駄目な夫

 私は子供の時「鍵っ子」だった。学校から帰った時に母親の居ない家の玄関ほど寂しく感じるものはなかった。だから自分の子供にはそのような思いをさせたくなかったし、私自身も妻にはいつでも家に居て欲しかった。妻は大学卒業後社会に出て、さあ、これからだと期待で胸を膨らませていたところを私の希望で退職させられた。以来専業主婦である。
又、ある時、妻は子育てを一段落した頃に、趣味と興味を兼ねた仕事を夢見て目を輝かせた事がある。この時も私は一応賛成のふりをしたが、強く後を押すことはしなかった。妻は家を留守にすると一人では何も出来ない私を心配して二の足を踏んでいた。そうしたところに認知症になった姑の介護が始まり結局は計画を諦めた。私は妻に済まないとは思ったが、ホッとした気持ちの方が強かった。
さすがに私は妻に対して「給料袋を渡しているから文句はあるまい」といった傲慢な言葉や、「働いていないのに、なに愚痴を言う」といった残酷な言葉を使った事はない。しかし、不覚にも妻の立場にたって物事を考える事をしなかった。自分だけ満足し、家事も育児も協力的でなかった。妻が花見に行きたい、レストランで食べたいと言った時でも、私は折角の休みぐらいは家でのんびりしたいと反対した。
 妻の介護を受ける身になって、ようやく反省心と同情心が沸いて来た。私は病気で今何もしないし、出来ないし、あとは逝くだけだから、考えてみれば楽なものだ。一度でも社会に出て活躍した経験があればいざ知らず、家事、子育て、姑の介護で何の達成感や満足感も得られないまま年を重ねてきた妻は、今度は家事にプラスして私の介護を一人でやっている。私の病状が進行すれば昼夜を問わずますます大変になり、治らない病気に無力感を感じないだろうか。そして、やがては一人残され孤独になり、年老い、病気になって、いつかは今の私のように何も出来なくなるのは確かなことである。その時誰が助けてくれるのか。
 遅きに失したが私は自分の病気が運よく治ったら、これまで世話になった妻に、私のエゴイズムに捕われて苦労してきた妻に感謝を込めて恩返しをしようと思う。
先ず、美味しい料理を作りたい。しかし、カレーライス、ゆで卵、冷奴ならできるが、妻好みの料理たとえばイタリアンなどは無理だ。それならいっそのこと本場の高級レストランに連れていこう。飛行機は奮発してファーストクラスにしてもいいが、大臣や芸能人と一緒では嫌だと言うに決まっているから、それはやめよう。勿論、介護の仕事も妻のやっているように愛情込めて忍耐強くやるつもりだ。
「僕の病気が治ったらしてあげたい事が沢山あるよ、今度は僕が全面的に助けてあげるよ」と、夢物語ならいくらでも言えるが、残念なことに気持を伝えて慰めてやることしか出来ない。妻への恩返しはそれで勘弁して貰うしかない。病気さえなければ、駄目な夫から脱却して名誉挽回できるのだが。
「今更おそいわ、それにあなたには家事も介護も無理かもね」と言われてしまったら、口先だけの私でも寂しい気持ちになるだろう。
2016年11月1日

駄目な夫