おおかみが街を徘徊する夜

 おおかみが街を徘徊する夜にだけ眠ることを許された人がいます。
 ぼくは、明日になるといなくなる人と、明後日になると土の中から生まれてくる人と、明々後日になると空から降ってくる人が誰であるかを知っています。明日の天気は雨のち雪、夜は宇宙でぶつかりあい砕け散った星々が落ちてくるでしょうと、ぼくのスマートフォンが言っていました。小石のような星々が落ちてくる夜に、おおかみは街を徘徊します。つまり、おおかみが街を徘徊する夜にだけ眠ることを許された人たちが、明日は約三週間ぶりに眠りにつくことができるのです。よかったね。おおかみたちがゴミ捨て場を荒らし、店の看板を破壊し、野良猫を食い散らさないよう、おおかみが街を徘徊する夜に眠ってはいけない人たちが見守っているので、安心しておやすみ。
 ぼくの大好きなキミが、おおかみにさらわれた夜のことを、ぼくは一生忘れない。
 あれから二ヶ月が経つけれど、キミの行方は不明で、生死も不明で、ぼくは、街に現れるおおかみたちを狩っては、キミを連れ去ったおおかみのことを探し回っている。おおかみたちは一様に無口である。仲間意識が強いのか、ぼくのキミをさらったおおかみの特徴を並べ立てても、おおかみたちはそんなやつは知らぬと答える。おおかみは人間を食べるのかと訊ねると、種による、と言う。キミのことを話しても、そんな人間は見たことがないと厭きれて寝そべる。ぼくに殺意がないことを、おおかみたちは覚るのである。おおかみというのは静かにしていると、犬と然して変わらないなあと思いながら、ぼくのことを憐れんでいるのか一切の抵抗をしてこないおおかみの背中を撫でる。毛は、意外とかたい。
 この国では両者合意の上であれば、獣と交尾することが許されています。
 おおかみと人間がそれをすることも当然可能であるが、交尾の際におおかみが人間の首を噛み切る事例が発生したために、五年前からおおかみとの交尾は法律で禁止となった。おおかみが人間を好きになり、人間がおおかみに恋をし、お互いの想いが通じ合ったとしても、それが公になれば二人は強制的に断絶される。内緒で交際を続けようものなら、おおかみは殺処分される。人間は罰金だけで済むのだから、とんだクソ法律だと、キミは怒っていた。
 そういえばキミは、おおかみに人一倍の興味を抱いていた。
 おおかみが街にやってくる周期を、熱心に調べていた。棲んでいるところを、酷く気にしていた。なにを食べ、なにを考え、なにを想い生きているのか、ぼくたち人間にはわかりえないことを想像していた。雄と雌、おおかみと人間という異性異種にこだわるかどうかをキミは、キミをさらったおおかみに訊ねていたっけ。キミをさらったおおかみは、おそらく雄であった。他のおおかみよりも一回りくらい、からだの大きいおおかみだった。
 おおかみが街を徘徊し始めた頃、ぼくも街を練り歩きます。
 小石のような星々は時折、ひとつ、またひとつと落ちてくる程度でした。雨用の傘でも十分にやり過ごせるのでした。
 おおかみたちはお互い近づきすぎず、離れすぎずの距離を保ちながら、のそのそと歩いていました。おそらく年若いであろうおおかみが、ゴミ捨て場の青いポリバケツに体当たりしたり、パン屋さんの軒下にある木製ベンチの匂いを嗅いだり、いかがわしいお店のピンク色に光り輝く看板を噛み砕こうとしたりしていた。ぼくはそういったやんちゃなおおかみではなく、周囲の観察を怠らず、状況を慎重に見極め、何かに接触するときも細心の注意を払っているような頭の良さそうなおおかみを選び、キミのことを訊ね回った。
 こういう人間を知らないか。
 ぼくはある一匹のおおかみに、キミの写真を見せました。おおかみは、雌のおおかみでした。
 写真をじっくり眺めたあと、鼻をすり寄せた雌のおおかみは、ひとつ息を吐き、そして、
「知っているわ」
と答えました。
 ぼくは勢いで、キミの写真を握り潰してしまいました。
 い、生きていますか。ぼくは訊ねました。
「生きているわ」
 ど、どこにいますか。
「西の森を越えたところ。けれど、遠くに行くと言っていたから、おそらくもうこの国にはいないと思う」
 どうして遠くに行く必要があるのだろう。ぼくは思いました。
 キミの居場所はここではないか。ここにはキミの家族が、おとうさんが、おかあさんが、お兄さんが、妹さんが、おばあさんが、いるではないか。ぼくだって、いるではないか。学校だって。
「あの人間は、あるおおかみと契りを交わしたの。ここには一生戻らないでしょう。でも安心なさい、人間。おおかみは皆一途であるから、愛した者を無闇に殺したり、見捨てたりしない」
 そう言って雌のおおかみは、ぼくの前から去って行きました。
 ぼくはその場から動けずにいました。足の裏が地面に貼りついてしまったような感じでした。ぼくを避けて、おおかみたちはのそのそと歩いてゆくのでした。
 契りを交わしたの、という雌のおおかみの言葉が、頭の中をぐるぐる回っていました。物体となった雌おおかみの言葉が、脳の周りをメリーゴーランドの馬のように回っているのでした。
 おおかみとする、セックス。
 ぼくはその光景を想像してみましたが、だめでした。うまくイメージできませんでした。
 おおかみの子どもも、人間の子どもも生むことができないキミは、それで幸せなのか。
 首を噛み切られることがあるやもしれぬが、キミはそれでもおおかみを選ぶのか。
 落ちてくる星の数が、次第に増えてくる。
 ぼくのからだに打ちつけてくるのは、つまるところ、星の死骸なのです。

おおかみが街を徘徊する夜

おおかみが街を徘徊する夜

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-13

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND