佐和子

「かわいい?」
「何が?」
「かさやんか」
「知らん!」
青色のかさを持った大介が、たかたか走っていく。わたしは自分の、ピンク色のかさを見た。ミケとかトラとかブチとか、いろんなねこが手をつないで、かさの上でわっかになっている。でも、大介は弟で男だから、やっぱりかわいいかどうか分からないのかな。
「雨、もうふってないで」
大介がかさをたたんで、こっちを向いた。それで、仕方なくわたしもかさをたたむ。わたしは二才下で二年生の大介と、毎日いっしょに登校している。
「なあなあ、さわちゃん」
石ころをけりながら、大介が言う。
「なに」
「今いちばんほしいもんってなに?」
「ほしいもん?」
わたしは、ほしいものを考えてみた。リカちゃんの友達のいずみちゃんかな。それか、筆箱かな。いや、筆箱は今のやつがいい。
「消しゴムかな」
わたしは、隣の席の今井さんが持っている、クッキーモンスターの顔形の消しゴムを思いうかべた。その消しゴムは、クッキーのにおいがする。
「ぼくはな、お城がほしい」
「お城のおもちゃ?」
「おもちゃもほしいけど、でも、ほんまもんのお城がほしい」
わたしは、そういうことか、と思った。それで、もう一回考えた。
「さわちゃん」
「なに?」
見ると、大介はくさむらのところで立ち止まっている。
「なあ、さわちゃん」
「なに?行くで」
「見てこれ、かわいい」
近づいて、大介の指さすほうをみたら、白ねこの死体があった。
「なあ、かわいいやろ」
「……」
「なあ、さわちゃん」
「いやや!」
わたしは、全速力で、そこからはなれた。大介がびっくりして、追いかけてくる。「なんでよ、かわいいやんか」と言って。
 いやや、いやや。早くにげな。何なん、あの子。頭おかしいんとちゃうやろか。

 また、雨がふってきた。雨の教室は変な感じだ。昼間なのに外は暗くて、電気がこうこうとついている。雨の音をきき、けいこうとうに照らされていると、どうしても家に帰りたくなってしまう。でも、まだ二時間目が始まったばかりだ。ああ、いやや。
「そおっとそおっと、わたしは大介にしのびよります」
黒板の前に三谷先生が立って、わたしの作文を読んでいる。弟をおどろかした話だった。わたしは作文が得意だから、よくみんなの前で読まれる。でも、本当は、いつもちょっとうそが混じっている。三谷先生は小さいおばさんで、けしょうがこい。
 いつもだったら、はずかしそうな顔も、いばったような顔もできずに、ちょっとこまってしまうけれど、今日はねこのことばっかり考えていた。あのねこ、どうやって死んだんやろ。いたかったんかな。苦しかったんかな。かさのことも考えた。かさのねこはあんなに楽しそうなのに、本当のねこは、あんな風に死んでしまう。それから、シートン動物記のことも考えた。大好きだった、シートン動物記。伝書ばとアルノーとか、オオカミ王ロボとか。あんなに動物がいっぱい死ぬ話の、何が楽しいと思ったんやろ。
「もーりー」
授業が終わって、ぼーっとしてたら、竹村さんに話しかけられた。わたしは名字が「森山」だから、「もーりー」とよばれている。
「作文、おもしろかったなあ」
竹村さんは、にこにこ笑っている。昨日「遊ぼう」と言われたのに断ったことは、おこっていないみたいだった。
「そうかなあ」
とりあえず、そう答える。竹村さんとは、前の班が同じで、そのときに仲良くなった。でも、毎日毎日「遊ぼう」と言ってきたり、他の友達と遊んだらおこったりするから、ちょっとこまる。
「あ、いたい」
竹村さんは、急にむねをおさえた。
「え、どうしたん」
「おっぱい、大きなってるんかな」
「ええ?」
わたしはびっくりしたけれど、竹村さんは普通の顔をしている。
「おっぱい大きくなる時に、いたくなるねんて」
「ええ?」
わたしは、いやな気分になった。おっぱいなんか大きくなってほしくない。そんな、大人みたいになりたくない。
 竹村さんは、にこにこしながら、竹村さんのお姉ちゃんのおっぱいとブラジャーの話をする。わたしは、ますますいやな気分になる。この世界では、ねことか、動物がいっぱい死ぬ。子どもも大きくなって、大人になってしまう。どこかににげたかったけれど、どこににげたらいいのか、ぜんぜん分からなかった。

 赤色の録音ボタンをおすと、じいいいいと音がして、テープがまわる。
「とれた?」
大介が聞く。さいせいボタンをおしてみる。
「とれたかな?」
スピーカーに耳を当ててみる。でも、「サーサー」という、テープの回る音しか聞こえない。
「とられへんなあ」
土曜日の朝。えんがわにすわって、雨の音をとろうとしたけれど、ぜんぜんうまくいかない。もっと大きい音じゃないと、無理なのかもしれない。
 カセットテープに声や音を録音するのが、大介とわたしの最近のお気に入りだった。ラジカセを持って、家中いろいろなところに行く。録音する内容もいろいろ。お母さんにインタビューしたりとか、人形遊びしながらお話を作ったりとか、運動会で習った「河内音頭」を歌ったりとか。お母さんも、この遊びをすごく喜んでくれる。
「だいくんもいつか声がわりするからなあ。今のうちにとっとかな」
と言う。喜んでくれるのはうれしいけど、大介が声がわりするのは、すごくいやだ。
 けっきょく雨の音はとれなかったので、あきらめて、二階でリカちゃんをすることにした。わたしがリカちゃんやリカちゃんのママを動かして、大介が小さいマリオや大きいマリオを動かす。竹村さんと遊ぶより、こっちのほうがおもしろい。
 先月、十月、十才になった。たんじょうび、初めて丸いケーキをかってもらった。去年まではみんなばらばらのショートケーキだったから、すごくうれしかった。ケーキにはたくさんのいちごと、おさとうでできた葉っぱがのっていた。
「生クリームが新せんで、あまくなくておいしい」
と大介が言って、
「あんたそんなん分からんやろ」
とわたしが言ったら、お母さんも、「たんしんふにん」から帰ってきてくれたお父さんも、すごく笑ってくれた。それで、とても楽しいたんじょうびだったけれど、残念なのは、おばあちゃん(お母さんのお母さん)がいなかったことだ。
 おばあちゃんは、たんじょうびの一週間前から入院している。帰ってくるのは、しあさっての水曜日だった。おみまいに行ったら、「はっけっきゅうが多い」と言っていた。いつもどおり元気で、何が悪いのか分からなかった。
 雨の土曜日。大介は大きいマリオと小さいマリオにキック対決をさせている。おばあちゃんのいない家は、静かだと思った。

「なあなあ、今日あそぼ」
「ごめん、今日は、おばあちゃんが帰ってくるねん」
竹村さんは、「ええ」と言ったけど、それだけで、いつもみたいに色々言ってはこなかった。本当のことで断るのは、うそで断るよりやりやすい。
 竹村さんのおばあちゃんは、一回だけ見たことがあるけど、よぼよぼだった。遊びに行ったとき、お茶をこぼして、竹村さんにすごくおこられていた。
「ばばあ、何してんねん」
「お、お茶、飲まれへん」
「ばばあ」
自分のおばあちゃんを「ばばあ」と呼ぶのにすごくびっくりしたけれど、竹村さんのお母さんも弟も、別に普通にしていた。
 竹村さんと別れてから、走って家に帰った。おばあちゃんに会えるのは、楽しみだし、うれしい。
 おばあちゃんは、台所で電気ストーブに当たっていた。
「さわちゃん、おかえり。ひさしぶりやな」
おばあちゃんは前みたいに、にっこり笑う。でも、わたしはどうしていいのか分からない。おばあちゃんは、かみの毛が全部なくなっていた。
「おばあちゃん、かみの毛なくなったなあ」
お母さんが言う。
「でもすぐ生えてくるからな」
「ほんま?」
わたしは、ちょっとだけ安心した。
「ほんまやで。こっちきてすわり」
つるつるのおばあちゃんが言う。それで、わたしはおばあちゃんの横のいすに座った。
 水曜日は、四時間目までだし、ドラゴンボールがあるからうれしい。今日は久しぶりに、四人でばんごはんを食べながら、ドラゴンボールを見た。おかずは、おばあちゃんの好きな、こふきいもとしゃけだった。
「これが、ゴクウ?」
「ちゃう。子どもはゴハン」
「これは、ゴハン?」
「ちゃう。それは、トランクス」
おばあちゃんは、ドラゴンボールのキャラクターをぜんぜん覚えられない。でも今日は、そんなこともおもしろい。
 でもどっちかと言えば、わたしは幽遊白書のほうが好き。蔵馬が大好きだから。竹村さんなんかは、クラスの誰が好き、誰も好きっていつも言っているけれど、わたしは蔵馬のほうがずっといいと思う。
 ふと、大介の質問を思い出した。「今いちばんほしいもんってなに?」と大介はきいた。わたしは、「羽」と答えようと思った。鳥のようかいになろう。黒くて長いかみ、せなかには青く大きな羽の、すごく美人なようかい。そして、蔵馬のこいびとになる。武器は、何がいいかな。楽器とかがいいかな。
 それは、すごくいい思いつきだった。幽遊白書の世界に行きたい。そこだったら、何でも思い通りになる。

「さわちゃん、何見てんの?」
「……」
「さわちゃん」
「んー?」
「何見てんのって」
「きょうりゅう!」
ランベオサウルスのページを見ているところだった。わたしは最近、きょうりゅう図鑑を気に入っている。きょうりゅうはもういないから、図鑑を見ても、シートン動物記とちがってかわいそうな気分にはならない。
 返事をきいた大介はなっとくして、マンガの続きをかきはじめた。大介は、画用紙にたて線とよこ線を引いて、ますをいっぱい作ってから、それを全部絵でうめる。マリオとルイージとピーチ姫とデイージー姫と、ぼうにんげんの「あほくん」が出てくる。マリオたちは、パーティをしたり、戦ったり、落とし穴をほったりする。大介のマンガにはセリフがないけど、それでもけっこうおもしろい。
 おばあちゃんが、また入院した。今日はあわじ島のいとこもフェリーで来て、いっしょにおみまいに行く。お母さんの、お兄さんの子ども。会うのが久しぶりだから、ちょっときんちょうする。
 いとこたちは二時ちょうどに来た。おばちゃんとおじちゃん、いとこの礼子ちゃんと優太くん。礼子ちゃんはわたしの四才年上で、優太くんは大介と同じ年だった。
「さわちゃん、元気か」
玄関まで行くと、おじさんが笑って言った。わたしは、「うん」だけ言ってうなずく。このおじさんは苦手だ。わたしが人見知りなのを知っているのに、色々話しかけてくる。
「だいくん、ラジコンやろう」
優太くんが、大介といっしょに、玄関を走っていく。ぜんぜん会っていないのに、どうしてあんなに仲良しなのか分からない。
 こういうとき、いつもしょうこちゃんのことを思い出す。昔、手紙を置いて急にいなくなってしまった、お母さんの妹。誰もしょうこちゃんの話をしない。それでわたしは、かえってしょうこちゃんのことを考えてしまう。
「おねえさん、すんませんねえ、いつもいつも」
台所でコーヒーをつぎながら、お母さんがおばさんに言う。おばさんはせがすごく低い。昔、わたしがもっと小さいころ、おじさんとおばさん、どっちがお母さんのきょうだいなのか分からなくて、変な気持ちになったことがある。
 台所のとなりのたたみの部屋で、大介と優太くんはラジコンをしながら、マリオカートの話をしている。礼子ちゃんはそのそばで、幽遊白書を読んでいる。礼子ちゃんは昔細かったのに、今はすごく太った。いややな。わたしも四年たったら、あんなんなるんかな。
 礼子ちゃんもわたしと同じで幽遊白書の蔵馬が好きだけど、ちょっと普通じゃない。変なマンガを持ってくる。変なマンガというのは、本物の作者じゃなくて別の人がかいたやつで、みんなたたかったりはせず、お茶をのんだり、ケーキを食べたり、男どうしでだきあったりする。だきあうっていうか、何やろ。とにかく、変なことをしている。
 わたしは台所のすみっこに座って、げんまい茶をのみながら、ブルボンのエリーゼをたべた。エリーゼはおいしいし、なまえがかわいい。
「さわちゃんも大きなって、かいらしなったなあ」
おじさんがこっちを見て言うので、わたしはうなずいた。昔は、このおじさんが来るたびに、こわくて泣いてしまった。今は、さすがに泣けないけど、それがかえってしんどい。
「コーヒー飲んだら行こか」
お母さんが言った。わたしはこれ以上話しかけられないように、自分のカップを洗い場へ持って行った。
 あわじの車は大きいから、みんなでそれに乗る。うっかりして礼子ちゃんの横にすわってしまったから、ずっと話を聞くはめになった。礼子ちゃんはぜんぜんきらいじゃないけれど、幽遊白書の話がへんてこすぎて、聞かれても何と答えていいのかわからない。

 病室はどくとくのにおいがする。おばあちゃんはひからびていた。家族で一人だけまるまる太っていたおばあちゃんが、がりがりになって、てんてきをされて、うとうとしている。かみのけはすこしだけ生えて、スポーツがりの男の子みたいだけれど、前みたいな黒白のまだらじゃなくて、まっしろだった。
「おかあちゃん、きたで」
おじさんが言う。おばあちゃんは聞いているのかいないのか、わからない。
「さわちゃんおるで。だいちゃんも、礼子も優太もおるで」
おばあちゃんの口がちょっとだけ動く。そして、小さな声で、何か言った。
「何て?」
おじさんが聞く。
「か……」
「か?」
「かえりたい……」
おばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんには、わたしが見えていないみたいだった。
「さわちゃん」
「……」
「さわちゃん」
「え?」
おばさんがわたしのかたをたたいた。
「ジュースのみにいこか」
見ると、わたし以外の子どもは、みんなドアのところに集まっていた。わたしは、おばあちゃんに何か言いたかったけれど、何も言えなかった。
 ホットカルピスは、口の中にまくができてきもちわるい。冷たいレモンスカッシュにしたらよかった、とこうかいする。
「おみまいっていややなあ」
礼子ちゃんが言う。「そんなんゆったらあかん」と言いかけたけど、わたしもそう思ったから、言うのをやめた。
 おばあちゃんははっけっきゅうが多いだけで、すぐなおると思っていた。でも、あんなにやせてしまって、一体いつなおるのだろう。わたしが来ても、ちょっとも喜ばなかった。
「なあなあ、おっちゃんなんでそんなに顔赤いん?」
ろうかで優太くんが、知らない病人にからんでいる。わたしと礼子ちゃんは急いで、優太くんをひっぱり、待合室につれもどした。

 最近きれいになった、まんなかが黄色で、りょうはしが緑色のほどうを、てくてく歩いて帰る。二学期も終わりかけのすごく寒い日、今日はくっぴーといっしょに、家へ帰ることにした。
「今日あそぼ」
と帰りぎわに言われ、「うん」と言ったけど、くっぴーはそれきりずっとリコーダーをふいている。「オーラリー」とか、「スケーターズ・ワルツ」とか、「くれよんしんちゃんのテーマ」とか。
 くっぴーは、くどうさんという名前。こないだ同じ班になってから、けっこう仲良くしている。竹村さんも、最近別の子と仲良くなって、わたしとは遊ばなくなった。竹村さんとちがって、くっぴーは楽でいい。話すのはセーラームーンのことばっかりで、おっぱいが痛いとか、そんなことを言ったりしない。せが低くて小さいから、まだまだそんなことは言わないと思う。
「森山さん」
くっぴーが「威風堂々」を吹くのをやめて、わたしを見た。
「なに?」
「ゆきちゃんとこ、帰りによるん?」
ゆきちゃんというのは近所の子で、わたしと同じ年だけど、去年から学校に来なくなった。それで、わたしがプリントを届ける係になっている。ゆきちゃんは、みんなにかわいそうって言われているけど、ずっと家にいてちょっとずるい。プリント届けるの、めんどくさいし。
「うん」
最近届けるのをよくさぼるけど、わたしはとりあえずそう言った。
 ゆきちゃんは、貧乏で、いつもゆきちゃんのおばちゃんにかみの毛を切ってもらっている。それで、変てこなかみがたをしているけれど、顔はかわいかった。でも性格は、どんなんだったかな。ゆきちゃんが学校に行ってたころは、毎日いっしょに遊んだりしてたのに、今はもうゆきちゃんの性格を、全然思い出せない。でも、他の子と遊んでいると、ちょっとだけ、本当にちょっとだけど、わるいことをしているような気分になる。
 一度家に帰り、宿題をしてから遊びに行ったけれど、くっぴーもわたしもほとんどしゃべらず、セーラームーンのマンガばかり読んだ。「セーラームーンは悟空とか蔵馬みたいに強くないから、あんまり好きじゃない」とふだんは言っている。それに、わたしはかみが短くて美人じゃないだから、「セーラームーンが好き」と言うのははずかしい。でも読んでいると、わたしもセーラー戦士に変身したくなる。
「やっぱりジュピターが一番好きやなあ」
くっぴーが言う。
「ええ、わたしはマーキュリーがええなあ」
「ええ、なんでマーキュリーなん?」
「だって頭良いってかいてあるもん」
くっぴーは「ふうん」と言った。くっぴーはきれいな顔をしている。それに、名まえがかわいくてうらやましい。「あんな」という名まえだ。
 くっぴーは知らないけれど、わたしは一年生のときに、おもらしをしてしまった。三学期の終業式のちょっと前。その日は月曜日で、ずっとトイレに行きたかったのに、うわぐつをわすれてしまって行けなかった。今思えば、朝はトイレのタイルがかわいているから、はだしで行ったらよかったのに、そのことが思いつかなかった。
 クラスがえはふつう二年に一回だけど、わたしたちの学校は五クラスを四クラスにすることになって、二年生でもクラスがえがあった。それでまだよかった。でも、一年生で同じクラスだった人には、なんだかひみつを知られている気がする。それに、ときどき自分のことが、「おもらししてしまった人」だと思えてきて、悲しくなる。できるなら、あのときにもどってやり直したい。時間がもどせないことは、本当に残念だと思う。
 本を読んでいると、くっぴーのおばちゃんがきて、フルーツインゼリーを出してくれた。わたしは赤いチェリーのやつを、くっぴーは緑のぶどうのやつをたべた。
 おばあちゃんは、その日に死んだ。

「ドア、しめんといて」
「なんでよ、寒いやんか」
「ちょっとだけ、あけといてって」
わたしはいらいらして、大介にどなる。部屋の中は、ガスストーブのにおいでいっぱいになっている。大介はおこって、部屋から出て行ってしまった。
 おばあちゃんが死んでから、ドアを全部しめられない。火葬場のかまを思い出してしまう。
――ごくろうさん。ごくろうさああん。
おばあちゃんのほかにも、焼かれる人があった。女の人が泣きさけんでいて、かまのとびらが閉まるときが、すごく怖かった。わたしは、火葬場の制服を着た人をずっとにらんでいたけれど、おばあちゃんも結局は、かまの中にのまれていった。しょうこちゃんは、自分のお母さんが死んだのに、来なかった。
 あんなに怖かったのに。何であの子は平気なんやろ。
 大介がいなくなってひまになったから、しかたなく、ゆきちゃんのところへいこうと思った。最近、ゆきちゃんの家によるのがめんどくさくて、プリントがたまっている。
「あ」
ポストにプリントを入れた後顔を上げたら、ベランダの洗たく物の中に、インコのししゅうが入ったトレーナーがあるのが見えた。わたしのインコだった。お母さんがまた勝手に、ゆきちゃんにあげてしまったのだ。わたしはすごく悲しくなる。わたしのほうがこんなに大変なのに、ゆきちゃんは体が小さいからって、わたしが着られなくなった服をとってしまう。
 でも、インコはひらひらゆれて、気持ちよさそうに見えた。なんか、変だ。インコは、わたしをきらいになったみたい。わたしがいじわるなことを考えたからかな。
 それが起きたのは、ゆきちゃん家にせなかをむけた後、遠回りして帰ろうと思って、裏道に入ったときだった。後ろから誰かが走ってきた。そして、気が付いたら、わたしはその人に抱きしめられていた。
 口の中に、何かが入ってくる。これは、舌?その人が、わたしのスカートの中に手を入れる。わたしは身をよじった。
「な、お願い」
小さい声で、その人は言った。
「ちょっとだけ。ちょっとだけ。な」
どうしたらいいのか分からなかった。本当に、どうしたらいいのか分からなかった。これは、ゆきちゃんののろい?わたしがいじわるだから?
 そのとき、すぐ近くから、近所の人たちの話す声が聞こえてきた。すると、手が、体が、離れていく。振り返ると、太った男の人が、早足で向こうに向かって歩いていた。それを見た後、わたしは走り出した。
 わたしは、走った。太った男の人からにげたかった。でも、家には帰りたくなかった。家にはもう、おばあちゃんがいない。おばあちゃんがいない家からにげたかった。火葬場からにげたかった。大きくなるおっぱいからにげたかった。ねこの死体からにげたかった。
 わたしは、走り続けた。でも、どこへ行ったらにげられるのか、ぜんぜんわからなかった。

佐和子

佐和子

すばる文学賞二次選考通過作品を改編・改題したものです。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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