ミントだってカメである
カメは万年などというが、実際の寿命は三十年ぐらいらしい。それにしても、他のペットに比べて長生きであることは間違いない。明美は小動物が好きで、小学生の頃から金魚や小鳥を飼っていたが、皆短命だった。比較的長生きしたハムスターが、目をつむったまま動かなくなっているのを見つけた時は、胸が締め付けられるような思いがした。だから、次に飼うなら、絶対長生きする動物にしようと決めていたのだ。
明美が高校生のとき、付き合っていた彼にねだって夜店でゼニガメを買ってもらったのは、もう五年以上前の話になる。その彼とは一年もしないうちに別れてしまったが、ミントと名付けたゼニガメは、社会人となって一人暮らしをしている明美のアパートに、今でも同居している。いや、飼い始めた頃はゼニガメだったが、もはや立派なクサガメである。甲羅だけで二十センチはある。もっとも、あの時彼が熱心にすすめてくれたミドリガメにしていたら、もっと大きくなって、しかも、凶暴になっていたはずだ。
最初は小さな水槽に、甲羅干しのとき上陸できるような石を入れて飼っていた。ミントが大きくなるに従って水槽も大きなものに取り換えていくうち、ガラスの水槽ではあまりに重いため、アパートに引っ越す際、アクリル製の衣装ケースを水槽代わりに使うことにした。石も順次大きくしていったのだが、そんなに大きな石は持って来れないので、自分で風呂用の木のイスを改造し、それに板のスロープを付けた。
エサはずっと市販の固形のものをやっている。たまには生餌をやった方がいいのだが、明美はペットショップで現物を見て、絶対イヤだと思った。ミントだって女の子だから、自分と同感だろうと決めつけた。
そう、ミントはメスだった。飼い始めの頃、しばらくして食欲がガクンと落ちたため、動物病院で検査してもらったことがある。その際、先生に「メスですね」と告げられたのだ。ちなみに、元気がなくなった原因は水温だった。変温動物であるカメは、水温が下がり過ぎると冬眠してしまうため、寒い時期には水槽用のヒーターを入れなければならないのだ。サーモスタット付きのもので25度ぐらいに設定するよう、アドバイスされた。
元々熱帯魚用に作られている水槽用ヒーターは、乱暴に扱われることを想定していない。だが、ミントにしてみれば、熱を発する黒くて細長いものは敵としか思えないのだろう、何とかそれを水中から出そうと悪戦苦闘したため、すぐにヒーターのヒューズがとんでしまった。お仕置きを兼ねて、丸一日は水温が下がるのに任せてみた。水の冷たさが身に染みた後、もっと丈夫なものに買い替えてやると、ようやく有難味がわかったらしく、今度は大人しく寄り添った。そのヒーターも水槽に合わせて少しずつ大きなものにした。
カメは爬虫類だから、当然、肺で呼吸する。ずっと水中にいるように見えるときも、時々、鼻の先だけ水面から出して息継ぎをしている。ただ、ミントも年をとったせいか、日中はほとんど上陸して日向ぼっこばかりするようになった。
だが、その日は夜になっても水の中に戻らず、翌朝までそのままだった。明美が顔を覗くと、ちょっと苦しそうに見えた。
「どうしたの、ミント。具合が悪いの?」
ペットを飼っている人間は皆そうだろうが、明美も相手が自分の家族であるかのように話しかける。
「そこにいたら、寒いでしょう。水の中に入りなさい」
もしかしたらヒーターの効きが悪くなっているのかもしれないと、デジタル式の水温計を見ると23度ぐらいを示している。少し低めだな、と思って、ふと、温度表示の横にOUTという文字が出ているのに気が付いた。知らぬ間に切り替えボタンを押していたらしく、水槽の外、つまり、室温を表示していたのだ。ボタンを押してINの方に変えると、温度表示は36度となった。
「やだ。温度計壊れてるみたい」
そう思ったが、念のため水の中に指先を入れてみた。
「わっ、あったかい!」
壊れていたのはヒーターの方だった。たとえ壊れても、水温が下がるだけと思い込んでいた明美は焦った。
「ごめーん、ミント。熱かったのね。ちょっと待ってて」
あわててヒーターの電源を切ってミントをバケツに移し、水槽の水を全部入れ替えた。そのままだと、今度は冷たくなり過ぎるので、お湯を沸かして少しずつ足していく。かき混ぜて25度になったところで、ミントを戻した。
「どうかな?」
カメの表情はわかりにくいが、嬉しそうに見えた。もっとも、ヒーターがない以上、これからどんどん水温が下がっていくはずだ。
「今日、新しいヒーター買ってくるから、夕方まで辛抱するのよ」
やはり表情はわかりにくい。だが、かまわず明美は続けた。
「ミント、これからもずーっと、長生きしてね」
(おわり)
ミントだってカメである