うつ病休職者が銀ブラした後銀座駅で浮浪者に十六茶を振る舞った件

先日、うつ病休職者である僕は銀ブラをした。
銀ブラとは、銀座をブラブラすることを意味する、戦前以来の俗語である。
僕がなぜ銀ブラをしたかというと、僕の主治医のオフィスが銀座にあって、で予約の時間よりも1時間早く有楽町についてしまったからである。

悲しいことに、携帯もPCも充電が切れてしまった。
これでは書き物は出来ない。しょうがない。なにか飯でも食うかということで、御幸通りを東に進んで中央通りを歩くと、こじゃれた喫茶店で僕の好物のポテトスープがつくランチを出すところがあったので、ここで少し早めの昼飯を食うことに決めた。

卑俗な例で恐縮だが、食いもの屋とタイマッサージ嬢の良し悪しは、値段では判断がつきかねる類のものだと思う。
それは恐らくあまりにも参入障壁が低く消費者から見たときの選択肢が多すぎるため、合理的な比較がしきれず市場原理が働かないのだとおもう。
そしてより本質的な理由には、この種の嗜好の好みは人により千差万別で、恐らく市場が厳密な意味で成立しえない、より正確には、消費者の人数分だけ異なる財が存在し、消費者が一人しかいない市場が消費者の人数分存在する市場なので、市場原理がやはり働かないのではないかと想像する。

よっていい店、いい女を見つけるには足を使うしかない。営業マンと同じだ。
そして、いいものを見つけたら彼ら彼女らを大事にする。そうしないと彼らから逃げて行ってしまう。
何故っていいものを持っている人を可愛がる人は他にも大勢いるからだ。

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はてさて、下手な経済学批判はこの辺でやめておこう。

果たしてここのポテトスープはうまかった。サンドイッチもなかなかいけた。これで1080円。銀座路面店の地価を勘定に入れれば大分安い。
やっぱりいい店はお目の高い人に留まるようで、知識人風の白人のおばあちゃんと、バンカー風の白人のおじさんがご飯を食べていた。まあ、バンカー氏は東京に駐在している位だから、一流とは言えまい。二流とは言えないまでも、1.5流といったところだろう。

このバンカー氏を意識しているのかしないのか、バンカー氏の2席向こうで4人のアラサー女子たちが白人論議を交わしていた。
「ねえ、外資系に勤めればいいじゃないの。そしたら外人つかまえられるかもよ。」
「でもあたし英語出来ないからさあ、YesとNoとOK位しかわかんないし。」
うーん。僕も外資系企業に勤めてるんですがね、多分あなたが相手にするのは「俺はエリートなんだぜ系日本男児」だと想像しますよ。
外資系企業のWhite Peopleは太平洋の向こう側にいらっしゃって、Yellow monkeysであふれている植民地には並以下の人間しか送り込まないし、その並以下の人間と会話するのはあなたじゃなくて「俺はエリートなんだぜ系日本男児」ですからね。
「てかさあ、外人にもてるのは、キラキラ系とか、ユルフワ系じゃないらしいよ。そういうかわいい系はダメなんだって。普通にシックな人ならモテるらしい。」
ほぉ、そうなのか。つまりあれですか、原宿とか渋谷にいるような人ではだめで、下北沢とか東急沿線の雰囲気をまとった雰囲気の人がモテるということですか。
これは面白いことを聞いた。良く覚えておこう。


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どうも彼女たちの話を聞いていると、彼女たちは皆派遣社員として働いているらしい。
一般に世間では、正社員はより豊かであり、派遣社員はより貧しいと考えられているが、どう贔屓目に考えても彼女たち4人は我が故郷群馬で正社員をやっている人たちよりも豊かな生活を送っているように見える。
中道左派として、昨今の日本の右傾化を食い止める社会的使命を持っている人々は、「派遣法改正反対」云々と大騒ぎしていて、結局改正されてしまったわけだが、当の本人たちは、そんなイデオロギー論争になどに目もくれず、所与の条件下において、自分達の来月の給料がいくらになるかという具体的な計算をしている。
「ほら、今3年派遣で勤めると正社員にしなくちゃいけないじゃん。」
「うん。でもそれじゃいやだから途中で派遣からパート扱いに切り替えたりとかしてるんでしょ。」
「そうそう。」
「ていうか、正社員になると、手取りは減るんだよね。」
「そうだよ。でもその代わり、保障は多くなる。社会保険とか。」
「ならさ、派遣会社の正社員って形で履歴書に書かせてもらって、で手取りは多くもらって、でその履歴書でどっか小さいけどいいとこに移った方が良くない?」

民進党の皆さん、共産党の皆さん、社民党の皆さん、どうか普通の人たちの声を良く聞いてください。現実を見てください。
現実のつぶさな観察に基づく考察を基礎としない努力は、どこまでいっても無駄なものにしかなりません。

端的に言えば、彼らは頭でっかちなのだ。足を動かす、足で稼ぐ、という観念がない。
僕は本当に田中角栄という政治家がロッキード事件に足をすくわれて以降、影のキングメーカーという形でしか国政に関与できなかった歴史を残念に思う。
彼は、中層以下の生活を何とか向上させたいと思う戦後政治家の中で、足を動かして人と会って話して理解した事実から出発して、物事を考えて万事取り計らうことのできる唯一に近い存在ではなかったのかと思う。
彼は、日本の官僚機構の表裏は理解することができたが、その背後にいるアメリカ政財界というものの表裏は理解できなかったのだろう。それゆえにロッキードにひっかかった。とはいえ、日本にアメリカ政財界の本当の内情を理解している人間など、何人居るのか知れたものではないが。


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旨いものを食って、主治医の診察を受ける。
この先生、少し神経質なところがあって、日によって見せる表情が若干異なる。先週は緊張気味で終始こめかみをぴくぴくさせていたが、今日は上機嫌でリラックスしている。
「しかし、リハビリでなんだって木工だのクリーニングなんかやんなきゃいけないんですかねえ。」
「あのね、今のホワイトカラーはね、頭でっかちなんですよ。数字ばっかりおっかけてねえ。でね、木工とかクリーニングとかっていう作業で、手を動かして、汗をかいて、仲間と協力して、感謝して感謝されるっていう感覚をもう一回思い出してもらうことがねえ、一番のリハビリなんですよ。人生観を変えますからね。」
「大体ね、場所によってはね、農作業させるところもあるんですよ。それからね、最近じゃ介護実習までさせるところも出てきたそうです。
とにかくね、手足を動かして、人と協力して、感謝し感謝される。これが健康的な精神生活の基本です。」

今日の先生は、ずいぶんかっこよかった。


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新宿に電源とwifiが飛んでいる喫茶店があるので、銀座の駅から丸ノ内線で新宿まで向かう。
切符を買ってふと目を前に見やると、いまどきそうそう見ないボロボロの服装をした、本当にきったない、それこそセブでさえそうは見ないような不衛生な浮浪者が、ごみ箱の中に手を突っ込んで、空き缶空き瓶に数滴ずつ残った液体をのどに流し込んでいた。

それは僕が27年生きてきた中で、自分の目で見た最も悲惨な光景であった。

僕は昔から、本当にとんでもない状況に出くわすとかえって心持が冷静になる性質があって、今自分はこの男のために何をすべきかを冷静に考えはじめた。
階段を下りるとそこにキオスクがあったので、差し当たり彼に衛生的なミネラルウォーター500cc振る舞うことが最も望ましいと考えた。
いや、しかし、外は10度チョットしかないこの冬に、ミネラルウォーターはちょっとなあと思いなおす。僕はレストランに入るといつも冷たい水を頼むが、それは僕が肥っていて基本暑がりだからである。彼には温かいものが必要だ。

ということで、360ccの十六茶を振る舞うことにした。
よもや彼がもうどこか違うところに行ってしまったりはしてないよなと思いながら、階段を駆け上がる。すると、彼は4つ目の空き缶をひっくり返していたところだった。
大体一人頭のGDPが4万ドルのこの日本で(東京に限れば5万7千ドル!)、こんな悲劇的な光景を見てだれも何もしないという事実が、異常である。

僕は極力偉ぶらないように努めながら、十六茶を彼に差し出して、こう声を掛けた。
「ねえ。」
彼は、十六茶を手に自分に話しかけるダッフルコートを着たやや太り気味の男を不思議そうな目でしばし眺めた。
「これ、飲んで。」
彼は、ようやくこの男が、自分にこの十六茶をプレゼントしようとしていると言うことを了解した。そして、顔を穏やかにほころばせていった。
「いや、どうも。」
変に卑屈にならないところに僕は幾分かの好感を持った。
「いやあ、寒くなりますからね。どうも頑張ってね。」
「はい。」
なんたって僕は今まで浮浪者と話したことなんかないから、どうも話し方が、終戦直後の地方行幸に出た昭和天皇のようになってしまう。

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まあ、取り敢えずまともな飲み物は確保できたと思いながら階段を下りると、いや、人間は360ccの十六茶でホッとできるのはせいぜい1時間であることに気が付いた。公園に行けば水道もあるし、上野に行けば炊き出しもやってるはずなのに、天下の銀座の駅のど真ん中で、空き缶ののこりっかすを飲み漁ってる男が、凡そまともな精神状態にあるとは思えない。このままほおっておけば、この冬を越せるかどうか分からない。今年なんかやたらに寒いし。

別に何かの宗教に入っているわけでもなければNPOでボランティアしているわけでもないのに、あんなにきったない浮浪者と敢て接触を持つような僕は日本人としては相当に変わり者の部類に入っていると言う自覚があるので、逆に言うと僕が彼に、どこに行けば少なくとも「死にはしないか」を教えてあげるかどうかが、彼の今冬の生死を分けるような気がした。

僕はぱっと考える。区役所?ダメダメ。あんな規則にがんがらじめの連中が、フレキシブルに事を成すとは思えない。警察?もっとダメ。多分彼を銀座駅から外に追い出すだけ。じゃあ築地本願寺にでも行かせようか?まあでもな、今の坊さんは生臭坊主が多いからな。うちのひいじいちゃんが死んだとき、院居士戒名に100万円も取った位だから。やっぱ教会が一番無難だろう。なんたって、「心の貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」の宗教だから。

ということで、再び階段を駆け上がる。
彼は、まるで日本酒でも飲むかのように、ちびちびと十六茶を飲んでいて、その時丁度170cc位を飲み終えたところだった。

「ねえ、あなた、教会分かりますか?キリスト教の教会。」
僕は昔浮浪者のIQには70ないし80位の人も少なくないと聞いたので、彼の知的水準を一旦低く見積もって、極力易しい言葉で話しかけた。
しばし沈黙が流れる。彼はいった。
「ああ、あっちのほうにあるやつ。」
あっちの方がどっちの方だか知らないが、まあ、一応教会があることは知っているらしい。
「取り敢えず教会に行きなさい。何とかなるから。」
「はぁ」
僕は、もやいとかなんとかいうNPOが浮浪者に炊き出しをしているようなことをどこかで聞いたことを思い出した。
「あと、もやいって知ってます?」
もしかしたら知っているかもしれないと思った。僕が知っている位だから、当事者の浮浪者の間では有名な存在だろう。
果たして彼は知っているようだった。
そして顔を少し歪めた。
多分何等かトラブルがそこであったのだろう。彼はぼそっと言った。
「まあ、機会があれば。」

「嫌だ」という代わりに相手の顔を立てるために「機会があれば」という言葉をつかうことを知っているだけの社会経験を彼が持っていることはわかったが、そんなことは今や問題ではない。
今の彼に、機会は待っていてはやってきまい。すぐにでも自分からドアをたたきに行かなければ。この人は今年自分が死ぬかもしれないことを果たして理解しているのだろうか?まあ、今こうして冷静に考えれば、それを理解している位ならば今ここで銀座駅のゴミ箱で「残液」漁りなどしちゃあいないとわかるものだが。


僕は彼に最後の警告を与えた。

「あなた、今年は寒いよ。うんと寒いよ。」
僕はダッフルコートの襟を手で覆うしぐさをしながら彼を言った。
「誰かに相談しなくちゃ、相談しなくちゃだめだよ。」
彼はぷいと横を向いた。
「あなた、僕はもうあなたと会えないよ。何とかしなくちゃ。」
彼は横を向いたままだった。

僕も彼の腰に縄をつけて教会に引っ張っていくほど暇ではない。
言うだけのことは言った。
僕は階段を降り、ちょうどやってきた荻窪行の電車に乗り込んだ。


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まことに、無駄に高いプライドは身を滅ぼす。

うつ病休職者が銀ブラした後銀座駅で浮浪者に十六茶を振る舞った件

浮浪者のくだりは実話です。
なお、http://freenovelist.hatenadiary.jp/ に参考リンク付バージョンものせていますので、ご覧ください。

うつ病休職者が銀ブラした後銀座駅で浮浪者に十六茶を振る舞った件

タイトル通りです。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-09

Copyrighted
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