ぼくはぼくで女の子は女の子で人間は動物で

 ぬりえになりたかった女の子がぬりえになれなかったのは立体が平面になれないからって話。ぼくはきょうもあしたのために生きているので、あしたになったらあさってのために生きます。ぼくは女の子という生き物が好きだけれど苦手でもあるよ。爪に色は塗らない方がいい。髪は黒のままがいい。金色ならば金色のままがいいし、茶色ならば茶色いままの方がいいよ。スカートの中を覗いてみたいと思うのは自然なことかもしれないけれど、その自然な欲求を抑えて平然とした顔を取り繕うのが理性ってやつ。理性ってやつが働かないやつはただの動物って、人間はみんな動物でしょう。そうでしょう。なかには動物じゃない人間もいるかもしれないけどね。
 ぬりえになりたかった女の子が立体だからぬりえになれなかったことを憂いながら、ぼくは水族館に行きます。ぼくは水族館が好きだ。住みたいくらいに。ペンギンと寝床を共有してもかまわない。そういえば最近ペンギンの団体がアイスキャンディを売り歩いている話を聞いた。ぼくはペンギンよりもラッコが好きなのでラッコがアメリカンドッグを売り歩いていた方が可愛いと思う。そもそもラッコが歩けるのかどうか知らんけど。アメリカンドッグはコンビニエンスストアに行ったときにかならず買うもの。女の子という生き物は苦手だけれどお母さんという人とおばあちゃんという人は好きだよ。女の子が苦手だからといって男の子と恋愛するつもりはない。誰ともキスをする気はないしエッチする気もないよ。そうだな、ラッコだったらいいかな。って嘘だけど。八割くらい嘘だけど二割くらいはありだと思ってる。ラッコとエッチすると獣姦ってのになるの?
 ところでぼくのことをキミはどう想う。どういうイメージを抱く。頭がおかしい人だとか精神的にやばい人だとかそういう系かな。まあなんでもいいや。ぼくは文章を書くのも好きだが、ぼくの文章はあれなんだよ、読点がやたら多くてね。読点多用症っていうの、読みにくいらしいね果てしなく。たとえば、こんな、感じの、文章が、永遠に、書き連ねて、あるんだよ。ぼくは好きなのだがね読点。息が一回、止まる感じがあるでしょう。そうでしょう。そうでもない?残念。ぼくはそうだね、でも小説や詩を書く以上は唯一無二でありたいんだよね。誰からも共感されなくてもさ、自分の芸術を貫くの。それってかっこいいでしょ。誰にも読まれないことはかなしいことだし、良い評価がほしいって気持ちがあるのは当然なのだけれどね、それでもね、ぼくはさ、自分を曲げることができないんだよ。それにさ、うれしいじゃない。ぼくはぼくが好きだと思った作品を公開しているのだから、それを好きだと言ってもらえるのはさ、とてもうれしいことだよ。すてきなことだよ。ありがとう、だいすき。みんな。

ぼくはぼくで女の子は女の子で人間は動物で

ぼくはぼくで女の子は女の子で人間は動物で

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-19

CC BY-NC-ND
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