花弁

「愛してる」

彼女は笑いながら、ありがとうと言った。
そして、ごめんなさい、と。
その笑顔は嬉しさと哀しさが混ざりあったような、とても複雑で苦しそうな表情だった。
彼女が謝った理由。僕を拒否した理由。
そんなもの知っている。受け入れられないことも分かっていた。
だから、彼女の前から消したのに。
彼女のために。彼女と僕の未来のために。僕たちふたりきりの世界のために。
あんなに努力したのに、なぜ報われないのか。
何故かと考えて気づく。
彼女がまだ自分のモノではないからだと。
まだ、好きだと勘違いしている彼を諦めきれてないからだと。
そうなると、彼女の前から消すだけじゃ駄目だ。
世界から消して、全てを消さないと。
そう気づいた僕は、彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
やっぱり、彼女と僕は結ばれている。目を見るだけでわかる。
根拠は、“そうだから”としか言いようがない。
目を合わせてなにも言わない僕に彼女が小首を傾げた。
「分かったよ。待っててね」
そう言い残し、その場を立ち去る。
彼女が何かを言っていたようだが聞いている暇はない。
早く準備をしないと。消す準備を。


* *


「僕らの仲を邪魔しないでください」
部屋のすみに追いやり、ナイフを突きつける。
一応、初対面なので敬語は忘れずに。できるだけ優しく。
それなのに彼は、心を開こうとしない。
むしろ、怯えている。
まぁ、それは当然か。ナイフを突きつけられたらこうなるか。
いつも穏和で柔和な優しい顔をしている彼の表情は恐怖一色となっていた。
なんだか少し可哀想になり、ナイフをおろす。
そこで僅かに安堵する彼の声。
それが彼女を誘っていた、惑わせていたものだったのだと気付き、もう一度ナイフを突きつける。
今まで彼女のために監視し続けていた。だから分かる。
彼に欠点なんて1つもなかった。
バスで席を譲るような、落ちているごみを拾うような。
本当に心の優しい青年だった。
ただ、1つ間違えていたとすれば彼女の幸せを望まなかったこと。
彼女は僕といるべきなのだから、彼はすぐにでも彼女のもとを離れる必要があった。
それなのに、彼はそうしなかった。
自分が幸せにする、と。
本当に、心の優しい純粋無垢で哀れな青年だ。
「彼女のことは、僕に任せて貴方は逝って下さい」
精一杯の笑顔でナイフを首筋にふりおろす。
一気に血が吹き出した。上むきの弧を描きながら。
そして、だんだんと量が少なくなり、やがて止んだ。
床を見ると、血が舞っている。
彼が今年、彼女にあげたプレゼントを思い出す。

“真っ赤な薔薇の花束”

それを彼女は笑顔で嬉しいと、受け取った。
最後まで本当に彼女を愛していたのだと思えてきた。
とてつもなく不愉快だ。
薔薇の花弁のような血。消したいが、どんなに洗っても擦っても血の跡は消えないのだという。
じゃあ。
──目には目を。歯には歯を。血には、血を。
目の前の物体に近寄り、僕がさっき刺した場所に手を突っ込む。
片手で少し拡げてもう片方の手もいれる。
そして、両手を逆向きに力一杯引く。
血管の切れるような小さな音。
まだ少し生暖かい血や肉の感触。
途中邪魔になった骨は思い切り壁にぶつけると、案外簡単に折れた。
頭と胴体が別々になった。
まず頭からまだ残っている血液を床に滴拡げる。
血が足りなくなったので次は胴体もバラバラにした。
すべてのパーツが外れ、花弁のような血はようやく消えて見えなくなった。
この瞬間、彼の愛は消え去り罪も許された。
原型をとどめてない物体は、足元に乱雑に置かれている。
数は、40程だろうか。
無我夢中でしていたからこんなにあるとは思わなかった。
さて、後片付けはどうしよう。
粗大ゴミに出すには無理がある。
生ゴミなら、なんとかいけるかもしれない。
なら、もう少し細かくしないと。
僕は物体の肉をはぎ、スライスして袋に入れた。
骨は、近所の犬にでもあげればいいか。
内臓は。
離れた場所に置いてある内臓たち。
始めに目に映ったのは心臓だった。
それを見たとき、この物体が心優しい青年だったことを思い出す。
僕の良心。それは、せめて何か供え物をしろと言う。
だから僕はこのあと彼女にあげる用に持ってきた赤い薔薇を1本とった。
そしてそれを彼の心臓に優しく刺した。
彼が彼女を愛していた証として。


* *


「はい」
彼女に赤い薔薇の花束を差し出す。
彼女は少し困ったような表情をしている。
それに、受け取ろうとしない。
何故?原因は全て排除したはずなのに。
「ごめん。受け取れない」
彼女は下を向いたまま申し訳なさそうに言う。
僕はなんの反応も示さず、彼女の次の言葉を待つ。
「...まだ、彼のこと諦めてないから」
あぁ。
そこで気づく。彼女にはまだ彼のことを伝えていないのだと。
「彼なら死んだよ。ホラ」
スマホを開き、アルバムを開く。
最新の写真を表示して彼女に見せた。
それを見た彼女は口を開け、微動だにしなくなった。
暫くして荒く浅い呼吸の音が聞こえてきた。
彼女を見ると、胸を押さえ苦しそうにしている。
どうしたのだろう。
「その...心臓は彼の、もの?」
言葉が途切れ途切れで少し聞き取りづらい。
「うん。なんなら、顔のパーツも見る?眼球くりぬくとき左は失敗しちゃって傷がついてるけど」
その言葉を聞いた彼女はますます息を荒くさせる。
苦しそうに座り込み涙を流した。
その涙がとても美しく、こんな汚ならしい写真を見せるべきではないと思った。
そっと電源を切りスマホを仕舞う。
もう一度、脇に抱えていた花束を差し出す。
すると、彼女は花束を思い切り手で払った。
それは宙を舞い、花弁を散らしながら落ちていく。
僕はそれを呆然と見つめ驚いた。が、それはすぐに殺意へと変わった。
僕の愛の結晶を払い落とすだなんて。
何故?何故分からないのか。
君に伝わらないのか。僕の愛が薄いから?軽いから?
もっと花束が必要?
──じゃあ、君が花束になって。
落ちている薔薇の花を拾いあげ、茎だけを持つ。
それを彼女の首筋の血管のある場所にあて、引いた。
棘が肉に食い込み浸食していく。
やがてそれは血管を切り、綺麗な花弁を舞わせた。
彼女はゆっくりと倒れ、僕に身を委ねる。
きっと、花弁が舞ったことに満足しているんだろうな。
良かった。
これでもう、君は僕のモノだ。
僕は座り込み、彼女を膝枕する。
美しいその顔には幾つかの花弁。
彼女を取り囲むように拡がる真っ赤な花弁。
僕は手近にある薔薇の花を折り、彼女の髪に添えた。
とても美しい。
これが、僕の愛。
僕たちの愛。

「愛してるよ」

花弁

花弁

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-15

Copyrighted
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