じゃんけん

1 心理戦の章

 大平高校は三階建ての校舎で、よくあるように一階は1年生、二階は2年生、三階は3年生が使用している。ジュースの自動販売機は各階には無く、一階の玄関近くに設置されているのみだ。そのためお昼時ともなると自動販売機は1~3年生の生徒が集まって来て、とても混雑するのだった。

 大平高校三年の井口良太はその日の昼休み、クラスメイトの大出久史に声をかけられた。普段井口と大出はそんなによく話す方ではないのだが、その日は大出の親友の吉田が病欠であったため、井口に声をかけたようだった。
「ジュース、買いに行く?」
 井口は答える。
「そのつもりだけど」
「一階まで行くの面倒だろ?だからさ、おれとじゃんけんして、負けた方が買いに行くことにしねぇか?」
断る理由は無かった。
「いいよ」
 そこへ、
「なになに?ジュース買出す人決めるじゃんけん?それウチも参加する!」
 倉井南が割り込んできた。南と井口もそれ程仲がいいわけではなかったが、南はクラスのたいていの人とは男女の別無く話すタイプだったので、こういったことには気軽に顔を出してくる。ちなみに、井口は南に少し好意を寄せていた。惚れる、とまでは行かないが、かわいいな、くらいには思っていた。
「いいよ。じゃあ、3人でやろう。大出、3人になってもいいよな?よし。じゃあ早速やろう」
 昼休みは短い。早速じゃんけんをしようとする井口に対して、大出がストップをかけた。
「ちょっと待てよ井口。そう焦るな」
「焦るなったって、なんだよ、早くやろうよ」
大出はなだめるような顔をして言った。
「焦るなって。まだ予告が済んでない」
「予告?」
「そう、予告だよ。これから俺は、自分がじゃんけんで何を出すのか、予告をする」
 なんということを。じゃんけんにおいて、自分が何を出すのか宣言してしまえば、負けは確定するというのに。大出は自信ありげな不敵な表情を浮かべて、少しの間をとった後に言った。
「そうだな・・・。パーだ。このじゃんけん、俺はパーを出すと予告しよう」
 こうして、大出は自分の出す手を宣言してしまったのだった。その予告は井口の頭を混乱させたが、それでも、考えているゆとりはないと思った。長引けば長引くほど、自動販売機の前の行列は伸びていくのだ。自分が負ける可能性を考えれば、なるべく早くじゃんけんをしなければならなかった。
「と、とにかく、じゃんけんしよう」
 井口は促した。だが。
「ま、待って井口君!」
 今度は南が制止をかけた。
「大出君が予告するなら、ウチも予告するから!」
「え・・・」
 大出の予告で頭が混乱しているというのに、南までが。
「うーん・・・そうだなぁ。どうしよっかな・・・。んと・・。よし、決めた!ウチもパーでいくよ!」
 南はパーを宣言した。すかさず大出が促す。
「よしやろう」
「ま、ま、待って!待ってくれ!」
次に止めたのは井口だった。
「なんだよ井口」
「井口君も予告?」
「そ、そうじゃない。予告じゃなくて、ちょっと、考えさせてくれないか?混乱してきて」
 冷めた目で大出は答えた。
「いいけど、早めにな。腹、へってるし」

 井口は考える。予告の意味を。予告を信じてチョキを出せば、僕は勝てるのだろうか?イヤ、普通に考えればそれはない。むしろ、それこそが二人の狙いであると考えるのが自然だろう。すなわち、予告をあてにして僕がチョキを出したところに、二人はグーで応じる。それこそが予告の真の狙いではないだろうか。ならば、僕は二人の裏をかき、パーで応じれば、このじゃんけんは僕の勝利となるはずだ。しかし。しかし、だ。僕が裏をかいてパーでくることまで想定されていたらどうだろうか。二人にチョキを出されて僕は負ける。僕が裏をかいてくるという想定くらい、容易にできるはずだ。パーで応じれば勝てるなど、楽観もいいところ。では、さらに裏をかく。僕がパーで来ると想定してチョキでくる二人の裏をかいて僕はグーでいく。これで万全・・・か?その裏をかいてパーでこられたら?ではその裏をかいてチョキで。そのまた裏をかかれていたら?だめだ無限ループだ。きりがない。結論が出ない。
 そもそも、この考え方が間違っているのだ。考え方を変えろ。発想だ。発想を変えるんだ。相手の裏をかくにはどうしたらいいのか、という考え方はどこまで行っても裏があるのできりがない。その考えを一回捨てろ。
 ではどうするか。僕は、この二人が「信頼できる人間か否か」という観点で考えてみたいと思う。
 大出久史。彼とはそれ程親しいわけではないので判断材料は多くはないが、一つ有力なものがあった。僕は彼に本を貸したことがあるのだが、返す約束の期日は守られず、何度も要求してやっと返してもらったということがあった。大出は、約束を守らない人間なのだ。つまり、大出の発言は信頼に値しない。
 一方の倉井南。彼女ともそれ程親しいわけではないが、出身中学校が同じであるため、人間性を判断するエピソードも持っている。特に印象深いのは、中学2年の夏、誰も引き受けたがらなかった運動会の実行委員を、彼女は率先して引き受けていた。クラス全体のことを考えた自己犠牲だったと思う。とても心のキレイな子だ。そんな心のキレイな子が、嘘をつくはずがない。南さんの発言は信頼に値する。
 つまり、大出の予告は信頼できないが、南さんの予告は信頼できる。少なくとも、南さんだけはパーを出すだろう。
 僕の出す手が決まった。チョキだ。大出が何を出そうが、チョキを出しておけば、少なくとも僕の負けはない。
「決めたよ。さあ、やろう!」
 僕は高々と言った。

2 決着の章

「ちょっと待ちなさい」
 不意に教室の後ろから、僕たちを制止する声が聞こえた。クラス委員長の小島貴子だった。
「南さんを信じるのは危険よ、井口君」
 僕は何を言われているのか理解できなかった。
「確かに、南さんはあの時、運動会の実行委員を引き受けた。でも、それは心がキレイだから引き受けたの?そうすることによって、クラスの評判、先生の評判がよくなり、高校の推薦入試に必要な内心点の評価も高くなるわ。それを計算したんじゃないかしら?ねぇ、南さん?」
 委員長は南をするどく睨みつけた。南は不敵な笑みを浮かべるだけで何も答えない。井口にとってそれよりも重要なのは、さっき自分が考えていたことは、声には出していないはずだったということである。
「どうして僕の考えが委員長に分かったんだ?」
 当然の質問だった。
「井口君、大事なのはそこじゃないでしょう。今重要なのは、南さんを信じていいのかどうか、よ。勘違いしないことね。よく考えなさい」
 井口にとって大事なのは自分の考えがなぜばれたのか、ということだったが、委員長に睨まれるとそれ以上追求できなかった。そのため、先ほどの委員長の言葉を検討してみることにした。
 確かに、自分の評判を高めるためにいい子を演じるというのはありえる話で、一理あった。もしそれが正しいとするならば、南さんの心がキレイと判断することはできない。そうであれば南さんも信じられないということになる。ではもし、二人とも信じてはいけないのだとしたら、結局僕はじゃんけんで何をだせばいいのだろうか。
 そう、答えはグーだ。なぜか。二人とも嘘をついているとすれば、二人とも予告したパーは出さない。逆に言えば、パー以外を出すということだ。パー以外。チョキ、またはグー。ならば、グーを出せば少なくとも負けはないではないか。僕は南さん心がキレイじゃない説を採用し、グーを出すことに決めた。
「僕の心は決まった。待たせたね。じゃあやろうか。・・・いくよ、じゃんけん・・」
 井口はじゃんけんの音頭をとった。だがそこまで言った時、教室の扉が勢いよく開かれた。
「待ちなさい君たち!」
 入ってきたのは担任の桜井だった。桜井は、大きな声をあげ、じゃんけんを制止したのだった。

 静まり返る教室。制止されたじゃんけん。桜井は怒ったような顔で大股に井口の元へと近づいてきた。そして井口の正面に立つと、桜井は足を止めた。桜井は涙を流していた。
「な、なんですか・・・先生」
 涙を流す担任教師を前にして、井口はそうつぶやくのが精一杯だった。どうしてじゃんけんを止めるんですか?どうして泣いているのですか?どうして怒っているのですか?聞きたいことはあったのだが。
「なぜ私が泣いているのか、井口、オマエには分からないのか?」
 桜井は逆に問い返してきたが、分かる筈がなかった。
「・・・分かりません」
 本当に分からない。
「それはな、井口、オマエが、グーを出そうとしているからだよ」
 なぜ僕がグーを出そうとすると泣くのだろうか。それ以前に、なぜ僕がグーを出そうとしたことが分かったのだろうか。
「井口、いいか、グーの形を見てみろ。拳の形をしているだろう?拳は殴り合いの象徴だ。殴り合いは暴力の象徴であり、暴力は戦争の象徴だ。すなわち、グーは戦争の象徴なんだ」
 桜井は涙を流しながらも、穏やかに言った。井口は思い出していた。昔聞いたあの言葉。グーは石、チョキはハサミ、パーは紙を表しているんだよ。幼稚園の先生の言葉だったと思う。グーは戦争の象徴?そんなはずは。桜井は言葉を続ける。
「井口、戦争の象徴であるグーを、クラスメイトに突きつけることに、罪の意識はないのか?」
 グーを出すことに罪の意識があろうはずもない、が、そうは言いにくい空気を感じ、井口は押し黙った。
「なぁ井口。私は間違っていたのか?私の教育は。教員になって20年、マジメに頑張ってきたつもりだった。しかし井口、グーを友人に突きつけて、平然としていられるような生徒を育ててしまったのだとしたら、やはり私の教育のやり方が間違っていたのだと考えざるをえない・・・。井口・・・オマエの担任として、責任を感じている・・・。すまない・・」
 言い終わるや、桜井は号泣した。

しばらくの間。桜井の号泣と静まり返る周囲。どうしていいか分からずに立ちすくむ井口。その時だった。出席番号3番内田隆が席を立ち上がった。そして、言った。
「井口、グーを出すなんて最低だぞ」
 続いて、出席番号18番和田昭雄が起立して言った。
「見損なったぞ井口」
 さらに続いて、出席番号28番向井千恵が立ち上がって言った。
「最低、井口君」
 そうなのか?僕は最低なのだろうか。僕は・・・。

「井口君」
その時、教室の窓の外から井口の名を呼ぶ声が聞こえた。窓はグラウンドに面している。窓からグラウンドを見ると、そこには全校生徒が集合していた。その中には校長と、校長の横には井口の母がいた。
「井口君、何が君の心を荒れさせたのかは分からない。だが、君がやけを起こす前に、先ずこの人の言葉を聞いて欲しい。君のお母さんに今日は来てもらっているよ」
 拡声器を使って校長が井口に穏やかに話しかけた。人質篭城立てこもり犯人のような扱いだった。しかし、そのくらいのレベルのひどいことをしてしまったような気もしてきている。拡声器が井口の母に渡る。
「良太、思い出しておくれ。素直だったあの頃を。あの頃、おまえがよく母さんに聞かせてくれた歌だよ」
 母は歌う。懐かしいあの歌を。

 聞きながら、井口は心が洗われていくのを感じていた。自分が非行に走ろうとしていたという認識は、正直なところ全く無い。しかし、友人にグーを突きつけようとしていたことを考えれば、無意識のうちに僕は家庭、学校、社会、そういったものに対して、行き場のない不満を溜め込んでいたのかも知れない。溜め込んでなどいないような気もするが、ともかくも、僕は取り返しのつかない過ちを犯すところだったのだ。グーを出すという過ちを。だが、クラスや学校のみんなの、教師たちの、そして母のおかげで、踏みとどまることができたのだ。なんと、なんと暖かい仲間達、恩師達だろうか。

「本当にすいませんでした先生。僕は、グーは絶対に出しません」
 担任の桜井に向かって言った。井口は涙を流していた。号泣していた。申し訳ない気持ちと、そして何より、こんな荒れ果てた自分を変えてくれた人たちへの感謝の涙だった。幼く心弱き自分との決別。これからは、前を向いて、人のために生きよう。桜井は無言で井口を抱きしめた。教師と生徒が、人として分かり合えた瞬間だった。

教室の中の一部の生徒から拍手が起こる。それは暖かい空気と共に同心円状に徐々に広がり、やがては学校中に拍手が鳴り響いた。みんな、みんな、本当にありがとう。みんなが、僕の立ち直りを祝福してくれている。
結果、僕はじゃんけんにおいてグーという選択肢を失ったことになる。三択のうちの一つを失うということで、今回のじゃんけん、大分勝つ確率が下がったような気がする。いや、正直言って、全く勝てる気がしない。だがそれでいい。僕たちには友情があることが分かったのだから。それと比べれば、じゃんけんの勝敗がなんだと言うのだ?

 井口は高らかに叫んだ。
「さあ、やるぜ!勝負だ!」
大出が応じる。
「負けねぇぜ!」
「ウチだって負けないよ!」
三人声を合わせて合唱する。
「じゃん、けん!」

 10分後。井口は大出と南に買ってきたジュースを差し出していた。結局井口はチョキを選んだ。大出と南が出したのは共にブラックホールだった。ご存知だろうか。ブラックホールを。親指と人差し指を使って円を描くあの形。OKサインと等しいあの形。
 確かに、ブラックホールは最強だ。グーも、チョキも、パーも、全てを飲み込んでしまうが故に、全ての手に勝利する。しかし、僕はあれは反則だと思う。やり場の無い気持ちをかかえて、井口は買ってきたコーヒーを口に含んだ。とても苦い味がした。

じゃんけん

じゃんけん

1心理戦の章 2決着の章 となっております。 一度のじゃんけんの始めから決着までを描いています。 短編ですが、それでも長そうという方は1章だけでもお試しくださいませ。 読んでいただいた方全員に感謝の波動を送らせて頂きます。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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