開けると開くと
一
思えば,父は本の装丁にもこだわる人だったのだろう。広い自室の壁にあった本棚には色もデザインも目を引く,本が沢山あった。中でも特に外国の本は異彩を放っていて,それが物語の本(おそらく,と言わなければならないのは当時の私はその言葉を理解出来なかったし,今はその本を持っていないため)であれば,表か裏か,それとも背表紙か,なんて部分部分に囚われずに,その本に書かれている内容において,最も大事なもの(と思われるもの)を本のサイズとして許される限りに描いて,開くとそれが本当に目立つものだった。紫色のハードカバーから飛び出てくる寸前まで,クローズアップした怪鳥。お城を背景にして,本の方に絡まっている(としか思えない)棘のある蔦。折り返しの所で畳まれたコート。それを難しい顔で探しているオオカミの探偵。水晶を手に持っている女の子。背表紙では,そこに写りたくない影が隠れようと,枠外まで伸びてしまっている。水色の,綺麗な光。
父の自室を遊び場としていた幼い私たちは,一目で楽しませてくれるそれらの本が大好きだった。それらの本は,背の低い私たちでも取り出せる本棚の低い位置に収まっていた。だからいつも勝手に取り出しては,それに気付いた父に怒られるまで,私たちはそれらの本と遊んでいた。それらの本を手に取れなくなるというようなことは一度もなかった。私が家を出た後であっさりと模様替えされたというから,当時に感じていた通り,それが父の配慮だったと今では分かっている。事情を知れば,父の自室で一緒に遊んでいたキタ君も,多分同じだ。
キタ君の名字はカキタか,キタザワのどちらかだった。略してキタ君,だった。そのキタ君と,外国の本たちを使ってしていたのは,開いたり,落としたりしない程度の建設であり,立てた本の表紙などを使ったりした,四コママンガ,または部屋の端まで使った,長い長い紙芝居だった。語りは私たちがその場で,即興的に行う。ゲラゲラ笑えるものもありはしたが,外国の本たちに描かれたものがものだけに,(幼い私たちなりの)真面目で不思議な話になるのが多かった。怪談は敬遠された。父がそれを嫌がったからだった。父の自室は,父が不在の時は鍵がかかっていた。普段は鷹揚な父が,物書きとして自己に課したルールだった。そのために,私たちが父の自室で遊べるのは,父が自室で仕事をするときだけだった。そして,父は怪談が苦手だった。それらしき言葉が耳に入ってくるのもよくない,ということだった。私たちがワザとそうすることもあったが,自室を追い出されそうになったために,固く誓って二度としなかった。何かを書きながらでも,父はしっかりと私たちがお互いに披露しあったお話を聞いていた。たまに,そのネタを使いたいと懇願されて,私たちの方がそれを許すこともあった。「報酬」もきちんと貰えた。好きな食べ物,好きな玩具,好きな本。
私と違って,父にお願いして比較的好きなときに外国の本たちに会えないキタ君は一度,報酬として外国の絵本を欲しいと言った。父が読むような外国の本は幼いキタ君が読めないばかりでなく,高価なものだということを,私たちが知っていたからだった。父は快くそれに応じて,絵本をキタ君に買ってあげた。ショベルカーを買ってもらった私は,それを見て羨ましくなった。貰える報酬に二度はなかった。袋に入れてもらうのを断って,剥き出しのまま,キタ君が脇に抱える赤い絵本のドラゴンが欲しくなった。私はキタ君に交換を持ちかけた。キタ君はそれを「いやだ」と断った。私はその場でキタ君とケンカをした。父に叱られて,私はその日はもう,キタ君と過ごさなかった。
次の日,私の家に来た,キタ君から絵本を借りて,何が書いてあるのかを話し合った。辞書も持っていなかった。私のショベルカーを手に持って,確かにキタ君は私にこう言った。
「僕ね,お父さんと同じ設計士になるんだ。」
同じ事を前にキタ君から聞いたことがあった私は,目の前の一ページに感心を置いたまま,キタ君に言った。
「そうなんだ。なれるといいね。」
「うん。君は?やっぱり君のお父さんと同じ?」
父に特に反対されてもいなかったが,当時からそれを積極的に勧められてもいなかった私は,絵本の一ページを捲りながら,曖昧に答えた。
「うーん。そうだね。なれたらいいな。」
ショベルカーを動かしたキタ君も,私に言った。
「そっか。すごいね。なれるといいね。」
「うん。ねえ,これ,面白そう!」
「だよね!僕もそう思ったんだ!」
将来について,私たちが話し合った唯一の機会だった。絵本を貸してもらえたことで,ケンカの事は忘れた,そのついでだった。
その日は結局,父が用事で遅くなったために,絵本の中身は分からずじまいだったけれど,後日,父の自室で教わりながら訳したその内容は,予想通りの冒険譚だった。ドラゴンの卵が盗まれたことから始まり,それが孵化する前に,冒険がすっと終わる。父の話では,表紙のその子が孵ったドラゴンの子だった。今ではそれが嘘だったと知っている。父の創作だ。
中学生に上がる前に,キタ君が他県に引っ越しする頃,キタ君のお父さんが建てたビルを見に行ったことがあった。幼い私が心底「すごい!」と言ったのは,設計士さんが一人でその全部を建てたと信じていたからだった。キタ君もそうだったはずだ。誇らし気なキタ君は今でも変わらない。それを見上げる私も変わらない。引っ越した後のキタ君とは,一度も会っていない。手紙はキタ君が送ってくれなかった(か,私がそれを忘れたか。どちらか)。設計士の仕事の重要性を正しく認識している今の私は,相手にメールを打った。待ち合わせの時間が迫っているからだった。ビルの前,必要事項を伝えて,送信する。近くで時間を潰しているはずだった。
脇に抱えたものを確認した。表紙の絵には,今もほんのりと赤みが差している。夕日をイメージしたものだと本人から聞いている。背表紙を中心に開くと,射し込む角度が何となくわかる。恥ずかしがっている訳じゃない。例えるなら,本当に,部屋の窓のあったところにピッタリと当てはまる。
だから私の名前より,偉大な作者の名前を覚えて欲しい。
開けると開くと