あんたアホちゃうか。あんたかてアホやで。なんでしっとん。それならお笑いしよか。もうやってるで(6)

六 無存在の存在

「どうも。いたよです」
「どうも。いないよです」
「二人合わせて、無存在の存在です」
「いたよちゃん。今日はどうしたん?熱あるんとちゃう?」
「何、額を触っとんのん。熱はないわ」
「えらい、哲学的なこと言うから、びっくりしたわ」
「たまにはええことも言わんと、アホやと思われるやろ。やっぱり、勉強せなあかんで。勉強や。勉強や」
「ええ!」
「何、驚いとん?」
「いたよちゃん。アホとちゃうかったんや。いつもアホなこと言うとるから、てっきりアホやと思っとったのに」
「それこそ、アホや。アホをしとんのは、仕事や。お仕事、お仕事。舞台の上は、かりそめの姿や。家に帰ったら、新聞や本を読んだり、わからんことはネットでサーフィンしたりして、勉強しとるで。普段の生活まで、アホしったら、ほんまにアホになってしまうし、生きていけんわ」
「かりそめ、やて。また、むつかしいこと言うわ。あたしも、かりそめしとんのや」
「いないよちゃんもか。何、かりそめしとんのや」
「ほら、この髪の毛見て。ところどころに、白いん入れてるやろ。仮に染めとんのや。次は、黄色を入れて、緑も入れて、赤も入れて、最後は黒や。どうや、オリンピック染めは。これで、世界が平和になるで」
「かりそめの意味が違うわ。ただし、髪の毛を染めんでも、あんたの頭の中は、平和やと思うわ」
「それ、どういう意味や。「かりそめ」って、髪の毛を仮に染めるんと違うんやったら、火縄銃で、「そめ」を狩るんかいな。まだ真っ暗の朝の三時に起きて、山に入り、抜き足、差し足、忍び足で、まだ寝ている「そめ」に近づくんや。「そめ」は夜行性やから、朝はまだぐーちょきぱーといびきをかきながら寝とんのや」
「どんな、いびきや。いびきでじゃんけんしとんのかいな」
「多分、夢の中で、仲間とえさの取り合いしとんのやろ。「そめ」は平和主義者やから、争い事は好まんのや。そやから、じゃんけんで、エサ場を決めとんのやろ」
「ほう、「そめ」はええ奴やなあ。ほんで?」
「その寝ている「そめ」に向かって、火縄銃を向けるんや。向こうは寝ているから、一発で仕留められるわ」
「平和主義者の「そめ」を人間は銃で殺すんかいな。人間は「平和主義者」やないんやなあ」
「そんなことないで。「そめ」を仕留めた後は、「平和主義者」になるんや。みんなで仲良く一緒に、「そめ」を食べるんや」
「それは、平和主義やのうて、ご都合主義や。それにしても、今の時代に、火縄銃はないで。それに、「そめ」って何や。クマか、しかか、それともいのししか?最近、クマが人里にあらわれて人間を襲うらしいからなあ。イノシシも街中を走るらしいで」
「わかりましぇーん」
「何、胸張っとんのや。わからんのに言うな」
「あーあ、わかった。近所に住む「刈り 祖芽」さんのことやろ。この人はえらい人で、毎朝、散歩しながらゴミを拾とんのや。人の家に入っては、新聞受けの新聞を取ったり、配達された牛乳を空にしたり、花が咲いとったら、摘み取って、自分の家に飾る有名人や」
「それは、犯罪やで。警察に言わんと!」
「ほんでも、たまに、「刈り 祖芽」さんにおうたら、「いないよちゃん。仕事がんばってるなあ。テレビ観てるで。これ飲んで」って、脇の下から牛乳を出すんや。それが微妙に温うて、人肌言うんかいな、美味しいんや」
「あんたも泥棒の仲間かいな。ほんまに「刈り 祖芽」さんいう人、おるんかいな?」
「わかりましぇーん」
「またかいな。無理に、名前にせんでもええやろ。いないよちゃんは、早い話、かりそめの意味を知らんのやろ」
「おっ、上から目線やなあ。こうやって、あることないこと言うて、そのうち死んでいくんが、人間のかりそめの世界や」
「なんや、難しいこと言うなあ。ほんでも、あんたは、あることじゃなくて、ないことばっかり言うてるで」
「なんせ、名前が「いないよ」やからな」
「もう、ええわ」

「どうですか」相変わらず電子カルテの画面だけを見つめている医師。こちらを見ようとしない。でも、その方が安心できる。見つめられると言葉が出てこない。診察室の椅子に座っただけでも、舞台に立っているような気がするからだ。お客さんは1人。確か、いたよちゃんとコンビを組んだ最初の頃は、お客さんが一人だった。それでも、舞台の上でしゃべり続けた。お客さんのことは目もくれずに、目の前の、いたよちゃんを笑わすことに一生懸命だった。多分、お客さんを見る余裕がなかったからだろう。それでも、そんな舞台を繰り返し続けた。
 ある日、「あっはっはっ」とあたしの耳に笑い声が聞こえた。いたよちゃんの声じゃない。男の人の笑い声だ。あたしはその笑い声がする方向を舞台の上から見た。観客席の一番後ろの席だった。年齢は五十歳ぐらいだろうか。背広を着ている。中年のサラリーマンか。仕事の帰りか。大きな口を開けて笑っている。そんなに面白いことをあたしは言ったおぼえはない。
 あたしはその男の人を見た。そして、舞台の右奥から左奥、真ん中、前の端と、全体を見回した。お客さんの数はまばらだ。でも、よく見ると、サラリーマンのように、笑い声は出さないけれど、手に口を当てたり、俯いて肩をふるわせたり、かすかに口を開けたりと、それぞれの方法で笑っている。お客さんが笑っている。ほっとした。緊張が緩んだのか、その笑い声であたしも一緒に笑った。面白かった笑いではない。安心し、安堵した笑いだった。
「いないよちゃん。あんた、どこを見てんの?お客さんが笑うんを見てる暇があったら、面白いこと言ってよ」いたよちゃんが突っ込んで来た。
あたしは横を見る。いたよちゃんも笑っている。目で、このままでいいんだ、と合図している。あたしはようやく、お笑いができたと思った。お笑いは、あたしだけでやるものじゃなく、あたしといたよちゃんとでもやるのではない。舞台を観に来ているお客さんと一緒にやるものだ。どれ一つが欠けても成り立たないものなのだ。
だが、今は、いたよちゃんがいなくなり、合わせて、舞台も、お客さんも失った。笑いを得るために苦労し、時間がかかったにも関わらず、それを失うのは、こんなにも簡単で、早いものなのか。あらためて、自分の過去を振り返る。
「変わりないですか」医師がくるりと椅子を回し、あたしに向いた。
「ええ。変わりないです。変わりたいんです」
「そうですか」
 医師は再び、くるりと椅子を回し、再び、画面の電子カルテに「変わりなし」と打ち込んでいる。普通、変わりなしは、異常じゃない、良好な場合に使われる。だが、今、面白いことが浮かんでこない、面白いことが言えない、結果、人前に立てない、仕事ができない、その異常な状態が、普通の状態、変わりない状態なのだ。変わりたいのに代われないあたし。
「それじゃあ、また、一か月後に来てください」
 医師が再び、こちらを向いた。あたしは、はい、と返事をして立ち上がり、診察室から出た。

あんたアホちゃうか。あんたかてアホやで。なんでしっとん。それならお笑いしよか。もうやってるで(6)

あんたアホちゃうか。あんたかてアホやで。なんでしっとん。それならお笑いしよか。もうやってるで(6)

六 無存在の存在

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-23

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