ご対面


内線に繋いで,受話器を置いてから,卓上時計のデジタル表示を見た。私の意図を汲むようにして,数字はパパっと変わってくれた。保存の指示,最小化,数行のメモ。日付けを書いて,隣のミスミさんのデスクに置いておく。ミスミさんに関しては,この方がメールより確実かつ安心。早ければ,午後にはメールで返事がくる。また,返事の催促も堂々とできる。変更なく,予定を消化できる。さあ,出ようか。私は席を立って,モッチーを誘う。二人でいつものランチに行く。食べ終わった後で時間が余ったら,近くの公園で一服する。戻る途中,彼がいたら,彼を見る。お互いにするようになった挨拶を交わして(モッチーにからかわれながら),満足して,デスクに戻る。トータルで四十分から五十分くらい。残りは適当に過ごす。ポインタを移動させて,入力を再開する。
途中までは本当に予定通りだった。行きつけの洋食屋さんでは一分も待たずに席に案内されたし,美味しいセットはパスタを選んで味わえた。モッチーと一緒にコーヒーも頼んだ。それでも時間に余裕があったから,私たちは公園に向かった。おしゃべりしながら,空いているベンチを見つけて,携帯灰皿とライターとタバコを取り出して,モッチーにも勧めて,火を点けて,一服を始めた。昨日と比べれば暖かい気温に,高い空が心地よかった。晴れてのんびり,という気分が最高だった。私は最初の一口を吐き出した。モッチーも,久しぶりの味を楽しんでいた。二人の色が漂っていた。青に馴染んでるって,無理せずに思えた。モッチーが言った。
「先輩は,バンドマンと付き合ったことあります?」
フィルターに二度目の口をつけて,吸い込む時間を過去の洗い出しに使いながら,私は吐き出した。真っ白な答えだった。
「ないねー。遊んだことならあるけど。」
そっかー,と言いながら,私が差し出した携帯灰皿に,トンと灰を落としたモッチーは続けて私に訊いた。
「嫌いですか?バンドマン。」
すぐに私は答えた。
「全然。縁がなかったってだけ。私はバンドマン好みの顔じゃないみたいだし。」
そう言われた事実があったことを思い出して,私は懐かしがった。その男子は好意を見せた私に対して,イヤホンを外しながら,そういう事をはっきりと言った。私自身の認識として,その好意は決して好き,といえるまでのものじゃなかったのに,そう告げられてしまった私はショックを受けるというより,単純に驚いて,呆れた。女子人気は確かに高かったし,モテてはいたけど,先走りすぎじゃねぇ?というツッコミを心の内側で十分にしていた。表面上は「そっかー。ざんねーん。」なんて言いながら。取り出した鏡で自分をチェックしたのは,言われたことを気にしてじゃなく,『好意を見せた私の顔』を客観的に見てみたかったからだった。上手く出来なかったのは言うまでもないけど,ニヤついた自分になっているのは嫌だったから,その時の表情は意識するようになった。元彼氏たちからは「その顔が堪らない」と高評価を受けるようになったから,その男子のおかげといえば,おかげなのだ。そのことに今気付いた。だから私は思い出の中のその男子に向かって感謝の念を送って,一本を消した。その携帯灰皿,イイですよね,とモッチーが褒めてくれたから,私は「でしょ?」と喜んだ。エコだよ,エコと意味もなく言った。
腕時計を見て,まだまだもう一本イケると踏んで,それから箱を叩いた。出てきたものを取り出した。ライターを押して,味わった。モッチーにも勧めたけど,お礼を言ってモッチーは断った。そのモッチーもスマホの時間を確かめて,ベンチに手を置いて,足をブラブラさせた。そんな姿が,決してワザとらしくならないモッチーは,写真のコンクールで大賞となった一枚に被写体として,でかでかと写ったことがある。映える子なのだ。敵も多かっただろうけど。そんなモッチーが,分かりやすいぐらいにこちらをチラチラと見ているから,私はモッチーに訊いてあげた。タバコの先から細い煙が上っていた。
「で,今の彼氏はバンドマン?」
モッチーは嬉しそうな横顔だけを見せて,私に答えた。
「惜しいです。付き合えそうな人です。」
「告られた?」
私はもう一歩,踏み込んで訊いてあげた。
「はい。で,私の返事待ちです。」
要は,ネックになっているのがやっぱりその将来性らしく,晴れてメジャーデビューが決まっている(というのは本当だったと言えるのは,ネット検索をかけた上で,そこで歌っている彼と,モッチーのフォルダ内でお互いに寄り添う彼が同一人物だったから),でもそれが長く続くかはさらに別の問題となるからで,結婚という所まで考えてはいないけど,もしそうなったら,今の段階で検討しておきたい。時間は無駄にしたくない,というのがモッチーの考えであって,悩みだった。
それを訊いて,私が言ったのが,要は,もう大好きなんだけど,不安は不安だから,そこを乗り越えられる力強い理由が欲しいから,先輩,是非とも考えて?って感じ?ということだった。これ対して,パッと輝いて,朗らかに,「はい!」と答えてくれたモッチーは可愛かった。愛される理由が分かった。バンドのメインボーカルの彼は見る目がある。同性の私が太鼓判を押してあげる。そう思って,私は私自身が想定できる限りの明るい未来を,目の前のモッチーに提示した。日本の国内外で売れる,他のミュージシャンに作詞・作曲の提供をするプロデューサーとして名を馳せる,引く手数多のスタジオミュージシャン,それから,俳優業。テレビタレントという道も考えられなくもないんじゃない?デビュー前の現時点でも、評価はその実力の評価は高いみたいだし。大丈夫じゃない?今付き合ってみても。彼,優しいんでしょ?顔も性格もバッチリ。
「はい!間違いなく。」
肯定の返事に曇りはなく,彼自身も,先行きの見通しについて,きちんと自覚とプランを持っていることもモッチーから聞けた。少なくとも,相手の気持ちに答えるべきでない理由はない。モッチーにもそう言った。モッチーも「はい」と答えて,「ですね」と続けて,足をブラブラさせて,その足を止めた。モッチーはその景色に映える横顔をこっちに向けて,はっきりと言った。
「私,決めました。返事をします。付き合ってみます。」
「うん。良かったね,モッチー。」
私は気持ちを込めて,そう言った。「はい」とモッチーもそれに応えてくれた。そして,そのまま私を見つめ続けるモッチーは,可愛い笑顔を目一杯に広げて,私に言った。
「先輩のそういう顔,すごく好きです。いいですね!」
ありがと,と照れた私は話題をすり替えるために,二本目の残りを揉み消して,腕時計を見てから時間のせいにして,そろそろ戻ろうかとモッチーを誘い,ベンチから立ち上がった。二人で公園の出口へ向かって歩いて行き,その途中にある芝生の広場に差し掛かった。そこではやっぱり,私の意中の彼がサックスを吹いて練習していた。素人だからその腕前を正しく評価できないし,モッチーは知っていたけど,私は演奏されているその曲の名前だって分からない。でも良い。カッコいい。
そう思う私と,モッチーが園内の歩道と広場の境目辺りに立っていた。そうしたら,彼がこちらに気付いて,会釈をした。それを待っていた私も会釈をして(モッチーもそうして),私たちは仕事に戻ろうとした。その日の予定は無事に済んだはずだった。演奏を止めた彼が楽器とともに,こちらに駆け寄って来るまでは。
「すいません!」
と彼は言った。その場には私たちしかいなかった。私と,モッチーだけだった。だから私たちは振り向いた。振り向いて,着々と近づいて来る彼の姿を認めた。私はドキドキした。小さなモッチーの声が私に言った。
「先輩!良かったですね!ついにこの時が来ましたよ!」
そう言われても,正しくモッチーの方を向けない私を,モッチーは確かに見てくれていたのだろう。「ああ!」という声を上げて,モッチーは慌てて私に言ってくれた。
「いけません,先輩!気持ちが顔に表れ過ぎてます!」
「え!?」
そう言われて初めてモッチーを見ることができた私は,「なになに!?」と慌ててモッチーに訊いた。どうなっていた,というよりは,今はどう?という感じで。二,三秒の間を置いてから,モッチーは私にオッケーサインを出してくれた。意識して,そのままの顔で彼の方を向き直った私は器用にも,唇の隙間を使ってモッチーに尋ねた。
「ねえ,私どうなってた?」
負けじとモッチーも器用に私に答えてくれた。
「間違いなくニヤついてました。気持ちが丸わかり,だだ漏れです。」
「うそ。」
「本当です。」
それでモッチーは私に言ってくれた。
「あれじゃダメです。先輩は,ちゃんと意識して下さい。意識した方がいいです。」
「顔?」
「それと,」
あ,と言える間もなかった。彼はそこに居た。声をかけた事について謝って,それから名前を口にした。いえいえ,と言って,私たちもそれぞれの名前を口にした。彼はモッチーを見て,私を見た。彼は言った。
私は答えた。予定は狂った。

ご対面

ご対面

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted