とある学校の七不思議

僕らの学校には、どこかおかしな七不思議がある……ひょんなことから七不思議に足を踏み入れていく少年少女の物語。


この地方では四月に梅雨前線がやってきて、ささやかな雨季を迎える。しとしとと降る雨は淡い桜の花びらとよく似合い、この国の人間がなぜ色合いの派手さや華やかさを必要としなかったのか、その理由がよく分かる。
 そんな雨の中を、黒い蝙蝠傘を刺して、黒い学生服を着た少年が歩いていく。体つきは運動部のように太ましくなければ文化部のように細くもなく、中肉中背のごく普通の少年だ。真っ黒な短い髪に真っ黒い目をした少年の隣では、大きなコウモリ傘を刺しながら、真っ黒なカーディガンを着て歩いている少女がいる。少女の細く小さな顔には雨を憂鬱に感じているのか、眉がへの字を描くかのように歪んでいて、二等辺三角形を並べたような鋭い目がこんにゃくのように腑抜けている。
 昨日、公立B高等学校の始業式が終わり、新たな学園生活が始まったばかりである。B高校は海が見える県立高校で、学生はみな潮風による自転車の錆に悩まされる。というのも、平均以上の偏差値を持つB学校では、少し背伸びをして遠くから来る人も、バスや電車などの交通機関を使わない人も、多くは自転車で登校するためである。自転車を使わない時といえば、今日みたく 雨天のときくらいなものだ。
「雨は嫌いだよ」と、少女が肩をすくめながら話す。「あたしだけ休校にしてくれないだろうか」
 少女の腰まで届く長い髪の毛は傘からはみ出んばかりにボサボサに伸びていて、毛先には朝露のように透明な水の球体が乗っている。
「とか何とか言って、電車の遅延を見越してこの時間に登校だなんて、偉いじゃない」
 と、まったく特徴のない少年、強いて言うならばニキビの無い小奇麗な少年が答える。
「いつもなら自転車で来るんだ。電車を使うのは雨が降ったときだけだよ」と、少女は頭を九十度くらい傾けて、首に力が入らないほど疲れております、とでも言うかのようにため息をつく。
「じゃあ、雨が降ってれば、ユウナちゃんに出会えるっていうわけか」少年は特に嬉しそうにするでもなく、まるでそれが当然というかのように真顔で話す。
「何それ気持ち悪い」少女は苦虫を噛み潰すような顔をするので、口の周りの柔らかい肉がふにゃりと歪む。
「ところで一時間目って何だっけ? 数学?」
 少年はそんな少女のことを分かってか、あるいはよほど図太い性格なのかどうかは分からないが、彼に妹か姉がいればそのように、ごく自然体で話している。
「スウガク」少女はそれを異国の言葉のように反復した。「そうだね、数える授業だった」
「苦手なんだ?」
「得意そうに見えるかい?」
 ぴちょん、という葉から零れた露の音さえも聞こえそうな柔らかい雨が降る中、二人はそうやって他愛の無い会話をしながら桜の花が散る昇降口をくぐっていった。


「おはよう。あら、朝から仲の宜しいことで」
 と、丁寧な口調で話す短髪の少女がいた。しゅっとしまった顔立ちから覗く爬虫類のように鋭い目が、一組の少年少女を捕らえてニヤリと歪む。顎の傾斜に沿うように鋭く切られたおかっぱ頭だが、前髪はざっくばらんに切られて眉上で散らばっている。
「サキ。そういうんじゃない」と、長髪の少女。「あたしの好みくらい分かってんでしょうが」
「そうね。トオル君なら、ユウナの好みの半分くらいは当てはまりそうじゃない」
 さらさらと髪の先を揺らしながら、短髪の少女は細長い舌をちろりと出して友人の好みを言い当てる。サキとユウナは幼稚園から続く幼馴染だ。
「あたしゃ妥協しないよ。満点の男を目指す」長髪の少女ユウナは太めの眉をきゅっと絞った。
「ユウナちゃんの満点の男ってどんな?」
 二人の親しげな会話に、探るようにトオルが口を挟むと、ユウナは訝しげな目で少年を見た。
「……割れ鍋にぴったり合う綴じ蓋って感じかな」
 どこからそんな古風な例えを覚えてきたのか、ユウナは肩をすくめて惚けてしまった。
「トオル君。少女マンガの主人公はちょっと変態くらいがちょうどいいって話よ」
 サキは黒髪を撫でながら澄ました顔で話す。
「ユウナちゃんはちょっと変態ってこと?」
「違うわ。このスカポンタン」
「ふふん、トオル君にはちょっとまだ分からないかなぁ」
 などと、ショートカットの少女はトオルを小馬鹿にするような態度で鼻を鳴らした。
「ユウナちゃんだけにぴったり合う人がいるっていう話でしょ?」
「あら、意外と分かるじゃない、トオル君。ユウナはありのままの私を受け入れてくれる運命の相手はいないかしらと夢を見るピュアな子なのよ」
「おいサキ、初対面に近いのに変な印象植え付けるんじゃないよ。怒るよ」
 ユウナが薄い手のひらで彼女の頬をぺちりと叩くと、サキは頬を膨らませて機嫌を損ねた人の振りをした。
「ちょっと待って」トオルが話す。「半分くらい当てはまってるって、僕はちょっと変態に見えるってこと?」
「あっは、そうだね」サキが頬に溜めた空気を吐き出して、面白そうに笑った。
「トオルはねぇ、なんか持ってる気がしたわ」
「失礼な!」
 どうとでも取れるユウナの物言いに対し、トオルは機嫌が悪い人のようにへそを曲げて、さっさと自分の席に着いて荷物を整理し始めてしまった。


「いいなぁサキは肌が綺麗で」
 と、授業終わりにユウナがため息交じりにそう言った。サキの肌は確かに綺麗だ。彼女を見てまず一番初めに褒めるところはそこだろう。サキの肌は指先から頬に至るまできめ細かく艶があり、まるで一流の人形師が胡粉を塗り鶏卵をあえて拵えたもののようだ。血管すらも影を潜めているその肌は、まさしく作り物めいた美を感じさせる。
「そうでしょう、そうでしょうとも。キチンとお手入れしてますから」
 不意の言葉にもサキは心底満足げに、髪を払ってその下の肌まで見せ付けた。幼少の時から褒められて育ったため、彼女はそれに磨きをかけて玉の肌に仕上げている。
「あんま得意げにされんのも腹立つけど、肌のトラブル無いとか無敵じゃん」と、トリの少女は羨ましそうにニキビひとつないサキの顔を眺める。
「まぁね。トラブルを無くすために生活してますから」
 サキは得意げに微笑みながら、自分以外の人間を哀れむような澄ました顔をする。
「まぁ、あたしは太んないけどね」
 ユウナは負けじと腕を組み、サキには無い豊かな胸部をゆさゆさと持ち上げた。その柔肌とワイシャツが擦れ合ってしゃくしゃくという音が鳴る。
「うーわ、出たよ私は太んない発言。女の敵ねぇ」サキは胸についての話は触れられず、親の仇でも見るような顔をして、話を投げ出すかのように手を払った。
「ふ、すまん。不毛の争いだった」ユウナは軽く謝ると、すんなりと引き下がった。
「そうね。あ、ねぇ、トオル君」
 サキはたまたまその場を通り過ぎようとしたトオルを呼び止めた。
「なに?」無用心の象徴のような顔でトオルが首を傾げる。
「太らないと約束された女の子と、いつまでも艶々の肌の女の子、どっちが好き?」
 小首を傾げるかのようにトオルを仰ぎ見、サキはさもセクシーに微笑みかけた。
「んー、女の子は太ってるとか肌とかあんま関係ないよ」
 悩むような声を発したが、トオルはすでにそのことに関しては考えたことがあると言わんばかりの速さで切り返す。
「そう?」まだ勝利を諦めていないサキは、不動の微笑を投げかけている。
「大事なのは鎖骨とうなじかな」トオルは躊躇うことなく自身の趣向を暴露した。
「……高次元の話はいいから」
 トオルの趣向が、毛ほども理解されること無くスッパリと切り捨てられた。


「鎖骨とうなじの組み合わせってどうなの?」
 二時限目の終わりに、サキが抱いていた疑問をユウナに投げかけた。なるべく他の人に聞かれないよう、身を寄せて話している。
「どうなの、って聞かれても、知らんがな」声を潜めてどんな深刻な話が来るかと思えば、出会って二日目の男の性癖の話である。ユウナは肩透かしを食らったようにため息混じりに答えた。
「だってさぁ、鎖骨は前にあって、うなじは後ろにあるじゃない? 同時に見れないじゃない」
 サキの意見は的を射ているように響いたが、ユウナにとっては至極どうでもいいことのようで、「言われてみれば」というつまらない言葉で返した。
「だからどうしてその二つなのか気にならない?」
 サキの言葉は興味本位から、というよりも、どこか挑みかかるような強さがあった。
「単に、どうとでも取れることを言っただけなんじゃない?」ユウナはあくまで話を流す構えだ。
「じゃあ、私の質問に適当に答えたってことよね」
サキが目に力を入れて一言一句を噛み締めるように言った。どうやらサキにとっては自分の価値を決める大事な質問が適当に受け止められていたことが気に食わないようだ。
「サキ、何でも白黒つければいいもんじゃないって、小学校のとき教えてもらったでしょ」
 一度言ったことのある注意を繰り返し聞かせる親のように、ユウナは辛抱強く話す。
「授業とクラブのこと以外は曖昧が正解のときもあるって話だったわね。でも、私はそういうの嫌いなの」
 サキに始まったことではないが、人は誰からどんな言葉を受けたとしても、自分を変えることができるのは自分だけだ。そしてサキはそんな自分を変える気などさらさら無い。
「知ってるけど。まだ出会って二日目なんだから。ちょっとは控えなさいよ」
ユウナは妥協案を投げる。
「ねぇ、トオル君!」サキはパッと首を動かして、止められるよりも早くトオルを呼び出した。「ちょっと来て」
「なぁに?」虫一匹殺せないような少年がサキに歩み寄っていく。
「どうして鎖骨とうなじなの」
 決して真面目な話題ではないのに、サキは真剣な顔で問い詰めた。
「あぁ、その話」と、トオルは場の雰囲気を和ますかのように肩をすくめて話す。「なんでって聞かれても」トオルは一拍置いて続ける。「それが好きになったものだから?」これ、どういう質問? と、尋ねるようにユウナの方を見たが、ユウナも肩をすくめるばかりだ。
「ふぅん、キモいわね」と、サキは苦虫を吐き出すかのように口を四角くした。
「理解されないのは悲しいことだね」トオルは言葉をゆっくりと紡ぎながら、サキをまじまじと眺めた。それは自分の趣向を否定した人を侮蔑したり、あるいは嫌いになる材料を探すような目ではなく、なぜ彼女がそういう言葉を選んだのかを探っているような目だった。そして、「サキちゃんは肌が綺麗だからね。思わずつつきたくなるくらい」と言った。
 こういうのは言ってしまったもん勝ちだ。サキは目を丸くして少し頬を赤らめて「ま、当然よ。理解されないのは悲しいけどね」などと強がった。欲しい言葉が出てこないと捻くれるくせに欲しい言葉が出てきたら素直に喜ばないだなんてわがままな話だが、二人ともそれ以上は触れないで笑顔で別れた。

 しとしと、というよりは、とととと、という雨がコンクリートを叩く音が響く中、トオルはクラスの男子たちと談笑していた。今はもう放課後。二日目から授業があるといっても一年の授業の流れをざっと説明されたり、あるいは生徒一人ひとりの自己紹介をして終わったので学生たちの気持ちの切り替えは出来ておらず、多くの人は授業が楽に終わってラッキーと思っている中学生のようだった。
 ここに残る人はみな浮き足立っている人たちで、大きく分けて二種類の人種に分かれる。これからを楽しむために友人を探している人と、自己主張しようとしている人だ。
 トオルが他の男子の自慢話に適当な相槌を打っていると、長い髪をした少女に肩を叩かれて席を外した。
「トオル、さっきの悪かったね」ユウナが片腕をさらりと動かして、水に流してくれとでも言いたげに詫びた。サキは弓道部か茶道部の仮入部に向かったのだろう。「サキは白黒つけたがる性格なんだ。悪気があったわけじゃないし、怖い子でもなければ、嫌味なやつでもない。ちょっと変わった子なんだ。悪く思わないでほしい」
「ああ、分かってるよ。そうだと思った」
トオルはニコリと笑みを浮かべた。その笑みはとても柔らかく、つまらないことでも相談したくなるような優しさを携えている。
「ありがと。助かるよ」
「サキちゃんて、昔からああなの?」
「うん。ああなの」
ユウナが大きく肩を上下させて呆れるので、胸部の肉がもそりと揺れる。
「そう。ユウナちゃんも苦労するね」
わざわざ友人のフォローに回るユウナへ、トオルは精一杯の労いをかけた。
「慣れたものさ」
目を瞑り、細長い指を風に泳がせるかのようにひらりと動かしながらユウナが答える。手馴れたものと言いたいのかもしれない。
「放っておけば、サキちゃんは全世界を敵に回しかねないね」
「はは、言えてる」
 大げさな言い方だが、あながち言い過ぎでもない表現に、ユウナは乾いた笑い声を上げた。
「同じクラスのよしみだ。僕もできる限りフォローするよ」
「いいの? いや、そう言ってくれれば、あたしも気が楽だ」
「任しといて。そういうの得意だから」
「頼もしいよ」
 背負っていた重荷を半分だけ持ってくれた人のように、ユウナは顔を緩ませた。それまでの気苦労が多ければ多いほど、それが開放されたときの心は緩む。少女の笑顔は、人に助けられることに不器用にすらなるような、気苦労の人がする苦笑だった。


「昔から、あんな性格なんだ」
 その日の帰り道、ユウナはトオルと一緒に下校していた。
 雨上がりの放課後、灰色の曇天の下を、二人は足元の水をぱちゃぱちゃと跳ねさせて遊ぶかのように、ゆっくりと歩いている。
 トオルとユウナの会話が、空を流れる雲のようにゆるやかに流れてゆく。
「ユウナちゃんとサキちゃんは、いつから一緒なの?」
「保育園。向こうの両親の顔も知ってる」
「腐れ縁だね。いいなぁ、僕にはそういうのないんだ」
「トオルなら誰とでも絡めそうだけど?」
「今でも連絡取る人はいるけど、この高校へは僕ひとり」
「どうしてここにしたんだい?」
「そこそこ近いんだ。といっても自転車で一時間だけど。これよりもうひとつ近いとこだと、偏差値がちょっと落ちちゃう」
「なるほどね。で、みんなはそのひとつ落ちた偏差値で納得してしまったと」
「そう。それに偏差値ひとつ上げて自転車で一時間かけるなら、電車で通える良いとこにする」
「ふぅん、あえてみんなと一緒のとこにしなかったんだ」
「電車賃もったいないし。それに、高校選びって誰かに合わせるもんでもないし」
「そりゃそうだ。そうゆうもんじゃない」
「お、気が合うね、ユウナちゃん」
「その、ちゃんっていうの止めてくんない。見て分かると思うけど、あたしそうゆうキャラじゃない」
「女の子は須らくちゃんと付けて呼ぶべしとウチの爺様が」
「あんたの爺さん何者だよ」
「今でもウチの男どもはみんな頭が上がらない。戦中生まれの警察官だった」
「そりゃ、すごそうだ……トオルって兄弟いるの?」
「いるよ。兄貴が一人」
「へぇ、どんな人?」
「中学からバスケやってて、その推薦で体育大学入った」
「すごいじゃん、トオルはそんなにもやしなのに」
「父さんはトラックの運ちゃん」
「え、マジで?」
「そう、それでどうやったら僕だけこうなるのか、ホントに謎」
「母親は?」
「普通に文学部でお嫁ちゃんになった感じ。でもテニスサークルだったとか」
「文学部で? 在学中にってこと?」
「そそ。大学に機材を運搬したウチのオヤジがテニスしてた母ちゃんに一目惚れして、そのまま子を仕込んだらしい」
「や、るねぇ~。ホント男女交際ってドラマ性が無くなれば無くなるほど熱いよね」
「そう、もう情熱しかない。不純物一切なし。ある意味では清々しいよね」
「ってことは大学中退したの?」
「うん。ウチのオヤジ頑固だけど侠気持ちな人だからさ。俺が食わしてやるからって」
「キョーキ持ち?」
「一途ってこと」
「へぇ、それでうまくいってるなら本物だね」
「うん、普通に仲良いよ。ユウナちゃんは兄弟とかいるの?」
「あぁ、兄貴と弟がひとりずつ。兄貴の方はあたしの五つ上で、月ごとに違う女を連れてくる」
「プレイボーイだね」
「……困ったもんだよ。で、弟はあたしの七つ下。小学二年生なんだ」
「へぇ……可愛い年頃じゃん」
「姉離れができなくて困ってるんだ。あたしも世話を焼きすぎたってのもあるけど、朝起きたら布団の中に弟がこっそり入ってきてたりする」
「はは、怖い夢でも見たんじゃない」
「そうなんだよ。もう、困るぜ」
「でもプレイボーイよりは、それくらいのが良いでしょ」
「ははっ、そりゃそうだ」
 高校生二人の他愛無い会話だ。立ち入ったようなことを聞いているようで、踏み込まないところへは踏み込んでいない。他人に対する好奇心と、遠慮する気持ちが相まって、お互いに恐る恐る探り合っていく。異性を意識し始める高校生の男女なら、なおさらだ。
「あ、そういえばお菓子忘れてきた」
「今朝持ってきてたね。食べなかったの?」
「なんかマナー悪いかなとも思って」
「そうね。ま、明日の昼休みにでも消化したら?」
「そうするよ」


 翌日、トオルのお菓子は無くなっていた。今朝は昨日の雨雲を吹き払わんとするかのように強い風が吹き、桜の花がひゅるると竜巻の形になって足元を這っているような天気だった。
「僕のお菓子が無くなった」と、トオルは不満を垂れ流す子供のようなことを言った。
「置きっ放しにしとくからだよ」とはユウナの言葉だ。
「まさかビニール袋ごと無くなるとは思わなんだ」
「後ろのゴミ箱にそれっぽいのが入ってたよ」
「あぁ、ホントだ。間違いなく僕のだね、これ」ゴミ箱の中にはトオルが間違いなく買った物と、それを食べ散らかしたであろう食べカスまでボロボロと詰め込まれていた。「まるで今日が人生最後の日だと言わんばかりの食い散らかしっぷりだ」
「はは、ユニークな例えだ」ユウナが腕組みをしながら笑うので、大きな胸元がふわふわと浮いている。
「待って、トオル君のお菓子が誰かに食べられたの?」間を割って会話に入ってきたのはサキだ。
「うん」鬼気迫る勢いのサキに押されて、トオルは余計なことは言わずに肯定の頷きだけで示す。
「それって、泥棒じゃない。笑い事じゃないわよ」サキは怒っているようだった。
「いやぁ、でも置きっ放しにしてた僕にも非があるし、三日目でクラスメートを疑いたくないな」
「そういう問題はうやむやにしない方が良いと思うわ」意志の強そうな凛々しい眉毛で目元をきゅっと押し込んで、サキは悪党を前にした警官のように顔をしかめた。「犯人を探すべきよ」
「サキ、お菓子を食った犯人なんて見つかりっこないぜ」ユウナは細い指先を魚のヒレのように動かしながら答える。
「そうだよサキちゃん。当の本人が良いって言ってるんだから、過ぎたことはもう良いんだよ」
トオルは嗜めようとするが、サキは一歩も譲らない。
「私は良くないわ。そういうヒトと一緒に授業を受けてるだなんて、安心してリコーダーも置いてけない」
「サキ、お菓子とリコーダーじゃ例えが違うよ」
ユウナは自分の意見を伝えること以前に、何度もサキの名前を呼んではいるが、それでも彼女に言葉が届かない。
「いいえ、違わないわ。白黒ハッキリさせましょう」
 果たして彼女はどんな行動に出るのか、トオルとユウナは呆れながら互いにため息を付いた。

「七不思議?」
 なんだかんだと言って、行動してしまうのがトオルである。自分が招いた問題なのに自分以外の人間が積極的に行動しているのにいてもたってもいられなくなったか、トオルもクラスメートに聞き込みを始めていた。サキと違うのは、犯人探しではなくクラスメートに犯人はいないことを証明するための情報収集だ。
 トオルが話を聞いて回ろうとした最初の相手、大きな体をしたウシのような少女が、お菓子泥棒の犯人は学校の七不思議のせいだと言い出した。少女の名はマナミといって、トオルとは隣の席だ。
「七不思議に、そういうのあるって、お姉ちゃんが……」マナミはおどおどと言葉を選んで「……言ってた」と答える。
「お菓子が、なくなるの?」トオルはゆっくりとした言葉遣いで話を進めた。
「うん。お菓子じゃなくて、お弁当とかも、置いておくと、なくなっちゃう……」マナミは大きな体をぎゅっと縮めて、「……らしい」という最後の言葉を搾り出す。
「何の仕業だって言われてるの?」
「……イエティ」
「……ん?」
「イエティって、言われてる」マナミは淡々とした口調だ。
「イエティ、かぁ」まさかの未確認生物の登場に、トオルは笑みを浮かべる。
「でも、ゴースト」マナミは続ける。「ゴースト・イエティ」
「ゴーストなの? なにそれ」
好奇心旺盛なトオルは嬉々とした目をキラキラと輝かせていて、とても楽しそうだ。
「ゴースト・イエティは夜に現れる」マナミはつらつらと話し始めた。「これは七不思議の三番目。お腹を空かせたイエティの子供が、夜中に徘徊して、食べ物を漁る、という話」
「七不思議って、他にもあるの?」
「聞きたいの?」
「是非。なんならメモ取って良い?」
「い、いいけど……」マナミは少し困ったように目を俯けて、「あたし、二つしか知らない……」と、最初に断りを入れた。
「いいよ。聞かせて」
「う、うん」マナミはトオルの顔を眺めてから、目を合わせないようにして話し始めた。


(我が校には代々受け継がれている不思議な七不思議があった。学校の七不思議として定番である「動く人体模型」や「動く肖像画」や「動く銅像」の話はウチには無いらしく、変わりにどう転んだのか独自の七不思議が発展していた。
 七不思議ひとつめ、「ゴースト・ロッカーは有名」とはマナミちゃんの言葉だ。「体育館の裏に、使われていなくて、放棄されてるロッカー郡があるんだけど、そのロッカーが日ごとに、動いてる。ロッカーの配置が変わっていたり、鍵がかかっているロッカーの場所が変わったりする。これはイジめを受けてロッカー内で命を絶った少年霊の怨念って……」マナミちゃんは最後の言葉を絞りだすのに一拍要する。「……言われてる」
 三つ目。「ハングリーイエティ」。これは学校から食料がなくなる話だ。「夜中に通りかかった子が、毛むくじゃらで人らしからぬ動きをする物体を見たことから、それはイエティの仕業と言われている」ということ。僕のお菓子がなくなったのも、イエティの仕業じゃ、しょうがないな。
 以上が七不思議ふたつまで。マナミちゃんは赤面症持ちなのか、話していくと徐々に顔が赤みを帯びてきてしまって、声も上擦りになってしまったので、それ以上の話をさせるのが申し訳なくなり切り上げた。そして代わりに僕の好きな映画の話を五分位してあげた。やはり、小話になる映画といえばビーンの旦那の映画に限る。どんな映画って、とある結婚式場に出席していたビーンが、ふと自分の股間のチャックが開いてることに気付いて急いで戻そうとするのだが、どう間違えたか指が引っかかってしまって、股間から人差し指をぷらぷらさせたまま『結婚、おめでとう』と言う、みたいな。そんなシーンの連続みたいな映画なんだ……)


「あなたの映画トークはもういいわ」サキがぴしゃりと打ち切った。「それじゃあ、あなたは泥棒の犯人が幽霊だっていうわけ?」サキは真剣に取り掛かっている問題に茶々を入れられた時の人のように、額に不機嫌という文字を書くよりも分かりやすい表情をして、「ふざけないで」と一蹴した。
「ふざけてないよ、サキちゃん。だってイエティの仕業なんだよ?」人肉ではなく菓子や弁当を食らうというなら、まだ可愛らしいと言いたげだ。
「あのねぇ」サキは額に怪訝の文字を書いたような顔をした。「実際にトオル君の所持品が無くなっていた。その犯人を捜しているの。どうして実際に無くなったものを実在しないもので解決しようとしているの?」
「分かった、じゃあイエティの話は止めだ」トオルは残念そうに天井を見上げた。「無くなったのは僕が初めてじゃなくて、昔からある話なんだよ。価値ある忘れ物は持ってかれる。分かり切ってることじゃない」
「昔からある、そうね、確かにそうだわ。じゃあ犯人は教員って言いたいの?」
「同一の犯人がずっと盗んでるんじゃなくて、誰がやってもおかしくないって話だよ」
「誰かがやってるのよ。トオル君、あなた、それが許せるの? 親からもらったお小遣いで買ったものを盗られてるのよ?」
「そういう言い方をされると……」トオルは弱ったように頭を抱えた。「確かに、それは許すわけにはいかない。僕の父さんは顔も知らない赤の他人の小腹を満たすために働いているわけじゃない、んだけど……」トオルは懸命に言葉を探そうとしていたが、語尾を濁らせただけだった。
「そうよ。許せないでしょう。トオル君は犯人を見つけて、一言文句をぶつけなきゃ父親の顔に泥を塗ることになるわ」
 サキの言葉を聞いていた他のクラスメートが、何を大袈裟な、と言いたげに肩をすくめた。
「そうだ。その通りだ」トオルは肯定した。「サキちゃんが正しい。僕はそれを、許すわけにはいかない」
「そうよ! 見つけましょう、犯人を!」サキは目をキラキラと輝かせてトオルの手を取った。彼女の人形めいた白い肌には、かすかに朱の色が滲んでいるように見える。
「嗚呼、そうだとも、やるべきことをやるべしっていうのが、ウチの家訓なんだ」トオルは握られた手をぎゅっと握り返して、決意を証明していた。

「一部始終、聞いていたよ」とは、ユウナの言葉だった。「トオルって飄々としているけど、真面目というか、意外と引っ込み効かない性格なんだね」彼女は長い髪の毛を弄ぶように人差し指にくるくると巻きつけ、その様子を針金のように細く伸びた目で眺めている。怒っているようにも見えるし、呆れているようにも、あるいは感心しているようにも見える。
「ああ、お願いだよユウナちゃん、助けておくれ」トオルは切羽詰った人が神頼みするかのように大仰に頼み込んだ。「僕を救えるのは君だけだ」とまで言った。
「仕方がないね」ユウナは満更でもなさそうに唇を尖らせて肩をすくめた。「あたしの幼馴染が撒いた種だ。できることはやろう」
「僕は可能な限り誠意ある姿勢を見せるから、サキちゃんを止めておくれ」
「止める? あの子を? 無理だって。この校舎に隕石でも落ちてきて廃校にならない限り彼女は止まらないよ」
「なんてこった」
トオルは嘆くように、あるいは本当に隕石の到来を願うかのように天井を仰いだ。


 それから二日経ち、トオルの調査は滞りなく進んだ。最後にこのクラスを訪れていたのはトオルたちで、その後はおそらく誰もこのクラスに入っていない。もし誰かが入ってきたとしたら、誰かと会う約束をしていたわけでもなく、つまり何の目的もなくぶらりとやってきた他のクラス、他学年の生徒ということになる。
「自分で言っておいてあれだけど、暗闇を手探りで進むような調査ね」とは、さすがに心が折れ始めたサキの言葉だ。
「おかげさまで、クラスの人とはあらかた話せるようになったよ」
トオルは気の抜けた顔で答える。
 確かにトオルの顔は必要的に広まった。トオルは上手に話を聞いて回っていたので、トオルといえばお菓子を探し回る人、ではなく学校の怪談を追う人として認識されている。
「なんだか、このまま調査を進めるのに抵抗があるよ」ユウナは腕を組んで唸る。「なんだか嫌な予感がする」
「あらユウナ、宇宙戦争の映画みたいなことを言うのね」とはサキの台詞。「何か感じ取ったのかしら?」
「それともタブーだから?」トオルは邪気のない声で尋ねる。
「そういうんじゃなくて、怖いことが起きそうな気がする」
「実際になくなったものを追いかけてどうやってゴーストに行き着くのかしら?」
実在するものを実在しないもので解決しようとするのは良くないとでも言いたげに。
「サキちゃんの恐ろしいことといえばゴーストなの?」
「違うよトオル。サキはそういうことについて疎いだけだ」
「誰が何を怖いって?」サキは声の調子をすっと高くした。「じゃあ、七不思議を追いましょうか」
「はァ?」ユウナはまるで猫が毛玉を吐き出すかのような顔をした。
「サキちゃん。急にどうしたの?」トオルですら困惑し、口だけでなく両手を広げて理解できないことを示す。
「七不思議を、追いましょう」
 しかし、サキはただしっかり言葉を言い直しただけで、具体的な説明は何も無かった。ある意味で純粋なその目は、「分かるでしょ?」と語っているようにも見える。
「サキ、覚えてるか? あれはまだあたしたちが小学二年生のとき……」
 アニメーション映画だったらその回想シーンが展開されるかのように、ユウナが目を瞑りながらドラマチックに語りだす。
「夜中に不穏な音を鳴らす廃墟を探検しようと私が言い出した話?」
 対してサキは一音一句を噛み締めるように話す。彼女たちの趣向はどうであれ、幼馴染の二人には共通する話題が豊富にある。トオルは黙って二人の思い出話を聞きだした。
「そんときも、あたしは止めたさ。嫌な予感がしたんだ」
「私は行って確かめたいことがあった。幽霊は本当にいるのかどうか」
「幽霊の仕業かどうかは知らないが、音の正体はあらゆる機械の異常動作だった」
「いつ爆発してもおかしくない状況だったって、探検が終わった後に知った」
「廃墟の中はガスで充満してて、あたしたちは三日三晩うなされた」
「毒が抜けるまでね。確かに、あれは私の失態だった。ほんとにごめん。でも今回は違うでしょ? 危険は無い」
 トオルはのんびりと二人の様子を観察していた。サキが爆発物だとすれば、ユウナは安定剤だ。自我が強く好奇心も旺盛なサキは事あるごとに問題を起こしにかかり、ユウナは一人では行動力に欠ける怠慢な少女だが、サキにとっては良いストッパーとして機能する。
たとえば「立ち入り禁止」の看板が掲げられている古びた廃墟があったとき、サキは秘密を隠していると疑いにかかり、ユウナはきっと危ないものがあるのだろう、と想像する。普段から大人びた態度を取っているサキだが、自身の想像を信じて疑わない夢見がちな一面を持つ。対して口数が少なくミステリアスな一面を携えているユウナは、しっかりと現実を基盤に物事を進めているようだ。
「危険は無い? 断言はできないね。お菓子を盗った奴が逆ギレして襲ってきたら?」
「誰もいない教室にコソコソ忍び込んで菓子を盗ってくようなヤツよ? それにこっちは三人もいる」
 サキはすでにこの場にいる三人を頭数に入れていた。
「そもそも実在しなかったら?」
「火のないところに煙は立たないわ。あのマナミって子が七不思議のせいにして自分で食べたかも分かんないし、あんな大きな体してるし」
サキの発言はやっかみだ。確かにマナミは少女という名に似つかわしくないほど大きな体をしているが、サキのいう体とは胸のことだ。胴体よりも大きく膨らんでいるマナミの胸をジロジロと見て、サキはまな板のような自分の胸をちらりと見比べた。
「こらサキ。確証もなく人を疑ってたら人生が閉じるよ」
「……お婆ちゃんみたいな人生哲学だけど、けだし名言だね」ノブは呆れるとも感心するとも見えるが、どちらにせよ上の空だ。
「とにかく!」サキは声を荒げた。「七不思議を追うわよ。あなたたちが行かなくても私はやるわ。見捨てるってんなら、ま、ご自由に」
 ツンとあさっての方向を向いて突っぱねたサキの横顔を見つめた二人は、放っておけるはずもなく、「お供しますよ」と口に出していた。


 トオルはまず、この学校に伝わる七不思議を調べ始めるために、クラスメートのとある少女に自己紹介がてら七不思議について聞いて回っていた。
「ねぇ、七不思議を知らない?」
 さて、そのままでは社会に馴染むにあたって不都合になるほどに強烈な個性を有している人間が、学校という舞台には存在する。なぜなら、そこはまだ社会ではないからだ。そして、そうした尖った個性を持っている者ほど有益な情報を持っているのもまた事実である。なぜなら彼らの見聞きしている情報は社会一般の基準とはズレていて、穿った知識を蓄えているからである。
「知らない? 七不思議? を? ですって? 一体全体何がどうしてどうなってこの学校に星の数ほどもいる生徒の中からあたしに聞いたのかしら待って! 言わなくてもいいの分かるわ分かるの分かってるからあたし分かっていますからあなたは星の数ほどもある生徒の中から。あたしを選んだんじゃなくて星の数ほども声を掛けて回っているんでしょうだから巡り巡って巡りまくってあたしのところへ来たんだわそうよそうなのそうなんでしょう巡りまくってきたならま仕方がないわだってあたしはメグって名だし?」
 まるでウイルスに感染したパソコンが吐き出すエラー通知のようなマシンガントークで話すことから、少女はエラーガールと呼ばれている。
 狂気に満ち満ちているアンバーの瞳をかっ開き、パチクリと彼女が瞬きをするので長い睫がぐるぐると動く。頬の皮膚は薄いのか、所々ヒビが入るかのような血管が浮いている。凛々しい高い鼻筋に、厚めの唇はかさかさで荒れている。少女は病的なほどに痩せていて、胸元だけ、まな板に置いた林檎か梨のように膨らんでいるのが、黒いTシャツ越しにもよく分かる。
「そ、そうだね、メグちゃん。うん、で、七不思議は、知らないかな」
 トオルは怯みそうになる自分を必死に奮い立たせながら気狂い少女と向き合っていた。少女は琥珀色の瞳をこれでもかと見開いており、それはあるいは野良猫のように邪気のなく純粋な光すら帯びている。
「知らないかな? 七不思議は? で?」あまりにもせっかち過ぎる少女は、人の言葉を理解するよりも前に口に出す。「ええ知っているわ知っていますともだってあたしは知ってしまったからなぜってあたしに聞かないであたしだって知りたいと思って調べたわけじゃないのよ勝手に知ってしまったのよどこからってどこまでの話。いつかいつでもいかなるときでもいいけれど時間のことはどうでもいいわ人間は自分のことを人間だと思っているけれど時間は自分のことを時間だと思っていないわそこに人間がいる限り必ず思い込みは生まれるのだから時間のことはどうでもいいわ」
少女は本当にどうでもよくなったのか、自分のミニスカートの端を摘んで折り目を整え始めた。
「間髪入れないトークを、どうも。で……」
恐ろしいことに、エラーガールはいまだに七不思議の話に触れていない。
「じゃあ間髪入れずに何を入れるの?」
やり過ぎたアイシャドーのように黒々とした隈を持っているというのに、少女は純粋無垢な瞳をパッと上げて、間髪要入れずに問い詰めた。
「……あー、七不思議を、教えてほしい」
トオルはここで自分に至らないところがあったことを知り、額を叩いた。この少女に物を尋ねるときは、「知っているか?」という言い回しでは知っている事実しか肯定しない。教えてほしいときは教えてほしいと頼むほか無いのだ。
「教えてほしいのあらあらそうなのそうなのねご教授されたいのかしらそれならそうと早く言ってくれればいいのにどうして人っていう生き物は物を尋ねることができないのかしらきっとそうしなくても地球が回るからに違いが無いわぐるぐる回るわ意味の無い回転といえばそれこそ駄犬の如くあたしが知っている七不思議は二つだけ」
「聞かせておくれ」トオルはエラーガールのマシンガントークにも順応してきたようだ。
「いいわいいともいいでしょうあたし話すわ話してあげるわ休み時間は後二分も無いけれど短い時間で長くを語るにはベッドが必要不可欠ね待って! あなたとそういう関係になりたいわけじゃないの今のは。物の例えよ例え話の中での話ね勘違いしないででも期待をさせてしまったらごめんなさいでも期待するのは自由だけれど期待外れに気をつけるのはあなたの問題よ?」
 その後、授業合間にある十分休憩が終了し、トオルは次の休憩時間も、その次の休憩時間も駆使してエラーガールから七不思議を二つ聞き出した。


「七不思議というのも不思議な言葉ね別に駄洒落を言ったわけじゃないのよあたしにそんな趣向はないわどうして四でも五でもなく七なのかしらって不思議に思うの七って言う数字にはどの国にも。魅力があるわねラッキーセブンとも言うけれどその言葉が入ってから日本人も七を意識したのかしらええそうねそうでしょうとも日本人は何でもかんでも真似して昇華する生き物ですからきっとそうなのでしょうとも。でも一不思議二不思議三不思議ってなんだか早口言葉みたいね赤巻貝とかそういうの不可思議なんていう数字の単位もあるけれどあれはゼロが幾つになったら不可思議になるんでしたっけそれこそ奇妙奇天烈摩訶不思議だわああそんなことは。どうでもいいのね分かるの分かるわ分かったから七不思議を聞きたいのね聞きたいのならばもっと年を食っている人に聞けばいいものをあなたはどうしてどうしてもあたしのお口から聞きたいようだから。答えてあげるわね待って! そう考えるとまるであなたにとってあたしが特別な人みたいじゃないのあらあらどうしてどうしましょうほかの誰でもないあたしの言葉で聞きたいだなんてそれって何ていうプロポーズと受け取れ。ばいいのかしらあたし困るわ困るの困っちゃうわあたしのカサついたお肌にこんなに血の気が残っていたんだと自分で自分に仰天するくらい上気してしまうのああそうよそうとも。そうでしょうともいつの世界でも男は乾き女は飢えているものだから男の衝動は乾いて乾いてどうしようもないから行くところまでいけば暴走することもあろうけれど飢えなら。それが原因で死ななきゃどうとでも我慢できちゃうわだからあたしは別に困ってるわけじゃないのでもあわよくばそれが欲しいと願い続けているわけじゃないわでもいつかの夜に一人で寝るときにそれがあればまぁいいなぁなんて思ったりもするわそれって男性器の話なんだけどそれが。あればあたしの空腹も少しは満たされるのかしらって経験もないのにそう思ったりもするのよでもそれは動物の本能みたいなものだからあたしの精神がそれを望んでいると思ったら。大間違いよ誰にだってそういうことってあるでしょうあたしだってこんなんだけど乙女だからヤだわ自分のことを乙女だなんて乙女と呼ばれる人間が自分のことを乙女と呼ぶかしらいいえきっと。呼ばないわね乙女であろうと行動して努力して振舞った人のそこに現れるものが乙女と呼ばれるものなのだわだからあたしは乙女じゃないのただの。夜中に発情することもあるけれど心の底ではそれを望みきれない悩み多きティーンエイジャーなのよだからそれを踏まえた上で冷静に対処するわ七不思議の四つ目は。何度も落ちる人と呼ばれているわこの学校のA棟とB棟との間の壁に人の足跡がついていることがあるのそれは今でも時折見られるわ地上から屋上まで一直線よそれにはこんな話があるの……」


「七不思議の二つ目、開かずの部屋の積もらぬ塵。三階にある未使用の教室は、誰が掃除しなくとも埃が積もらない。この扉は渡り廊下の先にあるので、霊道になっていて、霊たちの集会に使われているのだ、という話だそうな。
四つ目、何度も落ちる人。学校の校舎、A棟とB棟の間の壁に、人の足跡が付いていることがある。泥だから雨で落ちるけど、これは今でも目撃されている。『ぐちゃ』っていう音を聞いたって人もいるぐらい。この話は、学校の屋上から飛び降り自殺をした子が、死ねなかったと勘違いして壁を登って屋上に帰っていくのではという内容だ」
 トオルはまるで二十四時間耐久の神経衰弱を終えた人のような土気色の顔をしていた。
「……お疲れ様、本当に」
 サキは心の底から同情するような声でそう労った。
「メグちゃんは自分が聞き覚えた単語や文体を、言葉のごった煮のようにぶちまけてくる。あのマシンガントークは彼女そのもので、強烈だったよ」
 ぐったりとしているように見えるトオルだったが、彼も中々よい根性をしているようで、あれほど口うるさい人に対しても女の子として接し、「白痴みたいな少女」でまとめてしまうのではなく、しっかりと人柄を分析していた。
「ほんと、トオル君も良い性格しているね」と、サキが一人ごちる。
「見てくれは悪くないんだけど、もったいないよねぇ、あの子も」
 誰と比べているかは彼女のみぞ知るが、ユウナがそんなことを言った。確かにエラーガールがもっと健康的で明るい性格だったのなら、モデルでもできそうなほど文句のない顔立ちとスタイルだといえる。しかし現実はそうはなっていないので、確かに残念だ。
「そうね、残念な子ね」
 サキはさほど残念でも無さそうな様子でそんな相槌を打つと、「サキが言うかね」と、ユウナが切り返し、トオルが深々と頷いた。


「じゃあ、七不思議の一つ目を追いましょうか」
 サキの言葉は提案ではなく、ただの行動説明のようなので、二人は黙ってそれに従った。
「オカルトマニアらしいよ、あの、マナミって子」
 例の足跡を見に行く道中、ユウナがそんなことを言った。
「よく知ってるね」とはノブの相槌。
「まぁね。良くも悪くもあたしには色んな情報が集まってくる」
「ユウナは見た目がこんなんだから、女の子女の子してる女の子から人気があるのよ」
 なぜか少女二人は自分のことを自分で言わないので、もう片方に言ってもらう形になる。
「ああ、分かるわ」
「まぁそれは置いといて、過ぎた好奇心は身を滅ぼすぜ。ほんと、嫌な予感しかしない」
「気にしすぎよユウナ、昼間に幽霊は出ないわ」
「……だと、いいけれど」
 トオルたちはA棟とB棟の間にある足跡の現場にやってきた。
 この学校には通常の教室があるA棟と、音楽室や理科室などが配置されたB棟がある。足跡はA棟側の白い壁の、配水管に沿うような形で確かに残っていたが、見える足跡は最初の三歩ぐらいなもので、後は歩いたような跡は見えず、お世辞にも雨で落ちてしまったとは言い難いほど綺麗なものだった。
 誰かが話題づくりのために数歩分の足跡を残したであろうことは見て分かるし、もしそうでなく本当に幽霊が残していったのだとしても、少なくとも屋上まで登るのは諦めている。
「ふぅん」
「はぁ」
「そうだねぇ」
 それを見に来た三人は、誰が言ったかもどうでもいいような感想をそれぞれ述べて、呆れるように屋上を見上げた。三階建ての校舎の屋上では、真っ逆さまに落ちたとしても確かに助かってしまうだろう。それに、この飛び降りた子は何を考えていたのか、A棟側には花こそないが花壇にもなるよう土が壁から三十センチほど用意されていて、ショックを和らげられてしまう。B棟側にはそれが無いのに、なぜA棟からを選んだのか。
「飛び降り自殺ってさ」トオルがおもむろに話し始めた。「思うんだ。痛ましい自殺だなって。痛ましくない自殺なんてないけどさ、数ある材料の中から高さを選ぶその理由、死んだ後に飛び散る自分の体。屋上で脱ぎ捨てられた靴。いくつかの痕跡を残して飛び降りる。それはきっと、この世の中に不平があるけど、それを表立って公言できなくて、せめてそれを形に残して自殺するんだ。自分の存在とか言葉とかを形にするために」
「……あまり考えたくないけど、その通りね」
「トオルの言う通りだ。人の生き死にには大きな意味がある。それをこんな七不思議の話題作りに使うなんて、バチが当たるぜ」
「そうだね、ほんとそう思う」トオルはどこか遠いところを眺めていた。「バチが当たる」
「ま、もう少し足跡が続けば職員会議ものでしょうよ。誰かが校舎に不法侵入しようとしてるんですから、それが生徒でも冗談じゃ済まされないわ。ついでにもうひとつの七不思議でも見ておきましょうよ」
「さすがサキ。ほとほと感心するよ」
「何を見にいくつもり?」
「一つ目、ゴーストロッカーよ」
 ゴーストロッカーは体育館の裏側にある。そこは人の行き来がないことはないが、日当たりも風通しも悪く、埃とカビの臭いが充満する。具体的にいえば毎日汗水垂らして運動しているものたちの臭いが染み込んだ衣類から、それを栄養源にする小さな生き物が繁殖し、彼らが撒き散らした糞尿が埃となって充満し、その糞尿を寝床にする細菌やバクテリアそのものが鼻腔に張り付くような、そんな臭いだ。
 誰が好き好んでこんな場所に訪れ、わざわざロッカーの場所を動かしているのか、あるいは誰も気に留めていないから、微妙な光の入り具合や舞い上る埃によって目に映る背景がガラッと姿を変えてしまうのか。
「ひどい臭いね」とはサキの言葉だ。ワイシャツの裾を広げて、マスクのようにして前進して行く。
「臭いじゃない、埃だろ、目もちくちくする」言うユウナは鼻の下に手の甲を押し付けて、片目を閉じてサキの後ろをついていく。
「ロッカーは全部で五つか」肘で顔の半分を覆っているトオルが、努めて素早く状況を口に出した。「三つは壁に垂直になるように直立していて、四つ目はそれらに寄りかかるように斜めになっている。五つ目だけ地面に寝そべっていて……」トオルはがちゃがちゃとロッカーを開けて回る。「この寝そべっているものだけ、開かない」
「きゃっ!」サキが悲鳴を上げた。
「人毛だ」とは、ユウナの台詞だった。
 トオルが開け放したロッカーの斜めに傾いている物の中に、こんもりと人間の毛が積もっていた。量だけ見ても、腰まで届くユウナのロングヘアを今すぐ全部刈り取ったものと同じくらいある。それが長時間放置されて水を吸って黒々と膨らんでいて、苔や得体の知れないカビのような白がポツポツと繁殖していた。
「きたな……」
サキはふるふると首を横に振って、目に映る現実を否定しているように見える。そんなサキの細い肩へ、ユウナはそっと手を添えた。
「大方、運動部が髪の毛でも刈ったんじゃない。量から見ても一人分じゃない」トオルはロッカーの扉を残さず閉めて、寄り添う二人の少女と向き合った。「さ、戻ろう」
 サキとユウナが、それは良い提案だとばかりに何度も頷き、早々に踵を返して去っていった。
 去り際に、トオルは一度だけロッカー郡を振り返って、「ロッカーの中で自殺した少年霊の怨念か。ほんと、バチが当たりそう」と、ポツリと呟いた。



「で、ここが空き教室ね」
 すっかり気分を取り戻したサキが、相変わらず大きな態度で教室の前に立っていた。この学校には通常の教室があるA棟と、音楽室や理科室などが配置されたB棟がある。
「開かずの部屋の積もらぬ塵、か」
確かに床に埃の蓄積は見られなかった。空き教室と書かれてはいるが、中は通常教室の半分ほどの大きさしかなく、部屋の両サイドに配置された本棚のせいで余計に小さく見えた。
「雑な掃除だね」
 曇りガラスのせいで外からではあまり見えなかったが、実際に入ってみれば、本棚の隅や四隅には埃の山が出来、小さな虫の死骸が乗っていたりしている。
「鍵は私たちみたいに職員室から持ってくるか、内側からじゃないと開かないみたいね」
 サキが内側にあるスイッチ式の鍵をガチャガチャと鳴らした。
「まぁ、こんな教室だよ」と、連れ出されてきた若い男性教員が壁に寄りかかりながら話す。
「どうしてこの教室は使われないんですか?」とはノブの質問。
「もともと目的があって作られたわけじゃないからね。建築したときに空いているから教室にでもしておこうか、となったんだけど、実際に学校を始めてみれば、取り立てて必要になるときがなくて、こうなった」髪をワックスで固めている若い男性教員は、懐かしむかのような口調でそう語った。この学校は創設されて四十年、新しい方の学校ではあるが、新任教員の思い出話になるような学校でもない。
「どっかの部活動が使おうとも思わなかったのか」何か霊的なものを見るように目を細めながらユウナが一人ごちる。
「別にいわく付きってわけじゃないぞ」男性教員がカラカラと笑う。「ただ、曇りガラスが張ってあるとはいえ渡り廊下の先にあるし、風通しも悪いから埃も舞いにくい。中に人が入れば、すぐに息苦しくなってしまう。不便な部屋なんだ」
「掃除されている部屋、とは言われてないからね」ノブはため息混じりにそう言う。「そもそも埃が積もらないから、掃除が必要のない部屋ってことか」
「やっぱり七不思議なんてこんなもんよね」と、サキ。
「なんだ、七不思議を追っているのか」と、教員はその話題に食いつき、サキたちが知っている七不思議をピタリと言い当て、さらに「五つ目の内臓嫌いの人体模型」の話まで出した。
「ずっと前からあるんですね」
「俺がここに入ってきたときからあるぞ。すごいな、これはもはや伝統だな」男性教員は無精ヒゲすら見えない顎をしみじみと撫でる。
「あの、内臓嫌いの人体模型って」生徒が質問するときのように、ユウナはきちんと片手を挙手して質問した。
「ああ、ジングウ先生が」ジングウとは理科の教員の名前である。「困っているね。俺が学生の頃も理科の教員はジングウ先生だったけど、二日にいっぺんは内臓が床に転がってるって嘆いてた。特に胃がお気に召さないらしい」
「あ、毎日じゃないんですね」とは、ノブの指摘だ。
「そうだね。頻繁にあるらしいけど、毎日じゃない。生徒が怖がるといけないからって、ジングウ先生は毎朝その人体模型へ挨拶に行ってるみたいだけどね」と、言った後に「オチを言ってしまうとね、あの壁に掛かっている上半身だけの人体模型の中身は、特別何かで接合されているわけではないんだ。パズルみたいになっていて、軽く揺するだけで中身が零れてしまう」
「なぁんだ!」緊張が急激に解れたのか、まるで雲の隙間から零れ出した陽光のようにサキが大きな声を出した。
「ま、七不思議なんてそんなもんさ」ユウナも胸を撫で下ろすように安堵の相槌を打つ。
「あはは! まぁ、もし七つ目を見つけたら俺にも教えてくれよ。楽しみだ」
男性教員はにこやかにそう告げる。
「先生、他にも七不思議を知ってます?」
「俺は全部知ってるよ。どれか知らない話があるのかい?」
「なんだぁ、じゃあ最初から先生に聞けば良かった」
「先生、六つ目を知りませんか?」
「え、順番なんてあるのかな。『終わらない水洗い』っていう話を聞いたことは?」
「ないです!」トオルが勢いよく答えた。
「あ、そうか、これは生徒間じゃタブーだったな」男性教員がテストの採点を間違えたときのように気まずい顔をした。「緘口令が布かれていた」
「緘口令? なぜですか」秘密ごとには力押しで切り込んでいくのがサキだ。
「ま、いいか。七不思議の中では一番新しい話だ。とはいえ俺が生徒の頃で十年前だから……もう二十年近くも昔のことになる」
「え、どういうことですか」勘の良いユウナはすでに身震いするまいと腕を組んでいる。
「ガチなんだ」男性教員は苦笑いしながら話し始めた。

「深夜、学校を通りかかった子の話だ。学校から聞き慣れない音がしたから、近寄ってみたそうだ。近づくにつれて音の正体が分かってきて、じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶって聞こえてきた。もっと近づけば、落ちない、落ちない、って声も聞こえてきて、その子は怖くなって逃げ出した。何が怖いって、その子には音の正体が分かったからなんだ。
その幽霊はプールで入水自殺した水泳部のマネージャーだ。そのマネージャーの子は非常に真面目な生徒だったらしくてな。部員の怠惰や不正なんかには非常に厳しく注意した。部員たちはマネージャーに不感を覚え、彼女をいじめ始めた。そしてある日、彼女はスカートをカッターで切られ、替えの体操服には、俺の口からじゃ言えないような下品な言葉を書き連ねられてしまった。彼女の家はやはり、彼女の気概以上に厳しいところだった。彼女は必死に体操服に書かれた文字を消そうと、じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶと水洗いを続けたが、油性のマッキーで書かれた文字は消えない。その後は、彼女が何を考えたか知らない。無様な姿で帰るくらいなら、と思い切ったのか、それとも、誰にも体操服を借りることができない自分に絶望したのか。
彼女は両手両足に運動部が使っていた五キロのバーベルをいくつも括り付けて、プールで入水自殺した。今でもその未練からなのか、ときおり現れては水洗いをしているそうだ、というのが、七不思議の六つ目、終わらない水洗いだ」


「重い話だったね」
 胃もたれを起こしたように、あるいは背中に何かが圧し掛かってしまったかのように、トオルは背中を丸めてお腹をさすりながら廊下を歩く。
「この学校の実話ですからね」
 つっけんどんに言うサキだったが、それは斜に構えることで精神的なショックを和らげようとしている風に映る。
「陳腐な言い回しだけど、狂気の沙汰だね。彼女は何を思って両手両足にバーベルを括り付けたのだろうか」
 どこかで使い古されたような言い回しを使うユウナは、どこかの作中の人物に成り切ることで客観的に事実を受け入れ、言うなれば他人事にして処理しようとしている。
 ただ、どんなに斜に構えても、あるいは客観視しようとも、紛れもなく自分たちが踏みしめている学校の過去に実際に起こった出来事である。捉え方を変えたところで、どうとなる問題ではなく、この種のショックの回復薬には時間の経過しかない。
 しかし、そのショックから立ち直ってもいないだろうに、翌日の昼休みにはサキが意気揚々と話を進めた。
「さて、これで、あと確認してないのといえば、夜学校内で起こるやつになるわね」
 筆箱と見間違えるくらいに小さなお弁当をつつきながら、サキが昨夜の内に作成したであろう七不思議のメモ帳を示した。これによると、あとチェックしていないものといえば、夜中に聞こえると言われている「終わらない水洗い」と、教員の話にしか出てこなかった「内臓嫌いの人体模型」だけということになる。
「とはいえ、それをチェックしたところで、だ。お菓子探しの犯人が見つかることはない」
 ユウナの弁当は卵の黄色や肉の茶色ばかりで、量も男子生徒と同じくらいあった。しかもそのどれも出来合いの物ではないようで、どう作られたのかが見た目からでもよく分かる。どうやら彼女の家では肉は焦げ目がつくまでしっかり焼くのが主流のようだ。
「夜の内に学校で起こるものを調べるだなんて、海外の低予算映画みたいにビデオカメラでも設置する気?」
 さすがのトオルも投げやりな態度だ。
「それも良い案だけど、私は実際に見てみたいわ。ユーレイを」
「異なる文化圏の生態に興味を示すくらいなら、まずクラスメートの名前を覚えましょうよ」
ユウナは片肘を机の上に乗せてぶっきらぼうに言う。サキはまだクラスメートの半分も名前を覚えていないし、人の顔も判別できない。
「うるさいわね。夜中に何かが起こっているのは事実よ。それを確かめに行くの」
 サキは幼馴染の気だるそうな態度にはまるで気付いていないかのように話を進める。事実、気付いていないのかもしれないが。
「夜中に学校に侵入するのって、冗談でも許されないやつだよ」
トオルは生真面目な正論を言うが、言葉に力が無く、まるで言葉の通じない犬か何かを説得するかのようだ。
「バレなきゃいいのよ。作戦を練りましょう」
トオルの案の定、サキは討論するまでも無く意見を切り捨てる。
「バレなきゃいいって、無理だよ。先生から聞いた話だけど戸締りチェック表なんてのもあるらしいよ」
「じゃあ窓の鍵を開けておいて侵入ってのは無理そうね。夜中に外から侵入できないとすると?」
「お手上げ」トオルは、そうであってくれと願うばかりだ。
「どこかに隠れて夜まで待つっていうのはどうかしら」
「無茶言うない」ユウナは世界に絶望した人がそうするように投げやりに両手を上げる。「確かに百歩譲ってバレなきゃいいが、バレたら退学ものだぜ」
「そこまで酷く取り扱うかしら?」
サキは自分の意見を否定するものには絶対に「はい」と言わない。
「夜中に忍び込んだ僕たちが答案を盗みに来たわけじゃないってどうやって説明するつもりさ」
 トオルもさすがにこの意見には勝てると踏んだのか、言葉に力が込もってきていた。まさか、ここから言葉で負かされることがあるとは思えないという風に。
「サキ、できることの範疇を間違えちゃいけない。それはやってはいけないことだよ」
 しかし、ユウナの言葉は投げやりだった。トオルとは違い、サキと長らく付き合ってきた彼女は、ここからどういう展開になるのか分かっているようだった。
「分かったわ」サキはため息をついた。「あたし一人でやる」
 トオルとユウナは顔を見合わせて、互いに信じられないと言わんばかりに目を見開いた。


 サキの提案は至極シンプルなものだった。この学校には衣服室に大きな掃除機がある。その掃除機は大型のロッカーで管理されており、そのロッカーの鍵も戸締りチェック表に含まれている。そのロッカーに隠れて時間を潰し、理科室と教室を中心に夜の校舎を巡回してみようというものだった。
そこはロッカーという金属的な響きに似つかわしくなく、ところどころ色褪せた大きな木箱であり、衣類を収納するにはやや小汚いクローゼットのようでもある。鍵もこれだけ木製で、錠を回せばかんぬきが落ちてくるというシンプルなものだ。
 そこに三人がすし詰めの状態になって、ユウナが掃除機に腰掛け、サキが持参した座布団の上で体育座りをしながらじっと虚空を見据え、トオルは掃除機のホースを膝に乗せながら胡坐をかいて座っていた。
 腕を伸ばして欠伸ができるほど広くはなく、ユウナとサキなどはほとんど肌と肌を触れ合わせているほど狭い空間だ。ロッカーの扉の隙間から零れる光と、トオルが持ち出したペンライトの光が内部を照らし、影絵のように踊る三人の人影と舞い上る埃がちらちらと動いている。
「ある事情があって女の子と一緒にロッカーに隠れるってさ、男にしたらラッキーイベントだとか思ってたけど、実際やってみるとそうでもないね」
 トオルがそんなことを小声で呟く。家庭科室は部活動で使われることもないし、オンボロな掃除機のロッカーは扉を閉じても周りの音が手に取るように聞こえる。そんな事情もあって、三人は思っていたよりも気を張り詰めることもなく、ひとつ灯された懐中電灯の光の中でキラキラと瞬く埃と共に、ゆるゆると時が過ぎるのを待っていた。
「あら、それは私たちに魅力が足らないと言いたいのかしら?」
 サキはまるでそこから妖艶な花粉を振り撒かんと自発する植物の如く、汗で首筋に張り付いていた髪の毛を払いながら自信たっぷりに微笑みかける。細い体を折り畳むように小さくちょこんと座っているサキは、まるでそのように作られた人形のようだというのに、その佇まいにそぐわぬ自信がどうにも人間臭く、アンバランスな雰囲気を醸し出している。
「息苦しい。汗臭い。出られない。絶望的だね」
 ユウナは胸をぎゅうと押し付けて、そんなことをしたら余計に息苦しくなるだろうに、まるで苦しいのは空気ではなく心の問題だと言わんばかりにため息をついて、掃除機の上で足を組んだ。その足はどこまでが肉でどこまでが骨なのか分からなくなるほど肉付きが良いらしく、まるで二匹のナメクジが重なり合っているかのように、ふにゃりと不思議な形に歪んでいる。
「ま、思い出にはなるか」
 トオルのそれは何をしないよりはマシ、という言い回しだったが、確かに、ロッカーを「それ」ではなく、「そこ」と言うのは人生でそうあることではないだろう。
 それぞれが噛み合っているのか噛み合っていないのか、よく分からない会話を交わしながら、ぽつりぽつりと会話を始めたり、足音が聞こえたら息を止め合ったり、あるいは暇を持て余してババ抜きを始めたりして時間を潰した。
 しかし、ユウナはひとり居心地悪そうにしていた。閉鎖的な空間がダメな人のそれというよりも、他人と長時間同じ空間にいることに抵抗があると見える。彼女は何度もため息を吐き、足をもぞもぞと組み替えたり、眠たげに小首を傾げるくせに決して目は瞑らずにいた。
「ユウナちゃん大丈夫? トイレ?」とトオルが尋ねてみれば、「いや、違うんだ」と首を振る。目には昼には無かった隈さえも浮かんでいて、普段は二重の猫のような瞳も今では重たげに沈んでおり、三重か四重にも重なって見える。
「ユウナはこう見えて体力無いから、すぐバテるのよ」
 つっけんどんにそう言ったサキだが、一応は疲れているであろうユウナの代弁を図ってやっている。その思いやりを鑑みてか、ユウナは「んー」と、否定とも肯定とも取れる声を発した。話の流れからすると「あたし疲れていますよ」という呻き声にも聞こえるが、単にサキの言葉が本音ではないとも取れる。
「ユウナちゃん、人疲れするタイプだね」
「ヒトヅカレ?」小首を傾げたユウナに合わせて、背後の影が大きく動く。
「まぁ男とひとつの密室に閉じ込められて平気っていうのもおかしな話だけど」
「んー、そうねぇ」
「ユウナちゃんは人並み以上に神経が鋭敏なんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
ユウナは少しはにかみながら、隠すように俯きながら答えた。そこでふと気付いたのか、凍りつくように固まり、「待って、トオル、あたしさっきから足組み替えるたびにパンツ見えたんじゃない」と言った。
「ああ、うん」
「なんで言ってくれないの!」
「ユウナ、しーっ」珍しくサキがユウナをなだめている。
「見えてるなぁとは思ってたけど」トオルは悪びれもしない。
「……」ユウナは怪訝な顔をしてトオルを見ていたが、彼の素っ頓狂な顔を見ていると、やがてため息を吐き出した。「そんな顔されると、恥ずかしがってるこっちが馬鹿みたいになる」
「トオル君って、毒がないというか、ほんとに男?」サキが呆れるように尋ねる。
「男だよ、失敬な」
「なんだかさ、異性と話してるって感じ、しないよね」仕返しのつもりなのか、ユウナは意地悪そうにサキに話しかける。
「ねー」
「それはつまり、今この場で男を示せと言われているのか」
「そういうつもりで言ったんじゃないんだけど?」ユウナは余裕の表情でトオルをいたぶる。
「というか、そういうのって口で示すものでもないし?」サキも悪ノリしていて、攻撃的だ。
「勘弁してほしいよ」トオルが肩をすくめた。
「でも実際、トオルみたいな草食系男子、増えたよな」
「そうね。まぁ漫画とかだと異性を意識しすぎだとも思うけど」
「日本は特に異性に関することは『秘め事』だったからじゃない?」
トオルはこういう話はとても好きなので、ついつい話を掘り下げる。
「秘め事、そうだね。異性イコールでファンタジーだったのかも」ユウナも話を掘り下げた。
「ねぇ、そういう話、やめない?」サキは居心地悪そうに、小さな体をさらに縮める。
 ユウナとトオルの話は続いた。
「日本人って、そういうのを隠したがるよね」
「あたし思うんだけど、そういうのってほんと、人の本性出るじゃない? 男はどうしても暴力的になるし、だから大っぴらにできないんじゃないかって」
「どうしても野生的になるよね。日本人は自分のことを決め付けられるのを嫌うから」
「でも仕方ないじゃんね。そういうもんだし」
「なのに、どうしてそういうものをこうやって別次元のものにしたんだろう」
「生命の神秘だからかねぇ」
「海外見てて思うんだけど、海外ってのは映画とか小説の話ね。そういうのってのは日常の延長にしかなくて、日本人と比べて距離が近い」
「あー、それ分かるわ。別にだから軽いとかじゃないんだけど、そうだね、それだよ。神秘とかじゃなくて、日常の延長にあるものだもんね」
「その辺やっぱ合理的だよね」
「ね」
「もうその辺でいいでしょ?!」サキが小声で叫ぶ。
 彼女は顔を真っ赤にして小刻みに震えていた。いったい、今の会話のどこにそんな赤面するタイミングがあったのか、二人は顔を見合わせて呆気に取られた後、次の標的を見つけた狩人のように、ニヤリと笑った。

とある学校の七不思議

とある学校の七不思議

人畜無害の少年と、髪の長い少女、髪の短い少女。この三人を中心に進んでいくホラー小説。僕らの学校には、どこかユニークな七不思議が生まれていて、でもその実態は……衝撃の結末が待つホラー・サスペンス小説。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-12-06

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