雪姫物語

[プロローグ]


私は美しい。私は美しい。私は美しい。
この美貌を全ての女達が羨望し、この肢体の前に世の男達は平伏す。
それなのに、何故この鏡は私より雪姫を選ぶのだ……?

「魔女(まお)よ、一人で何をぶつくさと申しておるのじゃ?」
いつも堂々たる態度で兵を仕切る魔女の異様な空気が滑稽だったのであろう、一瞬の含み笑いの後に竜獣(りゅう)はすぐに表情を戻した。
魔女の機嫌を損ねでもしようものなら、魔の力で自我を失った怪物にされてしまうからだ。
短い金髪、太めの眉、垂れた目、鼻の下から顎にかけて生えた長い金色の髭、少し毛深い腕……王の貫録を感じさせるその全てが一気に豹変し、見ているだけで気分が悪くなる様な、腐敗臭が漂う怪物。
背丈こそ変わらないものの、人の姿を失ったその様は、ゾンビの様でもあり、視点を変えれば人の心の奥底に潜む悪意が靄(もや)と化した物の様でもある。
過去に一度だけ怪物にされた事があり、その時は城の兵が全滅しかけたが、とあるたった一人の護衛兵の活躍で竜獣は我に返り、本来の姿を取り戻した。
しかしそれ以来、竜獣の魔女に対する態度には威厳の欠片もなく、事実上の国の支配者は魔女となった。
「何か気掛かりな事でもあるのか?」
今度は優しい口調で問い掛けた。
魔女の機嫌を損なわぬ方法、それは沈黙か、最底辺までへりくだるかの二つである。
魔女の美しさに惹かれ妃として受け入れたが、それが大誤算であった。
城を乗っ取られ、命を握られ、反抗も命令も出来ず、国王とは名ばかりの、まるで操り人形の様な生活を強いられる毎日。
いつしかそんな日々が当たり前になり、魔女の言いなりになる事に違和感すらも感じなくなっていった。
されど竜獣も人の子、時折口が滑ってはハッと気が付き、すぐにご機嫌取りを行うのである。
「良ければ私にも話を聞かせてはもらえぬか?」
「……雪姫ちゃんの護衛兵を一人、連れて来てよおう!!」
涙を浮かべながら魔女が言った。
魔女の七不思議の一つ、《感情が高ぶると幼児化する》発動である。
竜獣と魔女が居る部屋は城の中でも特に造りが込んだ王の間で、とても広く、シャンデリアや大きなソファ等が豪華に揃っている。もしも城下町に住む民間人が一晩でも此処で過ごしたなら、二度と自宅へ帰りたくはないと思うかもしれない。それ程にこの王の間は壮麗で煌びやかなのだ。
戦や催し物の日以外、竜獣は此処で雑務をこなし、魔女は自らの美貌を誇張する様に、寝食を忘れて鏡に見入る事が日課である。
他人を近くに置く事に嫌悪感を覚える魔女を気遣い、この大広間には二人きりである為、国王である竜獣が自ら出向くしかなかった。
竜獣は腰を上げ、一つ下の階にある雪姫の部屋へ赴き、お茶を出そうとしていた、一人の兵を呼んだ。
彼の名は心(しん)。
竜獣が十五の時から護衛兵を務めている老爺(ろうや)だ。
この国の王女であり、竜獣と魔女の娘でもある雪姫が三つになると、その世話は全て心が行った。
老爺と言っても、ピンと伸びた背筋や綺麗に生え揃った銀髪で若々しく見える。低く落ち着いた声には色気さえも感じられる程だ。
人望に厚く、魔女や雪姫も慕っている為、事ある毎に決まって呼び出されるのがこの男である。
初めて竜獣が怪物と化せられた時にその場を収拾したのも、実は心であった。
清らかな心に剛直な身体、これで顔立ちも整っているのだから、兵としても人としても言う事なしだろう。
竜獣と心が王の間へ着くと、魔女は部屋の奥のソファに座ったまま、神妙な眼差しで二人を見遣った。
いつもと明らかに様子が異なる魔女に増々の疑問を抱かざるを得ない竜獣であったが、それを口にはせず、魔女の位置から若干離れて腰を掛けようと、室内へ進んで行った。
心は入り口から一歩進んだ所で立ち止まり、跪(ひざまず)いた。
「王妃様、お呼びでしょうか」
「竜獣ちゃん、ちょっと席を外して頂戴!魔女は心ちゃんと二人きりでお話があります!!」
腰を掛けようとした瞬間、シッシ、と追い払う仕草をされ、竜獣は少し寂しそうな趣で、扉の方へ引き返して行った。
「それでは、話が済んだら呼んでおくれ。私は少し休ませてもらうよ」
竜獣が去ったのを確認し、魔女はゆっくりと口を開いた。
「心ちゃん、この国で一番美しいのは誰か、正直に答えてごらんなさい」
「はい。それは王妃様、貴女様でございます」
「……そうじゃない、そうじゃないのよ、心ちゃん」
「…………?」
想定外の魔女の言葉に、心は何も言えなかった。
「今、この国で一番美しいのは私じゃない、雪姫ちゃんなのよ。今朝、魔法の鏡が突然そう言ったの。いつもは私が一番だと言ってくれていたこの鏡が、雪姫が一番美しいって……そう言うのよ。何度も、何度も何度も問い掛けたけど、駄目だった。私は負けたのよ、心ちゃん……」
魔女は身体を震わせ、俯いてしまった。
強く握り締めた掌からは、濁った緑色の粘着質な液体が滴っていた。
血である。
魔の力を手に入れたその時から、魔女の身体の中にはこの様なおぞましい血液が流れている。
魔女は立ち上がると、ゆっくりと歩き出し、跪く心の顎をくいっと上げた。
心は思わず、魔女と目を合わせてしまった。
魔女の大きな瞳は涙で潤い、輝きを増していた。
漆黒の夜空に億千もの流れ星が降ったのかと思わせる程に、それはとても美しかった。
こんな瞳に見つめられたら、吸い込まれる様に魅入ってしまう……。
「でも、大丈夫。私は美しい。それは変わらない。たった今、それを心ちゃんが証明してくれたわ。ただ、一番ではなくなってしまっただけ。だから――」
だから、雪姫を殺せ。
心には先の言葉が安易に読めた。
それまで美しく見えていた、手入れの行き届いた黒い長髪も、程良く膨らんだ真っ赤な唇も、全てが取って付けた様な、不気味な表情(いろ)に変わった。
物凄いプレッシャーに耐え切れず、心は魔女の手から逃れる為に、顔をふいっと逸らしてしまった。
魔女は一瞬大きく目を見開いたが、ふぅ、と大きく息を吐き、心から離れた。
「この事は、国王には決して言うでないぞ。面倒が増えるからな。万が一、告げ口でもしようものなら、お前を蜥蜴(とかげ)にして喰ろうてやる」
その晩、竜獣はこっそりと心を小部屋へ呼び出した。昼間の魔女との話が妙に気になったのだ。一度は断ったが「この国の王は私であるぞ」ときつく言われ、心は事の全てを話した。
「なんと、魔女が雪姫をとな?いつかはこんな日が来る気はしておったが、まさか、こんなにも早く……うーむ、どうしたものか。雪姫は私の可愛い娘、絶対に殺させなどせぬぞ!!」
  突然の、それでもどこか納得のいってしまう話に、竜獣の身体は震え立った。
「恐れながら国王様、王妃様の魔のお力は壮大でございます。国王様ご自身が初めて怪物と化せられてしまった時の事を、どうかお忘れにならないで下さい」
「分かっておる。情けない話じゃがのう……」
竜獣が幼い頃からずっと傍にいる心には、竜獣の気持ちが痛い程に分かった。
竜獣が城下町の視察に行ったあの日、暴漢達に襲われる魔女に偶然出会ったあの瞬間が、竜獣の運命の大きな分かれ道であった。
せめて傷を負った魔女の足首から僅かに流れている血の異常さに気付いてさえいれば、国も、城も、全てが違っていた。
王と民が心を通じ、他国とも友好な関係を築いていた過去が、今となっては夢物語である。
竜獣は暫く悩んだ末に、何かを決意した表情を浮かべ、口を開いた。
「心よ、これより申す事をよく聞くのじゃ。この国より遠く東に行った所に大きな森がある。リリミアという妖精達の住む国じゃ。そこに小人達が住んでおる。私の古い友人でな、その者達に雪姫を託すのじゃ。お主は猪の心臓を雪姫の物として持ち帰れば良い。引き受けてくれるか?」
「御意」
小人達の話は、心も聞いていた。
竜獣が八つの時、数人の小人達がロームマイン国に迷い込んでしまった事があった。
路地の影でコソコソとする小人達に気付いた竜獣は好奇心から城を抜け出して近付き、友達になった。しかし、竜獣王子が得体の知れない生物と一緒に居るのを見た、との通報を国民から受けた兵が、小人達を捕え、当時の国王の元へ連れて行った。
今までに見た事もない小人達の容姿に恐怖を覚えた国王は殺す様に命じたが、竜獣が命掛けで止めたおかげで、遥か遠くの地へ行き、二度とこの国に近付かない事を条件に解放した。
送還には竜獣も同乗し、「何か困った事があったらいつでも私達が竜獣君を助けるからね」と約束し、泣く泣く別れたのだった。
それ以来、小人達がロームマイン国に近付く事はなかったが、伝書用の鳥を用いて手紙を出し合い、今でも魔女の目を盗みながら文通を続けているので、三十年来の大親友だ。
「礼を言うぞ。そなたにはいつも苦労を掛けてきたな。されど、これが最後の頼みじゃ。雪姫をリリミアへ送り届け戻って来た時、そなたをこの国から追放する。さすれば自由の身じゃ。勿論、資金はそれなりに提供するから案ずる事はない。そなたももう六十。残りの余生、自身の好きな様に生きるが良い。私は明朝、リリミアへ赴き、小人達へ手紙を出して参る。リリミアまではどんなに急いでも四日は掛かる。もしも魔女より今すぐ雪姫を殺せとの指示があったら、人の気のない良い土地があるからと、場所は任せて貰える様に頼んでくれぬか?そしてなるべくゆっくりと向かって時間を稼いで欲しいのじゃ」
「仰せの通りに。折角ですから手紙などと言わずに直接お話しされて来てはいかがですか?」
「今の私の情けない姿を、友人に見られたくはないのじゃ……」
心は何も言えなかった。
竜獣はふっと微笑み、簡易な地図を書き始めた。
「この地図に記された通り、森の中心よりやや東に小人達の住む小屋がある。この付近で降ろしてやってくれ。そして、着いたらこれらを雪姫に。すまぬが森での戦闘の術を教えてやってくれ。リリミアには、“ジューノ”を持つ者達が多いのでな。では、下がって良いぞ」
そう言って、心に地図と金、薬草、短刀を手渡した。
「国王様……貴方様のお気持ち、確(しか)かとお受け取り致しました」
――次の日の朝、竜獣は地下室に雪姫を呼び出した。
殆(ほとん)ど使用されないこの部屋には重苦しい空気が漂い、来る者の息を詰まらせる。
「お父様、何かご用?」
雪姫は機嫌の悪そうな声でそう言った。
綺麗な物を好む雪姫は、この様な場所に呼び出された事自体に嫌悪感を覚える様で、顔を顰(しか)めている。
「雪姫よ、今日の気分はいかがじゃ?」
「そんな事を聞くために、私をこんな辛気臭い所にわざわざ呼び出したの?お父様、私ももう子供じゃないの、毎日遊び呆けているわけではないのよ。用もなく呼び出すのはやめて頂戴!もう戻ります……って、ちょっと!?」
突然、竜獣は雪姫を抱き寄せた。
簡単に折れてしまいそうな、か細い手足、厚みがないのではと思う程に、華奢な腰……顔も、身体も、髪も、その全てが何物にも代え難い珠玉の様だ。
「本当に可愛い娘じゃ、そなた程に愛らしい者を私は知らぬ。私はお前を世界で一番愛しておるぞ。ああ、雪姫、雪姫よ……」
強く、きつく、抱き締めた。
温もり、柔らかさ、雪姫の存在を深く感じる様に。
愛情の全てを、捧げる為に……。
目からは滝の様に涙が溢れ、鼻汁を垂らし、竜獣の顔はもう、ぐしゃぐしゃになっていた。
「……っ!もう、痛いからいい加減に放して!お父様ったら、朝から酔っていらっしゃるの!?私はもう戻りますからね!!」
絡みつく竜獣を引き剥がす様にし、雪姫は去って行った。
竜獣はその場に膝を落とした。
泣いた。叫んだ。胸を掻き毟った。

憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い――
愛娘一人守れぬ自分が、憎くて憎くてたまらない――!

「……国王様、こちらをお受け取り下さい」
どれ程の時間が経ったのであろう。
いつまでも王の間に戻らない国王を心配し、心がやって来た。
その手には桃色のハンカチがあり、よく見ると《ゆきひめ》と刺繍が施されていた。
「これは……?」
「雪姫様が幼き頃、毎日大切に持ち歩いていた物でございます」
竜獣はハンカチを受け取り、両手で抱く様に握り締めた。
仄(ほの)かに、雪姫の香りが漂った気がした――。
小部屋へ行った竜獣は小人達宛の手紙を書き、魔女に「各国の偵察の為、暫く留守にする」と告げ、城で飼育する最も速い翼竜に乗って、リリミアへ向かった。
――手紙を出し、ロームマイン国へ戻った時、既に五日もの時が過ぎ去っていた。
「魔女よ、今戻ったぞ。長く留守にしてすまなかった。雪姫の姿が見えぬが何処へ行ったのじゃ?」
「……心と共に、遠くの森へ花を摘みに行きました」
魔女は竜獣の方を見ずにそう言った。
どうやら心はうまくやった様だ。
「そうか。すまぬが長旅で疲れた、今日はもう休ませてくれ」
「…………」
寝室へ行き、うつ伏せにベッドに倒れ込んだ竜獣を、深い哀惜の念が襲った。

もっと沢山、可愛い物を着させてやれば良かった。
もっと沢山、美味しい物を食べさせてやれば良かった。
もっと沢山、抱き締めてやれば良かった。
もっと、もっともっと、一緒に居たかった――。
守ってやれなくてすまない。こんなにも情けない父を、どうか恨まないでおくれ。
許さなくて良いから、愛さなくて良いから、どうか私の事を、お前をこんなにも愛した父が居た事を、ずっと、ずっと、忘れないでおくれ。
「さらば、私の最愛の娘、雪姫……」
竜獣は目を閉じ、眠りについた――。



[エピソード1 旅立ち]


私は今、兄さんと共に巨龍に乗り、遠く東にある森を目指している。
と、言うのも、兄さんから「深い黒色の花を咲かす、とても珍しく貴重な植物があるので摘みに行きませんか」と誘われたのだ。
両親には内緒にしているが、実は私は無類のお花好きで、幼い頃はよく、こうして兄さんと遠くまで出掛けては、希少価値のある物と、見た目が気に入った物のみを摘み帰り、押し花にして大切に保管している。私の部屋にある、掌二個分程の大きさの小さな宝箱は、過去に集めた押し花達でいっぱいだ。
それら一つ一つに思い入れがあり、暇が出来ては独りぼっちの観賞会を開き、昔を懐かしんでいる。
しかし年を重ねると私にも王女としての雑務が入り、お母様に外出の許可を頂けない為、なかなか遠出をする事が出来ていなかった。
正直、今回こうして数日間もの外出許可を頂けたのは奇跡に近い。
そういう理由で、今回の外出にはとても心が躍る。
どんなお花が私を待っているのか、楽しみで仕方がない。
道中も、通りすがりに幾つか興味深い植物を見付け、寄り道をしながらのんびりと目的地を目指して、平地や森の中を走っている。
兄さんとの会話も楽しいので、良い事尽くしである。
言い忘れたが、兄さんとは、私の身の回りの世話や護衛をしてくれている、心(しん)という名の老兵だ。お父様より年上なので、勿論、実の兄ではないが、兄も姉も居ない私にいつも良くしてくれる。兄さんと共に育った、と言っても過言ではないかもしれない。寂しい時、悲しい時、怒り狂った時……私が人の温もりを欲して誰かに甘えたいと思っている時に、いつも傍に居て相手をしてくれる心の事を、私はいつしか兄さんと呼ぶ様になっていた。
「こうして兄さんと遠出をするのは久し振りね。行先はどんな森なの?」
「それは、着いてからのお楽しみでございます」
「相変わらずケチね。ねえねえ、兄さんって彼女とか居ないの?」
「私の生き甲斐は、ロームマイン国の兵として尽力する事ですので」
「ふ~ん……貴方、綺麗な顔立ちをしているのに、何だか勿体ないわね。そうだ、私が彼女になってあげようか?」
「光栄でございます」
「ふふ、冗談よ。私が貴方の様な老爺を相手にするわけないじゃない?」
「…………」
「あれ、怒っちゃったかしら?」
「いえ。そろそろ日が落ちます、今日はもうテントを張って休みましょう」
「……私に野宿をさせるのなんて、兄さん、貴方だけよ」
「ご安心下さい、私が見張っておりますので」
「ありがとう、宜しく頼むわね」
何て事のない世間話をしている内に、あっという間に時間が過ぎ去って行く。楽しい時間程、早く終わってしまうものだから。
瞬く間に通り過ぎた、こんな平穏な一瞬一瞬を、私は絶対に忘れない――。
――兄さんは一晩中、本当に寝ずに見張りを続けてくれていた。
私が時折目が覚めてテントの外に出ても、一度足りとも寝ている姿を目にする事はなかった。
「寝なくて大丈夫なの?」と問うと、「ご心配なさらないで下さい」だなんて言っていたけれど、何日間も眠らずに巨龍の操縦や見張りを続けるなんて、相当辛い筈。
それなのに溜息の一つも決して漏らさない兄さんには、いつも感心させられる。
その堅実さもあって私は兄さんにはかなり心を開いている。
お父様やお母様より、ずっとずっと、頼りになる。
――そんな日々を十日程繰り返し、深い森へ入って少しした所で、私達は巨龍から降りた。
辺りには草木がお生い茂り、日の光が殆ど入らず、薄暗かった。
鳥の声が不気味に響き渡った。
「何だか嫌な雰囲気ね、長居はしたくないわ。早くお花を探……」
突如、私を庇う様な形で、兄さんがずいっと前に立った。
「どうしたの?」
「雪姫様、よく見ていて下さい!」
兄さんがそう言い終るか終らないかのタイミングで、何かが突然飛び掛かって来た。
「ちょ、きゃああああああああ!?」
兄さんは腰に携えていた短刀を引き抜き、大きく振り下ろした。
血飛沫と共に落下したのは、小さな栗鼠(りす)だった。
あっさりと刎(は)ねられ転がった首をよく見ると、額部に妙なマークが刻まれている。
「何、何何、何なの!?何で栗鼠が私達を襲ったりするの!?」
私は恐怖を掻き消す為に、既に屍となった栗鼠の身体を踏み潰した。
頭部を失った首から、ぶにょりと内臓が溢れた。
兄さんは何も言わずに、ただただ、その様子を見つめていた。私がこういう行動を取る事は、珍しくないので、特に何も言う事はないのだろう。
次の瞬間、今度は右方向から何かがこちらを目掛けて飛んで来た。
兄さんは再び私の前に出て、短刀の峰でそれを叩き落とした。
掌程の大きさの蝶である。
「雪姫様、この蝶は貴女様の額部を狙って来ます。ぎりぎりまで引き寄せ、この短刀を使って一気に斬り付けるのです。この蝶からの打撃なら多少受けても大した衝撃はありませんのでご安心下さい」
そう言って兄さんは私に短刀を手渡した。
訳が分からなかった。
どうして森の生物達は私を襲うのか?そして、何故その動物を私が自らの手で殺さなくてはならないのか……?
何の為の護衛なのよ、と思ったが、いつにも増して真剣な趣で短刀を手渡す兄さんの姿から、私は直感的に言う通りにした方が良いと判断し、恐る恐る手に取り、両手で構えた。
すると先程の蝶が再びこちらを目掛けて飛んで来た。
その姿はまるで獲物を狙う鷹の様である。
「……っ!この私を狙うなんて、生意気なのよっ!!」
そう言って、短刀を思い切り振り下ろした。
蝶は見事に真二つになり、ひらひらと落ちていった。
「はあ……はあ……はあ……」
思わず、その場にへたり込んでしまった。
鼓動が激しい。身体は震え、顎がガクガクする。
兄さんは何か呪文の様な言葉を連ねた後に、私の手から短刀を取り、鞘におさめた。
「……ちょっと兄さん、どういう事なの?何故、栗鼠や蝶が私を襲ったりするの?こんな訳の分からない所に私を連れて来たりして、一体どういうつもりなのよ!!――ああもう、良いから帰るわよ、早く支度をしなさい!」
「雪姫様、はっきりと申し上げます。私は貴女様を殺す為にこの森へ連れて参りました」
「……貴方、一体何を言っているのよ?」
まるで別人の様だった。
口調はいつもと変わらないものの、どんな時にも穏和な表情で接してくれる兄さんが、こんなにも冷酷な事をさらりと言ってのける様は、信じ難い光景だった。
素直に、兄さんが怖い、と思った。
「王妃様のご命令でございます。王妃様が毎日行っている鏡とのやり取りはご存じですよね。それに王妃様が満足しておられた事も。しかし先日、大変な事が起きました。鏡が、この国で一番美しいのは雪姫様だと申したのです。その事に大変なショックを受けられた王妃様は、私に雪姫様を殺せと命じられました」
「そんな……兄さん、まさか私を裏切る気じゃないでしょうね……?」
 兄さんを睨んだが、兄さんは動揺した様子も詫びる姿も見せずに淡々と言葉を続けた。
「ですから、雪姫様に帰る城はもうありません。貴女様はその美しさ故に見捨てられ、命をも奪われる事となったのです」
「ちょっと待ってよ。そんな、馬鹿な話……」
言いかけて、黙った。
馬鹿な話?私ったら、何を言っているの。
今まで生きてきた中で、お母様の愛を感じた事なんて、ただの一度もなかったじゃない……!
「そうだ、お父様は!?お父様は、何もおっしゃっていなかったの?」
「国王様は、他国の偵察へ出掛けられておりますので」
「――っ!ああ、そっか、私……うん。そっか、そっか……」
先日のお父様との地下室での出来事を思い返せば分かる事だった。
あの時お父様があんなに取り乱していたのは、私がこうなると知っていたから。全部お母様のせいにして、自分だけは許しを請うつもりで私のご機嫌を取ろうとしていたのね。
お父様はいつもそうだった。
私がお母様に殴られそうになった時も、辱めを受けた時も、助けてくれるのはいつも兄さんで、お父様は慌てふためくだけで何もしてくれなかった。
国王という立場から何も出来ないのだと思っていたけれど、きっと、そうじゃない。
お父様は、ただ面倒だったんだわ。
私という存在が、重くて、疎ましくて、邪魔だった。
現に今回だって、愛してるとか何とか調子の良い事を言っておいて、自分は他国の偵察を言い訳に逃げ出した!
お父様は卑怯よ。
いいえ、お父様なんかじゃない、父親らしい事なんて、何もしてくれなかったもの。
父の仮面を被った、ただの道化師よ。
役立たず、役立たず、役立たず――!!
強く噛み締めた唇の内側から、血の味がした。
「雪姫様、どうかお気を確かに。ここからは私の独断となりますが、これまでにお世話になりました、せめてもの恩返しとして、貴女様をお助け致します。命だけは奪わず、お逃がし致します。貴女様は自由になられたのです。もう、国の事も、王妃様の事も、何も考えなくて良いのですよ。王女という呪縛から解かれたのです。これからはご自身の好きな様に、ご自身の為だけに生きて行けば良いのです。但し、一つだけ問題があります。こちらをご覧になって下さい」
そう言って、兄さんは真二つに裂けた蝶の片方の欠片を拾って見せた。
「額部に、奇妙な文様がありますよね?先程の栗鼠にも同じ物があります。これはジューノと呼ばれる刻印で、言わば王妃様の呪いでございます」
よく見ると、ジューノと呼ばれるその刻印は、上から焼き付けた物というより、生まれた時から当たり前にそこにあった様に見える。
その絵柄は非常に細かく、何を記しているのかまでもを近くで凝視する気にはなれなかった。
「ジューノ……呪い……?」
「そうです。この森、リリミアは、王妃様の呪いに掛かっているのです。リリミアで生まれる生物は、王妃様に、精力を日々少しずつ吸い取られます。それ故に王妃様はその者達にお命を狙われているのです」
「精力って……お母様はどうしてそんな事を?」
「永遠の美しさを手に入れる為です。雪姫様も王妃様の日々の行動を見ていれば納得のいく話かと。そして必然的に、王妃様の血が半分流れている雪姫様もまた、その恩恵を受けておりますので、狙われる運命にあるのです。呪われた土地はこのリリミアのみならず、世界の至る所に存在しております。その土地が呪われているか否かは、そこに住む生物達の額部にジューノがあるか否かで見分けるしかありません。今は私の呪文で雪姫様の血を隠していますが、私から二百歩も離れれば容赦なく様々な生物に命を狙われるでしょう。どうやら、ジューノを持つ者と雪姫様との距離が樹木三本分程に近くなると、存在を感知されてしまうようです」
「…………」
兄さんは先程の短刀を額に当てて目を瞑り、何かを呟き始めた。
何を言っているのか、全く聞き取れなかった。
多分、聞こうとすらしていなかった。状況を理解し、受け入れようと、必死だった。
数秒後、少量のお金と薬草と共に、その短刀を私に手渡した。
「……こんな物で、私を救った気になんて、ならないでよね…………」
私は心に聞こえない様に小さくそう呟き、摘んだお花を持ち帰る為に持って来ていた大きめのウエストポーチに、それらを入れた。
大きい筈のポーチはパンパンに膨れて、一気に重たくなった。
こんなつもりで持って来た物じゃなかったのに。
こんなつもりで外出した訳じゃなかったのに……。
「その短刀には私の魔の力を込めておきましたので、きっと雪姫様のお役に立つ事でしょう。先ずは騙されたと思って東を目指して進んで行って下さい」
「魔の力?ねえ、さっきの呪文といい、兄さん、貴方ひょっとして……」
「それでは、私はこれにて。長い間お世話になりました。貴女様の事は死んでも忘れませぬ。どうか、お幸せに……」
「あ、ちょっと!?」
「…………」
――私の最後の問いに答える事なく、兄さんは深々と頭を下げた後に、巨龍に乗って去って行ってしまった。
独り、取り残された私は立ち上がり、目の前に堕ちている蝶をすり潰す様に踏みにじった。
粉々になった蝶の欠片は風に舞い、飛んで行った。
――それから数時間後、日が落ちかけた頃には、私の服も靴も、真っ赤に染まっていた。
短刀はポーチにしまわず常に刃を向いている。次から次へとジューノを持つ者が襲い掛かって来るのでしまう暇もないのだ。
栗鼠と蝶から始まり、蜘蛛(くも)、蜥蜴、蛇、蛙、山猫……様々な生物に襲われたが、どれもこれも額部を狙ってくる事が分かっていたので狙い斬る事が出来た。
流石に熊に襲われた時はたじろいだが、思い切って喉元から一気に斬り付けて、ひるんだ所をめった裂きにしたら、案外うまくいってしまった。
こんな事を平然とやってのける自分に若干の嫌悪感を覚えたが、それも最初だけで、そんな人間らしい感情はどんどん薄れていってしまった。
斬った生物を必ず踏みにじって来たので、右足側の靴の中には血が溜まり、歩く度にグジュっと嫌な音を立てている。
固まる暇も無く、次から次へと生物の血が私の靴を濡らし続けた。
護身の為の攻撃だった筈が、今となっては生物を見付けると自ら襲いに掛かる様になった。
「殺(や)られる前に殺れ」という言葉の意味を初めて理解した気がする。
小さな生物に襲われると気付くのが遅れる事もあったが、不思議と体が反射的に攻撃を避けていた。これがもしかしたら兄さんの込めてくれた魔の力という物なのかもしれない。
「全く、いつまでこんな事を、続ければここから出られるのかしら」
どんどん生臭くなっていく自分の身体に嫌気が差してきた時、小さな小屋を見付けた。
「こんな森で野宿なんて出来る筈ないし、丁度良いわ。失礼、どなたかいらっしゃる?」
言いながら小屋の扉を何度も叩いたが反応はない。明かりは付いているのに、中には誰も居ない様だった。
窓から中を覗くと、その奥に広がる空間に釘付けになった。そして、凝視すればする程、頭の中は“?マーク”で一杯になっていった。
「何これ……何これ何これ何これー!?」
思わず小屋の扉をこじ開けようとした。
どうやら鍵は掛かっていなかったらしく、予想外に扉が開いて思い切り尻もちをついてしまった。
そのままの姿勢で小屋の中に目をやると、“?マーク”で一杯だった頭の中は、一気にお花畑に変わった。
「凄いなぁ……可愛いなぁ!あれも、これも、ぜーんぶ可愛い!!」
私は夢中で小さな小屋の中を歩き回った。
小屋の中に置かれたテーブル、ベッド、冷却庫、浴槽……全ての物が淡い桜色、しかも子供用の様に小ぶりなのだ。
凄い……凄く私好み!こんな素敵な小屋がこの世界に存在するなんて、信じられない!!
「おっと大変、真っ赤な足跡が。こんな可愛いお家を汚したら勿体ないわね、お風呂お風呂~っと!」
箪笥の中からなるべく大きなタオルを引っ張り出し、浴室へ向かった。
「石鹸類が綺麗に揃っているって事は、やっぱり誰かが暮らしているか、若しくは旅人用に管理してくれているか……って事よね。電気も水道も通っているみたいだし。いずれにしても有り難いわ。でも、どうして何もかもが小さいんだろう……まさか経費削減だなんて、夢のない理由じゃないわよね?」
鼻歌交じりに身体を綺麗に洗った後、血まみれの衣服と靴も一緒に洗い、干しておいた。
喉が渇いたので水を飲みに台所へ行くと、棚の上に果物が沢山置いてあるのを見付けた。見た所、腐敗はしていなさそうだ。
林檎を恐る恐る一口かじり、そのまま一気に食べ尽くした。
「何だか、やけに美味しい……!?」
空腹だったからなのか、それとも特殊な果物なのか分からないが、兎(と)に角(かく)それは今までに経験した事のない、驚きの美味しさだった。
他にも様々な果物があったのでテーブルに運び、ゆっくり座って食べようと思ったが、その前に再び箪笥の中を探ってみた。
衣服が何着か置いてあったがどれも小さすぎて合わなかったので、今までタオルをバスローブの様に巻いていたが、流石にこのままの姿で食事をする気にはなれなかった。
女性用の衣服の一番大きい物を選んで着てみた。
胸元に大きなリボンがあしらわれた短い丈のタイトなワンピースをキャミソール代わりにし、ふんわりと膨らんだフレアスカートを穿(は)いてみた。どちらも家具と同じく、淡い桜色をしている。
やはりかなり小さく、腹部が僅かに隠しきれていないが、元々細身なので、案外着こなす事が出来た。
王女としての地位から普段はドレスばかりで、こういう一般人が着る様な服装は初めてだ。少し特別な物を身に纏った様で、嬉しい様な、恥ずかしい様な、くすぐったい感じがする。
私は小さな席に着き、夢中で果物を口にした。
「あのまま森で迷っていたら飢え死にする所だったわ、獣の生肉なんて御免だもの」
――お腹が一杯になり、睡魔が襲って来たので、今日はもう眠る事にした。
ベッドが小さくて足先がはみ出てしまうので、猫の様に身体を丸めて眠りについた。
(もう、ずっと此処に居ようかしら。此処なら、家具も可愛いし、お風呂も……ある、し……食べ……も、の……)
「うぐ!?」
突然、息が苦しくなった。
驚いて目を開くと、よく見覚えのある女性の顔が目の前にあった。
「かっ、は……お、かあ…………」
(お母様が、どうして此処に!?)
ベッドの横に立ったお母様に、喉元を上から抑え込まれていた。更に長い爪が首を挟む形で突き刺さる。
首を絞める、というより握り潰されている感覚だ。
苦しさと痛みの両方に襲われた。
「雪姫ちゃーん、何でまだ生きてるのお?心ちゃんったらしくじったのね、全く使えない男なんだから。蛙に変えて、唐揚げにして食べちゃおうっと。でもその前に……雪姫ちゃん、貴女よ――!!」
お母様は私の身体の上に馬乗りになり、更に強く喉を圧迫した。
血流の妨げられた私の顔は、重たい様な、熱い様な、何とも言えない感覚に襲われた。
苦しみで顔が歪み、視界も霞んでいく。
「ふふ、見苦しい顔ね……でも、その方が貴女にはお似合いよ。ばいばい、雪姫ちゃん♪」
(やめて、やめて、やめてやめてやめて……!)
「いやああああああああああ!!!」
飛び起きた。
どうやら夢だった様だ。
「くっ……ふ……うぅ……」
私の意思とは関係無く、涙が溢れて止まらなかった。
駄目だ、ずっとこんな所に居たって何も変わらない。
そもそも私がこんな状況に陥ったのはお母様のせいじゃない。私は何もしていないのに、お母様の我が儘のせいで捨てられた被害者よ。
私ったら、何を暢気(のんき)に状況を受け入れてしまっているの?
復讐しなきゃ。あの鬼畜女、絶対に許さない。あいつの自慢の顔も、肢体も、全部ぐちゃぐちゃに斬り刻んでやる――!!
「そうだ、武器……何か武器になる様な物は置いていないのかしら?」
兄さんから貰った短刀では刃先が短か過ぎて大きな獣と戦うには分が悪かった。かと言って重過ぎる武器を無理に持ち歩いても扱いに困る事は目に見えている。
「兄さんったら、どうせならもっと使い勝手の良い剣とか銃とかくれたら良かったのにな。気が利か無いんだから……」
遠くで兄さんが「選んだのは私ではありません」と言った様な気がしたが、それはきっと空耳だろう。
「うーん……このお家、果物はやたら美味しいし家具は物凄く可愛くて気に入ったんだけど、本当に必要な物は置いていないのね。後もう一歩、私の理想に届かなかったか。はぁ……私のお眼鏡に敵う物って、どうしてこんなに数少ないのかしらね」
「そもそも此処は君の為に用意したドリームハウスではないのだよ、お嬢ちゃん」
「まあねー、分かってるけど……ん?」
突然、後ろからドスの利いた男性の声が聞こえ、振り返った。
しかしそこには誰の姿も見えない。
「幻聴?……きっと、かつて体験した事のない苦境に動揺しているのね。私ったら、何て繊細なんでしょう」
「ぶえっくしゅん!いんやぁ、重度の自分大好きっ娘(こ)やな、ワレぇ。ええなぁ、えぇなぁ、自分みたいな敵の多そうな女子(おなご)は好きやでぇ……ぶえっくしゅん!」
今度は違う男性の声が聞こえた。
もう一度振り返るがやはり何の姿も見えない。
何?一体何なの?もう、この森で起きる事は訳の分からない事ばかりだわ!!
眉間に皺(しわ)を寄せて辺りを見回していると、「下や、下ぁ。下見てみぃやぁ~……ぶえっくしゅん!」と聞こえたので視線を下に落とした。
よく見ると足元で何かが蠢(うごめ)いている。
「きゃ……虫!?」
驚いて一歩後ずさると、蠢くそれの一つが突然大きくなって腰位の大きさになった。
「虫とは酷い言い草ですわ……あたくし達の家を好き放題しておいて!」
虫かと思ったそれは、どうやら人だった様だ。
年の割に背丈が異様に低いが、その姿は紛れもない人間である。
他の人達も皆同じ様に大きくなり、私の周りを男女三人の小さな人間達が取り囲んだ。
「貴方達は一体何なの!?凄く小さかったり、突然大きくなったり……何だか気味が悪いわ!あっちへ行って!」
「あっちへ行けだと?此処は俺達の家だ!勝手に侵入して、好き勝手しやがって!ただで済むと思うなよ!?」
 「ひぃっ!ご、ごめんなさい。悪気はなかったの、本当よ」
突然大きな声で怒鳴られ、身体が震えた。
こんな人種は今までに見た事も聞いた事もない。まさか、この人達もジューノを持つ者で、私の命を狙っている……!?
  どうしよう、戦おうにも、短刀を隣の部屋のリビングへ置いて来てしまった!
怖い、気持ち悪い……兄さん、助けて……っ!!
「や、やめて……お願い、殺さないで…………」
取り囲まれた私は身動き一つ取れず、蹲って情けなく命乞いをするしかなかった。
「お嬢ちゃん、謝罪の仕方も知らないのかい?悪い事をした時は、膝と両手、それにその綺麗な頭も地面に押しつけて、申し訳ありませんでした、と言うんだ」
「ちょ、何ですって!?」
「殺されたいのか?」
「!!……申し訳、あ、ありません……でした……っ」
否応なしに、言われた通りにするしかなかった。
悔しさと恥ずかしさで、頭がおかしくなりそうだ。
こんな無様な姿を晒したのは初めての経験だった。お母様の前でだって、こんな事……!!
「……どうする?許してやろうか?」
「何を言っているのよラルド、こんな非常識女、許す価値もありませんわ!どうせまた好き放題暴れ出しますわよ」
「ぶえっくしゅん!相変わらず毒舌やんなぁ、アプルは……ぶえっくしゅん!」
「貴方がお気楽過ぎるのよ、マッシュ!」
「あ痛っ……堪忍やでぇ、アプル……ぶえっくしゅん!」
 頭上で、誰かが誰かに叩かれる様な音がした。
 何なの?人にこんな惨めな思いをさせておいて、ふざけているの……!?
 我慢ならず頭を上げ、正面に居た男性を睨むと、私の手を取って立ち上がらせようとした。恐らく、先程からくしゃみがやたら多い男性だ。
「――触らないでよ!!」
私はその手を振り解き、思い切り突き飛ばした。
バランスを崩したその男性は背中から床に倒れた。
「あいたたた……何すんね~ん……ぶえっくしゅん!」 
よし、これで突破口は開けたわ。後は急いでリビングへ――!
勢いよく起き上がり、倒れた男の横をすり抜けて、短刀の置いてあるリビングへ一心不乱に駆け込んだ。
しかし、そこはもう、私の知る部屋ではなかった。
つい先程まで淡い桜色で溢れていた夢の様な空間は、黒み掛かった赤銅色に変わり、床はまるで溶岩の様に鈍い音を立てて揺れている。
箪笥の上に置いていた筈の短刀はそこにはなく、異空間に迷い込んだ様な錯覚に陥った。
「どうして……此処は一体、どうなっているのよ――っ!」
「さっきも言ったろう?此処は君の為に用意したドリームハウスではないのだよ」
「!?」
振り向こうとした瞬間、両手を後ろ手に縛られ、布の様な物で目隠しをされた。
「ちょっと、何するのよ!こんな事をして、ただで済むと思ってるの!?」
「うるさい子鼠ですわね、お黙りなさい!」
「やめて、やめてよ!やめて――っ!!」
異臭を放つ湿った布を口元に当てられ、足で蹴り飛ばそうと試みたが、決死の対抗も虚しく、私の意識は徐々に遠のいていった――。

雪姫物語

雪姫物語

とある国の美しき王妃、魔女(まお)。 魔女の所有する[魔法の鏡]は、この国で魔女が一番美しいと謳い、魔女はそれに満足する毎日を繰り返していた。 やがて魔女にも子供が生まれる。 美しいその娘は雪姫と名付けられた。 ある日、決まりきった日常を覆す出来事が起きた。 魔法の鏡が、この国で一番美しいのは雪姫だと言ったのだ。 怒り狂う魔女、何も出来ない国王、勇敢な護衛兵、謎の小人達、そして命を狙われ、日々、変貌を遂げる雪姫――。 それぞれの想いが行き交い、混じり合い、衝突する。 果たして、雪姫は魔女の手から逃れることが出来るのか? そして、国王と兵の持つ驚愕の力とは……? 童話[白雪姫]をモチーフに、 人間の生死、奥底に潜む感情を描いた、 活字慣れしていない人でも読み易い、 ホラーサスペンスコメディです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-09

Copyrighted
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