私の臨死体験

 私の場合は脳死でなく臨死だった。生き返ったからだ。
若い独身のころ使っていた風呂は今のユニットバスのような安全なものでなく、木製の浴槽の下にガスの焚口があり、排気ガスが浴室にこもりやすかった。入浴中にガスのにおいが気になり、窓を開けるために立ち上がろうとして体の異変に気がついた。頭ははっきりしているが足、腰に力が入らない。腕を伸ばしてやっと窓を開けた。とたんに全身の力が無くなってヘナヘナと浴槽によりかかったまま気を失った。その状態で何十秒たったか、何分たったか分からないが危機一髪だった。窓を開けるのがあと1,2分遅れたら浴槽に沈んで死んでいたと思う。窓の隙間から吹き込んだ新鮮な空気で私は蘇生したのだ。ガス中毒による苦痛は全くなかった。何の意識も映像も音もなかった。しかし、一酸化炭素の恐ろしいアタックをうけた結果、頭がだいぶ悪くなったかもしれない。これが私の臨死体験である。
 私の場合は全く何も感じなかったが、臨死の際の現象としていくつか言われているものの中に光のトンネル、遠くから呼び寄せる声が挙げられている。どうしてこのような現象が起こるのかを悪くなった頭で考えてみた。脳細胞の活動がなくなって脳死状態になれば臨死現象は起こらないが、脳細胞がまだ生きていたら起こりうると思う。医師が生死を判定するために瞳孔にあてた光が刺激となって、光のトンネルや光の輪が認識されるかもしれないし、家族が耳元で呼びかけた悲痛な声が刺激となって、彼岸や此岸から聞こえる声が認識されるかもしれない。私の場合も救急車がきて大騒ぎになっていたらこのような現象を体験したかもしれないと思っている。
また、人生回顧を映し出す走馬灯も臨死に際して現れるという。脳細胞が瓦解しようとする時に放電して、蓄積されていた記憶もいっぺんに放出されてしまうためだろうか。しかし、私の場合は臨死でなくても走馬灯はすでにゆっくりと回り始めているようだ。昔の事に想いを廻らすせいか、近ごろ眠りに入ってから懐かしい人達の夢を見ることがしばしばある。
 私の次の臨死体験はどのようなものか興味深い。もし運よく生き返ったら、また御報告しましょう。
                                                 2016年11月7日

 

私の臨死体験