さくらの夢
さくらに惑う、夜――――。
そよ風に揺れる心は、懐古にも似て。
サワサワ、サワサワ…………。
満開の桜を風がひっそり撫でると、夜空にほのかな桃色が差す。
少女は大人たちが開く賑やかな宴の中を、忍び足で抜け出して家の鍵を探していた。
彼女の大切なたからものを、そら恐ろしい夜から守ってくれるはずだった、大事な鍵。
その鍵が、いつの間にかするりとどこかへ消えてしまったのだった。
* * *
少女はどこまでも広がっていく宴をすり抜け、母親の居場所もわからなくなるまで歩いて行く。
どこまでも、テクテク。
世界を初めて知り始めた子猫のように、少女は夜を行く。
――――どこへ行くの、お嬢さん?
母親によく似た、優しそうな人に聞かれて、少女はこう答えた。
「どこまでも。ずっと、湖の方にまでいっぱいお花が咲いているから、怖くないわ」
少女は差し出された手を振り切り、わずかに駆け足で去っていく。
追いかける声は宴の歓声に埋もれて、すぐに遠ざかった。
* * *
桜の下を、少女はそよ風に任せて歩いていく。
やがて少しだけ寂しくなった。
地面ばかりを見つめていると、ふいに空を見上げたくなる。
少女も恋しさに駆られて、豊かな月を眺めた。
すると赤い耳をした白いウサギがふんわり落ちてきて、待ちわびていたかのように、十二時の鐘が鳴る。
ウサギの首には小さな小さな、巣穴の鍵がかかっていた。
少女は夢うつつに手を伸ばした。
少女の指先に触れた途端に、ウサギは泡のごとく溶けてしまったけれど
その最後の囁きは確かに、少女の耳に残った。
――――さぁ、とても長い夜が始まる…………。
* * *
* * *
少女はふと、道の奥に誰かががいることに気付いた。
近くに寄って行ってみると、そこには同い歳ぐらいの少年が立っていた。
――――手伝ってあげる。
少年はそう言うと、少女と一緒に鍵を探し始めた。
「あなたは、だれ? どうして私と来てくれるの?」
少女が尋ねると、少年は淡々と答えた。
――――僕は、さくらの夢。僕にも、探しているものがあるんだ。
* * *
少年と少女は、大人たちの宴にこっそりと紛れ込みながら、忘れ去られた色々なものを拾っていく。
どれも求める鍵とは違ったけれど、少女は大切に抱えて行った。
少年はその隣で、もらった玩具や菓子を次々と投げ捨てていく。
少女はそんな少年を不思議に思い、問いかけた。
「なぜ、そんな風に乱暴にしてしまうの?」
少年は困った顔をして、問い返した。
――――じゃあ、どうして君は大事にするの?
生温かい、桜色に染まった風が子供たちの間を通り抜けていく。
* * *
二人はやがて、公園の奥の湖にまでやって来る。
少女は少年の身体についた、たくさんの古い傷跡を眺めながら、その訳を尋ねた。
「その傷は、もう痛くないの?」
痛くないよ、とだけ少年は答える。少女はさらに尋ねた。
「あなたは一体、どこから来たの? 何を探しているの?」
少年は答えたがらず、黙って首を振り、先立って湖畔を歩いて行った。
そのうち、耐えきれなくなった少女が
「あなたは何を探しているの?」
と重ねて尋ねたとき、少年はすべての答えの代わりであるように、水際に生えた桜の木の根元を指さした。
* * *
少女は鍵を拾い、そっと胸に抱えて握りしめる。
少年はその嬉しそうな様子を見守りながら、やや寂しそうに呟いた。
――――さぁ、もう帰ろう。もうすぐ宴が終わる。
少女は少年を振り返ると、とんでもないと目を大きくした。
「いいえ、まだ、だめ。あなたの探し物を見つけていないもの」
少年は引き留める少女を振り切って、明かりの落ちつつある宴の中へパッと駆けだした。
少女は慌てて少年を追いかけたが、人波に揉まれて、あえなく見失ってしまった。
途方に暮れた少女の耳に、大人たちの乾いた声が響く。
――――ああ、楽しい夜だった。
――――また明日。
――――さようなら。
少女は人の声を聞くうちに、急に母親のことを思い出した。
* * *
大人たちの会話が、時計の針を少しずつ速く、刻々と回し始める。
少女は不安で、夢中かえって人ごみの中を駆け出した。
鍵は手の中にあるが、母親は一向に見つからない。
すれ違うだれもが、魔法から解けたかのように同じ顔をしていた。
流れる景色や風が徐々に色褪せていく。
少女は息を切らして走り続けた。
* * *
焦るあまり少女は、木の根に足を引っかけて転んでしまった。
少女は擦りむいた膝の痛みに、そして、誰もいない心細さに、ついに泣き出してしまう。
転んだ拍子に、握っていた鍵も落としてしまっていた。
むなしく横たわる鍵と、俯いて泣く少女。
こぼれた少女の涙の雫が、ぽたりと地面に染みたとき
ふいに少年の声がした。
――――泣かないで。あと、少しだから。
いつの間にか、どこかに消えたはずの少年が少女の目の前に立っていた。
少年は少女の首に、紐をつけた鍵をかけながら、道の奥に目をやった。
* * *
少女は少年の視線の先に母親の姿を認めて、一目散に走って行った。
少年はその背中を見つめながら、どこか懐かしげに微笑む。
少女は母親の胸に飛び込み、思いきり甘え、やっと帰ってきたと安心した。
――――さぁ、帰りましょう。
少女は母親の大きな手に引かれながら、首にかかった鍵をぎゅっと強く握りしめた。
ふと後ろを振り返ってみると、そこにはすでに誰もいなかった。
* * *
少年はひとり、昔のことを思い出していた。
それらはあまり楽しい思い出ではなかったけれど、それでもなぜか愛おしく、不思議と夜風と響き合って回想された。
あちこちから盗んできた、たくさんの「たからもの」を並べて、帰る家もなくなって、呆然と星空を仰いだ夜のこと。
あの日も吹雪みたいに、さくらが舞っていた。
…………ずっと、大切にしてくれる誰かに出会いたかった日々。
大切なものが欲しくて、見つからなくて、何もかもがおぼろげな夢のようだった日々。
* * *
* * *
いくつかの風が立ち、夜が明け、季節がめぐり。
ある晩、誰かの夢かがふんわりとほころんだ。
風に乗って陽気な音楽が届く。満開の桜の下で、賑やかな宴が開かれているのだ。
そこには、あの鍵の少女や、その母親、ウサギ、その他にもたくさんの人々が集まっていた。
少女は家から連れてきたお気に入りの人形を抱えて、意気揚々と明るい通りを歩いて行った。
その後から、照れた表情の少年がゆっくりとついて行く。
宴の明かりに照らされて、湖の水面がキラキラと輝いていた。
上着もいらないような温かな空気が満ち、誰もが笑っている。
少女はふと立ち止まると、晴れやかな顔で少年の手を握り、持っていた人形をそっと手渡した。
――――あなたに、たからものをあげる。
少年は戸惑いがちに人形を受け取ると、優しく少女の手を握り返した。
太鼓の音が遠く、軽やかに響く。
宴はゆるゆる、いつまでも続いて行く…………。
Fin.
さくらの夢
この作品は、制作サークル「Allegro|アレグロ」(https://t.co/NvLx29siFO)にて制作した同名の音楽アルバム「さくらの夢」のイメージシナリオでした。
本作のアルバムの方では、各曲の歌詞も担当させていただいております。素敵な楽曲となっておりますので、よろしければぜひ一度、聴きに来てください♪
「さくらの夢」専用サイトhttps://t.co/RosAWfircR
※アルバムに収録した各曲の一部をまとめた動画です。よろしければ、こちらもどうぞご覧ください。→https://t.co/g8ORurD3mB
※2016/11/26現在、BOOTHにてアルバムのダウンロード販売も行っております→https://t.co/pSUcKXrtNR