線香花火は冬に咲く

線香花火は冬に咲く1

目を覚ますと見慣れない天井があった。それもそのはずだ。この新居に引越して来てからまだ日が浅いのだから。
私はベッドから身を起こし、軽くストレッチをする。私の部屋にはすでに前の家から持って来た勉強机やら本棚やらが身を構えている。本棚には教科書類が詰まっており、これも前の家から持ってきたものだ。
父の仕事の都合で11月という非常に中途半端な時期に引っ越すことになり、そうなるともちろん学校も変わることになる。高校生が転校する際は編入試験というものがあるらしく、例に漏れず私もそれを受けさせられた。今日、こうして登校準備をしているということは当然合格した訳だ。
顔を洗うために洗面所へと向かい鏡の中にある自分の顔を覗き込む。少しニキビが増えてきたような気もするがやはり、洗顔などをした方がいいだろうか。そんな事を思いながら眠気と学校に行きたくない憂鬱な気持ちと目やにをまとめて洗い流す。
朝食はトーストにオレンジジュースといういつものメニューだ。時折前日の夕飯の残りが出て来る日もあったりする。トーストの最後の一口を口に詰め込むとそれをジュースで流し込む。そんな事をしているとあっという間に登校時刻になっていた。今日は登校初日なので少し早めに家を出る。
目新しい学校指定の鞄を持って玄関を開けると先月の今頃とは明らかに冷たくなっている風を感じ、いずれくる冬の到来を感じさせる。あと2ヶ月もしないうちに今年が終わると思うと複雑な心境ではあるが、こんな時期に転校させられる身にもなってほしい。高校2年でやっと学校にも慣れてきた頃だというのに。
まあ、人付き合いが苦手なせいで多くの友人がいた訳でもないが。新しい家と言っても一軒家ではなく賃貸で、少し古くさいマンションの5階に位置する506号室こそが私の新居だ。エレベーターで1階まで下り、オートロックではない扉を開ける。
初めての通学路を母から聞いた道順に歩いていくと途中で同じ制服をきた男子生徒を見つけたため、その後をついていく。それから10分ほど尾行を続けた末に私がこれから通う学校が見えてきた。
ーー緑川高校ーー
それが私の新たな学校の名だ。校舎は所々黒ずみ、一部には苔か蔦か釈然としない謎の草状のものがへばりついているため、あまり綺麗といった印象は受けない。母の情報によるとこの学校はカバディ部が強いらしく毎年全国大会に出場しているらしい。ちなみに私はこの話を聞いた時に初めてカバディという名のスポーツを知った。
校門を進むと正面に小さな池があり、その周りはベンチなどが置かれ、軽い広場のようになっている。そして、その広場を囲むように3方面に校舎が佇んでいる。高校2年は確か右側の校舎だと母が言っていたはずだ。下駄箱で靴を履き替える。どこのクラスなのか出席番号はいくつなのかなどといった情報は一切ないため、取り敢えず来賓用のスペースに靴を入れた。
最初は職員室に行くことになっているため職員室へ向かう。廊下は外見とは裏腹に新しさを感じるほどには綺麗だった。職員室へ向かうと途中に

「学校を綺麗にしよう!」

という書道家が書いたような書体で書かれた張り紙がしてあったがおそらくそういうフォントなのだろう。
職員室の前にたどり着きはしたものの、なんと声をかけたらいいだろうかと思考を巡らせているとふと、職員室入り口の横に貼られたポスターが目についた。

“いじめに関する川柳を募集しています。これを機にいじめについて考え直しましょう! 最優秀作品には現金10万円が贈呈されます。”

と書かれている。仮にもいじめ撲滅を目指すための川柳コンテストだろうに最優秀賞が現金というのはどうなのだろうか? 運営側は本当にいじめについて考えているのだろうか? その胡散臭いポスターの下には申し込み用紙が箱に整頓され入れてある。見た所そこそこ減っているようだが、まず10万円目当てとみて間違いないだろう。
そんなことを考えながら辺りを軽くうろついていると、眼鏡をかけた真面目そうな教師が私に話しかけてきた。

「君はもしかして新入生かな? 」

「あ、はいそうです」

「じゃあ、ちょっと待っててもらっていいかな?」

「はい、分かりました」

おそらく、朝の朝礼で紹介されるのだろう。アニメとかでよく見るやつだ。アニメではよく昔、仲が良かった幼馴染と再会したり、朝出会った美女が偶然同じクラスだったりするが、私には仲のいい幼馴染がいなければ、朝はずっと男子生徒を尾行していたためそのようなことは起きない。残念だ。
先生と一緒に教室に入ると少し教室がざわめいた。
「誰?」「転校生?」「顔はそこそこかな」
などといった声がわずかに聞こえてくる。あと、初対面の人の顔向かっていきなり評価を下すのはどうだろうか。そこそこで良かった。

「えー、転校生を紹介します。それじゃ、軽く自己紹介してもらっていい? 」

彼は私の方を見て、どこか申し訳なさそうな顔をして言った。

「はい、谷原光と言います。よろしくお願いします」

私が、軽く頭を下げると申し訳程度の拍手を浴び、一番後ろの無理やりスペースを作り、机を押し込んだような席に案内された。都合よく空いている席などあるはずないといつもアニメを見ながら心の中でツッコミを入れていた事を思い出した。
その後、特にイベントが起きるわけでもなく、授業をそれとなくこなし、話しかけてくれた人にも御家芸である人付き合いの悪さを発揮し、そのほとんどが最後はアハハ……と丸見えの愛想笑いをしながら去って行った。
そんなこんなで1日目は特に何も起こることなく終了した。しかし、イベントは2日目に起きる。1日目はチュートリアルというのが定番だ。
その日も、何事もなく帰ろうと鞄を持ち上げようとした時、後ろから誰かに声をかけかけられた。

「あっ、ちょっと待って。頼みごとがあるんだけど」

振り返ると、このクラスの生徒会長と思われる男が手を合わせて立っていた。厳密に彼が生徒会長なのかは分からないが他のクラスメイトたちが彼を生徒会長と呼んでいるのでまず間違いないだろう。

「なにかよう? 」

「知らないだろうけど、実は先週末に体育祭があってさ。それで、今日はその打ち上げをやろうとしてたんだけど、今、参加人数が29人なんだよ」

「それで? 」

「その、今日行くお店30人から大人数割引ってのがあって、悪いけど君今日来れる?6時からなんだけど」

参加してもいない体育祭の打ち上げに行くなどもはや何を打ち上げているのか分からないが、ともかく特に断る理由もないため、私はこの誘いを受け入れた。すると彼は

「おお! ありがとう! 一生忘れないよ!」

とまるで神に祈るような格好で言ってきたかと思うとすぐに体を反転させ

「谷原くんOKだってー」

と言いながら、おそらく今回の打ち上げを運営しているのであろう者たちの集団へ帰っていった。
持ち手を握られたまま放置されていた鞄を持ち上げ、教室を出ようとした時ふと、あることを思い、生徒会長の所へ行き質問した。

「待ち合わせ場所とかってある?」

「ああ、言うの忘れてたよ。駅前の変なおじさんの像の前に集合だから。分かるかな?」

正直分からない。なんせここにきてまだ大した日にちが経っていないのだから。
しかし、駅の場所くらいなら分かるし、待ち合わせに利用される像なんて行けば分かるだろうと判断し

「ああ、分かるよ」

とだけ返答した。彼は

「じゃ、後でな」

と笑みを浮かべながら手を振り、言った。
さっさと帰ろう。私は足早に学校を出て、帰路についた。

待ち合わせ時間の約45分前。道に迷う可能性を考慮して早めに家を出たはいいが流石に早く着きすぎた。
正面に駅舎があり、右手には駅から直結したショッピングモール……とまではいかないがいくつかの店が集まった複合施設があり、左手にはタクシー乗り場やバス停などが柔毛のように道路の本線から飛び出したスペースに並んでいる。
待ち合わせ場所と言っていた変なおじさんの像というのはまさにその表現通りであり、このおじさんがなんという名前なのか、何をしてどうして像が建てられたのか全てが謎の像である。地元民であるはずの生徒会長が正体を知らなかったのだから、おそらくみんな知らないのだろう。
像をしばらく眺めていると土台に文字の書かれたプレートが付いているのを見つけた。しかし、近くで凝視しても文字は掠れてもはやその機能を失っていた。
日が少しずつ沈み始め淡い朱色の空は次第に宇宙色に染められていく。ゲームでもして待っていようかと思いスマホを取り出しながら辺りを見回していると、1人の男がこの像の方へ向かってきているのが見えた。おそらく彼もこの打ち上げのメンバーだろう。この像に近づく人など打ち上げメンバーくらいしかいない。彼はこちらに気がつくと手を上げながら、走り寄ってきて

「やあ、君も打ち上げだろ?」

と言ってきたので「そうだよ」とだけ返すと

「僕も打ち上げなんだ。楽しみだなぁ」

と返答なのか独り言なのかその間なのかよく分からないこと言った。彼は長袖のTシャツにジーパンと至って普遍的な格好しているのにどこか浮世離れしたような雰囲気をまとっており、先程からこの何もないただの駅をデジカメで撮影してるという事実がその雰囲気をより一層際立たせている。正直関わりたくないタイプの人間だ。話しかけてくれるなよ、と念じる。しかし、その思いも虚しく、彼は手に持っていたデジカメを小さな肩掛け鞄にしまうと

「君の名前はなんて言うんだい?」

と私に話しかけてきた。

「え?ああ、谷原光だよ」

「なるほど、僕の名前は北沢京介。よろしく」

「はは……よろしく」

私は苦手な愛想笑いをしながら、北沢という男の挨拶を受け流す。それにしても、この北沢という人はこういう打ち上げなどのイベントがあまり好きそうなタイプには見えない。比較的整った顔立ちではあるが、野暮ったい眼鏡と髪型のせいでせっかくの顔も台無しだ。関わりたくないタイプとはいえクラスメイトとこれから40分近く、2人で何も話さないというのも違和感を感じるので、勇気を出してこちらから話しかけてみる。

「あんまり、こういうイベントが好きそうに見えないけど来たのに何か理由でもあるの?」

少し、嫌味に聞こえてしまっただろうか。少し心配しながら北沢の反応を待つ。

「理由? 別にないよ。楽しそうだから来ただけだ。打ち上げは勉強なんかより人生を豊かにするからね」

「人生を豊かに、ねぇ。僕は勉強の方が役に立つと思うけど」

「勉強はさほど重要じゃないよ。僕が実証済みだ。まあ、信じないだろうけど、僕は2回人生を送っているんだ」

やはり、イケナイ人ではないか。話しかけたことを少し後悔する。それでも、父の教えを思い出し、会話を続けた。

「2回人生を送ったってのはどういうこと?」

「信じるのか?」

「お金と命に関すること以外のことはまず信じろ、ってのが父の教えだ」

「そうか。君はいい父親を持ってる。僕とは大違いだ。ともかく、今の人生は2周目なんだ。大切な部分だけが欠如してるけど、確かに前の人生の記憶もある」

「ふうん、それはどれくらい覚えているんだ?」

「そうだな……まず学んだことなんかはほとんど覚えている。だから毎回テストは学年1位だし」

「ならどうしてこんな学校にいるんだ?」

転校早々”こんな学校“呼ばわりはあまりよろしくないだろうが。

「勉強に身を投じる人生は飽きたんだ。知識は人生を豊かにするがもっと豊かにすることが世の中には沢山ある。この打ち上げもそうだろ?」

「はあ……」

ため息とも困惑とも取れる返事をする。

「にしても、信じてもらえるとは思わなかったよ。そんな君には僕の人生を豊かにする手伝いをしてほしい」

「えぇ……」

面倒臭いことになってきた。しかし、これまで何の味気もない人生を送って来た私にとって案外悪くないかもしれない。

「まあ、いいけど」

私がそう返事すると北沢は白い歯を見せながら

「そう言ってくれると思ってたよ」

と7部咲きくらいの笑みを浮かべながら言った。
「で、具体的には何をやるんだ?」

「それは後で、例えば打ち上げの場なんかで考えよう友よ」

唐突に友と呼ばれるのもどこか違和感がある。そんな違和感を誤魔化すためか、何の気なしに

「友人Kか……」

と呟いてみた。すると北沢は

「夏目漱石だっけ?」

と予想外に食いついてきたので驚いた。とは言っても流石にこのくらいは知ってて当然か。

「本は読むのか?」

「そうだな、まあ、たまにだけど。詳しくは打ち上げで話そうじゃないか」

何だそれは。打ち上げまでまだ35分もあるぞ。結局、そこから35分間できたての友と何も話さない空白の時間が過ぎた。次第にメンバーも集まり始め、集合時間から10分ほどが経った頃、生徒会長が

「全員揃ったし行こうか」

と言うと、いつかの遠足のように皆んなで生徒会長にぞろぞろとついていった。広場から少し離れた所にある路地に入り、真っ直ぐ進んで行くと本日の打ち上げ会場である焼肉屋"獄連"が見えてきた。
店の前に置かれているメニューに軽く目を通してみるとどれも比較的安価で学生が割り勘しても問題ないであろう値段だった。店に入ってすぐ右側には竹を網目状に繋げてその後ろから赤いライトで照らす装飾物が設置してあった。おそらく獄連っぽさを表したかったのだろう。
奥の団体客専用の個室に案内されると各々が好きな席に座り始めたのでもちろん私は端に座り、その隣に北沢が座る。この個室は中サイズのテーブルが2つずつ左右に並べられており、照明は暖色系の電球でそれを和紙のようなもので包んでいる。しばらくメニューを眺めていると店員に飲み物は何かと聞かれたので私はオレンジジュースを注文した。同じように全員にも聞いていき北沢はコーラを注文していた。
この世界の中で1、2を争う“空腹になる音”を聞きながら肉を眺めている。カルビから滴る油が網の下に落ち、一瞬だけ炎が踊る。しかし、体育祭に参加していない私が肉を取っていいのだろうか。そんな葛藤に苛まれている中、北沢は草食動物さながらにサラダを黙々と食べていた。

「わざわざ焼肉屋に来てサラダを食べるなんて変わってるな」

すると、北沢は咀嚼していた草たちを飲み込んでから

「肉より野菜の方がいい。肉は体に悪いんだ」

と答えた。

「いや、野菜だけ食べてる方が体調だって崩すだろ」

と私が実体験に基づいた正論を浴びせる。

「というか、肉ってキツイだろ?お腹がもたれるというかさ」

「そんな中年親父みたいな事を」

「前の人生分も合わせたらもうとっくに三十路は超えてるよ」

「そういえば、その前の人生とやらではいくつの時にどうやって死んだとかって覚えてるのか?」

「20代以降の記憶が全くないから、多分そのあたりで死んだんじゃないかと思うんだ」

「そりゃ不思議だな」

そもそも、前世だとか生まれ変わりだとかいうもの自体が不思議を通り越してオカルトじみているとは口に出さなかった。

「だから、前の人生では味わえなかった色々な体験をしてみたいんだよ」

北沢はそう言うとミニトマトを口に運んだ。私はトマトのあの中にあるジェル状の物体が苦手なせいで生のトマトは未だに食べられない。ちなみにケチャップなどの加工した物なら食べられる。

「体験ってのは?」

私がそう聞くと北沢はミニトマトを食べながら小さなの肩掛け鞄から2枚の紙を取り出してきた。

「川柳だ」

北沢はミニトマトを飲み込むと同時にそれだけ答えると1本のシャープペンシルを私に渡してきた。

「テーマはいじめだ。まあ、いじめに反対するのが普通だろうな。いじめ賛歌でもいいだろうけど、まず間違いなく賞は取れないだろう」

「これって最優秀賞に10万円が送られるやつだろ?」

「なんだ知ってたのか。なら話は早い。これで最優秀賞を取って人生に充実をもたらすんだ」

「たった10万で人生を?」

「そうだ」

北沢は至って真面目な顔でそう言った。10万円で人生が充実するなら日本人は皆んなもっと幸せそうな顔をしているだろう。朝の通勤時間帯のサラリーマンなんて皆んな死にそうな顔をしている。月曜日ならなおさらだ。
北沢がシャープペンシルを持ちながら必死に悩んでいるため私だけ書かないという訳にもいかない。確か小学生時代にいじめ川柳で表彰を受けたことがあった。もちろん学校内での賞のことなのでそこまで大きなものではないのだが、私の極めて味気のない人生の中では数少ないイベントだった。どんなだっただろうか。当時は何度も母に自慢していたはずなのにたった数年で忘れてしまうとは情けない。記憶の引き出しを順番に開けていき、中にある書類を引っ張り出す。小学生というラベルの貼ってあるファイルを見つけた。私が記憶との勝負に勝ったと同時に北沢が

「出来たか? 」

と声をかけてきた。

「ああ」

と私が自信満々に答えるとその自身が顔にも表れていたのか

「随分、自信ありげじゃないか」

と心を見透かされた。

「まずは僕から見せよう」

私はそう言いながら小学生時代の黄金ともいえる川柳を北沢に見せた。

"何気ない
その一言が
傷つける"

「ほおん」
と北沢は妙に上から目線な反応をした。

「なんだよその反応」

「いやまあ、悪くはないけどあまりいじめっぽくはないしどこか幼稚なんだよなぁ」

幼稚というのは全くその通りだ。なんせ、小学生が書いたものなんだから。しかし

「随分と偉そうじゃないか。なら君のも見せてくれよ」

私がそう言うと北沢は偉そうな顔で川柳の書かれた紙を表にした。

"マジョリティ
あらぬ絆で
魔女裁判"

「ん? 」

思わず声に出してしまった」

「マジョリティって?」

私がこの川柳を見た瞬間に最初に浮かんだ疑問だ。

「マジョリティは多数派って意味だ」

「じゃあ魔女裁判って? 」

私がこの川柳を見て2番目に浮かんだ疑問だ。

「16世紀後半から17世紀頃にヨーロッパであった魔女狩りの一部だ」

「だから、魔女狩りってなんだよ」

「何の罪もない人を処刑するんだ。社会に対する不安が原因の集団ヒステリーだと言われてる。いじめを連想するだろ? 」

「こんなの分かる訳ないだろ」

こういう川柳を募集する企画はより万人うけする作品が当選するというのが普通だ。

「まあ、こんなの当選しないだろうね」

私は北沢にそう吐きつける。もし、これが万が一当選して最優秀賞に選ばれでもしたら選考委員に問題があるとしか思えない。

「嫉妬か? 」

「んな訳ないだろ。嫉妬じゃなくて失望だよ。これなら僕の方がまだ選ばれる可能性が高い」

「いや、分からないぞ。人生には"まさか"が沢山隠されてるんだ」

「さいですか」

私はまともに返事をする気力もなくし、適当に答えた。

それから、北沢としばらく雑談をかわし、気がつくと時計の針は夜の9時を指していた。生徒会長が

「そろそろ、お開きにしましょう。今からお金集めて回るんで」

と言うと皆が一斉に財布を取り出し、ごそごそと弄り始める。生徒会長とあとリーダー気取りの女が2人がかりでお金を徴収していく。生徒会長は私の前に来ると

「1人、1500円ね」

と言うので私はその要求通りの金額を差し出す。1人1500円というのは打ち上げとしてはどうなのだろうか。相場が分からないためいまいち判然としない。
店を出ると辺りはすっかり暗くなっていたが街頭のおかげで不自由さは感じない。空は漆黒にほんの少しの青を混ぜたような色をしており、星は殆ど見えない。北沢とは駅まで共にし、そこから別れた。
彼は黒洞々たる夜に消えていき、その後の北沢の行方は誰も知らない。

という訳ではもちろんなく、翌日、学校で雑談をしていた。    
  
「そういや、ちゃんと用紙投函してくれたか? 」

「ああ、したよ」

私は昨日北沢から例の川柳コンテストの用紙2枚を渡された。北沢から「これをポストに入れておいてくれ」と頼まれたものだ。ちなみに「それくらい自分でやれよ」と反発はしてみたが、「僕の帰る方向にポストがないんだ」と返されたためそれ以上反論することは出来なかった。北沢のあの発言が果たして真実だったのか否かは分からないが、ともかく結果発表は12月中旬だったはずだ。この学校においても川柳コンテストの結果発表を待ち遠しく思っている人は多くいるはずだろう。主に10万円目当てで。

線香花火は冬に咲く2

テレビがラグビーの試合を映している。ルールを知らないせいもあってか見ていてあまり楽しいとは思わない。突然、実況者が大きな声を出したかと思うと一人の選手がボールを持って走っていき、かと思うと突然ダイブした。どうやらトライと言ってポイントが入るらしい。実況者が興奮しているのはある意味当然とも言えるが意外なのは北沢も興奮しているという点である。

「君はラグビー知ってるのか? 」

「ん? ああ、昔少しだけ習ってた時期があった。1年くらいでやめたけどね。母がまだ、マシだった頃だ。今なら習い事なんて論外だよ」

「へえ」

北沢も決して細いわけではないがテレビに映っている筋肉隆々の男達とは比にならない体つきだったためラグビー経験者というのは意外だ。それはそうと、どうも北沢は母とあまり仲が良くないらしい。現に今日も北沢の家に行こうとしたのだが、間違いなく親が反対するとのことで結局私の家に集まることになった。
それから、特に記憶に残しておく必要のないレベルの会話が続き、しばらく経った頃「あっ」と北沢が何かを思い出したかのように言うと彼の肩掛け鞄から

「これをみてくれ」

と一枚の写真を取り出し、私に見せてきた。その写真はどこかの山の上から撮られた写真で街を見下ろす形になっている。山の自然と街全体を一望する景色の割合が絶妙で写真などには全く詳しくない私が見ても良い写真だということが分かった。緑川駅らしき建物が見えることからこの街を撮ったものだと判断できる。打ち上げの時に駅の写真を撮っていた北沢の姿を思い出し、北沢は写真撮影が趣味なのだろうかと推測する。

「君が撮ったのか? 」

「いや、僕が物心ついた頃には部屋にあったんだ」

「なら親が撮ったのか? 」

「まさか、僕の親はプレゼントをくれるほど慈愛に満ていないよ」

「なら、誰が撮った写真なんだ? 」

「日付を見てくれ」

北沢はそう言いながら写真の右下に印刷されたこの写真が撮影された日時を表す数字を指差した。
98:11:13
つまり1998年に撮られた写真という事だ。

「古いな」

どうりでこんな建物あったかな?と感じる訳だ。
「僕はこの写真は前の人生、つまり前世に関わっていると思うんだ」

北沢は真面目な顔で突拍子もない事を言い出した。
「何を根拠に? 」

私がそう尋ねると

「僕は写真撮影が趣味なんだ。だったら、前世の僕の趣味が写真撮影だったとしてもおかしくないだろ」

と何の根拠もない事を言った。私は推測が当たっていた事に少しだけ喜びを感じ、そして言った。

「それは根拠として不十分だ」

「だから、今からその写真が撮られた場所に行く。方角的にそこは多分金銅山だ」

北沢はそう言うと写真をしまい、立ち上がると、置いていた肩掛け鞄を持ち上げ「行こう」とだけ私に呼びかけ、部屋の扉を開けて1人でそそくさと出て行ってしまった。

「おい、ちょっと待ってくれ」

私は焦って立ち上がり財布だけをズボンのポケットに入れると北沢の後を追った。

金銅山まではそう遠くないのでバスで向かう。急いで家を出てきたため上着を着忘れ、少し肌寒い。その上、空は灰色の絵の具をこぼしたかのように一色で染められており、太陽光が全く届かないため、それがより一層寒さを助長する。北沢は相変わらず野暮ったい髪型、こげ茶色の上着にジーパンという格好のせいで自身の魅力をわざわざ自分の意思で破棄しているように見える。黄色の塗料で塗られた太い鉄パイプに時刻表が付いているだけのみすぼらしいバス停の前でバスを待ちながら北沢に尋ねてみた。

「行って何をするんだ? 」

すると北沢は振り返り私の目を見ると

「行ってから決める。同じ場所で同じ構図の写真を撮ると何か起きるかもしれない」

と不敵な笑みを浮かべながら言った。そんなオカルトめいた、或いは運命めいたことが起きるとは現実的に考えてありえない。しかし、北沢ならそんな事が起きても不思議ではないように感じた。しばらく、待っているとベージュ色の車体に茶色のラインが入っているこの地域ではお馴染みのバスが来たので、私たちはそれに乗り込む。バスの中は休日の昼間であるせいかそれなりに人で埋まっており、私たちは後ろから2番目の唯一2席分空いている席に座った。目的地までは約20分ほどかかる。時折、バスが上下に揺れ、それがゆりかごの如く眠気を誘発する。今週は大量の課題に追われ寝不足気味だったこともあいまってか、気づかぬうちに私は瞳を閉じていた。

はっとして目が醒める。いつの間にか寝てしまっていたようだ。金銅山前を降り過ごしてしまったのではないか。そう思い、焦って隣を見ると北沢がいない。周りを見渡してもたった1人の客の影も見当たらない。バスはどこかに停車しており、扉が開かれていたので一度下車してみる。すると、降りたバス停の前に金銅山にようこそという横断幕が掲げられていた。空を見上げると相変わらず灰色一色に染められていたが寒さは全く感じず、むしろじめじめと蒸し暑いように思えた。プシューという扉が閉まる時のため息の様な音に気がついた時にはもう遅く、運転手のいないバスはひとりで出発し、何処かへと走り去っていった。重力が普段の倍くらいに感じたことから直感的にこれは夢だと気づく。金銅山の方へ一歩踏み出した瞬間に地面が大きく揺れだし、黒い何かが突然私の上から襲いかかってきた。猛烈な圧迫感を感じ、そして、目が覚めた。

全身が少し汗で濡れている。これは先ほどの夢のせいか或いは、このバスの暖房が効きすぎているからなのかどちらかは私には分からない。乗客は変わらずほとんどの席を埋めており、隣の北沢も窓に頭を預けて眠っている。それにしても先ほどの夢が頭から離れない。私は昔からしばしばこのような比較的リアルな悪夢を見る事がある。そして、それ以上に恐ろしいのはこの夢の内容と多少間接的であっても似たようなことが現実でも起こるということだ。
あれは、3年くらい前の事だっただろうか。その日、私は地面が揺れ、家が崩れ、それが瞬間的に燃え上がるという悪夢を見た。そして、その夢を見た日の12時頃緊急地震速報が家中に鳴り響き大きな揺れに襲われた。幸い、我が家に大きな被害はなかったが、直下型地震だったらしく震源地近くでは家が潰れ、そして、燃え上がる様子が1日中テレビで中継されていた。
それより前にも、台風による浸水や大雨による川の増水など自然災害に関するいわゆる予知夢を見る事があった。もちろんこんなことを言ったところで誰も信じないだろうし、もしこの事をメディアなんかが取り上げて「預言者現る!」なんて言い出した日には私の大切な日常は消え失せてしまうだろう。ともかく、あの夢は予知夢である可能性がある。となれば、金銅山に近づかないというのが吉だろう。北沢の肩を軽く叩くと北沢は「ん」と「あ」のどちらともつかない声を出しながら目を覚ました。

「金銅山は危ない。引き返そう」

私がそう言うと北沢は

「え? どうして? 」

と当然とも言える返答をした。やはり始めから説明するべきだろうか。しかし、それで果たして信じてもらえるのか。

「えーとなんて言うかな。今、金銅山で何かが起こる夢を見たんだ。で、僕の見た夢はたまに現実になる。だから引き返した方がいい」

こんな言葉を信じる人など誰もいないだろう。それでも、私の真剣に訴える顔を見てか、北沢は私の言葉を一蹴することなく

「つまり、君は予知夢を見る事ができるということか? 」

と取り合ってくれた。

「ああ、そんな感じだ。信じてもらえるかは分からないけど」

「ふうん。まあ、君のことだからね。信じるよ。次のバス停で降りて、そんで帰ろう。命より大切なものはない」

「あ、ありがとう。信じてくれるのか? 」

正直信じてもらえるとは思っていなかった。実は、これまでも何人かにこの話をした事があるのだがまるで相手にしてもらった試しがない。もし、これで信じてもらえなければ1人でも帰ろうと思っていた先ほどまでの自分が情けない。

「お金の事と命に関わる事以外はまずは信じろってのは君の父の名言だろ? 」

北沢はいつかに私が投げた言葉をそのまま私に投げ返してきた。

「別に名言ではない。教えの内の1つだよ」

名言なんて大層なものではない。ただの普通のサラリーマンがちょっとだけ人生を楽しむためのコツとして教えてくれただけのことだ。

「なら、他の教えも教えてくれないか? 」

「言うべき時が来たなら君にも教えるよ」

北沢は「別に今教えてくれてもじゃないか」などと言いながらもそれ以上追求してくることはなかった。

「次は緑川駅前〜」

というアナウンスが入り、それから私が"止まる"と書かれたボタンを押す。すると、

「次、止まります」

という録音された無機質な声が聞こえてくる。果たしてこの声は何年ほど使われ続けられているのだろうか。少しの間、バスに揺られてから緑川駅前に到着する。行きはまた別のバス停から来たため、この緑川駅にくるのは打ち上げの時以来だ。例の謎のおじさん像を横目に広場を通り抜け、路地に入る。

「今、携帯持ってるか? 」

焦って家を出てきたため携帯すら持ってきていなかったため私は北沢に尋ねる。

「ん? 持ってるけど」

北沢はそう言いながら携帯、厳密に言うとスマートフォンを取り出した。

「金銅山が大丈夫か調べてみてくれ」

私のこれまでの経験上、夢を見てからそれが現実で起こるまでそんなに大きな時差があったことはない。即ち

「おい……これ……」

北沢は青白い顔で私にスマートフォンの画面を見せてきた。そこには「金銅山で大規模な土砂崩れが発生。多くの被害が発生している模様」という見出しのネットニュースが写っていた。

「やっぱり……」

私は小声で呟く。北沢は

「危なかった。持つべきものは予知夢を見る事ができる友人だな」

と何やら1人で言っている。私はいつも夢が現実になった瞬間、もし熱心に訴えていればもっと被害者を減らせたのではないかという意識に苛まれる。もちろん、きっとそんな事を言ったところで精神異常者の戯言としか受け止めてもらえないのが事実だろう。これは不可避で理不尽な自然災害であり、それを予知するのは人知が踏み込んではいけない範囲なのかもしれない。
前世の記憶がある北沢も予知夢を見てしまう私も、神様のほんの手違いで本来人に寄与されるべきでないモノを手に入れてしまった、或いは消去し忘れられた存在なのかもしれない。
私と北沢はしばらくそのネットニュースを前に立ち尽くしていた。誰かが捨てたビニール袋が風にあおられ、くるくると踊りながらどこかへ飛んでいく。雲で覆われた空はその向こう側にある太陽や宇宙をあやふやにしながらも、今が夕方である事をかろうじて私たちに教えてくれた。

線香花火は冬に咲く3

「そんな本どこで買ってきたんだよ…...」

私は読んでいた本から目線を隣の席にいる北沢に向け問いかけた。

「普通に本屋だよ。他に何があるんだよ」

北沢はさも当然かのように普遍的な顔を私に向けて言った。北沢は手に"ピッキングのコツ!"という見出しが書かれた本を持っている。印刷は薄れ、端が破れていることからおそらく古本なのだろう。

「そんな反社会的な本が売ってるとは思えないが」

「それが売ってるんだよ。残念ながら。僕の行きつけの本屋なんだけど色々マニアックなものまで揃えてるんだ」

果たしてピッキングというものはマニアックなジャンルなのだろうか。むしろただの犯罪助長本だとしか思えない。北沢のそばにはその本の他に南京錠と細い針金のようなものが置かれている。

「まさか、君、ピッキングをしようだなんて思ってないだろうね」

教壇を走っていた誰かが派手に転びその誰かを追いかけていた誰かの大きな笑い声が聞こえる。

「いやあ、これ案外難しいんだよ。僕は昔から不器用だからね。というか僕には無理だ。これ一式君にあげるよ」

北沢はそう言って私にボロボロの古本と犯罪練習キットを私に押し付けてきた。

「こんなもの渡されても困るだろ」

転んだ誰かが苦痛の表情を浮かべ、追いかけていた誰かもさすがにまずいと感じたのか、おい大丈夫か?と歩み寄る姿を尻目に私はそう言った。

「君も少し練習してみたら? 」

「やだよ、犯罪は僕がこの世で2番目に嫌いなものだ」

「じゃあ、1番はなんだ? 」

「人を裏切ることかな」

学校の昼休みという極めて雑音の多い時間であるにもかかわらず私がこう言った瞬間だけ少し周りが静かになった…...ような気がした。自分の顔が少し熱くなるのを感じる。いや、気のせいだ。気のせいに違いない。

「ああそう」

北沢は案外素っ気なく受け流して言った。

「大体、ピッキング自体は犯罪じゃないからね。ピッキングをして何かを盗んだりして初めて犯罪になるんだ」

「ほんとか? 」

私はそう言い返しながらピッキングの本をペラペラとめくる。この本を見る限りだとピッキングの仕組みは思っていたよりも単純なように見える。

「これなら出来そうだな」

私は北沢の「おお!本当か? 」という興奮の声を聞き流し南京錠と針金状のものを手に取る。少しの間、本を見ながらいじっているとカチャという音とともに南京錠が開く。ピッキングとはこんなに簡単に出来てしまうのかと驚くとともに家の玄関の扉が脳裏に浮かびもっと防犯に気をつけようと思った。

「君はすごいな」

隣の北沢は感心した様子で開いた南京錠を触っている。

「そうだ。火曜、あの代休の日、暇か? 」

北沢は唐突にそう聞いてきた。

「まあ、特に予定はないけど」

「なら、僕の行きつけの本屋に行こう。きっと見たことない本も売ってるよ」

「ああ、そりゃいい。ちょうど気になってたんだ」

私がそう言うと同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。あの転んだ誰かは追いかけていた誰かの肩をかり、足を痛めたのだろうか片足を引きずりながら教室を後にした。その光景を見ながら小学校の頃先生が教室では走るなと言っていたのを思い出した。


待ち合わせ場所である緑川駅前で5分ほど待っていると北沢が現れた。北沢はあいも変わらず野暮ったい服と髪型だ。

「その本屋ってどこにあるんだ?」

私は北沢の後をつけながらそう尋ねた。

「すぐそこだよ。この路地を抜けて大通りに出てから2,3分くらいだ」

「へえ」

私はそう素っ気なく返し、辺りを見回す。人通りはあまり多くないが、まばらに飲食店があり、いつかの打ち上げで行った焼き肉の横を通り過ぎる。

「あっ、少し寄り道していいか? 」

北沢は唐突にそう言った。

「え? まあ、いいけど」

私は特に不満もないのでそう言うと北沢は大通りを目前に左手のより小さな路地に入った。
道というより建物と建物の間といった感じで、もし怪しいクスリの取引をすることになるならここでするだろうなと思ってしまうような、そんな雰囲気だ。薄気味悪い場所を抜けると少し広めの道路に出てきた。そして目の前には小さな公園がある。
寄り道というのはまさかここなのだろうかと思っていると案の定北沢は公園の中に入っていった。それにしても、どうしてわざわざ公園などにきたのか。公園の様子はどこか殺風景で遊具があるわけでもなくただベンチが数個と花壇に今にも萎れそうな弱々しい花が植えられているだけだ。

「おい、見てみろ」

北沢はそう言いながら右斜め上を指差した。その先には"故障中"と書かれた張り紙のせいで本来の役目を果たしていない時計があった。太い鉄の棒の先端に時計をつけただけの簡素なものだ。

「これがどうかしたのか? 」

私は北沢にそう言うと
「面白い事を教えてやる。この公園は時間がずれているんだ」

と北沢は突拍子のないことを言い出した。

「はぁ…...」

私は露骨に顔を歪ませる。

「ここの公園の時計はかれこれ3年くらい止まったままなんだ。修理される気配もない」

「で? 」

「それで思ったんだ。この公園は時間がずれているんじゃないかと。だから、今からその証拠を見せる」

北沢はそう言うとベンチに座りガラケーを握りしめながらうなだれている男の元へ駆け寄った。あまり、ああいう人と関わらない方がいいんじゃないかなと思いつつ北沢のあとをつける。北沢はその男の前に立つや否や

「今日の年と日付を教えてもらっていいですか?」

と言った。男は顔を上げて私を見た。目にはくまがあり、頬には大きなホクロがある。

「あ? 1999年の11月26日だよ。」

と生気のない声で言った。1999年とはどういう意味だ。北沢は私の方を見てニヤリと笑みを浮かべてから

「ところで、おじさんは何か悩んでるの? 」

と混乱する私を放置し、言った。

「妻と喧嘩してね。家を出ていってしまったんだよ。電話で謝ろうとしてるんだけど中々勇気が出なくてね」

男は何かにすがるような声をしている。

「それは大変ですね。でも勇気を出して、その一歩が大切なんですよ」

北沢は思ってもいないような事を適当に口に出す。

「そうだよなぁ、ありがとう。少し勇気が出てきたよ」

「いえいえ。よし行こうか」

北沢は私のほうを向いて満足感に満ちた顔でそう言った。

「色々待て」


大通りを歩きながら北沢に尋ねた。

「まず、1999年というのについて」

「だから言ってるだろ。あの公園は17年遅れてるんだよ。まさに時代遅れの公園だ。滑り台もないしね」

人生2周目の人間(自称だが)が目の前にいるのだから時間がずれているというのも案外ありえるかもしれないと思ってしまった。

「まあ、それは信じることにするよ。で、なんで、あの男と雑談をする必要があったんだ? 」

「だって、日付だけ聞いても怪しいだろ。そもそも、困ってる人が目の前にいるんなら助けるべきだ」

「ああそう。というかあれを見せる為に公園に立ち寄ったのか? 」

前からやってくる人を避け、北沢に聞く。

「面白いだろ? 」

北沢はなぜか自信ありげな顔をこちらに見せて言った。

「まあ、少し」

私が珍しく笑みを浮かべて言ったその言葉は反社会的な人間が改造したバイクの音でかき消された。爆音バイクは私がこの世で3番目に嫌いなものだ。

北沢の言っていた本屋の前に立ちそこはかとない不安を感じる。店先には一切の看板などもなく、一見、本屋だということに気づかない。そんな私の不安など気にする様子もなく、北沢は店の中に入っていき、私もそれに続いて店に入る。
店の中は本屋特有の紙の匂いで満ちており、先ほどまでの不安はすっかりなくなっていた。紙の匂いには人を安心させる成分でも入っているのではないだろうか。普通の本屋にはある文庫別、作者別の仕切りはなく様々なジャンルの本が何の規則性もなく並べられている。これは目的の本を探すのも一苦労だ。
しかし、それを差し引いても、他の本屋以上に濃い紙の匂いと一切の雑音もない静寂は気に入った。適当に目に入った本を手にとってみる。表紙には"鎌倉幕府の謎"という見出しに源頼朝のあの教科書に載っている有名な写真が印刷されていた。
今度はその隣の本を手にとってみる。今度は"成功する人生を送るためには"という見出しに見たことのない外国人がパソコンに向かっている画像が印刷されていた。所謂ハウツー本というやつだろう。にしても、歴史本とハウツー本が隣にいるとなると本当にこの本屋は何の規則性もなく本を並べられているのか。他にも"強情な隕石"という寓話めいた絵本などありとあらゆるジャンルの本が並べられていた。色々な本を手にとっては眺めて棚に戻すということを繰り返している時、ある本が目に止まった。
表紙には"緑川写真コンテスト"と書かれ見慣れた緑川駅の写真が印刷されている。こんなコンテストをやっていたのか。そう思い、ペラペラとページをめくる。そして、一枚の写真が目に入った瞬間心拍数が上がった。そこには、銀賞作品"町と緑"という文字とともに見覚えのある写真が写っていた。間違いない、これはこの間北沢が見せてきたあの写真だ。急いで、北沢を呼びつけ、

「おい、これ」

とページを指差しながら北沢にあの写真を見せる。
北沢は

「これは…...あの写真じゃないか…...」

と少し狼狽した様子で言う。そして、はっと思い、撮影者のところへ目をやるとそこには亀川陽太と書かれていた。北沢もそのことに気がついたのか

「この亀川陽太ってのが僕の前世の名前なのか…...」

と静かに呟いた。そのページの右下にふと目をやると田原高校より出展と小さな文字で書かれているのを見つける。

「田原高校っていうと確かそんなに遠くなかったよな」

私は独り言のように呟く。

「行ってみるか」


北沢は存外軽い口調でそう言った。普通は自分の前世に関する確信的な情報が見つかればもう少し興奮するものではないだろうか。

「とりあえず、その本を買おう」

北沢はそう言いながら、私の手から緑川写真コンテストを抜き取り会計へ向かう。

「情報は手に入ったんだし、別に買わなくても良くないか?」

私がそう北沢の後ろ姿に声をかけると、北沢は振り返り

「価値あるものには対価を払うべきだ。じゃないとお金の意味がない」

と口角を上げて言った。様子をチラと見てみると店主と思われる老人が北沢から数百円を受け取っていた。その老人が女性なのか或いは男性なのかは判然としない。北沢は会計を終えると

「それじゃ、田原高校行ってみるか」

と財布に釣銭をしまいながら言った。

田原高校までは確か電車で3駅分くらいだったはずだ。私たちはお馴染みの緑川駅で切符を買い、田原駅へと向かう。電車の中は男子高校生と思しき2人組の会話以外には何も聞こえなかった。スマホを適当にいじっていると "俺の名は。興行収入100億突破!" というネットニュースが目に入った。 

「この映画観に行った? "俺の名は。"ってやつ」

「ああ、観に行ってないけど凄いらしいね。正式名称なんだっけ?無駄に長かったよな」

「ああ、なんだっけな」

私はそう言いながらニュースの記事を下にスクロールするとその正式名称が書かれていた。

「えーと、"俺は君の名前が思い出せなさすぎて俺の名前さえ忘れてしまいそうだ。"ってタイトル」

間に息継ぎを入れて読む。

「どうせ皆んな略称で呼ぶんなら初めからそんなに長いタイトルなんてつけなきゃいいのに」

「まあね」

この件に関しては私も完全に同意だ。

「製作者は何を思ってこんなタイトルをつけたんだろうね」

私は本心からそう言う。

「インパクトだよ。タイトルで興味を持ってもらわないと売れないんだ。きっとこの映画も初めから"俺の名は。"みたいなタイトルならまず売れてなかっただろうね」

北沢はスマホに目を落としたまま言った。

「そんなもんかな」

私がそう言った直後にとある映画のことを思い出した。

「そういや、あの映画面白かったぞ。"タイムパラドックス"だったっけ? 」

「ああ、僕もそれは見たよ。ああいうSFはくだらないファンタジーなんかよりよほど練られていて好きだ」

「ラストのあのセリフがかっこいいんだよ」

「そうそう。"全ての因果は収束する"だったかな」

「それそれ、一回言ってみたいな」

「多分一生使わないセリフランキングの上位には来るだろうな」

私と北沢が映画トークに花を咲かせていると次の駅が田原駅である事を知らせるアナウンスが流れてきた。


改札を抜けるとそこはバスターミナルでした。
私たちは田原高校前に停車するバスに乗り込むと一番後ろの席に腰をかけた。当たり前ではあるがバスの外見は緑川で乗ったものと同じで内装も同じである。
バスを降りると道路の向こう側に田原高校が凛と佇んでいる。来たはいいものの果たして関係のない人間が見ず知らずの高校に入ることは出来るのだろうか。

「ここからどうするんだ…... 」

私は独り言のように呟く。

「なんとかなるはずだ。世の中はなんとかなるようにできてる」

北沢は根拠がないにもかかわらず自信満々で答えた。

「そんな楽観主義的な考え方をしているといつか痛い目を見るぞ」

「僕は楽観主義者じゃないよ。むしろ現実主義者だ」

「ああそう」

依然として学校の前でそわそわとしている状況に変わりはない。現在の時刻は午後1時半頃。可能性としては午後出勤の先生を捕まえて話を聞いてみるか。他に何か方法はあるだろうか。
しばらく、厳密には15分ほどそわそわと校門付近をうろついていると明らかに先生といった風貌の中年男性がこちらに歩いてくるのが見えた。このチャンスを逃すわけにはいかない。そう思い、慌ててその男性の元へ駆け寄り北沢もそれについてくる。

「あの、すいません」

私がそう言うと男性は戸惑いながら

「ど、どうした? 」

と目を見開いた。

「実は人を探してまして、この高校の卒業生らしいのですが…...」

「この写真を撮った人です」

北沢が先ほど買った写真集のあの写真の載ったページを開き、男性に見せる。すると、その瞬間に男性の顔が明らかに変わったのが見てとれた。

「そ、そうか…...この子を探しているのか…...そうだな、少し酷かもしれないが、この子は......忘れもしない、17年前に亡くなっているんだ」

男性は小さな声で暗い顔で言った。分かっていたとはいえその事実を面と向かって言われ動揺する。北沢の生まれ変わり、前世という極めて非現実的なものが隠しようもない確かな現実だと証明された瞬間でもあった。

「君たちは亀川の友人か何かかな? 」

男性はまだその暗い表情を保ったままである。

「いえ、その…...話すと長くなるのですが、また会えますか? 」

私の顔は自分でも分かるほど強張っていた。

「ああ、いいよ。じゃあ、今日の8時くらいとか大丈夫かな? 」

「はい」

突然北沢が会話に入ってきたので驚いて声の主を見てみると北沢はこれまで見たことないほど真面目な表情をしていた。

「じゃあまた」

男性教師のその顔は最後まで晴れることはなかった。



「前世? 」

窪田と名乗ったあの男性教師は露骨に不快感を表す顔でそう言った。

「はい」

北沢はその顔に臆することなく胸を張って答える。

「それは私をからかっているのではないのだね」

窪田は睨みつけるような目で北沢をじっと見つめている。

「はい。これを見れば信じてもらえるでしょうか?」

北沢はあの写真集に載っていた写真の現物を差し出した。

「ふっ、そうか。やはり彼の言っていたことは間違いじゃなかったんだな」

窪田は初めて笑顔を見せた。

「君の言うことを信じることにするよ。亀川は昔言ってたんだ。死んでも生まれ変わるだけだから心配するなって」

しばらく沈黙が訪れる。亀川という少年の死について深く知らないのもあり、迂闊に口を出すことができない。

「亀川という人間について教えてください。お願いします」

北沢はいつになく真剣な顔で窪田に懇願する。

「ああ、分かったよ。きっと君は亀川の生まれ変わりだ。根拠はないけど、きっとそうだ。亀川は科学部に入っていて私が顧問だったんだ。成績も学校内でトップ、おまけに趣味で撮った写真をなんとなく写真部に見せたら気に入られてコンテストに応募、そして銀賞だ。すごいだろ? 」

窪田はなぜか自分のことを自慢するかのように亀川のことを褒め称えた。

「でも病気になってね。難病だったんだ。特効薬もない。でも彼のお父さんがすごい学者でね。特効薬を開発しちゃったんだよ。それが彼が亡くなった次の日のことだ」

窪田は話しながら顔が沈んでゆく。

「この写真を見てくれ」

窪田はそう言うと一枚の写真を鞄から取り出した。そこには一輪の花が咲いていた。私は小学生の頃、花について調べ学習をしていたため一目見て分かったが、おそらくこれはマリーゴールドだろう。一輪だけが孤独に、それでも凛と咲いている様子は力強さを感じさせる。

「彼は自由人というかね。この写真も病院から勝手に抜け出して撮ったらしいんだ。そのせいかどうかは分からないけどこの次の日には容態が悪化して…...あっという間だったよ」

窪田はもの悲しげな目をして言う。

「お父さんも息子を亡くしたのがよほどショックだったのらしくて、1週間後に後を追って……」

北沢は窪田の差し出した写真をじっと見つめながら話を聞いていた。



「わざわざお時間を取って頂き、ありがとうございました」

私たち2人で頭を下げる。

「いやいや、こちらこそ、また亀川に会えたような気がしたよ。いや、君が元亀川か。そうだ、これを君に」

窪田は鞄の中からお守りのようなものを取り出し北沢に渡した。

「これは? 」

北沢がそう尋ねると窪田は

「亀川の父が私にくれたんだ。亀川龍馬というんだけどね。中に彼の作った特効薬が入ってるんだ。彼の父も少し変わってたからね」

窪田は懐かしみとも憐れみともとれる表情をしていた。北沢はそのお守りを疑うような目で見つめてから握りしめ

「ありがとうございます」

と言葉少なく返事をした。薬の入ったお守りとは?と正直思ったが口には出さなかった。

「あっ、あと亀川について調べるのは少し控えてもらってもいいかな? 実は亀川の母は今でも心の傷が癒えてなくてね……」

「そうなんですか」

そう言う北沢の目に始め窪田と会った時のような熱はこもっていなかった。



窓の外はビルや家の光以外暗闇で、寒さもより一層強くなってくる。人はあまりおらず、静かな車内と大げさな蛍光灯が無機質さを際立たせる。そんな中北沢が口を開いた

「分かった。僕と亀川の共通点が」

「変人なとこか? 」

私はスマホでニュースを見ながら言った。

「違うよ。まず、僕の名前北沢の北に着目するんだ。"北"を来るという漢字の"来た"にする。来た、というのは来るの過去形だ。英語にするとcame。そんでそれをローマ字読みすると"かめ"になるんだ」

「こじつけだろ。なら沢はどうするんだよ」

「沢は…そうだな、まあ、沢って水関連だし川も似たようなもんだろ」

「一気にクオリティが下がったな」

私は失笑し、"連続ひったくり、緑川で発生"というニュース記事をタップした。

緑川駅で降りると凍えるような外気が私の体温を奪っていく。別れ際に北沢は
「明日、予定あるか? 」

と聞いてきたので私は

「いや、ないけど」

と答える。

「じゃあ、この間行った時間公園。あそこで待ち合わせよう。時間は夜の8時くらいで」

「なんでまたそんな時間に?」

私がそう聞くと

「花火だよ。花火」

と北沢は適当にあしらうような返事をし、そのまま振り返ると「じゃあな」とだけ言いいつもとは違う方向に姿を消した。



「まさか本当に花火だったとは」

私と北沢は2人してしゃがみパチパチと弾ける線香花火を見つめている。

「なんでこんな真冬に花火なんだよ」

北沢は明るく光る線香花火の先端が地面に落ちると、すぐに次の線香花火を取り出しチャッカマンで火をつける。

「線香花火ってのは冬にやるからいいんだよ」

凍える手と線香花火と火薬の匂いはひどくミスマッチなような気がした。

「夏の風物詩に対する侮辱だぞ」

そう言いながらもやはり線香花火というのはいつ見ても綺麗だと思ってしまっている自分もいる。

「昨日のあいつ、窪田だっけ?今後一切会わないほうがいい」

「なぜに?」

北沢は私のその質問に答えることなく、花壇の方へと走っていき、戻ってきたか思うと何かをこちらに投げてきた。私はそれをキャッチし見てみる。

「これは昨日もらったお守りだな」

「中を見てみろ」

北沢がそう言うので明らかに刃物で切ったのであろう切り口から中を覗いてみるが暗くてよく見えない。開いた口を下に向けて振ってみると中から小さな機械のようなものが出てきた。

「多分GPSだ」

正直なところ彼の言動には少しの違和感を感じていた。しかし、実際の動かぬ証拠が目の前に現れると困惑し、言葉が出ない。

「僕は窪田が嘘をついていると考える。君はどうかな?」

「……そうだね、君に同意するよ」

少しの沈黙の末に私はそう答える。

「なぜ窪田は嘘をついて、僕たちを監視するような真似をしたのか。そういう事をする多くの場合、何かやましいことを隠すために、そしてバレないようにするためにこういう事をするはずだ」

「そうだな。だとすると」

私は冷静な頭を取り戻すとともに少しだけ嫌な予感を感じた。

人が死んだ。

それを隠したい。

死んだ人間のことを探る人間を監視する。答えは考えるまでもなく容易に思いついたがあえて口にはしなかった。

「窪田が亀川を殺したかもしれない」

「まあ、嫌な予感はしてたけどそういう可能性は充分にある」

北沢は私の手からGPSの装置を取ると地面に落としてからそれを勢いよく踏みつけた。機械はぺちゃんこに潰れ、とても人工衛星と繋がることのできる姿ではなかった。
「あいつとは関わらないようにしよう。そして、この件も終わりだ。世の中には知るべき事とそうでない事がある。これは後者だ。」

このお守りの真意、もし窪田が亀川を殺したのだとした場合の動機。そんな多くの不明瞭な点は17年という歴史に流してしまおうと自分を納得させながら「だろうね」と肯定する。

「わざわざ夜に呼んだのも誰かに聞かれないためか? 」

「それもあるけど、7割は花火がしたかったからだ」

「ああそう」

私は役目を終えた線香花火の亡骸といつか来る夏のために命を守った線香花火たちの入った袋を持って立ち上がる。
すると北沢が私の持っている線香花火たちを指差しながら言った。

「誰が止めるって言った? まだ、冬の花火大会は終わってないぞ」

「えっ……まだやるのか?」

私は露骨に嫌そうな顔をする。

「線香花火は冬に咲くんだよ」

北沢はそんな意味のない詩的なことを言うと私から袋を奪い、線香花火を1本おもむろに取り出すとそれに火をつけた。夏を待たずに死んでゆく線香花火……可愛そうに。そう思いながら私も花火に火をつける。

線香花火は冬に咲く4

何かが落ちてくる。その夢はただそんな漠然としたイメージだけを伝えてくれた。真っ暗の空間にただ一人佇んでいる。それはいつか見た線香花火のような美しくも何故か恐ろしさを感じるような。それはただの夢なのか予知夢なのか判別すらつかないような曖昧なものだった。普段ならこんな夢は起きて数時間もすれば忘れていただろう。しかし、今日は違う。なぜなら今、目の前のテレビが今夜最接近するという彗星の話をしているからだ。画面の中のキャスターは楽しそうにこの彗星に関する情報やらどこがよく見えるのかやらを語っているが私はそれどころではない。不安感で朝食も喉を通らない。好物であるマスタードーナツのパンデリングを前にしてその様子である事からその深刻さを察して欲しい。味のしない食事を終え、玄関を出る。外には冬がどっしりと構えており、さっきまでいた場所との温度差に少し驚く。私の今日の予定はとりあえず北沢の所へ行く事だ。何をするかは特に決めていない。それにしてもあの夢は一体どちらなのだろうか?何かが落ちる夢と彗星が最接近する日が偶然一致するとも思えない。取り敢えず北沢にこの事を話してみようか。

「それは間違いなく予知夢だよ。だとしたらこんなことしてる場合じゃない。もし、彗星なんか落ちたら君の命どころか地球が危ないだろ」

テレビが依然として彗星の解説をしている中、北沢は手に持っていたポテチを袋の中に戻すといつもの勢いで外へ飛び出そうとするので私はそれを慌てて引き止める。

「ちょっと待ってくれ。まだ確定した訳じゃないんだ。予知夢にしては漠然としすぎてる」

「こんな言葉を知ってるか?」

北沢は振り返り、いつものごとく唐突にそんな事を言い出した。

「備えあれば憂いなし。万が一のために最善を尽くすべきだ」

そう言うと、「早く来いよ」とだけ言い残しさっさと部屋を後にした。

「はぁ......」

私は呆れまじりのため息をつきながら急いで上着を着て北沢の後を追った。

「実は心当たりがあるんだ」

北沢はどこかへ向かう様子なので私はその後をつけていく。

「心当たりっていうのは彗星が落ちるかもっていうことに関して?」

「そうだ。それで、今そこに向かってるんだ」

「心当たりねぇ」

私の疑惑の声に反応することなく、北沢はこんなことを聞いてきた。

「強情な隕石っていう絵本を知ってるか?」

何処かで聞いたことがあるような気がしなくもないが、はっきりとは思い出せない。

「いや、知らないな」

私は自身の記憶に白旗をあげ、そう答えた。

「内容は主人公の隕石が喧嘩っ早くて気に入らない星にはぶつかって壊していくんだが、同じ隕石仲間には優しくてラストは隕石同士がぶつかりそうになった時相手のことを想って主人公が自爆するんだ」

「色々とツッコミどころが多い絵本だな」

そもそも隕石ってなんだっけ?と言いたくなるような作品だ。深そうに見えて実は大して深い意味もないおかしな絵本といった所だろうか?なんだか一部マニアには人気がありそうだ。

「彗星も落ちれば隕石と言えるだろ?つまり、この地球にすでに隕石があれば彗星は落ちない訳だ」

「君の言うことの方がツッコミどころが多いとは思わなかったよ。まず、どうして情報源が絵本なんだよ」

質問して自分でバカらしく思ったのは初めてだ。

「絵本かどうかなんて関係ない。書いてあったからそうなんだ。そんな事より着いたぞ」

何故"そんなこと"で片付けられると思ったのかは定かでないが、例の心当たりのある場所とやらに到着したようだ。目の前には閉ざされたガラス製の扉があった。中は電気がついていないが外から入る光のおかげでおそらく飲食店である事がうかがえる。扉には手書きの字で書かれた貼り紙が貼ってあり

"12月17日より営業を終了させて頂きます。"

と書かれている。12月17日というは今日の事である。つまり、昨日が最終営業日だったということだ。そして、目線を上に向けるとそこには

"食事処「メテオ」"

という文字が今にも消えそうなほどの薄さで書かれていた。長年ここで店をやっていたという証だろう。

「この店はもう何十年もここでやってたんだ。メテオ、つまり隕石という意味の名前の店の店じまいが今日、彗星が最接近して、君が予知夢を見た日と一致するのは偶然とは思えない」

「流石に偶然じゃないかな?」

私が最初に抱いた感想である。

「さっきも言った通り、地球に隕石があれば彗星は落ちてこない。つまり、今日だけでもなんとかしてこの店を開ける事ができれば、世界を救えるんだ」

もう、ツッコミをするのも面倒だ。

「大体、店を開けてもらうなんて事出来るのか?こんな理由で」

「さあ、ただこの店は店舗と住宅を兼用してるタイプらしいから、どこかに店主がいるはずだ」

「そんな、犯罪まがいの事君一人でやってくれ」

彗星から地球を守るために不法侵入しました、なんて事で人生を棒に振りたくない。

「この計画に君が必要な理由が2つある」

「話聞いてる?」

「1つ目はそこの裏口には鍵がかかっている。ピッキングでもしないと開けることは出来ない。僕にピッキングの才能は無かったけど君にはある。これは実証済みだ」

さきほどから店の前でピッキングなどと怪しい話をしているが誰かに聞かれているのではないかと、気が気ではない。後ろを通行人の老婆が通り過ぎるのを待ってから口を開く。

「で、他に何の理由あるんだ?」

北沢は待ってましたと言わんばかりの表情だ。

「もう1つの方が大切なんだよ。彗星を落とさせないためにはメテオだけだとインパクトが弱いだろ?」

割と本気で何を言っているのか分からない。周囲を見渡し、冷たい目で見られていないかを確認する。

「実はメテオライトという言葉も隕石を意味するんだ。それで、君の名前は?」

「谷原光」

「光、つまりライトだ。君がこの店に入れば、ここはメテオライトになる」

北沢は言いたいことを言い切ったような達成感溢れる表情でこちらを見ている。

「また、シャレかよ。というか、それが言いたかっただけだろ」

「ふふっ、違うよ。はい、これ。よろしく」

北沢は少しにやけた顔をしながら、ピッキングセットを取り出し、私に押し付けてきた。もしかして、彼はずっとツッコミ待ちだったのだろうか。未だに彼の心理はよく分からない。

「あと、多分だけどここの店主、割と陽気だから大丈夫だと思うよ」

「陽気だから不法侵入も許すなんて全く筋が通ってないからな」

私はそう言いいながらもピッキングセットを受け取る。人生は一度きりだ。(北沢のような例外もあるが)なら、多少危ない道を通っても良いのでは無いだろうか。やはり、私は北沢と出会ってから少し変わったように思える。以前ならこんなこと間違いなくしなかったはずだ。"人生における最大の贅沢は人間関係における贅沢だ"という言葉を思い出す。確かにその通りかもしれない。まあ、彼との人間関係が贅沢であると言えるのかは定かではないが。例の裏口というのはちょうど表の通りからは見えない位置にあるため途中で通報されるといったことはない。鍵穴に針金のようなものを差し込み、少し前に本で読んだことを思い出しながらいじっているとカチャという扉が人を迎え入れてくれる音がした。ここから先はどうなるか分からない。多分、北沢も分からない。
扉を開けると目の前には厨房があった。一歩踏み入れ、周りを見渡す。どうやら、住宅という訳ではなさそうだ。

「店主はいなさそうだな。というか、さっきからやけにこの店に詳しいが常連か何か?」

私は後ろを振り返り、北沢に言った。

「いや、記憶にはないけど多分小さい頃に連れてきてもらった…...とかかな?でも、あの母親がそんなことするかな……。自分でもよく分からないな」

「ああそう」

彼がどういう経緯でこの店を知ったかなど別段興味がある訳ではない。明かりをつけると厨房はよりはっきりとその姿を現す。つい昨日まで使われていたせいもあってか寂れた印象は感じない。家庭用とは明らかに違う大型のコンロがあり、その上部に備え付けられている収納にはいくつかのフライパンが置かれている。北沢はそれらには目もくれず厨房を小走りで走り抜けると表側の扉の鍵を開け、内側から貼られていた例の張り紙をはがした。

「それでここからどうするんだ」

「とりあえず、彗星が一番近づく時間、夜の7時あたりまでこの店を開けていおけばいい」

「誰か客が来たらどうするんだよ」

私は客用の椅子に腰を掛け、テーブルの上を見てみるとそこには生姜焼き定食やハンバーグ定食などと書かれたメニューが備え付けられている。

「客が来なかったから閉店したんだろ。どうせ誰も来ないよ」

北沢はそんな楽観的で残酷なことを平然とした顔で言い放った。そもそも今はまだ朝の10時であり、これからランチタイムをむかえる訳で何も知らないサラリーマンがやってくる可能性だって十分にある。そして、誰かが店にやってきたときの言い訳を考えているとあっという間に12時になっていた。北沢は

「コンビニで適当におにぎりでも買ってくる」

とだけ言い残し表の入り口から堂々と出て行った。料理人のいない料理店に不法侵入者が1人である。それはもう不安以外の何物でもない。それにさっき見つけたのだが厨房の奥に2階へ続くと思われる階段があったのだ。つまり、この店の店主が今この瞬間にも頭上にいるかもしれない......いやほぼ間違いなくいるだろう。この時間まで寝ているのかあるいはそうでないのか私に知る術はないがメニューがまだそのままになっていたということは今日中に回収するために1階へと下りてくるかもしれない。そもそも、外へ出るためにはここを通らなければならないのだからそのうち見つかると考えるのが自然だろう。客への言い訳に加えて店主への言い訳も考えていると今度は目の前におにぎりが2つ置いてあった。

「ああ、北沢、帰ってたのか」

「今更?10分前にはもう帰ってたぞ」

北沢はおにぎりを片手に持ちながら眉をひそめる。

「それより、店主が下りてきたときの言い訳考えておいたほうがいいぞ」

「下りてくるって?」

「厨房の奥に階段があったんだ。きっと今も2階にいるはずだ」

私は北沢が買い出しに行っている間に考えていたことと発見したものを北沢に説明した。

「親戚に言われたとでも言っておけばなんとかなるだろ」

「親戚って」

しかし、私の心配とは裏腹に来客もなければ店主がやってくることもなく時は過ぎた。時刻は6時45分、あと15分で彗星が地球に最も近づく。私は平然と椅子に腰掛けスマホをいじり、北沢もリラックスした様子で頬杖をついてぼうっとしていた。正直なところ私たちは完全に安心しきっていたと言っていいだろう。しかし、運命は案外私たちを気にもせず裏切るもので唐突に正面の入り口が開いた。そこにはすでに定年退職をしたと思われる年齢の男性が立っており

「昨日、閉めるって言っとらんかったか? 」

と戸惑い混じりの表情で私たちに尋ねてきた。

「あ、えーと」

完全に不意をつかれた形になり私がしどろもどろしていると北沢が

「実は1日だけ延長することにしたらしいんですよ」

と少し笑みを浮かべながら読んでいた本を閉じて言った。

「ああ、そうかい……ところで」

老人がそう言おうとしたところで後ろから

「おい!お前……」

と聞いたことのない声が聞こえた。まさかと思い振り返ると厨房のすぐ近くにまた別の老人が立っていた。おそらく店主だろう。二人は無言で近づくと硬いハグをした。客としてやってきた方の老人は声を上げて泣いていた。唐突に知らない老人の号泣を見せつけられ私はその場に立ち尽くす。二人は

「会いたかった」

「ごめんな」

などと言い合い、いかにも感動の再会という様相を放っていた。私と北沢は出来るだけ物音を立てずに静かに店を後にした。

「あれはなんだったんだ? 」

私は北沢にそう聞くと

「さあね。まあ、ラッキーだと思おう」

と概ね予想通りの返答が返ってきた。二人の関係性も何も分からないが彼らの感動の涙に不法侵入という犯罪を流してもらうことにしよう。私はそう考えた。さて、スマホで今の時刻を確認すると6時50分である。あの様子だとおおよそあと10分はあのまま何かしらの感動を分かち合うだろうから私たちの作戦は成功と言っていいだろう。北沢の考えが当たるか否かは分からないが今の私には彗星が落ちないことを祈ることしかできない。

「実は近くに時間公園があるんだ。そこへ行こう。君が予知夢のことを言う前からあそこへは行く予定だったんだ」

北沢はそう言うと私を先導した。いつかにやって来た時間公園は相変わらず退廃的な雰囲気を放っており、役目を放棄した時計と萎れた花がいくつか植えられているだけであった。私たちは二人してベンチに腰掛ける。私はふと1つに花壇にだけ街灯が直接当たっている事に気がつく。以前ここで花火をした時には気がつかなかった。

「前に窪田から見せてもらった写真があっただろ?」

そう言われて私は彼が見せてきたマリーゴールドの写真のことを思い出す。

「そういえばあったね」

「あの写真にも撮影された日時が印刷されていた。そして僕はそれを覚えている」

「わざわざ覚えたのか? 」

「1999年12月17日だ」

「それは……」

1人の青年が公園にやってきた。彼はその唯一街灯の明かりを受ける花壇の前に屈む。こちらからはよく見えないがポケットから何かを取り出した。それはきっとカメラなのだろう。私は暗くてよく確認出来ないにも関わらずそう確信した。

「話しかけたりしなくていいのかい? 」

私は彼から目を離すことなくそう北沢に問いかけた。

「そんな事するはずないだろ、タイムパラドックスが起きるかもしれない」

「そうか、でも“全ての因果は収束する”んだろ?なら大丈夫じゃないのか? 」

「いや、やめておくよ。そのセリフ使えてよかったな」

結局私たちはあの青年が去るのをただ眺めていた。
きっとそれが正しい選択なのだろうと思った。空を見上げると淡い群青が尾を引いて羽ばたいていた。地上から見るとこんなにも美しいのに実際はただの氷の塊だという事実を受け入れられなかった。彗星が少しずつ見えなくなってくると私はこの空をずっと見ていたいと思った。少なくともそう感じるほどの間見ていたということだ。手元がブルっと震え、ふと目を膝元に戻すとスマートフォンはメールが届いたことを知らせていた。そしてそれは北沢も同じのようだった。私と北沢は目を合わせ、そのメールを開いた。

“この度ご応募されましたいじめに関する川柳コンテストにつきまして大変魅力ある作品ではあったのですが落選という結果になったことをご報告させていただきます。”

「落ちるって……」

私はあの夢の正体を悟り苦笑いした。

「まあ、そういうオチってことだ」

北沢は笑みをこちらに向けながら得意げにそう言った。私はため息をついた。それは疲れのせいか安堵のせいか、あるいはどこか恥ずかしい気持ちを誤魔化すためのものだったかもしれない。だだ、私の吐いた息は冷たい空気に冷やされ白くなってそして消えた。そのことだけは確かだった。

線香花火は冬に咲く

線香花火は冬に咲く

私は北沢という不思議な男と出会った。彼には前世の記憶があるらしい。そうしてたった1ヶ月の冬の物語が始まる。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-17

Copyrighted
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