デスペラード
甲板を歩く船員が港に近づいた事を、大声で伝え合っていた。
窓の外、黒い海の向こうに、港の灯りが見える。
機船はすべるように静かに港へと入って行った。
船から降りると奥の方に見える宮殿に向かって、ずらりと並ぶ人の列が見える。
宮殿を中心として街全体が活気づいていた。ダンガム王国は貿易都市として有名で、そして何より今日はセレーナ王妃の誕生祭が行われている。外ではこの日とばかりにパレードやセレモニーが開催されており、たくさんの人々がこの都市を訪れていて街中が賑わっている。
この街の伝統の一つとして、この王妃の誕生祭ではこのダンガム宮殿の象徴でもある鐘が夜に三度に渡り鳴らされる。一度目の鐘は開始の合図に、二度目の鐘で王様の挨拶、三度目の鐘で王妃による演説が行われる。
そんな街の様子に似合わない影が一つ……。物陰に一体化するように彼はそこに佇んでいた。その全身は漆黒で覆われており頭さえ黒頭巾で隠れていた。
序章
俺がここに来たのは、ある【仕事】をする為だ。仕事の内容は実にシンプルだ。一度目の鐘の時に王妃に近づき暗殺する。それが俺に課せられた任務だった。近辺でも巨大なこのダンガム宮殿に潜入することが難関だと思っていたが……。
思いのほかあっさりと侵入できてしまった。なんだこの警備は?なめているのか?
衛兵たちは酒を飲み、今日の宴を楽しんでいた。残された警備の者は貧乏クジを引かされたかのように上の空だった。そんな警備を突破をするこ とは取るに足らない事だった。
俺の所属している暗殺ギルドではこの様な隠密行動の依頼が多く、俺に取ってこのような事は日常茶飯事になっていた。
今回はマスターのローディス様の命により王妃の暗殺を命じられた。こんな大役を命じられたからには期待に応えない訳にはいかない。チャンスは一度きりだ。なんとしても成功させなくては……。
さて問題はここからだが、このダンガム宮殿の城内に入るには通常、正面の正門と裏口の二つしか存在しない。だがその警備は厳重で入るのは容易ではない。そこで城壁を登り王妃のいる場所まで侵入するのが今回の作戦経路だ。
本来であれば一番近くの壁から侵入する予定だったが、巡回兵の数が多かった為本来のルートを迂回せざるを得なかった。一度目の鐘が鳴り響くまでにはあまり時間がない、こんな所で油を売っている場合ではないな……。
呟きながら辺りを見回した。宮殿の外の茂みに隠れ、周囲の様子を窺う。どうやらこの辺りには人の気配はないようだ……。
ここで腰袋から一つの赤いグローブを取り出しはめた。今回の任務に欠かせない物だ。甲の部分にはエメラルドの宝石が組み込まれており、それを中心として魔法の模様が施されていた。どうやら魔法力が込められ代物で《失われた財宝(アーティファクト)》の一つらしい。
「さて始めるか……」
近くにあった城壁に向き合い城壁に手をかけた。
――その瞬間グローブにはめ込まれた宝石が煌く。時間にしたら一秒にも満たない時間だったが、それがこのエアーグローブの特徴だった。
身体が浮くように軽くなるのを感じる。風の魔法力が込められているのか、対象物に触る事で効果が発動するようだ。慣れるまでに時間を要するが、これほど壁登りに適した物はそうない。このグローブのお陰で楽に壁を少しずつ登って行った。
しばらく登って行くと……。
「おい?交代の時間は何時だ?早く変わりたいんだが?」
近くから声が聞こえた。思わず身を固くした。
「ん?まだだろ?なんだ、お前まだ酒が残っているんじゃないか?足元がふらついているぞ?」
「ああん?誰の足元がふらついているって?それを言ったらお前の方が……」
声はそうして遠のいて行った。
どうやら行ったようだ……。しかし、暗くてよく分からないが、声から察するに近くにどうやら人の通れる場所があるようだ。案の定少し行くと壁の模様が変わり始めた。
「あと少し……」
慎重に辺りの気配を窺い、よじ登り、渡り廊下に身を潜めた。どうやら辺りに人はいないようだ。行き着いた先は塔と搭を繋ぐ渡り廊下だった。
此処まで来てようやく城の概要を見渡す事ができた。中心の巨大な鐘を覆うように建物がいくつも分かれており、中心の鐘の建物を除いて搭は全部で五つあった。
俺は任務の時に渡された見取り図を再度確認する。鐘の奥にある少し大きな塔に王妃の寝室がある。幸いにもこの北西に位置する渡り廊下からはあまり距離は離れていなかった。
このまま渡り廊下を……と思考を巡らせたが、遠くの方から足音が聞こえた為に、迷わず俺は壁に戻りした。
「ちっ……」
悪態を吐きつつも仕方ないので、そのまま王妃がいると思われる塔を目指した。遠目からみても一際大きな塔も近づくにつれてその大きさに圧倒された。明らかに壁の作りも変わり模様も複雑になっていた。しばらく進むと近くに大きな窓を見つけた。窓の大きさも相当なもので大人でも容易に入れる。
少し離れていたが、なんとか窓に辿り着く事が出来た。窓の奥は広い空間になっており、書籍がたくさんある……どうやら書物庫のようだ。ここから王妃の部屋までは目と鼻と先である。ここで目的を終えたグローブをはずし腰袋に戻していると……。
遠くの方で扉が開く音がした。そちらに目を向けると、煌びやかな装飾品を身にまとい遠目からでも分かる桃色の長髪は彩りを放っており、思わず目を奪われた。
「はっ」
俺は何をやっているんだ?早く隠れなければ……。数刻の間だけ呆けていたが、すぐに当初の目的を思い出し、本棚の影に身を潜めた。しかし、どうして姫が此処に?
という疑問が頭に浮かんだが、暗殺が目的である俺にとってこの上ない好機だったので雑念は捨てる事にした。
窓からはかなりの距離があった為か、気付かれてないようだった。俺は息を潜め、足音を消して少しずつ棚を移動する事で距離を詰め、姫との距離を少しずつ詰めていった。五メートルと迫ったところの棚でもう一度周囲の状況を確認した。
どうやら護衛の者は近くに置いていないらしい。この部屋の明かりはあまり明るくなく、近くにランタンの明かりが二つあるだけだった。姫は街の風景を見渡しているようだった。
遠目からでは分からなかったが、この距離で観察していると、外は賑わっているが、姫の誕生祭だというのに本人は少しも楽しそうではなかった。彼女の横顔は悲壮しており、今にも泣きだしそうにも見えた。その横顔を見ていると……。
「──ッ」
……なんだろう?この感覚は?
言葉では上手く表現できないがこんな感覚に陥ったのは初めてだった。頭を振る事で雑念を振り払った。ターゲットに私情を挟んでいる場合ではない。そろそろ最初の鐘の鳴る時間だ。
俺は暗殺の時に備えて神経を研ぎ澄ましていった。
しばらくすると人々の歓声が聞こえた。どうやら鐘の時間は近いらしい。 姫は移動するわけでもなく街の様子を見下していた。
──そして……。
ドォォォォォオオオオゥゥン
音の振動が体に伝わるのを感じた。刹那、俺は本棚から飛び出し、鐘の音と同時に構えていた短剣をランタンに向けて飛来させた。短剣は見事に的中し、ランタンが落ち、明かりが消え、部屋は暗くなった。
「え?」
と姫の透き通った声が辺りに響き渡った。
飛来させた短剣が無事に部屋の明かりを消したのを横目に見つつ彼女に一直線に疾走する。腰から新しい短剣を構え一直線に彼女の喉元向けて疾走した。
その後の展開は俺の想像しているようにはいかなかった。
キィン──。
と音を立てて辺りに金属音が鳴り響いた。
喉元に刺さるはずの短剣は寸前のところで止まらずに弾かれた。
「なっ──」
短剣が弾かれた理由──。
それはどこに隠し持っていたか分からないが、柄から刀身なかばまで美しい装飾が施されており、王家の様な紋章の入った細身の剣(レイピア)だった。
姫の反応は条件反射に近かったがその行動のせいで彼女の命を奪う事は出来なかった。
「あなたは一体……?」
一瞬、両者の視線が交差した。俺はその澄んだ蒼い瞳にまるで吸い込まれるかの様に魅入ってしまった。
──まずい。
「くっ──」
咄嗟に目を合わせるのを避け、次に視線を彷徨わせて目に着いたのは胸元にある深紅の宝石が着いているペンダントだった。
そのペンダントを見た瞬間……
──ドクン。
自分でも体がこわばったのを感じた。
「……なんだ?」
俺自体にも自分の体に何が起こったか分からなかったが、ペンダントから目を離すことができなかった。
それは時間にしたら一瞬の出来事かもしれない……。しかし暗殺者にとっては有るまじき行為だった。次の瞬間には視界が暗転していた。
「ぐっ──」
受け身もろくに取れないまま地面に背中から打ちつけられていた。
「姫様!?」
遠くから騒ぎを聞きつけた衛兵たちの声が聞こえた。急いで起き上がり、体勢を立て直そうとしたが、俺の喉元にはレイピアの剣先が突きつけられており、すでに身動き一つ取れない状況に陥っていた。
――なんて様だ……。殺すどころか一国の姫様に命を握られる状況に陥るなんて……。
「殺せよ」
暗殺者としてこれ以上の失態はない。俺は状況を受け入れ、死を受け入れようとした。
しかし姫はすぐに殺す事はしなかった。言葉を発する事もしなかった。
――ただ彼女の瞳は悲しそうだった。
直前まで自分を殺そうとした人間に向ける目ではなかった。
そこからの記憶は定かではない、すぐに駆け付けた衛兵達に手足を取り押さえられ、頭を殴られて俺の意識は薄れていった……。
どれくらい眠っていたのだろうか……。俺はひどい腐敗臭で目が覚めた。
「……ここは?」
意識が覚醒し、辺りを見渡すと、幾重の鉄に囲まれた部屋に転がっていた。
俺はすぐに鼻を手で覆った。
「……ひどい……なんて臭いだ」
これは恐らくここで死んでいった者の臭いだろうか……。近くには屍が転がっていた。
……しかしなんて様だ。俺は暗殺に失敗し、あまつさえ、独房に閉じ込められるとは。
まだ完全に暗殺が失敗したわけではないが……。俺は自分の身体を確認するが、当然の様に持っていた所持品はすべて無くなっていた。
「くっそ」
俺は思わず悪態をつきその場に座り込み頭を抱えた。
……この後の運命と言えば隣に転がっている奴と同じ運命を辿るか拷問の二択だろう。俺はその運命を受け入れるのか……?
「ははっ……あっけない人生だったなぁ……」
自嘲気味に呟いたが、思考は別のことを考えていた。
俺は本当にこんな所で終わるのか?目的も達成できないまま、人に命を握られたまま死んでいくのか……?
そんな人生は─―嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
俺の脳裏にただ拒絶の言葉だけがこだましていった。落ち着け……。落ち着くんだ……。
まだ何かやれることがあるはずだ。まず一度周囲の状況を整理してみた。
まず持ち物は何もない。部屋の中には俺以外の屍が二つ。
「何か使えそうな物は持っていないか……?」
異臭が気になったが……今はそんな事を気にしている場合ではない。意思を固め、屍を調べてみたが特に使えそうな物はない。やはりそう簡単にはうまくいかないか……。
淡い期待を抱いていただけに肩を落としたが、思考を切り替えすぐに別の捜索に移った。次に目をつけたのは鉄格子の扉だった。外側から開閉式になっており鍵穴の形状は外側に鍵がついていた。ここからでは鍵の形状等を確認することが出来ない。鉄格子の間隔は狭く、手首がようやく通る くらいの隙間しかない……。これではどうやっても内側から開けることは不可能だ。何か他に手はないのか……?
ふと、そこで反対側も同じような作りになっていることに気づいた。一つずつの部屋の間隔は狭く、部屋の右上の方に鉄のプレートで番号が描かれており向かいの番号が三になっていることから俺の独房はこの中でもどうやら一番奥らしく数字から察するに 六つの部屋はあることが窺われた。そして他にも気付いた事があった。
ここから見て一番目の独房のすぐ横に扉が見えた。どうやら脱出するにはあの扉から出るしかないようだ。ここまできて俺はあることに気付いた。本来いるべきはずの、見張りの看守や衛兵が近くにいない……?
「一体どうなっているんだ……?」
異変はそれだけはなかった。近くに人がいないばかりか人の気配を近くに感じなかったのだ。いくらこの独房が脱出困難だとはいえ、見張りがいないのはおかしい……。
ここから俺が脱出できるとすればこの独房から部屋を移される時か鍵を看守のカギを奪うかのどちらかしかない。どうにか確認する手段はないか─―。
しばらく考えたが出した結論は……。
「ここは暴れてみるか……」
呟きを決心に変え行動に移した。彼は鉄格子を叩き始めたのだ。
「おーーーい!!誰かいないかぁあああ!!」
辺りに鉄格子の金属音と怒声が響き渡った。最初は勢いよく叩いていたが……。
「いっ─―」
当然の様にすぐに手に限界がきた。俺は手を押さえながら何か代わりになる物がないか辺りを再度見回しながら考えた。ここにあるのは屍くらいしかない……。……待てよ?
―─数分後辺りには再度鉄格子を叩く音が響き渡っていた。死者の骨をつかって叩いていたのである。俺はこんな所で時間を使っている場合ではないというのに……。俺は焦っていた。任務に失敗し任務を遂行しようにもどうすることもできない苛立ち。そして、結果はどうであれ相手を侮り、油断していた自分に無性に腹が立っていた。既に動いていなければとても冷静さを保つことができなくなっていた。
しばらく叩き続けていると……。
─―コツ、コツ、コツ、コツ……。
わずかだが遠くの方から足音が聞こえてきた。どうやら誰かが音に気づいたようだ。
─―しめた。悟られないようにこれまでと同様に一定のリズムを保ちながら、足音が近づくのを待った。徐々に足音が近づくのを感じながら俺はその時を待った。
「あら?何やら楽しそうな音が聞こえるわね?」
口元に笑みを浮かべ、足音の主はにこやかに扉の奥の方からやってきた。
「なっ─―」
あまりの場違いな登場に、俺は驚きのあまり叩くのをやめてしまった。
「あら?もうやめてしまうの?」
首を少し傾けおっとりとした口調のまま姫はそう続けた。
「一体どうして君がここに?」
俺にはこの事態が理解できず茫然としていた。
にこやかだった彼女の顔は一変し、急に真顔になると早口でまくし立てた。
「私には時間がないから手短に言うわね。この扉から出たらひたすら真っ直ぐに走りなさい。そうすれば森に出られるわ。逃げて……。そして生きて……。」
それだけ言うと何かを牢の中に放り投げて、彼女は走り去っていた。
「え?え?おい!ちょっと待てよ!」
俺の言葉は遠吠えでしかなく、彼女が振り向くことはなかった。
突然の事に思考が追いついていない俺だったが、彼女が放り投げた物を凝視していた。
「……」
しばらくその物を品定めしていたが、円形のリングにいくつもの束になってついているそれは間違いなく鍵だった。
「これは罠か……?」
俺は困惑していた。
先ほどのまで自分を殺そうとしていた人間になぜこのような事を……?
「逃げて?生きて?何をいっているんだ?あいつは?俺は殺そうとしていた人間だぞ?」
いくつもの疑問が頭を過ったがどれも理解できない事ばかりだった。
「あぁ、もう!!」
頭を搔き毟り、すぐに顔を上げた。
「ここでごちゃごちゃ考えていてもしかたがないな!今はこれを試すしかねぇ!」
例えこれが仮に罠だったとしてもこの状況で、俺が出来る事は鍵束の中の鍵を試すしかなかった。鍵はリング状に七本ついており、それぞれの鍵の形状は様々であり注意深く見ると鍵のとっての部分に動物の形がモチーフにされていることに気がついた。
――三つ目の鍵を試したところでガチャリと金具の外れる音がした。
「……深く考えてる場合じゃねぇ!」
牢屋からでると俺は扉に向かって走り出した。
姫の話によると……真っ直ぐ走れと言っていたが……。扉を抜けるとすぐに階段になっており、注意深く周囲の気配を窺いながら登って行った。しかしどういう訳か人の気配を感じられない……上まで登りきったところで俺はようやく人の気配を感じた。
「……」
壁を背にして相手の様子を窺っていたが、一向に相手が動く気配がなかった。階段から、身を乗り出して確認すると男はうな垂れる様に座り込んでいた。恐る恐る近づいていくと
寝息が聞こえてきた。
「脅かしやがって……こいつ……寝てやがる?」
安堵と共に周囲を確認したが驚いたのはその後だった。同じように寝ている衛兵たちがたくさんいたのだった。周囲には飲みかけや食べかけの食べ物も転がっていた。
「一体どうなってやがる?食事に睡眠薬を入れたにしては人数が多すぎる」
寝ている衛兵達を確認しながら呟いていた。
「これだけの数となるとまさか……?」
ある可能性が頭を過ったところで……。
「お前そこで何をしている!?」
遠くの通路の方から怒声が聞こえた。
「ちっ」
舌打ちをしつつ、俺は真っすぐに走りだした。俺は、こんな所で油を売っている場合ではない……。俺の目的は姫を殺すことだ……。
しかし、一度見つかってしまった為に、別の塔の衛兵達が通路で合流し衛兵の数が増えていった。この状況では、走って逃げるしかなかった。不思議なことに挟み撃ちをされることはなく、姫の言うように裏口までは一本道になっており、道中に衛兵達はいたがすべて寝ており、動かなくなっていた。
裏口にさしかかった矢先、頭上から怒声が聞こえた。
「いたぞ!!追えええ!」
一瞬気を取られた隙に死角からの弓矢が肩を貫いた。
「ぐっ─―」
激痛が体を走った。だがここで立ち止まるわけにはいかない。
肩に手を当てながら目の前に広がる森に駆け込んだ。
森に入り疾走を続ける俺だったが、肩の傷の出血がひどく視界が徐々にかすれていった。
「はぁはぁはぁはぁ……」
このままでは…。意識が朦朧とする中で足だけは懸命に動かし続けた。
追手の声はどんどん近付いてくる……。焦った俺はここにきて森の段差にきづかず転倒してしまった。
起き上がろうとした所で急に身体が引き寄せられた。
「んんっ」
突然の事に声をあげようとしたが、口を手で塞がれて言葉を紡ぐことが出来なかった。
「しっ。死にたくなかったらお黙り」
有無を言わさぬ声が背後から聞こえた。抵抗をしようと体を動かそうとしたが、すごい力だ……。意識が朦朧としているとはいえ。ビクともしなかった。
首だけのサインで頷くと、続けざまに、
「こっちよ」
と、体を預けた体勢のまま従った。数歩といわないところに丁度、俺が転倒した場所が小さな丘で死角になっており、よく見ると小さな洞窟になっているのが分かった。そこへ無理やり押し込まれると、入口を塞がれた。そのまま動こうとも体を動かそうとしたが俺の意識はそこで途切れた……。
「……げて……て……」
「何を言ってるんだ?」
誰かに何かを言われているのだが上手く聞き取れない。
顔はぼやけていて、誰だか分からなかった……。しかし目の色が蒼い瞳をしている事は分かった。表情は読めなかったが、とても悲しそうな眼をしていた……。
この眼をどこかで見たことがある……。君は……。
「君は誰なんだ!?」
声と共に俺は叫んでいた。
「朝から騒々しい奴ね……」
頭上から声が聞こえた……。背が高く、身体はがっちりとしており、見下ろされているだけで威圧感があった。
「あんたは一体……?」
「命の恩人に向かってあんた呼ばわり?一体どんな教育を今まで受けてきたのかしら?」
「命の恩人……?はっ……!そうだ!衛兵達は……?」
動こうとして左肩に激痛が走る。
「いっ……」
咄嗟に左肩を抑えるが出血はなく、包帯が巻かれていた。
「怪我人はそこで大人しく寝ていなさいよ」
有無を言わさない迫力で、そのまま寝かしつけられた。どうやら洞窟の中は広い空洞になっていたようで、俺はそこの石で出来た簡易ベッドに寝かされているようだった。
「あんたがこの傷の手当を……?」
怪訝そうに見ていたのが気に障ったのか不機嫌そうに答えた。
「そうよ!悪い?あくまでも応急処置だから半日は寝ていなさいな。夕刻には出発してアズデアに行くわよ」
「どうしてアズデアなんかに?」
「私の格好を見て分からない?私の仲間がそこにいるからよ」
服装を見せつける様にその場でスカートの裾を摘まんで見せた。
アズデアとは、ダンガム宮殿から森を抜けて北にある町で、水の奇麗な町で有名だ。
なんでも最近では大道芸人達が滞在しているという噂を聞いたことがあるが……。
と再度この男の服装を確認した。
「…………」
「何よ?何か言いたそうな目をしているわね?」
―─どうして大男が女の格好をしているか?とは聞けなかった。だが格好から察するに……。
「あんたもしかして大道芸人か?」
すると、仏頂面をしていた彼の顔は笑顔に変わり、頷いた。
どうやら仲間が怪我をしたらしく、傷によく効くと言われている、ナトアナ草を、この森にまで取りに来ているらしかった。
彼曰く、その薬草がなければ俺の命も危なかったらしい。俺はすぐにでもここを脱出して、準備を整えたかったのだが、彼がそうさせなかった。どうやら仲間に医師がいるらしく、彼に診せるまでは解放する気はないようだ。
夕刻前に洞窟を出発し、日が沈む前にアズデアに着く事ができた。道中昨日の追手の事を聞いてみたが、あんた私を誰だと思っているの?大道芸人よ?とよく分からない解答をされ、答えを濁されてしまった。もっと追及しようとしたのだが……。目の前のアズデアの雰囲気はそれどころではなかったのである……。
町に近づくにつれて異変がすぐに分かった。町から出て行く者の姿がちらほらおり、町全体が騒がしかった。異変を察知すると大道芸人は顔色を変えて町に走って行った。
「お、おい……!」
俺は後ろから声を掛けたが、まるでそれどころではないと言わんばかりに駆け出して行った。取り残された形になった俺だったが。体は追いかけて走りだしていた。
到着すると町中はごった返していた。荷造りをする者、駆け回っている者……。
町中で「早く逃げろ!」や「今日中だ!」などの声が飛び交っていた。
言葉の意味が気になったが、俺は大道芸人を見失わない様に懸命に探し後ろをついて行った。しばらく町中を進むと奥の方に大きなテントがあり、そこに入って行くのが見えた。
中は大きな空間になっており、最初の部屋はドーム型でとても広かった。部屋のあちこちに大道芸人の小道具と思われるものが置かれてており、倉庫といっても過言ではなかった。驚いたことに武器もかなりの種類があり、俺はそちらの方に目を奪われた。
「アネゴ──」
と奥の部屋から声が聞こえた。気になって近づき、中の様子を覗いてみると……同じような服装をした人間たちがあの大道芸人を囲んでいた。
その様子をしばらくみていると……。
「あんた覗きの趣味もあるの?そこにいないでこっちに出てきなさい」
どうやらばれているようだ。逃げようか迷ったが…ここは素直に従うことにした。
彼らの話を聞いてわかったことは、ダンガム宮殿と敵対し、侵略を狙っている。カドア王国のカドア軍の軍隊が進軍を始めており、ダンダム宮殿の配下にあるアズデアも同様に侵略されるということだった。単純な戦力差で言えばカドア軍の千の兵力に対して、女や子供の多いダンガム軍は五百の兵力しかなかった。侵攻を恐れたアズデアの町では、戦いが起きる前から戦いに加担するのではなく、逃げる準備を勤しんでいたというわけらしい。 ダンガム宮殿に兵がたどり着くまではあと一日という話だった。その時俺の脳裏に過ったのは姫の顔だった……。傷の方の手当は大道芸人の専属の人に診てもらった。
傷自体は深くないらしく、二日も安静にしていればということだった。
どうやら大道芸人達は明日この町を立つようだ。俺も一緒にと誘われたが、丁重に断った。そして俺が行動を起こしたのは夜になってからだった。
好意でテントのベットで横になっていたが、やはり昼間の進軍の話が気になっていた。俺は暗殺を失敗した身だ……。このまま、おめおめと帰れる訳は行かなかった。だが暗殺の事を抜きにしてもあの瞳が気になって眠ることが出来なかったのだ。
俺はそっと部屋から抜け出し、最初のテントの部屋に来ていた。
俺の目的は一つだった……。俺は王都で武器をすべて取り上げられていたので、武器の調達が必要だった。そんな中でも、一際目を引く武器があった……。
「これは……」
奥の方に立て掛けていた長剣である。
刃はすらりと長く、不思議な模様が描かれていた。柄部分にも紅玉がはめ込まれており、一目で高価な物だと分かる。吸い込まれるように剣に目を奪われ、気づいた時には、剣を手に取っていた。初めて手にしたと思えないくらい、よく手に馴染む剣だった。本当は別の剣を拝借しようと思っていたのだが……。
気づいた時には剣を腰に携え、テントから出ようとしていた。
「あんた無礼な上に盗人だったの?」
俺の体が強張った……。振り向くと大道芸人の仁王立ちした姿がそこにあった。
「……」
引き攣った顔のまま、何を言おうかと頭を巡らせていると……。
「今度は無言かい……やれやれだねぇ……」
剣を懐かしそうに見ながら呟いた。
「それは私が昔使っていた剣だよ……今はもう使ってないけどね。気に入ったならあげるよ。ただしそれをあげるからには私たちに同行してもらうよ」
俺は無言のまま剣を地面に突き刺した。
「あんたには世話になったな」
手をあげて簡単な会釈だけ済ませ歩き出そうとしたところで手を捕まれた。
「そんな体でこれからどこに行くってんだい?」
「……」
「はぁ~~私の負けだよ」
というと突き刺した剣を引き抜き何を思ったのか剣を持ったまま前を歩きだした。
「ほら、何をぼさっとしてるんだい?あんた急いで行く場所があるんじゃないのかい?」
「おまえ何を考えているんだよ……?」
「よく言うわ!それはこっちの台詞だよ……」
「え?」
「せっかく私が助けた命だってのに、それを自分から捨てに行こうとする馬鹿がいる。違うかい?それは一体どこの礼儀知らずかしら?」
「うっ……」
図星をつかれて俺はたじろいだ。
「そんなの見過ごしたら目覚めが悪いったらないわよ」
やれやれと言わんばかりに首を振りながら答えた。
俺は気になっていたことを口にしていた……。
「あんたは理由は聞かないのか?」
大道芸人は何を今更…と言わんばかりに上から目線で答えた。
「命をかけるほどの理由?そんなの聞くまでもないじゃないの」
「──変な奴だな……お前は……」
「それはお互い様よ!」
「そういえば、名前まだ聞いてなかったな……お前の名前は?」
「ズゥよ。あんたの名前は?」
「ラークだ……」
そうして俺達は王都へ向けて歩き出した……。
デスペラード