課題は
一
四百字詰めのマス目の上を転がる,鉛筆の勢いをさらに増そうと思って,吸い込んで,吐き出した空気は,唾と一緒に真向かいに座っていたオキ君の原稿用紙を巻き込んで,一枚を飛ばしてテーブルから落としてしまい,オキ君の集中力を途切れさせてしまって,宿題の作文の続きを書くのを邪魔してしまった。僕はすぐにオキ君に「ごめん」と謝ってから,新記録を樹立した鉛筆をぱっと掴んで,眉間にシワを寄せたオキ君に,「だって」と言い訳をした。
「難しくて,書けないんだもん。何だよ。自由テーマって。かえって書けないよ。先生の求めているものが分からなさすぎて。」
落ちた一枚を拾って,元の位置に戻したオキ君は,消しゴムのカスなんて見当たらないのに,それを原稿用紙から払うみたいに,書いている途中の原稿用紙の上で手を動かした。さっさっと綺麗な音が出て,羨ましくなった。二枚も書けている余裕の表れみたいに感じた。僕はまだテーマも決めきれないというのに。何だよ。
「先生は本当に自由に書いて欲しいんじゃない?枚数をクリアしていれば,みんな合格点をもらえて,発想の面白さで加点とかじゃない?」
オキ君が続きのマスに鉛筆の先を置きながら,僕に言った。それに対して,僕が疑いを向けた。
「それ本当?」
「さあ?ボクも先生に訊いたことはないし。そんなところなんじゃない?」
えー,という僕の不満を無視して,オキ君はまた書き始めた。ふてくされた気持ちで,何もせずに黙っていると,オキ君が忘れ物みたいに重要なアドバイスを付け加えてくれた。
「提出できなきゃ,一点も貰えないよ。」
むー!という気持ちは顔の表情としても浮かんだけど,けど,本当にその通りだったから,僕はやっと作文に意識を向けることができた。テーマはないか,と部屋の中を探し始めた。ママが出かけた台所を背景にして,リビングはいつもと変わらない様子ばかりで,僕はテレビでも点けて,バラエティ番組を観たくなった。もちろん,そんなことはしなかった。オキ君の邪魔はもうしたくないし,こんな作文は早く書き終えたかった。題名とクラス,氏名を記すための二行を開けて,ひと段落下げた先から,四枚半を超えるまでがこんなに遠いなんて。いつもなら,もう書いていて,どっちが先に終わるかの競争だって,楽しめているはずなのに。悔しいし,メンドくさいし。
「今さらだけど,オキ君は何について書いてるの?」
僕が訊いたら,オキ君があっさりと答えてくれた。
「読書感想文。」
「え!?」
僕が驚くと,オキ君は「だって」と言ってから,続けた。
「自由なんだから,今まで書いたようなやつでもいいわけでしょ。」
ズルい!という僕の抗議は,けれど目の前が開ける希望の光のように感じられて,テンションが上がるのを抑えられなかった。なるほど,『今までで通り』でいいんだ!
「じゃあ,ついでに訊くけど,オキ君は何の本を読んだの?」
これについても,オキ君はあっさりと答えてくれた。
「なぞなぞ本。」
「へ!?」
驚いた僕に対して,オキ君は親切にももう一度答えてくれた。
「だから,なぞなぞ本。」
「なんで!?」
僕の質問はきっとマトモなものだった。
「なんでって,自由なんだから,いいでしょ?」
「そうだけど,なぞなぞ本について,何を書くの!?」
この質問だって,きっとマトモなものだった。オキ君は今まで動かしていた鉛筆を止めて,僕の方を見てから言った。
「なぞなぞ本のひっかけ方。なぞなぞ本って,普通に考えるとダメでしょ?ひねくれたり,ダジャレにしたりしないと正解しない。これって,スゴイなーって思ったから。それについて書いてる。」
「スゴイって?」
「え?いや,スゴイはスゴイだよ。それについて,今書いてる途中なんだから。知りたいんなら,書き終わった後で見せてあげるよ。」
「え,うん。」
「うん。」
そう言い終わって,オキ君は原稿用紙に戻っていった。そして僕は置いてけぼりになった。オキ君の完成した読書感想文なんて,読みたくはない。僕はただ驚いただけだ。普通の読書感想文だって思っていたんだから。
どうしよう。僕も何かをしなきゃいけない?
「ねえ,早く書かなきゃ終わらないよ?」
二人でしばらく黙っていて,オキ君の方が五枚目の原稿用紙をテーブルの上に置いても,一向に書き出さない僕を見て,オキ君が心配して言った。「うん。」と僕は答えても,書き出しはしなかった。頭の中は色んなものでいっぱいだった。おかげでどれについても書けないでいた。どうしよう。いっそのこと,昨日の夕ご飯とか書きまくって,日記にしちゃって,終わりにしようかな。だって。自由だし。
「終わり!」
僕の真向かいで,オキ君が鉛筆を置いて,そう宣言した。僕はオキ君の方を見たくなかった。でも,見ないのも悔しくて,頑張って顔を上げて,オキ君を見た。オキ君は原稿用紙を五枚まとめて,トントンと端を揃えていた。文字が書かれているはずの原稿用紙の後ろは,マス目やオキ君が書いた文字が所々で透けて見えることを除けば,紙らしく,真っ白だった。見られていることに気付いたオキ君は,僕を見て,訊いてきた。「書くこと,決まった?」。
僕は言った。
「うん。決まったよ。いま。」
提出日を過ぎてから何日か経った後,授業の終わりに先生が僕を呼んで,いい笑顔を浮かべながら言ってくれた。
「この前の作文,よく書けてたぞ。」
僕は素直に喜んだ。
「本当!?やった!」
「あれ,どうやって思い付いたんだ?」
先生はその理由を訊きたがった。それについて,僕はまた素直に答えた。
「オキ君のおかげです。オキ君がヒントをくれたから。」
「へー,オキがヒントを?」
先生が感心ながら言った。
「はい,そうなんです。」
先生は,さらに続けて訊いてきた。
「ちなみに,それはどんなヒントだ?」
そう訊かれることを予想していた僕は,「そうですねー」ともったいぶってから,先生がさっきの授業で配ったプリントの一枚を指差して,こう答えた。
「裏側から見ないってことです。」
「おお,意味ありげだな。で,どういう意味だ?」
「だから,先生。」
と僕たちは教卓を挟んで,繰り返し,ヒントについて話した。おかげで,原稿用紙の五枚ぐらいは埋めることができそうだった。
課題は