ぼくたちは子どもだった。

 階段を上がっていたはずが、いつのまにか下っている感じに似ていた。
 トラの子どもと戯れたのは昨日のことだ。児童公園の砂場で、泥遊びをした。トラの子どもは、ぼくたちの言語を理解できるトラの子どもだった。
 ぼくは昨日、彼女と別れたのだけれど、トラの子どもと泥遊びをしたことで今日になったら彼女のことなど、どうでもよくなっていた。朝ご飯をばくばく食べた。トラの子どもは肉が好きかと思いきや、ホットケーキが好きなのだと云った。トラの子どもと作った泥だんごを、ぼくは昨日持って帰ってきたはずなのだけど、朝になったら無くなっていた。泥だんごは、ぴかぴかのつるつるの、究極の泥だんごだった。宝石みたいねェと喜ぶ、トラの子どもの笑顔はしばらく忘れられないなと思った。
 学校に行くと昨日別れた彼女がすでに、三年生の男といちゃいちゃしていた。
 人間っつうのはクソだなと思った。ぼくも人間だけれど。
 トラの子どもになりたいなあと、漠然と思った。数学の授業は退屈なので、先生が唱える呪文のような公式を右から左へ聞き流しながら、ぼくはトラの子どもになった自分のことを想像していた。ぼくはきっとホットケーキではなく肉が好きで、朝からでも肉が食えるだろう。幼稚園では園庭のすみっこで蟻を観察し、教室の片隅で絵本を読み耽り、家に帰ってからは近所の児童公園の砂場でひとり(一匹?)泥遊びに興じるような子どもになるかもしれないけれど、肉はばくばく食べるだろうと思った。焼いても煮ても、蒸しても生でも。動物の肉も鳥の肉も、魚の肉も爬虫類の肉も。
 昼休みになると学食には別れた彼女と、例の三年生の男がいたので、ぼくは食べようと思っていたA定食のみそ汁をわざとふたりの頭上にぶちまけた。食べ物を粗末にしてごめんなさいと誰かに(神様に?)謝りながら、ぶちまけた。みそ汁のお椀が床に落ちた音とふたりの悲鳴が響き渡り、学食は一時騒然となった。ぼくは手を滑らせてしまったのだとふたりにも謝りながら、今日の放課後もトラの子どもに逢いに行こうと決めた。彼女だった女はきつく睨んできたが、三年生の男の方は「気にするな」と笑っていた。一瞬だけ、ほんの一瞬だけれど、次につき合うならこの先輩がいいなと思った。女はもう面倒だな、とも。
 放課後、児童公園に行ってみるとトラの子どもは砂場にはいなくて、ブランコの近くにある花壇の前にしゃがみこんでいた。ブランコにはトラの子どもよりも大きな、小学生くらいの子どもが乗っていた。トラの子どもはブランコの順番を待っている、という感じではなかった。
 なにしてるの。ぼくが声をかけると、トラの子どもは立ち上がった。
「おにいちゃん」と、トラの子どもはぼくのことを呼んだ。トラの子どもの右手には、昨日も泥遊びに使っていた緑色のスコップが握られていた。
「あのね、これ」
 トラの子どもが指差した先には、蟻がいた。穴があった。蟻の巣穴だ、と思ったときにはトラの子どもが、傍らにあった緑色のバケツから緑色のスコップで泥をすくいあげ、蟻の巣穴の上に泥をのせた。あっ、と息を飲んだ。残酷だ、と思った。幸いにも巣穴の近くにいた蟻たちは、危機を察知したのか四方八方に散ったが、巣穴の中にいたかもしれない蟻たちはどうか。
「あり、かわいい」
 トラの子どもは言った。ぴかぴかつるつるの泥だんごを、宝石みたいねェと喜び笑った昨日のトラの子どもは、そこにはいなかった。
 ぼくの目の前で突然、光が弾けた。ばちっ、ばちっ、ばちっ、と三度、オレンジ色の光が火花のように弾け散った。そういえば昨日、トラの子どもと作った究極の泥だんごは確かに持ち帰ったのだが、家の前で粉々に破壊したのだった。アスファルトに叩きつけて、ひびが入ったところを容赦なく叩きつけて、ただの砂にした。砂は側溝に捨てた。
 蟻に飽きたのかトラの子どもは、花壇に咲いていた花に鼻をすりよせ、いいにおい、と言った。

ぼくたちは子どもだった。

ぼくたちは子どもだった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-12

CC BY-NC-ND
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