奏でる
奏でて
おたまじゃくし
私は3歳からピアノ教室に通っていた。
音符や符号を書く練習をしたり、ドレミの音当てをしたりしていたのをよく覚えている。
ピアノ教室の中で私はかなりの落ちこぼれだった。
後から始めた友達がどんどん上手くなっていってコンクールには出場するし、発表会だって私よりもずいぶん難しい曲を弾いていた。
しかし私は全くなんとも思っていなかった。
おたまじゃくしが読めなかったから、マンツーマンでのレッスンも居眠りをしてよく先生を困らせていたし、相当な問題児だっただろうと今考えてみるとそう思う。
おたまじゃくし?
おたまじゃくしとは音符のことだ。
ピアノ教室の先生は私たち子供に分かりやすいように音符のことをそう呼んだ。
おたまじゃくしが上の五線譜と下の五線譜を泳いでいる。
どうも上と下をちょうど良いように合わせて弾くのが苦手で楽譜で練習するのが嫌いだった。
左手で紡いでゆくおたまじゃくしと右手で紡いでゆくおたまじゃくしのタイミングを合わせるのが苦手だった。
どちらかというと曲を聞いてその音を紡いでゆきながら弾くほうがよっぽど楽だった。
それでも五線譜が存在する意味はなんだろうか。
人生
人生に置き換えて考えてみたことがある。
人生が楽譜だとして、小節が時の区切りだとする。
盛り上がる小節もあれば落ち込んだ小節もある。
その中におたまじゃくしがたくさんいて、無駄なく泳ぐ。
主旋律を自分だとすると副旋律が出会う人たちだ。
通り過ぎてゆく時間の中で出会うべき人は決まっていて、その人と共にいる拍数も決まっている。
出会うべき時に出会い、別れるべき時に別れてゆく。すべてのタイミングに意味があるのではないだろうか。
人間は皆それぞれ、自分の楽譜を持って人生を奏でているのではないだろうか。
奏でる
生きている