だらんとエッセイその⑥

静寂

 ふとした時にぼうっと浮かび上がってくるものがある。過去の記憶である。そのたびに自分が嫌いだと思う。
 人間関係クラッシャーだった。まず男性が駄目だ。女性と話す時は控えめを通り越して臆病である私が、男性と向かい合うと手綱をなくした獣になってしまう。特に年上の男性が駄目だ。少しでも抑えつけられようものなら、もの凄い剣幕で食ってかかってしまう。であるから仕事でも恋愛でもうまくいかない。何ですか、と挑戦的なことを言い睨みつけるくらいならば可愛いものだ。私に至ってはその場を飛び出してしまうのである。癇癪玉のようだ。どこかで怒りを静めるには、心の中で六秒数えるといいと聞いた。無理だ。数えるどころじゃない。沸騰した薬缶の蓋が弾けるように噛みついてしまう。私には昔から男性にリードしてもらいたい、引っ張ってほしいという願望があるのだが、この気質のために台無しになる。頭の中で想像するだけにとどめる他ない。
 ほとほと困り果て、原因を追求すべくあれこれ読みあさった末に行き着いた答えは、幼少期の父との関係のせいだというものだった。小さい頃に強い力で抑えつけられると、父親に反抗したいという気持ちが抑圧される。成長してから男性を見ると父親を思い出し、押し殺していた気持ちが噴き出すという理屈らしい。確かに父は自分が一番でありたい人だった。私が小学校から中学校まで不登校をしていたこともあり、世間の父親よりも父親らしく振る舞おうとしていた。しかし今では当時の状況を考えれば何もかも仕方がなかったのだと思える。それに理屈が分かったからといってどうすればいいのだ。
 それだけではない。人間関係全てにおいて、ひとところに安定するとぶち壊したいという欲求にかられるのである。いけない、と思った瞬間仲良くしていた人間に言ってはならない言葉をぶつけてしまう。親を泣かせる、職場を飛び出す。その最中もその後も、どうしてそんなことをしたのか理解ができない。自分の体ではないようなのだ。すべきではないと分かっているのにやってしまう。しかしやってから落ち込むかと言われたらそうではない。頭がすべてを忘れようと明後日の方角を向いてしまう。だが一方でお前はどうしようもないやつだと喚く自分もいる。それどころかどこかほっとしてすらいる。元々人と関わっていると苦痛を覚えるたちなのだ。仲良くなりたいが打ち解けられないジレンマを常に感じる。誰かと話していて心から打ち解けたり、リラックスできたりという瞬間は数えるほどしかないような気がする。そもそも話すという行為が苦痛である。自分の口から出た言葉を誰かに解釈されるのがたまらなく恥ずかしい。見ないでくれと思う。誰も自分のことなど気にしていないということを含めてもう駄目なのだ。
 ふとした時に訳の分からない衝動と、忘れようと努める心と、とりかえしのつかない事実が浮かび上がってきて、自分が嫌いだと思う。その気持ちが鎮まると今度は全てが虚ろに見える。何だか全部めんどくさいという諦めの境地である。こうなったら。内なる獣がいるのならば飼い馴らすしかない。私には山月記のように虎になり、全てを放棄することなんてできないのだから。
 飼い馴らす方法は簡単だ。できるだけ一人でいればいいのだ。誰かと関係を深める際に感じる痛みや苦しみを味あわずに済む。関係が深まらないのだから壊す必要もない。そもそも私は最初から一人になりたかったのではないか? 世間では人と関わるのは美徳とされている。正しいことだと言われている。だが苦しいのなら仕方がない。具合が悪くなるような行為をする必要なんてどこにもないのである。
 今、私は必要最小限の人間関係の中にいる。父と母と三人の友、それだけだ。家ではいくらでも自室に引き蘢っていられる。仕事はほぼ一人で行うのでストレスはない。世間から距離を置き、初めて心から安らぎを感じる。自分が嫌いだ。しかし仕方がない。何年生きても自分は自分のままである。他の誰かになることはできない。自分は死ぬまで自分だ。獣はいつまでも獣のまま。かもしれない。しかしここは静かだ。誰もいない。静かだ。

自室の夜

 パートを体調不良で辞めてからというものすっかり怖じ気づき、半年間求職活動ができなかった。家に引きこもり親の金で暮らしていたが、いつまでもそうしているわけにもいかない。思い切って実家に戻ることにした。それから三ヶ月ほど過ぎ、今は落ち着いている。
 自室のベッドに寝転んでいると不思議な心地がする。時間の感覚が狂うというか、今何歳なのか分からなくなるのだ。見上げる天井は中学生の時に見たものと変わらない。匂いも色も子供の頃のままだ。耳を澄ませば微かに車が走る音と、空気の鳴るゴオオという音がする。あの頃、具体的には半生のどこかと言ったほうが正しいだろうか、と同じだ。そう思う。すると急に体が縮み始めるような気がする。明日目が覚めると中学校に通うのだと思う。だが外が明るくなってから鏡を見るといつもの私がいるのだ。実家にいると昔と今の境界線が曖昧になる。何というか故郷ってそういうものなのではないか。
 一人暮らしをしている時はこんな感覚はなかった。寝ていても耳なんて澄まさなかった。何を考えていたのか思い出せない。明日も仕事だ、そんなことばかり考えていたのではなかったか。
 アパートを引き払う時、こまごまとした家具は全て持ってきて自室に置いてある。しかしアパートの部屋と実家の部屋は全く繋がっていないような気がする。少しも重なるものがない。一人暮らしをしていたのが夢のように感じる。ほんの数ヶ月前のことなのに、何だかおかしい。

恋愛地獄

 高校生の恋愛が純粋だなんて誰が決めたのだろう。甘酸っぱい? 青春? 私の体験はどれにも当てはまらなかったように思う。
 高校二年生の時、私はA子、B子とよく遊んでいた。A子には彼氏がいた。A男とする。第三者からすれば「高校生らしく」交際しているように見えただろう。だが傍にいた私からすれば違った。
 A子はとても可愛らしかった。例えるなら玉城ティナによく似ていた。憧れている男子も多かったのではなかろうか。彼女は手首にきつく時計を巻いていた。また夏でも時々長袖を着た。傷を隠しているのだ。つまりA子は手首を切る癖があった。自分を傷つけたい欲のせいか私に「手術されたいの。変だよね私」などと打ち明け笑ったりした。私も笑うしかなかった。他にどうしろというのだ。懐くと無邪気な彼女であったが、気分が悪くなるとB子や私に思いの丈をぶちまけた。聞きたいことも聞きたくないことも。良くも悪くも素直なのだ。不安になりやすいたちだったのだと思う。B子は右から左へ聞き流しているようだったが、それが苦手な私は彼女の一言一言に打ちのめされた。二次災害である。
 A子がこの調子であるから、A男との関係も不安定であった。A子は自分に視線が集中していないと、気を引くために過激な発言をすることがあったが、A男といるとその傾向が特に顕著だった。四人で談笑している最中、「生理ないの」の一言で場を凍りつかせてくれたのをよく覚えている。その発言で私は彼らの間でなされている生物的なあれこれを想像せざるをえなくなり心が石になった。やめてくれ。なぜ様々な禁忌を詰め込んだ一語を短い時間でチョイスしてくるのだ。
 ところでA男にはC男という友人がいた。二人は入学当時から仲がよかった。五人でよくA男の家に泊まり遊んだ。このC男にも彼女がいた。C子とする。C子とは三年生の時に仲良くなった。自己主張の強い少女であった。ビジュアル系が好きで髪をメッシュに染め、目の周りを濃いアイラインで縁取っていた。よく喋りよく食べよく笑う。彼女といるとよくこんなに喋れるものだと心底感心したものである。彼女はA子と正反対の性格の持ち主と思われた。
 しかしC子はC男の話になると持ち前の明るさを引っ込めた。かわりに現れるのは不安げで神経質な少女であった。C子はC男が浮気をしているのではないかと常に疑っていた。話す内容のほとんどが浮気談義と言っても過言ではなかった。そして疑っている相手というのが、他ならぬA子であった。
 A子とA男とB子とC男がよく遊んでいるのは事実であった。しかしC男はC子にそれを知られるのが嫌なようだった。知られたら最後、なぜ自分を置いて遊ぶのか再三問いつめられ、怒られ、泣かれるだろうと予想がついたからであろう。だからといってC子を呼ぶのも嫌なようだった。遊び終えた後A子の悪口を言うに決まっているからだろう。それでC男はA子達と遊んでいるのを秘密にするしかなかったようなのだ。もっと他にやりようがありそうなものだが。
 C子はA子に多少嫉妬していたのではないだろうか。A子の奔放な気質を知っていたし、おまけにあの美貌である。C男がなびかない理由はないと思っていたのだろう。事実としてA子には曖昧なところがあった。自分から男性に気のある素振りをしたかと思うと直前で態度を翻すのだ。以前も自室に招いた男子とキスをするかしないかというところでうやむやにし、まるで少年が全て悪いかのように語っているのを聞いたことがあった。十七歳にして悪女である。
 C子は私にC男とA子が遊んでいる素振りはないかとよく聞いた。私からすればどう答えたらよいものか分からない。正直に答えればA子とC男の身が危うい。かといって黙ればC子に嘘をつくことになる。A子とC子の間で板挟みになった私はスパイのような気分を味わった。やめろ。私は悪くない。
 卒業してからC子とC男は別れた。電話で言い合いになったらしい。それを聞いた私は何だかほっとした。A子とA男も別れた。あんなに仲がよかったのに……。しかし私はどこかで察していた。A子はC男と浮気をしていると。
 予感がしたのは、卒業してから数ヶ月後に行われたお泊まり会の時だった。いつものようにA男の家にA子、B子、C子、私が集まった。お菓子やジュースを飲み食いし散々騒いで、皆が寝入ったところでふと目が覚めた。人の家では眠りが浅くなるたちでその日も徹夜を覚悟していたのであったが、案の定といったところである。隣で熟睡しているB子を起こさないようそっと扉を開け、外の空気を吸おうと玄関に向かった時だった。A子とC男が入ってきたのである。A子はあっという顔をして、
「目が覚めてお腹がすいたから、コンビニに行って買い物をしていたの。それから車で少し話をしていた」
と言った。でも。この真夜中に? C男はきょろきょろしていた。元々落ち着きがないのである。私は二人の雰囲気に違和感を感じながらそう、とだけ返事をした。何だか同じ温度を纏っているぞ、こいつら。恐らく二人は抱き合った後だったのだと思う。
 A男と別れた後、A子はC男と付き合った。彼女は私に「あなたなら気付いていると思っていたけどな」と言った。あー、と思った。なぜそんなことを笑顔で言えるんだ。あの時カン、当たってたよ。恐ろしい。警察犬かよ、自分。うんうんとうなずきひたすら話を聞いて皆と別れてから「あああああ」と大きな声が出た。うんざりだ。どうして皆好き勝手に行動できるのだ。A子は誰も彼も振り回して一体何がしたいのだ。自分がよければいいのか。A子とC子の情念とも言うべき訳の分からないものが絡み合い、それが私の高校生活を横断していた。馬鹿馬鹿しかった。青春だか何だか知らないが二人でやいやいやっていればいいのだ。なぜ私が関わる必要がある。
 大学に進学し少ししてから、A子から電話がかかってきた。今度また集まるから来ないかという話だった。私は断った。またあのような話が繰り返されるのかと思うと胃が痛んだ。それからA子との連絡は途絶えている。
 C子とも会った。A子とC男が結婚したと聞いた。結婚する前にC男がA子を殴り、A子が父親を呼び警察沙汰になり、C男が連行されるという騒動があったらしい。何となくA子が原因だろうと予想がついた。彼女は近くにいる人を泥沼に引きずり込み、それが当然だという顔をする人だ。私はあの時集まりに行かなくて本当によかったと思った。その後C子も結婚した。彼女との連絡も途絶えた。
 大学に入りまず驚いたのは、友人達の恋愛話が穏やかなことだった。私にはそれこそ漫画の中の出来事のように思えた。何て平和なのだろう。他の人々の間ではA子とC子のような恋愛地獄が繰り広げられているのだろうか? うう、想像したくない。
 時々A子の美しくも底知れぬ何かを宿らせた瞳や、A子とA男が二階でセックスをしている音や、C子の口から延々と吐き出される呪詛のような惚気話を思い出し、げんなりしてしまう。私が人が苦手な原因の一つとしてこの出来事があげられるほどだ。これを青春と呼ぶのなら、それは何と手垢にまみれた人間臭いものなのだろう。
 青春とは地獄か? 地獄。かもしれない。戻りたいと思うか? 二度とご免です。

描く

 この頃は漫画ばかり描いている。一年ごとに描けるものは変化してゆくのだなぁと常々思う。去年までオリジナルのアナログ絵ばかり描いていたのに、今ではすっかり浮かばない。短歌も詠めないしエッセイも出てこない。一番楽しいのは二次創作をしている時なのだから不思議なものだ。
 長らく衝動というか、どうしようもないものに突き動かされてきた。切なさというか、落ち着かなさというか、悲しみのエネルギーのようなものだ。誰もが通りすぎる青春の煩悶という青臭いものだったのかもしれない。とにかくそれを発散せずにはいられなかったのだ。昔から喋るのは苦手だったので、声ではない方法で外に出す必要があった。行き着いたのが絵、漫画、詩、小説、短歌、写真である。写真は一時期フィルム代がかさむほど撮っていたのだが、ある時を境にぱったりとやめてしまった。短歌は三ヶ月間ほどのめり込み毎日のように書いていたが、これも手が止まってしまってからはさっぱりである。詩は気恥ずかしくなりやめてしまった。小説はもともと書く頻度が多くない。今でも続いているのは絵、漫画くらいか。漫画は小説と絵が融合したようなものだから、小説も間接的に書いているといえば書いているのかもしれない。
 オリジナルの絵を描かなくなった理由として思いつくのは、落書きをする頻度が減ったことだ。学生の頃は毎日ノートを前にしていたから、当然毎日のように絵を描く。勉強するために開いているのに落書きして当然と言ったらいけないのだが。すると手が慣れてくる。アイディアもスムーズに出るようになる。下らない内容だったとしても、落書きの影響って大きかったのではないか。
 もしかして今ノートを目の前にしても、すぐに落書きできないかもしれない。全ての原動力である「悲しみのエネルギー」がなくなってしまったのである。気持ちが落ち着いているからなのか、毎日のように絵を描き無意識に発散しているからなのか、それとものめり込んでいるものがあるからなのか、理由は分からない。荒れ狂った海が突然凪いだかのようで、非常に不思議だ。
 自分の半生を振り返ってみると、「悲しみのエネルギー」に振り回された軌跡のようで実に悲惨である。中学生の頃からエネルギーはどんどん膨れ上がり、あまり人に言えないようなことばかりしてきたように思う。人からみれば大した経験ではないかもしれないが、自分からすれば情けないというか、浅ましいというか、直視し難いものがある。だが突然、半生を狂わせるほどの力が絶えてしまったのだからぽかんとしてしまう。何だったんだ、今までのは。
 今ではキャラクターへの愛情という異なるものを原動力にしているから、発散の方法にも変化が現れているのではないか。以前の描いていたような絵はもう出てこないが、まあ、それならそれでいいのではないか。一年前の私に今の絵は描けないのだから。これまで作ってきたものも、今作っているものも、上手いとは言えないし、多くの人を惹きつけるほどの力は持っていない。仕方ないかと思う。持っている力でやるしかないのだ。まあいいか、と思えるようになったのは、落ち着いたからか、それとも老けたのか。

愛に恥じ入る

 人を愛するのが怖い。また愛されるのも怖い。
 愛には種類が沢山ある。両親に対するそれ、恋人に対するそれ、子どもに対するそれ、友人に対するそれ。私はどれも苦手だ。
 両親には長いこと心を閉ざしてきた。過去にいざこざがあったのを引きずっていたし、その頃の彼らしか見えなくなっていた。母には憎まれ口ばかり叩いていた。優しくされれば癪にさわったが、自分がそんな態度しかできないという罪悪感に押しつぶされそうでもあった。感情のせめぎ合いで世間話が苦痛だった。だから家を出た。
 友にしても嫌な部分が少し見えるともう駄目だ。付き合いがフェードアウトした友人が何人いたことか。そもそも愚痴というポーズをとったノロケ、酒を飲みながら交わす冗談、近況報告など聞かされる全てがめんどくさい。特に女性がよくやる「ただのお喋り」ほど私をイラつかせるものはない。同じことを何度も喋り、共感し合い、笑い合う。辞書一冊分もの言葉を喋るくせに意味のある内容なんて一つもない。退屈だ。こんな話をしてるくらいなら家に帰って本を読みたい。私にとって大切なのは自分の趣味だけだ。それが話せない場所では驚くほど気持ちが虚ろになる。三十分も相づちを打っていると気が散ってソワソワしてくる。言い訳がましくトイレに駆け込むと得体の知れない涙がだらだら溢れる。ああ、今すぐ帰りたい。
 恋人も皆自分から振ってきた。思い返せば愛を欲しがるばかりだったような気がする。人を試し、勝手に幻滅し、理想と現実の落差にいら立ち、自分をよく見せようと空回りし、結局は訳も分からず疲れ切り別れを告げる。見えない何かに焦るばかりで、彼らがただ愛してくれることに感謝もせず、点数をつけてばかりになる。どれにも共通しているのは、彼らに拒絶される前に、自分から愛を捨てる準備を整えていたということだ。
 私は人から逃げ回る。私は傷つきたくない。本気で人を愛するということは、本気で傷つくということだ。私は自分の一番柔らかい部分がむきだしになるのが怖い。愛した相手から拒絶されるのが怖いのだ。もしそうなって相手から離れたとしても、傷つけあった記憶は消えない。どこかで疼きを抱えて生きてゆかねばならなくなる。それってどういうことなんだ? 孤独ではないだろうか。そうなったら私はどうなってしまうんだろう。到来する悲しみを想像すると恐ろしい。だったら私は最初から孤独を選ぶ。親しくならなければ傷つくこともない。あなたがいつか私を愛さなくなるのなら、愛の種類が変わってしまうのなら、最初からあなたを愛さない。
 だが実際はそれだけで済まない。なぜなら人は私を放っておいてくれないからだ。どうして彼らは私を見つけ、愛そうとするのだろう。私は彼らを見るたび自分が恥ずかしくなる。これでは相手を不誠実にたぶらかし、騙しているのと同じだと思う。私は詐欺を続けている。作り笑いの下で彼らをバカにし、幼い自分を守っている。本当は分かっている。愛を捨てることができても、自分を陥れるやつらに唾を吐きかけることができても、それは強さではない。どんなに傷つこうが誰かと向き合える人は美しい。
 母はめちゃくちゃになりながら私と向き合った。一緒に死のうとしたこともあったが、私を見捨てないでいてくれた。母のご飯は今でも美味しい。私が消えようとしても追いかけてくれる友人もいる。私がつまらぬ見栄を張ろうとも、肩肘をはらずともいいとアッサリ鎧をひっぺがしてくれる。その一言で私はようやく不器用な自分をさらけ出せる。恋人は、私がいつでも別れられる、主導権はこちらだと脅そうとも、泣きそうな時は抱きしめてくれたし、私はそれに甘え続けた。
 私にとって愛は温かいものではなかった。いつか自分を徹底的に壊すだろう怪物で、自分の首を絞める縄であった。けれど彼らに愛される時、私は胸がいっぱいになり、自分がいかに愚かで小さい人間か思い知るのである。
 私は今でも人を愛するのが怖いし、誰かの愛に甘んじてばかりいる。相手を愛そうとすれば打算が顔を出し駆け引きに興じようとする。突き放されると感じたらすぐ相手を冷たく見下し、「じゃ、私もあなたなんかいらないです」と言いそうになる。私は彼らのように正々堂々と戦いたい。愛の剣でボロボロになりたい。「何かあったの」と言えるようになりたい。「大切な人だからいなくならないで」とすがりつけるようになりたい。なぜならばそれが、私の臆病な本心だからだ。

だらんとエッセイその⑥

だらんとエッセイその⑥

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-06

Copyrighted
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  1. 静寂
  2. 自室の夜
  3. 恋愛地獄
  4. 描く
  5. 愛に恥じ入る