浦島太郎
浦島太郎が竜宮城から帰ってきたときには、地上はすっかり様変わりしていた。
高いビルが立ち並び、コンクリートで舗装された道には車は引っ切り無しに走っている。
しかし、千年前からずっと竜宮城に籠っていた浦島太郎には、それがビルというものなのかも、道路というものなのかも、車というものなのかもわからなかった。
浦島太郎は助けを求めるように、車道へと飛び出した。
一台の車が、スリップしながら浦島太郎の前で停まる。
その車から、運転手がかんかんに怒りながら降りてきた。
「おいてめぇ!急に飛び出してきたら危ねぇだろが!」
運転手は浦島太郎の格好を見て、一瞬怒りも忘れて目を丸くした。
「何だおまえ?その大昔から這い出してきたような妙ちくりんな成りは?」
浦島太郎は着物と袴を着ていた。現代人から見れば十分に妙な成りである。
「あの、すいません」
浦島太郎は運転手にしがみついて訊ねた。
「今はいつですか?」
「いつ?いつっていうのは――時間のことか?それなら今は三時――」
「違います。時間ではありません。日付です」
「日付?今日は十一月二十二日だけど」
「何年の?」
「何年のってのはどっちのだよ?西暦か?それとも平成か?」
「西暦?平成?何ですか、それは?」
「年号だよ。あんた知らねぇのか?」
「何号?西暦とか平成というのが今の年号なんですか?」
「なんか気味の悪いやつだなぁ」
運転手は自分から浦島太郎を引き離した。
「あんたみたいなやつとは、関わり合いにならないに限るよ」
運転手はさっさと車に乗り込み、浦島太郎を置いてけぼりにして走り去ってしまった。
また一人になった浦島太郎は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
ふと、竜宮城の乙姫から手土産としてもらった玉手箱を思い出した。
乙姫からは「決して開けるな」と言われていたが、他に頼るものがない浦島太郎は、藁にも縋るような想いで玉手箱を開けた。
すると玉手箱から、もくもくと煙が立ち上り、浦島太郎の身体を包んだ。
そしてその煙が晴れたとき、浦島太郎は腰の曲がった老人になっていた。
足腰が痛んで上手く動けなくなった浦島太郎は、近くの公園のベンチの上に倒れ込んだ。
そして睡魔に誘われて、そこで眠ってしまった。
寒さで浦島太郎が目覚めたとき、浦島太郎の上にはボロボロの毛布がかけられていた。
ふとベンチの横を見遣ると、一人のホームレスが地面に腰を下ろしていた。
「あんた、そんなとこで寝て、ホームレスになる気なのかい?」
そうそのホームレスに訊ねられ、浦島太郎は首を傾げる。
「申し訳ありません。そのホームレスというのは、どういうものなのでしょうか?」
「何だ?あんた頭がダメな人か?ホームレスっていうのは家がないやつのことだよ」
「はぁ。ということは、私はホームレスなのでしょうか?」
「家がないのか、あんた?」
「あったと思うのですが、長い年月の流れによってなくなってしまいました」
「ふーん、なんかよくわからんが、訳ありってことはわかった」
ホームレスは立ち上がり、浦島太郎に手を差し伸べた。
「あんたみたいな爺さんが一から知るのは骨が折れるだろ。俺が色々と教えてやるよ」
かくして、浦島太郎はそのホームレスから様々なことを教わった。
炊き出しの場所、缶ゴミを拾い集めやすいポイント、段ボールテントの張り方――。
一か月ぐらいで、浦島太郎は完璧にホームレスとしての生活を行えるようになった。
親切に浦島太郎に色々と教えたホームレスは、別の場所に行くといってその公園を去っていった。しばらくは、浦島太郎はホームレスとして平和に暮らした。
だが、終わりは案外あっさりやって来た。
それは秋から冬になる中間の、肌寒い時期のことだった。
ベンチの上で毛布に包まり眠っていた浦島太郎は、突如何者かに叩き起こされた。
浦島太郎が慌てて視線を巡らせると、ベンチの周りを三人の若者が取り囲んでいた。
一人は耳と鼻にピアスを開け、一人は髪の毛を派手に赤く染め、一人は目つきが鋭かった。
「な、なんだ、お前らは?」
浦島太郎は怯えを含んだ、震えた声を出した。
三人の若者は何も言わず、ただにやにやと笑いながら浦島太郎に近づいた。
「誰かたすけ――」
浦島太郎は危機を察知して助けを求めようとしたが、もう遅かった。
目つきの鋭い若者が、バッドで浦島太郎の後頭部をぶん殴った。
昏倒した浦島太郎はベンチから転げ落ちた。
そして三人の若者は、寄ってたかってそんな浦島太郎を蹴り付け、殴りつけた。
老体に暴力を奮われ過ぎた浦島太郎は、あっという間に死んでしまった。
「ちっ、もう死んだのかよ」三人の若者たちはつまらなさそうに浦島太郎の死体に唾を吐き、飽きた玩具を捨てるように浦島太郎の死体をその場に残して、談笑しながら帰っていった。
翌朝、公園に転がる浦島太郎の死体を、みんな気味悪そうに避けながら通り過ぎていった。
浦島太郎