駐車場


靴ベラが傘立てに入り込んで,スニーカーが一足だけ出されたその朝はパパとママの,二人の記念日。
パパが出勤する前にママと口げんかをしたことを,私はママから聞いた。今宵のディナーを大切に過ごすために,内緒で有名店を予約するサプライズを,二人それぞれが画策した結果,当日になって,どちらかの予約を取り消さなきゃいけない事態が起きてしまった。キャンセル料を含めて,先方にかける迷惑を考えると,相手にそんな負担を負わせたくない!と決意したそれぞれが,率先して行動を取ろうとした。そして,相手のそんな思いに気付いた二人は,相手を想い,こう言いだした。
「私がする」,いや「僕がする」。
それで始まった口論は,空回りした想いを抱えて,ママが折れて,ママの行きたいお店で記念日を過ごすことになった。ママはそれに納得していなかった。文句を言いながら,なぜか渡してくれない弁当箱と一緒に,玄関まで付いてきた。それも珍しい行動だった。
「幸せならいんじゃない?」
とカバンと部活用具を置いた。と同時に,「あなた,分かってない。問題はそこじゃないのよ。」と,変換されたノロケ話が,今度は出会いの場面から上映されるみたいに始まった。足もとに集中して,きつ過ぎない程度に,リボン結びをしてあげた私は,立ち上がってママを見て,笑みを見せて,言ってあげた。
「行ってきます。」
もう,という感じのママの唇は,義務を超えた愛情を形にしながら,夕飯の心配を言葉にした。大丈夫,考えているから,と言って,楽しんできてね,というささやかな贈り物をメモのように挟んだ。うん,という返事はやけに素直に聞こえた。それを指摘する屁理屈を発揮する時間もなくて,私は玄関のドアを開けた。閉まる前に階段を降りた。遅くなるといけなかった。一段飛ばしを繰り返した。遅刻寸前って訳じゃない。けど,早く最寄りのバス停に向かう事情は私にもある。平坦なアスファルトに着いてからも,走った私のカバンのチャックからは,赤い長さのイヤホンが垂れて揺れていた。イヤホンジャックに,差し込んでからが大変だった。勝手に開始していたアップデートを中止して,曲を探した。タッチした。飽きない出だしが素敵なアルバム。調子に乗れる,一直線を走る。
狙い通りに到着したバス停では,姉に文字で話しかけた。でもすぐに反応はなく,私がそろそろ学校に着く頃になって,やっと返事が届いた。『特講中』。ちょっと間をおいて,『詳しい事は後で聞く』。履歴から呼び出したパパには,メッセージとなるキャラクターを送った。私が好きなものだった。ファンファーレを鳴らして,空を舞う。送信を確認したら,カバンを胸に抱えて,定期券が入ったパスケースを取り出した。裏のイラストが好きなやつ。色もピンクに近くて素敵。誰にも見せないように,サンドイッチにする。しばらくして,降車のチャイムが高らかに鳴った。同じ制服を着ていたから期待したけど,正解だった。サンキュー,は頭に浮かんだけど,その子には伝えなかった。人は少なかったけど,車内の空気は守りたかった。暖房が効き始めた心地いい,これ。
まもなく見えてきた校舎の二階に,人がたくさんいる教室があった(姉の教室はもっと後ろ)。昼休みにお弁当屋さんが来る一階の広場には,長袖のサッカー部員がスパイクを持って歩いていた。一組,と一人。降りる所へもう少し,ちょっと離れていく景色に,車内が少しだけ落ち着かなくなった。私は準備を整えていた。足もとに置いてあった部活用具も肩に掛けていた。また走るためだった。余裕を持ちたい日直だった。二年生の校舎は正門から遠い。まずは職員室へ。鍵を借りて,先生の目を盗めると踏んだら,グラウンドをショートカットに横切る。真ん中の階段まで小走りしたら,階段を上がる。三階に着いたら,廊下は歩ける。すぐそこの教室の,鍵を開けるだけ。メンドくさくなるのは,グラウンドを通らない,正規のルートで戻らなきゃいけないパターンだ。早い時間だと,鍵がかかったままのドアがあるため,中庭ダッシュが使えない。そうなると,あとは一番長い距離になる。そうなると,七時半までの余裕がない。先生に怒られる,あのクドクドは避けたい。なぜか,私のクラスの全員に関して,例外なく,先生は日直の仕事ぶりを正確に把握しているのだから,とても怖い。間者でも雇っているんじゃいないかって,時代小説好きの男子が冗談で口にしたら,次の日にその男子が欠席した。偶然と風邪のコラボレーション,のはずなんだけど。こうして私が真面目になるぐらいに,伝染性の噂話は,今もこうして流行中です。敬語の私は,したがってバスをきちんと降りて,走る。
窓を開けた。室内が外になって,暖気は学校側が一斉に送り込むその時まで。先程,お世話になったグラウンドの端っこが見える。確か,体育館側の一部は整備中。水捌けは良くなる予定。校舎自体も,十年後には全体的に建て替えになるって話,先生が昨日のホームルームで言っていた。だから,それは関係のない未来の話だった。新しくなった校舎を目にして,寂しく思えるかもしれない。それぐらいの思い出を作っていきたい,なんて思った優等生の気分は,黒板消しの掃除を思い出せてくれた。科目ごとに教室を訪れる先生方の荷物置きみたいになっている,机の上に置かれた例の機械を動かした。白いチョークを,拾って戻しておいた。これで,私の日直は完璧になる。


昼休みまで授業をして,昼休みには軽食,廊下でしたおしゃべりには,キリちゃんの髪をかきあげる癖と,イメチェンの話題がいっぱいだった。具体的には,ショートの方が長さ的にいいと思うんだよねっていう内容のもの。
「いつからその髪?」
「中学校からかな。」
「変えようとは思わなかった?」
「がらりと?」
「うん。がらりと。」
「これぐらいまで,切ったことはあるよ。でも結局伸ばしてる。ロングが流行ってたでしょ?似合ってないとか言われたし。」
「そう?そうでもなさそうだけど。」
「言われたんだよねー。」
「お姉ちゃんもそんな感じだった?」
「前はね。切っちゃてるよ,今は。」
「ほんと?ショート?」
「髪型としてはボブ。」
「さっきのぐらい?」
「あー,もうちょっと短いかも。」
「じゃあ,ボブだ。」
「もっと切るかもって言ってた。短くしたら楽だって。」
「やっぱり?」
「うん。」
「いいなー!」
「キリちゃんも,そうしたらいいんじゃないの?」
「そうなんだけど,さっきも言ったでしょ?タイミングなんだよ。インパクトが大事なんだよ。」
「じゃあ,年明け?」
「気合入りすぎって思われそー。」
「じゃあ,明日?」
「急すぎる!気持ちの整理がつかないー!」
目の前にケンタが立ち止まった。丸めて脇に抱えていたポスターは,私たちのクラスと隣のクラスの間にある,すぐそこの壁に貼られた。ケンタが退いて,ポスターは今週が美化強化週間であることを知らせた。我らが先生の合格サインを貰えた私は,これに対して,すごく得意げな気持ちになって,正々堂々と話をつづけた。キリちゃんは言った。いつショートにするのか決められないなら,私にショートは無理なのかも。それを聞いた私は,キリちゃんに言ってあげた。
「決めつけるの早くない?」
「だって,決められないなら,今じゃないんだよ。」
「切ってから決めたら?今じゃなかったかどうか。」
「何それー!それって意味ないじゃん!」
「切っちゃえ。」
「簡単に言わないでよ,もー!」
キリちゃんの,鼻にかかった声が響いた。ピンポンパンポーンと,三年生がこのあと体育館に呼び出された。進路以外の大事なお話らしい。放送室の生徒がそう伝えた。お報せが終わっても,さっきまで流れていた,流行りの洋楽が聞こえてこなかった。腕時計を見るとお昼休みの終わり頃,だった。私とキリちゃんは,あと五分だけ粘ることにした。話はなんとなく,髪の事から,流行りの事に移っていった。そういえば,さっき流れていた曲のボーカルはイケメンの同い年なんだよ,と私が教えると,キリちゃんはそれを知っていた。噂の彼女の話にも詳しかった。どちらもヒットソングの歌い手,自分で歌詞も作曲もする。キリちゃんと違って,私は,噂の彼女の書くものが好きだった。すごく恋っぽい。『初恋かなって思うヒアリングの練習』,とか。思い込みに甘い。あの歌詞の数々を私にも分かるように,訳してくれた人を尊敬する。すごくいいんだよ,バラードのあれ。
五時限目を終えて,歴史は随分と近代に近付いたもの。ふり返って板書している子はいなかったから,私の黒板消しで,次の授業のためにそのすべてを消すことにした。この時間になっても,まだまだイケる。私は満足して,チョークの本数とかをチェックして,席に戻った。筆箱からペンを取り出して,ノートを開いて,下線を引いた。そこには消し去ったはずの歴史の大事な節目に,目立つ名前と,その人のした事が書いてあった。ピンクのチェックマークが濃かった。その部分部分が,のちのちのヤマとなる。満足して,私は呟いた。
「これで乗り切れるかなっと。」
「定期試験はまだまだ先だけどな。」
と,そう言った隣の席のケンタだった。正式に,私は抗議した。
「ひとり言に返事しないで。ヘンタイ。」
「じゃあ,聞こえないようによろしく頼む。」
マジメなヘリクツだった。ケンタはいつもこうなのだ。だから,私もいつも通りにした。
「聞こえても返事しない配慮が大事なの。」
「聞こえたら返事をするのが俺の信条だ。」
「知ってるよ。ヘリクツケンタ。」
「じゃあ,理解をよろしく。」
「むかつく。しない。」
「理解は出来るかどうかだ。しないってことは,してくれてるのと一緒だ。ありがとう。」
「ほんと,腹立つ。」
「なぜって訊いてもいいか?」
「ダメです。あっ!」
「ミスったか。すまん。」
「黙ってて。」
「分かった。修正テープ,あるぞ?」
「教科書の記述ごと消えちゃうでしょ。」
「そっちのミスか。そりゃ,無理だな。」
「分かってるわよ。」
「それは良かった。少し黙る。」
「そうして下さい!」
私たちの変わらないやり取りだ。
その終わりのチャイムが鳴る前から,正確に言えば朝のホームルームのときから一人,何か重大な事をしでかしたらしく,先ほど急に生徒指導室に呼び出されて,居なくなった。おかげで,掃除のための三人体制は機能しなくなり,キリちゃんは明るくサッサと帰った。他の生徒も似たり寄ったりだった。なので箒を二つずつ,教室の前へ立て掛けてから,教室内の椅子をすべて逆さまにして,机に乗せて,後ろに次々と運んだ。黙々と,時間を無駄にしたくなかった。私のスマホだって,羽織っていたパーカーのポケットの内側で,鳴っただけだった。なのに,ケンタが残念,という顔をしたから,腹が立った。
「なによ,授業中じゃないし,イジってもないでしょ。」
「でも,校内だ。」
「はいはい。ほんと,真面目だね。」
「切っとけよ。」
「操作しないことで手を打つわ。」
「切っとけよ。」
「だから。」
「明日からの話だ。きちんとしろよ。」
「あー,もう!ほんと,真面目だね!。」
「当たり前だろ。」
「真面目!。」
怒りで床を掃いたら,広い範囲で埃が逃げた。改めて箒の柄を両手で持って,埃を掻き集めた。あとはちりとり。ただし,数は一つ。ゴミ箱は,ちょこんと隅っこで待っていてくれるのだけれど。さあ,どっちかが近づいて,屈んで,捨てなきゃいけない。先手必勝。私はケンタ!って呼んで,ヤツを振り向かせた。続けて,顎をしゃくって指示をした。察しのいいところだけは買ってやっている。だから,伝わらないわけがなかった。ケンタはちゃんとゴミを捨てる,はず。
果たして,彼は往復。待機している私の所まで戻って来て,屈みながら,私に言った。
「お前,登校は歩きだっけ?」
「バス。」
「七時過ぎると時間かかるだろ?」
「だね。雨の日とかだと,だいたい七時前から混んでる。」
「うげっ。じゃあ,それより早く出てるのか?お前,遅刻ないだろ。」
「前よりは早く出てるけど,今日は日直だったし。ギリギリを調べた結果,『五十五分』だね。そこを過ぎると致命的。」
「まじか。うん?でも,お前が息切れしながら教室に入ってくるの,見たことないけど。」
「私じゃなくて,姉がそれを体験してくれたのよ。新しい路線の初めての日に。」
「なるほど。助かったな。」
「ほんとに。ルートがあんなに変わってたなんて,知らなかったし。」
「みんな言ってんな。」
「自転車組は気楽よね。あ,そうでもないか。今も競争は過酷?」
「傷が増えたチャリばっかだよ。俺のも思いっきり引っかかれたし。」
「犯人は?」
「さあ。学校の誰かだろ。」
「折り畳みとか,それこそ便利そうだよね。」
「なー。校則,変えてくれねぇかな。」
「持ってんの?折り畳み。」
「兄貴のな。兄貴は今はバイクだし。」
「大学?」
「おう。」
「真面目なケンタが校則を語ると,それこそ正しくなりそうだね。」
「何じゃそりゃ。ディスってんのか。」
「全然。あんたなら,真剣にやりそうだねってこと。」
「生徒会までやる気はねぇよ。」
「投書すれば?」
「もうしたよ。」
「さすが。効果なし?」
「もち。本気で変えたいんだったら,あっち側に所属するがいいんだろうよ。けど,やる気はねぇよ。」
「やったらいいのに。」
「やりたくない理由があんだよ。」
「えー,なになに?気になる!」
「デートできねぇ。」
「え,あんた彼女いんの!」
「いねえよ。でも,できたときのことを考えて,時間は確保しとく。」
「はあー,未来の彼女のため。」
「悪くないだろ。」
「ちょっと痛い感じだけどね。」
「なんとでも言え。」
「いや,いいわ。」
「お前は?」
「何がよ?」
「未来の彼氏。」
「今日は合コン。」
「ウソつけ。」
「うん。ウソ。ケンタ,彼氏になってよ。」
「考えとくよ。」
「つまんない奴。そこは違う返しでしょ。」
「真面目だしな。」
「じゃあ,考えといて。」
「おう。考えとくよ。」
箒を片付けて,空いた教室の後ろのスペースでごみ袋の口をさっさと縛ったら,椅子と机を元に戻した。それから最後の作業。私はまた黒板の縁の拭き掃除。ただし,ケンタには黒板消しを叩かせた。誰もいないベランダで,下を見て,多分風向きを読んで,ゆっくりと叩く。持参したタオルで鼻と口を覆うケンタは,そうする方が見た目が良くなる,という私の感想。私は私で,例の,壊れた黒板消し用の掃除機みたいな機械のコードをまとめて,『壊れてます』と,ばつ印の貼り紙をテープで留めた。最後に,明日の日直を報せなきゃいけなかった。次は私の出席番号の,後ろの子。
呼び出された一人は結局,帰って来なかった。全部終わって,だから帰ってもいいはずの私達二人は,それでもどうする?と,面と向かって相談した。教室の鍵はかけなきゃいけない。窓は全部そうした。その子のカバンはここにある。だから,引き戸は開けておいた方がいい。一人は残らなきゃだめ?でも,どっちも部活に入ってる。ケンタは卓球部。じゃあ,ケンタ?
「難しいな。今日は室内練。途中,イチネンも対象のやつで,補欠の選考会もするんだわ。遅れられねぇ。」
じゃあ,私?とケンタの視線に答える。
「無理。こっちも組み練習がある。欠けたりしたら大変。」
じゃあ?と,二人で面と向かって念じ合う。でも, 引き受けてくれる第三者なんて現れてくれない。なら,解決策は決まっている。ジャンケンか,アミダか。
「作るのも面倒。ジャンケンでいいよ。」
「マジか。後悔するなよ。」
「勝ってから言えば。」
「勝ってからじゃ遅いんだよ。」
「はいはい。ジャーンケーン,」
ポン。勝負は一発。どちらかが,もちろん負けた。


教卓に座って,私はメッセージを打った。マネージャーのエミコは間違いなくスマホを持ち歩いてるから,少し遅れる事情は伝えられる。ごめんねという絵文字を最後にくっ付けて,送信した。蛍光灯が目立つ暗さに,静けさだった。何も言わない私とスマホに対して,カチコチいうのは腕時計だった。そういえば,吹奏楽部のものも聞こえない。運動場の合図は,サッカー部。野球部の練習場所はもっと遠い。サイトからサイトへと飛んでいる途中,手の中の震えとともに,エミコから届いた「了解」という返事。でも出来るだけ早くね,という注文は,スケジュールの変更が出来たことも含まれていた。三十分ぐらいという部員の総意。ありがたきは人望あるマネージャー,あの顧問の説得にも成功したということだった。安心した私は,足をプラプラさせて,スマホを置いて,窓を眺めた。私は写っていて,廊下からケンタが現れて,振り向くと,戻って来たケンタが軽く息を吐きながら,「預けて来たぜ。帰っていいってよ」。
「うん。ありがと。」
とん,と床に降りて,ドアに向かった私はケンタを見て,訊いてみた。
「で,あの子が呼び出された理由って何だったの?」
ケンタは言った。
「さあ。さっちゃんも詳しくは知らないってよ。まあ,担任としてはそういうしかないんだろ。」
「だね。大変だ。」
「だな。」
廊下の中程。それぞれの部活用具を,ケンタは肩から担いだままで,私は机の上から引っ張るようにして,手に取ったまま,足に当たらないように,ちょっとだけ宙ぶらりん。重くはないけど,落ち着かない。
沈黙は続いて,私は左手の方の運動場を見た。ちょっと遅れて付いてくるケンタは,いつも通りなら,ずっと真っ直ぐを見ていた上から下りてくる階段は,三階からさらに下っていく。体育館へは職員駐車場を迂回する,裏ルートが一番近い。その途中には自販機コーナーがある。錆びた空きカン用のゴミ箱も,隠れた喫煙が問題になったという,人が集まりたがる校舎の死角もある。この階段は,そこに続く,部活生専用みたいな役割を果たしていた。
私は,いろいろと考えていた。ケンタは,何回か首を回していたみたい。お前,筋トレどうしてる?とか聞かれた。うーん、やってるよ,とか答えた。校舎の端で,段々と景色を変える時,今度は私からケンタに訊いた。
「あんたってさ,拗ねたら何で機嫌直す?」
それにケンタは後ろから答えた。
「俺はふて寝。起きたら忘れてる。昔は漫画。面白いやつ読めば,あとはどうでもよくなった。」
続けて,「何でだ?」と訊いた。
「うん。別に。気になっただけ。」
「ふーん。じゃあ,お前は?」
訊かれてケンタに答えようとしたところで,上手く答えられなかったから,私は自分でも質問をすることになった。拗ねた記憶は,ある。じゃあ,そのあとは?
「うーん」と声をしぼる私に対して,けれどケンタはあっさりと「思い出せないなら,別にいいぞ」と話を終わらせて,階段を下りていった。変に悔しくなった私は,後れを取り戻す勢いで同じく階段を下りていって,思い出した。
「そうだ。話し合ったんだ。」
「はあ?」
と立ち止まったケンタがこっちを見上げて,「何が?」という顔で訊いていた。思い出せた私は,だから,という気持ちを込めて,ケンタに言った。
「パパと話したの。拗ねた時に,なんで私,拗ねてるんだろうって,パパに訊いたの。それもしつこく。夜通し,階段に座って。」
いわゆる子供の質問魔だったのが,小さい頃の私だった,とパパやママからしょっちゅう聞かされた。物や現象だけじゃなく,自分の気持ちに関してもそうだったみたいで,正直な両親の言葉を借りれば,かなり面倒くさかった。なので,拗ねたとき,私はパパの腕をそれこそギャーギャー喚いてっ外まで引っ張り,春夏秋冬に関わりなく,満足するまでパパに拗ねたことについて質問をした。なぜ,私は拗ねたのか。なぜ,パパはあれを買ってくれなかったのか。なぜ,それを優しく言わなかったのか。なぜ,怒られて,私は悲しくなったのか。なぜ,姉は同じ目に遭いながら,私のように拗ねたりしないのか。なぜ,拗ねたりする人と,しない人がいるのか,などなど。
「はあ,マジでメンドくさいな。聞いてるだけで嫌になるぞ。つーか,お前の方がよっぽど真面目だろうが。人に真面目,真面目言ってるくせに。」
「あの時はあの時。さっき訊かれるまで,忘れていたぐらいだから,真剣じゃなかったんだよ。ある意味,怒られた復讐,みたいな?今はしないし。」
「した方がいいんじゃねえの?成長するに伴って,無くなりすぎなのも問題だろ。」
「はあ!?」
と発した怒気には何ひとつ興味を示さずに,憎っくき彼はさらに階下へ進んで行く。私もさらに進んで行って,「ちょっと」や「おい」に「こら」と,散々呼びかけたのに,見てもくれない。マジメのくせに!と言ってやったら,
「真面目には,真面目になるべき時がある。」
なんて,分かるようでわからないヘリクツをこねられて,狭い踊り場で私が追い付いたところで,面と向かって言われた。
「で,お前が拗ねたことって何よ?」
突然の方向転換,しかし私は負けずに訊き返した。
「何でよ。」
「いや,そっちの方が気になるから。とことん拗ねるお前の場合。」
至って真面目なケンタは,真面目に訊いて,真面目に待っていた。
一階まであと少し,というところでは,拗ねた事も大して言えない。披露したエピソードが,夕方のニュースとのチャンネル争奪戦だったものだから微妙な雰囲気が二人を包んで運んでくれた。可愛いとこがあるのな,と気休めに言ってくれた,男子の優しさがチクチクした。マフラーに顔を埋めたかった。
駐車場に出て,部活用具を背負い直したケンタは,まだ時間あるよな?と言って,自動販売機で水を買った。私も欲しくなって,同じ小さいやつを買って,キャップを開けて飲んだ。カラカラがすごくなるこれから,私はクリームが欠かせない。
その場で飲み干す必要もないから,私たちは歩き出した。無言は喉を潤してくれた。で,とケンタは私に言った。
「仮に,お前と付き合ったら,オレは質問責めにされるのか?」
丁度,キャップを開けようとしていた私は,少し考えて,その勢いを増してから,蓋を開け切って,言ってやった。
「そうね。溺れるまでやってあげる。」
「おお,こわ!」
とそのリアクションは真に迫ったいいものだった。それに対する私のも,実感としては,そんなに変わらなかった。私たちはもう少し歩いた。とりあえずここを出て,体育館が見える所まで。

駐車場

駐車場

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-13

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