ゆきふたひら
ホワイトクリスマス、サンタは嬉しくないよね、と望夢が言ったのを無視しようと思ったけど、そうはさせてくれなかった。
今日は学校が早く終わったから、うちにはまだ僕ら以外誰もいない。お昼休みに降りだした雪はやむどころか積もっていくばかりだ。ぼたん雪がゆっくり落ちる様子を、窓辺に座った望夢は見つめている。
「ホワイトクリスマスはろまんちっくなんだって。かっちゃんが言ってたんだ。マンガの読みすぎだよ、おっきなツリーのあるとこでさ、手作りマフラーとかあげるのがいいんだって。バッカみたい」
「自分も読んでるじゃん、マンガ」
「あれはー、楽しいから! かっちゃんとは違うんだよー」
それにアユのマンガのほうが面白い、と望夢は笑う。ふふん、ま、そうだろうな。でも貸した本はいい加減に返してほしい。二人で一つだった部屋の、望夢のスペースはまるで片付いていなくて、それでよく怒られている。
「なるたけ楽にプレゼント運びたいに決まってるよね? サンタ。雪があったらそりの運転も危ないし、トナカイだって上手に走れないかもしんないよ。アユ、サンタの出身地はどこでしょーっか」
「フィンランド」
「そこは分かんないって言わないと」
「ノゾこそ知ってるのかよ、フィンランドがどこか」
「ん? 上!」
「北ね」
望夢はこたつに移動してきた。僕はひらいていた冬休みの宿題をわきによける。まだ休みじゃないけど、どうせ望夢の手伝いをしないといけなくなるんだ。宿題を早く終わらせておく「くせ」はもう、四年生のときくらいにはつけた。
「北だよ? ロシアも北でしょ、ロシアの帽子、もこもこでしょ。ね、ね、すっごい寒いんだよ!」
「だったら雪道には慣れてるかもよ」
「慣れてると調子にのるよ」
「それはノゾだろ。たしかに、寒くて雪が降ってて……道路も凍ってたりしたら大変だよな」
望夢の話は終わらない。みかんの皮をていねいに花びらの形にむきながらうなずく。
「そうだよ。今日の通学路みたいなだったらどうする? どーにもなんないって」
「あれはひどかったね」
「ね。替えの靴下持っててよかった」
中までぐしょぐしょになった長靴はヒーターの前で乾かしているところだ。中学生になってまで長靴はダサいとクラスのやつらは言う。でもしょうがないのだ。僕だって好きで履いてるんじゃない。必要性にかられる、というやつ。
「そうだ。靴下さげた? ベッド」
「まだ。……じゃなくて! えっ、まださげてるのか?」
はて、と望夢は首をかしげる。
「アユはやめちゃったの?」
「とっくに。プレゼントもお構いなしに枕元に置いてあるし」
「そーいう問題? ううん、雰囲気が大切よ、雰囲気」
確かに、サンタを招くための儀式みたいなものかもしれない。手紙を書いて、靴下を吊るして、机にはお菓子や飲み物を用意する。うちには煙突がないです、泥棒みたいに窓からやって来たんですか、ご近所さんはいい人なので分かってくれます、たぶん通報しないと思います、安心してください。そうしたためていた今年の望夢の手紙は僕が推敲する羽目になった。後で聞いたら結局ボツにしたらしい。ひどい。ノゾ、馬の耳に念仏だよ、と言ったせいだろうか。
望夢は、みかんのあとはせんべいに手をつけ始めた。しょっぱいやつに白い砂糖がかかっていてどっちの味なのかはっきりしないから、僕はあまり好きじゃない。
一番大きい欠片がくちびるに押し付けられて、思わず口を開いた。おいしくない。
「頭使ったら、糖分とらなきゃね」
「どうもありがと」
変ちくりんな顔になっていたのだろうか、望夢はくすくす笑いだす。よく笑うな。ふたごなのに似てないのは性別のせいだけじゃない、こういうところもだ、と僕は思う。
「おいしいでしょ?」
「そうでもない」
「ふふふっ、プレゼントだよ。あのねえ、サンタはさ、誰からプレゼントもらうんだろうねえ」
「サンタにもサンタがいる。多分」
「適当ーやだー」
残念そうにしながら望夢も自分のリュックから宿題を出した。僕のテキストとは違う。授業中に提出しないといけない英語のワーク。出さないといけないのは前から分かってるのに、なんでためこむんだろう。でも望夢は絶対……なるべく、答えを写さない。そこは僕も、おとうとして誇らしい。
じっさい、僕は望夢の誇らしいところをたくさん持っている。朝の弱い僕とは違って、起きたときからずっとさわやかな顔をしているところ。箸の持ち方、食べ方が誰よりもきれいなところ。教室掃除当番のとき、最後まで残って黒板の周りを片付けているところ。他学年の先生へも挨拶をかかさないところ。本人に言うとはしゃいでうるさそうだから言わないだけで、望夢はすてきなやつなのだ。僕だけが知っていればいい、という気持ちと、皆にも知ってほしい、という気持ち。二つが一緒になってごちゃごちゃになって、僕は少し疲れる。
「……今日ね。蒲田ちゃんにね、笑われたの」
いきなり呟かれたから、え、と声が出た。
望夢の鉛筆は、単語の入れ替え問題の途中で止まっていた。
「まだサンタ信じてるのって」
マンガみたいに顔が髪の毛で隠れたりはしない。だって望夢の髪の毛はとても短いから。うんと小さいころ、僕とお揃いだったころのまま。他のお揃いは嫌がるのに(僕だってそうだ)、これだけは気に入っているのかもしれない。
「サンタはいないんだって」
そういえば、一度も訊かれたことはなかったっけ。
ああ、そうか。疑う必要がなかったからか。
「アユ。渉夢。サンタはいるんでしょ」
「な、何言ってるんだよ」
僕は答えを知っている。望夢は知らない。まるで僕らのテストの答案だ。望夢は学校の勉強が苦手だ。誰にだって得意なこと、不得意なことがある。それは努力や環境でどうにかなるものもあればならないものもある、そう同じように考えているひとはそういないだろうけど。渉夢、あんな姉さんで恥ずかしくないのかよと何度言われたか、数えるのもばからしい。
いくら勉強ができても足が速くても、モテても友達がたくさんいても結局、望夢を笑うのか。
喉元までせり上がってくるその叫びを、僕は無理やり飲み込んでいる。今も、きっとこれからも。僕が言わないかぎり、望夢は知らなくてすむんだ。望夢に伝わらないから、やつらは簡単に、あざけるように哀れむのだ。
僕は望夢に嘘をつく。
望夢のためだと思っていてもじつは傷つけているのかもしれない。そう考えながら嘘をつく。
でも僕だけじゃない、望夢だって嘘つきだ。望夢がしゃべることの大半は空想ごとだと皆は言う。皆が言うと、そういうことになってしまう。
望夢は、僕らが見られないものを見ているだけなんだ。昔はふたご同士で共有できていたもの。淡い色をともしたクラゲのアーチやいくら食べてもなくならないお菓子の家はいつからか、僕にはまるきり見えなくなってしまった。僕以上に望夢がショックを受けていたっけ。
僕がごめんと告げたときと同じ顔が今、こちらを向いていた。
「ノゾが信じてるんなら居るに決まってるさ」
「そっか。そだよね。ふふ、さすがアユ!」
さっき窓の外を眺めていたとき、望夢の目には雪の他に何が映っていたのだろうか。尋ねるタイミングを逃してしまったのが、むしょうに悔しかった。
「じゃ、アユのとこにもサンタ来るね! わたしだけじゃないよ。安心、安心」
「そもそも僕には来ないみたいな言い方」
「洗濯機もレンジも壊したでしょ、今年。いい子じゃなかったね」
「寿命だったってことにしておこう」
「うん。だってサンタ信じてないわけないもんね?」
「……あー」
「そんで何お願いしたの。ゲーム? ほしいのあるって」
「あれはお年玉で買うことにした。あとは内緒」
「ええー気になるよ! 教えて教えて!」
「ノゾこそ」
「わたしはねえ」
鉛筆を置いた手が、空中で何かを掴むように動く。
何か、じゃない。
僕にも見えた。大きな雪の粒だ。ほんのり青い、冬が吐き出す息のような雪だった。
「もうちょっと渉夢といられますように、って!」
ゆきふたひら