化かされた狸
私はこの辺りで名の知れた、狸である。
人間界に下り立っては畑を荒らし、人間に化け、女を手玉に取っていた。
自分で言うのも気は引けるが、化けて騙すのはそこらの狐よりも上手いと思っている。
畑を荒らす時はカラスになりすまし、人間に化ける時は美しい男に化ける。
今まで制裁を喰らった事がないのは、如何にも私が偉大な狸であるからなのだ。
ある晩、私は女遊びをしようと城下町へと下りた。
今日もうまく化けられているようだ。
町外れまでくれば、女が私の手を引き「お代はいらないよ」なんて耳元で呟く。
馬鹿な女だ。
人間というものはすぐに騙される。
私は女の言葉に頷き、手を引かれるままに裏路地の方へ歩き始めた。
すると後ろから一人の女が、私を呼び止めた。
「ちょいとそこのお兄さん。今宵は私といかかでしょう」
振り返るとそこに居たのは絶世の美女だった。
今まで見てきた人間の女の中で一番美しかった。
私は、私の手を引く女を薙ぎ払い、美女の元へ歩み寄った。
「お嬢さん、私で良いのですか」
私が呟くと、美女は私の手を取り言った。
「ええ、貴方のような美しい方とご一緒出来るのなら、なんだってします」
私は高揚して美女に口付けを強請ったが、彼女は「ここではいけません」と焦らしてきた。
今度は私が彼女の手を引いて、城下町を抜け、畑の中まで走った。
人間の居ない畑は静まり返っていた。
「お嬢さん、先にお名前を」
「わたくしは、天子と申します」
天子は私の目を見つめて言った。
その赤い瞳に吸い込まれそうになった。
「口付けしても良いかな」
私は返事を聞く間も惜しんで、天子に顔を近づけた。
もちろん、目は瞑っている。
そろそろ互いの唇が付くだろうという頃、私は違和感を感じた。
全くもって口付けした感覚が無い。
何故だと思い目を開けると、私が掴んでいたのは藁でできた案山子であった。
「化かされたな阿呆狸」
声のした方へ目を向けると、空に天子が浮かんでいた。
「人間を化かすなど、下劣にも程がある。人間がいなければ、お前は畑を荒らすことも出来ずにのたれ死んでいるだろうに」
「お前は」
「我は千年の命を持つ天狐である。お前より何百年も多く生きている」
「ほう。神様が私のような者の為にわざわざ降りてくるとは」
私は冷静を装っていたが、自分が化かされたことに対し、怒りでハラワタは煮えくり返っていた。
「お前のような不届き者が居ると聞いて来た次第」
「しかし男が女に化けるなんてお前も下劣じゃないか」
「我は我を崇める人間の為、お前を懲らしめる為にしたのだ。お前は女を、人間を騙す為に化けている。そんな者と一緒にするな」
私は何も言い返せなかった。
「次に同じ事をしたら狸鍋にして人間に喰わせるぞ」
そう言って笑った後、天狐は森へと消えて行った。
取り残された私は、天狐の行先をただ見つめるだけだった。
私が初めて化かされた宵の事だった。
私はこの辺りで名の知れた、狸である。
人間界に下り立っては畑を荒らし、人間に化け、女を手玉に取っていた。
しかしあれ以来私は悪さをしていない。
どうもまだ狐よりも化けるのが下手だったらしい。
あれから天狐には合っていないが、ふとした時に悪さをしていないか見張られているような視線を感じる。
私は偉大な狸から監視される罪人の身となったのだ。
化かされた狸