冬のデトリタス

 ふわりと、抱きこめられた。
 しろくまの人に。
 しろくまの人は、しろくまであって、しろくまでない。
 ぼくは、しろくまの人にとっての、はじめてのおともだちってやつで、しろくまの人は、ある日とつぜん、自分の棲んでいた世界から、こちらの世界にやってきた人である。正しくは人であって、人でない人である。ざっくりいうと、未確認生命体、ってことになるらしい。こちらの世界の国語辞典を片手に、しろくまの人が教えてくれた。
「きみは、つめたいなァ」
 しろくまの人がしみじみと言った。
 学校の近くの丘の上のベンチで、ぼくは、しろくまの人に抱きこめられていた。
 しろくまの人は、あたたかい人だった。人よりも毛が長いせいだろうか。しろくまよりも色が茶けているせいだろうか。きみって、しろくまじゃなくて、その、くまっていうんじゃ。と、ぼくが言ったとき、しろくまの人は、そうかもね、と微笑んだけれど、なんだかとてもかなしそうな目をするものだから、ぼくは、ごめん、やっぱりしろくまにしか見えないや、と訂正したのだった。それに、くま、と呼ぶにはやはり、くまっぽさに欠けているところもあった。くまであって、くまでもなかった。
 ぼくはしろくまの人に抱きこまれながら、こういうのって好き合っている男の人と女の人がすることなのでは、と考えていた。ドラマや映画でしか、そういうのを見たことがないけれど。
 そもそも、しろくまの人はどちらなのだろうか。男なのか、女なのか。
 しろくまの人は、しろくまであって、しろくまではなく、人であって、人でないものだからなのか、ぼくとおなじものが付属されている様子はなく、女の子のようにやわらかいものがあるでもなく、つまるところ、未確認生命体ってやつで、そのせいだろうか、ドラマや映画の中で男の人に抱きしめられる女の人のように、しろくまの人にそうされているにも関わらず、ドキドキしないのは。
 それとも、単純に、ともだちだと思っているから?
 しろくまの人は、ぼくのからだを、ことさらに強く抱きしめた。雪が降ってきたよと、しろくまの人が言った。声がくぐもってきこえたのは、ぼくがしろくまの人のふくらみのない胸に、片耳を押しつけられているせいだった。
 ゆき。
 ぼくはつぶやいた。夕方から雪が降り出すでしょうと、確かに朝のニュースでお天気のお姉さんがいっていた。そういえば、朝のニュースはどこのチャンネルも、お天気を教えてくれるのは若くてかわいいお姉さんだな、なんてぼんやりと思った。
「冬はさむいね」
 しろくまの人が、あたりまえのことを言った。冬はさむいよ。ぼくはそう繰り返したけれど、しろくまの人はぼくの心の中が読めたのか、さむくない冬もあるよ、と小さく笑った。
「南の方の国の冬は、そんなにさむくない」
 雪も降らない。けれど、ときどき、降る。
 そんなあやふやなことを、しろくまの人は言った。ぼくはだまっていた。
 降らないのに、ときどき降る。
 しろくまであるのに、しろくまではなく、人であるのに、人ではない。しろくまの人みたいな、おぼろげな言葉だと思った。しろくまの人の話は三割くらい、ほんとうか、うそか、わからないようなことばかりなので、ぼくの知らない国では雪が降らないのにときどき降ることもあるのだァと、思うことにした。
「ときどき降るといっても、空からではないんだ。海の中にも雪が降ることを、きみは知っている?」
 ぼくは、しらない、と首を横に振った。しろくまの人の腕の中は少々きゅうくつで、首を横に振りにくかった。
 海の中に降る、雪。
 それは、つめたいの?
 ぼくはたずねた。しろくまの人は、ううん、と考えるようにうなったあと、ある意味つめたいかな、とこたえた。
「海の中に降る雪はね、死骸だよ。海の中の小さな小さな生物たちの、死骸。排泄物。だから、ある意味つめたい。けれども、美しい」
 しろくまの人の声が少しだけ、遠くにきこえた。
 ぼくは、いつのまにかゆるやかに、ねむりにおちかけていた。
 しろくまの人のからだは、こたつよりも温かかった。四十度のお風呂よりも、温かかった。
 はんぶん、ねむりかけている頭の中で、つめたいのは美しいのか、と思っていた。いわれてみれば、そうかもしれない、とも。
 雪。氷。ガラス。星空。
 冬の夕方に見る信号機の赤は、ひときわ赤々としている。

冬のデトリタス

冬のデトリタス

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-27

CC BY-NC-ND
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