双子
清美と有希は、双子として生まれてきた。双子として生まれ、お互い、片時も離れぬまま十二年生きた。
二人は綺麗な少年だった。肩まで伸びたさらさらの栗色の髪と、白い肌、華奢な体つきは、二人の性別をどこか少女の方へと傾けていた。美を司る神様というものがいるとするなら、その神様は、持てる技巧を存分にふるって二人を造ったに違いなかった。
双子であるから二人の容貌にまったく差はなかったし、外を覆う美貌に包まれた知性の方にも差はなかったのだが、それでも、歴然とした力の差が二人にはあった。有希の方が弱い。有希は、清美に頼らなければ生きていけないほどに弱かった。清美に全てを依存していると言ってよかった。
有希がそんな状態であったから、物心ついた時から、清美は有希の面倒をみていた。それが嫌だと思ったことは一度もない。一人では食事のできない有希の口にスプーンを運んでやることにも、本を読むのが好きな有希のために時間をさいて、一つの本を二人で一緒に読むことにも、なんの疑問さえ持たなかった。それが随分、他人から見れば奇矯な行為に見えるのだとしても。
片時もお互いのそばを離れられない二人だから、かよっていた小学校ではよくイジメられた。極論してしまえば、他人と違う、ただそれだけのことで。
身体に対する暴力はなかったが、その分だけ、心に対する暴力が酷かった。
自分たちは他人とは違う、そのことは清美も有希も充分理解していたし、剥き出しの言葉や陰湿な差別に負けないように強くあろうと誓い合いさえしたが、それでも耐えきれないことだってある。特に有希は、嘲笑に乗せて送られてくる悪意に過敏に反応して、よく泣いた。有希が泣けば、それ自体を面白がってさらに言葉による暴力が続く。悪循環だった。自分の代わりに泣いているように思える有希の涙をぬぐってやりながら、清美は何度も学校には行きたくないと感じ、そして結局、三年ほど通って小学校には行かなくなった。
理由を話すと、両親もすぐに納得した。
学校に行かなくなってからの三年間は、とても穏やかな日々だった。有希と清美は一緒に本を読んだり、とりとめのない空想を語り合ったり、青空の気持ちいい朝は庭に出て花を愛でた。そうやって、二人、無為に過ごす日々は、しあわせ以外のなにものでもなかった。
しかし、二人が生まれてから十二年目──。
来年の四月からは中学校に行かなければならないらしかった。もちろん清美も有希も学校には行きたくない。両親は二人のその気持ちを知っていたが、親としてはたとえ「行かない」という返事がかえってくるのだとしても、本人たちの意志を聞いておかなければならなかった。「どうするんだ?」と問いかけられた父親の言葉に、清美はためらって、「…考えてみる」とだけ答えた。
その言葉を口にした瞬間、清美は、自分の胸が小さく、ちくりと痛むのを感じた。小さな痛みは清美の心に小さな穴を開け、小さな穴は小さな黒い点を、清美の胸に残した。
それから一ヶ月、清美は毎晩悩んだ。
悩んだ分だけ心の穴は広がっていった。最初は小さな点だった穴は、今では広がりすぎて心の全てを飲み尽くしていた。
窓から差す月明かりがベッドに落ちて、かたわらですやすやと寝息をたてている有希の顔を青白く染めている。寝ている時も可憐さを失わないその顔を見ながら、清美は毎晩、悩み、煩悶していた。
一ヶ月前の父親の一言で、清美は気づいてはならないことに気がついてしまっていた。それは、自分も普通でありたい、というただそれだけのこと。ただそれだけの、自分にはできないこと。普通に小学校に通い、普通に友達と遊び、普通に中学校に上がる。そういう生き方を、清美は心の奥底でずっと望んでいた。
その気持ちを清美が心の奥に閉じ込めておかなければならなかったのは、有希の存在のせいだった。有希がいるから、有希が片時も自分のそばから離れないから、清美はその想いを見ないようにするしかなかったのだ。
清美はここのところ毎晩、有希を切り捨てることばかり考えている。有希さえいなくなれば、清美は普通でいられるのだ。それは不可能なことではない。
有希を、殺せばいいのだ。
それでようやく、清美は有希を切り離せる。普通の生き方ができる。清美が普通であるためには、どうしても有希が邪魔だった。
殺してしまわなければ。
そうしなければ、清美は一生、有希から逃れられない。
自分のために、有希には死んでもらわなければ。
清美は意を決して、すぅすぅと呼吸する有希の首に両手をかけた。喉を塞ぐ手に、有希は小さく「……ん」と身じろぎする。有希の目が覚めてしまったのだと思って清美は刹那びくりとしたが、それならそれでも構わなかった。
どうせ、有希には清美に抗う術はない。術がないどころか、首にかかったその手をどける腕がないのだ。
有希は両腕を持っていなかった。
肩から先が有希にはない。欠損していた。これは生まれた時からそうなのだ。だから、清美は有希に食べさせてやらなければならなかったし、本を読ませてやらなければならなかった。思えば、どうして自分がそんな面倒なことをしてやらなければならなかったのだろう。
清美は有希の身体を押さえつけるように、ぐいぐいと首を締めた。有希の顔が苦悶に歪む。空気を求める唇が大きく開かれた。いよいよ有希が完全に目を覚ましたのが知れたが、別に構わない。有希には抵抗する腕はないのだし、それに、逃げ出す足さえもないのだ。
有希は、自分の足さえ持っていなかった。
腹から下がない。
これも欠損していた。本来あるべき腰と、足のある場所に、有希は清美の左の脇腹を持っていた。単純に言うなら、有希の上半身は清美の脇腹から生えていた。
双子の奇形児、それが有希と清美だ。
五体の足る清美の脇腹に、両腕のない有希の上半身がついている。それゆえの清美の煩悶であり、ひいては両親の煩悶だった。父と母は、清美と有希がくっついて生まれてきた時、二人を切り離すことを選べなかった。五体満足な清美はともかくとして、上半身しかない有希を切り離せば、有希は確実に死んでしまう。
切り離すことは、有希を殺すことに他ならなかった。
それを知っていて切断手術を依頼するのは、殺人を依頼するのと同じ意味だった。
両親が選べなかったその道を、今、清美が選ぼうとしている。有希を殺せないから切り離せなかったというなら、それこそ、殺してしまえばいいのだ。それでようやく、清美は有希を切り捨てることができる。普通の生き方ができる。一人の人間になれる。
有希に対して恨みがあるのかと聞かれたら、清美は「ない」と答えるだろう。それどころか、「好きだった」とさえ答えるだろう。しかし、それでも、自分のためを考えるなら有希には死んでもらわなければならなかった。清美が誰にも嘲笑されることもなく、剥き出しの悪意を向けられず、普通に『一人』となるためには、有希に死んでもらわなければならなかった。
清美は有希の細い首を締め続ける。
不意に、有希のまぶたが開いた。有希が目を覚ましていることが解っていても、思わず清美はびくっと身をすくませ、有希の瞳を覗き込んだ。開いた有希の瞳は、青く照らす月光のもと、優しい色をしていた。まるで、こうなることを知っていたかのように。
そして、清美を見つめて小さく微笑んだ有希が、押し潰された喉から紡いだかすれた言葉は、ただ一言、
「……ごめんね」
と。
もうダメだった。
ダメだと思った。
その言葉を聞いた途端、これ以上有希を死に追いやることは自分にはできないと清美は思った。
心の中にべっとりと巣を張った暗闇を吐き出すように、胸の奥から熱い塊が込み上げ、それは涙と変わって清美の頬をぼろぼろと落ちた。
清美は首に置いた手をはずすと、両腕のない有希の身体を精いっぱい抱き締める。涙で濡れた頬を有希の頬に寄せて、「ごめんね、ごめんなさい…」何度もそう呟いて、呟いた数だけ、強く。
抱いた有希の身体はとても暖かくて、窓をすりぬけた月の光が照らすベッドの上、清美はいつまでも泣いた。
こぼれ落ちた正解を、涙で押し流すように。
双子