コズミック ラブ
初投稿です。
誤字脱字が多いかもしれませんが、読んでいただける嬉しいです。
よろしくお願いします。
プロローグ
六畳一間の狭い空間に、けたたましい騒音が鳴り響いていた。
それは、テレビや机の上に置かれた携帯からではなく、もっと俺の身近な所から聞こえてきていた。
「あり得ない......これは夢だ......こんな事が現実に起こるはずがない......」
帰って来てからかれこれ三十分。
ボロボロになった服を着替えもせず、俺は全力で現実逃避に勤しんだ。
口をぽかんと開き、力ない瞳を自分の部屋の天井へと向け、精一杯己の殻に閉じこもった。
しかし、いくら『これは夢だ』と自分に言い聞かせてみても、手から伝わる体温がそれを一向に肯定してはくれない。
もう、否応無しにその存在をアピールしてくる。
このまま何もなかった事にしたいのはやまやまだが、残念な事に、これ以上逃避を続けたところで現状は何も変わりはしないだろう。
現実とはそんなに甘くはないのだ......。
なくなくその事を受け入れた俺は、非情な現実と向き合うため、天井から自分の腕の中へと視線を落とす事にした。
「おぎゃーーおぎゃーー」
そこにいたのは、バスタオルにくるまれた産まれたばかりの赤ん坊。
頭部には薄らと産毛が生え、お腹が空いているのか、マシュマロのような白く柔らかそうな頬を赤く染めながら元気一杯に泣きわめいている。
普通、産まれたばかりの赤ん坊と言えば、小猿のような印象を受けるものなのだが、この子は違う。
すでに顔立ちはとても整っており、将来美人になる事は間違いないと断言できた。
そんなダイヤモンドの原石を思わせる赤ん坊を抱えた俺の耳に、突如、ガサガサと紙袋がこすれる音が聞こえてきた。
そうだ......。この部屋には俺とこの子以外にもう一人いたんだった。
気持ちを落ち着かせるため深く息を吐き出した後、俺はゆっくりとその音がした方へと目を向けた。
この現実離れした状況を作り出した元凶とも言えるあいつに......。
視線の先にいたのは、小柄な一人の少女。
腰までとどく白く繊細な髪が、部屋の明かりを受け神々しい光を放っている。
その髪の色と同様に肌の色もまた白く、ピンクサファイを彷彿させるきらびやかな瞳をより一層際立たせていた。
それに少女の面立ちはつい息を飲んでしまうほど美しく、まるで漫画の中から飛び出して来たかのような華やかさをその身に宿している。
そんな神秘性を秘めた美少女が、部屋の隅に設置された勉強机と本棚の間に挟まるようにして座り、明日の朝飯用に買ってきておいた俺のカレーパンを無表情でほおばっていた。
普通、自分の部屋に美少女が居たら思わずガッツポーズをとりたくなるほど嬉しいものなのだが、こいつに至ってはその逆だ。
なにせ、目の前の少女は普通とはほど遠い存在なのだから......。
少女が纏まとっている服は、白いウエットスーツのようにも見えるが、表面には何やら幾何学模様らしきものが描かれており、淡い光を放ちながら数秒ごとにその図柄を変えていた。
それだけならまだ良いのだが、どうしても解せない部分が一つあった。
それは、少女の頭のてっぺんから生えている一本の触覚のようなものだ。
長さにしておよそ十センチ。小指ほどの太さを持つそれは、何かしらの感情を表しているのだろうか、犬の尻尾のようにブンブンと左右に大きく揺れていた。
そのあまりにも奇怪な出で立ちに、自然と俺の喉がごくりと鳴る。
そのわずかな音に気がついたのか、二つ目のカレーパンを食べ終えた少女が、首を傾げ不思議そうにこちらの様子をうかがった。
少女はそのまま数秒間こちらを見つめていたが、ふと何かに気付いたのか、徐々に目線を落としていき、やがて俺の足下にあった最後のカレーパンへと視線を固定した。
それから一分ほど、少女は瞬まばたき一つせず、じっとカレーパンを見つめる。
その無言のプレッシャーに耐え切れなくなった俺は、未だ泣き止まない赤ん坊を片手に抱え、空いた手で彼女のお目当ての物を差し出した。
「もっ......もう一個食うか?」
少女はコクリと頷くと、とことこと俺のもとまで駆け寄り、そっとカレーパンを受け取った。
そして元いた場所まで戻ると、触覚をブンブンと振りながら再び一心不乱に食べ始めたのだ。
「なぜだ......なぜ、こうなった......?」
口元をカレーでべとつかせた少女を見つめながら、俺は事の成り行きを思い出していく。
そう......。
全ての始まりは、今日の下校中、親友のあいつが言ったこんな一言から始まったのだ。
第一話
「おい、夜真十!今日の夜、うちの裏山に幽霊探しに行くぞ!」
下校中、俺は突然そんな言葉を投げかけられた。
言い出したのは、隣を歩いていたなんとも端正な顔立ちをした好青年。
短くカットした髪を茶色く染めてはいるが、不思議な事にチャラついた印象は受けない。
むしろ春風のような爽やかさを彼からは感じる。
その要因となっているのは、彼が見せる屈託の無い笑顔だ。
それは、同性でさえキュンとさせてしてしまうほど不思議な魅力に溢れていた。
そんな人懐っこい雰囲気を醸し出すこの青年の名は、八雲 織春。
俺、九 夜真十の唯一無二の親友だ。
織春は、うちの家の近くにある『不破神社』の一人息子で、親同士も仲が良いため、昔から家族ぐるみの付き合いをしている。
言わば、幼なじみというやつだ。
実家が神職で父親に似て自身もオカルト好きなせいか、織春はたまにこういった訳の分からない事を口走る。
正直、幽霊だの超能力だの、そういったオカルト的なものを俺は一切信じてはいない。
なぜなら、自分の目で見たものしか信じない現実主義者というやつだからだ。
ゆえに、こんなバカらしい誘いに乗る気は無いが、一応そう思い立った経緯だけは聞いてやろうと、横にいる親友に向かって問いかけてみる事にした。
「何だよ急に?またおっちゃんに何か変な事でも吹き込まれたのか?」
「違う違う。いやさー、クラスの女子に聞いたんだけど、うちの裏山って結構人気の心霊スポットらしいんだよ!あそこで幽霊を見たっていう目撃情報も多いらしくてさ、だから本当に出るのかどうか調べに行こうと思って」
「アホか、そんなのいる訳ねぇーだろ。あんなもん脳が作り出したただの幻覚だ!てかっ、誰だよ?そんなバカなこと言ってる奴はよー?」
「花澤」
「なにー!花澤さんだとー?!!」
俺は急に足を止め織春に向き直った。
なぜなら、織春が口にした名が、密かに思いを寄せる少女のものだったからだ。
ーー花澤 舞。
容姿端麗にして成績優秀。
そのうえ、性格も良く小動物のような愛くるしさも兼ね備えているため、男子の中ではマドンナ的存在だ。
運良く彼女と同じクラスになれたは良いが、俺は彼女に避けられていた。
その原因は間違いなく俺にある。
男女問わずすぐに友達ができる人気者の織春とは違い、俺は元来人見知りな性格ゆえ、人と話すのが苦手だった。織春のように昔から慣れ親しんだ奴であればまったく問題無いのだが、それ以外の者に対してはなぜか、緊張のあまり鬼の形相となってしまうのだ。
もともと無口で目つきの悪い俺が、さらに凶悪な顔になるのだ。相手からすれば、まるで蛇に睨まれた蛙の如く、それはもう恐ろしいものに映ったに違いない。
それゆえ、言葉を交わしてくれる者は徐々に減っていき、いつの間にか俺はクラスでも浮いた存在となっていた。
そんな俺を見兼ねたのか、何度か彼女の方から話かけてくれる事もあったが、その度いつも以上に顔が強ばり、思う存分彼女を怖がらせてしまっていた。
その事が原因なのだろう。最近ではろくに目も合わしてくれなくなり、いつしか声をかけずらい間柄となっていた。
「そうそう。お前が大好きなあの花澤さんだ」
「アッ、アホ!声がでけーよ!』
「はいはい。分かったから、まぁ聞けよ。あいつもオカルトとかに興味あるらしくてな、たまにこういった話とかすんだよ。んで、うちの裏山の情報を教えてくれたってわけ」
「へぇ......あの花澤さんが」
なるほど......。花澤さんもそういう話が好きなのか。
俺は心のメモ帳にそっとその事を書き加えたあと、ふと頭をよぎった疑問を口にする。
「経緯は分かった。でもよー、それで何で俺がお前と一緒に行くはめになるんだ?」
「何でって......はぁ〜冷たいねー、俺たち親友だろ?何するにしてもいつも一緒じゃん!」
「まぁ、そりゃそうだけどよ......」
「それにお前、最近あいつと全然話せてないだろ?」
「うっ......」
こいつ、さらりと痛い所を突いてきやがる......。
「だからさ、話題作りにはもってこいかな?って思って。あっ、そうそう!断っても無駄だかんな。花澤には、お前と二人で調べに行って、その結果をお前の口から報告させるって言ってあるから、ぜってー逃げらんねーぞ」
そう言って織春は、爽やかな笑顔をこちらに向けた。
昔から少し強引だが、俺が何か困っている時、救いの手を差し伸べてくれるのはいつだって織春なのだ。
幽霊の存在などまったく信じてはいないが、結果がどうであれ彼女と話せる事に変わりは無い。
そういう風に織春がお膳立てしてくれたのだ。
それにこの機会を逃したら、この先二度と彼女とは話せないかもしれない。
自慢じゃないが、俺はそこまで積極的な性格ではないのだ。
なら、答えは一つ。心優しい親友が作ってくれたこのチャンスを最大限に生かし、明るい学園生活を送るのみ!
そう決心した俺は、織春への感謝の念を抱きつつも、気恥ずかしさゆえついつい憎まれ口を叩いてしまう。
「たくっ、しゃーねーなー。分かったよ、ついて行ってやるよ。まぁ、明日からゴールデンウィークで学校休みだしな。たまには、夜更かしもいいかもな」
「だろ?さっすが夜真十!そう言ってくれると思ったぜ!」
「そっ、それと......」
「ん?」
織春は、何か言いたげな俺の顔を覗き込む。
「あっ、ありがとな......色々と考えてくれて」
照れくささゆえ、目線をそらす俺の横顔を見つめ、織春は満面の笑みで頷いた。
「おうよ!んじゃ飯食ったら俺ん家集合な!」
こうして俺達は、ひょんな事から幽霊探しに出かける事となったのだ。
夕食を終え織春と合流した俺は、不破神社の裏山へと足を踏み入れた。
不破神社が所有する裏山ーー通称『プリン山』は、そのあだ名の通り山全体が平べったいプリンのような形をしている。
なぜそんな奇妙な形をしているかは謎だが、オンシーズンにもなれば全国から紅葉を楽しむ人で賑わう地元でも有名な観光スポットだ。
標高もさほど高くはなく、俺達の足でもせいぜい四十分ほどで頂上に着く。
それに山道はきちんと舗装されており、いくつか明かりも設置されているため、夜道でも安心して山を登る事が出来た。
しかし明かりがあるとはいえ、さすがに夜の山の中は暗い。
闇が深々と辺りを覆う中、虫の鳴く声と俺と織春の足音だけが山中に響く。
ふと視線を横にそらすと杉林が広がっており、今にも木々の間から白い顔をした女性がぬらりと出てきそうなほど、周囲は不気味な雰囲気に包まれていた。
それに加え昨晩の大雨のせいで空気は多分に水気を含み、なんとも言えない陰湿な空間を作り出している。
しかし、そんなナイスシチュエーションにも関わらず、幽霊どころか小動物の姿すら発見する事もなく、俺達はプリン山の山頂まで辿り着いた。
「ほら見ろ!やっぱ幽霊なんかいなかったじゃねーか!」
「あっれ~?おっかしいーな。ここら辺が一番出るって花澤が言ってたんだけどな......」
俺からすれば当然の結果だが、織春はまだ納得できないのか、不満げな顔で辺りを散策し始める。
諦めてもう帰ろうぜ。そう提案したい気持ちはもちろんあった。だって、幽霊なんて100%いないんだから探しても絶対に時間の無駄だ。
しかし、今回の件で織春には大きな借りがある。それでなくても日頃からこいつには色々と世話になっているのだ。
まぁ、たまには恩返しの一つでもするか、と、柄にもなくそう思い立った俺は、説得を諦め林の中に消えて行く織春の姿を見送った。
一人取り残された俺は、織春が戻ってくまでの間、頭上に広がる満天の星空を見上げ時間を潰す事にした。
山頂という事もあり、普段は目にできないような小さな星までもがはっきりと見る事が出来る。
大小いくつもの星々がダークブルーの夜空を彩り、視界いっぱいに幻想的な世界を創り出していた。
それはまさに絶景と言える光景だった。
しかし残念な事に、こんなロマンチックなシチュエーションにも関わらず、一人というのが泣けてくる......。
「はぁ......この星空を花澤さんと一緒に見れたらな......」
神秘的な星空に、明るく微笑む彼女の姿を幻視していたその時、ふと、ひときわ強い光を放つ星が目に入った。
それはどの星よりも大きく、まるで太陽のようにさんさんと輝いている。
なんとなく興味をそそられた俺は後ろを振り返り、宇宙や星の事にも詳しい自称天文博士と豪語する人物に大声で尋ねてみる事にした。
「なぁ、織春ー!あの一番でかい星ってなんだー?」
その声が届いたのか、しばらくすると暗い顔をした織春が林の中からぬっと姿を現した。
どうやら、幽霊は発見出来なかったようだ。織春はぶつぶつと言いながらこちらまでやって来ると、俺が指差す星を訝いぶかしげに見つめ首をひねる。
「えーっと、あれは......ん?......何だ?.あそこに、あんなでかい星なんてなかったはずだけど......」
「おいおい。あんなでかい星が今まで見つからなかったわけねーだろ?」
「あぁ......だから変なんだ。それに......ん?」
織春は急に両目をこすると、再び顔を上げて眉をひそめた。
「どうした?目にゴミでも入ったのか?」
「いや......なんか、あの星......ちょっとずつでかくなってるような......」
「はぁ?お前何言ってんだ。んなわけ............!!?」
織春から前方へ視線を戻した俺は、信じられない光景を目の当たりにした。
なんと、先ほどの星が三倍以上も膨れ上がっていたのだ。いや、正しくは現在進行形でその大きさを増している。
それと比例するかのように、飛行機とはまた違った奇妙な風切音が鼓膜を揺らす。
天文学などそういった知識が無い俺でさえ、それがどういった意味を持つのか容易に理解できた。
目の前で光っているモノは星なんかじゃない!あれは、間違いなく隕石だ!
それも信じられない事に、猛スピードでこちらに向かって落下してきていた。
「なっ、なぁ夜真十......これって......ヤバくないか?」
「アッ、アホー!ヤバいどころじゃねー!!!」
俺は慌てて織春の手を引きその場から逃げ出した。
冗談じゃない。あんなもん、もろに喰らえば即死どころか骨すら残らねーじゃねえか。
それに、こんな所で死んでたまるか!俺には花澤さんに告白するっていう大事な使命があるんだ。
なんとかこの場を切り抜けようと俺は死に物狂いで足を動かした。
しかし、いくら頑張ってみても頭が混乱しているせいか、いつものようにうまく走る事が出来きない。
「くそっ!」
苛立ながらも後ろを振り返えってみると、織春もまた足に力が入らないのか、何度も転びそうになりながら一生懸命地面を蹴っていた。
そんな俺達をあざ笑うかのように、隕石はさらにスピードを上げすぐ後ろまで迫る。
「夜真十!あれ!」
突然織春が勢い良く前方を指差した。俺はすぐさま織春が指を差した方向へと視線を送る。
襲い来る死神の鎌を振り払わんと全力で駆ける俺達の目の前に、やっとこさゴールが見え始めたのだ。
「やったぞ織春!後もう少しだ!」
あと二十メートルほどで下山道へ差し掛かかかろうとした次の瞬間、とんでもない爆発音と共に衝撃波が俺と織春の背中を叩いた。
「うおおぉぉぉー!」「うわああぁぁぁー!」
すさまじい爆風で体が宙に浮き、俺達はまるで映画のワンシーンのように十数メートル先の雑木林へと吹き飛ばされた。
あれから、どれくらいの時間が経過したのだろう。
はっきりした事は分からないが、おそらく十分以上は気を失っていたに違いない。
目を覚ました時、俺はうつ伏せで地面に倒れていた。
口の中に入り込んだ泥がざらりと舌の上で踊り、かすかな草の香りが鼻孔をくすぐった。
体はきしむように痛かったが、感じられる症状はそれくらいで、どうやら致命傷は免れたようだ。
半分開いた瞳の先には織春がいた。織春もちょうど意識を取り戻したようで、口に入った泥をぺっぺっと吐き出している所だった。
「痛ててて......織春、大丈夫か?」
「あぁ......何とか」
朦朧とする意識の中、俺達はよろよろと立ち上がり、互いにケガの有無を確かめ合う。
お互い泥だらけでところどころ服は破れていたが、運良くかすり傷程度しか負ってはいなかった。
普通なら死んでいてもおかしくないほどの距離を飛んだのだが、幸い木に体を打ち付ける事も無く、落下した場所がぬかるみの上だったため大事には至らなかったようだ。
昨日の晩に大雨が降っていなければ、今頃どうなっていたかは言うまでもない。
考えただけでもゾッとする......。
自分達の強運に驚きながらも、ほっと胸を撫で下ろした俺は、朧げな意識を辺りに向けた。
目に映ったのは、先ほどとはまるで違った散々たる光景。
山頂を埋め尽くしていたはずの木々は、隕石落下による衝撃で見事なまでになぎ倒され、視界を遮るものがほとんどなくなっていた。
周囲には木を燃やしたような焦げくさい臭いがたちこめ、空に舞い上げられた砂ぼこりの量が、どれほどすごい爆発だったかを如実に物語っていた。
それに、この山の頂上が広大で平べったい地形をしていなければ、今頃俺達は山のふもとまで吹き飛ばされ、全身を血の海に染めていた事は間違いないだろう。
まさに奇跡であった。
「こんなんでよく生き残れたな......まじで奇跡だぞこれ......」
生への喜びをひしひしと感じていた俺に、突然目の前の織春が震えた声で問いかけた。
「なっ、なぁ夜真十。......あれって......何だと思う?」
そう言って織春は、震える手で俺の後方を指差した。
その緊迫した表情に嫌なものを感じた俺は、恐る恐る背後を振り返える。
最初に目に飛び込んで来たのは光だった。
自分達がいる場所から数百メートルほど離れた所からまばゆい光が上がっていた。
遠目からでははっきりと分からないものの、それが異様な物である事は充分に理解できた。
なぜなら、視線の先にあったのは、神々しい光を放つ謎の巨大な物体。
未だ熱を帯びた隕石のようにも見えるが、それにしては光量が異常過ぎる。
その物体の周りだけが、真昼の如く夜の闇を切り裂いていたのだ。
「なんだ......あれ?」
あまりにも現実離れした光景に、俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
だが、そんな俺を尻目に、織春は急にその物体に向かって歩き出す。
「え?おっ、おい!織春!どこ行くんだよ!?」
慌てて俺は織春の腕を掴んだ。
「あれが何なのか確かめに行く」
「はぁ?!お前何言ってんだ!危ねーって!いいから早く帰ろうぜ!」
「夜真十こそ何言ってんだよ!あれがただの隕石なはずないだろ?こんなミラクル滅多に起きないぞ!もしかしたら世間を震撼させる大スクープかもしれないじゃないかー!」
そう言って織春は、俺の手を振り払い意気揚々と走り出した。
昔からこういった事に目がない彼にとって、この状況はまさに神が与えてくれた奇跡と言っても過言ではないのだろう。こんなチャンスを逃すまいと、織春は全力で謎の物体へと駆けて行く。
「はぁ......。かんべんしてくれよ」
こうなった織春に何を言っても無駄だ。
奴は、幼い頃から自分の気が済むまで絶対に家に帰ろうとしない迷惑な性格なのだ。
その事をよく知っている俺は、一抹の不安を抱えながらも、仕方なく織春の後を追う事にした。
第二話
ーーなんじゃこりゃ!!!
謎の物体のもとまで辿り着いた俺は、衝撃のあまり言葉を失った。
直径百メートルを超えるクレーターの中心に、青白い光を放つ水晶の結晶を思わせる巨大な物体が、大地にめりこむようにして斜めに突き刺さっていたのだ。
それは、ただの石の塊を想像していた俺にとって予想外のフォルムであり、また、今まで培った常識を一瞬で崩壊させるには充分なほどの異質さを兼ね備えていた。
驚きのあまり開いた口が塞がらない俺の横で、織春は訝いぶかしげにつぶやいた。
「おかしい......」
俺は、織春のその言葉に俺は安堵した。
なぜなら、そう考えていたのが自分だけではないと知ったからだ。
そもそもこんな物が空から降って来るはずがない。まだ、買った宝くじが当たっていたという方がよっぽど現実味がある。
おそらく俺達はさっきの爆発でどこか頭を強く打ち、こんな幻覚を見ているのだろう。
そう考えれば全て納得がいく。織春もそんな風に考えたに違いない。
何の根拠も無いがそう結論づけた俺は、真剣な面持ちで水晶を見下ろす織春に向かって明るく賛同した。
「ははっ。あぁ、そうだな!これはあれだ、幻覚か何かだな!それか、俺達まだ気絶してるってパターンてのもあり得るな!いやーまいったなこりゃ。はははははは」
「いや、そう言う事じゃなくて......」
「え?」
肩すかしをくらった俺に、織春は坦々と自分の考えを述べていく。
「クレーターがあまりにも小さ過ぎるんだ。通常、隕石が落ちた時、その隕石の約二十倍ものクレーターが出来るって言われてるんだけど、あれは全長二十メートルを軽く超えている。それなら四百メートル以上のクレーターが出来てもおかしくないはずなのに。......これじゃまるで......衝突の際に減速したとしか考えられないじゃないか......」
「............」
織春のその言葉に俺は耳を疑った。衝突の際に隕石が減速した?こいつは一体何を言ってるんだ?
確かに大気圏に突入する際、いくらかスピードが落ちる事は知っている。空気抵抗というやつだ。
だが、織春が言っている事はそういう事じゃない。『地面に激突する間際、隕石が減速した』と、彼はそう言いたいのだ。
そんな話、聞いたこともないぞ。
にわかには信じられない話だが、俺より豊富な知識を持っている織春が言っている事だ、あながち的外れではないのかもしれない。
仮に、そう仮にだ!百歩譲ったとして、あの水晶が自発的に減速したとしよう。
てことはつまり、あれには何らかの意志のようなものが存在しているって事にならないか?
そんなバカげた話があってたまるか!!!
俺がそう必死に自分の考えを否定している間にも、織春はクレーターの縁から飛び降り迷う事無く水晶のもとへと歩き出した。
「おっ、おい織春!ちょっと待てよー!どこ行くんだよー!」
俺は不安にかられながらも、そそくさと歩く織春の後を追った。
やがて俺達は水晶の前で足を止めた。
高さにしておよそ十メートル。五階建てのマンションに匹敵する高度を持つそれは、なぜか当初よりだいぶ光量が和らいでいた。
そのおかげで不透明だった全体像があらわになり、細部までしっかりと観察する事が出来た。
しかし、それが逆に俺をさらに混乱させる原因となっていた。
水晶の外装はつるつるとしており、鉱物というよりかは金属に近い光沢を放っている。それに加え表面には幾何学模様らしきものが描かれており、数秒ごとにその図柄を変えていた。
もっとも驚いたのは、落下の際に破損したのか、その隙間から内部の構造を見る事ができ、中からいくつも機械らしき物が顔を覗かせていた事だった。
以上の事からこの物体は、自然に出来た物ではなく、人工物だという事が誰の目から見ても明らかであった。
「すっ......すごい。夜真十......これってUFOだよな?」
「............」
俺は織春の問いに素直に答える事が出来なかった。
『自分の目で見たものしか信じない』そう公言している立て前上、目の前の現実を受け入れるべきなのだろう。それが現実主義者というものなのだ。
しかし、俺の理性はそれを強く拒んでいた。先ほど否定した自分の考えが正解だったなんて絶対認めたくなかったからだ。
こんな事が現実に起こるはずが無い。いや、起こって欲しくない。これは夢だ!
そんな願望が己の信念を曲げ、俺を現実逃避へといざなっていた。だが残念な事に、俺の悪夢はここからが本番であった。
突如、水晶に異変が起こった。
今まで以上に強い光を放った後、中央に二メートルほどの穴が開き、その中から神々しい光を纏った一人の少女が姿を現したのだ。
その少女の顔立ちは息を飲むほど美しく、肌や髪の色は雪のように白い。そのせいか、ピンクサファイアを彷彿させるきらびやかな瞳が、少女の神秘性をよりいっそう際立たせていた。
少女の頭部からは触覚らしきものが一本生えており、それがピンと伸び天を穿っている。
何より俺達を驚かせたのは少女の出で立ちだ。少女は衣服を一切身に纏っておらず、小柄な外見に相応しい発展途上の肉体を羞恥する事無くさらけ出していたのだ。
「まっ......まじかよ......」
衝撃のあまり、俺は息を吸う事すら忘れ少女を見上げていた。
幽霊を捜しに来て、裸の宇宙人に遭遇するなど誰が想像できただろうか。
横にいる織春でさえ、こういった事を待ち望んでいたにも関わらず、思考停止を余儀なくされているのだ。もはや俺には理解不能な状況であった。
少女は辺りを軽く見渡した後、静かに目線を落としいき俺の横に居る織春へと視線を固定した。
未知との遭遇で体が硬直している俺達とは違い、少女の顔に驚きの表情は一切見受けられない。
まるで道ばたに転がる石ころでも眺めるかのような、無機質な瞳が織春に向けられていた。
少女は数秒間織春を見つめた後、ふいに俺の方へと視線を移した。その瞬間、少女の表情が一変した。
目を大きく見開き、まばたき一つせずじっと俺の方を凝視しだしたのだ。
その美しい瞳には、先ほどとは違い、まるで獲物を狩るハンターの如く鋭い光が宿っているようにも見えた。
(ちょっ、ちょっと待て!何でこっち見てんだよー!!!)
俺は心の中で絶叫しながらも必死に頭を働かせる。今すぐこの場から逃げ出したかったが、背を見せた瞬間何をされるか分からない。こういった状況下では慎重に行動する事が絶対条件なのだ。
森の中で熊と遭遇した場合も熊を刺激しないようゆっくりと後退するのが鉄則だと、むかし母親から教わった事がある。なら、そっと織春の手を引き、ゆっくりと少しずつ後ろに下がりながら......。
と、対宇宙人用の逃走術を模索していたその時、突如、目の前にその少女が現れた。
「うわああぁぁぁーー!!!」
予想外の出来事に俺は勢い良く後ろへ倒れ込んだ。さっきまで十メートル以上も離れた所にいた少女が、突然瞬間移動したかのように目の前に現れたのだ。誰だって腰を抜かすだろう。
織春もまた地面に尻を預け、大きく口を開いたまま動けないでいた。
そんな俺達を気にも止めず、少女はふわりと俺の上に股がり、ゆっくりと顔を近づける。
遠目からでも分かっていたが、こうして目の前に来られると、その美しさについ恐怖心を忘れ見入ってしまう。
しかし、馬乗りになった少女からは、重さというものをほとんど感じなかった。
例えるなら、上から薄い布でもかけらているような軽さしか感じないのだ。
その不気味さが引き金となり、忘れかけていた恐怖心に再び火がついた。
「なななっ、何なんだお前ー!俺なんか美味くないぞー!『フラワー』のカレーパンの方が、俺より数百倍美味いんだからな!だっ、だから、やめてーー!」
何を言ってるのか自分でもさっぱり分からなかったが、それくらいこの奇襲に動揺していた。
身を震わせガチガチと歯を鳴らす俺の顔を少女は突然その小さな手で優しく包み込んだ。
ーー補食される!
そう思い、ぐっと目をつむったその時。
「ミ......ツケ......タ......」
「......え?」
どこかで聞いたような言葉を耳にした俺の唇に、突如、生暖かい何かが触れた。
プルっとしていて少し弾力のあるそれは、今まで感じた事のない不思議な感触だった。
なんとも言えない感触に興味を引かれ薄く目を開けたその瞬間、俺は絶句した。
なんと、自分の唇が少女の唇と重なっていたのだ。
それは、俺にとって正真正銘のファーストキスであり、思い描いた理想が崩れた瞬間でもあった。
「なっ、ななっ!何すんだー!!!」
俺は思わず少女を突き飛ばしていた。
あり得ない!まさかこんな場所で、しかも、どこの馬の骨かも分からない地球外生命体なんぞにファーストキスを奪われるなど夢にも思っていなかったからだ。
『ファーストキスは大好きな人と、夕日の沈むオシャレな公園で』と、乙女さながら心に決めていた俺にとって、これは最悪以外の何ものでも無かった。
ふと半べそ混じりの顔を横に向けると、ほうけた顔の織春がそこにいた。織春も何が起こったのかまったく理解できない様子だったが、なぜか頬を赤く染め俺の顔をまじまじと見つめていた。
なんでお前がポッとしてんだよ!そう怒鳴りつけてやろうと思った瞬間、突然俺の耳に奇妙な音がまとわりついた。
それは犬が発する威嚇いかくの音にも似ていたが、何かが違う。
どこか苦痛を耐え忍ぶ人の声のようにも聞こえたのだ。
その音の発生源を探るべく、俺は全神経を耳に集中させ辺りを見渡した。
そして、ある一点で視線を止める。どうやらその音は、未だ地面に横たわる少女から発せられているようなのだ。
「しまった!!!」
急に冷静さを取り戻した俺は、慌てて体を起こし少女の元まで駆け寄った。
とっさの出来事で動揺していたとはいえ、女の子を乱暴に突き飛ばしてしまったのだ。
それが例え宇宙人でだったとしても、そんな事は男がとって良い行動ではない。
心の中で自分に罵声を浴びせつつ、俺は少女の上半身を抱き起こし声をかける。
「おっ、おい!大丈夫か?!どこかケガしちまったのか?」
腕の中の少女は返答する事なく、両手を握りしめただただ苦しそうに身を震わせていた。
額からは大粒の汗が噴き出し、苦痛のせいかキレイな顔はその原型をとどめながらも大きく歪んでいた。
これは緊急事態だ。とっさにそう判断した俺は、少女への恐怖心など忘れ、遅れてやってきた織春に助けを求めた。
「織春!助けてくれ!コイツどこかケガしちまったみたいなんだ!こんな時どうすればいい?!」
俺の無茶ぶりに慌てながらも、織春は少女の全身をくまなく調べていく。
そして何かに気付いたのか、急に顔を上げ、引きつった顔をこちらに向けた。
「......いっ、いや......夜真十。これってもしかして......」
織春は大きく目を見開き、少女の腹部を指差した。
織春が醸し出す緊迫した雰囲気に再び嫌な汗が流れ始めた俺は、すぐさまそこへと目を向けた。
「はぁー?!!!」
本日二度目のなんじゃこりゃであった。
なんと信じられない事に、さっきまで平らだったはずの少女の腹部がどんどん膨らみだしていた。
それも徐々にでは無い。ゴム風船に勢いよく空気を送り込んだ時のようなものすごいスピードでだ。
それに比例して少女からは悲鳴が上がる。先ほど以上に大きく顔を歪ませた少女は、俺の服をギュッと掴み、必死に痛みに耐えているようだった。
「おっ、おい......ちょっと待て。......嘘だろ......これって」
まったく異質だが、こんな状況に似た場面を俺は知っている。
学校の保健体育の授業や、テレビなどでたまにこういったシーンを目にするからだ。
それは生命の神秘であり、全生命体の出発点とも言える超一大イベント。
そう、出産だ!
ようやく俺が状況を把握したのと同時に、少女の苦痛がピークを超えた。
「グウウゥゥゥー!アアアァァァー!!!」
獣のような咆哮を上げ、少女が大きく股を開く。
そして、下腹部に全ての力を注ぎ込み、腹の中のものを押し出そうと力み始めたのだ。
(こいつ妊娠してるのに何で地球に来たんだ?!てか、宇宙人の出産も人間と同じやり方で良いのか?あぁー!分っかんねー!つーか産むなら自分の星で産め!)
混乱しつつも俺はすぐさま行動を開始した。記憶を辿りテレビで見た出産シーンを思い出す。
そして自分の体を分娩椅子代わりにするため少女の後方へと回り込み、少女が少しでも力みやすいよう震える手を強く握ってやった。
織春も動揺を隠せなかったが、自分のやるべき事を瞬時に理解したのだろう。
少女の股へ両手をかざし準備を整えた。
少女は悶もだえながらも、全力を振り絞る。
目には涙が溢れていたが、歯をグッと食いしばる事で、今にも飛んでいきそうな意識を必死に繋ぎ止めているようだった。
(何か!何か他に俺が出来る事はないのか?!)
無い頭をフル回転させるも、依然として良いアイディアが浮かんでこない。
「くそっ!」
こんな時になんの役にもたたない自分に心底嫌気がさす。
俺が自分の無能さにへこんでいる間にも、少女の意識がだんだんと薄れ、体からは力が抜け始めていた。
(なに弱気になってんだ!今一番辛いのは俺じゃなく、目の前のこいつだろ!何も思いつかないならせめて、今出来る事を全力でやれや!)
そう思い立った俺は、少女に向かって大声で叫ぶ。
「おい!しっかりしろ!大丈夫だ!もうすぐ産まれる!だから頑張れ!!!」
俺は少女の手をさらに強く握り、祈るような思いで声をかけ続けた。
それを見た織春からも励ましの声が飛ぶ。
そんな俺達の思いが届いたのか、少女は意識を取り戻し再び力み出した。
それから数分が経過し、この緊迫した時間が永遠に続くかと思われたその時、急に目の前の織春が声を張り上げた。
「やった!やっと頭が見えてきたぞ!」
「まじか!!!おい、聞いたか?後もうちょっとで産まれるぞ!だから絶対諦めんな!頑張れ!頑張れーー!!!」
その言葉を理解出来たのかは分からないが、俺の呼びかけに答えるように少女がラストスパートをかけ始めた。
声にならない声を上げ、少女も俺の手を強く握り必死にに力を振り絞った。
それから数十秒後、ついに待ち望んだ瞬間が訪れる。
「おぎゃーおぎゃーおぎゃー!」
四人目の声が春の夜空に響き渡る。
それはお世辞にも心地よい響きとは言えなかったが、なぜか、なんとも心を温かくしてくれる不思議な音色だった。
その声を聞いた途端、達成感と共に張りつめていた緊張が一気に解け、どっと疲れが押し寄せてきた。
何もしていない俺でさえこうなのだから、当の本人はそれはもう大変だったに違いない。
小さな体で本当によく頑張ったな、と、そう賛美してやりたかったが、地球人の言葉が分かるはずもないので、代わりに肩で息をする少女の頭をそっと撫でてやった。
少女の艶やかな髪を撫でながら、俺はある事に気が付いた。
意外な事に、少女への恐怖心はもうどこにも無かったのだ。
むしろそれどころか、親近感さえ湧いてくる。
おそらく共に困難を乗り越えた事が、少女との距離をぐっと縮めてくれたのだろう。
自分の単純さに苦笑いを浮かべながら、俺は織春へと視線を移した。
元気よく産声をあげる赤ん坊を落とさないよう慎重に取り上げた織春は、「女の子だよ」と告げた後、少女にゆっくりと手渡した。
本来人間なら、産まれた直後に子どもと母親を繋ぐへその緒を切るものだが、その赤ん坊にはそういった物は見当たらなかった。
羊水に濡れたつるんとしたお腹が月明かりを受け、てらてらと優しい光を放っている。
少女は赤ん坊をそっと抱きかかえ、不思議そうに顔を覗き込んだ。
母親に抱かれる赤ん坊の姿を後ろから眺めていると、ふいに目頭が熱くなるのを感じた。
たとえ他人の子であったとしても、新しい命が誕生する瞬間というのはやはり感動的なものだ。
昔からこういった感動的なシーンに弱い俺は、知らぬ間に号泣しながら少女にねぎらいの言葉をかけていた。
「うぅ......よっ、よかったなぁ。お前よく頑張ったよ......。きっとお前の旦那も喜んでるはずだぞ」
安堵からか崩れ落ちるように腰を下ろした織春も、「うんうん」首を縦に振り俺の言葉に賛同してくれた。
そんな心温まる時間がいくらか経過した後、少女は急に体を起こし俺に向き直った。
相変わらず無表情なため感情を読み取る事は出来ないが、今にも閉じてしまいそうなその瞳から、疲労している事だけは強く感じ取れた。
少女は息を切らしながら、か細い腕に抱いた赤ん坊を、そっと俺の前に差し出した。
おそらく出産を手伝ってくれた事への感謝の気持ちとして、大事な我が子を抱かせてくれようとしているのだろう。
なんだこいつ、もしかしたら意外と良い奴なのかもしれないな。
そんな事を考えながら俺は、少女から赤ん坊を受け取り優しく自分の方へと抱き寄せた。
手から伝わるプニプニとした感触がたまらない。それに産まれたばかりにも関わらず、赤ん坊の顔は非常に整っており少女に似てとても美しかった。
「ははっ、元気良いな。それに、こんなに可愛いと将来が楽しみだな。そう言えばお前、この子の名前とか決めてんのか?」
俺の質問を理解できたのか、少女は小さく返答する。
「......アーナ。......アーナ......タッ......コ」
「アーナ:タッ:コ?......ははっ、何か変わった名前だな。あっ、でも俺が地球人だからそう思うだけか?そうか......アーナか......良い名前だな」
そう言って俺は、赤ん坊をあやしながら少女に微笑みかけた。
しかし少女は否定するように首を横に振り、赤ん坊を指差し再度口を開く。
「チッ......ガウ......ソノコ、アナタ......ノコ」
「............ん?」
俺は満面の笑みを浮かべたまま首を傾げた。
(えっ?......こいつ、今なんて言った?......なんか、すごい言葉をさらりと口にしたような気がしたが......)
俺は最初、少女が何と言ったか理解出来なかった。
そもそも宇宙語など、この俺に分かるはずが無い。
なにせ中学生レベルの英語ですらチンプンカンプンなのだ。
だが、冷静に思い返してみれば、少女は最初から日本語を使っていたような気がする。
さっきは気が動転していたせいで、そんな事を考える余裕は無かったが今は違う。いたって冷静だ。
目の前の少女はこちらの言葉を理解しており、その証拠に俺の質問に対しちゃんと受け答えをしている。
と言う事は、少女が発っした今の言葉は......。
ーー違う。その子、貴方の子。
「はあああぁぁぁぁーー!!?」
思わず俺は今日一番の大声を喉から喉から絞り出していた。
急激に酸素を失った事と、予想だにしない言葉のせいで、頭が完全にショートしてしまい目の前が真っ白に染まっていく。
そんな思考停止状態の俺に向かって、少女はさらに追い打ちをかける。
「ワタシハ......ミラ。コレカラ、ヨロシク」
こうして俺、九 夜真十は、高校一年の春、訳も分からないまま一児の父となってしまったのだった。
第三話
あの後も奇怪な現象は続いた。
UFOらしき水晶が再び強い光を放った後、急に弾けて光の粒子へと姿を変えた。
最初は証拠隠滅のために爆発させたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
光の粒子は少女の......えっと、ミラだっけ?の体にまとわりつき、今彼女が着ている白いウエットスーツに変わったのだ。
あの巨大なUFOが、なぜこんなにもコンパクトになるのか俺の頭じゃまったく理解できなかったが、織春は「なるほど......物質を再構築できるのか」と、妙に納得している様子だった。
そのあと放心状態の俺の頭にミラがそっと手を当てると、周りの景色が突然歪み出し、俺達はいつの間にか全員この部屋に瞬間移動していたのだった。
「はぁ......」
我が身に起こった事を一通り思い出した俺は、重く息を吐き出した。
やっぱり未だに信じられん。というか、信じろという方が無理だろこれ......。
てかなんだよ!貴方の子って!何だ?詐欺か?詐欺なのか?宇宙ではオレオレ詐欺じゃなく、産め産め詐欺でも流行ってるのか?!
冗談じゃない。
自慢じゃないが、俺はまだ童貞だ。絶賛売り出し中のチェリーボーイなんだぞ。
そんな俺がどうやって子作りなどできると言うのだ。
それに、いきなり「貴方が父親です」と言われ、「はい、そうですか」って簡単に受け入れられるはずが無い。
なにせ、自分にはまったく思い当たる節がないのだから。......そうだ、そうだよ!
やっぱり何かの間違えに違いない!
と、暗雲に一筋の光が差した俺の耳に、突然『コンコン』と誰かがドアをノックする音が聞こえてきた。
「夜真十、俺だ......入ってもいいか?」
声の主は織春だった。
そういえば織春は、赤ん坊をバスタオルでくるんで俺に手渡した後、『一端家に帰る』と言って出て行ったきりだったな。
......うーん......それにしても妙だ......。
俺は、織春の一連の行動に首を傾げる。
普段からノックなんて絶対にしない織春が、なぜ今になってこんな事をする?
もしかしてミラがいるからか?いや、そんな事でこいつが気を使うとは思えん。
こちらの都合などまったく気にせず、勝手にプライベートルームに侵入してくるような奴んだぞ。
そのせいで何回こいつに恥ずかしい姿を見られたことか。エロ本を隠す暇さえ与えてくれないなのだ。
それに互いの家はもはや、第二の我が家と言っても良いはずだ。
なら今更、何をそんなに改まる必要があるんだ?
そんな疑問を抱きつつ、俺は織春に入室の許可を出す。
「あっ、あぁ。入れよ」
扉がゆっくりと開き、織春がぬっと部屋の中に入ってきた。
Tシャツにスエットというラフな格好だが、ちゃんとキレイな服に着替えてきたようだ。
だが、シャワーを浴びていないせいで顔や髪にはまだ汚れが残っている。
それになぜか、織春の顔はとてつもなく暗い。
もう誰か死んだのかと心配になるほど、その甘いマスクには泥と共に憂いの表情がこびりついていた。
織春は俺の腕の中で泣きわめく赤ん坊を見るなり、ぐっと歯を食いしばり目を背ける。
いつもと違う織春の態度に再び疑問を覚えた俺は、すぐさま声をかけようとしたが、それよりも先に織春が動く。
織春は急にその場で正座をし、床に手を突いたかと思うと、何を血迷ったのか勢い良く自分の額を床に叩き付けたのだ。
「おっ、おい!何してーー」
「ーー夜真十!ほんとにすまん!!!」
俺の言葉を遮り、織春は土下座の体勢のまま大声を張り上げる。
「俺が......俺が裏山に行こうなんて言わなけきゃ、こんな事にはならなかった。全部俺の責任だ!」
「いやっ、ちょっと待ーー」
「ーー謝って済むなんてこれっぽっちも思っちゃいない!お前の人生をめちゃくちゃにしちまったんだ!一生かけてこの罪をつぐなーー」
「ーーいいから話を聞け!!!」
思わず俺は怒鳴り声を上げていた。一瞬、時間が止まったように室内は静まり返る。
その声にびっくりしたのか、赤ん坊ですら泣く事を止めていた。
俺は大きなため息をついた後、頭を上げるよう必死に織春を説得したが、織春は一向にそうしようとはしなかった。本当に昔から頑固な奴だ......。
説得を諦めた俺は、仕方なく土下座をしたままの織春に語りかける。
「いいか織春。何を勘違いしてるのか知らねーが、お前は何にも悪くない。別に罪の意識なんか感じる必要なんてねーんだよ」
「いっ、いや!でも!」
「でももへったくれもねー!いいか、よく聞け。お前は俺の事を思って裏山に行こうて誘ってくれたんだ。それのどこが罪なんだ?」
「でっ、でも......俺があの時、お前の忠告を聞いてUFOなんかに近寄らなけりゃ、こんな事には......」
確かに織春の言う通りだ。
あそこでこいつがあんな行動をとらなければ、こんな馬鹿げた展開にはならなかっただろう。
そうすれば、今みたいに頭を悩ませる事も無く、普段と変わらない日常を送れていたはずだ。
だが、そんな事はただの責任転換でしかない。
なぜなら、織春についていくと決めたのは他の誰でもない。俺自身なのだ。
自分が選んだ選択でこうなったのであれば、全ての責任は自分にある。
人のせいにするのは、まったくもってお門違いなのだ。
「あぁ、そうだな。それは事実だ。でもな、お前について行くと決めたのはまぎれもなく俺だ。本当に嫌ならお前を置いてでも帰ってくりゃ良かっただけの話だろ?だから、お前が負い目を感じる必要はねーよ」
「でっ、でも!」
織春はふいに顔を上げ首を左右に振った。その目には涙が溢れ今にもこぼれ落ちそうだ。
「はぁ......あのな織春。お前が俺の人生を台無しにしたなんて思うのは思い上がりも良い所だぞ?確かに何かのきっかけで人生が変わる事はあるかもしれない。だけど、それをプラスにとるかマイナスにとるかは自分次第だろ?それにほら、言うじゃねーか。起こる事は起こるべくして起こるってさ!だから今回の件はお前のせいじゃねーよ」
「......夜真十」
自分でも何でそんな言葉が口を衝いたのかは分からない。
さっきまで絶望的な状況に打ちひしがれていた人間の言葉とは到底思えないが、織春の顔をみているとなぜか自然とそんな言葉が出て来たのだ。
おそらく、織春に言い聞かせるのと同時に自分にも言い聞かせているのだろう。
そんな事を考えながら、俺は言葉を続けた。
「まぁ、全部母ちゃんからの受け入りだけどな。俺もそう思うんだよ。だからもう泣くな!男がいつまでもメソメソしてると、かっこ悪りーだろ!」
「うぅぅ.....夜真十ー!!!」
いきなり織春が抱きついてきた。俺の首に腕を回し、ほおずりしながらわんわんと泣きわめく。
「ううぅぅ......俺、一生お前についていく!俺も一緒にその子を育てる!そんでもって俺もお前の子どもを産むー!!!」
「アホ!恐ろしい事を言うな!今ならそんな事も出来そうで恐えーんだよ!それより、気持ち悪いから離れろー!」
俺の本気の抵抗をものともせず、織春は「いやだー!」と言って一向に離れようとしない。
このままじゃらちがあかないと思った俺は、さっきふと思いついた可能性を口にした。
「そっ、それに、この子が俺の子とまだ決まったわけじゃねーだろ!なんでそんな事を言ったのか、あのミラって奴にちゃんと聞いてみねーと分かんねーだろ?!」
その言葉を聞いた途端、織春の動きがピタリと止まった。
「......たっ、確かに......」
織春は俺の首からゆっくりと手を離し、そのまま目線を落とし赤ん坊の顔を覗き込む。
「なんで今までその事に気がつかなかったんだ?そうだよ!夜真十の言い通りだ!その可能性も充分にあり得る!」
そう意気込んだ織春は涙を拭った後、勉強机と本棚の間に挟まるようにして座るミラの方へと顔を向けた。
ミラはというと、食事を終え何もする事がなく暇だったのか、こちらの様子を観察するようにじっと俺達の事を見つめていた。
そんなミラに織春が声をかけようとしたその時、玄関からいきなり大きな音が聞こえてきた。
玄関のドアを勢い良く閉めたた音が聞こえかと思うと、そのまま誰かが階段を上る音へと変わり、そしてーー『ドーーン!』。
急に俺の部屋のドアが破壊された。
「ひぃー!!!」「うわぁー!!!」
俺と織春は思わず悲鳴を上げる。
木製の扉がまるで大砲でも打ち込まれたかのように、部屋の中に飛び込んできたのだ。
扉の破片が勢い良くベッドに突き刺ささり、薄い掛け布団の中から吐き出された羽毛がヒラヒラと宙を舞った。
もしもあと一メートルほど部屋の中心にいれば、俺と織春は間違いなく串刺しにされていたところだ。
「夜真十ー!!!無事かー!?」
部屋の扉を壊した張本人が、握りこぶしを作ったまま大声で叫ぶ。
年齢にそぐわない美しさと若々しさを兼ね備えた女性がそこに立っていた。
おそらくこの人を見て、アラフォーなんて言葉は絶対に思い浮かばないだろう。
誰がどう見ても美人だと思うその顔には、なぜか鬼気迫るものがあった。
急いで帰って来たからなのか、息は大きく乱れ、緩くウエーブがかかった金髪はややセットがくずれている。
しかしそれでいてもエレガントさを失った訳ではない。
多少髪が乱れた所で、この人の美貌が損なわれる事は決してないのだ。
世の女性が羨むボディーを赤いミニスカートのドレスがこれでもかと締め付け、なんとも男心をくすぐる淫美なラインを作り出している。
そんな夜の蝶丸出しの見掛けとは裏腹に、熊でも一撃で倒してしまいそうな腕力を持つこの人物こそ、この家の家長であり、俺の唯一の家族。
性は九、名は夏鈴。そう、何を隠そう俺の母ちゃんだ。
「無事か?じゃねー!何やってんだよ母ちゃん!死んだらどうすんだー!」
「はぁっ、はぁっ......なんだ......元気そうじゃねーか。ったく!心配かけさせやがってこの野郎!」
そう言うなり母ちゃんは、ダッシュで俺のもとまで駆け寄り、俺の頭を脇に抱えてぐグリグリと拳をめり込ませた。
「痛い痛い痛い痛い!」
「あたしがどれだけ肝を冷やしたか分かってんのか?!えぇ!このくそガキー!」
「ちょっ、ちょっと夏鈴おばさん!違うんだ、夜真十はーー」
「ーー織春!てめーも同罪だ!こっちに来い!」
「えっ?!何で!?ちょっと待っーー痛ててててて」
俺から手を離した母ちゃんは、織春にも同じくグリグリの刑を実行する。
その隙に俺は、巻き添えを食わないようベットのキレイな部分にそっと赤ん坊を寝かせ後ろを振り返る。
織春は嫌がりながらも笑顔で母ちゃんの刑罰を受けていた。
どうやら母ちゃんのおっぱいが自分の顔に当たっているのを楽しんでいるようなのだ......。
それから俺達は一分ほど交互に頭を弄もてあそばれた。
地獄の時間が終了し、ボロボロになった俺と織春は、崩れ落ちるようにして床に倒れ込む。
「まぁ、無事だったし今日はこれくらいで勘弁してやる。てめーら!ありがたく思えよ!」
暴君は腕を組み俺達を見下ろしそう言った。
「はぁっ、はぁっ......てかっ、何で母ちゃんがここにいんだよ?!今日は仕事だろ?店はどうした?!」
「あぁん?てめーが電話に出ねーから心配ですっ飛んで来たんだろーがボケ!薫子が『織春がボロボロで帰って来たけど夜真十は大丈夫か?』ってすぐに連絡くれたんだよ!」
「えっ!母さんが?」
織春は驚いた顔で母ちゃんを見上げる。
「あぁ、そうだ!お前、帰って来るなり『夜真十の家に行って来る』つって何の説明もしねーで家を飛び出したそうじゃねーか!薫子の奴えらく心配してたぞ!お前らがプリン山に行くって事は夜真十から聞いて知ってたが、まさか隕石が降って来るとわな......。それにしても、本当に無事でよかったぜ」
そうか......俺達以外はまだ、UFOが墜落し事を知らないんだ。
俺も最初は隕石だと思っていたしな。というか、まだその方がよっぽど現実味が有る。
「それより......そこの赤ちゃんと、あそこの隅にいる変な奴はなんだ?お前らの連れか?」
と、母ちゃんは、ミラの頭に生えた触覚を見つめ訝しげに目を細めた。
「!!?」
そうだ!すっかり忘れてた......。母ちゃんにこいつらの事をどうやって説明したらいいんだ?
説明したところで絶対に信じてくれるはずがない。
母ちゃんはこういった事に対して、俺以上に否定的なのだ。
どうする?何か良いごまかし方はないか?と、必死に知恵を絞り出そうとしていたその瞬間、突如、奇妙な声が室内に響いた。
『あーあーあー。ただいまマイクのテスト中。聞こえますかー?どうぞー』
どこからともなく子どものような中世的な声がした。
その声はまるでカラオケのマイクのようにエコーがかかった不思議なものだった。
織春と母ちゃんにも聞こえたのか、俺達三人は辺りを見渡しその声の発生源を探す。
『あー聞こえてるようですね。すみません、ここです。ここ』
いきなりミラの右手が上がる。だが、奇妙な事にミラの口は閉じたままだ。
テレパシーか何かか?最初はそう思った。しかし、さっき聞いたミラの声とはどこか違う気がする。というか、まったくの別人だ。
ミラはすっと立ち上がると、無表情のままえっへんと威張るようにして両手を腰にあてた。
すると、白いウエットスーツを駆け巡っていた幾何学模様がミラの腹部に集まり、そこに突然ハニワを思わせるまぬけな顔が浮かび上がった。
『えーっとですね、今話しているのはミラ様ではなく、ミラ様が着てらっしゃるこの服、すなわち私です』
その声とシンクロするかのように、ハニワの口が動く。
人間の順応力とは恐ろしいもので、この小一時間の間にいくつもの非現実的な体験をする事によって、俺と織春はもはやこれくらいの事では驚かなくなっていた。
しかし、母ちゃんは違う。何がなんだか分からないのだろう。あんぐりと口を大きく開き、ミラとハニワを交互に見つめながら呆然と立ち尽くしていた。
『申し遅れました、私の名はカクタス。惑星ケプラスが生んだ宇宙一の人工知能でございます。僭越ながら我々の身に何が起こったのか、ミラ様に代わり私の方からお話させていただきます』
そう言ってカクタスと名乗るハニワは、流暢な日本語で話し始めた。
第四話
『ーーと、言う訳なんですよ。いやー参りましたー』
事の顛末を話し終えたカクタスは、丸い目と口をカシューナッツのような形に変形させ、『はははは』と陽気に笑う。
その笑い声に連動して、ミラは腰にあてていた右手を頭の後ろにやり軽くのけぞった。いわゆる『いやー参った』のポーズだ。
さっきからカクタスが話す度、ミラは全身をフルに使ってその時の状況を表現していた。
俺も話すとき多少身振り手振りはするが、ミラのは動きは大げさで、しかも妙に躍動感がある為どちらかというとパントマイムに近い。
だが、やはり顔は無表情のままだ。おそらくだが、体を動かしているのはカクタスで、ミラはされるがままなのだろう。
じゃないと、あんな二人羽織みたいな印象は受けない。
「おい、夜真十。......これは一体どういう事だ?何で服が喋ってる?あれはピョン吉の親戚か何かか?」
と、今まで横でおとなしく話を聞いていた母ちゃんが、青白い顔で訳の分からない質問を投げかけてきた。
まぁ、状況が呑み込めなくて当然だ。こんな現実離れした出来事を素直に受け入れられる奴の方がおかしい。俺だって未だに信じられないのだから。
そもそも母ちゃんがこういった事に否定的なのは、幽霊や宇宙人といったオカルト的なものが大の苦手だからだ。だからそういったものはこの世に存在しないと自分に暗示をかけ、恐怖心を押さえ込んでいるのだ。
同じ否定的でもオカルトなんてはなから信じちゃいない俺に対し、母ちゃんは信じているからこそ逆にそれを認めたくない、といった、とても面倒な性格なのだ。
それにしても......ピョン吉はないだろう。どう見てもカエルじゃなくハニワじゃないか。
それに、あいつのまぬけ面からはど根性など微塵も感じない。
ここでちゃんと突っ込んでやるのが、子の優しさというものなのだろう。だが、そんな余裕は無い。
今のカクタスの話を聞いて、早急に確かめなくてはならない事が出来たからだ。
俺はひとまず母ちゃんの質問を無視し、すぐさま話のまとめに入った。
「んじゃ何か?お前とミラは、地球から二百四十五万光年離れたアンドロメダ銀河の中にある惑星ケプラスってところから重大な使命を負ってこの地球にやってきたと」
『はい』
「んで地球の大気圏近くで待機していたら、突然、巨大な小惑星とぶつかってプリン山に墜落してしまったと」
『そうです』
「その事故の原因は......お前が地球のアニメに夢中になって警戒をおこたったからだと、そう、お前は言いたいんだな?」
『はい!おっしゃる通りでございます!まったくyoutubeは最高ですね!』
「それって............全部お前のせいじゃねーかー!!!」
俺は怒りのあまりカクタスに飛びかかろうとしたが、後ろから織春に羽交い締めにされその場でじだんだを踏む。
『いやーそれにしても日本のアニメは面白いですねー!でも個人的にはセル戦で終ってた方がよかったと思うんですよねー。そこんとこどう思われます?』
「離せ織春!あいつは殴る!絶対殴るー!」
「おっ、落ち着け夜真十!あいつを殴ったら、あのミラって子まで殴る事になるぞ!」
「くっ......」
俺は拳を握ったままカクタスを睨む。
何が惑星ケプラスが生んだ宇宙一の人工知能だ。自己防衛すら出来ないただのポンコツじゃないか。
それにどうやってインターネットに接続したんだ?まさかあの流暢な日本語もアニメで勉強したとか言うんじゃねーだろーな!
再び頭に血が上りかけた俺の背後から、織春の冷静な声が響く。
「それで、重大な使命ってのは何なんだ?まさか、地球を滅ぼしに来たとか言うんじゃないだろうな?」
織春のその問いに急にカクタスの表情が変わる。
穴のような目をぐっと閉じ、口をへの字に曲げ考え込むそぶりを見せたのだ。
どこか顔文字を思わせる滑稽なものだったが、先ほどとはまるで違い、その面白い表情の中にも真剣さが滲み出ている。
どうやら部外者に機密事項を話して良いものなのか迷っているようだ。
熟考の末ようやく考えがまとまったのか、カクタスはゆっくりと目を開き俺達を見据え話し始めた。
『いいえ、この星には学びに来たのです。お気づきかもしれませんが、ミラ様には感情と呼べるものがほとんどありません。いや、ミラ様だけでなく全てのケプラス星人が感情を失ってしまったのです。それを取り戻すため、我々はこの星へとやってきたのです』
そう言った後カクタスは、惑星ケプラスの現状について語り始めた。
カクタスが言うにはミラ達ケプラス星人は今、絶滅の危機に瀕しているという。
その理由は、感情を喪失する事によって引き起こされる『無関心』が原因らしい。
一見何も問題なさそうに思えるが、よくよく話を聞いてみると、それはとても恐ろしい事だった。
カクタスの話では、生物が繁栄していく為には少なからず欲というものが必要になるらしい。
例えば、金持ちになって豪邸を建てたい、もっと安全で快適な暮らしを人々に提供したいなど、そういった願望が金を稼ぐ事や技術の進歩を生み、その結果、経済が活性化され文明の発展へと繋がっていくそうなのだ。
しかし無関心になってしまうと何かに執着する事もなくなり、そういった行動を起こす際のエネルギー源となる欲が生み出されなくなる。
言うなれば、欲とは車を動かす時に使うガソリンのような物だ。
その欲が今のケプラス星人にはまったく無いらしい。そうなれば誰も努力をしなくなり、自然と文明は衰退していき、やがては岩が風化するように崩れ去る。今のケプラス星はそんな時限爆弾を抱えた状態だとカクタスは言うのだ。
だが、ここで一つ疑問が浮かび上がる。はたしてただそれだけで絶滅という考えに至るだろうか?
確かに文明が衰退する事によって多くの死者が出るかもしれない。しかし、みんながみんな死ぬとはどうしても思えないのだ。
そう感じた俺は、ふと頭をよぎった疑問をカクタスにぶつけてみる事にした。
「話はだいたい分かった。そりゃ確かに一大事だ。でも、絶滅するってのはちょっと大げさじゃねーか?仮に文明が衰退して原始的な生活に戻ったとしても、そう簡単に絶滅するか?俺達人間のご先祖にあたる原始人だって、今ほど便利な暮らしをしてた訳じゃねーが、滅んだりはしてねーぞ。その証拠が今の俺達だ」
『確かに、文明が滅ぶだけなら何も問題はありません。また一から築き上げれば良いだけの話です。しかし、ケプラス星人が抱える一番の問題点は、異性にまで関心を失くしてしまった事にあるのです』
「えっ?!それって......まさか!」
後ろで俺の動きを止めていた織春が、急に手を離し驚きの声を上げた。
『はい。お察しの通り、ケプラス星人達は繁殖行動を一切行わなくなってしまったのです。それがケプラス星人が抱える絶滅の危機の真相です』
そう言った後カクタスは、重く息を吐き出し、さらに言葉を続ける。
『ケプラス星人は地球人と違って寿命が長く、だいたい千年近く生きる種族でして、それゆえ繁殖行動を頻繁には行っていませんでした。地球人のように常に繁殖行為をしてしまうと、惑星内はケプラス星人で溢れ、生態系が狂ってしまいますからね。なので、一家族に子どもは一人という政策を実施していたのです。ですが、今回それが仇となりました。元々それほど数が多くない上、繁殖行動をとらなくなってしまったせいで、ケプラス星人の数はみるみる減っていってしまったのです』
確かに、それなら絶滅という言葉に納得がいく。
生物は交配することで自分の遺伝子を後世に残し未来へと繋いでいく。
地球上に生命が誕生してから約三十八億年。その間、一度もその行為が途切れる事が無かったからこそ、今の俺達がいるのだ。
繁殖行動を止めてしまえば、当然その種は滅ぶ事になる。
でもーーと言いかけた所で、先に織春が口を開いた。
「でも、君らの星は地球なんかよりもっと科学技術が進んでるんだろ?なら試験管ベイビーみたいに人為的にでも数を増やす事なんて朝飯前じゃないのか?」
どうやら織春も同じ疑問を抱いていたらしい。
まぁ、俺が思いつくのはその程度が限界だが、奴は違う。なんてったって俺と織春では頭の出来が全然違うのだ。
こういう時は頭の良い奴にまかせるのが一番だと踏んだ俺は、二人の邪魔をしないよう、当分聞き役に徹する事にした。
『ええ、もちろんそれは可能です。実際、数を増やす事には成功しています。ですが、それだけではダメなのです。なぜなら、産まれてきた子ども達も皆、感情を持ってはいませんでした......。数を増やした所で問題を先送りにしているとしか言えない。感情の喪失という根本的な原因を解決しない限り、ケプラス星人に明るい未来はやって来ないのです。ですから我々は、感情とは何か?それを学ぶ必要があったのです』
「じゃあ、なんでこの星に来ようと思ったんだ?もっと他にも文明が進んだ星とかあるんじゃないのか?それに、なぜそのミラちゃんって子を連れて来た?彼女にも感情がないんだろ?」
『確かにこの星は他の惑星と比べ、科学技術や精神的な面でかなり発達が遅れた最底辺の星だと言えます。高度な文明を持つ知的生命体になればなるほど、感情の抑止力が効き、この地球のような無駄な争いは起こしません。とは言え、たまに例外もありますが......。まぁとにかく、今のケプラス星人には生温い環境よりも、強い感情が渦巻くこの星くらいがちょうど良いと思ったのです。それに、ミラ様だけは他のケプラス星人と違い、ほんのわずかではありますが感情の片鱗を見せました。ですから、唯一の希望である彼女を連れ、この星へとやって来たのです』
「なるほどな、だいたい話は掴めてきた。......ちょっと疑問に思ったんだが、仮にミラちゃんが感情を得れたとして、他のケプラス星人はどうやって救うつもりなんだ?得た感情はその子だけのものだろ?」
『それは簡単です。ケプラス星人の脳と私は常に繋がっておりまして、ミラ様が得た感情をデータ化し、それを他のケプラス星人に共有させる事が出来るのです。あっ、でも安心してください。全ての感情を同期する訳ではありません。ミラ様が得た感情はミラ様だけの物です。私の仕事はミラ様が得た感情を分析し、それを元に感情アプリケーションなる物を作りだし惑星ケプラスへと送信する事です。後はケプラスにある私のサブコンピューター達が、その情報を随時ケプラス星人達の脳にアップデートしていく形となっております』
「つまり、ミラちゃんが感情を得れば、同時に他のケプラス星人達も救われるって事か?」
『いかにも』
「うーん。何かパソコンみたいな種族だな......。まぁ、分かった。それじゃ、最後の質問だ」
織春はちらっと横目で俺と母ちゃんの様子を伺った後、真剣な面持ちでカクタスを見据えた。
「ミラちゃんがが産んだあの赤ちゃんは、本当に夜真十の子なのか?」
「えっ?!」
今まで黙って話を聞いていた母ちゃんが、ふいに今日一番の驚いた顔を俺に向けた。
まぁ、そりゃそんな表情にもなるわな。だって織春の質問を言い換えれば「あの赤ん坊は母ちゃんの孫なのか?」って聞いたようなものだ。
そりゃ誰だって困惑するさ。俺も未だにその事については納得できていない。というか、無罪を主張したい。
身に覚えの無い事で責任を取らされるなんて冤罪も良いところだ。
だからこそ、確かめなくてはならない。あの子が本当に俺の子かどうかを。
俺は固唾をのみカクタスの返答を待った。
『申し上げにくいのですが......間違いありません。あの子は正真正銘、そこにおられる夜真十様のお子様です』
「はぁー?!ちょっと待て!なんでそうなるんだよ!俺はこいつに何もしてねーぞ!」
聞き捨てならない回答に、たまらず俺はカクタスに詰め寄りミラの顔を指差した。
『分かっています。夜真十様は何もしていません』
「じゃあ、なんで俺があの子の父親って事になるんだよ!おかしいだろー!」
『それは、......ミラ様が貴方様にキスをなさったからです』
「はぁ?......キス?」
こいつ、何言ってんだ?そりゃ出会い頭に一発ぶちゅっとされたが、あんなの欧米人と同じで挨拶みたいなもんじゃないのか?
それが今、何の関係が......。
『ケプラス星人の繁殖行為は、この星でいうところのキスなのです。ケプラス星人の女性は、キスによって相手の生殖細胞を自分の体内へと転移させ、子どもを身ごもる事が出来るのです。ですから間違いなくあの子はミラ様と夜真十様のお子様なのです』
「そんな......嘘だろ......」
俺はショックのあまり、崩れ落ちるようにしてその場にへたりこんだ。
それを見た織春が、慌てて俺のもとまで駆け寄り倒れそうな体を支えてくれる。
たかがキスくらいで子どもが出来るって言うのか?んじゃ何か?俺は、一度も息子を使用しないまま、この歳で父親になったって事なのか?......んなアホな。
『正直、私も驚きました。ミラ様に少し感情があるとは言え、それは本当に微々たるものです。痛いや、寒いといった単純なものしか持ち合わせてはいないはず......。ですから、夜真十様に対し、あんな行動をとるとは夢にも思っていませんでした』
「でも、おかしいじゃないか!そんな感情しかないなら、何でミラちゃんは夜真十にキスなんかしたんだよ?!」
織春は声を荒げカクタスを睨む。
『申し訳有りません。それが......分からないのです。ミラ様の脳内をスキャンしましたが、別段変わった所はありませんでした。これは、私も予想し得なかった最悪の事態です』
「最悪の事態?......どういう事だ?」
再起不能の俺に代わって織春がカクタスを問いつめていく。
『我々的には、ミラ様が繁殖行動をとってくれた事はとても喜ばしいことです。なにせケプラス星人の自然繁殖など、数千年間行われてはいませんでしたから、この星に来た成果がいきなり出たと言えます。ですが、夜真十様にしてみれば、最悪以外の何者でもない。突然襲われた挙げ句、好きでもない相手との間に子どもまで出来てしまったのですから......夜真十様の人生はもうめちゃくちゃです。そんな事は我々だって望んではいません。夜真十様には本当に申し訳ない事をしたと思っています......。ですから、一つご提案があります!』
カクタスはまじまじと俺を見つめる。眼球が無い為はっきりと感情を読み取る事は出来ないが、何かしらの強い意志をその穴からは感じる。
俺は力ない瞳をカクタスに向けたまま、ぼそりとつぶやく。
「......提案?」
『はい。あの子の親権をこちらに譲ってはいただけないでしょうか?その見返りと言っては何ですが、我々に関する全ての記憶を夜真十様や後ろのお二方から消去させていただきます。そうすれば以前と変わらない生活が送れるはずです』
「ちょっと待ってくれ、急にそんな事言われてもーー」
『ーーすぐに結論を出していただなくても大丈夫です。望まれず産まれた子であったとしても、あの子は貴方様の子。色々と考える事もあるでしょう。それに私も墜落時の損傷が激しいため、今すぐ記憶を消す事ができません。残っていた力も先ほどのワープでほとんど使い果たしてしまいましたし、今はこうやって話すのが精一杯な状況です。なので、無茶なお願いだと重々承知しておりますが、どうか、私の修復作業が終るまで我々をこの家においてはいただけないでしょうか?』
カクタスのその言葉に、室内は静まり返る。
正直、カクタスの提案は魅力的だ。記憶を消してもらえれば、こんな馬鹿げた状況から解放され、俺は再び平和な毎日を送る事ができる。
俺だけじゃない。母ちゃんや織春だって、いつもと変わらない日常を取り戻せるのだ。
だが、今の言葉でどうしても聞き逃せない部分があった。それは、カクタスが言った『望まれず産まれた子』というフレーズだ。
その望まれず産まれた子が、どんな思いをするのか俺は痛いほど知っている。
あの子が成長した時、俺がいな事に対しどういう感情を抱くのか手に取るように分かる。
それは、怒りや哀しみ、寂しさといった負の感情だ。あの子はずっとその痛みを抱えながら生きていかなければならない。
そんな辛い思いを本当にあの子にさせていいのか?
答えを見つけられず頭を抱えていたその時、ふいに後ろにいた母ちゃんが静寂にとどめを刺した。
「いいぜ、宇宙人。ちょっとの間、お前らを家うちにおいてやる」
予想外の言葉に驚き、俺はすぐに後ろを振り返った。
視線の先にいた母ちゃんは、さっきまでの青ざめた表情とは打って変わって、身も凍るような冷徹な目でミラを睨みつけていた。
「だが、勘違いするなよ。てめーらの為じゃねー。正直、てめーらには相当むかついてんだ。なんせ、うちの可愛いバカ息子を傷物にしやがったんだからな。今すぐにでもぶっ殺してやりてーところだ!......でもよ」
ふいに表情を一変させた母ちゃんが、ゆっくりとベットに目を向ける。
そこには、いつの間にか眠ってしまった赤ん坊の姿があった。
その赤ん坊を様々な感情が入り交じったような複雑な目で見つめ、母ちゃんは言葉を続けた。
「この子には、何にも罪がねーんだ。そんな子をほっぽり出すなんて、あたしにゃー出来ねー。だから、仕方なくお前らも一緒においてやる」
「......母ちゃん」
「うちはそんなに広くねーから、客間ってのがねーんだ。だから、てめーらはこの部屋を使え」
『ありがとうございます。お心遣い、本当に感謝いたします』
カクタスはミラの体を使って深々と頭を下げた。
母ちゃんはその姿に『ふんっ』と鼻を鳴らした後、ベットへ行き、すやすやと眠る赤ん坊をそっと抱きかかえた。
「夜真十。お前はここを片付けたら、今日はあたしの部屋で寝ろ。それと織春、薫子が心配してるだろうからお前はもう帰ってやれ。あたしはこの子を自分の部屋に寝かした後、ちょっと買い出しに行ってくる。お前らじゃ、ガキの世話道具なて分かんねーだろうしな」
そう言い残し、母ちゃんはすたすたと隣にある自分の部屋へと戻って行った。
取り残された俺と織春は、母ちゃんのスピーディーな対応についていけず、そのまま数十秒間、壊れた入り口をただ呆然と眺めていた。
普段はめちゃくちゃな性格のくせに、こういう切羽詰まった状況では抜群の判断力と対応力をみせる母親に改めて尊敬の念がわき起こる。
もし母ちゃんがいなければ、俺は今頃どうして良いか分からずテンパりまくっていたことだろう。
俺の事を心配してダッシュで帰って来てくれた母ちゃんに、再び感謝の気持ちがこみ上げて来た。
「さすが、夏鈴おばさんだな。一気に話をまとめちまった」
「あぁ......まったくだ。我が親ながら、恐れ入ったぜ......」
「まぁ、今日はこれでお開きにしよう。いろんな事が起こったせいで、俺達も冷静な判断ができなくなってるだろうしな。これからどうするかは、また明日考えようぜ。んじゃ、とりあえず片付けるとするか」
「あぁ......そうだな......」
俺は、頭を上げたミラの横顔を見つめ織春の言葉に頷いた。
第五話
「おぎゃーーおぎゃーー」
しーんと静まり返った室内に、もはや恒例とも言える泣き声が木霊した。
その声に目が覚め、俺はしぶしぶと重いまぶたをこじ開ける。
寝起きの目に最初に飛び込んで来たのは、まだ日の光が入っていない薄暗い部屋の天井。
その天井に朧げと何人かの顔が見える。念の為に言っておくが、別に寝ぼけている訳ではない。
この部屋の天井には、往年のブルースシンガー達のポスターがいくつも貼られているのだ。
BBキング、スティーヴィーレイボーンといったブルース界の巨匠たちが、この憂いた状況を体現するかのように渋い顔でギターをかき鳴らしている姿が目に映る。
そんな姿をぼーっと眺めていると、本来なら聴こえるはずもないスローテンポのマイナーブルースが頭の中に流れ始めるのだから、人間の脳とはまったくもって不思議なものだ。
ちなみにポスターが貼られているのは天井だけでは無い。この部屋の壁という壁には、ジャンルを問わず、母ちゃんが好きなミュージシャンの顔がびっしりと並んでいた。
俺は布団からゆっくりと手を伸ばし、枕元に置かれた目覚まし時計を手に取る。
時刻は午前四時二十三分。そりゃ、まだ部屋も暗いはずだ。
時計を元の位置に戻し、軽く伸びをしてから隣に敷かれた布団へと目をやった。
仕事が長引いてるせいか布団の主はまだ帰って来てないらしく、代わりに黄色のふんわりと柔らかそうなベビー服に身を包んだ我が子の姿が目に入った。
早朝にも関わらず元気いっぱいに泣きわめいている所を見ると、今日も別段変わった様子はなさそうだ。......それにしても。
ーー眠い。
この子がうちにやって来てからというもの、連日寝不足が続いていた。
なぜなら新生児はこうやって三時間置きに目が覚めては、わんわんと泣き出すからだ。
最初はどこか具合が悪いのかと思い心配したが、どうやら問題はないらしい。
母ちゃん曰く、産まれたばかりの赤ん坊とは皆そういうものらしいのだ。
泣く理由は様々だが、だいたいはお腹が減っているか、おむつを替えて欲しいかのどちらからしく、その欲求さえ満たしてやればまるで魔法がかかったようにぴたっと泣き止むから面白い。
まぁ俺としては、このまま二度寝を決め込みたいところだが、そうも言ってはいられない。
母ちゃんがいない間は、俺がこの子の面倒をみなくちゃならないからだ。
心地よい布団にさよならを告げる決心をした俺は、亀が甲羅から首を伸ばす時のようなのっそりとしたモーションで布団から這い出した。
そして泣きじゃくる娘を抱き上げ、上下に揺らしながら背中をポンポンと軽く叩いてやる。
こういう風にあやしてやると、少しだけだが落ち着くみたいなのだ。
自分で言うのも何だが、最初は苦戦を強いられた子どもの世話も今じゃそこそこ出来るようになっていた。
それもそのはず、ミラ達がうちにやって来てから既に、三日が経過していたからだ。
あの衝撃的な事件があった翌日、正確に言うと昨日の朝九時半頃、織春が両親を連れて家にやって来た。
理由は言うまでもない、ミラ達の事でだ。
うちと織春の家は昔から仲が良いというか、ほぼ家族同然の付き合いをしている。
なので親同士もよく互いの家を行き来するため、どうやってもミラ達の事を隠し通す事が出来ないのだ。
そんな訳で織春の両親にも事情を話し手おくべきだと、母ちゃんが話し合いの機会を設けたのだった。
それに織春のおっちゃんとおばちゃんは、小さい頃から俺の事を我が子のように可愛がってくれており、もはや第二の親と言っても過言ではない。
ゆえに九いちじく家で起こった問題は、八雲やくも家の問題とも言え、今回の件に限らず何かある度にこうやって両家が集まり話し合いが行われていた。
織春の両親も息子からある程度事情を聞かされていたといえ、ミラの姿を見るなり二人とも腰を抜かしていた。
あのオカルト好きな織春のおっちゃんでさえそうなのだから、うちの母ちゃんが気絶しなかったのは本当に奇跡だと言える。
まぁ、そんなこんなで今回の話し合いはミラとカクタスを含め、三家で行われる事となったのだ。
議題は色々と上がったが、やはりメインとなったのは産まれた子どもをどうするかについてだ。
全ての話を聞き終えた織春のおっちゃんは、記憶を消してもらうのが一番だと力説した。
なんせ俺はまだ十六で、親になれる歳じゃない。
それに、仮にこのままミラ達と一緒に暮らしていくとして、どうやって世間からミラ達の事を隠すのか?それが一番の問題点となる。
普通の人間ならともかく、ミラは宇宙人だ。もしその事がバレでもしたら、大騒ぎどころの話ではない。
それに、子どもにだって危険が及ぶ可能性だってある。
人間と宇宙人とのハーフって事が公になれば、どこぞの研究所にでも送られモルモットにされるかもしれないのだ。
おっちゃんはその事を危惧して、記憶を消す事を強く勧めてきた。
だが母ちゃんは『これは夜真十と、そこの宇宙人との問題だ。あたしらがとやかく言う事じゃねー!』と、おっちゃんの意見を強引につっぱねた。
当然、織春のおっちゃんは激怒した。
未成年の子どもにそんな大事な事を決めさせる親がどこにいる!と言って、母ちゃんと掴み合いのケンカになりかけた。
まぁ、無理も無い。おっちゃんの言ってる事の方が世間一般では正しいのだから。
だが、俺には母ちゃんが何て言いたいのか、なんとなくだが理解できた。
一見、親にあるまじき発言ともとれるが、そうじゃない。
母ちゃんは俺の事を信じ、俺が出した答えならどんな事でも受け入れてやると、そう言いたかったに違いない。
これは長い時間を共に過ごした親子だからこそ分かる事なのかもしれない。
口が悪く言葉足らずな所も多々あるが、母ちゃんは誰よりも優しく、温かい心を持った人なのだ。
だからこそ俺は、今こうやってこの場にいる事が出来るのだから......。
結局、一日では結論が出なかったので、話し合いは後日に持ち越される事となった。
話し合いが終了し、玄関先で織春達を見送っていた時、隣にいた母ちゃんが遠い目をして俺にこんな事を言ってきた。
「夜真十、誰に何て言われようが気にするな。どうせお前の人生だ、好きなように生きりゃ良い。ただし、ちゃんと悩んで、悩み抜いた上で答えを出せ。いいな?」
そう言い残し、母ちゃんは自分の部屋へと戻って行った。
「好きなように生きろ......か」
昨日の母ちゃんの言葉を思い出し、俺は深いため息を吐き出す。
実際、どうしたら良いのかまったく検討がつかない。普通に考えれば俺は被害者で、別に責任など取らなくても良いはずだ。
それは昨日の話し合いに参加した全員が同じ意見だろう。
だからこそカクタスも記憶を消すという提案をしてきたのだ。しかし、どうしてもその提案を安易に受け入れる事が出来ない自分がいた。
おそらくこの子に自分の境遇を重ねているからだろう。
だが、そうは言っても現実は厳しい。
子どもを育てるとなれば自分の時間はほとんどなくなるし、それに金銭面での問題も出て来る。
うちの家は別に裕福では無いので、はっきり言ってミラとこの子を養うだけの余裕は無い。
九家の家計を管理している俺が言うのだからそれは間違いない。それに、俺には花澤さんという心に決めた人がいるのだ。......まぁ、ただ単に俺の片思いなだけなのだが......。とにかく、そんな色々な事を加味した上で、ちゃんと答えを出せと母ちゃんは言いたかったのだろう。
だけど......。
「はぁ......ほんと、これからどうすっかな」
考えれば考えるほど、出口の無い迷宮へと足を踏み入れた気分になり憂鬱さが増してくる。
てか、こんな事どう考えても一高校生が手に負える問題じゃないだろ。
これぞまさに八方ふさがりと言うやつだ。
このままずっと考え込んでいては夜になってしまうと思った俺は、結論を未来の自分へと丸投げし、今できる事をするため我が子を連れ部屋を出た。
明かりが灯っていない薄暗い廊下に出てみると、一筋の光が床に伸びている事に気がついた。
どうやらその光は隣にある俺の部屋から出ているらしく、同時に話し声も薄らと聞こえてくる。
まぁ、まだドアを修理していないから部屋の明かりが漏れているだけなのだが、それにしてもあいつら何でこんな時間まで起きてるんだ?
そんな疑問を抱いた俺は、そっと自分の部屋の中を覗き込む。
『ほほーなるほど!夜真十様はこういったプレーがお好きなのですね。いやはや、これはまたマニアックな。いいですかミラ様、人間には好みというものがあります。ですから、もし夜真十様とこういったシチュエーションになった際には、こんな風にご奉仕するのですよ』
「ワカッタ」
『我々は居候の身、夜真十様や夏鈴様には多大なご迷惑をおかけしております。ですから、少しでも何かのお役にたたなければなりません!』
目に映ったのは、ベットの上にちょこんと座ったミラの後ろ姿だった。
ミラは入り口に背を向け、お姉さん座りで腹のカクタスと何やらひそひそと話をしていた。
途中からしか会話を聞けなかったので話の全体像は分からなかったが、どうやら俺と母ちゃんに迷惑をかけないよう話し合っているみたいだ。
なんだ、意外と義理堅い所もあるじゃないか。そう関心した俺は、ミラの背中に向かってねぎらいの言葉をかけてやる。
「おはようさん。朝早くからご苦労なこったな」
『ひっ!!!』
俺のその声にミラの体がびくんと跳ね上がる。
ミラはあたふたと何かを隠すような素振りを見せた後、すっと俺の方に向き直る。
『こここ、これは夜真十様!お早いお目覚めで、どうかなされたのですか?』
ミラの腹に張り付いているカクタスが、明らかに挙動不審な態度を見せる。
逆にミラはいたって冷静だ。平然な顔で俺の事をまじまじと見つめていた。おそらく、さっきのばたばたとした動きは、全てカクタスのものだろう。
「あぁ、この子が泣き出したからな。今から下に降りてミルクを飲ませようと思ってたところだ。それにしてもお前ら、何やってたんだ?」
『いっ、いえ。別に大した事ではありません。この星の情報収集と言いますか何と言いますか......』
「情報収集?」
あれ?何か相談してたんじゃなかったのか?俺の聞き間違いか?
そんな事を考えながらミラの足下へと視線を落とす。
そこには本棚にあったはずの漫画や音楽雑誌を始め、授業で使う教科書などが布団の上に散らばっていた。
「はぁ......別にいいけどよー。後でちゃんと片付けとけよ。ちらかすと母ちゃんがうるせーからな」
『もちろんでございます!しっかりと元に戻しておきます。ねっ、ミラ様?』
「ソコハダメデス。ゴシュジンサマ」
「はっ?ご主人様?」
『ちょっとミラ様!あんた何言ってんの?!せっかくバレてないのに!いいえ!夜真十様、何でもありません!何でもありませんよー!』
カクタスはそう言って、ミラの体を使いピョンとベットから飛び降りるなり、そそくさと俺の元までやってきて両手で背中を押してきた。
『ささっ!一緒にミルクをあげに行きましょう!我々も全力でお手伝いせていただきます!』
「おい!なんだよ、バレてないって!お前らなんか俺に隠してるだろ!」
『隠してるだなんて滅相もございません。我々は夜真十様の忠実なるシモベ、ご主人様に隠し事なんてするはずないじゃないですかー!さぁ、早く行きましょう!』
「いや、手伝うって言ったてそんな難しくーー」
『ーーいいえ。やらせてくだい!我々はこの家にお世話になっている身。何かお役に立ちたいのです。それに、夜真十様は明日から学校という所に行かれるのでしょ?その間は我々がその子の面倒を見る事になるので、今のうちに色々と手ほどきしていただきたいのです』
「あっ......」
言われてみればそうだ。ばたばたしていてすっかりと忘れていたが、今日がゴールデンウィークの最終日だった。俺は明日から学校だし、昼間は母ちゃんが家にいるとはいえ、寝ずにこの子の面倒を見させる訳にはいかない。いくら超人的な肉体能力を持つ母ちゃんとはいえ、何日もそんな事が続けばいつか体を壊してしまう事は目に見えている。母ちゃんも所詮は人の子なのだ。
当分学校を休んでこの子の面倒をみてたいが、そんな事を言い出したら母ちゃんも織春のおっちゃんも猛反対するに決まっている。
なら、選択肢は一つしか無い。
かなり不安は残るが、ここはミラ達の手を借りるしか道はなさそうだ。
そう思い立った俺は、くるりと体を反転させ二人に檄げきを飛ばす。
「よし!んじゃお前らに子どもの世話の仕方を教えてやる。だが言っておく、俺は厳しいぞ。生半可な気持ちでやってとぶん殴るからな!」
『了解しました!』
「ワカッタ」
いっちょまえな返事をした二人を連れ、俺は一階にあるリビングへと向かう。
我が子を落とさないよう慎重に階段を下り、ミラにリビングの扉を開けてもらい中に入る。
その足でテレビの向かいにあるソファーへと移動し、その上に娘を寝かせた。
「んじゃまずはミルクの下準備からだ。ついて来い」
俺はミラ達を連れ、キッチンへ移動する。
こじんまりとしたシステムキッチンの上には数々の調理器具の他に、消毒が済んだ哺乳瓶や粉ミルクが入ったボトル、そして適温を維持したポットなどが置かれている。
俺は手を洗いと消毒を済ませた後、食器棚から銀ボールを取り出し、そこに冷水を貯める。
本当は母乳を飲ませてやりたいのだが、なぜかミラにはそういった機能が無いらしく、こうして粉ミルクを作るしかないのだ。
出産の仕方を見る限り、ケプラス星人も地球人に近い種族だと思っていのだが、どうやらそうでは無いらしい......。
「よし、じゃあ早速始めるぞ!まずは哺乳瓶に粉ミルクを入れるんだが、量は付属のスプーンの半分ぐらいでいい。んで、ミルクを入れたらそこにポットのお湯を注ぎ込む。でも、今入れるお湯の量は出来上がりの半分くらいでいいからな。その後、火傷しないように清潔なおタオルを哺乳瓶に巻いて、こうやって軽く振りながら溶かしていく」
『ほーほー』
「で、残りのお湯を注いでさらによく溶かしたら、蓋をしめて横にある銀ボールにつけて冷ますんだ。ここでの注意点は、だいたい人肌程度にまで冷ますこと。いいな?」
『はい!了解しました』
「ワカッタ」
ミラはこくりと頷き、腹のカクタスもミラの体を使い勇ましく敬礼をした。
「んじゃ、冷ましてる間に次はおむつの替え方を伝授する。色々と用意する物があるからついて来い」
リビングの奥にある風呂場へと移動した俺は、棚から洗ってある汚れても良いバスタオルと、おむつの替えやウエットティッシュを手に取り再びソファーまで戻る。
「まずは、このバスタオルをこの子の下に敷く。そして、おむつを止めてるストッパーをはがして、ゆっくりと開く」
おむつを開いてみると、どうやら大きい方はしていないようなのでホッとした。
産まれたばかりの赤ん坊はミルクしか飲まないので当然排泄物も液体だ。
いくら自分の子であったとしても、朝からビチビチのウンチを拝むのは正直言ってかなりきついものがある。
「今はウンチをしてないが、もしウンチをしていたら、こうやってウエットティッシュで大事な所を拭いてやる。ただし、ここで重要なのは上から下へと拭く事だ。もし逆にやってしまうとウンチのばい菌が尿道口に入ってしまい、尿道炎を起こす可能性があるからな。女の子は男の子より尿道炎になりやすいから絶対に気をつけろよ」
「ワカッタ。ウエカラシタ」
『了解しました。それにしても夜真十様は、よくこんな事を知ってらっしゃいますね』
「まぁな。母ちゃんから教えてもらったってのもあるが、一応ネットでも色々と調べたからなー。ほんと、便利な世の中になったぜーって、いけね!こんな話をしてる場合じゃなかった!いいか、おむつを替える時は極力スピーディーにだ!長時間お腹を出したままでいると風邪をひかせちまうからな」
俺は汚れたおむつを近くにあったゴミ箱に入れ、新しいおむつを手に取る。
「で、こうやって赤ちゃんの膝の裏を手で軽くお腹の方に押し上げてやって、新しいおむつを下に敷く。それからこんな風にストッパーを止めてやれば完成だ。ここでの注意点は、優しく足を持ち上げてやる事。無理にやると股関節を痛めちまうからな。それと、おむつは指が一本入る程度に絞めてやる事。分かったか?」
二人の元気な返事を聞いた後、もう一度キッチンへ戻り、再び手洗いと消毒を済ませてから哺乳瓶を手に取る。うん。良い感じに冷めたみたいだ。「じゃあ、次はーー」と言いかけた所で、横にいたミラを見て俺は絶句した。なんとミラが包丁を手に取り、何を血迷ったのか自分の人差し指の腹にその先端をブスリと差し込んでいたのだ。
「イタイ」
「アホかお前!!!何やってんだー!」
俺は慌てて哺乳瓶を置き、ミラの指を強く握る。
ミラの血は人間と変わらず赤く健康的な色をしていたが、勢い良く刺したせいで次から次へと傷口から血が溢れて出してくる。
この出血量を見る限り、かなり傷は深いようだ。このままじゃらちがあかないと思った俺は、救急箱を取りに行くまでの間、ミラの指を口に食わえ止血する事にした。
「エ......夜真十......ナニヲ」
突然ミラの顔が赤みを帯び始めた。
病的なまでに白かったはずの頬はキレイな桜色に染まり、やや上目遣いで俺を見る。
「うるへー、黙って歩へ」
ミラの指を食わえたまま、そくざに救急箱を取りに行こうと思ったその時。
「お前ら......何やってんだ?」
突然、第三者の声がした。
その声の方へ視線を送ってみると、いつの間にか仕事から帰って来ていた母ちゃんが、呆れた顔でリビングのドアの前に立っていたのだ。
「ちちち、違うんだ母ちゃん!こいつが指を切ったから止血を......」
すぐさまミラの指を口から指をすっぽ抜き、弁解しようとした俺に向かって、カクタスが冷静な口調で言う。
『夜真十様、大丈夫ですよ。ミラ様の体内にはナノマシンが入っておりますから、そんな傷くらいならすぐに治してしまいます』
「えっ......そうなのか?」
ミラの方へ顔を向けてみると、ミラは両手を胸にあて、やや顔を背けながら小さく頷いた。
「何だ......そうだったのか。心配して損したぜ。てかお前!何であんな事したんだよ?!」
「............」
ミラは俺を見上げかたと思うと、急にうつむき口ごもる。
なんだこいつ......こんなしおらしい態度とかもとれるのか?
怒りよりもミラの意外な一面を見た事に驚いていると、気まずい雰囲気を見兼ねた母ちゃんがミラのフォローに回りだした。
「まぁ、良いじゃねーか。それより夜真十、お前なんかしてたんじゃねーのか?」
「はっ!そうだった!」
母ちゃんのその言葉に自分の使命を思い出した俺は、ミルクを持ってソファーへ舞い戻る。
そして娘を抱き上げようと手を伸ばした瞬間、「いい。ミルクはあたしがやるからお前は片付けでもしてろ」と、手を洗って戻って来た母ちゃんに哺乳瓶を取り上げられた。
自分が促したくせになんて理不尽な!と憤慨しそうになったが、当然母ちゃんの方が手慣れているので、俺は仕方なくキッチンに戻りスポンジを手に取った。
母ちゃんはどかっとソファーに腰を下ろし、片手で孫を抱きかかえた後、そっとその小さな口に哺乳瓶の先を差し込んだ。お腹が減っていたのか、中のミルクがどんどんとなくなっていく。
そんな母性溢れる姿を観察するように、ミラはじっと母ちゃんを眺めていた。
「そう言えば、さっきの話で思い出したんだが、お前はいつごろ直るんだ?」
ふいに母ちゃんは、カクタスを見て言った。
『実は......思っていたより損傷がひどく、最低でも三ヶ月以上はかかってしまうと思われます』
「はぁ!?三ヶ月!」
俺は手を止め、思わず大声を上げてしまった。
三ヶ月だって?そんなに一緒に暮らさなきゃならないのか?
てか、地球より進んだ科学技術を持ってるんじゃないのかよ。それならミラの傷を治すみたいに、パパッと修復出来てもおかしくないじゃないか。
そんな俺の疑問は、次のカクタスの言葉で打ち消された。
『機体を直すのにはそれほど時間はかからないのですが、記憶を消すとなると膨大なエネルギーが必要となります。なにせ生物の脳は繊細ですから、間違って違う記憶まで消してしまわないよう、細心の注意が求められます。それに、記憶を消す方が昨日で二名ほど増えてしまいましたので、それを考えるとエネルギー充電にはおよそ、三ヶ月以上はかかりそうなのです』
「そうか......」
カクタスのその言葉を受け、母ちゃんはゆっくりと目を閉じ険しい顔で考え始めた。
まぁ、そりゃそうなるわな。三ヶ月もの間、俺を含め三人も子どもの面倒を見なくちゃならないのだ。
金銭面はもちろん、あれこれと問題を抱えた状態がそんなに続くと知れば、そりゃ考え込むのも当然だ。
「なら、仕方ねー」
数十秒後、考えがまとまったのか、ふいに母ちゃんは俺を見据えてとんでもない事を言い出した。
「夜真十。何でも良いからこの子に名前をつけてやれ」
「はぁ?!だって、まだ育てるって決めた訳じゃーー」
「ーーんな事は分かってる。でも、名前がなけりゃ色々と不便だ。三ヶ月もの間、この子だのあの子だのって呼ぶつもりか?」
「そりゃ、そうだけどよ......]
「お前が決めなきゃ、あたしが決めるぞ。んーそうだな......ポチってのはどうだ?」
母ちゃんは真顔で言った。
「はぁ?何でそんな犬みたいな名前になるんだよ!おかしいだろ!」
「そうか?お前の名前をつける時に考えた候補の一つだったんだがな?」
「嘘だろ?!もしかしたら俺、ポチって名前になってたかもしなかったの?!」
「あぁ。でも薫子に『それだけはやめなさい』て言われたから夜真十って名前にした」
なんという衝撃的な事実。まさかそんな候補が上がっていたなんて......織春のおばちゃんには感謝しても仕切れないな......。
「ポチって名前が嫌なら、そこの宇宙人と相談して決めろ。そいつも一応親だからな」
そう言って母ちゃんは、ミラを顎で指した。
確かに母ちゃんのいう通りだ。三ヶ月もの間、名前が無いってのは正直どうかと思う。
それに、まがりなりにもあの子は俺の子だ。ポチなんて犬みたいな名前で呼ばれるのはなんだか釈然としない。て言うか嫌だ。
そんな事を考えていると、ミラが急に後ろを振り返り、無表情のまま俺につぶやいた。
「夜真十ガキメテ」
「おいおい、ちょっと待て!そんな大事なこと俺だけで決めて良いはずないだろ?それに、俺は記憶を消すかもしんねーんだぞ!そんな中途半端で無責任な奴に、子どもの名前なんて決めさせて良いはずーー」
「ーーソレデモイイ。夜真十ニキメテホシイ......オネガイ」
ミラは真剣な顔で俺を見つめ、そう言た。
まだほんの三日しか一緒にいないが、ミラのこんな顔を見るのは初めてだった。
それにこいつは今、お願いって言わなかったか?人は何かを願う時、必ずしも何かしらの欲求を胸に秘めているものだ。
ならば、こいつにも欲求、すなわち何かしらの感情が芽生え始めたって事なんじゃないのか?
どんな感情が芽生えたかまでは分からないが、明らかに出会った頃よりも口数も増えているし、心無しか固い表情の中にも感情の色が見え隠れするようになってきている。もしここでこいつの願いを断りでもしたら、せっかく灯った小さな炎を消してしまう可能性だってあるんじゃないのか。
そう思い至った俺は、ミラの顔を見つめたまま小さく頷いた。
「分かった。お前がそれでいいなら俺が決める」
俺は母ちゃんの腕の中へと視線を移す。
ミルクを飲み終えお腹がいっぱいになったのか、母ちゃんに抱かれながらスヤスヤと眠る娘の姿が目に映った。
その幸せそうな顔を眺めていると、ふと、ある言葉が頭の中に浮かんできた。
思いつきも甚だしいが、これ以上は無いと思えるほどぴったりな名だ。
母親似の美しい容姿と、世界でもっとも尊敬している人物から一文字とって。
「美鈴。......その子の名前は、美鈴にするよ」
俺はミラへと視線を戻し、我が子の名前を告げた。
ミラは無言のままこくりと頷くと、母ちゃんの隣に座り「ダカセテ」と言って、母ちゃんから美鈴を受け取った。
「そうか、美鈴か。......ははっ、良い名前じゃねーか」
と、母ちゃんはどこか嬉しそうに美鈴の顔を覗き込む。
ここ数日、険しい表情が続いていたので、こんな風に笑った顔を見るのはなんだか久しぶりな気がした。
現状は何も変わってはいないが、母ちゃんのその笑顔を見ていると、少しだけだが心が軽くなっていくのを感じる。
「アナタハ美鈴。ワタシト夜真十の子」
ミラは腕の中で眠る娘の顔を眺めながら、自分に言い聞かせるように何度もその名を繰り返していた。
第六話
四限目の終わりを告げるチャイムが鳴ったと同時に教室内は活気を取り戻していく。
所々から「疲れたー」や「早く購買に行こうぜ」など、クラスメイトの明るい声が教室内を駆け巡り、唯一の楽しみとも言える時間が幕を開けた。
仲の良い者同士で席をくっつけ楽しそうに昼食をとる彼女らとは違い、俺は自分の机に上半身をべたーと預けながら深いため息を一つ吐き出す。
いつもなら即座に弁当箱を開け空腹を満たすところなのだが、今日は朝からまったくと言って良いほど食欲が湧かない。
ーーその原因は他でもない。
ミラ達に預けた美鈴の事が気になって、何も喉を通らないのだ。
「はぁ......あいつら本当に大丈夫かな?」
目の前の空席に向かって、俺は胸の内を吐き出した。
一応家を出る前に再度美鈴の世話の仕方を教え、メモまで残してきたから大丈夫だとは思うが、それにしても依然として心を取り巻くモヤモヤは消えてはくれない。まだ、昨日のミラの不可思議な行動が忘れられないのだ。
俺はぐっと目を閉じ、昨日の騒動を思い出す。なぜミラはいきなり自分の指を包丁で刺したんだ?あんな事をすれば、ケガをする事くらい分かっているはずなのに......。そんな疑問が昨日からずっと頭を離れないのだ。
「あっ、あの......」
うーん。あの状況でなぜ包丁を手に取る必要がある?好奇心からか?いや、それなら俺に「コレハナニ?」って聞けばいいだけの話だ。
「いっ、......九君?」
質問しなかったって事は、あれが何か知っててあんな行動をとったって事だよな。もしそうだとしたら......うーん。余計に訳が分からんぞ。
「いっ、いい九君てばー!!!」
「うわあぁー!」
瞑想中、急に横から大声を出された俺は、驚きのあまり勢い良く飛び起きた。
「ひっー!ごめんなさい、ごめんなさい!」
俺のオーバーリアクションに驚いたのか、声をかけてきた女生徒が、その場から逃げ出そうときびすを返す。俺は思わず立ち上がってその子の手を強く掴んだ。
「わっ、悪りー!驚かせちまって!何もしないからちょっと待って!」
その言葉に安堵したのか、彼女はばたつかせていた手を静かに下ろし、恐る恐るこちらを振り返った。
「ほっ、ほんと?」
「!!?」
その子の顔を見るなり俺は固まった。
鎖骨にかかる程度に切り揃えられたワンレンヘアーが、振り向き様にふわりと揺れる。
その健康的な黒髪から放たれるシャンプーの香りは、彼女の名字と同じくフローラルな香りで、たちまち俺を花畑へと誘った。
愛嬌のある少し垂れた目に涙を浮かべ、上目遣いで見上げるこの仕草に、どれだけの男子が心を奪われた事だろうか。
そう、この是が非でも守ってあげたいと思わせる美少女こそ、俺の心のオアシスであり学年のマドンナでもある、花澤 舞さんその人なのだ。
俺は慌てて花澤さんの手を離し、平常心を装いながら話しかける。
「どっ、どうしたの?俺に何か用?」
ちっがーう!そんな冷たい態度を取ってどうする!
今まで俺を避けていた花澤さんがせっかく話しかけてくれたんだ。
もっとこう、優しく、愛想良くにだなーーと、心の中で一人芝居をしていると、花澤さんがスカートの裾を掴み何やらモジモジとし始めた。
「あっ、あのね。その、大丈夫だった?」
「え?何が?」
「えっと、その......あの日、八雲君と一緒にプリン山に行ってたんでしょ?その時、隕石が落ちてきたんだよね?」
「隕石?......あっ、あぁー」
そう言えばプリン山の件は、隕石が落下したって事になってるんだったな......。
俺は昨日見たニュースの内容を思い出す。当初マスコミは、プリン山の話で持ち切りだった。
まぁ、無理も無い。こんな辺鄙な場所に突然隕石が降ってきたのだ。街の人間を始め、多くの人の目がプリン山に集まっていた。
だが、問題はここからだ。
なぜか昨晩、政府が緊急の記者会見を開き、現地調査を行っていた自衛隊員が頂上に出来たクレーターの中から隕石を発見したと発表しだしたのだ。
それもご丁寧な事に、偽の証拠写真まで用意して、一気にこの件の終息を図った。
当然事の真相を知っている俺達は驚愕した。なぜなら、政府の対応がまさに、隠蔽工作と呼ばれるものだったからだ。その証拠に、隕石が落下したというビッグニュースにも関わらず、昨日の公式発表以来テレビも新聞もプリン山の事を一切取り上げなくなっていた。
政府がどこまで知っているかは分からないが、おそらく今回の件がUFO事件だという事は薄々気づいているはずだ。
じゃないとあんな風に証拠写真を捏造し、報道規制なんてかける必要はないのだから。
今頃政府はあのクレーターを作り出した原因を血眼になって探しているはずだ。
現に街には自衛隊が常に巡回し、住民のケアと称してこの街をずっと監視している。
一応カクタスに確認し『証拠は何一つ残していない』というお墨付きをもらったが、それでも不安は残る。
もし俺と織春があの日プリン山に行っていた事をこれ以上誰かに知られたら、確実にミラ達に危険が及ぶだろう。それだけは絶対に避けなければならない。そう思い立った俺は、周りの視線がこちらに集まっていない事を確認した後、小さな声で花澤さんに問いかけた。
「あのさ、その事なんだけど、誰かに話したりした?」
「ううん。誰にも言ってないよ」
花澤さんは急に声を潜めた俺に戸惑いながらも首を横に振る。
「よかった......。じゃあ、この件は俺達三人だけの秘密にしてくれないか?」
「秘密?」
「あぁ。もしこの事が知られれば、マスコミとか色んな奴が俺の家におしかけて来るかもしれないだろ?俺あんまり人と話すの得意じゃないし、それに、家の前で騒がれでもしたらうちの母ちゃん絶対キレると思うんだよ」
「そっ、そうだね。九君のお母さん怒ったら恐いもんね」
「え?」
「なっ、なんでもない、なんでもない!うん、分かったよ!絶対誰にも言わない」
そう言って花澤さんは、ブンブンと勢い良く頭を縦に振った。
「ありがとう、助かるよ」
「ううん、気にしないで。あっ、そうだ!例の件はどうだったの?」
「ん?例の件って?」
「え?あの日、プリン山に幽霊さん探しに行ってったんだよね?」
「!!?」
そうだった......。ばたばたしていてすっかり忘れていたが、俺は彼女にレポートを提出しなくちゃならなかったんだ。
花澤さんは期待の眼差しをこちらに向け、静かに俺の回答を待つ。
「いっ、いや、それがさ......」
「どうしたの?もしかして......いなかったの?」
そうこぼした後、花澤さんの顔が徐々に暗くなる。
どうする?幽霊を探しに出かけたはいいが、宇宙人とばったり遭遇し、挙げ句の果てにそいつとの間に子どもまで出来てしまいましたなんて口が裂けても言えないぞ。
でもここで、幽霊がいなかったなんて言えば、花澤さんはショックを受けるに決まってる。これ以上彼女のこんな悲しそうな顔なんて見たくないのに......。
悩みに悩んだ末、俺はある選択を実行に移す事にした。
「いっ、いやー、それがさ!いたんだよ!山頂でブラブラしてたら、木々の間から急に白い服を来た女の人が出てきてさ、慌てて織春と逃げ出したんだ!あの時、幽霊が現れてくれなかったら俺達今頃、どうなっていた事やら......」
「へぇーそーなんだー!幽霊さんが九君達を助けてくれたんだねー!すごーい!」
「うっ、うん。ほんとラッキーだったよ......」
花澤さんは興奮のあまり両手をブンブンと上下に振り、キラキラとした瞳で俺を見つめた。
なんだこの罪悪感は......。好きな人に嘘をつくと、こんなバッドステータスが追加されるのか?
「じゃあ今度、その幽霊さんにお礼言いに行って来るよ」
「え?何で?」
「だって、九君を助けてくれたんだもん。感謝してもしきれないよー」
そう言って花澤さんは、くるっと回って俺に背を向けた。
「それに、幽霊さんのおかげで九君といっぱいお話できたし......」
「え?」
「ううん、何でもない。じゃあ私、お昼ご飯食べてくるね。九君もちゃんと食べなきゃダメだよー」
そう言って花澤さんは、鞄を手に取り隣の教室へと駆けて行った。
俺は彼女の後ろ姿を見送りながら、これが本当に現実なのかどうか、それを確かめるため頬を強くつねる。
憧れの花澤さんとあんなにも話ができるなんて、夢でも見てるに違いないと思ったからだ。
だが、つねった頬はじんじんと痛み、これが現実だという事をひしひしと教えてくれた。
「何やってんだ?お前」
「うわぁ!」
自己分析中、急に背後から話しかけられた俺は、慌てて後ろを振り返る。
するとフルーツオレをチューチューと吸いながら、訝しげな表情で俺を見つめる織春がすぐ後ろに立っていた。
織春は購買に行って来たのか、もう片方の手には紙袋がしっかりと握られている。
「驚かすなよ!てか、いつからそこにいたんだ?」
「ん?いつって、花澤がお前に声をかけた所くらいかな?」
「最初からじゃねーか!なぜ声をかけん!」
「当たり前だろ?誰が好き好んで親友の邪魔をする。それより夜真十、どうしたんだお前?花澤と普通に喋れてたぞ」
「え?......そっ、そういえば」
織春のその言葉に、先ほどまでの自分の行動を思い返す。
確かに緊張していたとはいえ、普段とあまり変わらない顔や口調で話せていた気がする。
なぜあんなにも自然と彼女と会話ができたのか、いくら考えてみても答えは一向に浮かんではこなかった。
ーーただ。
ただ一つだけ可能性があるとすれば、それはやはりミラが原因だろう。
ミラと出会い、ここ数日非現実的な生活を送ることでいつのまにか度胸がついたのかもしれない。
もしそれが本当なら、少しはあいつに感謝しないとな......。
そんな事をふと考えていると、急に織春が俺の肩に手を回し顔を近づけてきた。
「まぁ、いいや。それよりちょっといいか?大事な話があるんだ」
織春はそのまま人気の無い廊下の隅まで俺を連れて行くと、辺りに誰もいない事を確認してから真剣な顔をこちらに向けた。
「さっき隣のクラスの奴から聞いたんだが、どうやらあの事件について調べてる奴がいるみたいなんだ」
「それって、自衛隊の他にって事か?」
「あぁ。なんでも黒いスーツを着たブロンドへアーの少女が、あの事件についてあれこれ街の人に聞いて回ってるそうなんだ。田中と福田も昨日そいつに声をかけられたらしい」
「黒いスーツを着たブロンドヘアーの少女?一体、誰なんだ?」
織春は静かに首を横に振る。
「分からない。でも用心するに越したことはない。夜真十、気をつけろよ」
「あっ、あぁ......」
この時の俺はまだ、これから自分の身に何が起こるかなんてまったく想像できていなかった。
まさかこの後、あんな事になるなんて......。
第七話
六限目までがっつりと授業を受けた後、俺は急いで帰宅した。
いつもは織春と一緒に帰って来るのだが、ホームルームが終了した途端「すまない、先に帰っててくれ。ちょっと調べたい事があるんだ」と言って、織春はそそくさと教室を飛び出して行った。
おそらく昼間の件についてだろう。あの後少し考えてみたのだが、政府が報道規制をかけ自衛隊を巡回せているにも関わらず、堂々と聞き込み調査が行われているというのはどう考えてもおかしい。
政府も今回の件が公になる事を恐れているはずだ。なのに必死で塞いだ穴を掘り返すような行動を果たして許すだろうか?そんな目立つ行動をとっていればすぐに捕まっても良いずなのだが、おかしな事に、政府は未だにその黒服の少女のことを黙認しているのだ。
当然、織春もその事を疑問に感じたのだろう。だから奴は、その少女が一体何者なのか、それを調べに行ったに違いない。いつミラ達の事がバレてもおかしくないこの状況下では、出来るだけ情報を集め、事前に対応策を練っておく必要がある。とはいえ、かなり危険を伴う行為だ。出来れば一緒について行きたかったが、家に残してきたミラや美鈴の事が気がかりだった俺は、なくなく情報収集を織春にまかせ、こうして一目散に我が家へと帰ってきたのだった。
「ただいまー」
「オカエリナサイ貴方。ゴ飯ニスル?オ風呂ニスル?ソレトモ、ワ タ シ?」
玄関のドアを開けるなり俺は一瞬にして凍りついた。
なぜなら、素肌にフリルの付いた純白のエプロンのみを着用したミラが、開口一番こんな事を言って出迎えたからだ。
俺はすぐさま玄関のドアを締め、無言でミラの手を引きリビングへと向かう。
そしてミラを押さえ込むようにソファーに座らせた後、胸に宿った激情を思いのままに吐き出した。
「アホかお前!!!あんなとこに突っ立ってるなんてどういうつもりだ!誰かに見られでもしたら大変な事になるんだぞ!」
心配になってダッシュで帰ってきてみればこんなアホな事をしやがって!
一体こいつは何を考えてるんだ?バレてやばいのは俺じゃなくお前だろうが!
頭に来た俺はぐっとミラを睨みつける。しかしミラは、なぜ俺が怒っているのか理解できないようで、首を傾げたままこちらをじっと見上げていた。
『夜真十様、すみません!私がいけないんです。ミラ様はただ、私のお手伝いをしてくれてただけなのです』
突然ミラが着ていたエプロンが光り出したかと思うと、胸のあたりにいつものハニワ顔が浮かび上がった。どうやらこのエプロンは、カクタスが変身したものらしい。
「はぁ?!どういう事だ?」
『その......朝からなんだか元気がなかったようなので、少しでも元気づけようかと』
「それで何で裸エプロンて事になるんだよ!」
『それは、人間の男性はこんな風に女性に迎えられると喜ぶと、ネットに書いてあったので、つい......』
「ネットって、お前な......」
呆れ果てた俺は、ため息を吐き出しながらミラの横に座る。
「あのな、お前らが俺の事を元気づけようとしてくれるのは嬉しいが、もうちょっと考えて行動してくれないか?街にはお前らの事を探してる連中がうようよいるんだぞ。あんなとこ誰かに見られでもしたら一巻の終わりだ」
『申し訳有りません。ですが、そこはご安心ください。仮に今のを誰かに見られていたとしても、その者には我々の姿は映っていませんから』
「は?どういう事だ?」
俺は眉をひそめカクタスに問いかけた。
『えーとですね、今はステルスモードというものを発動しておりまして、まぁ簡単に言うと、こちらが許可した者にしか我々の声や姿を感知出来ないようにしてあるんです』
なんだそれ?カクタスにはそんな便利な機能もついてるのか?
そう言われてみれば、ミラの全身を覆うように何だか薄い膜のような物が見て取れる。
『他にも色々なモードがありますが、今はこれくらいで充分でしょう。ですから、絶対にバレる事はありませんよ』
「なんだ、そうだったのか。まったくヒヤヒヤさせやがって」
『まぁ、このモードを使うとかなりエネルギーを消費しますので、充電期間が少し伸びてしまうんですけどね』
「本末転倒じゃねーか!」
俺は再び重く息を吐き出した。
なぜこいつはこうもバカなんだ?こんなんでよく自分の事を宇宙一の人工知能だとか言えるな......。
「ネェ、夜真十......」
カクタスのアホさ加減にうなだれていた俺の顔を、ふいにミラが覗き込む。
「夜真十ハ、コノ格好ガ嫌イ?」
「は?別に嫌いとかそんな事言ってないだろ。てか......」
むしろナイスだと褒めてやりたいくらいだ。
女の子と縁の無いこの俺が、まさか裸エプロンを拝めるなんて夢にも思っていなかったからな。それにしても......。
俺はミラの胸元へと視線を忍ばせる。少し緩めに紐を縛っているせいか、胸元からは主張の少ないミラの双丘が顔を覗かせていた。それもラッキーな事に、この角度からだとその先にある突起物が微妙に見えそうなのだ。
既にミラの裸を見ているとは言え、この絶妙なチラリズムは全裸の時よりも、かなり男心をくすぐるものがある。そう言えば以前織春が『珠玉のエロスとは、チラリズムの中にあり』なんて事を言ってたっけか?その時は何をバカな事を言ってるんだと思ったが、なるほど、今ならその言葉にも納得がいく。
「夜真十......ドウシタノ?」
なんとか彼女の秘部を見ようと顔の角度を調整していた俺に、再びミラが問いかけた。
「え?!いっ、いや、なんでもない。まぁ、たまには良いんじゃないか?でも俺一人の時だけだぞ。他の連中がそんな格好を見たらびっくりするからな」
「ワカッタ。夜真十ト二人ノ時ダケ」
ミラはこくりと頷くと姿勢を元に戻し、頭の上の触覚をブンブンと左右に振った。
くそっ!後もうちょいだったのに......。ミッションに失敗した俺は、やるせない気持ちを胸にしまい込み、軽くリビングを見渡した。
ソファーの前にある四十二インチの薄型テレビや、リビングの中央に置かれた木製のテーブルなど、いつもと変わらない風景が目に映る。
どうやら俺が学校に行っている間ミラは大人しくしていたみたいだ。
その証拠に、どこも壊れてはいない。
「ところで、美鈴はどうしたんだ?今どこにいる?」
『あぁ、美鈴様なら夏鈴様と一緒に二階でお休みになられています』
「そうか。それなら安心だな」
ホッと胸を撫で下ろした俺は、娘の顔でも見に行くかと、ゆっくりと立ち上がった。
すると、ーーピンポーンと、突然インターホンが鳴り、誰かが玄関のドアをノックした。
「ん?誰だ?」
俺はミラ達にステルスモードを維持したままその場で待機するよう命じた後、おもむろに玄関へと向かう。織春達ならチャイムなど鳴らすはずがないので、間違いなく他の誰かだろう。
それにしても一体誰だ?宅急便なんて頼んでないし、ましてや俺の家に押し掛けて来る奴なんてそうはいないはずだが......。
色々な可能性を考慮しながらドアスコープで外の様子を確認しようとしたその瞬間ーードンドンドン!と、再び玄関のドアが叩かれた。しかしその叩き方は先ほどとは違い明らかに悪意に満ちたものだ。それも次第にその強さは増していき、もはや殴打と言っても良いほどの打撃音が玄関に響き渡る。
そのあまりにも非常識な行動に我慢の限界だった俺は、すぐさま扉を開き怒鳴り散らす。
「やめろー!人ん家のドアをサンドバック代わりにしてんじゃねー!」
「なんだ、やっぱり居るんじゃない。ならさっさと出て来ないさよね」
「はぁ?!!!」
一瞬怒りで我を忘れそうになったが、目の前の人物を見た途端、一気に血の気が引いた。
長く艶やかなブロンドヘアーを手で払い、青い瞳でこちらを見据える美少女がそこに立っていた。
しなやかに伸びる四肢はまるでモデルのようで、羽織っている黒いスーツの上からでも、その胸の豊満さが見て取れる。年齢はだいたい俺と同じぐらいだろうか?しかし、醸し出す雰囲気はどこか大人びいていて、なぜか社会の荒波にもまれたやり手のキャリアウーマンを彷彿させた。
初対面だがこいつが一体誰なのか、俺は即座に理解した。
間違いない。こいつが織春の言っていた謎の少女だ。
予想外の訪問者に空いた口が塞がらない俺に向かって、少女は毅然とした態度で問いかける。
「少しお時間をもらえるかしら?いくつか貴方に質問したい事があるの」
そう言って少女は、ドアの隙間から家の中を覗き込むと、ニヤリと陰湿な笑みを浮かべた。
「あの......失礼ですが、どちら様で?」
「あっ、自己紹介がまだだったわね」
少女はおもむろに懐に手を入れ、黒い手帳のような物を取り出した。
そして、それを俺の目の前にかざすと、はっきりと分かりやすくこう告げたのだ。
「私はCIAのジュリア:ローゼン。四日前に起きた事件の事について色々と調べていてね、貴方にいくつか質問したいんだけど良いかしら?」
「!!?」
俺は衝撃のあまり言葉を失った。
CIAだって?!それって海外ドラマとかによく出て来るあのCIAの事か?
何でそんな奴が今回の件を調べてるんだ?そもそもCIAってアメリカの機関のはずじゃ......。
ーーいや、待てよ。
前に織春に聞いた事がある。CIAはスパイ活動の他に、世界各地で起こった奇妙な事件を調べ上げ、それを秘密裏に処理しているのだとか......。だとしたら、日本政府はアメリカ政府に協力をあおいだって事か?それなら、こいつが平然と聞き込み調査をしてた事にも納得がいく。
それにしてもCIAってスパイのはずだよな?こんな風に簡単に身元を明かしていいものなのか......?
「ねえ、聞こえてるかしから?」
「えっ!なっ、何でしょう?」
「だ、か、ら!いくつか質問させてもらえるかしら?まぁ、立ち話もなんだし、中に入れてもらえる?」
そう言ってジュリアと名乗る少女は、手帳をしまい平然と家の中に入ろうとする。
「いやいやいや!それはちょっと困ります!」
俺は慌てて両手をばたつかせ彼女の侵入を阻止した。
「なぜ?」
なぜ?って宇宙人が家の中にいるからだよ!!!
なんて言えるはずもないので、何か良いごまかし方は無いかと必死に頭を働かせていたその時、ふいにジュリアが口火を切った。
「もしかして......中に見られちゃマズイものでもあるのかしら?」
「!!!」
「ふふっ。貴方って本当に分りやすいわね。思った事が全て顔に出てるわよ。九 夜真十君?」
「なっ、なぜ俺の名前を?!」
「貴方の事は既に調べさせてもらったわ。もちろん、親友の八雲 織春の事もね。それにーー」
ジュリアは不敵な笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「ーー貴方達があの日、あの山に行っていた事もね」
「!!?」
さすがにその言葉に動揺を隠せなかった。
みるみる全身から汗が噴き出し、次第に小刻みに体が震えていく。
そんな俺を見てジュリアはより笑みを深め、辛辣な言葉を口にした。
「さぁ、洗いざらい吐いてもらいましょうか?あの日、あそこで何があったのかをね」
第八話
「どうぞ」
俺は恐る恐るリビングの扉を開き、ジュリアを中へ招き入れる。
ジュリアを家の中に入れて良いものなのかかなり迷ったが、CIAの捜査協力を断る事訳にはいかない。
それにもし断る事が出来たとしても、彼女はそれを不審に思い、うちへのマークをより強めることだろう。今だって連日緊迫状態が続いているのだ。そんな状況がさらに過酷さを増せば、俺も母ちゃんも精神的にまいってしまうのは間違いない。
幸い今のミラは、カクタスが承認した者しか知覚する事が出来ないらしいので、ジュリアを家の中に入れてもさほど問題はないだろう。と言うか、これは逆に彼女の疑惑を晴らすチャンスでもある。ジュリアに家の中を捜索させ、どこにもミラ達が居ないという事を確認してもらえば、俺達の疑いも晴れるかもしれない。
ただ、一つ不安があるとすれば美鈴の事だ。
ジュリアはうちの家族構成を把握しているだろうから、美鈴が居る事に必ず疑問を抱くはず。
しかし、こればかりはどうする事も出来ない。親戚の子を預かっているとか適当なことを言って、この場は乗り切るしかないだろう。そう思い立った俺は、意を決して彼女の提案を呑む事にしたのだった。
ジュリアはリビングを軽く見渡した後、「ふーん。日本人の家って殺風景なのね」と言って、中央に設置されたテーブルの椅子へと腰掛けた。どうやら本当にミラの姿は見えていないらしく、ソファーに座っている裸エプロンの宇宙人の存在にまったく気付いていないようなのだ。
ステルスモードが正常に作動している事を確認した俺は、彼女に気付かれないよう安堵の息を漏らした後、ミラの方へと目を向けた。
ミラは先ほどと変わらず無表情のままだったが、頭の上に生えた触覚がピンと伸びている事から察するに、かなり警戒しているようだ。その証拠にすぐさまソファーから立ち上がろうとしたが、俺は小さく首を横に振りミラの行動を制した。今ここで下手に動いて物音などを立てられては、ジュリアの警戒心をより強める事になると思ったからだ。ミラもその真意を受け取ってくれたのだろう。小さく頷くと、そのままじっと彼女を見つめ静かに観察し始めた。それを見届けた俺は、キッチンへ行きインスタントコーヒを入れた後、湯気が立ち上るマグカップをジュリアの前に置き、彼女の向いの席へと腰を下ろした。
「それじゃあ、早速貴方の話を聞かせてもらえるかしら?」
ジュリアはマグカップを手に取り、コーヒを一口飲むと鋭い視線をこちらに向けた。
「その前に、なぜ俺達があの日、プリン山に行った事になってるんです?何を根拠にそんな事が言えるんですか?」
そうなのだ。まだこいつにミラ達の事がばれているとは限らない。
もしかしたら俺にカマをかけているのかもしれない。
仮にミラがここに居る事を知っているなら、他の捜査官や自衛隊と共に押し入って来てもいいはず。なのに、なぜこいつは一人でやってきたんだ?裏を返せば、こいつはまだ確証を得ていないっていう事じゃないのか?
「ふふっ、根拠ねー。まるで犯人の常套句ね。まぁ、いいわ。なぜ私が貴方達に行き着いたか説明してあげる。それはねーー」
ジュリアはマグカップをテーブルに戻すと、両腕を組みながら俺を見据えた。
「ーー靴よ」
「......靴?」
「えぇ、そうよ。あの事件の前日、大雨が降ったでしょ?かなりの降水量だったみたいね、地面はすごくぬかるんでいたわ。だから当然、登山者の靴跡もくっきり残っていたの」
「!!?」
「あの日、山に行った人間はそう多くはなかった。まぁ、当然よね。ぬかるんだ山道なんてかなり危険だもの。私の調べたところによると入山者は四人。その内の二人はバードウォッチングをするため入山したそうよ。けど、あまりにも地面が滑りやすかったため、山頂には登らず途中で引き返したそうなの。じゃあ残りの二人はと言うと、しっかり頂上まで登っていたようね。その証拠に、山頂にはくっきりと靴跡が残っていたわ」
靴跡だって?!たかがそれだけで俺と織春のもとまで辿り着いたっていうのか?
どんだけスゲーんだよCIA!
「へっ、へぇー。そうなんですね。でも、その靴跡と俺達が何の関係があるんです?」
「あくまでもしらを切るみたいね。まぁ、いいわ。それじゃあ教えてあげる。靴跡を見ればその人がどいう人物なのか?だいたい検討がつくの。例えば、靴のサイズや靴跡の深さからその人物の身長や体重が大方予想できる。それだけじゃないわ。メーカーや種類を割り出し、靴跡から得た身体的特徴と照らし合わしながら捜査を続けていけば、その人物に辿り着く事なんて雑作も無い事よ」
「..................」
「そうそう。玄関にあった貴方のスニーカーね、山頂で発見されたものとまったく同じ種類なの。あのスニーカーを調べれば、あの山と同じ土が靴の溝から出てくるんじゃないかしら?おそらく、八雲 織春の靴からもね......。これで理解していただけたかしら?」
ジュリアはテーブルの上に両肘をつき、顎の下で両手を組むとニヤリと笑った。
ダメだ......。これだけの物的証拠をつきつけられては、俺達がプリン山に行っていませんでしたなんて言えるはずがない。ここは山に行った事は認めて、その後は知らぬ存ぜぬで通すしかない。
「わっ、分かりました。本当の事をお話しします。貴方のいう通り、あの日、確かに俺と織春はプリン山に行ってました。でも、急に隕石が降ってきて慌てて家に帰ってきたんです」
「ふーん。じゃあ、なぜそれを黙っていたの?最初からそう言えば良いじゃない」
「そっ、それは......目立つのが苦手というか......もしそんな事を知られれば、マスコミがうちに押し掛けて来るかもしれないでしょ?それが嫌だから黙っていたんです......」
「なるほどねー」
ジュリアは再び両腕を組み、背もたれに体をあずけると不敵な笑みを浮かべる。
「で、本当にそんな嘘がこの私に通用するとでも思っているの?」
「え?!」
急にジュリアの眉間に皺がより、その眼光に鋭さが増した。
「貴方、さっき言ったわよね?慌てて家に帰って来たって」
「はっ、はい」
「じゃあ聞くけど、どうやって帰って来たのかしら?貴方達の靴跡は、行きのものしか発見されていないの。帰りのものはどこを探しても見当たらなかったわ。それっておかしいわよね?まるでその場から一瞬でいなくなったみたいな......まさか貴方達、空でも飛べるのかしら?」
「そそっ、それはーー」
俺の言い訳を遮るようにジュリアが言葉を続ける。
「ーーそれに、隕石が降って来たなんてのも嘘よね?貴方達は、あそこであるモノに遭遇したはずよ。じゃないと、こんな奇妙な事にはならないわ。さぁ吐きなさい!あそこで一体何があったの?!」
ジュリアは声を荒げ、机をバンと叩く。
くそ......。どう考えてもこれ以上ミラ達の事を隠し通す事は出来ない。
嘘を突き通す事も可能だが、それでこいつが納得するとは到底思えない。
何か他に策はないのか?と、死に物狂いで頭を働かせていたその時、ふいにミラが立ち上がり、その美しい顔をこちらに向けた。
ーー夜真十様、聞こえますか?私です、カクタスです。聞こえているなら声は出さずに、心の中で返事をしてください。
突然頭の中にカクタスの声が響いた。
一瞬驚いた顔になった俺を見てジュリアは訝しげに目を細めたが、まだこちらの事を悟られた訳ではなさそうだ。
(カクタス?!......一体どうやって?)
ーーまぁ、テレパシーってやつですよ。それはさておき、この者に我々の事を知られるのはかなり危険です。よって、これから対処を行います。
(おいおい!対処ってまさか、殺すつもりじゃないだろうな?!)
ーー安心してください。そんな野蛮な事はしませんよ。ただ、夜真十様にも協力していだきますので、あしからず。
(協力って......一体何を?)
カクタスの言葉と同時にミラがこちらまでやって来たかと思うと、いきなり俺の後頭部から髪の毛を数本むしり取った。
「痛って!」
「なっ、何よいきなり!?貴方、さっきからちょっと様子がおかしいわよ」
「いっ、いや。急に偏頭痛が......」
ジュリアは一瞬何か言いかけたが、後頭部をさすりながら苦笑いを浮かべる俺を見を見て、あきれたように首を振る。
「はぁ......まぁ、いいわ。それでどうなの?そろそろ白状した方が身のためだと思うけれど!」
再び真剣な顔に戻ったジュリアは、腕を組み直し威圧的な態度で俺を見据える。
そんなジュリアの横にミラがすっと移動したかと思うと、まるで拾って来た貝殻でも見せるように彼女の目の前で右手を広げた。一体何をする気だと不安にかられた俺は、ミラの掌へと目をやった。
そこには先ほど俺からむしり取った髪の毛が数本。それがフワフワと宙に浮き出したかと思うと、淡い光を放ちながら徐々に細かい粒子へと姿を変えていく。だが、それだけでは無い。その光の粒子は弧を描きながら互いに連結し合い、まるでDNAの二重螺旋構造を思わせる形へと変化していったのだ。
「ちょっと!ちゃんと話を聞いてるの?!あくまでも黙秘を貫こうて言うなら、こちらも手段は選ばないわよ!」
とうとう痺れを切らしたジュリアは、急に立ち上がり懐から拳銃を取り出すと俺の眉間へと狙いを定めた。
「おっ、おい!ちょっと待て!なんちゅう物騒なもん出してんだよ!」
「貴方が一向に話そうとしないからよ。私達CIAは殺しも任務の内なの。相手がこちらの要求に応じない場合、強硬手段に打って出るのは当たり前でしょ?そうね......貴方を殺した後、この家をじっくり調べさせてもらうわ」
両手を上げ震え上がる俺を見下ろし、ジュリアは冷笑を浮かべる。その目にはドス黒い殺気が満ちており、これが脅しじゃない事をひしひしと感じさせた。
ジュリアが拳銃の安全装置を外し、いよいよ引き金を引こうと指に力を込め始めたその時、彼女の隣に立っていたミラが突然行動を開始した。
ミラが掌に優しく息を吹きかけると、光の粒子はぱっと飛び散り、あたかも意志があるかのようにジュリアの鼻の穴から体内へと流れ込む。
そして、全ての粒子がジュリアの体内に収まった次の瞬間、突如、彼女の体に異変が起こった。
急に顔が赤らみ、今までつり上がっていた目はトロンと垂れ下がって大きく息が乱れていく。
「はぁ、はぁ、なっ、何なのこれ?......かっ、体が勝手に......」
俺に向けられていた銃口がゆっくりと下がっていき、やがて彼女の手から滑り落ちるようにして拳銃がゴトンと床に転がった。ジュリアは両手で自分の体を抱え、ブルブルと身を震わせる。そして急にフラフラとそのまま床に倒れ込んだのだ。
「おっ、おい!大丈夫か!急にどうしたんだ?!」
何が何だか分からないまま、すぐにジュリアのもとまで駆け寄った俺は、彼女の肩を揺し意識の有無を確かめる。
「ダッ、ダメ!触っちゃ、あっ、あ~~ん」
ジュリアは体をくねらせ、奇妙な声を発しながらビクビクと痙攣し始めた。
ーーふー。これでしばらくは安全です。当分の間、彼女が夜真十様に危害を加える事はありません。
困惑しながらジュリアの体を揺すっていた俺の頭に、再びカクタスの声が響く。
ふと顔を上げると、ジュリアを見下ろすミラの胸の上でカクタスが満足そうな笑みを浮かべていた。
(おい、お前!コイツに何したんだよ!)
ーー落ち着いて下さい、命に別状はありません。これはスレイヴモードと言いまして、自分の思うがままに相手を支配できるモードなのです。と言っても、彼女の支配権は私にではなく、今のところ夜真十様にあるのですが。
(支配権?!一体どういう事だ?)
ーー先ほど夜真十様からいただいた髪の毛を媒体に、彼女を操作するプログラムを創り出しました。彼女が夜真十様に危害を加えようとすると、防衛システムが作動し、ある感覚に襲われるようセットしておいたのです。
(ある感覚?......それって、激痛とかじゃねーだろうな!?)
ーーいいえ、快感です。
(はっ?快感?!んじゃ何か?こいつは今、苦しんでるんじゃなくて......その......つまり、感じまくってるって事なのか?)
ーーはい、いかにも。彼女は今、想像を絶する快感に襲われているのです。夜真十様が近くに居るだけで立ていられないくらいですから、そんな風に触られでもしたら、それはもう......。
カクタスの言葉を理解した俺は、すぐにジュリアから手を離した。
すると先ほどより少しだけだが彼女の痙攣が収まっていく。
(おいおい!何だよそれ?!そんなモード、とっとと解除してやれ!)
ーーそれは出来ません。これ以上、彼女にこちらの事を詮索される訳にはいきませんので。
(そりゃ、そうだけど......)
ーーそれに、このまま彼女を放置しておけば、ミラ様や美鈴様はおろか、九家や八雲家の皆様にまで危険が及ぶ可能性があります。そのような事は絶対に避けなくてはなりません。
確かに、カクタスの言う通り。こいつはかなりの危険人物だ。
カクタスが対処を行っていなければ、俺は今頃、命を落としていたかもしれない。
いや、俺だけならまだいい。もしかしたらこいつは、母ちゃんや美鈴まで手にかけていたかもしれないのだ。そんな奴を野放しにしておくよりかは、ちゃんとこちらで手綱を握っていた方が得策かもしれないな......。
(分かった。こいつには悪いが、少しのあいだ大人しくしててもらおう)
ーーご理解いただけて何よりです。それでは早速、夜真十様には彼女と主従の関係を結んでいただきます。
(は?まだ何かやんのか?)
ーーええ。これはあくまでも下準備。スレイヴモードを完全に定着させるためには、夜真十様が彼女を屈服させなければなりません。
(屈服って......どうすりゃいいんだよ?)
ーー簡単です。彼女に夜真十様の方が上だと認めさせれば良いのです。そうすれば、彼女もいま受けている快感から解放されます。そうですね......試しに彼女の胸でも揉んでみましょうか?
「はー!?アホかお前!」
思わず声を上げてしまった俺は、慌てて両手で口を塞ぐ。
(何でそんな事しなくちゃなんねーんだよ!もっと他に方法は無いのか?)
ーーありますよ。一番手っ取り早いのは、彼女の股間をまさぐる事なんですが、それ、出来ます?
(出来るか!!!)
ーーですよねー。なら胸しかないです。
(だから何でそうなる!てかそもそも、何で快感なんてものをチョイスしたんだよ!感覚なんて他にも色々あったただろが!)
その問いにカクタスは、真剣な面持ちで答える。
ーーさっきCIAなるものをググってみましたが、主にスパイ活動を行う機関だそうですね。なら当然、拷問に耐える訓練なども行っていたはず。おそらく、飢えや苦痛を与えるくらいでは彼女の心を折る事は出来ないでしょう。ですからあえて、『快感』を彼女にセットしたのです。まぁ時として快楽は、苦痛より遥かに人間の箍を外しやすいそうでですから、平和的に事を進めるには絶好の感覚と言えるでしょう。
無抵抗な女子の胸を揉む事のどこが平和的なのかは分からないが......なるほど。言われてみればそうかもしれない。苦痛などは訓練によっていくらか我慢できるようになるのは確かだ。
自慢じゃないが俺も痛みにはかなり強い方だ。なにせ、小さい頃から修行と称して母ちゃんに護身術など、あらゆる事を叩き込まれたせいでケガを負う事なんてしょっちゅうだったしな。
今じゃ骨が折れたくらいの痛みなら、余裕で耐える事が出来る。
だが、快感はどうなんだろう?仮に立場が逆だったとして、想像を絶する快楽を前に、俺は平常心を保ている事が出来るのだろうか?
ーーまぁそんな訳で、今の彼女は夜真十様に触れられるだけで昇天しそうなほど敏感になっていますから、胸を揉むだけでもかなりの効果が期待出来ると思うんです。あっ、そうそう。一つ重要な事を言い忘れていました。
急にカクタスが目を細めこちらを見据えた。
ーースレイヴモードはすごく便利なモードなんですが、一つリスクがあるのです。
(リスク?)
ーーはい。制限時間内に相手を屈服させる事ができなければ、支配権が相手に渡ってしまい、代わりに自分がその苦しみを味わう事になるのです。制限時間はこの星で言うところの五分ですから、そうですね......残り三分弱といったところでしょうか?
(なにー!!!それを早く言え!)
冗談じゃない。もし立場が逆転してしまったら、止めどなく続く快楽に耐え切れず俺はミラ達の事をべらべらと喋ってしまうだろう。そうなれば当然美鈴の事もバレ、どこかの研究施設に送られてしまうかもしれない。それだけは絶対に阻止しなければならない。
それに、こいつに支配権なんて持たれた日にゃ大変な事になる。
さっき会ったばかりだが、こいつの言動や行動を見る限り確実にSだ。
そんな奴を主人に持てば、何をさせられるか分かったもんじゃない。
ゾッとしながらも俺は、即座にジュリアを仰向けにし、そのはち切れんばかりに盛り上がった双丘へと目を向けた。
落ち着け、ちょっとだ。ちょっとだけ触らせてもらえば良いだけの話じゃないか。
そうすればこいつもこの苦しみから解放され、俺もみんなを守れる。全て丸く収まるんだ。
と、自分を正当化しつつ彼女の胸に両手を伸ばす。
ーー残り二分です。
カクタスの非情なカウントが鼓膜を揺らす。
くそ!カクタスの野郎、こんな事させやがって後で覚えとけよ!と 、俺は苛立ながらもYシャツ越しにジュリアの胸を優しく握った。
「え?!なっ、何?あんた何やって、あっ、あ〜〜ん」
ジュリアはピンク色の声を上げながら、再びビクビクと痙攣し始めた。
それにしても......デカイ!服の上からでも分かっていた事だが、彼女の胸は想像以上に大きく、全然手の中に収まる気配がない。いや、驚いた事はそれだけは無い。
なんとジュリアはノーブラだったのだ。そのせいで彼女の体温や胸の柔らかさが、薄い布一枚を通して俺の手に伝わって来る。
「すまん!お前のその苦しみを止めるには、こうするしか方法がないんだ!」
自分に都合の良い言い訳を並べながらも俺は必死でジュリアの胸を揉む。
彼女の胸はまるで水風船のように柔らかく、グッと力を込めるとその余肉が指と指の間からはみ出てきた。
「あっ、あ〜〜ん。ダメ〜〜」
ジュリアは悶えながら、さらに顔を紅潮させていく。
だが、一向に屈服する気配はない。それどころか、歯をグッと食いしばり迫り来る快楽を必死に押さえ込んでいるようなのだ。
ーー夜真十様、急いでください!残り一分を切りました!
今まで何食わぬ顔で見物していたカクタスもとうとう焦りだしたのか、声を荒げ残り時間を告げ始めた。
くそ!このままじゃらちがあかない。もはや手段を選んでる場合じゃねー!
そう覚悟を決めた俺は、ジュリアの上にまたがり、彼女のYシャツのボタンを引きちぎって直接胸を揉みしだく。
「はぁ、はぁ、ちょっ、ちょっと、やめーー」
「ーーうるせー!俺もやりたくてやってるんじゃねー!でも、こうでもしねーと大変な事になるんだよ!」
自分でも何をやっているんだとほとほと情けなくなったが、他に手がない以上仕方がない。
だが、その選択は間違っていなかったようだ。ジュリアは弾かれたように痙攣しだし、固く結んでいた口元が徐々に緩んでいく。
ーー残り十秒。夜真十様このままじゃーー
「ーーうるせー!分かってるよー!うおおぉぉぉぉー!」
俺はジュリアの胸の突起物を重点的にこねくり回し、最後の賭けに出る。
「はぁ、はぁ、ダッダメ、許して......それ以上されたら......わたし......」
「ぬぅおぉぉー!いっけーー!!!」
「ダッ、ダメェエエェェ〜〜〜〜」
第九話
リビングには荒い息づかいが二つ。
一つは俺のもの。そしてもう一つは、俺の下で果てているジュリアの湿った吐息が、乾いた空気を振動させていた。
ーーお疲れさまでした。これで彼女は、完全に夜真十様の支配下に入りました。
酸素不足のせいで朦朧とする意識の中、カクタスの陽気な声が頭の中に響く。
ふと顔を横に向けると、正座をしたミラの胸の上で、カクタスがにんまりと満足そうな笑みを浮かべていた。どうやらミッションは無事に成功したようだ。その証拠に、体はいたって正常で、疲れ以外に何も感じない。
再度ジュリアに視線を戻すと、彼女ははだけた胸を隠そうともせず、ただただ力ない瞳をこちらに向けていた。その目はトロンと垂れ下がり、快感という苦痛から解放された安堵感からか、口元はかすかに緩んでいる。
そんな彼女の上からそっと降りた俺は、さっきから気になっていた部分へと目をやった。
なぜか、右手の甲に見た事もない幾何学模様の紋章が浮き出ていたのだ。
それは未だ起き上がれずにいるジュリアの胸の中心にも刻まれており、互いに共鳴しあうかのように淡い光を放ちながら点滅を繰り返していた。
(これは?)
ーーそれはスレイヴモードが無事に定着した証です。これで彼女は、夜真十様の命令に逆らう事が出来なくなりました。
(本当か?そんな事言いながら、いざ命令したらどつかれるパターンじゃねーだろうな?)
ーーも~疑り深いですね。それじゃあ、試しに何か命令してみて下さい。
そう言われた俺は、なかば半信半疑でジュリアに命令を下す事にした。
「う~ん。そうだな......。じゃあ、ジュリア命令だ。右手を上げろ」
すると、まるで糸でつり上げられたかのようにジュリアの右腕がスッと持ち上がった。
「えっ?!なっ、何?どうなってんの?!」
憔悴しきっていたはずのジュリアが慌てて体を起こす。
彼女はもう片方の手でピンと伸びた右腕を必死に下ろそうとしていたが、どんなに力を込めようともその腕はびくともしない。だが、これだけでは本当に俺の支配下に入ったかどうかは微妙だ。もう少し検証してみなくては......。
「じゃあ次だ。ジュリア、そのまま四つん這いになってこっちを向け」
その命令にまったく逆らう事無く、ジュリアは四つん這いになり赤面した顔をこちらに向けた。
「ちょっ、ちょっとヤメて!何させんのよ!いやー!こっち見ないでー!」
グラビアアイドル顔負けの女豹めひょうのポーズで、ジュリアは恥ずかしそうに俺のことを見つめる。大きく開いたYシャツからは、張りのある彼女の豊乳が顔を覗かせており、なんとも淫美なIラインを作り出していた。
どうやら自分の意志とは無関係に、勝手に体が動いてしまうようだ。じゃないとプライドの高いこいつが、こんな恥ずかしいポーズをとる訳が無い。
それにしてもスゲーな。こんなの何でもやりたい放題じゃねーか。マジで支配権を手に入れれてよかった......。
スレイヴモードの威力と恐ろしさを思い知った俺は、ジュリアへの命令を解除し、楽な姿勢をとるよう促した。
「あっ、あんた!一体何者なの?もしかして......宇宙人」
ジュリアははだけた胸を両手で隠し、キッと俺を睨む。
まぁ、事情を知らない彼女からしてみれば、そんな風に映っていても不思議じゃない。
なんせこいつは、ミラ達を追ってここまで来たのだ。目の前でこんな力を見せつけられては、そう考えるのが自然だろう。
しかし、宇宙人説はまずいな。そこからミラ達の事がバレるとも限らない。どうにかそっちの方向に話が向かわないよう、うまくごまかさなくてわ......。
「いや、俺は人間だ。だが、ただの人間じゃない。そうだな......世間一般で言うところの超能力者ってやつかな」
「超能力者?」
「あぁ、そうだ。俺は相手を自分の思うがままに動かせる能力を持っている。今お前が体験したのがまさにそれだ」
それを聞いたジュリアの顔が一気に青ざめていく。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!なんで私にそんな事するのよ!」
「俺だってやりたくてやった訳じゃねー。そもそもお前が悪いんだぞ。あんな風に脅されたら、誰だって自分の身を守るだろ?生存本能ってやつだ」
「うっ......」
ジュリアは痛い所を突かれたようで、すぐさま俺から目をそらしてこう言った。
「あっ、あれはただのアメリカンジョークよ。別に本気で殺そうなんて思っちゃいないわ」
「嘘つけ!何がアメリカンジョークだ!完全に目がイってたじゃねーか!」
「うっ、うるさいわね!てかあんただって、そんな力があるなら最初から使えばいいじゃない!なんで私の胸を揉む必要があったのよ!」
「ぐっ......」
まさに正論だ。もはや正論すぎて何も言えない。
いくらみんなを守るためとはいえ、何も知らないこいつからすればあんなのただの犯罪行為だからな。
ゆえに、こんな風に変質者を見るような嫌悪感たっぷりの冷たい目で見られたとしても致し方ない......。
「それより、早くこの能力を解除しなさい!これは命令よ!」
ジュリアは俺を指差し、鋭い眼光をこちらに向けた。
その姿は堂に入っており、普段から命令する事に慣れているのか、上に立つもの独特の風格を漂わせている。
しかし、ここで気後れする訳にはいかない。なんせ主導権を握っているのは、こいつではなく俺なのだから。自分にそう言い聞かせながら俺も負けじと腕を組み、彼女を見据えて言ってやった。
「すまんが、それは出来ない。もし能力を解除すれば、お前がまた何をしでかすか分からんからな。それにお前はCIAだ。そんな奴に情報を掴まれたまま野放しにするなんて、こっちのリスクが増えるだけだしな」
その言葉を受け、ジュリアは少しのあいだ沈黙していたが、やがて大きなため息と共にこう切り出したてきた。
「分かったわ。私もやりすぎた事は認める。それに、あんたの力の事は絶対誰にも話さない。だから早くこの能力を解除しなさい」
「本当か?」
「ええ。約束する」
「そうか......なら命令だ。お前の本音を言え」
「あんただけは絶対に許さない!能力を解除させたらすぐに対策チームを編成して、あんたを捕獲してやる。そんでもって本国の研究施設に移送したあと、たっぷりと情報を聞き出してから、一生監禁したうえ社会的に抹殺してやるんだから!......って!私なに言って」
ジュリアは大きく目を見開き、自分の口を両手で塞ぐ。
「ほらな、そうなるだろ?だから能力は解除しない。つーかどんでもねーこと考えてんじゃねーよ!ほんと恐えーななお前」
「ちっ、違う!あれは本心じゃない!言葉のあやというものよ」
「何が言葉のあやだ。おもっきし本音だったじゃねーか。いいか!俺の能力に嘘は通用しない。その事をよーく覚えとくんだな」
「ぐぬぬぬぬ......」
ジュリアは悔しそうに力いっぱい歯を食いしばりながら、憎しみのこもった瞳をこちらに向けた。
そんな俺達のやりとりを今まで静かに見守っていたカクタスが、会話が途切れナイスタイミングと判断したのか、ふいに話しかけてきた。
ーー夜真十様。そろそろ彼女に我々に関わらないよう命令した方がよろしいのでは?
(おっと、そうだったな。すまん、すっかり忘れてたぜ)
俺は顎に手をあて、頭の中を整理していく。
どういう命令が一番効率的かつ最適なのか、それを探るためだ。
どうせ命令するなら一言でバシっと決めたい。その方がスマートで、頭が良さそうに見えるからな。
熟考の末、ようやく考えがまとまった所で、ゆっくりと顔を上げジュリアを見据えた。
ジュリアは俺の真剣な眼差しに恐怖を感じたのか、小刻みに体を震わせながら恐る恐る口を開く。
「なっ、何よ急に黙って。今度は私に一体何をさせるつもりよ?」
「ジュリア;ローゼン、お前に命令する。今すぐ今回の件から手を引け!」
「..................」
数秒間の沈黙の後、ふいにジュリアが首を傾げ、俺に言った。
「......えっ?......なっ、何?なんの話?」
彼女は何の事だかさっぱり分からない様子で、目をパチクリとさせている。
おかしい......。どういう事だ?さっきはちゃんと命令できたはずなのに、なぜこの命令だけは受理されない?首をひねり問題点を考察していると、再びカクタスの声が頭の中に響いた。
ーー夜真十様。そんな抽象的な命令ではスレイヴモードは発動しませんよ。もっと分かりやすくちゃんと命令してあげてください。
(え?そうかなのか?なんだよ......なら最初からそう言えよ。おかげで恥をかいちまったじゃねーか)
気恥ずかしさゆえコホンと咳払いを一つしたのち、俺は再びジュリアを見据えて命令を下す。
「お前がいま調べているプリン山の件から手を引けと言ってるんだ。それだけじゃない。その件について、俺と織春への詮索も止めろ。お前は帰ったらすぐに、今回の件と俺達は無関係だったって事を上に報告し、今後俺達に一切捜査の手が入らないよう全力で対処するんだ。いいな!」
「了解しました。って!違う!」
「それに、ここで起こった事を誰かに話すことも認めない。もちろん、それ以外の方法で情報を流すような事もだ。それと、もしうちの家族や八雲家の人間に危害を加えようとしたら......」
と、そこまで言いかけた所で、ふとある疑問が頭に浮かび上がった。
もし俺達に危害を加えようとしたら、こいつは一体どうなるんだ?
まさか死ぬって事はないと思うが......。一応念のため、その事もカクタスに聞いておくか。
(なぁカクタス。もしこいつが俺達に危害を加えようとしたらどうなるんだ?)
ーー先ほども申し上げましたように、夜真十様に危害を加えようとすれば防衛システムが作動し、再び快感が彼女を襲います。他の皆様に関しては、手を出さないよう後で命令しておけば大丈夫でしょう。
(なっ、なるほど......で、その防衛システムの解除の仕方は?)
ーー先ほどと同様、『胸を揉む』です。
(はー!またあれをやんのか?!)
ーーはい、ですがご安心を。すでに彼女は夜真十様の支配下にありますので、支配権が彼女に移行する事はありません。ですからその時は、思う存分やっちゃってください。
そう言った後カクタスは、ニヤニヤといやらしい顔をこちらに向けてきた。
冗談じゃない。もし公の場であんな事になれば、それこそ大変な事になる。
俺は確実に変態扱いされ、すぐさま警察に捕まるだろう。それだけじゃない。
その噂はすぐに広がり、必ず花澤さんの耳にも届くはずだ。そう考えただけで、急に変な汗が全身から噴き出してきた。
それにこいつだって、そんな恥ずかしい姿を人前で晒したくはないだろう。
だからこそジュリアが二度とバカな考えを起こさないよう、多少脅しをかけてでも説得しておく必要があるな。
そう思い立った俺は、テレビや漫画で得た悪役のイメージを思い出しながら彼女を睨みつけた。
「いいか!もし俺達に危害を加えようとしたら、さっき受けたあの苦しみをもう一度味わう事になると思え!」
「さっき受けた苦しみって、......まっ、まさか!」
「そーだ!お前が泣いて許しをこうたあれだ!あれが一度発動しちまったら、止める方法は一つしか無い。まぁ、勘のいいお前だ。あれの解除の仕方は俺が説明しなくても分かってるよな?」
俺はジュリアの前に右手を突き出し、モミモミと空気を握った。
「ひっ!」
ジュリアは顔を赤らめ両手で自分の体を抱き寄せた。
よほどトラウマになったのだろう。彼女は身を縮こませながら、ブルブルと体を震わせた。
自分でもなんて下衆い事をしてるんだと思ったが、こればかりは仕方が無い。
これでみんなを守れるなら、俺は進んで悪役を買って出る。
何かを得ようとすれば、何かを差し出さなくはてならない。それがこの世の真理ってものなのだから。
「あっ、あんた......ほんと最低ね。こんな事してただで済むとでも思ってるの?!」
「ふん!なんとでも言え。それより、今すぐさっきの命令を実行してこい!」
その言葉を聞くや否や、ジュリアはスッと立ち上がり玄関へと向かう。
だが、それは彼女の意志ではないらしく、廊下を歩いている最中にも「ちょっと待って!どこ行くのよ!話はまだ終ってない!」と、声を荒げ自分の体を叱りつけていた。
そんな喜劇のような後ろ姿を眺めながら、俺はジュリアに声をかける。
「おーい!家を出る前にちゃんとボタン閉めとけよー。そんな格好で外でたら危ねーぞ」
「分かってるわよ!てかあんた覚えてなさいよ!いつか絶対仕返ししてやるんだからー!」
そう吐き捨て、ジュリアは泣きながら我が家を飛び出して行った。
急に静まり返った玄関を見つめ、俺は深く息を吐き出した。今まで張りつめていた緊張がふいに解けたせいもあって、どっと疲れが押し寄せて来たのだ。
『まぁ、これで当分は安全でしょう。これに懲りて彼女も夜真十様にちょっかいをかけてこないと思いますよ』
隣で事の顛末を見届けていたミラの胸の上で、カクタスが明るく励ましの言葉をかけてきた。
「あぁ。だといいんだがな......」
第十話
あれから一週間が経過した。
その間、うちや八雲家に新たな刺客が送り込まれる事も無く、俺達はいたって普通の生活を送る事が出来ている。
それもこれも、全てはジュリアのおかげだ。
あの日の夜、再び緊急の家族会議が開かれ、今後どうしていくかについてみんなで話し合った。
みんな今回の件にアメリカ政府までもが関与している事に驚きを隠せなかったが、たとえそれを知った所で一般市民である俺達に打てる手だてなどあるはずもない。
唯一出来る事といえば、今以上に慎重に行動し、あとはジュリアがうまく動いてくれる事を祈るくらいのものだ。よって、今は下手に動かず、少し様子を見てみようという事で全員の意見はまとまった。
当初、スレイヴモードがちゃんと機能しているのかかなり不安だったのだが、そんな俺の心配とはよそに、ジュリアは実によく働いてくれていた。
その最たる例が『自衛隊』だ。なんとジュリアは、街を巡回していた自衛隊をたった二日で撤退さてしまったのだ。
これには正直驚いた。なんせ、そんな命令など俺は一切下してはいないのだから。
おそらく『全力で対処しろ』という言葉を彼女なりに解釈した結果、そうなったのだろう。
その事からもジュリアが優秀な人物である事が伺える。それに、どんな手を使ったかまでは分からないが、一国の軍事をいとも簡単に動かせるところを見ると、もしかしたら彼女はCIAの中でもかなりの権力を持った人物なのかもしれない。じゃないと、一工作員がこんな短期間で他国の軍事を動かせる訳が無い。
まぁともあれ、不幸中の幸いとはまさにこの事で、俺はいつの間にかとてつもないカードを手に入れていたのであった。
「それにしても平和だなー」
後ろの席の織春が、教室内を見渡しながらしみじみと言った。俺もつられて視線を動かす。
俺達の席は一番後ろの窓際なので、ここからだとクラスの雰囲気がよく分かる。
朝のホームルーム前という事もあり、教室内は活気に溢れ、所々からクラスメイトのたわいもない話や笑い声が聞こえて来てくる。
こんな当たり前の光景でさえ、今の俺にとっては奇跡のように感じられる。それは隣の織春も同じだろう。だから織春も感慨深い表情で、クラスメイト達を眺めているのだ。
度重なるトラブルに巻き込まれ続けた結果、いつの間にか俺達は、こんな些細な事でさえ幸せを感じるようになっていた。
「あぁ、そうだな。平和過ぎて恐いくらいだ。ほんの一週間前までは、こんな風に普通に生活できるなんて思ってなかったからな」
「これもみんなお前のおかげだよ。夜真十、ほんとありがとな」
そう言って織春は、軽く頭を下げた。
「なんだよ急に、気持ち悪いな。別に俺は何にもしてねーよ。それに頑張ったのは俺じゃなくジュリアの方だしな。礼ならあいつに言ってやれ」
「そうだとしても、お前がそのジュリアって子を手なずけてくれなきゃ、こんな風に学校に通えてなかっただろ?だからちゃんと礼を言わせてくれ」
「分かったからもう頭を上げろよ。そのまんまじゃ俺が変な目で見られるだろうが」
「はははっ、すまんすまん」
織春はすっと顔を上げ、爽やかな笑顔をこちらに向けた。
普段は自己中なくせに、ほんと、昔からこういった律儀なところは変わらないな。まぁ、それがこいつの良いところなんだけどな。
そんな事をぼんやりと考えていると、「あっ!そうだ」と言って、織春が俺の耳に手をあて変な質問を投げかけてきた。
「で、昨日の晩はどうだったんだ?」
「ん?昨日の晩って、何が?」
「いやだから、昨日もそのジュリアって子は家に来なかったのか?」
「あぁ......その事か」
やっと話の内容が掴めた俺は、「いや、来てねーよ」と返答したのち、ここ数日の間に起こったドタバタを思い返す。
この一週間、ジュリアが俺達のために死力を尽くしてくれていた事は確かだ。
そのおかげで俺達は、いつもと変わらない平凡な日々を送っている。
その事についてはもちろん感謝しているし、彼女の功績を讃えたい。
だがその間、本当に彼女が大人しくしていたかというと、答えは『NO』だ。
ジュリア襲来を受けた次の日の夜、カクタスの予想に反し彼女は再び我が家を訪れた。
別にうちが気にいったから遊びに来ましたなんて可愛い理由などではない。彼女の目的はただ一つ。
ーーこの快感を止めて欲しい。
その切実な思いが、俺のもとまで彼女をいざなったのだ。
よくよくジュリアの格好を見てみると、夜の闇に紛れやすいよう黒い革の全身スーツに身を包み、その手には可愛い顔には似合わない重厚なライフルが握られていた。
察するに、どうやらジュリアは俺の言った事が信じられなかったようで、密かに『九 夜真十暗殺計画』なるものを企てていたようなのだ。
その結果、防衛システムが作動し、快感に耐え切れなくなった彼女は、なくなく我が家を訪れたという訳だ。
事情を理解した俺は、ミラ達を二階に追いやり、すぐさまリビングのソファーにジュリアを寝かせ防衛システムを解除した。
そして、もう二度とこんな事が起こらないよう、再度スレイヴモードのルールを説明したあと、彼女を家から追い出した。
その時は、これでジュリアも俺の言った事を理解し、大人しくしてくれるだとうと踏んでいたのだが、どうやらその考えは甘かったようだ......。
よほど恨みが強いのか、次の日もジュリアはうちにやって来た。いや、その日だけではない。
次の日も、そのまた次の日も、ジュリアは手を替え品を替え、毎日俺の暗殺を試みては失敗し、その都度胸を揉まれては悔し涙を流しながら帰って行った。
そんな彼女の姿を見兼ねたカクタスが「なぜ、暗殺を止めるよう命令しないのですか?」と聞いてきたが、ジュリアの気持ちを考えるとそれは出来なかった。
まぁ自業自得と切り捨てる事も出来なくはないが、彼女からしてみればいきなり見ず知らずの、それもたかが一高校生の言う事を聞かなくちゃいけなくなったのだ。
そもそもCIAという超エリート集団に所属するあいつが、それを良しとするはずが無い。それに、俺を殺してでも自分の自由を取り戻そうとするのは、彼女からしてみれば当然の権利と言える。
その権利を俺が踏みにじる事など出来るはずが無いのだ。だから俺は、あまんじてジュリアの怒りや憎しみを受け入れようと心に決めていたのだ。
そんなやりとりが五日ほど続き、その日の解除作業が終った直後の事である。
Yシャツのボタンをとめながら、ふいにジュリアが俺に聞いてきた。
「ねぇ、あんたはなんで怒んないの?こうも毎日命を狙われれば普通はキレるでしょ?それとも何?ただ単に私の胸を揉みたいだけなの?」
「アホか。そんなんじゃねーよ」
「だったらなんでよ?他に理由が思いつかないんだけど」
「......まぁ、あれだ。もし俺がお前の立場なら暗殺まではいかないものの、何かしらの抵抗はするだろうしな。だからお前が俺のことを殺そうとしても仕方がないと思ってる」
「ふん、見上げた根性ね。だけどそんな強がりがいつまで続くかしら?言っておくけど、私は絶対に止めないわよ。必ずあんたをこの手で殺してやる」
そう言ってジュリアは固く拳を握った。
その目はいきいきとしており、憎しみというよりかはどこか、新たな目標を定めた人間特有の輝きを放っているようにも見えた。
「あぁ。この数日でお前が本気なのは充分伝わってるさ。だから俺も絶対に逃げない。お前の気が済むまでやればいいさ」
「言ったわねー!いいわ!あんたの気がおかしくなるのが先か、私の心が折れるのが先か、勝負よ!」
「あぁ望む所だ。もしこの勝負が一生続いたとしても別に構わんぞ。そん時はこの命尽きるまで、お前の胸を揉みしだいてやる!」
「バッ、バッカじゃないのあんた!何いきなり変な宣言してんのよ!」
なぜかジュリアは赤面し、おもむろに顔をそむけた。
「ん?何でだよ。そりゃそうだろ?お前をそんな不憫な体にしちまったのは俺だ。それなら責任を取るのが筋ってもんだろうが」
その言葉を聞いた途端、一気にジュリアの顔が茹でダコのように赤く染まった。
何をそんなに興奮しているのかまったく見当がつかないが、彼女は真っ赤になった自分の顔を両手で挟み込み、必死ににやけるのを抑えているようにも見える。
まぁ、それはさておき、今言った事は本心だ。彼女の憎しみが消えるまで、俺は責任を持ってジュリアと向き合わなければならない。それがこいつに対して、俺が出来る唯一の罪滅ぼしなのだから......。
そんな思いに意識を委ねていると、ジュリアはすっとソファーから立ち上がり、上目遣いで聞いてきた。
「ほっ、ほんと?......ちゃんと、責任取ってくれる?」
「あぁ、約束する。だからお前も全力で俺にぶつかって来い!いいな?」
するとジュリアは、何やら気恥ずかしそうにコクリと小さくうなずいた。
そしてその日はいつもと違い、上機嫌で帰って行ったのだ。
だが、それからというもの、ジュリアが家にやってくる事はなかった。
急にぷつりと音沙汰がなくなったのだ。
何か変な事件に巻き込まれたんじゃないかと心配になり、夜な夜な彼女を捜しに出かけたが、何一つとして手がかりは掴めなかった。
未だになぜ彼女が俺の前から姿を消したのかは謎だが、揉んでは帰し、揉んでは帰しと、まるでさざ波のような日々から解放され、俺はやっとこさいつもと変わらない平和な日常を取り戻す事ができたのであった。
「まぁ、まだ危機的状況は去ったとは言えないが、よかったじゃないか。これで当分の間、安心して生活できるな」
織春が俺の肩をポンと叩き、励ましの言葉をかけてくれたのと同時に、一番前の扉が開き一人の女性教師が中に入って来た。
「は~い。みんな〜席について~。ホームルームを始めるわよ~」
どこかアホっぽい話し方で教壇の前に立つこの人は、英語教師兼、うちのクラスの担任でもある霧島 蘭子先生だ。
蘭子先生は美人でスタイルも良く、その上まだ二十代半ばという事もあり、男子生徒の憧れの的だ。
トレードマークである白いスーツを見事に着こなし、短いスカートから伸びる美脚には、血気盛んな男子生徒の心をくすぐる薄手の黒いストッキングが装備されている。
教師というには程遠い派手な格好だが、蘭子先生の授業はとても分かりやすく、勉強が苦手な俺でさえ高得点を取れてしまうほど教え方がうまい。
それに、なかなかクラスに馴染めない俺をいつも気にかけてくれ、色々と世話を焼いてくれるとても良い先生だ。
そんな優しく色気たっぷりの蘭子先生が、ポンと軽く手を叩き、にこやかに告げた。
「今日はね~みんなに新しいお友達を紹介しま~す」
その言葉を受け、一気に教室内が盛り上がる。
男女問わず、みんな思い思いに想像を膨らませながら早く転校生を紹介してほしいと蘭子先生に催促し始めた。
ふと一番前の席に座っている花澤さんに目をやると、彼女もキラキラと目を輝かせ、新しいクラスメイトに胸を高鳴らせている様子だった。
クラスに新しく仲間が増える事は喜ばしいことなのだが、俺としてはやや複雑だ。
極度の人見知りゆえ、今でも大半のクラスメイトと話せていないのだ。
そんな俺が、果たして転校生とうまくやっていけるのだろうか......。
「はいは~い。それじゃ、転校生ちゃんカモ~ン」
蘭子先生の呼びかけに答えるかのように、静かにドアが開く。
次の瞬間、男子生徒から歓喜の声が上がった。転校生の姿を見るや否やガッツポーズを決める者や、手を合わせ神に感謝の祈りを捧げる者までいる始末だ。
いや、男子だけでは無い。女子からも『美人』だとか『モデル』みたいといった黄色い声援が巻き起こっている。
だが、俺だけは硬直したままだった。
一瞬目の前で何が起こっているのかまったく理解出来ず、頭が真っ白になった。
なぜなら、蘭子先生の隣に立っている人物とは......。
「初めまして。この度アメリカから転校してきましたジュリア:ローゼンです。よろしくお願いします」
ジュリアは軽くお辞儀をしたあと、唖然としている俺のことを見つめニヤリと笑った。
「おい夜真十!ジュリア:ローゼンってまさか......」
教室内が拍手喝采で盛り上がっている中、後ろの織春が、俺の肩を揺らしながら震えた声でつぶやいた。
「あっ、ああ......そのまさかだ。てか......なんであいつが」
未だに頭が混乱しているせいで、うまく思考が働かない。
そもそも、なんでジュリアがここに居る?一体何が目的なんだ?
そんな疑問のオンパレードが、次から次へと頭の中を駆け巡っていく。
「は~い。みんなジュリアちゃんと仲良くしてあげてね~。それじゃジュリアちゃんの席はあそこね~」
そう言って蘭子先生は、俺の隣の空席を指差した。その指示に従い、ジュリアがさっそうとクラスメイトの合間を縫い、俺の目の前で足を止めた。
そして、驚愕のあまり開いた口が塞がらない俺に向かって、薄く笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「今日からよろしくね。九 夜真十くん」
コズミック ラブ