺人鬼、それいいっすね」
「話を聞けって。春之、お前がどれだけ一般人を殺そうとも、殺し屋を殺すための準備運動には物足りないって言ってるんだ。せめて無名でも殺し屋を名乗る相手を殺さなきゃ目的を達成するために必要な経験値は得られない。得られたとしても、良くてシリアルキラー、悪くて喧嘩番長の称号だけだ」
「無名なのに殺し屋を名乗るって矛盾してないっすか」
「揚げてない揚げ足を取るな」シランは春之の顔を見る。「春之、お前だってそれくらいわかってるだろ?」
「どういうことっすかね」
「そもそもお前、どうしてこんな一般人を殺す。それになんの意味があると思ってる」
三歩音春之はバットに付着していた汚れを拭き取ったタオルをまるめながら、シランに言う。
「悪を認識する為っすよ」
彼女はそう言ってシランにまるめたタオルを投げ渡した。
「認識?」シランはそれを受け取る。
「そう、認識。自分が、悪だってことを、ちゃんと認識するために、善であろうとする人間を殺す。この男だって、おそらく善であろうとしていたと思うっすよ。これから家に帰って、家族にあって、お疲れ様って言ってもらって、お疲れ様って言って、息子か娘にお土産のぬいぐるみを渡すんす。そんな善であろうとする人間の人生を私の独断で終わらせた。これが悪でなくてなんなんすかね」
シランは死んだ男の血溜まりに濡れた紙袋を見た。袋の中から白かったであろうぬいぐるみの手が覗いている。それは男自身の血で白から赤へと染まっていく。
「私が稼いでいる経験値は、身体的な向上を目的としてるわけじゃないんすよ。あくまでも自分が悪だとちゃんと認識するために必要な経験値なんすよ」
そう言って三歩音春之はシランから背を向けて裏路地から出ていく。
「春之、君は何を持って悪を悪と定義する?」シランは三歩音春之の背中に問う。「どういう自分が、悪だと確信できる?」
三歩音春之は一度立ち止まって振り返り「それ、いつも通り洗っておいて下さいっす」とシランの持ったタオルを指差して言った。
「タオルを洗うぐらい、自分でやればいいじゃないか」
「私、洗濯機持ってないんで」
「住所不定無職だからな」
「コインランドリーへ行く金もなくその日の一瞬を刹那的に生きる線香花火のような人生を送っているんすよ」
確信を突こうとしたシランの質問が流されるのも、この洗濯機のやり取りも、これで何度目になるのか、シランは考えようとして、考えるほどのことでもないと考え直した。
「金が無いなら奪えばいいじゃないか」シランは男の死体を指差した。
「カツアゲや強盗は好きじゃないって言ったのはシランじゃねーっすか」
「それは僕の好みの問題であって、春之の行動を縛るつもりで言った覚えはない」
ふぅん、と死んだ表情を変えずに三歩音春之は再びシランに背を向けた。
「それに、それを言い始めたら、僕はそもそも人殺しなんて行為を認めるつもりはない」
「よく言うよ」三歩音春之は立ち止まったまま言った。「って言っていいっすか?」
「もう言ってる」
「洗濯よろしくっす」
そう言って三歩音春之は夜の町に溶けていった。
シランは考える。三歩音春之という悪を、悪たらしめているその理由を。彼女は何故人を殺すのかを。彼女の目的は何なのかを。
最初にシランが三歩音春之と出会った時、彼女は先程のように、この町の殺し屋を殺すことが目的だと言った。だが、それは別に一般人を殺して悪を認識したって意味が無いことだ。人が人を殺すのに、大層な理由なんて要らない。それこそ正義だとか悪だとか、そんなものは必要ない。序列を持った殺し屋を殺すなら、心意気や心情よりかも技術とステータスを鍛えた方がよっぽど益がある。もしかしたら三歩音春之には殺し屋を殺すという目的以外に、ただの一般人を殺す目的が他にあるのではないか、とシランは考えたが、これもあまり益のない思考だと考え直し、彼もまたその場を後にした。
しかし、やはり三歩音春之には、一般人を悪を認識する以外の目的で殺すことが、彼女にとって益のある行動であった。それは、大袈裟に言うならば、三歩音春之の生死に関わることでもあった。
しかしここでその三歩音春之の第三の目的を述べることは、やはり出来ない。
ここで彼女の「人を殺す理由」を説明してしまうと、途端にこの物語はちんけなものになってしまう。なんだただそれだけの話か、という程度の感想しか抱くことの出来ない物語になってしまう。
だが、この物語は、言ってしまえば、何処までいってもちんけな物語なのだろう。
悪になりたい人間と。
善になりたい人間の話。
それだけの話である。
シランが殺人現場から居なくなってから数分後、その場に一人の少女がやってきた。赤い野球帽を被り、スカジャンを着てギターケースを担いだその少女は、死体の前にしゃがみ、両手を合わせた。
さながらそれは、祈りのように見えなくもなかった。
しらんは CASE.b1~三歩音春之の殺人理由~
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