涙の深淵

涙の深淵

人は、「寂しい」と感じると涙を流すという。
人は「悲しい」と涙を流すという。
人は「うれしい」と涙を流すという。
どれも同じ涙であってどれも同じではない。

ある人はこういう。
 「涙は鼻水と同じ成分だ。」
またある人はこういう。
 「涙は最大の武器であり、人の証である。」

 私は大切な人を突然になくしてしまった。生涯を共にすると誓ってからまだ1週間と経っていない。知り合ってから15年の月日が流れてはいるが、私は何も感じない。葬儀の時に「かわいそうに」「気を落とすな」等と声をかけてゆく人々がいたけれど、私は何も感じない。友人には「泣いてもいいのだぞ。」と言われたが、何に対して涙を流せばよいのか分からない。
 私に今ある感情は、怒りや憎しみに似たものだけ。私の大切「だった」人はひき逃げにあったのだそうだ。しかし、私の感情はひき逃げ犯に対してではない。むしろ周りの仮面をまとった「ひと」らしきものたちに対してだ。
 葬儀の日、両親や義父母は優しく接してくださった。「私は混乱しているだろうから」と思ったらしく、いろいろな段取りを行ってくださった。それも身内だからなだけなのだろうと私はふと思いふけってみた。入れ替わり立ち替わりに次々とたくさんの友人、親戚、妻の関係者などが来た。皆難しい顔でやってきて、私に声をかけ、涙を流していった。本当に人というものは不思議なものだ。全く関わりのなかった人までやってきて泣くのだから。そうして考えてみれば私も仮面をかぶっているのだろう。悔しい顔をし、来る人来る人に涙を見せるのだから。
 私の涙は何なのだろう。どこからやってくるのだろう。何も感じない私はなぜ涙を流すのだろう。妻が生きていたのならばとても人とは思えない話に乗せて説明してくれたに違いない。「あなたの中の心の結晶よ」と。私にも思う事がある。「涙は心の血なのだろう」
 参列者は皆黒い服装に奇麗に着飾り何食わぬ顔で心の血を流しているのだ。馬鹿だと笑うものもいるだろう。しかし私は思うのだ。仮面をしたその顔を伝って流れ出ているものが、真白な布に落ちたならきっと、赤黒い色がつくのだろうと。
 私は妻に出会った当初、とても利発とは言えない振る舞いをしていた。今も利発とは思っていないが、常識は身につけた。そんな阿呆な私に妻は人とは思えない美しい声色で面白おかしく常識を教えてくれた。それから3年の月日が流れ、私は妻にお付き合いを申し出た。妻はやわらかく微笑み「やっとですね」と言っていた。私の大切な人。私の大切「だった」人。人は仮面をつけて生きている。そう教えてくれたのも妻だ。私には「仮面がまるでないのですね」と無邪気に笑っていた。そう。私には仮面がないのだ。ならばなぜ、仮面をつけた時のような動作なのだ?今は無理でも良いから、どうかあの聞き惚れる声色で教えてくれ。そう何度願ったことか。
 私はただの人。しかし私はただならぬ人。人を獣と例えるのならば、私は無だ。何も感じない。何もない。しかし、何もないからこそなんでもあるのだ。しかし私には妻がいなければ分からないことがたくさんある「はずだった」。
 妻が死んだというあの時に、私は全てを失った。しかし、すべてを手に入れた。私の大切な人は、私の中に生き続ける。何もない私の中に。何もない私の中に生きている私の大切な人は、大切だった人へと変わってしまった。


 …そうなのか。
 …私がいつも流していたのは、
 …「やっとですね」
 …私は知るのが怖かったのだな。
 …「いいえ」
 …しかし・・・いや、もうわかったからいいか。
 …私が流していたあの涙は私という無の深淵にとらわれた君の「君の大切な人」に対してのものだったのだな。



 私は無だ。人は皆仮面をかぶっている。しかし私も同じ人。人は皆自身が無ということを否定するために、すべてを取り込み有になるために仮面をつけるのだろう。人は皆無だ。恐れることはない。皆同じ無の生き物なのだから・・・。

涙の深淵

 はじめまして。神ノ木です。ちなみに読み方は「かんのぎ」です。とても暗い内容が最初の作品となってしまいました。最後まで読んでいただけたのなら光栄です。題名と内容があまりマッチしていませんですけど…。
 人の感情は何なのか。私は人は知らず知らずのうちに仮面をつけてあらわしているのだと思います。いや、表すのではなく隠しているのだと思います。読んでいてあまり意味が分からなかった方はこの説明でご理解いただけたと思います。

涙の深淵

人の感情とはどういうものか・・・?私という「人」がはなす内容となっております。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-12

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