大量虐殺言語広域放射装置


「ああ、死んだよ。中東の人達が死んだよ、清美くん。皆殺しさ!」
 僕がドアを開けるなりそう言うと、ベッドの上に座っていた少年はにっこりと笑った。
 壁、天井、床、部屋中のすべてに貼り付けられた無数の手鏡が、少年の笑顔を乱反射していく。
「あ、早くドアを閉めて陽介さん。言語が来ちゃう」
 清美の言葉に、僕は少し慌てて部屋のドアを閉めた。ドアにも無数の手鏡が張られている。
 この手鏡は、結界だった。
 100円ショップで大量に購入した、赤、青、緑、紫などの、色とりどりの安っぽい手鏡が、虐殺言語から清美の身を守っているのだ。
 僕にはその意味がさっぱり解らなかったが、別に理解しなくてもいいことなのだと思う。
 僕は、床に無秩序な感覚で置かれた手鏡を踏まないように隙間をぬって歩くと、ベッドの上に腰を下ろした。
 清美はすす、と僕の隣に身を寄せると、僕の体に腕を絡ませて、胸に頬を寄せた。「……でも、足りないよ」と呟く。
「足りないよ、知らない人達がその程度死んだくらいじゃ。もっと、もっと死んでくれなきゃ。それに、ボクはまず近くの人達さえ死んでくれればそれでいいのに、どうして遠くの人達が死ぬんだろう」
 アレの──。
 清美は視線を机に移動させた。木製の勉強机の上には、何十年も昔の型の、四角くて無骨なデザインをした、銀色のカセットプレイヤーが置かれていた。「アレの出力が弱いのかな……」
 清美の視線の先にあるそれは、清美が開発した『大量虐殺言語広放射装置』だった。再生スイッチをガチンと押すと、カセットテープが回りだし、録音された清美の幼い声が『死ね死ね死ね死ね……』と繰り返す。
 その言葉は部屋中の手鏡に反射して、反射して、反射して、窓をすり抜けて大気に溶けて、無差別に全ての人間を殺すのだ。大人も子供も人種も性別も関係なく、全ての人間を殺すのだ。
 防ぐ方法はただ一つ、この、鏡張りの部屋にいること。鏡だけが大量虐殺言語を跳ね返してくれる。
「でも、ちゃんと近くの人だって死んでるよ。魚屋のお爺さんも、昨日、死んだよ」
「ほんと?」
「ああ」
 確かに近所の魚屋のお爺さんは死んだ。ただし、寿命で。九十八歳、大往生だった。大量虐殺言語広域放射装置のせいではない。その装置では誰も死なない。
「……あの人はまだ生きてる?」
「あの人って?」
 清美は一つ、息を飲んだ。「母親だよ」
「生きてる。さっき、話をしてきた」
「しぶとい」
 酷く嫌そうに、清美は吐き捨てた。僕は、清美の髪を優しく撫でた。清美が、甘えるように頬をすり寄せる。
 清美は、十一歳で登校拒否になった。学校でイジメに合い、引き篭りを始めた。対人恐怖症を発症した。
 最初は軽度なものだったに違いなかったが、症状への理解が及ばなかった母親によって、それは重いものへと変わっていった。
 母親には、対人恐怖症という症状が現実にあることがさっぱり理解できなかったらしい。なんの対策もしないまま、清美を叱りつけ、怒鳴り散らし、無理やり連れ出した
 人のカタチをした恐怖がうごめく学校へ押し込んだ。
 何度も、何度も。
 繰り返し、繰り返し。

 清美が、壊れるまで。

 心を病んだ清美は、その後、誰にも心を許すことがなくなった。ひどく暴れるようにもなった。世界中の人達が自分に敵意を持っているという、被害妄想が始まった。全世界の人達、特に、自分の周囲の人達を全員殺し、生き残る予定の動物、犬や猫と、わんわんにゃーにゃー暮らす世界を望むようになった。
 ただし例外が一人。僕だ。
 壊れてしまった後も、幼い頃から親しかった僕のことだけは慕っていて、僕は清美の願う完全な世界に組み込まれた。清美と僕と犬猫の世界。
 そして清美は、自分の理想をカタチにするため、全世界の人間を殺す装置を作り出した。
 それが、大量虐殺言語広域放射装置。
 実際は、ただの、デカくて古いだけのカセットプレイヤーだ。昭和の遺物だ。中のカセットテープには清美の呪詛の声が収まっている。
 どうして清美が、そんなもので人を殺せると思い込んだのかは解らない。どうして、鏡が言語を跳ね返せると思ったのかも解らない。解らないから、解らないままにした。心の壊れた清美に、理論的な説明を求めても仕方なかった。
「そうだ。もっと出力をあげよう」
 うん、出力をあげよう、もう一度そう呟いて、清美は僕の腕を離れた。
 ベッドから降りて大量虐殺言語広域放射装置の前に立つと、ぐにぐにと出鱈目にスイッチをいじり始めた。
 背中から見ていたが、清美のいじったのは、低音を響かせるスイッチと、カセットプレイヤーに一緒に登載されたラジオの、チューナーのスイッチだった。
 ひとしきりいじると、再生ボタンをガチャンと押して、清美はにこにこと僕の腕の中に戻ってきた。
「これでみんな死ぬよ。死んじゃうよ。ボクと陽介さん以外は、みんな死ぬんだ」
 大量虐殺言語広域放射装置は、どこか無邪気さを思わせる高い声で、『死ね死ね死ね死ね……』と繰り返す。
「今日、世界は終わる。みんな死ぬ。ねえ、聞こえるでしょ。世界がゆっくりと終わっていく音」
 僕は、それを信じきっている清美がなんだか哀しく思えて、その小さな身体をぎゅう、と強く抱いた。そっと呟く。
「ああ。今日、世界が、終わっていくね……」
 清美の頬に自分の頬を寄せて、僕はもう一度、「世界が、終わっていくね」と呟いた。



 部屋中に響く呪詛の言葉の中、僕はどれぐらい清美を抱き締めていただろう。
 不意に、鏡の張り付けられたドアが開いた。窓から差し込んだ光が、動いた鏡に反射して僕と清美を照らした。
 ドアの外に立っていたのは、数人の白衣の男。
 僕はその男達を知っていた。山奥にある精神病院の職員達だ。今日、清美を迎えにくる手筈になっていた。
 清美を連れていくために。
 清美を入院させ、治療するために。
 清美の母親にそれを勧めたのは、僕だ。
「だ、誰っ!? 誰さ貴方たち! ドアを閉めてよ! 言語が来ちゃう! 死ぬよ! みんな死んじゃうよ!」
 何も知らされていない清美は、突然現れた他人の存在に体を硬直させ、僕の服をぎゅうっと握った。
 顎をヒゲで覆った中年の白衣の男は、一瞬、部屋中に張られた鏡と、大量虐殺言語広域放射装置が繰り返す『死ね死ね死ね死ね…』という声に唖然としたものの、すぐに優しげな笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。「オジサン達は悪い人じゃないよ、安心して清美くん。これから、清美くんが楽しく暮らせる所へいこう」
「寄らないで!」
 泣き出しそうな声でそう言ってから、清美は僕の胸に顔を押し付けた。清美の体は小刻みに震えていた。
「く…苦しいよ陽介さん……息ができない……。ボク、死んじゃう…死んじゃうよぉ……」
 それが、他人の存在に晒されることによって起こった、パニック障害の発作であることが僕にも知れた。
 パニック障害の発作が起こると、息苦しさや心臓の動悸が始まり、死んでしまうのではないかという不安感が体の中に渦巻くのだ。
「大丈夫、大丈夫だよ清美くん。僕がついてる」
 僕は諭すように言って、清美の髪を優しく撫でた。
 中年の男が、笑みを崩さぬまま近づいてくる。
「貴方が陽介さんですね、聞いています。清美くんを迎えにきました」
 男がそう言って僕らの前に立った瞬間。
 清美が、跳ねた。
 僕の腕から抜け出して、ベッドのスプリングをきしませて飛び上がり、男に飛びつくように襲いかかった。
 男は一瞬のことに反応しきれず、清美に押し倒され、「うわっ!」と短い悲鳴をあげて床に尻餅をついた。
 清美はそのまま、ごろごろと鏡の散らばる床の上を転がって、小さな獣を思わせる動作で機敏に立ち上がった。ふー、ふー、と肩で大きく息をしていた。
 床に座り込んだ男が、部屋の入り口で待機していた他の白衣の男達に、無言の視線を送る。男の頬には四つの赤い筋が浮かんで、血が滲んでいた。飛びかかられた時に、清美の爪でやられたらしい。
 すぐに白衣の男達がばたばたと駆けつけて、必死に抵抗する清美を乱暴に取り押さえた。一番後ろにいた男が、持っていたオレンジ色の拘束衣を広げて、手際よく清美をすまきにした。ドアの向こうで、不安そうな表情を浮かべながら、清美の母親がその様子を見ている。
「陽介さん、助けて!」
 清美の叫び声。
 その声に、僕の体はびくりと震えた。
 助けに行きたかった。
 男達を押しのけて、清美を抱え、そのままどこかへ逃げ出してしまいたかった。
 だが、そうする訳にはいかない。
 この状況を望んだのは僕なのだ。
 どこかで情を断ち切って清美を治療して貰わなければ、清美は一生、鏡と呪詛の取り巻くこの部屋で生きていかなければならない。
 男達は清美を抱え上げ、運びだした。清美は脅えていた。
「離してっ! 外はいやだ、言語が来る! みんな死んでるんだ、ボクも死んじゃう! やだ、やだよぉ!」
 清美は、泣いて、喚いた。だが、男達は冷静に清美を部屋の外へ連れ出した。僕は、ベッドの上から動かなかった。最後に、中年の男が血のにじむ頬をおさえながら部屋を出ていくのを見送ったあと、ただ、うなだれていた。
 廊下から清美の泣き声が響く。
「言語が聞こえる、死ねって、死ねって言ってる、体の中に入ってくる! やだ、出てって、入ってこないで! 言語が、言語が……」
 その声は、突然、ぷつりと途切れた。
 一瞬、しん、と静まり返り、その後、
「…どうした?」
「いや、気を失ったみたいだ」
 という男達の声が聞こえた。
 僕は動かなかった。玄関の開く音を聞いて、車の走り去る音を聞いたあと、僕は清美のいないベッドの上で、独り、悲しくなって泣いた。無数の鏡と、『死ね』と繰り返す清美の声に囲まれて、独り、泣いた。

 それから4時間後、病院からかかってきた電話によって、清美が死んだのを知った。

 電話を受け取った清美の母親の口から、僕に伝えられた死因は、心臓麻痺、だった。
 ああ、あの時だ、と僕は思った。
 清美の泣き声が途切れたあの時だ。言語が体の中に入ってくる、と喚いていたあの時だ。あの時に清美は死んだ。
 殺したのは、大量虐殺言語広域放射装置。
 誰も死ぬはずがない大量虐殺言語広域放射装置で、清美だけが、死んだ。
 治療を望んだ僕の。
 僕のせいで。


 僕のかたわらには銀色のカセットデッキ。
 震える指で再生ボタンを押すと、『死ね死ね死ね死ね…』と繰り返す、清美の幼い声。
 大量虐殺言語広域放射装置は、このあと、僕も殺すのだろう。
 もう二度と僕の名前を呼ばない清美のその声が、弱い僕の命を奪うのだろう。
 今日、世界は終わる。
 大量虐殺言語広域放射装置。
 死者、2名。

大量虐殺言語広域放射装置

大量虐殺言語広域放射装置

それは、世界を終わらせる装置。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-22

Copyrighted
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