タバコ

小さな街の12月。


ああ、まただ。
あたしはマフラーを巻きながら、思い切り眉間にシワを寄せた。
またこの香り。
玄関を出ると本当にくっきりと染み付いている。タバコの香り。
あたしはタバコが嫌いだった。
あたしと母さんを置いて出て行った父親を思い出すから。そしてあたしの肺が弱いから。
だけど、一緒に暮らし始めて1年になる彼はタバコを吸うの。

彼と暮らし始めて2回目の冬が来た。
あたしは狭いアパートを少しでも暖めるために、灰色のカーテンを引く。
その時にもまた立ちのぼるこの香り。
なんだか苛立ちともつかないもやつきが肺にまとわりつく気がした。
これもきっと受動喫煙。
おどけてみてなんとか晴らした頭に浮かぶのは彼との約束だった。

俺は君と付き合えたらタバコは辞めるよ。

きっとタバコの嫌いなあたしを気遣っての言葉だったんだと思う。
なんとなく無理だとはわかっていたけれど、それでも嬉しいと感じてしまった。
はじめの2ヶ月。彼はタバコを吸わなかった。
次の2ヶ月。少しだけベランダで吸うようになった。
そして次の2ヶ月。彼は元通りに。
今月は吸う本数が増えた。隣でも吸うようになった。

日が暮れて彼が帰ってくる。
咥えたままのタバコ。ダラダラと昇る煙。
嫌気がした。
ただいま。と、素っ気なく言った彼。
隣を通るときにほんの一瞬、ほんとうに静かに女の香りがした。
あたしのじゃない、香水の香り。
無かったことにしたくてあたしは目を伏せた。
けれどそれは、布団に入り眠りに落ちても、翌朝目覚めても消えはしなかった。

随分と眠ってしまっていたようだ。
重たい頭を持ち上げて時計を見ると、9時を回っていた。
もうバイトには間に合わないなあ。
あたしは諦めの元、もう一度横になって天井を見上げた。
彼はとっくに出かけてしまっていた。

あたしは昨日の香りを思い出してひとり、なんとも言えない悲嘆に陥っていた。
確証があったわけでもなし、証拠があったわけでもなし。
それでもなんだか嫌に明確な何かがあって、焦りが止まらないのである。
この焦りに乗じて突き詰めてしまえ、とあたしは彼を考えた。

1度目の冬。確かにそこに愛情があった。繋ぐ手にも言葉にも体温があった。
春。たくさんの感情が芽吹いた。花を大きく咲かせたのは幸福感だった。
夏。たまに訪れる悪天候は、回数を重ねる度ひどくなった気がした。それでも時折光は指した。
秋。明らかに風が冷めた。そして春に咲いた花は実を付けることは無かった。
そして2度目の冬は去年よりも痛いほどに凍えていた。

このままで良いのだろうか。
漠然と降って湧いた疑問に、勢いよく首を横に振った。
タバコ香り。香水の香り。それをかき消すくらいまたタバコ香り。
彼のタバコが増えたのはそういうことだったのかもしれない。
あたしの頭の中で火花が走る。
それと同時に今までしがみついていた力がふっと抜けた。

それから間もなくして彼に別れを告げた。
浮気だった。
仕事場の女と寝ていたらしい。
飲み会だといい酔いつぶれて帰ってきた彼はあたしのことをその女の名で呼んだのだ。
それだけで十分過ぎた。
怒りを通り越した先は諦めと無関心の住処だと改めて知った。
縋り付くようにもう一度を繰り返す憎たらしいその顔にこぶしを御見舞してやった。

そうして明日あたしはこの香りともさよならをするのだ。

タバコ

タバコは嫌いです。

タバコ

あたしの人生めちゃくちゃにする人はみんなタバコ吸ってんだ。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-10

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