リニアモーターカーを創る 第一巻(黎明期)

 一、まえがき
「国鉄」という言葉をご存知ですか。若い方はご存じないかもしれません。「日本国有鉄道」の略称で、昭和六十二年(一九八七年)三月三十一日まで日本の大部分の鉄道輸送を担ってきた国の公共企業です。その原点は明治五年(一八七二年)の新橋¦横浜間鉄道の開業となり百十五年の歴史があります。まったく鉄道というものを知らない時代から全国に網の目のように鉄道網を張り巡らしたのは国の機関であった国鉄の功績です。国鉄は戦後、労働組合が乱立したり、労使双方に「親方日の丸」意識があったことが災いして赤字ボケ症状を呈するようになったため、昭和六十二年四月一日付で分割・民営化されたものです。昭和六十年決算では過去最高の純損失、一兆八千四百七十八億円を計上しており、累積債務も二十二兆円に上ります。同じ年の実質GNPが三百三十二兆六千七百四十一億円でしたのでGNPと比較すると単年度の純損失が0.56%、累積債務に至っては6.9%ということになり、一企業としてはかなり大きい純損失及び累積債務だと言わざるを得ません。現在ではJR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、JR貨物などの会社になっています。国鉄は経営的には問題がありましたが、技術的には大きな成果を挙げています。その一つが新幹線の開発実用化です。昭和三十九年(一九六四年)十月一日東京¦新大阪間が四時間で結ばれ、開業しました。そうです、第一回目の東京オリンピックに間に合わせるため前国鉄総裁、十河信二氏の尽力によって、五年半の突貫工事で完成させたものです。新幹線はこの東海道新幹線から始まりましたが、昭和四十五年に公布された全国新幹線整備法に則って山陽・東北・上越・北海道・北陸・九州(鹿児島ルート)などのほとんどが開業しています。東京¦新大阪間の時間も当初は路面が十分に固まっていなかったため四時間でしたが、現在では二時間半で運行しています。新幹線の定義としては、「主たる区間を時速二百キロメートル以上の高速で走行する幹線鉄道」ということになっていますが、東北新幹線では最高速度、時速三百二十キロメートルを記録しています。また、新幹線の安全性は非常に高く、昭和三十九年(一九六四年)に開業して以来、現在(平成二十八年)に至るまでの五十二年間で乗客の死亡事故が一件しかないことが挙げられます。このような新幹線のスピードと安全性は世界的にも注目を浴びており、海外への輸出も行われています。国鉄のもう一つの成果はリニアモーターカーの研究開発です。リニアモーターカーはまだ実用化されていませんが、国鉄は技術的にまったくゼロの状態から鉄道技術研究所(当時)で超電導磁気浮上式という技術を立ち上げて世界最高速度、時速五百十七キロメートルの樹立など実用化にかなり近いところまで研究開発を進めましたが、先ほど述べた分割・民営化により研究開発主体が財団法人鉄道技術総合研究所(所在地は旧鉄道技術研究所と同じ)及びJR東海に移りました。現在も研究開発は続行中ですが、平成十二年(二〇〇〇年)三月、国土交通省の「超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会」より、「超高速大量輸送システムとして実用化に向けた技術上のめどは立った。」との評価を得ています。そのため中央リニア新幹線を建造し、東京(品川駅)¦名古屋間を平成三十九年(二〇二七年)に四十分で結ぶ予定です。当然大阪までの延伸も考えられており平成五十七年(二〇四五年)に東京¦大阪間を六十七分で結ぶ予定になっています。大阪までの延伸に関してはもっと早い時期にできないかという声もあり、政府及びJR東海等で検討中です。
新幹線開業の約二年前から新幹線に続く次世代の都市間高速鉄道はいかにあるべきかについて国鉄の鉄道技術研究所を中心に議論が始まっています。
この物語はそのころをスタートとして様々な技術的岐路や困難を乗り越え現在に至るまでの五十五年余りをストーリー展開しながら時系列に描きたいと思っています。五十五年余りの時間を俯瞰するためには、一冊の本では書ききれるものではありません。一冊当たり十年程度を分担させるとして最低六冊になる予定です。

 二、国鉄への入社
 浮橋研正は昭和三十七年(一九六二年)三月に大阪大学大学院理学研究科物理学専攻の修士課程を修了し、四月一日付で国鉄に入社しました。一か月間、本社で新入社員研修があった後、鉄道技術研究所に配属が決まりました。鉄道技術研究所では有志による「次世代輸送機関の研究会」が開かれていました。新幹線が二年後には開業し、東京¦大阪間を四時間で結ぶ予定になっていました。その後の高速輸送システムとしていかなるものが適当であるかを議論する場でした。レールと車輪という方法では車輪のレールに対する摩擦力(粘着力)が車輪の回転速度に従って減じていくため、時速三百五十キロメートル程度が限界とされていました。それならば浮上させればいいのではないかという発想で、空気クッションにより浮上しホバークラフトのように進む乗り物、チューブ状のものに客車を入れ前方を真空にし後方をジェットエンジンにより噴射し超高速の搬送をするもの、プロペラやジェットエンジンを使うもの、超電導による磁気で浮上しリニアモーターで進むもの、様々な工夫を施し従来通り車輪とレールを使うものなどいろいろなアイデアが出され議論が白熱していました。彼はこの会議に大変興味を持ち、しばらく特定の研究室に配属になるのをやめてもらい、まったく中立の立場でこの会議に参加して将来どう言う物理現象を用いた乗り物が重要になるのか見極めようと思いました。

「空気圧で浮上する場合、騒音が問題になるのではありませんか。」
「圧縮空気をできるだけ垂直に吹き付ければそれほど問題にならないと思います。」
「推定で回答するのではなく、実験結果もしくはシミュレーション結果に基づいて回答してください。」
「わかりました。次回までにシミュレーション結果を出して発表します。」
「チューブ状のものに客車を入れて、前方を真空にしてジェット噴射によって高速度を出す方法の場合、加速度はいくらぐらいになりますか。」
「十G位を想定しています。」
「十Gというと大人の男性なら耐えられるでしょうが、乳幼児や妊産婦の場合どうなるのでしょうか。」
「そこまではまだ未検討なので、次回までに検討したいと思います。」
「プロペラを推進力として使うというと、プロペラ機と同様ですがプロペラ機の技術をそのまま使おうというのですか。」
「そうです。プロペラ機と同じ技術を使うことになります。ですから時速五百キロメートルくらいは確実に出せると思います。」
「プロペラ機の騒音問題にはどう対処しようとしているのですか。」
「そこまでは考えていませんので次回までに考えておきます。」
「ジェットエンジンを使うという考えもあるようですが、こうなると航空機と変わらないような状況となると思うのですが、騒音や大気汚染などの公害に関してどのような考えをお持ちですか。」
「我々は推進力の大きなものとしてジェットエンジンを提案しただけで具体的にはまだあまり考えていません。ご指摘いただいた公害問題については次回までに調査をします。」
「極低温における超電導現象を利用して磁気浮上するという考えもあるようですが、超電導になれば電流は永久に流れ続けるのですか。」
「はい、そう考えております。一九一一年にオランダのライデン大学のカメリン・オンネス教授が液体ヘリウムの中で発見した現象です。車両側に超電導による電流をコイルに流せば磁石ができます。この磁石による磁気と地上のガイド側の磁気の状況で浮上し、推進するものと考えています。」
「超電導になれば電気抵抗がゼロになってコイルに電流が流れ続けるというのは、何か永久機関のようなことを考えているような気がします。確か永久機関は存在しえないと物理学では習ったように思いますが、その点は大丈夫なのでしょうか。」
「ガイド側の磁気状態を最適にコントロールするという意味において永久機関ではありません。また液体ヘリウムを作成する冷凍機には大量のエネルギーが必要ですので、その意味においても永久機関ではありません。液体ヘリウムの温度、摂氏マイナス二百六十九度で超電導状態を作ったコイルに電流を流し、その後電源を切ってコイルの両端を短絡状態にすると電流が流れ続けるのですが、本当に永久に流れ続けるかどうかは現在実験中です。現在のところ一万時間になりますが電流の減少は起きていません。この実験は今後も継続する予定です。」
「それではよろしくお願いします。」
「超電導を使うグループはリニアモーターも使おうとしているようですがそれはなぜですか。」
「リニアモーターは機械的減速機構を持たないので、高速な走行が可能になるためです。リニアモーターに関してはいろいろな研究機関でリニア直流モーター、リニア同期モーター、リニア誘導モーターなど、いろいろな方式が検討されているようなので、その研究成果を見守りながら我々のグループで採用するリニアモーターの方式を見極めたいと思っています。」
「それでは最適な見極めをよろしくお願いします。」

会議が終わると会議室はたばこの煙でむせ返るような雰囲気になりました。この頃はまだ禁煙の思想のない時代でしたので成人男性はほとんどの人が喫煙しましたし、成人女性でも一割~二割の人が喫煙しました。また先ほども述べたように会議中禁煙の思想もなく会議中も平気でタバコを吸う人が大勢いました。

会議ではいろいろな種類の輸送機関が提案されましたが、超電導磁気浮上式鉄道と空気圧浮上方式以外は、綿密な検討がされておらず、アイデアの出しっぱなしの議論もたくさんありました。
超電導磁気浮上方式に関しては上層部の京谷好泰(きょうたに よしひろ)さんが中心になって進めているという話は彼も研究所内で聞き知っていました。

研究所員といっても人間ですから昼休みには広場でボール投げなどをして遊ぶ人が大勢いました。また、鉄道技術研究所は東京都国分寺市の国立駅近くにありましたが、当時は民家もまばらで緑の多い閑静な場所でした。

彼は物理学を専攻しただけあって極低温状態における超電導現象は知っていましたが、それが鉄道というような大きな乗り物に応用できるとはなかなか信じられませんでした。一方、もしそれが実現できるとすれば大変素敵なことだと胸を躍らせました。彼はしばらくして「次世代輸送機関の研究会」を主催している部門に配属を希望し、受け入れられました。その研究に直接携わっている人は三人しかいませんでした。三十歳くらいの主任研究員、黒金徹と、二十八歳くらいの研究員、岩本賢治、それから研究補助の二十二歳くらいの女性、住谷紀代江でした。彼女は実験データやシミュレーション結果の整理のほか、勤労的職務もしていて研究員たちとのおしゃべり相手にもなってやるという研究グループに安らぎの場を与える役目をしていました。大きな輝く瞳と二重瞼、少しピンクがかった頬、いつも湿った小さな赤い唇、きめの細やかな白い肌に彼は一目で魅了されてしまいました。
「次世代輸送機関の研究会」の会合におけるたくさんの参加者は、他の研究室にいても新幹線に次ぐ次世代の輸送機関に興味を持った有志の人たちによるものだったのです。

「今日は浮橋さんの歓迎会を国立駅のいつものところでする予定なんだけど都合の悪い人はいますか。」
「異議なし。」
「異議なし。」
「浮橋さんも問題ないですよね。」
「ええ、まあ、よろしくお願いします。」
午後七時ごろになると彼は住谷さんに案内されて国立駅近くの飲み屋に行きました。彼は彼女と一緒に歩いていると思わず手をつなぎたくなりましたが、我慢しました。今日は火曜日だったのでお客さんもまばらでした。黒金、岩本、住谷の三人組に新たに加わった浮橋に加えて京谷さんが彼の歓迎会に参加していました。
「浮橋君、君が超電導磁気浮上に興味を持った理由は何かね。」
「超電導現象については学校で学んでいたので知っていましたが、それが列車という巨大なものを持ち上げ、超高速で走らせるとしたら大変面白いことだと思いまして。」
「君は大阪大学ではどういう研究をしていたのかね。」
「磁性体の研究です。垂直磁気異方性薄膜と言って薄膜の表面に垂直に磁気を帯びる磁性薄膜の物性の研究をしていました。極弱い磁気現象の研究です。列車を持ち上げるような大きな磁界を発生させるような磁力に関しては全く未経験なのですぐにお役に立てるかどうかわかりません。」
「ここにいる三人も強い磁力に関しては素人の連中ばかりだよ。何といってもまだ、次世代輸送機関をどのような方式の輸送機関にするかが決まっていないまさにゼロからのスタートというわけだ。夢だけはあるから楽しみだよ。いろいろやることもたくさんあるから忙しいとは思うけど頑張ってくれたまえ。」
「はい、わかりました。頑張ります。」

「住谷さんは入社して何年目ですか。」
「三年目よ。私、短大卒だから。」
「仕事は楽しいですか。」
「実験のデータ整理なんか大変だけど、次世代輸送機関って夢があって面白そうじゃないですか」
「休みの日はどうしているの。」
「お友達とハイキングに出かけたり、風景をスケッチしたりしているわ。浮橋さん、あまり食べてないじゃないの。歓迎されているんだから大いに飲んで大いに食べなきゃ損よ。」
「はい、はい、わかりました。大いに食べて大いに飲むよ。」
「浮橋さんは関西の出身だから東京のことはあまり知らないでしょう。」
「ええ、全然わかりません。都内の雑踏は激しすぎてうんざりです。」
紀代江は浮橋の神妙な態度に好感を持ちました。
「今度の日曜日、私と一緒に近くの山にハイキングに行きません。帰りに少し東京案内もしてあげるわ。」
「ええ、いいですけど。どこの山ですか。」
「そうねえ、高尾山なら近くて手ごろだわ。」
「じゃあ、そこにしましょう。どこで待ち合わせしますか。」
「九時に京王線の高尾山口駅で待ち合わせにしましょう。」
「じゃあ、よろしくお願いします。」
歓迎会は十時ごろにお開きになり研正は国立駅近くの一LDKのアパートに帰りました。


日曜日が来ました。今日は十月初旬らしい快晴のやや気温が高い日でした。研正は高尾山口駅に九時十分前につきました。すぐに紀代江も来ました。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「ケーブルカーに乗って山の中腹まで行きましょう。」
二人はケーブルカーに乗って終点の高尾山駅まで行きました。景色を眺めながらおしゃべりをして山を登っていきました。みずみずしい緑の葉や木々の中を歩いているうちに二人の心は自然に寄り添いました。途中でお昼が来たので草原に座って昼食を摂ることにしました。紀代江は二人分の昼食を用意していたので二人で仲良く食べました。研正は西の空を見ると富士山が見えることに気づきました。
「あれ、富士山が見えるよ。」
「ええ、ああそうね。富士山だわ。今日は天気がいいから昼になっても富士山が見えるのね。私たち運がいいわね。」
「そうだね。」
二人は少し休憩した後、再び山登りを始めました。しばらくすると山頂に着きました。高尾山はバラやアヤメ、ユリなどの花に満ち溢れ、二人は自然に手を握り合って歩くようになりました。
「自然がきれいだね。」
「そうね、いろいろな花もきれいだけど、山の緑も都心の緑と比べると色の鮮やかさが違うわ。」
「君もきれいだよ。」
「ありがとう。」
二人は握り合った手をさらに強く握り、木々の奥に入りました。
「僕は君の唇を奪いたくなったんだ。キスをしてもいいかい。」
「ええ、いいわ。」
「住谷さん、君のこと、紀代江ちゃんと呼んでいいかい。」
「ええ、いいわ。」
「僕は紀代江ちゃんのことが好きになってしまったんだ。」
「私も浮橋さんが好きになったわ。」
二人はキスをして抱き合いました。山から下りると二人は京王線で新宿まで行き、紀代江は研正に新宿の街を案内しました。

あくる日、研正は研究所に着くと黒金に次世代の高速鉄道に具備されるべき条件を聞きました。
「君、それはいい質問だな。これは京谷さんが強調していたことなので、ノートにきちんと書き残しておきたまえ。」
黒金はしばし頭の中を整理するため煙草を一服喫い話始めました。
「第一に、高速であること。
東京¦大阪間は直線的なルートを選定することにより四百五十キロメートル程度となるが、これを一時間程度で走行することが望まれる。従って表定時速で四百五十キロ、最高時速で五百五十キロ程度の性能が要求される。
第二に、大量輸送が可能であること。
列車間隔を五分として一列車千二百人程度の輸送能力を有することが要求される。今度できる東海道新幹線でいえば十六両編成に相当する。
第三に、安全・快適であること。
交通機関として必須の要件ではあるが、事故がなく、乗り心地の良いことが要求される。
第四に、信頼性が高く、確実であること。
旅客の予定を乱さないよう、遅れず、天候の影響を受けないもの(全天候型)とすることが必要である。
第五に、妥当な運賃で採算が取れること。
現在価格で考えて(昭和三十七年)東京¦大阪間、五千円程度で十分採算が取れること。このためには特に経済的な方式を選定しなければいけない。
第六に、公害がないこと。
これから開発する交通機関として当然のことではあるが、騒音、振動、大気汚染等の公害問題の起こらないものが要求される。
第七に、便利であること。
利用者の戸口から戸口への移動を考えて在来線及び自動車との連携をよくするとともに、気軽に乗車できるような販売体制とする。また、あらかじめ指定席券を購入しなくても駅へ行けばいつでも乗れるようなシステムとする。
第八に、保守が容易であること。
いくら高精度かつ高度な輸送機関であっても、保守が複雑で時間を要するようでは実用的でないからね。
この八つだよ。わかったか。どの輸送方式がこの八つの条件を満たせるかよく考えてみることだな。」
「わかりました。よく考えてみます。」
黒金主任研究員は京谷さんから直接、指令が来ることもあるようで超電導磁気浮上には並々ならぬ意欲がありました。一方、結婚もしていて子供もいるそうで、家庭にあってはよきパパであるよう心掛けているようでした。


岩本研究員は、超電導磁気浮上に関して関心は持っているものの、空気クッションやプロペラの話にも興味を持つ多面的なところがありました。要するに京谷さんが出した条件を満たすものであれば超電導磁気浮上にこだわらず何でもよいという立場に立っていました。

超電導磁気浮上に関しては何一つ実証のない現実においては、研正も超電導磁気浮上という物理現象には物理学を志すものとして深い興味はあるものの、乗り物としては空気クッションによる方法でもジェットエンジンによる方法でも京谷さんが提示した条件を満たす限り何でもよいと考えるのでした。超電導磁気浮上方式に関しては理屈の上の可能性は十分理解できるので実際に実験として実現可能性を証明できるものができるだけ早くほしいと思いました。


低温という場合、いったい何度までの低温があるのでしょう。物理学の理論によれば低温といっても最低の温度があり、それは摂氏マイナス二百六十三度です。この温度より低い低温はあり得ないのです。この温度になると物質の熱運動がゼロになってしまい原子は静止してしまうからです。ヘリウムという原子がありますが、これは摂氏マイナス二百五十九度で液化します。オランダのライデン大学のカメリン・オンネス教授は一九〇八年にヘリウムの液化に成功しています。そしてある種の物質を液体ヘリウムの中に入れると電気抵抗がゼロオームになるということを発見したのです。電気抵抗がゼロになればある回路に電流を流していた場合、電源を切っても電流は永久に流れ続けます。ある特定の材料で作ったコイルを液体ヘリウムの中に入れて電圧を加えて電流を流し始めた後電源を切ってコイルの両端を短絡してやると電流は永久に流れ続けます。コイルに電流を流せば電磁石になります。つまり電流の流れる方向に従ってコイルの片面がN極、反対の面がS極になります。コイルを液体ヘリウムの中に入れた状態でという条件に限定されますが、あたかも永久磁石のようにふるまうのです。超電導になる材料はその材料に流れる電流がある一定の大きさになると(臨界電流)超電導が壊れます。またある一定の磁界(臨界磁界)以上の磁界にさらされても超電導が破壊します。つまり常電導になってしまうということです。超電導になる線材をコイル状に成型して液体ヘリウムの中で電流を流して電磁石にした場合、自分自身が発生する磁界がある一定量(臨界磁界)以上になると超電導が壊れます。これをクウェンチといいます。当初はわずかな磁界でクウェンチを起こし超電導状態は破壊されました。一九六一年にアメリカのベル電話研究所で八万八千ガウスの磁界においても超電導を維持する材料が発見されました。一般に市販されている強力磁石でも直径十ミリメートルで厚さが二ミリメートルのもので約八千五百ガウスの磁界強度となりますのでいかに強力な超電導の電磁石が作られたか想像できると思います。ニオブ3・錫という材料でした。さらにクウェンチに至る電流値ができるだけ大きい材料で線材としてコイルに巻きやすい材料を探しました。その結果チタンとガドリニウムの合金が十万ガウスの磁界にも耐えることがわかりました。

研正は超電導磁気浮上方式に興味があるものの、鉄道技術研究所の一年生社員として黒金主任研究員の指示に従って空気クッション方式の模型を岩本さんと共同で作りました。電車の車両を幅十センチメートル、長さ三十センチメートルぐらいに縮小した模型を岩本さんが持っていました。
「この電車の底部の四つの角に圧縮空気を下に噴出するノズルをつけるよ。」
「電車が平行に浮かぶためには四つのノズルから出る空気の圧力を制御しなければいけないね。」
「そのためには電車の底に左右の傾きを検出するセンサと前後の傾きを検出するセンサを付けなければいけないな。」
「四つのノズルから出す空気圧の制御をするプログラムについてはミニコンピュータ(ミニコン)で作るから僕に任しておいて。」
「じゃあ、よろしくお願いします。」
「これで電車はうまく浮かぶと思うけれど、電車を前に進めるための方法をどうしようか。」
「電車の前にプロペラを付ければいいのじゃないか。」
「そうだね。その方法でやろう。」
岩本さんにミニコンのプログラムは任せ、研正はセンサの取り付けやプロペラとそれを回すモーターの取り付けをしました。
「よし、これで出来上がりだ。」
「じゃあ、うまく浮くかどうか実験しましょう。」
「それじゃあ、スイッチを入れるよ。」
カチン
「ああ、電車が浮かんだ。プロペラで前にも進んでいる。」
「ああ、成功だ。」
電車は平行に二センチメートルぐらい浮かび、プロペラの回転によって毎秒一センチメートルぐらいのスピードで前に進みました。
二人は紀代江の事務机の椅子の周りに下向きに圧縮空気を噴出できるノズルを六ヶ所ほどつけ紀代江が椅子に座っているときに圧縮空気を噴出させました。
「あれ、私ふわふわするわ。どうしたのかしら。・・・・。私、宙に浮いているわ。誰か助けて!」
「ごめんね。僕たちがいたずらしたんだよ。圧縮空気だけで椅子が十センチメートルぐらい浮いたよ。」
「岩本さんと浮橋さんのいたずらだったのね。もう許さないから。」
「これも次世代輸送機関の研究の一つだから許してくれよ。」
「今日の昼食は二人のおごりよ。」
「わかったよ、紀代江ちゃん。ごめんね。」
「それにしてもこの空気の噴出音って、すごいわ。音が大きすぎるわ。実際の電車に取り付けたらもっと大きな音になるんじゃない。」
「そうだね、空気圧法は空気の噴出音の大きさが問題だな。」

超電導磁気浮上方式の実験はそう簡単にはできません。研正は摂氏マイナス百九十六度の液体窒素を取り扱った経験はありますが、摂氏マイナス二百六十九度の液体ヘリウムを取り扱った経験がありませんでした。その液体ヘリウムの中にコイルを入れて電流を流し電磁石を作るといっても気の遠くなるような話でした。

研正はもっと簡単な方法で磁気浮上と列車の進行を確認できる方法を考えました。研究室に配属になって二年目ごろに新しい実験を考え付きました。今回の実験も岩本さんの力を借りようと思いました。
「そもそも列車に液体ヘリウムの容器と、その中に大電流で磁化したコイルを入れることは大変だから「超電導磁気浮上式」という言葉には反するが列車に載せる磁気は永久磁石で代用したら簡単だと思うんだ。」
「と言うことは、例えばN極を下向きにしたできるだけ強力な永久磁石を列車の模型の底に付けて、路面側にはN極を上にした磁石を付けるということだね。」
「列車の底に付けた永久磁石の真下には路面にN極を上にした磁石を置き、その前方の路面にはS極を上にした磁石を置けば、列車は浮いたままで前に進むと思うんだ。路面の磁石を電磁石にして一定間隔で並べ、電磁石の極性をミニコンでコントロールしてやれば浮いたままで継続的に前進できると思うんだ。」
「よし、わかった。ミニコンのプログラムについては僕に任しておいてくれ。空気クッション方式のように浮いたままで前進するようなプログラムを組んでやるよ。」
「岩本さん、よろしくお願いします。」
二人は列車の模型を使って永久磁石や電磁石の固定を行い、ミニコンで電磁石の制御プログラムを作りました。
「よし、これでできたはずだ。スタートしようか。」
「この実験は超電導磁気浮上式列車の基礎のそのまた基礎にあたる実験だから、黒金さんにも立ち会ってもらったほうがいいんじゃないですか。」
「それもそうだね。それじゃあ、僕が黒金さんを呼んで来るから待っていてよ。」
「はい、わかりました。」
黒金主任研究員がやってきました。
「超電導磁気浮上式列車の基礎の基礎の実験というのはどういうものかね。」
「列車の底の磁力を永久磁石にし、路面の電磁石の列の極性をコントロールして、浮上したままで前進するようにしたものです。まあ、見ていてください。スタートします。」
カチッ
「アアッ、列車の模型が浮かんで前に進んでいる。」
「成功だ。岩本さん、良かったですね。」
「やあ、成功だね、浮橋君。」
「列車には永久磁石を使っているから磁力が弱いため浮上量は五ミリメートルぐらいだが、一応浮いて前進しているね。前進のスピードは毎秒一センチメートルぐらいだ。大成功じゃないか。岩本君、浮橋君。」
「列車のスピードについてはプログラムを変えれば、いかようにも変えることができます。」
「そうだね、この実験のポイントは磁気浮上させた列車をどのような仕組みで前進させるかだったんだな。」
「浮上量は大電流が流せる液体ヘリウムに漬けた超電導磁石を使えば十センチメートルぐらいは問題なく達成できると思います。」
「ああ、そうだ。浮上量に関して京谷さんから厳しく言われていたことを君たちに言うのを忘れていた。それは浮上量を十センチメートル以上にすることだ。日本は地震国だ。地震は頻繁に起こるので地殻変動も起こりやすい。従って超電導磁気浮上式列車を実現するにあたっては浮上量を十センチメートル以上にしなければいけない。このこともノートに記録しておきたまえ。」
「はい、わかりました。」
「今後は液体ヘリウムの容器の仕組みや、大電流を流しても超電導が壊れない超電導磁石のコイルの材料について研究してくれたまえ。」
「はい、わかりました。黒金さん。」
「この実験の結果については京谷さんに報告したいので、浮橋君、報告書の作成を至急お願いする。」
「はい、わかりました。」
後日聞いた話では京谷さんも感心していたそうですが、やはり
「列車に超電導磁石を搭載できればもっと画期的なんだがなあ。」
と言っていたそうです。
そこで、研正はもっと低温工学について学ばなければいけないと思いました。


さて、磁気浮上といった場合、どのようにして浮上させることが考えられるのでしょうか。
第一に研正達が試作したように車上にN極を下にした永久磁石があり、その下の路面にN極を上にした常電導磁石がある場合が考えられます。この場合車上のN極と路面のN極が反発しあって浮上します。しかし反発力は不安定で列車は左右または前後に傾いて転倒してしまいます。また浮上力も永久磁石を使っているので磁力が強くなく大きな浮上量は望めません。この構成の場合、左右及び前後に転倒を防ぐためのガードを付けることによって浮上量は少しですが、安定して浮上させることができます。
第二の方法はN極とS極の吸引力を用いて浮上させる方法です。N極とS極の吸引力を機械仕掛けで車体と路面間の反発力に変えるのです。この場合、N極とS極の吸引力はお互いの距離が近づくと急激に増大するため、両極がくっついてしまいがちです。これを防ぐためには両極の位置の迅速かつ正確な制御が必要になります。従ってこの場合には制御機器の設計製作にコストがかかります。
第三の方法は電磁誘導という現象を利用する方法です。磁界の中に導体がある場合、磁界の変動があったとき、導体に電流が流れ磁界の変動を抑制しようとする性質があるのです。例えば車両の底にN極を下にした超電導磁石を置いた場合、その下の路面に両端を短絡したコイルがあると、車両が右から左の方向に進んでいると車両の超電導磁石が路面のコイルに近づいている間はコイル周辺の磁界が強まっているため、その増加を減じようとしてコイルに電流が流れN極を上とする磁界が発生します。車両の底のN極と路面のコイルの上面の誘導されたN極が反発して浮上するわけです。車両に超電導磁石を使った場合、超電導磁石の磁界は永久磁石より大幅に強くできるので反発力を大きくでき、浮上量を十センチメートルぐらいにできます。現在超電導リニアモーターカーで採用されている方法はこの方法を用いています。


昭和四十一年(一九六六年)、米ブルックヘブン国立研究所のJ.R.パウエルとG.R.ダンビイが米国機械学会で超電導磁石を用いた磁気による浮上・案内の方式を発表しました。また、昭和四十四年(一九六九年)には彼らはリニア同期モータによる推進について発表しています。その後、各種模型を用いた実験を行っていますが大きな進展はありませんでした。
同じ年の四月に鉄道技術研究所からMHD発電(ファラデーの電磁誘導の法則を用いた最先端の発電技術)の超電導磁石を交通機関に改良すれば画期的な輸送機関が作れるという案を研究プロジェクト案として国鉄上層部に提出したところ、「大変面白そうだが、このままプロジェクト化すると信用を失う可能性がある。」ということで、一年間は発表禁止になり、内密に調査研究だけ進めるということになりました。この考えはまさに現在のリニアモーターカーの原理に合致するもので一年間封印されていたとはいえ素晴らしい目の付け所であったといえます。当時、MHD発電用超電導磁石を開発し供給していたのが日立、東芝、三菱電機でしたが、この三社が今でもリニアモーターカーの超電導磁石を供給しています。
従って、超電導磁気浮上式列車の生みの親は米国ですが、その技術を育て上げたのは日本であるということになります。


今日は昭和三十九年十月一日、新幹線開業の日です。開業式は東京駅の新幹線ホームで挙行されました。新幹線建設に尽力した十河信二前国鉄総裁も島英雄元技師長も招待されませんでした。十河前国鉄総裁は自宅のテレビで見守ったそうです。ただし、当日十時からの国鉄本社での開業式典には十河さんも招かれ、昭和天皇から銀杯を賜りました。研正たち研究員も開業式は研究室のテレビを見て歓声を挙げていました。やはり「新幹線はすごい」と皆が思いました。そしてその次に来る超高速輸送機関はもっと素晴らしいものにしなければいかないと思い身の引き締まる思いがしました。


十二月になりました。二十日に新宿で研究室の忘年会が開かれました。黒金主任研究員は三人を前にしてあいさつしました。
「皆さん、今年はご苦労様でした。新幹線も無事開業し、いよいよ次期の超高速輸送機関が現実味を帯びてきました。いろいろな輸送方式について文献を調べたり実験やシミュレーションをしてくれましたが、来年はどの方式にするかの決着がつく年になるのではないかと考えています。浮橋君や私が関心を持っている超電導磁気浮上式の列車については、もう少し臨界磁界(超電導が壊れない最大の磁界)の高い材料が現れないとむつかしいのではないかと思っています。いずれにしても東京ー大阪間を一時間程度で結ぶ超高速で安全かつ無公害な列車を作り上げることは我々の夢であるとともに日本経済の発展に大いに寄与するものと確信しております。来年の皆さんのますますのご活躍を心からお祈りします。以上で私のあいさつは終わりにします。みんな大いに飲んで食べてください。」
研正はいつものように紀代江の横に座りました。彼女は彼にビールを注ぎました。彼も彼女に注いでお互いに乾杯しました。
「紀代江ちゃんの唇ってどうしていつもうるんでいるように湿っているの。」
「それはたぶん口紅のせいよ。」
「思わず口づけしたくなるよ。」
「研正さんならいいわよ。今でも。」
「みんなのいる前じゃ、まずいから後にしておくよ。」
「それにしても一昨年の空気クッションで私を持ち上げたのにはびっくりしたわ。でもあの時も言ったように空気を噴出させる音が大きすぎて実用には不向きよ。」
「空気浮上方式については各国で研究されているんだけれど、やはり空気の噴出音が問題になっているんだ。だけど空気を受ける側のパッドの形を工夫すれば少しは軽減できることがわかってきているよ。それから東北大学では空気を垂直に極少量噴出することによって浮上量は二ミリメートルぐらいと小さいけれども音の小さなシステムも研究中なんだ。」
「だったら今度は東北大学方式でお願いするわ。浮上量も少ないし音も小さいのなら周りの人に迷惑にならないから。それにしても空気浮上方式しか新しい方式は考えられないの。」
「名城大学で音速滑空というものが研究されているよ。真空チューブの中を円筒体の乗り物が、最初はロケットで推進され、次いで惰力により時速千~二千キロの超音速でチューブ内に設けられたローラー上を滑走するものなんだ。」
「それじゃあ、名城大に行って詳しいやり方を聞いてきてよ。」
「そうするつもりでいるんだ。今日は新宿だから忘年会が終わったら、二人で新宿の街を歩かないか。」
「ええ、いいわ。」
二人は指切りげんまんをしました。


忘年会がお開きになった後、二人は新宿の街を歩きました。しばらく歩くと宝飾品を売っている店がありました。研正は紀代江に指輪を贈りたくなりました。
「今日はそんなにお金を持っていないので高価なものは買えないけれど婚約指輪代わりに指輪を買ってあげたくなったんだ。」
「私と結婚してくれるの。」
「紀代江ちゃん、僕と結婚してくれないか。愛しているよ。」
「ありがとう。私も研正さんのことが好きよ。結婚してくれるんならうれしいわ。」
研正は彼女の左手薬指にはまるシルバーのきれいな指輪を見つけました。
「これにしよう。入れてみてごらん。」
「ちょうどよく合うわ。素敵な指輪ね。ありがとう。」
「これを婚約指輪だと思ってくれ。年が明けたら結婚しようよ。」
「わかったわ。私、うれしいわ。」
二人は宝飾店を出てしばらく歩くとネクタイ屋さんがありました。紀代江は研正にネクタイをプレゼントしたくなりました。研正はいつも同じネクタイをしていたので、たまには違ったネクタイをしてもらいたかったのです。
「私、さっきのお返しというわけじゃないんだけど、新しいネクタイをしてほしいの。私がネクタイを選んでプレゼントしたいの。受け取ってくれる。」
「そりゃあ、もちろんだよ。紀代江ちゃんがネクタイを選んでくれれば喜んでそれをして会社に行くようにするよ。」
「最近は細身のネクタイが流行っているのよ。このブルーの縞模様なんかどうかしら。」
「うん、これ似合うかな。」
「とっても素敵よ。これにしましょ。」
ネクタイ屋さんを出て新宿駅のほうに戻りました。二人は新宿駅で抱き合いキスをしてそれぞれの家に向かってお別れをしました。


年が明けました。仕事が始まり研正はいつも通り研究所に出社しました。研正は紀代江を呼び止めて
「今晩、国立駅のいつもの喫茶店で話ができないかな。」
「ええ、いいわ。じゃあ、七時にいつもの喫茶店で待っているわ。」
七時が来て研正がいつもの喫茶店に行くと紀代江が待っていました。
「紀代江ちゃん、お待たせ。」
「コーヒーを注文しようかしら。」
「じゃあ、お願いするよ。」
「実は今日来てもらった件なのだけど、僕たちの結婚後の生活スタイルについてお願いがあったんだ。」
「何よ、お願いって。」
「僕の出身は四国の香川県高松市で、現在年老いた貧しい両親が住んでいるんだ。両親の家庭は貧しかったので僕の大学院に行く費用も苦労して作ってくれたんだ。育英会の特別奨学金も借りていたけれど、それでは足りなかったのでね。父は六十四歳で糖尿病を患っているんだ。母は六十二歳で四十歳ころから目の難病にかかっていて現在ではほとんど全盲に近い状態なんだ。中年になってから目が悪くなったから生まれつき全盲の人に比べると全く不器用なんだ。そんな両親なんだけど僕は君と結婚してからは両親を引き取って扶養したいんだ。君にとってみれば新婚当初から舅、姑のいる生活になるから大変だろうと思うけれど我慢してもらえないかな。」
「研正さんのご両親なんだもの私に世話をする義務があるのは当然だわ。わかりました、お父様、お母様については私が責任をもってお世話します。ところで結婚の日取りについてまだ聞いていないわ。それに新居も今の研正さんのアパートじゃ狭すぎるわ。」
「新居については両親とも同居だから部屋数の多い広いアパートがいいと思うので至急不動産屋さんに話をして探すよ。結婚の日取りについてはまだ両親にも君のことを話していないというのが実情だから三月末ごろを考えているよ。紀代江ちゃん、それでいい。」
「わかったわ。私の両親にも会ってもらっていないから至急一緒に会いに来てほしいわ。」
「わかったよ、君のご両親には二月初めの日曜日にでも会いに行くよ。」
「よろしくお願いします。」
「結婚式と披露宴は高松市のホテルで行いたいんだけどそれでいい。」
「私の両親が納得してくれればそれでいいわ。」
「新婚旅行のことはまだ何も考えていないので、紀代江ちゃんも考えてくれないかな。」
二人はコーヒーを味わいながら飲んで、お別れの抱擁とキスをして帰途に着きました。

研正は次の日曜日には開店と同時に不動産屋さんに行って両親と新婚の夫婦が同居できるような部屋数が多く、ある程度広いアパートがないか相談しました。アパートというのではなく一戸建ての家になるのですが神奈川県相模原市になら五LDKの空き家があることがわかりました。敷地は二百平方メートルあるので将来自動車を買っても駐車場には困りません。研正は紀代江を至急呼んで、二人で不動産屋の人の案内で現地を見学に行きました。相模原市緑が丘二丁目というところで宅地開発が始まったばかりのところでした。空き家の周りは雑木林が多くタヌキやキツネも時々見られるそうでした。空き家から百メートルほど南に行ったところに二百メートル四方ぐらいの分譲用の雑木林を切った草原の広場がありました。二人は都内に比べ緑の多い環境が気に入りその空き家を借りることにしました。

三月十日に高松市のホテルで結婚式を挙げ披露宴を催しました。京谷さんが来賓としてスピーチをしてくれました。新婚旅行は別府の温泉に行きました。新婚旅行も終え相模原市の新居に落ち着いて二か月ほどたった五月半ばに研正の両親を新居に引き取りました。北里大学病院が近くにあったので両親の病気の治療にはその病院に通わせることにしました。このようにして研正夫婦と研正の両親との相模原市での生活が始まりました。
三、相模原市での生活
「もっと、もっと、走れ!走れ!」
タローは六、七匹の犬と一緒になって、広場の端から端まで駆け抜けて研正のいるところに戻ってきました。ここは研正の家から百メートル南に行った広い空き地でした。犬好きの仲間が集まってそれぞれの犬を鎖から外して自由に駆け回らせているのでした。タローは雑種の雄で生後七か月の子犬でした。国立駅のアパートから引っ越すときに近所の人からもらったものです。

「うちのチャッピーは体がでかいのに走るのが遅くて情けないな。」
「あの一番丸っこいのが、うちのゴンタで、しょっちゅうこけてばかりだなあ。」
「今日はこんなにたくさんご馳走を持ってきたから、走るのが疲れたら食わしてやろう。」
ザク、ザク、ザク・・・・
ほとんどが三十代か四十代の六、七人の男女で土、日の午後四時ごろにこの空き地に集まる習慣になっているのでした。研正はこの近くに四か月ぐらい前から住み始めた新参者でした。皆、普段着で気楽なものでした。今日は七月の初め、少し夏らしい蒸し暑さを感じる白い綿雲が点々と浮かんでいる晴天の日でした。タローとスーチャンは仲良しでした。その二匹を一緒にするといつもお互いのお尻の臭いを嗅ぎあって、そのうちじゃれあいになりました。スーチャンは小型の白に茶色の縞模様がある雑種の雌で、飼い主は聖子さん、素朴だけど髪が胸まで長く、まつげをカールしていて鼻筋の通ったちょっとかわいい二十四歳の女性でした。散歩のときはいつもベージュのUVキャスケットをかぶっていました。彼女は研正の家の西の方角百メートルぐらいの古そうで大きな家に住んでいました。彼女は家族と一緒にトリマーをしていて、いわば犬の専門家でした。ここに引っ越してきて間もなく、タローが散歩中に自動車にぶつかって、頭が二倍ぐらいに腫れたとき相談したら、すぐに動物病院に連れて行くように言われました。脳内出血の疑いがあるそうでした。病院に連れて行くと、やはり脳内出血で、動物園の虎などが金属の檻に頭を激突して脳内出血になったときに打つ注射と同じような一本一万円もする注射を打たれました。おかげで命拾いしました。聖子さんはタローの命の恩人です。聖子さんはきれいなのにまだ独身だそうでした。男の人と付き合っている様子もなく陰ながら心配していました。

「聖子さん、そろそろお年頃じゃない。結婚は考えていないの。」
「いつもたくさんの犬に囲まれて忙しいから結婚なんて考えていないわ。」
「犬がとっても好きなんだね。」
「そうね、私のお友達はワンちゃんね。特にスーチャンは別格よ。」
空き地で一時間弱遊ばせた後それぞれの犬は鎖を付けられ、思い思いの散歩道をたどっていきました。研正もタローをもう三十分ぐらい散歩させた後、家に戻りました。今はまだ犬小屋も作っていないので段ボール箱に入れてやりました。側面に大きく穴をあけて自由に出入り出来るようにしていました。近日中に本格的な犬小屋を作るつもりでいました。

北隣の家は古くからあったようで、お祖母さんとご主人が最近肝臓病で亡くなった未亡人と小学生の男の子二人の四人家族でした。ご主人が勤めていた会社は親切で、彼の死後奥さんを事務員として採用してくれていて彼女は働いていました。
研正は会社から早く帰れる土曜日と日曜日にはタローの散歩に行くことにしていました。聖子さんの家は前にも述べたように家族で犬のトリミングをしているのですが、犬を預かるようなこともしているようでほとんど毎日聖子さんが四、五匹の犬を連れて散歩に行く様子が研正の家から見えました。
次の日曜日、彼はとうとう決意して本格的な犬小屋を作ってやろうと思って近くのDIY店に行って幅が八センチメートルぐらいの板をたくさんと屋根にするための平板二枚を買って組み立て始めました。組み立てが完成すると屋根に空色のペンキを全面的に塗り正面の上の部分にこげ茶色のペンキで「タローの家」と書いてやる予定でした。作業は土、日にしかできないので完成するまでに三週間かかりました。今までの段ボール箱に代わって木製の犬小屋を据えてやるとタローも嬉しそうに入りました。彼は聖子さんから牛の骨や内臓を食べさせると健康にいいと聞いていたのでそういうものを売っている店を探して時々買っていました。
ある日曜日も聖子さんと一緒に犬の散歩に出かけました。空き地で遊ばせた後、タローとスーチャンを二人で一緒に近くの公園に向かって散歩させました。
「聖子さんの家では家族そろってトリミングの仕事をしていると聞いたけどご両親と聖子さんの三人でやっているの。」
「うちは父が私の小さいころ亡くなったから母と私の二人でやっているのよ。母は六十歳を過ぎてからだんだん体力が落ちてきてそれを補助するのが大変になってきたわ。」
「二人じゃ大変だね。それでトリミングの仕事だけでなくて犬を預かるような仕事もしているの。毎日たくさんの犬を連れて散歩に出かけているみたいだけど。」
「犬のホテルは原則的にしないことにしているんだけどお得意様に頼まれると断り切れなくて一日ぐらいなら預かることもあるのよ。」
スーチャンンが電信柱の付け根のところにウンチをし始めました。
「最近は犬のウンチはビニル袋に拾って持って帰らなくてはいけなくなったから大変だね。」
「面倒なことは面倒だけど社会道徳みたいなことだから仕方がないんじゃない。」
「そうだね。確かに道端に犬のフンがあると気持ち悪いものね。ところでお母さんは何歳ぐらいなの。」
「六十六歳よ。さっき言ったように体力も落ちているんだけど、最近は物忘れもひどくなってきたわ。お得意様の名前も忘れることが多くなってきて、ましてや新しいお客様の名前なんかほとんど覚えられないみたいなのよ。お客様の名前を覚えるなんて商売の基本でしょ。これにはまいってしまうわ。」
「大変だね。老化が進むのは仕方のないことなのであまり無理をしないように頑張るしか仕方がないのかな。それから聖子さんは付き合っている男の人なんていないの。」
「・・・・。・・・私、三年前まで付き合っていた人がいて結婚しようとも思っていたの。三年前のある日、相模原駅の近くを歩いていたら駅の陰でその人が若い女性と抱き合ってキスをしているのを目撃してしまったの。私、心臓が止まってしまうほど驚いたわ。本当に自分の目を疑ったわ。でも事実は事実だったのよ。あとで彼に電話して聞いたら最初は言い渋っていたけど本当のことを話してくれたわ。彼には昔付き合っていた女の人がいて婚約までしていたんだって。ところがその女の人、職場のある男から強烈にお付き合いを迫られて断り切れなくなってデートをしたのよ。その時の相手の人が思いのほかすごく優しくって思いやりがあって気持ちがその人のほうに行ってしまったのよ。それで結局婚約解消になって彼は一人ぼっちに戻ったというわけ。それでしばらくして私と知り合いになって交際を続けていたのよ。彼も私との結婚については真剣に考えていたそうよ。もう次のデートの時にはプロポーズしようとさえ思っていたそうよ。ところが急に元の彼女から手紙が来て彼女はその人と結婚してしばらくはうまくいっていたんだけど次第に彼の愛情が冷めて行ってもう結婚生活が送れないほどになったのよ。それで離婚したんだけどすると昔の彼のことが無性に懐かしくなって手紙を送ってきたそうよ。その手紙の中で、もしまだ一人でいるのなら一度でいいから会いたいって書いていたのよ。婚約を破棄してしまったことについては本当に申し訳なかったと真心からのお詫びの文面があったそうよ。それであの時相模原駅で彼らは会っていたのよ。いろいろ話しているうちに彼も元々婚約していたほどの仲だったんだから急激に気持ちが移ったってわけよ。それで結局私が目撃した現場になったわけよ。その話を聞くうちに彼が一歩一歩と後ずさりして遠ざかっていくような気がして寂しくて悲しくて悔しくて情けなくって、そんな気持ちが一緒になって襲ってきて私はポロリ、ポロリと涙が出てきたわ。二人を結ぼうとしていた赤い糸がスーッと遠ざかっていったのよ。彼は昔の彼女が不幸になってしまったことに耐えられなかったの。その人と一緒になるつもりでお付き合いを再開することを約束したのよ。だから私のことが嫌いになったわけではないけれど今はその彼女を幸せにしてやりたいって気持ちのほうが強くなったのよ。こんな状態で彼と付き合っていくわけにはいかないから私の方から「お付き合いはやめます。」と言ってやったわ。それですべては終わりよ。私は一週間以上泣きぬれて生きているのが精いっぱいだったわ。でも今はもう大丈夫。ちゃんと仕事もできるようになったものね。だけど私は「男性不振の心が凝り固まった状態」になったわ。今でもそうよ。男の人なんかと付き合う気持ちは全然なくなったわ。も、もちろん浮橋さんのことは別よ。」
「それは本当に大変だったんだね。とっても悲劇的な話だよ。そんな話を僕にしてくれるなんて・・・・本当にありがとう。でも確かに仕事ができるまで心が回復したのはよかったね。だけど、「男性不振の心が凝り固まった状態」というのはちょっと行き過ぎかな・・・。年頃の女性がいつまでも一人でいるなんてもったいないよ。それに聖子さんはきれいで魅力的で心もやさしいし、しかもトリマーとしても一流だし結婚しないなんて日本国民の一人として言っても残念至極だよ。何とかならないかな・・・。さっき聖子さんも言っていたけれど、別れた彼は聖子さんが嫌いになって昔の彼女のほうに行ったわけじゃないだろ。彼自身もきっと苦しかったと思うよ。結婚は確かに法律上一人の人とだけしかできないけど、二人の人を同時に愛することは違法じゃないからね。その人もきっと君のことはその時でも、ひょっとすると今でも愛しているかもしれないよ。その人のことはちょっと置いておいてもいいけれどいい人が現れたら心を開いて三年前のことは忘れてお付き合いすることを本当に勧めるよ。人の心は変わるものだよ。大したこともないと思っていた男の人が付き合っているうちに素晴らしい面があることがわかることがあると思うんだよ。でもまあ君も急に気持ちを変えろと言っても急に変えられるわけじゃないからこの話はこれぐらいで切り上げることにしようか。」
二人は公園の中に入っていきました。
「この公園の草や木も七月になると一斉に成長しているように感じるね。白や黄色、ローズレッドのコスモスの花や赤や黄色橙色のケイトウの花もきれいだね。ひまわりも咲き始めているみたいだな。草花や木々がいっぱいあると何か空気が違うように感じるよ。いわゆるオゾン香りというのかな。都会に暮らしていると、こういう新鮮な空気が懐かしく感じるよ。聖子さんはどう?」
「そうね、毎日散歩していても緑の中に入ると、心が洗われるような気がするわ。自然っていいものなのね。
だから犬のフンをそのままにしておいてはいけないのよ。きれいに取り除いてやらないと自然が台無しだわ。いろいろな花の色なんかあまり気に留めずにいたわ。いろいろな種類、いろいろな色の花があるのね。
公園の中のこんな遠いところまで来たのは初めてよ。一緒に散歩させてもらってありがとう。いい思い出になるわ。また一緒に散歩に行きましょうね。大体、タローやスーチャンもおしっことウンチが済んだようなので帰りましょうか。」
「うん、そうしよう。今日はいろいろと話を聞かせてもらってありがとう。またいろいろな話をしながら一緒に散歩に行こうね。」
研正の家のところまで一緒に歩いて、聖子さんは自分の家のほうに帰りました。タローの綱を金属製のものから布製のものに代えて留め金のところに掛けました。家の中に入ると紀代江は夕ご飯の準備をしていました。
「ただいま」
「お帰り。夕ご飯はいつものハンバーグだけど、いい?」
「いいよ、紀代江のハンバーグは特性だからな。」
彼は二階の書斎に上がって読みかけの本を読み始めました。

「ごはん、できたわよ。研正さん。降りてきて。」
一階の両親の部屋をあけて
「お父さん、お母さん、ごはん、できましたよ。」
「はい、ありがとう。紀代江さん」
家族全員が同じテーブルを囲んで夕ご飯を食べました。

「紀代江、お絵かき教室は生徒もいっぱい集まって盛況なようだね。何か問題はないかい。」
「ここら辺は小さな子供が多いから本当に大盛況よ。おもらしするような幼児もいるけれど何も問題はないわ。」
紀代江はスケッチが得意だったので、この家に住み始めてからリビングで幼稚園児や小学校低学年の児童を相手に「お絵かき教室」を始めたのでした。
母は目が悪くなっていたので自分の部屋でカセットテープを聞くことぐらいしかできませんでした。カセットテープは研正が相模原市の福祉センターで借りたものでした。
「お母さん、足の調子はどうですか。」
「うん、ゆっくりとなら痛みも少なくて歩けるよ。食事をするためにはここまで歩いてこなければいけないものね。少しずつ練習しているよ。それから借りてきてくれたカセットテープだけど、夏目漱石の「それから」が入っていて面白いよ。研正、ありがとう」
腰が悪くなってから歩くのが痛くなり歩行困難の状態が進行していました。
「お父さん、体の調子はどう。」
「今日は天候もよかったし、体調もいいよ。」
「研正さん、研究所の方は最近どうなっているの。新しい輸送方式は決まったの。」
紀代江が少し心配そうに聞きました。
「京谷さんは超電導磁気浮上式を進めようとしているみたいなんだが、国鉄全体の総意としてまとめるのは時間がかかりそうだよ。なんといっても超電導磁気浮上式というとレールのない列車だからね。そんな話をすると「気が狂ったか。」とバカにする人もいるくらいだよ。上層部の意向については京谷さんに任せるより仕方がないから僕のほうが基礎的な実験とかシミュレーションに励んでいるよ。もうしばらくは我慢の時だと思っているよ。」
「気長に頑張ってよ。期待しているわ。」
「ありがとう。」

夕ご飯が終わって後片付けもひと段落済んだ後、研正は紀代江と今度のお盆休みの計画について話し合いました。今年のお盆休みは八月十二日から十六日までの五連休ありました。彼は白馬山の白馬ロイヤルホテルが新装開店し、新装キャンペーンということで安く泊まれるので白馬、栂池を中心とした信州秘境の旅を提案したところ妻も大賛成ですぐに決まりました。ホテルの予約は会社から早くしないといけないので月曜日にはしておこうと手帳にメモしておきました。

彼は夫婦の夜の生活は好きなほうなので土、日の夜は必ずしました。紀代江は肌の色が白く透き通っていてきめが細かいので抱きしめてキスをするとすぐに勃起しました。あとは柔らかく膨らんだ胸や乳首を触ったり吸ったりしました。妻もわりと好きなほうなので生理でもない限り彼の要求に応えました。

翌週も夕方、聖子さんと犬の散歩に出かけました。
「私、先週、浮橋さんに三年前のことを話したでしょ。それで浮橋さんにもいろいろ言われたけど、過去にとらわれているだけじゃダメなのかもしれないと思ったの。それで、今、彼がどうしているか確かめに行こうと思うの。彼は昔の婚約者と結婚して幸せに暮らしているかもしれない。それがわかれば嫉妬するし惨めな思いがするかもしれないわ。でも、もし彼がその婚約者と結婚できなくて今も寂しく一人で暮らしているのなら私は彼を幸せにしてあげたいと思うの。自分が傷つくことになるかもしれない危険な賭けよ。でもそういうことをしなければ自分が将来生きるべき道が見つけられないでいるような気がするの。」
「彼に会ってみるか・・・。確かに傷つくかもしれないけど現実を直視してその後の対策を立てるための第一歩かもしれないね。過去の暗い思い出にとらわれているだけじゃ未来がないものね。もし真実を知って傷つくようなら僕に言ってくれたらできるだけのことはするよ。君という花がもし萎れたら全力で生き返らせてあげることを誓うから挑戦してみるといいと思うよ。彼が元の婚約者と結婚して幸せに暮らしているのなら彼の幸せを喜ぶのが真の愛というものじゃないかな。ちょっと厳しい言い方かもしれないけど。」

聖子さんは彼に会うことができました。彼はやはり元の婚約者と結婚して幸せに暮らしていました。子供もできたそうです。彼は聖子さんに「本当に申し訳ないことをしてしまった。」と何度も謝ったそうです。彼の誠実な心を表しているものだと思いました。聖子さんはやはり頼るべき人がいなくなってしまったことを再確認してしまったのです。一人ぼっちになってしまったことを再確認したわけですからひどく落ち込みました。でも彼の幸せを祝福する心の余裕はできたようでした。これが本当の彼に対する愛というものです。

男女の愛はしばしば所有欲と混同されがちです。彼の肉体を得たい、彼と一緒に暮らしたい、そういう気持ちを愛と勘違いしている人が多いようです。しかし、愛とは本当に彼のことを思いやることです、彼の幸せを願うことです。そういう意味で彼女は一歩前進できたのです。また、この現実を素直に認め、もし、いい人に巡り合えればその人と運命を共にする覚悟でお付き合いを始めたいとも言っていました。苦しい経験はしたけれども前に向かって歩みだそうとする決意のようでした。喜ばしいことです。彼女の美貌と心の健全さがあれば、神様は決して彼女を見捨てるようなことはしないであろうと彼は確信しました。
当分彼女との犬の散歩は続くでしょう。

タローは雄犬なので一歳になると発情期になって雌犬、ひょっとすると」スーチャンを求めて遠吠えをしました。また、毛布のようなものを投げてやったとき、たまたまタローの下腹部にあたってそれが気持ちよかったらしく、毛布を下腹部に激しくこすりつける動作をするようになりました。犬がマスターベーションをするとは知りませんでした。力も強くなって散歩中に思ってもない方向に駆けだそうとすると、彼も精いっぱい抑制してやらないとタローに引っ張っていかれそうになることが時々ありました。


ところで、お盆休みの白馬・栂池・信州秘境の旅は研正たち夫婦で出かけました。両親を連れて行くのは無理だったので相模原市の福祉センターに預けることにしました。白馬連邦の大パノラマを間近に望む八方池の絶景を眺め、白馬八方尾根の高山植物を鑑賞しながら散策し、栂池方面にも行き栂池自然公園の湿原のすばらしさに夫婦ともども感動しました。この地域の自然の美しさ、空気の透明度は都会のそれとは全く別物でした。ホテルには温泉もあって夫婦で楽しみました。

この白馬・栂池・信州秘境の旅の約一年半後の二月二十七日に研正夫婦には長男、徹郎を授かりました。

聖子さんのお母さんの痴呆は徐々に進んでいって徹郎が誕生したころには仕事のできる状態ではなくなりました。従ってトリミングの仕事は聖子さん一人でこなさなくてはならなくなったのです。生活のためには収入を減らすわけにはいかず、かといって一人で二人分の仕事もできるわけがないので、聖子さんはピンチになりました。ちょうどそのころ、聖子さんの家から二百メートルぐらい東に行ったところにある家では大工仕事をしていました。長男は三十五歳で父親の仕事を受け継いでいました。次男の文平三十歳はまだ独身で主に兄の手伝いのような仕事をしていました。手伝いといってもかなり腕は立ち、研正の家の補修も彼がしてくれました。仕事ぶりは丁寧で仕上がりも上出来でした。彼は大工だけあって筋肉は隆々としていましたが乱暴ではなくむしろ細かい点にもよく気が付くという性格でした。次男なので婿入りしてもいいとも言っていました。研正は彼に目を付け彼の家に行って文平さんと面会しました。そして聖子さんのことを話しました。彼は聖子さんのような人が近くにいることを知りませんでした。大工の仕事とトリミングの仕事をどう調整するかが問題だなとは思いましたが、二人が仲良くなればそんな問題は小さいことになるだろうとも思いました。翌日、研正は聖子さんの家に行って文平さんのことを話しました。彼女は研正が自分の結婚相手を探してくれていることに驚きそしてとても感謝しました。彼女も文平さんのことを全然知りませんでした。仕事の種類が違いすぎていることを気にしていましたが、「浮橋さんの紹介なら一度会ってみる。」と言ってくれました。研正は文平さんの休みの日を知っていたので、その場で勝手に日取りと時間、落ち合う場所を決めてしまいました。そして研正たち夫婦も同席していわばお見合いのようなものを主催しようとしたのです。彼は紀代江にはこの話は全然していませんでしたが、話せば同意してくれるのは確実だと思っていました。研正はすぐに文平さんの家に行ってお見合いの日取り、時間、場所を伝えました。文平さんはいなかったのですが、お父さんがいたので彼に話をしました。彼も研正が文平のことを考えていることに一瞬は驚きましたが次第に感謝しました。
研正は自宅に帰って妻に聖子さんの件や文平さんとお見合いさせる件について詳しく話をしました。彼女は夫と聖子さんが犬の散歩にかこつけて、そのような個人的な話までしていたことに驚くとともに、聖子さんの結婚相手まで探していたことに呆気にとられました。紀代江は最初は何か嫉妬のようなものを感じましたが、研正が真剣に聖子さんの幸せを願っていることを次第に理解し、お見合いの席に同席することに同意しました。お見合いを主催するなどということは彼ら夫婦としても初めての経験なので二人は前もっていろいろな本を読んで勉強しました。


今日はお見合いの日です。午後一時前に相模原駅の近くの喫茶店に夫婦で行き、二人が来るのを待っていました。二人ともほぼ同時に一時ちょうどに店に入ってきました。研正は本に書いてあった通りにお見合いを進めました。そして二人だけでデートに行くよう勧めました。文平さんは車で来ていたので、相模川沿いにドライブして適当なところで車を止めて川の流れを眺めながら二人でおしゃべりするそうでした。研正夫婦は「車の事故には気を付けるんだよ。」と言って二人を送り出しました。お見合いが終わった後研正たち夫婦は研究所でお互いに巡り合って現在に至るまでを思い出しながら話し合いました。研正は最初に紀代江に会った瞬間に彼女の大きな輝く瞳と明るそうな雰囲気に恋をしてしまいました。一方、紀代江のほうは最初に彼に会ったときは身長も低く顔もまあまあなので特に何も思わなかったそうです。そういうことを聞いたのは初めてだったので彼は少しショックでした。紀代江としては研正達が空気クッション方式で椅子を持ち上げるといういたずらをしたことがほほえましくて好感を持つきっかけになったそうでした。研正たちは二人で昔のことを思い出しながら話すうちに現在の幸せがうれしくなり、徹郎を喫茶店の椅子に寝かしたままでいることも忘れて抱き合ってキスを長い間しました。

デートに行った文平さんと聖子さんは研正達が帰宅後、それぞれから「お付き合いを続けたい。」との回答がありました。あとは二人の相性と努力次第です。神様がきっと彼らを行くべき道に導いてくださるものと信じました。とにかく研正は自分の責任を全うできたことに満足しました。


ところで、以前、研正の家の北隣にお祖母さんと未亡人、二人の小学生が住んでいる家があると述べました。彼の住んでいる緑が丘二丁目には自治会があって、二丁目全体となると広いので近くの十世帯ぐらいを一ブロックとして分割していました。彼の家や北隣の家は同じ第八ブロックに所属していました。回覧物や自治体全体の夜間警備の仕事などがブロック単位で割り当てられるのでした。回覧物は北隣の家、小池さんから頻繁に回ってきました。

研正夫婦が相模原市の家に入居して間もないころ、小池さんの来訪がありました。
ピン、ポーン
「はーい、あっ、回覧版ですか。どうもありがとうございます。ところで小池さんのご主人は肝臓病だったそうでご愁傷さまです。肝臓病の場合動脈瘤ができやすいんですか。聞いたところによると大動脈瘤が破裂したことが原因で亡くなったそうですね。もうひと段落着きましたか。」
「ありがとうございます。主人は肝臓病で、腹部大動脈溜が破裂して失血死したものです。葬儀の参列者に対するお礼のあいさつが一通り終わりましてほっとしているところです。」
「私は仕事の都合で葬儀にも参列できなくて申し訳ありませんでした。ご主人の会社の方が心配して淳子さんを事務員に採用してくれたそうで、不幸中の幸いですね。いい会社なんですね。」
「ええ、主人の勤めていた会社で事務員をさせてもらっています。そのおかげで何とか生活できているんです。ギリギリですけど。」
「あまり無理をしないように頑張ってください。何か問題がありましたら僕に話してくれれば相談に乗りますよ。」
「ありがとうございます。それではこれで失礼します。」
「ご苦労様」
淳子さんはまだ若くて、顔色がよく健康そうで二重瞼の目がきりっとした女性でした。体は少しやせ形ですが胸も大きくウェストは締まっていてきれいな人でした。彼は彼女に性的魅力を感じていました。そして、このまま未亡人にしておいたままではもったいないなと思っていました。


文平と聖子さんとのお見合いが済んで二か月ほどが過ぎ、日曜日になりました。夕方から久しぶりに聖子さんと犬の散歩に行きました。
「この間はご苦労さん。文平さんからも「お付き合いを続けたい。」という電話があったのだけど文平さんはどんな感じ。」
「優しくていい人のようよ。もうしばらくお付き合いを続けてみて結論を出すつもりよ。もともと引っかかっていた大工とトリミングの仕事の問題ももう少し考えてみるわ。私が専業主婦になるかトリマーも続けながら主婦業もするかって問題ね。母の介護の件は協力してくれるって言っていたから問題ないと思うわ。だけど、まだ大工の仕事というのがよくわからないのよね。大工をしている夫の妻の務めはどうあるべきか、全然具体的に思いつかないの。彼自身は前も言った通り優しそうで筋肉も隆々として男性的な魅力はあるわ。だけど二人が仲良く暮らしていけるかどうかはもう少し付き合ってみないとわからないと思うの。」
「そうだね。じっくり付き合ってみてからどう感じるかだね。自分の気持ちに正直に生きたほうがいいと思うよ。僕としてはこの前、「男性不振の心が凝り固まっている」と言っていた人がお見合いに来てくれてしかもお付き合いを始めたいと言ってくれたことだけでほっとしているよ。今は君一人でトリミングしているんだろ。時間がないんだったらこの辺で散歩を切り上げてもいいんだよ。」
「収入は減るけど仕事の量を最近少し減らしたの。だからもう少し散歩しても大丈夫よ。今日はどんな花が咲いているのかな。もう十月になったものね。」
「そうだね。七月のころとはだいぶ違っているようだよ。菊の花とか真っ赤なガーベラ、白に紫の模様のついた萩、真っ白な皇帝ダリアも咲いているよ。萩の花ことばを知っているかい。「想い、前向きな恋」という意味なんだよ。この花、君にプレゼントするよ。文平さんとの想いが前向きな恋だといいのだがな。別に焦らせているわけじゃないよ。十月というともう秋だね。空の色も七月の頃と比べると青さが薄くなったように感じるな。それに空が高くなったようにも感じるね。空気も透き通っていてさわやかだね。」
「萩の花、ありがとう。そんな花言葉があるなんて知らなかったわ。大切にするわ。この公園では四季折々の花が咲いていて、とってもいい場所ね。研正さん、浮橋さんのこと、そう呼んでもいい?」
「もちろんさ、そのほうが親しげでいいよ。」
「研正さんと一緒にこの公園を散歩していると何かお兄さんのような大きな人にもたれかかっているみたいで安心するの。日頃の悪戦苦闘を忘れちゃいそうよ。一緒に散歩に付き合ってくださってありがとう。時間が来たからもうそろそろ帰りにしない。」
「そうだね。ここらへんで止めにしようか。」

家に帰るとタローは激しく水を飲んだ後、おとなしくしっぽを振りながら犬小屋に入りました。発情期も終わったので遠吠えすることもマスターベーションすることもなくなりました。タローは雑種の中型犬ですが結構頭がよくて、お手、お替わり、タッチ、伏せなどの芸をすぐ覚えました。先ほども述べたように彼が牛の骨や内臓を時々食べさせたためか健康で十八歳まで長生きしました。

「ただいま」
「おかえり。今日はカレーなんだけどいい? ちょっと奮発してビーフカレーにしたの。香辛料もいろいろな種類のものを使って本格的なインドカレーにしたのよ。」
「それはおいしそうだね。夕ご飯が楽しみだな。徹郎は寝ているのかい。」
「ええ、まだ八か月だからよく眠るわ。」
「寝顔を見に行ったあと、ちょっと二階に上がってくるからね。」
彼は最近、株式投資を始めました。持ち株の今週の値動きのチェックと、これからの値動きが楽しめそうな有望銘柄の選択のため株式投資の情報誌を読みました。株式投資というのは向き不向きがあるのか、情報誌などでは一年間ぐらいで資産を倍増した投資家の記事が載っていましたが、彼の場合はあまり成績がよくありませんでした。株式投資を始めた目的は銀行の定期預金の利率の二倍ぐらいもうけを出すことだったのですが、まだ銀行の普通預金の利率程度の儲けも出せない状況でした。彼は初心者にもかかわらず信用取引もしていました。ですから値上がりしそうな株だけでなく値下がりしそうな株も投資対象になるわけです。値上がりしそうだと思った株が値下がりしたり、逆に値下がりしそうだと思って信用で売った株が値上がりすることが頻繁にありました。


六か月ほど経ちました。翌年の四月です。桜の花もかなり散ってしまいました。それに反比例するように温暖になっていく毎日でした。午後二時ごろ淳子さんが研正の家にやってきました。何か相談したいことがあるそうです。
「淳子さん、どうしたのですか。」
「あのう、実はどうしたらいいのか困っていることがあるのです。今勤めている会社の社長さんから再婚を勧められて四人の見合い相手の写真と経歴書をもらっているのですが、私は全く再婚する意思がなくてどう対処したらいいのかわからなくなったのです。初めて会社に行ったときはまず最初に社長さんに会ってお礼のあいさつをしました。そのときは「まあ、ご主人がお亡くなりになったのは残念ですけど、聞いたところによると小池さんにはお義母さんと小学生のお子さんが二人いるという話じゃないですか。小池君がいなくなると家庭の収入源がなくなるでしょう。うちも小さな会社だから遊んでいられては困りますが、ちゃんと仕事をしてくれるのなら生活の足しになるくらいの給金は支払えると思いましてね。見ての通りのあばら家で、福利厚生などもあまりよくないのはご存知でしょうけれど、気を取り直してご家族のためにも頑張ってください。」
と言ってくださって昨年の十月ぐらいまでは順調に仕事をしていたのです。十月初旬の午後に社長に急に呼び出されて社長室に行ったんです。すると社長は
「小池さんはもう仕事には少し慣れましたか。」
と言ったので
「はい、おかげさまで仕事のほうは順調にできるようになりました。ありがとうございます。」
と答えると
「私は小池さんのことはずっと見ていたのですが、若くてきれいなんで一人にしておくのはもったいないと思ったんですよ。それで私の知り合いの中にも適当な人が数人いるので紹介しますからよさそうな人がいたらお付き合いをされてみたらどうですか。」
と言って、四枚の写真を見せられてそれぞれの人の学歴、職歴、おおよその年収、性格的な特徴、子供の有無などを説明されたんです。それらのことを書いている紙も渡されました。私は再婚なんて少しも考えていなかったので、突然の話に驚いてしまいまして
「ご親切にしていただけるのはありがたいのですが、まだ気持ちの整理も済んでいない状況ですし、急なお話なので少し考えさせてください。」
といったんです。社長が
「まあ、急ぎはしませんからじっくり考えてみてください。」
と言ったので
「わかりました。それでは失礼します。」
と挨拶して自分の席に戻ったのです。さっきも言った通り再婚なんて全く考えていなかったので途惑ってしまって頭が混乱して、翌日は会社に行けませんでした。四人の方はみな離婚経験者で離婚の理由なんかも書いてありました。しばらくは社長からは何も言われなかったので私も忘れかけていたのですが先日、また社長室に呼ばれると
「この間の件はどうですか、もう五か月ぐらい経ったので結論が出ているんじゃないかと思いましてね。どうですか。」
と言われたので
「すみません。私は再婚のことなんかは全然考えていなかったので、せっかく紹介していただいていたのですがすっかり忘れていました。」
と答えました。すると
「困りましたね。先走って私が勝手にしたのは申し訳ないですが、私は小池さんのことについては、あの四人に話をしてしまっていて、三人の人から「ぜひお会いしたい」との回答を得ているんです。つい最近、先方の一人から「あの話はどうなっていますか」という問い合わせが来て、私も返答に窮したわけですよ。再婚を全く考えていないということですか。亡くなったご主人に未練があるとか・・・、逆に結婚して、忘れられないような嫌な経験をしていて結婚恐怖症になっているとか。小池さんの給料では二人のお子さんを大学に行かすことはできませんよ。ひょっとすると高校も無理かもしれない。それから、これからはお義母さんの介護の費用がかかる可能性だってある。過去のことにいつまでもとらわれていないで前を向いて未来の明るい希望に向かって歩いたほうがいいんじゃないですか。もちろん小池さんの意思は尊重します。プライバシーを侵害するようなことはしません。ですけど前に言った通り小池さんみたいなきれいで性格もいい人を未亡人のままにしておくのはもったいないですよ。まだあの写真とか経歴を書いた紙は持っていますよね。」
と言われました。私は
「はい」
と答えると
「それじゃあ、もう一度考え直してみてください。三週間以内ぐらいに返事に来てください。」
と命令されたので
「はい、わかりました」
と答えました。
それで私、まだ返事していないのです。研正さん、私どうしたらいいでしょうか。何かいいアドバイスお願いできませんでしょうか。」
「社長さんは親切な方なんですね。実は僕たち夫婦も淳子さんの再婚相手としてふさわしい人はいないかと考えていたところなんです。再婚するということを今はまだ全然考えていないということなんですね。社長さんが言ったように未練があるからなんですか、それとも結婚そのものが嫌なんですか。ちょっとその四人の写真と経歴書を見せてくれませんか。」
「私は未練があるわけでも結婚に嫌な思い出があるというわけでもないんです。私、頭が悪いから、何か状態が変化することが怖いというか、状態を変化させようという意欲がわかないんです。これが四人の人の資料です。見てください。」
「「変化することが怖い」、「変化させる意欲がわかない」ですか。でも社長さんが言ったことと同じになりますがお子さんの将来やお義母さんの今後のことを考えたことがありますか。社長さんが言った通りだと思いますよ。別にそのために淳子さんを犠牲にするということではなくて、淳子さんも含めた家族全員が幸せになり明るい未来に向かって歩き出せる道を考えて行動したほうがいいのじゃないですか。もうご主人が亡くなって二年近くたっているので過去にとらわれていないで未来に向かって歩いたほうがいいんじゃないですか・・・・。男の人の写真は四人ともまあまあじゃないですか。経歴や性格もいい人ばかりだ・・・。
離婚の理由に少し問題が感じられる人が二名いましたが、このうちの三名の人から交際の申し入れが来ているのですね。年収なんかはさすが社長さんが選んだだけあって四人とも十分にいいじゃないですか。お義母さんの介護なんかに協力してくれるかどうかはこれからではわかりませんが・・・。両手に花、いや両手に剣、この場合ペニスっていう意味・・・、じゃないですか。ペニスっていうのは冗談ですけど。僕も実は二名ほど紹介したいと思っていた人がいるんですよ。妻も多分、一名や二名は目途をつけていると思います。変化が怖い、意欲がわかない・・・。ああ、そうだ。淳子さん、遊びのつもりでこのうちの一人と会ってみたらどうですか。僕が離婚の理由に関して気にかかる二名を除いて。そうすれば社長さんも顔が立つし淳子さんも一度顔を見て少し話をして、どうしてもいやだったら社長さんを通して断ったらいいじゃないですか。気分転換にもなるし、「新しい男性と会う」ということ自身、淳子さんが怖がっていた「変化をさせる」ことになると思うんです。会ってみておしゃべりしてみたら自分の怖い気持ちも変わるかもしれません。その人に会うという状態を「変化」させるのが怖くなるかもしれません。とにかく一度、自分の殻を破ってみませんか。遊びのつもりで気楽にあってみたらどうでしょう。もしこの四人のうち二人に会ってみても二人とも嫌だったら断ったらいいのです。それでも僕たちが紹介したいと思っていた人が数名いますから。もしやはり見ず知らずの男性に会うことが怖い気持ちが実際に会ってみてもどうしても払拭できないのであればしようがないですね。僕はむしろ「人に会っておしゃべりする」という状態をやめることが逆に怖くなるんじゃないかと楽観的に考えています。会ってみて初めてお付き合いの可能性が広がる、お付き合いをしてみて初めて好きになれるかどうかがわかるっていう道順じゃないかな。それぞれの可能性の中でいい人が見つかればいいのです。会ってみても付き合ってみても嫌だったら遠慮なく断ればいいのですよ。もっと気楽にしたらどうですか。
「わかりました。もう少し考えてみて社長さんに回答したいと思います。今日は本当にありがとうございました。では失礼します。」
「お元気で」
彼が後日聞いたところによると、一人の人とお見合いのようなものをしてお付き合いを始めたそうです。彼女も一歩前進できたわけです。彼女が少しづつでもいいから一歩一歩と前に進んでいけば必ずいつかは幸せの園にたどり着けることを信じました。
淳子さんがお付き合いを始めた人はある証券会社に勤めていて、株価などの動きの原因となる特定の会社の経営状況を調査したり、国内の景気動向を調査するような仕事をしていました。知的職業の人だなと思いました。彼は三十五歳で奥さんとは死別していました。小学二年生の男の子がいるそうでした。彼は余暇にはマウンテンバイクに乗って近くの山をハイキングするという趣味を持っていました。


半年ほどたった昭和四十二年の十一月に、また淳子さんから相談したいということで研正宅に来訪してきました。外は十一月とは思えないほど寒さが厳しく小雪がちらついていて玄関で立ち話するのは寒すぎるなと思うような天候でした。彼は
「ちょっと今日は寒いから、ここでは寒すぎるので中に入って暖かい部屋でお話をお聞きしましょう。どうぞ、上がってください。」
と言うと
「ありがとうございます」
と言って上がりました。彼はリビングのソファーに座ってもらって話を聞きました。
「今お付き合いをしている人は哲郎さんと言うのですが、やさしくて健康そうな人で先日は寒かったけど快晴の日で、一緒に上野動物園や近くの美術館に行ったんです。哲郎さんと一緒にいろいろな動物を見て子供に帰ったような気がして楽しかったです。それで美術館のほうも観て帰ろうとしていた時、突然彼に近くのベンチに座らせられたんです。それで彼、「キスしてもいいかい」と言いました。私は「いいわよ」と答えてキスしたんです。そのあと彼からプロポーズされたんです。お義母さんが今後不自由になったときなどの介護もすると言ってくれていました。九月ごろには一緒に箱根のほうの金時山にもハイキングに行きました。金時さんの発祥の地だそうです。私、そんなこと、全然知りませんでした。もちろんマウンテンバイクで、ではなく徒歩で、ですけど。急な坂のところでは手を握ってくれて登りました。天気も良くて木々の緑も素晴らしかったです。彼は物知りで、草や木の名前もよく知っていて、あの木がケヤキだとかクヌギ、カエデ、モミジなどと言って教えてくれたりしたわ。一緒に行って楽しかったわ。でも私、まだ再婚するって気持ちにならないんです。プロポーズの返事は後からすると言っています。私、どうしたらいいんでしょう。」
彼女は憔悴した表情で説明をし、彼に問いかけました。
「何か今の話を聞くと楽しかった話ばかりですね。問題は淳子さんが依然言っていた「変化するのが怖い」とか、「変化させる意欲がない」と言うことに帰着すると思いますね。哲郎さんとデートして、ハイキングに行ったり動物園に行ったり美術館に行って楽しかったんでしょ。それにお義母さんの面倒を見てくれるとも言っている。淳子さんは以前結婚していたのでしょ。それに結婚していた時、何か特別に嫌な経験があったとも言ってませんでしたよね。だったらなぜ躊躇するのですか。僕が以前言ったとき、「お見合いする」、「お付き合いを始める」ってことも自分の臆病と言う殻を破ることなんだという意味のことを言いましたよね。
彼が嫌いなんですか、好きなんですか。答えてみてください。」
彼は少々あきれた風情で彼女に答えを促しました。
「私は哲郎さんのことを嫌いではありません。優しいし健康だし、物知りなのでちょっと尊敬しています。確かに彼と一緒にいると楽しいです。・・・・好きだといってもいいかもしれません。でもなぜ結婚っていうと踏み込めないんでしょう。」
彼女は頭を傾けて考え込むように言いました。
「僕は以前、遊びのつもりで気楽にお見合いしなさいとか、付き合ってみなさいって言いましたよね。嫌になったら断ればいいんですよって言いましたよね。それで淳子さんは自分の殻を破って前に進むことができたんですよ。さすがに「結婚」となると遊びのつもりではできません。いろいろ話を聞くと彼には何も問題がないと思うんですよ。いや、彼と一緒にいると楽しいとも言ってましたよね。淳子さんは結婚生活を経験した人ですよね。亡くなられたご主人とは仲良く平和に暮らしていたんですよね。そういうことなら前のご主人とは違う人ですが、前の状態に戻るだけの話じゃないですか。何を躊躇しているんですか。お子さんの教育やお義母さんの介護なんかについて考えたことはないんですか。この人と結婚すれば一気に解決するじゃないですか。それにもちろん淳子さん自身も彼と一緒になれば幸せになれる。だって彼と一緒にいると楽しいって言ってましたものね。もちろん結婚は僕のほうから強制できるものではありません。ですが僕自身としてはこの結婚には賛成ですね。家に帰ってよく考えてみてください。」
ときつく言うと、彼女は
「はい、わかりました。ありがとうございます。研正さんの話を伺っていると結婚する勇気が湧いてきそうです。もう一度よく考えて彼に返事します。今日は本当にありがとうございました。奥様にもよろしくお伝えください。では失礼します。」
「さようなら。頑張ってね。」
と、彼は彼女を励ましました。
三日ほどして、「哲郎さんのプロポーズに応じる」と電話した旨、彼に話に来たので
「そうですか。勇気が出たんですね。本当におめでとう。哲郎さんに会ったことがないから僕と仲良しになれるかどうかはわからないけれど、淳子さんから聞いた限りでは淳子さんは彼と一緒になれば幸せになれることを確信していますよ。哲郎さんに電話したら喜んでいたでしょう。」
と聞きました。
「はい、彼は大喜びでした。感激のあまり泣いているようでした。これも研正さんの激励のおかげです。きっと幸せな夫婦、幸せな家庭になって見せます。その結果をお見せするのが研正さんへの何よりのお礼になるものと思っています。勇気を出すっていいことなんですね。私も彼に電話できてホッとしました。本当にありがとうございました。では失礼します。」
と言って帰りました。
四月に結婚式を挙げることが決まり研正夫婦も披露宴に招待され参加しました。新郎新婦は本当に幸せそうな表情をしていました。新婚旅行はハワイに行きましたが、その間二人の子供とお祖母さんは研正達の家に引き取り紀代江が面倒を見てくれました。徹郎は急に家族が増えたことに最初は戸惑っていましたが、すぐに慣れて二人のお兄ちゃんとよく遊びました。新婚旅行が終わると真っ先に淳子さん夫婦は研正の家に来ました。
「妻に聞いたところによりますと、今回の結婚につきましては浮橋さんのお力添えの効果が大きかったそうで、ありがとうございます。二人とも再婚ですがきっと幸せな家庭を築いていく決意ですので、今後ともよろしくお願いします。」
と哲郎さんがお礼を言ったので、研正は
「いや、僕の力なんてそんなに大きくないですよ。彼女が勇気を出してくれたからうまくいったのですよ。本当におめでとうございます。こちらこそ、これからよろしくお願いします。それでは、お幸せに・・・。あっ、そうだ。哲郎さんは証券会社に勤められているんですよね。」
と言うと、彼は
「はい、インターナル証券の新宿支店に勤めています。」
と答えました。研正が
「実は私も株式投資を一年半前ぐらいからしているんですけどなかなか投資成績が良くならなくて困っているんですよ。銀行の定期預金の利率の倍ぐらいは儲けるつもりでいたんですが、うまくいかないんです。新米のくせに少額ですが信用取引もしているのですが、ダメなんです。上がると思って買った株が下がったり下がると思って信用で売った株が上がったりしてなかなか利益が出ないんです。日曜日にはチャートを記録したり株式投資関連の情報誌を読んだりしているんですがなかなあ上達できなくて困っているんですよ。」
と言う話を持ち出しました。哲郎さんが
「そういう人は多いですよ。あくまで株式投資はハイリスク・ハイリターンですからお持ちの資産の一部を使ってください。無くなっても困らない程度と言う意味です。ましてや信用取引もなさっているのでしたら余計に慎重さが必要です。証券会社に勤めていると時々相場の裏情報が入ってくることがあるので、その時は浮橋さんに連絡するようにします。」
と答えました。研正は
「よろしくお願いします。」
と言って、偶然にも良い知り合いができたものだとほくそ笑みました。
彼らは翌年の十一月に子供が生まれたそうです。全員で七人家族になるので隣の住居では狭いだろうと思っていましたが、その子供が三歳になったころ、もっと郊外の土地に大きな家を建てて引っ越しました。四人の子供たちも健康で仲良く育っているようでした。お祖母さんもボケるようなこともなく健康に老いていっているようでした。


聖子さんと文平さんとのお付き合いが半年ほど続いた頃、相和四十二年の一月上旬の日曜日、研正はいつものように聖子さんと犬の散歩に出かけていました。いつものように空き地で五、六匹の犬の鎖を外しました。このころは円板を投げて犬にそれを追いかけさせ、その円板を銜えて持って帰るような訓練をしていました。円板を豚肉を煮た汁に漬けて豚汁の臭いを付けて投げるのでした。タローも成犬になっていたので走るのも速くなっていました。空き地での遊びの後、聖子さんと一緒に公園のほうに散歩に連れて行きました。不意に聖子さんから話し始めました。
「私、文平さんとのお付き合い、止めようと思うの。文平さんとは何度もあっていろいろなところに行って話し合ったわ。優しくて男らしくて細かいところにも気を配ってくれていい人よ。
でも文平さんは大工でいわば木材のようなものが仕事の対象でしょ。私はトリマーで動物が仕事の対象よ。そういう点の違いを埋めきれないの。いくら一生懸命二人で手を取り合って歩こうとしても二人は百八十度、反対の方向に歩いて行ってしまうって感じが抜けきれないの。もうこれ以上お付き合いしても無駄だと思うからお付き合いをお断りしようと思うの。研正さん、それでいい。」
「そうか・・・。何回も会っておしゃべりして、それでいろいろ考えた結果なら仕方がないよ。御断りの言葉は君が彼に言うつもりだったのかい。何なら僕のほうから彼に伝えてもいいよ。」
「私、自分で言おうと思っていたのだけど、もし研正さんが言ってくれるのならお願いしたいわ。」
「わかった。僕のほうから話をしておくよ。でも、これで聖子さんは結婚をあきらめたわけじゃないんだろ。妻にも話しておくけど、僕も次のお見合いの相手を探すつもりなんだ。それでいいかい。」
「ええ、今回はだめだったけど、結婚をあきらめたわけじゃないわ。研正さんや奥様にはお手を取らせますけど、またいい人がいたら紹介をお願いします。ごめんなさい。」

タローはまた発情期が来たのでスーチャンを追いかけまわしていました。タローの走る勢いがあまりに強くて彼は足を滑らせてしまいました。そのはずみで彼の唇は彼女の唇に触れてしまいました。すると彼女は目に涙を浮かべながら唇を強く彼に押し当て、彼を抱こうとしました。彼女は小声で繰り返し「ごめんなさい」、「ごめんなさい」と言っていました。彼もタローの綱を手から離して彼女を強く抱き返しました。彼は、そのような状態が相当長く続いたような気がしました。彼は彼女を抱く腕を緩めて彼女から離れました。
「ごめん、タローが発情しているもので、つい足を滑らせたんだ。でも偶然、君にキスしてしまったら抱きしめたくなったのさ。仲人役の僕がこんなことしていたらダメだね。もうしないよ。」
「いいの、私、ずっと前から研正さんのこと、好きだったから。来週もこの公園の奥の方に来たら今日みたいに抱いてキスして。今日はタローのおかげでいい思い出ができたわ。とってもいい気持ちだったので忘れられないわ。でも次のお見合いの件もお願いするわ。私って、何か頭が変になってるのかしら。変なお願いばかりしているみたいね。」
「もちろんさ。次のお見合いの相手はできるだけ至急に探してみるよ。今日は僕もとっても気持ちがよかったよ。君のことがもう忘れられないよ。ありがとう。聖子さん、もう時間じゃない。」
「ああ、そうね。ここらへんで帰りましょう。」
研正の家まで一緒に帰って、別れるときに二人の視線が絡み合いました。そしてお互いににこっと笑顔になって手を振って別れました。
翌週も聖子さんが言った通り、公園の奥で抱き合ってキスを長い間しました。聖子さんは終始無言でした。別れるとき、聖子さんは
「今日は仕事が少ないのよ。時間があるわ。」
と言いました。研正は彼女の家まで一緒に行きました。
「母はもう何もわからないから黙って家に入って。タローはそこにつないでおけば大丈夫よ。」
研正は聖子さんの家に入って二階に行きました。
「ほら、今日は店にいる犬の数、少ないでしょ。あっちに行って一緒にシャワーを浴びましょう。」
彼らはお互いにシャワーを浴びせ合って体を洗った後お互いに体を拭きました。寝室に入りました。彼は彼女を抱いて強くキスしながらベッドに置きました。彼女をベッドに寝かせると彼もベッドに上がってお互いの舌を絡ませディープキスをしました。彼女の柔らかくふくよかな胸に手を触れ乳首をもんだ後、舌でなめたり口で吸ったりしました。彼女もずっと彼の体中をキスしまくっていました。彼女とのSEXは意外にも簡単に実現できました。不思議にもコンドームは彼女が持っていました。彼にとって女性を知ったのはこれが二人目でした。終わった後も彼女はベッドに伏せたまま彼の体を強く抱いたりさすり続けていました。
「以前、私の失恋の話を聞いてくれていろいろとアドバイスしてくれた時から研正さんのことが好きだったのよ。その時もキスしてくれたらいいのになって思っていたわ。先週は偶然にお互いの唇が触れたのだけど、その時、今がチャンスだと思って唇をきつく押し当てたの。今日だって私が誘ったようなものですものね。ありがとう。とっても気持ちがよかったわ。またいつか今日みたいに愛してね。」
「僕も君のことは最初に会った時から好きだったんだよ。だけど僕は結婚しているから独り者のように君にアタックしてはいけないことがわかっていたので、ずっと我慢していたのさ。先週は本当に偶然、タローのおかげで君にキスできたのだけど、そうすると君の体が欲しいっていう気持ちがわいてきたところだったんだよ。聖子さん、これから君のことを聖子って呼んでいいかい。」
「お互いに愛し合った仲なのだから、そう呼んでくれたほうが恋人同士みたいでうれしいわ。」
これがこれからの週に一回ぐらいの彼の彼女とのSEXの第一日目だったのです。

自宅に帰ると紀代江は夕ご飯の準備中でした。
「先週聞いたんだけど、聖子さんと文平さんのお付き合い、ダメになったみたいだよ。聖子さんが何回あってもやはり何か肌に合わないものがあるって言っていた。僕のほうから文平さんに御断りの連絡をしたよ。彼女はまだ結婚をあきらめたわけじゃないから次のお見合いの相手を探してくれと頼まれたんだ。紀代江もどこかに適当な人がいないか探してくれないかな。」
「ああ、そう。ダメになったのね。私も彼女のいい相手を探すように心がけておくわ。今まで聖子さんと犬の散歩だったの。ずいぶん遅くまで散歩していたものね。」
「ああ、今日は聖子さんが仕事が少ないって言っていたから、いつもより遠いところまで散歩に連れて行ったんだよ。」
彼はちょっと「欺瞞的だな」と言う気持ちを感じながら紀代江に話しました。二階に上がって株式投資関連の資料を読みました。哲郎さんから研究所に時々電話が入ってくるようになっていました。確かに証券会社の裏情報と言うのはきわめて正確で彼の言った株を売買すると必ず三十パーセント以上の利益が出ました。おかげで彼の株式投資成績も随分と良くなりました。
そのあと、聖子と今日あったことを思い出してみて「こんなこと、していていいのかな」と思う反面、彼女とのSEXを十分堪能したことを喜びました。彼女としたときの感触は紀代江との時のそれと微妙に違っていたのです。二人目の女性を知った征服感のようなものがありました。彼は所詮、男なんてその程度の生き物なのだと思いました。
その後、聖子の次のお見合いの相手について考えましたがなかなか思いつきませんでした。
夕食後、紀代江に次のお見合い相手について改めて探すようにお願いしましたが、彼女も急には思いつかないようでした。
「できるだけいい人がいないか考えておくけどちょっと時間がかかりそうね。」
「僕もいろいろ考えてみたのだけど、すぐには思いつかないんだ。まあ、来週は会社関係の人でいい人がいないか考えてみるつもりさ。聖子さんも、もう二十五歳だからできるだけ早いほうがいいと思うんだ。」
紀代江とは寝る前にいつものように夫婦の営みをしました。一日に二人の女性としたのは初めての経験でした。それだけに紀代江とはいつもより激しく抱き合い、体を絡め合わせてしました。

月曜日にも彼は研究所の中で聖子のお見合いの相手に適当な人はいないかと、いろいろ考えましたがどうしてもいいアイデアが思いつきませんでした。そういう煩悶の日が数日続いたのち、不意に結婚相談所のことを思いつきました。結婚相談所は小さなものから大きなものまでいろいろありました。あまり評判の良くない相談所もあるようでした。その中でも特に会員数の多い全国仲人連合会と言う会社に注目しました。その会社に電話して詳しい内容を聞きました。その結果、日曜日には聖子に説明できるような情報が蓄積できました。
日曜日になりました。彼はいつものように聖子と犬の散歩に出かけました。いつもの空き地で遊ばせた後、二人は公園の中に入りました。
「聖子、君の次のお見合い相手についていろいろ考えたんだけどなかなかいい人が見つからなくて僕も困っていたんだけど、ふと結婚相談所のことを思いついたんだ。そういう会社はいくつかできてきているんだけどその中でも会員数が一番多い全国仲人連合会という会社のことについていろいろ調べたから聞いてくれないか。」
「まずそこの会員になるためには履歴書と自分の写真を提出しなければならない。そして希望する相手の条件などについて先方の会社に伝える必要があるんだ。本社は新宿に在って支店は全国にあるけど僕たちの住んでるところから考えると原町田支店が一番近いんだ。最初は新宿の本社に行ったほうがいいと思う。履歴書について言うと、学歴だけど高校以上の学歴については卒業証明書を提出する必要があるんだ。写真も大きさが決まっているのでそれに合わせて写真を作る必要があるんだよ。一番簡単な方法は新宿本店に行った際、全国仲人連合会で推薦している写真店に行って写真を撮ってもらうことだ。そうすれば自動的に連合会のほうに写真が送られるシステムになっているんだ。年収については僕のようなサラリーマンは毎年年末に源泉徴収票が配布されるので、それを渡せばいいのだけれど、君の場合は自営業だから多分収入の届と税金の納入に関しては税務署とコンタクトを取って決まっていると思うので税務署に行って年収の照明をもらうといいはずだ。結婚の相手の希望については各人様々だと思うので係りの人に詳細に話すといいだろう。それで最終的に君の担当者が決まるんだ。多分、原町田支店の社員がだれか指名されると思う。いろいろとトラブルがあった際はその担当者に連絡すれば一番いい方法を教えてくれることになっているんだ。月間の会費は五千円ほど必要だけど僕のほうで負担してもいいよ。会員登録が終わると、お見合いの相手の候補者が決まるんだ。卒業証明書とか年収の証明書が必要なことは一見、大変なように思うかもしれないが、逆に言えばお付き合いしたい人の学歴や年収は保証されているので安心して交際ができるようになると思うんだ。まだ漠然としてわからない点も多いと思うけど現時点での疑問点があったら聞いてくれれば、わかる範囲で答えるよ。どうだい、聖子」
「今聞いたことを頭に入れるのが精一杯で今のところは疑問点はないけど、思いついたらまた聞きに行くわ。いろいろと調べてくれたのね。仕事中にそんなことしててもいいの。」
「君のためなら仕事中でもいつでも考え、行動するつもりだよ。これが連合会の入会申込書だ。事前に取り寄せたんだ。これにわかる範囲で記入して僕に見せてくれないかな。問題がないかどうか僕がチェックするよ。連合会の本社に行く時は何なら僕がついて行ってもいいよ。一日ぐらい研究所を休んでも問題ないからね。」
「ありがとう」
「全国に会員はいるけれど、ここ神奈川県、東京都、千葉県なんかは特に会員が多いからより取り見取りだと思うよ。君の結婚相手の条件のことなんだけど、あまり絞りすぎてしまったら、さすがの連合会でも候補者がいなくなると思うんで、前もって聞きたいんだが聞かせてくれないか。」
「ええ、でも自分自身まだ決めてないことも多いと思いますけどそれでもいいんなら質問に答えます。」
「「まだ決めてないことも多い」っていうのは問題ないんだ。逆にはっきり決まりすぎていると候補者がいなくなるからね。相手の希望条件はいつでも変更できるから自分の気持ちが変わったらいつでも担当者に連絡すれば候補者の選択条件を変えてくれるよ。そういう意味では気楽な気持ちで入っていいよ。僕が聞きたいのは今時点での希望条件なんだ。第一にお嫁さんに行ってもいいの、お母さんはどうするの、婿入りを希望するの、ということなんだけど君の希望はどうなの。」
「痴呆の母を引き取ってくれるのならお嫁に行ってもいいわ。つまり名前が変わるということでしょ。私の自宅でもいいんならお婿さんに来てもらってもいいわ。母はもちろん自宅では介護できないほど痴呆が進むようなら施設に預けてもいいと思っているわ。」
「じゃあ二番目として、トリマーの仕事は結婚後も続けたいの。文平さんとの交際の話の中で「自分の仕事の対象は動物だけど彼の仕事の対象は木材だ」と言っていたよね。それとどういう関係にあるの。」
「ウーン、トリマーの仕事はやめてもいいわ。…できれば続けたいという気持ちもあるけど。トリマーじゃなくてペットショップの店員になるとか、その店員の専業主婦とかでもいいわ。」
「ちょっと複雑だけど、動物関係の仕事をするか、自分自身は仕事をしなくてもいいんだけど夫となる人は動物関係の仕事をしている人のほうが親近感が持てるということなんだね」
「そうね、そういう意味ではスーチャンを連れていけることが絶対条件よ。」
「それじゃあ三番目だ。聖子は現在二十五歳だろ。相手の人の年齢範囲はどう考えているの。」
「そうね、上だったら十歳上以下つまり三十五歳以下ね。私より若い人は年増の女とは結婚したがらないだろうから二歳年下までね。つまり二十三歳以上の人ということよ。」
「わかった。四番目に未婚の人がいいと思うけど再婚の人でもいいかい。再婚の人の場合、離別の原因が死別でないといけないとか、それ以外でもいいとか。それから子供があってもいいかい、ダメかい。」
「もちろん未婚の人がいいわ。だって私は初婚なんですもの・・・・。でもよく考えてみると私、既婚者の研正さんとしてるのよね。再婚の人でもいいことにしようかしら。できればその場合死別の人がいいわ。ちょっと贅沢かしら。再婚の人なら子供がいてもいいわ。」
「まあ、いいよ。相手の条件はいつでも変えられるから、最初はその条件でいいのじゃないかな。
では五番目に、聖子の学歴は高卒、それとも高校卒業後トリマーになるための専門学校に行っているとか。つまり僕のききたいのは相手の人の学歴はどういう学校の卒業以上の人がいいかということなんだ。」
「私は高卒後トリマー養成のための専門学校に行っているわ。でも相手の学歴は高卒以上ということでいいわ。」
「わかった。では六番目に聞きたいのは相手の人の住んでる場所だよ。全国どこの人でもいいとか、神奈川県、東京都、千葉県の人がいいとかということなんだけどどうだい。」
「ウーン、あまりそういうことは考えてなかったけど、やはり近い人がいいわね。だから神奈川県、東京都、遠くても千葉県の人の範囲がいいわ。」
「それじゃあ七番目に君の身長は百五十センチメートルぐらいだろ。体重はいくらくらいかなあ、多分標準的な体重の範囲に入っていると思うけど。僕が聞きたいのは相手の人の身長と体重の範囲だよ。」
「そうよ。私の身長は百五十センチメートルよ。体重は研正さんが言うように標準的な体重の範囲内よ。相手の人の身長は私と同じ身長以上の人がいいわ。相手の人の体重は数値でいうことはできないけど、肥満とかやせ過ぎでなければいいわ。」
「今のところ聞きたいのはそのくらいだな。また聞きたいことができればその時に聞くよ。今日はどうもありがとう。」
二人は公園の奥についていました。彼らはウィンクして抱き合ってキスをしました。
「今日もそんなに仕事が忙しくないからうちに来て。研正さんの体中をキスして舐め回したいの。研正さんも思いっきり私の体を壊すぐらい激しく愛していいわ。」
「わかった。またシャワーを浴びてきれいになった後、二人で愛し合おうね。」
彼は聖子と愛し合った後いつものように自宅に帰りました。


四月四日、火曜日、彼は休暇を取って聖子と一緒に連合会の本社に行きました。聖子は今日は臨時休業にしていました。妻をいつものように彼が研究所に行ったものと思い込ませました。ですから彼はいつものように背広とコートを着て鞄を持って出かけました。今日の気温は十八度くらいで昨日よりはぐっと暖かくなっていました。筋雲がうっすらかかったすがすがしい天候でした。連合会では聖子の従兄ということで同席させてもらいました。連合会の手続きは何も問題なく進み、やはり聖子の担当者は原町田支店の人を後日アサインして連絡してくれることになりました。手続きが終わった後、近くの提携写真店で彼女は写真を撮りました。そのあと二人は新宿を腕を組んでカップルのようにして歩きました。聖子も最近は新宿に出たことがなかったようで、あちこちを物珍しそうに見まわしていました。バッグ屋さんに入ってデートするのにふさわしいフォーマルなバッグを探しました。
「やっぱり革製でないとみっともないよ。この黒のがいいのかな、どれがいい。」
「私、黒はちょっと堅苦しすぎるような気がするわ。このベージュのほうがもっと優しそうよ。これがいいわ。買ってくれるの? 何だか悪いわ。」
「いいんだよ。君のいい相手が早く見つかるといいと思ってね。僕からの愛のプレゼントだよ。」
彼はベージュのバッグを買ってやりました。またぶらぶら歩いているとイアリングを売っている店がありました。彼はたまにはデートするときにイアリングもつけていたほうがいいと思い店に入りました。
「このパールのイアリングとジルコニア製のものとどっちがいいのかな。」
「私、最近仕事が忙しくてイアリングなんか付けたことがないわ。でもどっちのほうが似合っているかしら。」
「やっぱりパール製のほうが高級感があるな。これにしよう。」
歩いているうちに飲食店街に着きました。ちょうどおなかが減ってきたので彼は紀代江とも時々行っているレストランに入りました。
「どう、おなかがすいた頃でしょう。」
「あれっ、もう一時を過ぎていたのね。研正さんと歩いていると何か大きなソファーみたいなものにもたれかかって座り込んでいるようで安心しきっているからおなかがすいているのも忘れていたわ。」
二人は新宿の繁華街を通りゆく大勢の人々を眺めながらおしゃべりをして昼食を摂りました。次に彼は彼女に愛のあかしとして指輪を買ってやりたくなりました。宝石屋さんに行って
「僕の愛のあかしとして指輪を買ってあげたいなと急に思いついたんだ。左手の薬指に指輪をはめるときには僕に返してもらうという条件付きで右手にさしておいてほしいんだ。」
「わかったわ。ありがとう。私たち恋人同士みたいね。今日は楽しいわ。」
彼は指輪を買って彼女の右手の薬指にそれを入れました。軽くキスをしました。そしてまた歩いているうちにラブホテルが並んでいるところに着きました。彼は彼女を誘ってそれらの一つのホテルに入りました。ホテルの部屋の中では、ベッドの天井に大きな鏡が真正面に一枚と周囲に斜めに六面あって、している姿を見てますます興奮できるようになっていました。成人映画を見られる映写機もありました。成人映画を見て性的興奮を高めてベッドで抱き合うとその姿が天井の鏡から見えて性的興奮をますます高めるような仕組みになっているのでした。
「君を愛している。君の体が欲しい。だけど僕には妻がいるんだ。これは不倫という行為なんだ。人としてしてはいけない反道徳的な行為だ。ましてや君の結婚相手を探していながらこんなことをするなんて全く偽善そのものだ。だけど君のことは本当に愛している。死んだあと僕はきっと地獄に送られて焦熱地獄とか阿鼻地獄の中で半永久的に苦しまされるだろう。もう僕はその覚悟はできている。僕は妻の紀代江も愛している。妻に不満があってこんなことをしているんじゃないんだ。本当に二人の女性を同時に愛してはいけないのだろうか。昔はお妾さんの制度があった。でもそれは女性の権利を不当に低く見られていた時代だったから許されたのだと思う。確かに重婚は法律で禁止されている。だけど本当に二人の女性を同時に愛してはいけないのだろうか。もしそれが人の道として外れた道なのであっても僕は自分に正直に生きたい。聖子、楽しむときは徹底的に楽しもうよ。シャワーを浴びてこの成人映画も見て気分の高まったところでベッドに入って愛し合おう。」
「研正さん、私も愛しているわ。今日も私のために研究所を休んでまでいろいろと気を配ってくれてありがとう。私も研正さんの体が好きよ。徹底的に攻めるから覚悟してね。でも愛しているから優しくするわ。」
二人は思う存分愛し合いました。もうこれ以上愛することができないくらい二人の体はもつれあいました。終わった後コーヒーを注文してゆっくり静かに味わいながら飲んだ後それぞれの家に帰りました。
「ただいま」
「おかえり。あら、今日は早かったのね。まだ四時じゃない。」
「ああ、今日は外出していたのだけど早く終わったから研究所に戻るのも面倒なので帰宅したんだ。ただ今のキス!」
チュッ
「徹郎は今日も元気かい。」
「さっきまで子供部屋で遊んでいたのだけど自然に寝入ったみたいよ。」
「じゃあ、二階の書斎で休んでくるよ。」
彼は書斎に入って今日あったことをいろいろと思い返してみました。聖子のすべすべした肌と何とも言えない肉感、思い出してみるとまた勃起してきそうでした。それにしても次に彼女とお付き合いを始める人はどんな人だろう、結婚相手はどんな人だろうと思いました。こんな二つのまるで異なったことを考える自分はいったいどうなっているんだろうと不思議に思いました。もしお妾さんの制度が今でもあるのなら彼は彼女の結婚相手探しのお手伝いをするのじゃなくて「妾」にできないかなあとさえ思いました。そうすれば二人の女性を交代で愛することができるようになる。彼は紀代江も愛していました。彼女のやさしさ、思いやりの深さ、家族全体を愛する気持ち、そしてきめ細やかで透き通るような白い肌、魅力的なプロポーション、美しい乳房とかわいい乳首、思い出すとまたも勃起してしまいそうになりました。そして今日、紀代江をだまして聖子と新宿に行った自分を欺瞞的だと思い申し訳ない気持ちで一杯になりました。


彼は三か月後に聖子がお付き合いする相手が決まったことを知りました。相手の人は松村省三さんといい、三十歳で既婚ですが妻とは死別していて子供が一人いるそうで町田市に住んでいました。町田市内にペットショップを開業するための準備をしているところでした。彼は翌週の日曜日、いつものように聖子と犬の散歩に出かけました。公園に差し掛かると
「省三さんはね、研正さんみたいに優しくて思いやりがあって話題が豊富で動物好きな人よ。身長は百七十センチメートル体重は標準的なところかな。今、町田市にペットショップを開く準備をしているところだけど九月には開業予定よ。犬と猫を扱う予定だそうよ。やはり動物好きってところが一番ひかれた点ね。大学卒業後大きなペットショップで働いていたのだけれどかなり自己資金がたまってきたので自分のお店を開きたいと思ったそうなの。一宏君という四歳の男の子がいて今は幼稚園に通っているわ。母の面倒も見てくれると言っているからもしも結婚したら彼の家に引っ越すことになるわ。それから彼は私がトリマーをしていることに目を付けて将来ペットショップの中にトリミングができるスペースも考えてくれているみたいなの。結婚したら初めはペットショップの店員を兼業しようと思っているの。だって店員を雇うと結構な出費になるので経営が苦しくなるのじゃないかと思うの。これはまだ彼には話してないことよ。自分の中で考えているだけのことよ。研正さん、どう思う。」
「聖子がいい人だなと思っているのならそれでいいんじゃないかな。省三さん、名前から想像すると三男だろ。それならご両親の面倒は長男が見てくれることになっていると思うのだが、そうかい。」
「そうよ、彼は三男で六十歳ぐらいのご両親は一番上のお兄さんが将来面倒を見ることになっているわ。彼は実家を離れて町田市のアパートに住んでいるの。実家は東京都区内にあるらしいわ。」
「もう何回ぐらいあったの。」
「まだお付き合いを始めたばかりだから二回しかあっていないわ。二回とも相模原駅まで車で迎えに来てくれてドライブを楽しんだわ。もちろんいろいろおしゃべりもしたわ。二回ともその人の印象がよかったのでお付き合いが続いているわけよ。」
「ペットショップの店員も兼ねるのなら猫に関する知識は持っているの。」
「ああ、そうね。私、犬のことなら何でもわかるんだけど、猫に関してはほとんど知識がないわ。研正さん、いい所を指摘してくれたわ。ありがとう。私、これから猫の飼育に関する勉強を始めておくわ。」
「そうしたほうがいいね。それから四歳の男の子がいるって聞いたけど、お母さんはいつごろにお亡くなりになったの。」
「三歳のときよ。お母さんは乳がんで亡くなったんだけど、その時は相当ショックを受けたみたいよ。今でもお母さんの夢を見ることがあるそうよ。でも幼稚園では皆と明るく遊んでいるそうよ。そうね、もうすこし話が進みそうだったら事前に一度、一宏君にも会っておいたほうがいいわね。」
「そうだね。それからもし、彼と結婚することになった場合、一度に妻と母になるわけだから、子供の教育の仕方も勉強しておくとか、省三さんの子供に対する教育方針なんかも聞いておいて、もし聖子の考え方と異なる点があれば事前によく話し合って合意をしておくほうがいいね。」
「そうね、妻になるとともに急に子供までできることになるんだから、その対策は事前に立てておかなくちゃいけないわね。女性としては生きてきたけれど母になる経験はないから、結構大変かもしれないわね。わかりました。事前に省三さんにも聞いておくし、四、五歳の子供との接触の仕方なんかも勉強しておくわ。」
「まだ二回しかあっていないんならしょうがないから、できるだけ頻繁に数多く合って相手のことをよく理解して、会っていることが楽しくなれるかどうか、愛し合えるかどうか、自分に正直に感じ取ることが大切だと思うよ。できるだけ早く僕があげた、その右手の薬指の指輪を外せる日が来るといいね。ああ、もう公園の奥まで来ちゃった。ここへ来ると自然に勃起する習慣になってしまったよ。君が結婚したらこの秘密の楽しみもなくなるね。でも省三さんがいい人だといいね。」
「外だけど今日は周りに人がいないみたいだから勃起しちゃったんなら、そっちのほうも舐めたり吸ったりしてあげるわ。もう大分上手になったでしょう。」
「ありがとう。でも最初は抱き合ってキスをするところから始めるんだよ。」
いつもの習慣が始まりました。今日は彼の下のほうも可愛がってくれるそうでした。外でこんなことをするなんてまるで野生人みたいで、彼は快楽を思う存分楽しみました。


それから六か月ほどたった十二月初旬の日曜日、彼はいつものように聖子と犬の散歩をしていると
「研正さん、私、お願いがあるんだけれど、聞いてくれない。」
「何だい」
「省三さんのことなんだけど、もう大分何回も会っておしゃべりしてお互いに理解し合えるようになったと思うの。彼も私との結婚のことを真剣に考えているみたいなの。私も、もし彼からプロポーズされたらOKしそうよ。でも、何か自信がないの。それで、一度私と一緒に彼に会って、いろいろ話してもらえないかしら。もしその時、研正さんが「あんな人はだめだ。」と言ったら私、諦めるわ。それほど研正さんのことを信頼しているの。省三さんには研正さんのことをもう話ししているわ。近所の人で連合会のことを紹介してくれて、日曜日にはいつも一緒に犬の散歩に行っていて、まるで私のお兄さんみたいにいつも相談に乗ってくれる優しくて信頼のおける人なのよって言っているの。奥さんもいる二十七歳の愛犬家よとも言っているの。だから一度私と一緒に彼と会ってもらって品定めしてほしいの。私は初婚だから結婚生活のイメージがつかめないの。お願いします。」
「君がいい人だ、愛していけそうだと思えればいいだけのことなんだけど、自信がないということなんだね。僕がそんなに信頼に値する人間かどうか自分でもわからないんだけど聖子が信頼しているって言うのなら一緒に会ってもいいよ。むしろ君のご主人になる人だから。僕もその人に会ってみたいとは以前から思っていたんだよ。日時を決めてくれないかな。」
「それなら来週の日曜日、十二月十日の午後二時に原町田駅の改札で待ち合わせというのはどうかしら。彼もその日の二時ごろなら店を一時閉店にできると言っていたわ。」
「日曜日なら全く問題ないよ。じゃあ、来週の日曜日を期待して待っているよ。」


その日は、彼は聖子と一緒に二時十分前くらいに原町田駅の改札まで行って待っていました。省三さんは二時五分前くらいに迎えに来ました。
「初めまして、私、聖子さんの近所に住んでいる浮橋と申します。」
「初めまして、私は松村と申しまして聖子さんには浮橋さんのことはよく聞かされております。では、近くの小田急百貨店のレストランに行きましょう。」
三人は一緒に小田急百貨店の最上階に近いレストランに入ってテーブルに着きました。
「ペットショップを始められたそうですが、いつからどこで営業しているのですか。」
「九月一日開店で営業を始めています。店の場所はこの小田急百貨店の横です。土地を借りていて、パートを一名雇って商売を始めています。」
「いい場所で営業されているのですね。」
「土地の賃料が高くて、まだ店の知名度も高くないので若干の利益が出始めたところです。私は子供のころから犬や猫などの小動物が好きだったものですから大きなペットショップにもともと勤めていたのですが思い切って独立しようと思って自分の店を開いたのです。大学は東名大学の文学部の出身です。文学部と言っても理数系が不得意だったので文科系に進んだだけで特に文学的素養があるものではありません。先ほども申し上げたように小動物が好きだったものですから動物を扱う職業に向いていると思ってペットショップに就職したのです。実は亡くなった妻は以前のペットショップの従業員で私が見初めて結婚したのです。ご存知とは思いますが妻は子供が三歳の時、乳がんのために亡くなったのです。乳がんが見つかったときは手遅れでがんの診断後約六か月で亡くなりました。そのため子供、一宏には大変悲しい思いをさせましたが、現在は一応立ち直っているようで安心しております。一宏の今後の教育方針については聖子さんともよく話し合って合意しています。勉強第一主義ではなく心の優しいおおらかな明るい人間に育てようと思っています。聖子さんはトリマーということで犬の専門家なのですが、最近は猫の飼育に関しても勉強されているそうで、将来を期待しています。今のアパートでは犬を飼えないのでペットを飼えるようなマンションに引っ越す予定にしています。」
「よくいろいろなことを考えているのですね。大学を卒業なさって今までかなりの資金をためているようですがどのようにしてお金をためて行ったんですか。」
「はじめは普通に残ったお金を預金していたのですが、二十四歳ころから株式投資や投資信託を始めたんです。最初はあまり投資収益が上がりませんでしたが、一度ある仕手株に手を出したことがありまして、五千万円ほど儲けたことがあるのですよ。その後はまあまあですが今回のペットショップの開業や新居となるマンションの購入の足しになる程度の資金は集まったわけです。生活は常に質素にして贅沢なものは買わないようにしています。もちろん聖子さんに生活に困るようなことはしません。」
「株式投資と投資信託ですか。いろいろなことをよく考えていらっしゃるのですね。私も実は株式投資をしているのですが最初はうまくいきませんでした。仕手株に手を出すのは危険ですよ。松村さんの場合は運よくうまくいったからよかったようなものですが、今後はそういう株には手を出さないことを勧めます。株式投資はハイリスク・ハイリターンで危険なものです。ましてや仕手株はその代表格みたいなものですから、一度成功したからといって調子に乗っていないで二度と手を出さないようにしてください。家族全員の命が松村さんの肩にのしかかっているのですから、できるだけ慎重に資産の運用は考えてください。私の場合インターナショナル証券に知り合いがいまして、その人から相場の裏情報が得られるので随分重宝しています。そうすると株式投資の仲間が三人そろったわけですね。将来が楽しみですね。投資信託は私も知ってはいましたがしたことはありません。投資信託のほうが資産の運用をプロがしてくれるので危険性は少ないようですね。そのほうが堅実だと思います。ところで聖子さんのどこが気に入ったのですか。」
「彼女の美しさはもちろんですが、優しさ、思いやりの深さ、動物好きであることとトリマーとしても一流であること。それからデートを重ねるごとに私に関するいろいろなことを聞いてくれて私自身も考えさせられることが多かったですね。一宏にも一度会ってくれて子供も喜んでいました。きっとこの二人ならいい母子関係を築いてくれるような気がしています。今言ったことと重なる面もあるかもしれませんが思慮深くて合理的なことも好きなところです。子供の教育についても勉強してくれていて、一宏の教育方針についてはずいぶん侃々諤々と話し合いました。そういう真剣さも素敵なところです。店を開いているとほとんど年中無休なのですが私はもう慣れてきましたが、聖子さんは主婦業との兼務になるので大変かとは思いますが、できるだけ負担が軽減できるよう心掛けたいと思っています。」
「亡くなられた奥様は以前の会社にいたときの従業員で松村さんが見初めて結婚したとおっしゃっていましたが、亡くなられた奥様には今でも未練がありますか。それでも聖子さんを愛していけますか。」
「亡くなった妻は愛していましたので未練がないと言えばうそになります。今でもがんの発見がもっと早ければ何とかなったのではないかと思い残念な気持ちがする時があります。それは事実です。でも彼女はもう亡くなった人です。未練など持っていても仕方がないでしょう。聖子さんは先ほども言ったように素晴らしい方で強い魅力を感じます。私は聖子さんを愛していますし今後とも末永く愛しようと決意しているところです。」
「私がお聞きしたいと思っていた点はそんなところですね。今までお答えいただいた限りではお二人は幸せな結婚生活が送れると思います。おめでとうございます。ところでペットショップのほうが早く軌道に乗るといいですね。ペット業界の景気は最近どうなんですか。」
「ありがとうございます。聖子さんと一緒になって幸せな家庭を築いていこうと思っています。ペット業界のほうは最近、犬や猫のペットを飼う家庭が大変多くなってきてその傾向はしばらく続くと思います。しかし、一方ではペットショップの数も最近、急激な勢いで増えています。私の店もそういう意味では新規参入した一店舗ということになります。ですからパイは大きくなっているのですがそれに対する供給店の数も急増していて一店舗当たりの売り上げはそんなに大きなものは期待できないのかもしれません。私としてはそういう厳しい情勢の中を何とか切り抜けていこうと懸命に頑張っているところです。聖子さんに関していうと現在、トリマーをしているので、私の店でもトリミングができるようにすれば他店に対する差別化が図れて有利になると思っています。聖子さんにトリマーをしてもらうようになると彼女の負担がますます大きくなると思われるので、できるだけ無理の無いように進めたいと思っています。いずれにしても現在の店舗で売り上げをもっと増やしていかないとだめだと思っているところです。」
「それから株式投資の件ですけど私もしているので偉そうなことは言えませんが、先ほども言ったようにハイリスク・ハイリターンなので、できるだけ慎重にすることと、投資資金もできるだけ少額に抑えておいたほうがいいと思います。特に仕手株投資に成功したという経験は、自信過剰になりがちなので注意が必要です。ご存知かとは思いますが仕手株の場合、例えば五日間連続してストップ高が続いたかと思うと六日目から以降は買いが全くなくなってストップ安が続いて大きな損失を招くこともありますから手を出さないほうがいいと思います。ところで松村さんの場合、株式投資のための情報源としてはどのようなものを使っているのですか。」
「特別なものはありません。日経新聞を読んでいるとかたまに株式投資関連の情報誌を買って読むくらいです。」
「それで大きな利益を上げているとは立派ですね。株式投資に向いた性格なのかな。僕の場合、はじめは松村さんと同じような情報源に基づいて投資していたのですが投資成績が上がらず困っていたのです。先ほど申しましたようにインターナショナル証券に知り合いができて、その人の情報に従って投資するとほぼ間違いなく三十パーセント以上の投資収益が得られるようになったのですよ。その人からもらった情報をそのまま松村さんに横流しすることはできませんが、その知り合いに松村さんのことを話しておきましょう。松村さんにもいい情報を流してもらうようにできればいいのですが、今はそれをお約束することはできません。できればその証券会社の知り合いと三人で仲間を組んで投資できるようになると収益率ももっと改善できると思っています。」
「株式投資の件はよろしくお願いします。開店の準備資金や土地の賃料が高くて銀行から借りたローンの返済に窮している状態なので株式投資ででも儲けなければやっていけないのではないかと思っていたのです。証券会社の人も含めた三人組での投資には大変興味があります。ぜひうまくいくように話してみてください。」
彼らはレストランでは外の景色を眺めながら軽食を摂ってホットコーヒーを飲みました。その後研正は聖子と一緒にJR横浜戦に乗ってそれぞれの自宅に帰りました。

翌週、犬の散歩の時に
「先週はどうもありがとうございました。研正さんは彼との結婚について賛成のようでしたが、本当に問題ありませんか。」
「本当に問題がないかと聞かれると答えに窮するが、省三さんの君に対する愛情や堅実な資金計画を考えると、二人で心を合わせて頑張ればお互いの愛も一層深まっていき、店の経営も徐々に良くなっていくと思ったんだ。特にペットショップの経営に関していうと君というトリマーがいることは将来、店の差別化になるから大いに期待しているよ。君も僕が言ったことを素直に彼に聞いてくれたようだね。彼も君の質問に答えに窮することがあるとも言っていたね。特にお子さんの教育方針について徹底的に議論したのは立派だ。」
「わかったわ。私、前向きに考えてみる。それから株式投資について話していたみたいだったけど、私、研正さんに証券会社の知り合いがいるなんて全然知らなかったわ。その人、どんな人なの。」
「僕の家の隣に淳子さんと言う未亡人がいただろう。僕は淳子さんの再婚に手助けしてあげたんだよ。彼女はいい相手ができたのに再婚を躊躇していたので、ちょっと押してあげたのさ。その相手というのがインターナショナル証券の社員で、僕に相場の裏情報を教えてくれるようになったんだ。」
「その情報を横流しには出来ないと言っていたけど、どうしてダメなの。」
「相場の裏情報というのは極秘情報なんだ。極秘情報というのは秘密という意味だから、その情報を皆に伝えたら秘密でなくなってしまう。だから僕がもらっている情報は極めて限られた人にしかわからないようになっているはずだ。その仲間に省三さんも入れてくれるかどうかはその証券会社の人の考え方次第で僕にはどうにもできない。できれば昨日言ったように証券会社の人、哲郎さんと言うんだが、と僕と省三さんの三人で一つの投資集団を組めれば何か面白いことができると思うんだ。もちろんそのためには哲郎さんがその気になるのが前提だし、あるいは哲郎さんの上司の承認が必要なことかもしれない。」
「研正さんもなかなかの策士家なのね。私には株式投資なんてちっともわからないわ。」
「聖子、聖子はそれでいいんだよ。君は省三さんとどのように生活していくかを真剣に考えればいいんだよ。僕も省三さんと会えて楽しかったよ。」
「今日は私、時間があるからいつものように家に来て。」
「君との楽しみも、もう終わりになりそうだね。残念でもあるけど君が幸せになるのだったら喜ぶべきことなんだね。」
「今日は二人で徹底的に楽しみましょう。」
研正と聖子はいつもより激しく長い時間、お互いの体をむさぼり合いました。研正は彼女の体が省三さんのものになるのかと思うと嫉妬のあまり三回も行きました。

聖子は翌年の一月初旬に省三さんと婚約し、二月三日に結婚式を挙げました。披露宴にはもちろん研正夫婦も招待され参加しました。徹郎も連れて行きました。徹郎はこの頃は車のプラモデルに凝っていて何十種類もの車種のプラモデルを並べたり衝突させたりして遊んでいました。披露宴の席にも三台くらい持ってきていて自分のテーブルの上で走らせていました。新婚旅行はペットショップの営業を休めないので延期するそうでした。聖子が妻として母として幸せな日を送れるよう研正は祈りました。二年後にはかわいい女の子も生まれ店の経営も順調に伸び、幸せな家庭生活を送れるようになったようです。

聖子に子供が生まれた年の秋の日曜日、研正がタローを連れて散歩に行くと公園の木々も紅葉してきれいでした。空気も少し冷たく一層すがすがしい日でした。散歩から帰るといつもは夕ご飯を作っている紀代江がリビングのソファーに腰かけて頭を抱えていました。
「紀代江、どうしたんだい。何か心配事でもあるの。」
「この家に来て五年ぐらいになるでしょ。その時からお絵かき教室をしていたけど、近所の子供たちも大きくなって幼稚園児や小学校低学年の子供がだんだんいなくなってきたのよ。高学年の子や或いは大人を対象にした美術教室のようなものを始めようかとも考えたけれど、自分としては技術的に高度になりすぎて自信がないの。お絵かき教室はもともとは私の時間つぶしでもあったのだけど小遣いも結構たまったわ。お絵かき教室を止めてしまうとまた普通の専業主婦に戻ってしまうことになるわ。」
「専業主婦はそんなに嫌なものなのか。」
「私は子供や家のことだけで一日が終わるのは何か虚しいのよ。それに徹郎も四歳になって大分手が離れたわ。何か社会との接点が欲しいの。それに自分自身の自由になるお金ももっと貯めたいし。そんな考えは我儘かしら。」
「ウーン、要するに外で働きたいという意味かい。子供のことや家のこともきちんとするという条件付きなら働きに行ってもいいよ。でもそれは大変だと思うよ。そういう覚悟があるのなら僕はあえて反対しない。」
「研正さんには悪いと思うけど、私は専業主婦みたいに家に閉じこもっているのは苦手だと思うようになったの。それは研正さんの給料が少ないという意味ではないのだけど、自分で自由に使えるお金をもっと貯めたいと思っているからなの。研正さんとは若いころよく散歩やハイキング、それから長期休暇の時には各地に山登りに行きましたよね。私は外でいるほうが好きなの。特に自然の光景、木々の緑とか紅葉の美しさは忘れられないわ。北海道に二人で行ったときはレンタカーで旅をしたのだけれど、知床半島の美しさとおいしかったピンク色に輝いたいくら丼、雄大な富良野の草花の様々な色、車が一台も通っていない直線の長い道路を猛スピードで走った快感、それから白馬に行ったときは青々と茂った木々の光景に感動したわね。その晩の濃厚でお互いの体の奥まで知り尽くそうとしたような燃えるようなSEXも忘れられないわ。それから私は人と会っておしゃべりするのも好きなの。お絵かき教室をしているとお母さんたちと話す機会も増えてきたわ。お母さんたちは自分の子供の悩みについて相談に来ているのだけどそのような話にとどまらなくて、近所の人のうわさ話とか、どこに新築の家ができてどのような人が入ってくる予定だとか、たまにはどこそこの夫婦はこのようなことをしてSEXしているとか、おしゃべりしていると止まらなくなるの。私はそういう人とのコミュニケーションをとるのがとても好きなの。研正さんは特定の人とは必要な要件に関しては詳しく話すけれども基本的には孤独のほうが好きじゃないかと思うの。ゴーイングマイウェイっていう感じかしら。もちろんこれから必要になる子供のしつけや教育はしていくわ。あふれるような愛情で包み込んで守ってやるつもりよ。だけど私は何かをして働きたいのよ。専業主婦というのじゃ物足りないわ。だから主婦業もきちんとやるという条件付きなら働いていいの?」
「僕は孤独が好きだとは思っていないけれど、どちらかというと一人で静かに物思いにふけったり、問題になっていることについて深く熟考することも好きだよ。それからもちろん紀代江が言ったように特定の人と特定の話題について親密に話し合うことも好きだ。僕が先ほど言ったように家庭生活もきちんとするのであるならば働きに出て行ってもいいよ。どこか働きたいところが具体的にあるの。」
「研正さんがいいと言ってくれるかどうかわからなかったからまだどこで働くかは具体的に決めていないわ。新聞の求人欄やハローワークに行って探すつもりよ。じゃあ、研正さんとしては条件付きでOKということね。」
「ああ、いいよ。自分に合った仕事を見つけるんだよ。」
紀代江ははじめは、長津田にある子供の国の監視員をしたり、不動産屋さんの広告に使う間取りの図面を製図するような内職とか仕事を転々と変えていましたが、ある時期から介護の仕事に集中するようになりました。介護士などの必要な資格も取って介護の仕事を専門にすることに決めたようでした。もちろん彼が言った家庭生活も、しながらという条件はきちんと守ってくれました。


彼のお父さんは、相模原市に引き取って二年目に突然脳こうそくで倒れて亡くなりました。彼のお母さんに関して述べると、研正が相模原市の一戸建てを借りて高松から引き取った折にも、既に全盲に近いほど目が悪く、腰が悪いせいで歩くのが痛くて歩行困難になっていました。紀代江もよく面倒を見てくれたのですが病状は悪化の一路をたどりました。研正の家に来て三年目の六十五歳の時、全盲になり歩行もできなくなりました。ですからトイレに行くためには犬のように四本足で這って行くようになりました。先天的に全盲の人は健常者から見て驚くほど器用に賢く行動することができるものです。しかし、彼のお母さんの場合、四十歳ころから目が悪くなったので全盲になると様々なことができなくなり、日常生活が困難になりました。その上、赤ちゃんのようにハイハイしかできなくなったのです。本人はおむつは嫌がったのでしばらくそのままにしておきましたが、結局、市の福祉センターと話し合って養護施設に預けることにしました。本人は家を離れるのを嫌がったのですが仕方がありません。養護施設では一人ずつベッドを与えられ、ベッドの近くに簡易式トイレが設置されていました。研正が見舞いに行くと
「ああ、今日は研正が来てくれた。今日は本当にいい日だ。楽しみに待っていたのよ。」
と、子供のように喜んでくれました。
「お母さん、体の調子はどうなの。」
「いつも通りだけど、たまに心臓が痛くなる時があるわ。その時はこの薬を一錠飲めばすぐに良くなるんだ。」
「何かほかに欲しいものはないのですか。」
「この施設で何でもしてくれるので、特にほしいものはないよ。研正が来てくれるのだけが私の楽しみよ。今日は来てくれたので本当にうれしいわ。」
「今日は来れたのだけど、お母さんは僕の顔を見ることができないので可哀そうだね。」
「目は見えなくても研正の声を聞くことができたり、こういう風にして体を触れればそれだけで幸せなのよ。施設の人が何かきれいな色の帽子を冠らせてくれて写真を撮ってくれたらしいのだけど、私には全然見えないので全く分からない。これ、きれいに写っている?」
写真を見ると、お母さんは縁の広いワインレッドのフェルトの帽子を冠っていて白内障用の大きな凸レンズの眼鏡をかけていました。黄緑色の上着を着て椅子に座っていました。ワインレッドと黄緑色が調和していて、大きな凸レンズの眼鏡とも映えていました。
「ああ、きれいに写っている。フランスの貴婦人が安楽椅子に腰かけているみたいな格好だよ。見えないのが本当に残念だね。本当に可哀そうだね。」
その写真は本当に素晴らしいもので、カメラに撮った人の気持ちは理解できましたが、写真そのものを目の見えない本人に無頓着に渡すという職員の神経が理解できませんでした。しばらく一緒にいてあげて雑談した後、帰ろうとすると
「もう帰るのかい。でも研正は忙しいから仕方がないね。また暇な時に来てね。」
「じゃあ、お母さんも元気でね。看護婦さんの言うことはきちんと守るんだよ。」
養護施設の管理がよいからか、お母さんは九十歳まで長生きしました。八十八歳になったとき、彼は米寿の祝いをしてやりました。真っ赤な頭巾と真っ赤なちゃんちゃんこを着せて写真を撮りました。彼女を中心に置いて周りに家族全員が集まった集合写真も撮りました。養護施設のほうでも別途、お祝いしてくれたそうです。亡くなるときは就寝中に狭心症の発作が起こったためで、本人にとっては苦しまずに亡くなることができたので研正はホッとした思いをしました。

第四章 色欲の道
研正は相模原市の家に住み始めて以来、いろいろな人に交わってきたような気がします。特に女性三名とは深く係わりました。しかしその三名に対して何か偽善者のような、罪人のような気持ちが彼の心を揺さぶりました。一方では、彼女たちの悩みをよく聞き、いい方向にアドバイスして、いい結果を出せたような自負も彼にはありました。その女性というのは、第一に妻の紀代江、そして隣家の未亡人、淳子さん、それから三人目は近所の年頃の生娘、聖子です。聖子とは結婚相手を見つけたいという相談に乗じて、彼は肉体関係まで結びました。彼は彼女に対して入居して初めて会った時から性的な魅力を感じていました。しかし、妻のある身なのでそのようなことをする気持ちは全くありませんでした。まったく偶然にタローの不意の動きに足を取られて、彼女の唇に彼の唇が触れたことがきっかけになったのです。二人の気持ちが重なり合い、公園の奥で抱き合ってキスをする習慣が始まったのです。その翌週、彼女の誘導もありましたが、彼は彼女の家で初めてSEXをしました。そしてそれがきっかけになって、彼女の家で繰り返しSEXしました。これは明らかに人としての生きる道に外れています。彼はどのように悔いても人としての罪は消えないでしょう。死後は地獄に行き半永久的な苦役や苦悶を与えられることは確実です。しかし、彼は自分の気持ちに正直に生きる道を選択したのです。幸い彼女は省三さんと言うペットショップの経営者と結婚できました。


淳子さんについて述べれば彼は終始、彼女の消極的な面や意欲的でない面、無気力な面を励まし、愛の炎を燃やし続けさせました。その結果、哲郎さんと言う証券会社に勤めている人と再婚できました。研正と淳子さんとの肉体関係はありませんでした。淳子さんのきりっとして二重瞼の瞳やふくよかな胸に性的魅力を強烈に感じ彼女の肉体を欲していました。彼は内心では秘かに聖子の時のようなチャンスが来るのを狙っていたのです。所詮、彼はその程度の好色な男なのです。


妻、紀代江については夫として当然のアドバイスをしただけです。彼女が外で働きたいという希望を持っていることを聞いて、家庭生活も同時にこなすことを条件に外で働くことを認めたのです。その結果、介護の仕事に生きがいを見つけ、必要な資格も取って就業中です。しかし、聖子との肉体関係や淳子さんに関しても秘められた欲望を持っていた彼の内面を考えると、彼は偽善ではないかと思い、気持ちが晴れませんでした。いい子ぶっている研正に紀代江を愛する資格は本当にあるのでしょうか。


また、このような淳子さんと聖子との関係によって、省三さんと言う証券会社の人、つまり株式投資のプロと、哲郎さんと言う彼と同じ株の好きなものが知り合いになれたのはラッキーなことでした。インターナショナル証券の省三さんの話によると、哲郎さんに株式相場の裏情報を教えることは同意してもらいましたが、この三人で一つの投資集団を作ることに関しては、現在のところでは資金不足なのでできないということでした。しかし、お互いの資金がもっと大きくなれば、その可能性はあるわけなので、彼は将来を期待しています。


アフリカの飢餓難民の人々を可哀そうだと思って食料やお金をそういうNGOに寄付することはいわゆる人類愛というものです。この場合、当然一人の人を愛するのではなくて飢餓に苦しむすべての人々愛しているわけです。個人的な愛の場合、親子愛、兄弟愛、師弟愛、隣人愛、夫婦愛、恋人同士の愛などがあると思います。また、愛の種類としては精神的愛、つまり他者の内面的なすばらしさ、美しさに感動して生じる愛と、肉体的な愛、即ちいわゆる男女間の肉欲があると思います。親子愛や夫婦愛は特定の二人の間の愛なので、複数の人を同時に愛することはあり得ません。しかし、師弟愛や隣人愛となると必ずしも一人の師や一人の隣人を愛するとは限りません。複数の師や四方の隣人を愛しても倫理上、何も問題ありません。恋人同士の愛の場合はどうなのでしょうか。男女間の愛の場合、相互の内面を愛する精神的愛と、肉欲と呼ばれる肉体的愛が絡まり少し複雑になります。先ほど述べた精神的愛の場合は複数の異性を同時に愛してもさして倫理上問題になることはありません。一方、肉体的男女愛の場合はどうなのでしょうか。研正は先述したように妻、紀代江の体も、聖子の体も愛しています。ひょっとすると淳子さんの体も同時に愛したかもしれません。
現在、男女の権利は平等です。しかし男性は子供を産むことはできません。妊娠、出産は女性にしかできません。妊娠・出産の権利は女性にのみある、或いは女性にのみ運命づけられているといってもいいでしょう。そういう意味では男女の権利は厳密にいうと平等ではありません。平等・不平等の問題ではなく、男性と女性では生きる道・役割・機能が異なっており、それぞれの性によって運命づけられた生き方をしなければならないのです。男性の性行為は一発の射精で終わってしまいます。そして青年や壮年の場合、精液は毎日体内で作られており魅力的な女性に会えば性本能を刺激されるのは必然です。もちろんその本能のまま行動していいというものではありません。理性で抑制し許される場合のみ性行為に及んでもいいわけです。一方女性の場合はどうでしょうか。女性の場合も魅力的な男性に巡り合うと性本能を刺激されることは原理的にはあり得ることではあります。しかし、女性の場合、性行為は妊娠につながる恐れがあります。長期にわたる妊娠・出産及びさらに長期にわたる育児の義務という生活基盤の変遷の恐れがあります。育児は当然、男性も協力しなければいけないことですが、母親の初乳に含まれる生命維持に不可欠な成分の存在や普段の授乳を考えると母親が中心とならざるを得ません。
このようなことを考えると男性が多数の女性と性関係を持つことは一定の条件のもとに許されるのではないでしょうか。その条件というのは、第一に金銭的余裕があること。第二にその女性間の人間関係を調整する能力があるということです。
一方、女性が多数の男性と肉体関係を持つことはどうでしょうか。それは先ほども述べたように妊娠・出産の危険性があり、出産した場合には二十年近くにもわたる育児の義務を生じることを考えると認めることはできないと考えます。


動物がつがいを作る場合は、一般的には生殖期の一時期のみです。それに対して人間の場合は子供が成長するまで続きます。生殖を子育てまで含むとすると、人間の夫婦というものは、性を伴わない生殖を安定的に長期間維持しなければいけないこととなり、「家族」というものを形成しなければいけなくなります。これも大きな問題となります。
イスラム圏の各国では一夫多妻制の国もたくさんあります。その場合、その女性間の人間関係はどうなっているのでしょうか。少なくともイスラム圏の国の家庭の中で複数の妻がいがみ合ったり憎しみ合ったりしているという話はテレビなどの報道を聞く限りでは聞いたことがありません。とはいっても人間関係なので、仲が悪くなったり、嫉妬したりすることはあり得るとは思います。また、イスラム圏からの情報は現状においては極めて少ないので、一夫多妻制における妻同士の問題が少ないかどうかは現状では断定できません。
研正は夫に経済的余裕があることと、複数の妻間の人間関係を調整する能力がある場合は「一夫多妻制」も認めてよいのではないかと思っています。
但し「一妻多夫制」には問題があります。「一妻多夫制」の場合、一人の妻が多数の子供を産まなければいけなくなります。肉体的負荷の増大から考えて無理があります。また、母にとって出産は自己の肉体の一部を外界に放出することであり、母によって放出されたもの、即ち子供は自己の肉体の一部だと考えがちです。ですから先ほども述べたように子育ては男性も協力すべきですが、女性中心にならざるを得ません。つまり「一妻多夫制」では妻側の肉体的負荷及び育児心理の負荷の増大から考えて現実性がないのです。これが実際に「一妻多夫制」の国が見られない現在の結果となっているのです。
一方、研正は妻、紀代江に対して聖子と肉体関係を結んだあと、「欺瞞的だと思い申し訳ない気持ちで一杯になった。」とも述べています。これはなぜでしょうか。これは妻に対しては彼が聖子と肉体関係を結んだことを秘密にしていたからです。聖子と一緒に新宿に行った際も、妻には会社に行ったと思わせるため通勤用の背広とコートを着て鞄を持って出かけていたからです。聖子に対しては「僕は妻も愛しているが、君も愛している。妻に何か不満があってこのようなことをしたのではない。」と、正々堂々と言っており、その件については聖子も同意済みです。聖子は彼と肉体関係を結んだことを口実に、彼ら夫婦の仲を裂こうとはしませんでした。彼との情事を楽しみながら、結婚相手の探索も同時にお願いしているのです。聖子自身も「何か変なお願いばかりしている。」と言って、自己二重性を認めています。
一方、彼が妻に聖子と肉体関係を結んだことを正直に告白すればどうなったでしょうか。ひと悶着起きるのは必至です。離婚まで発展する可能性もあります。この考えのほうが一般的でしょう。しかし、妻には十分な精神的な冷却期間を与えるということと、妻に対する彼の愛がなくなったのではなく、妻に対する彼の愛を繰り返し証明する努力をすることを前提として、妻に彼が聖子と肉体関係を結んだことを告白するべきでした。確かにその場合でも危険性は多分にあります。そうであっても先ほど述べた前提条件を実行することにより離婚というようなことに発展する危険性は大幅に低減できると思います。妻に内緒で他の女性と肉体関係を結ぶことは、非道徳的であり、人の道に反することです。先ほど述べた前提条件を実行しても離婚に発展することは防止できないかもしれません。しかし、人間関係において「秘密」を持つことはタブーです。告白することによって離婚に至ったとしても、彼の心の妻に対する欺瞞的な気持ちはなくなります。そしてそうなった場合は、聖子との関係を見直すチャンスとなります。新しい人生が開かれていくかもしれません。
仏教においては、財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲を五欲と言い、人が人として生きるためには避けがたいものとされています。当然彼も五欲はあります。複数の女性と肉体関係を結びたがる傾向は色欲が少々普通の人より大きいようです。また株式投資に精を出すなど財欲も少々普通の人より大きいのかもしれません。また、通常のサラリーマンが考える程度の出世欲もありますので名誉欲もあることは明らかです。飲食欲、睡眠欲に関してはこれらの欲望なしでは生きていけません。彼の場合先ほども述べたように色欲が少々ではなく、かなり異常に大きいのかもしれません。聖子とした日の晩に妻ともいつもより激しく、彼女の肉体をむさぼるようにするし、内心では淳子さんの肉体も求めているというのが彼の本心です。まさに彼は色欲の道を歩んでいたのです。そうではあったけれども前述したように三人の女性をそれぞれ幸せの道に誘導できたことは倫理学上どうなのかわかりませんが喜ばしいことです。
彼が妻がいながら聖子と肉体関係を結んだことは「性的逸脱行為」であり、「不倫」と呼ばれるものです。そしてそれは人の道に反する非倫理的行為の代表となっているものです。彼は紀代江とともに家族を形成しているわけですが、もし彼の色欲に任せたまま聖子や淳子さんも含めた家族を形成することになると、まさに一夫多妻制の家族を形成しなければいけなくなります。もちろん彼の経済的負担も大きくなりますが、仮に彼が大富豪の場合はそういうことも許されるのでしょうか。彼は先ほども述べたように経済的余裕があることと多数の妻間の人間関係の調整能力があることを前提として認められるのではないかと考えています。イスラム圏の国の一夫多妻制の存在も考慮して、倫理学がより一層、現代的に、現実的に発展することを望みます。
色欲はエッチなもの、いやらしい欲とよく考えられがちですが、子孫を残し人類を永遠ならしめる生殖欲の面も非常に大きいと思います。この欲なしでは人類は滅亡してしまいます。彼は妻、紀代江との子供を作りたいだけでなく、聖子との子孫や淳子さんとの子孫も残したかったのかもしれません。少子高齢化の現代においては称賛されるべき欲なのかもしれません。


第五章 新高速鉄道開発の道(黎明期)
研正が国鉄に入社した当時から鉄道技術研究所内では有志による発案で「次世代輸送機関の研究会」が開かれていましたが、昭和四十一年(一九六六年)に当時最年少だった京谷を含む五人の国鉄技術者が国鉄部内の技術者の関心が高まったため「新高速鉄道研究同好会」を立ち上げました。本社と鉄道技術研究所の技術者が一緒になって研究及び討論を重ね、世界に先駆けた日本独自の「超高速鉄道」の探索が始められました。
京谷は、貿易商で外国人との交流が多かった祖父の影響を受け、子供のころから海外に目を向け「超電導」の欧米における研究結果に常に注目していました。当時は「超電導」は衝撃に弱いということが世界的な定説でしたが、技術的に不可能でないことを京谷は知っていました。アメリカでは、これからは「航空機の時代」が来るとみていて「超電導磁気浮上」には冷ややかな目を向けていました。京谷はそれならば「東京と大阪を一時間で結ぼう」を目標として建てるものの、レールの上を走る列車の時速は三百五十キロメートル程度が限界であると言われていました。
「だったら磁石で浮いて走る超特急を作ればいい。」と言うと、社内では「車輪が無いなんて馬鹿じゃないか」と言われ、なかなか本腰を入れての開発は公認されませんでした。
昭和四十三年、京谷は国鉄技師長室調査役に任命されリニアモーターカー開発の中心的存在として指揮を執り始めました。
「東京ー大阪間一時間」「十センチメートル浮かせろ」を標榜し、部下に広島弁で「軽るせい!軽るせい!」と繰り返し怒鳴ったためカルーセル麻紀をもじって「ミスターカルウセー」と呼ばれました。
昭和四十四年(一九六九年)四月十四日、国鉄の技師長室でプロジェクト会議が開催され、今後超高速鉄道の技術をどの方向に進めたらよいか議論されました。京谷は超電導磁気浮上方式を採用すべきであると力説しました。
超電導現象は一九一一年にオランダのライデン大学のカメリン・オンネス教授によって発見されましたが、当時の超電導材料は臨界磁界が低くコイルにして強磁場を作ることができませんでした。
昭和三十六年(一九六一年)、アメリカのベル電話研究所で八万八千ガウスでも超電導状態を呈する材料、ニオブ3錫が発見されました。
また、ニオブ・チタン合金では十万ガウスまで超電導を呈することがわかりました。
このようにして昭和四十五年(一九七〇年)頃から超電導磁石が工業的に利用され始めたので、超電導磁気浮上方式について重点的に検討し、これを開発目標にできる見通しを得ることができました。
超電導磁気浮上で用いられる磁場の強さは五万ガウス程度ですが、この程度の磁場の強さで一平方センチメートル当たり百キログラムぐらいの浮遊強度が出せます。百平方センチメートル程度の磁極面積が取れれば十トンぐらいの浮遊強度になり一両の列車を浮遊できます。
昭和四十五年(一九七〇年)に超電導磁石による浮上特性と車両用の超電導磁石に必要な条件を検討するため、超電導磁気浮上特性基礎試験装置を試作することが決まりました。
浮橋もこの試作に取り組みました。まず液体ヘリウムを入れる容器(クライオスタット)をどうするかです。彼は液体窒素を入れる容器は大学の実験室でもよく使っていました。構造的には一般の魔法瓶と同様で真空層を断熱材として使用しているのです。液体窒素の温度は摂氏マイナス百九十六度、それに対して液体ヘリウムの温度は摂氏マイナス二百六十九度です。七十三度も低いのです。浮橋はまずオランダのライデン大学のカメリン・オンネス教授の論文を精読しクライオスタットの構造を検討しました。液体ヘリウム用の容器では液体窒素用の容器で使われていた真空層の外側に液体窒素を充てんする槽を設けることがわかりました。彼は国内のメーカーにその構造図を見せて作らせることにしました。次の問題は液体ヘリウムの調達です。アメリカから輸入するしかありませんでしたが、どこの商社を経由して購入するのが一番便利か検討して決定しました。今回の超電導磁気浮上特性基礎試験装置の試作は超電導磁気浮上方式による列車の製造が原理的に可能かどうかを検証することが目的ですから真っ直ぐに走る列車である必要はないので、超電導コイルを収めた直径一.七メートル、高さ約一メートルの円筒形のクライオスタットを吊り下げその下に常電導地上コイルを取り付けた円板を回転させてクライオスタットに浮上力が生じるか否かを測りました。円板の回転速度は時速百キロメートルまで回転できるようにし、浮上力は二百キログラムまで測定できるように作りました。この時のクライオスタットは重かったので円板を回転してもクライオスタットが浮くことはありませんでしたが、クライオスタットに浮力が生じていることは計測できました。
「クライオスタットに浮力が生じているよ。我々及びJ.KパウエルとG.Rダンビイの超電導浮上方式の考え方が正しかったことが証明されたのだ。万歳!」
「あとはクライオスタットをもっと軽くして実際にクライオスタットを浮上させることだな。」
「明日にでもクライオスタットを作ってくれた会社の技術者と話し合います。」
「よろしく頼むよ。」
原理的な正しさは証明されたとはいえ実際にクライオスタットが浮上しないのでは、実際の列車に超電導磁石を収めた液体ヘリウムの入ったクライオスタットやその他制御機器、乗客などを載せた場合でも超電導磁石の磁力の不足のために浮上しないという場合も考えられるので、この超電導磁気浮上特性基礎試験装置においても実際に浮上させなければ十分に超電導磁気浮上式列車の原理が証明されたとは言えないと浮橋だけでなく実験に携わった全員が思いました。そのためには重量を軽くすることがキーテクノロジーになると全員感じました。


昭和四十五年(一九七〇年)、第二回日米運輸専門家会議がワシントンで開かれ、京谷が「米国の超電導の技術予測は国家機密、軍の機密になっているので日米間で情報交換は可能であろうか。」と言いかけると、議長が議事進行にストップをかけました。京谷は「米国の国家機密を知っているスパイではないか。」という疑惑がかけられたからです。しかし、京谷が読んだ資料は公開されているもので、その公開番号を言うと米側は即座に調べ十五分もかからないうちに京谷に対する疑惑は解けました。この騒動はかえって日本の関係者に「超電導が本物である」ことを理解させる良い機会になりました。
また、同年三月には国鉄に「超高速鉄道調査グループ」が設けられ経済的側面及び技術的側面から広範な調査が始まりました。
また、同年四月には東京で開催された「鉄道の近代化に関する世界鉄道首脳者会議」において磯崎国鉄総裁が
「私どもは昭和五十五年(一九八〇年)頃までに、東京ー大阪間に今一つの新幹線を建設したいと考えております。そしてそれは、現在の新幹線建設中の時、世間の人々はこれを「夢の超特急」と申しました。その夢が実現しました現在、私たちの次の「夢の超特急」は、この「超高速の陸上輸送機関」であります。」
と述べて内外の反響を呼んだものであります。
同年九月、京谷がリニアモーターカーの開発を正式発表し昭和五十五年を目標にして、東京ー大阪間、一時間が望ましいというと、当時まだ名前がなかった超高速鉄道に「いい名前を付けてくださいよ」と新聞記者に迫られ
「リニアモーターカーかな・・・」
とつぶやくと、翌日の新聞に大々的に発表されリニアモーターカーは一時期大ブームになり、団子やプラモデルなどの便乗商品が発売されました。


昭和四十五年に試作された超電導磁気浮上特性基礎試験装置ではすでに述べたようにクライオスタットが重過ぎるためクライオスタットを浮上させることはできませんでしたが、クライオスタットをもっと軽くして浮上させることが翌年の課題となり関係者全員がその目標に取り組むこととなりました。
                                   第一巻 (黎明期) おわり




参考文献
・超高速新幹線         京谷好泰等           一九七一  中央新書
・超電導が鉄道を変える   ㈶鉄道総合技術研究所   一九八八 ㈱清文社
・リニアモータカー       京谷好泰             一九九〇 NHKブックス
・磁気浮上鉄道の技術     正田英介            一九九二 ㈱オーム社
・リニア新幹線物語       久野万太郎           一九九二 ㈱同友館
・超電導リニアモーターカー ㈶鉄道総合技術研究所  一九九七 ㈱交通新聞社
・疾走する超電導リニア五五〇キロの軌跡 井出耕也    一九九八 ㈱アスペクト
・ここまで来た!超電導委に合モーターカー ㈶鉄道総合技術研究所 二〇〇六 ㈱交通新聞社
・リニア中央新幹線のすべて 川島令三        二〇一二 ㈱廣済堂
・超電導リニアの謎を解く  村上正人等    二〇一五 ㈱シーアンドアール研究所

リニアモーターカーを創る 第一巻(黎明期)

リニアモーターカーを創る 第一巻(黎明期)

昭和三十七年、浮橋研正は国鉄に入社し鉄道技術研究所に配属され超電導磁気浮上式リニアモーターカーの研究を始めることになった。研究室内にいた住谷紀代江と懇意になり結婚する。新婚生活は相模原市の貸家で始まった。愛犬タローの散歩をきっかけに聖子さんと知り合い聖子さんの結婚相手を探す一方二人のロマンスが花咲く。隣家の未亡人小池淳子さんの再婚に関して精神的な援助をし再婚にこぎつける。妻、紀代江の外で働きたいとの希望をかなえてやり介護の仕事に専念するようになる。昭和四十五年に超電導磁気浮上特性基礎試験装置が試作されることになり試作・完成した。試験装置を稼働することによって磁気による浮上特性が確認されリニアモーターカーの原理の正しさが証明された。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-10

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